先日、生成AIが利用できるようになって大学などの教育の場に大きな影響が及ぶということを書いた。
そしたら、友人のN山さんがこんな話をしてくれた。学生たちはもうレポートも卒業論文も修士論文も自分で書かなくなるでしょうと。
彼が言うには、生成AIに書かせた論文やレポートはまだその真偽を見分ける余地が残っている。だがそれを翻訳サイトでちょちょっと加工すればわからなくなるのだ。
生成AIに作成させた論文やレポート、あるいは学生がどこかで見つけてきた他者の論文などをネット上の翻訳サイトを使っていくつかの言語間で翻訳を繰り返し、最終的に日本語に翻訳させると、類似度判定のシステムを用いても見破ることはできない「オリジナル」なものができあがると。
そうだろうね。
そして、これを防ぐ手立ては今のところない。 学生ら自らの倫理観に頼るしかないのが心許ない。パンドラの箱が開いた感じだ。