「週刊朝日 ついに休刊」の見出し。朝日新聞ではなく、他紙の記事である。そうだ、と思いだし、近隣のコンビニを覗いたが在庫がない。行きつけの駅前の書店いくつかにも電話したが、売り切れと言われた。
最終号の中吊り広告 |
新聞専売所ならあるかなと思い連絡したら、手元には残っていないが「重版をかけるそうです」とか。正確には増刷だろうが、珍しい。最終号ならではだろう。なくなるとなれば、名残惜しいと思う読者がたくさんいるのだろう。専売所に届いたら配達してもらうようお願いした。
あらためて雑誌の役割のようなことを考える。雑誌ってなんだろうって。「雑」の字を白川静の『字統』で引いてみると「もと色彩のある織物を組み合わせる意」「他に組み合わせ、混合したものを雑といい、学にも雑学・雑識がある」とある。
組み合わせたもの、混合したもの、というのが雑誌のオリジンのようだ。つまりは、「編集」ということか。ただの断片的な情報を編集して見せることで、より面白く、新しく、別の価値をつくり出すということ。
そうした価値を届けてくれる雑誌は大切なメディア。ネット上にもその類は数え切れないほどあるが、信頼できるかどうかはまったくもって危うい。署名もないサイトは信用しないのが知恵だと思っている。
手に取り、パラパラと一気にめくれるのも紙の雑誌ならではの楽しみなんだけどね。
以前も書いたが休刊に追い込まれた一番の要因は、広告収入が確保できなくなっていたから。ネットに持って行かれてしまった。でもネットの広告ってどれだけ広告主の役に立ってるんだろう。ターゲティング広告なんていっても、だからそれをどうビジネスに活かしているのか。読んでいる人の属性が推測できるから? どんな記事に興味がありそうか分かるから? それで?と言いたい。
企業の広告担当者は、自分が予算を使って何を実現したいのか、企業(製品)にとってどんなマーケティング・コミュニケーションが必要なのか、ちゃんと考えているか。