2024年6月25日

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

という本(集英社新書)が売れている。

多くの日本人が、「そうそう、そうなんだよな〜」と共感しているからだろう。

その本を読む時間があるのなら、もともと読みたいと思ってた本を先に読んだ方がいいのに、という突っ込みはここでは置いておこう。

結局のところ、「そうなんだよなぁ〜」と多くの人が考える理由は、日々の仕事が忙しくて時間が取れない、時間的な余裕があってもついスマホを見てしまう、と云ったところか。

だけど大切なことは、本を読まなきゃいけないという強迫観念なんか持たないことだと思う。本を読まないのは、本当に読みたいと思う本がその人にないからだ。読みたい本がないなら、本を読む必要はない。本はたくさん読めばいいってものじゃないと思っている。

学年末になると、定年で大学を辞めていく教授のなかに自分の研究室にあった本を一気に放出していく人がいる。研究室の中にあった本が外の廊下なんかに積み上げられ、そこに<どうぞご自由に>なんていう張り紙がしてある。

そうして何十年も溜め込んだ年代物の本が、廊下やラウンジなんかのスペースに鍾乳石のように立っている。だが、残念ながら古くてほとんどは使い物にならない本だからか、誰も持っていこうとしない。

その柱の脇を通るたびによく蓄えたな、と思うと同時に、本の冊数と人間の中身は関係ないとつくづく感じた。

僕自身、若かった頃は、毎年最低でも自分の背丈をこえる高さの本を読むことを一つの目標としていたが、いまはそんなつまらない考えは持たない。

ところで、日々の仕事などで忙しくて本を読みたくても読む時間がないという人たちにもできることがある。ポイントは、最も本を集中して読めるときに読む、というきわめて単純なもの。

僕の場合は、脳がもっとも疲れていない朝起きてすぐの時間だ。ベッドから出たら窓を開けて外の空気を室内へ入れ、すぐに本読みに入る。20分間、立ったまま本を持ち、部屋の中をウロウロしながら読むことだけに集中する。

起き抜けのアタマというのは余計なゴミが何も入っていなくて、そのせいか集中して本を読み進められる。たとえば新書本なら、それで半冊は読める。