2026-06-20

現実から隔絶した単純化が抱えた問題点

2月下旬、それまで会員だった国内のある学会に3月末日で退会すると記した届出を送った。

その後、その学会からは何も言ってこなかったのが、つい先日、退会が認められました、と連絡してきた。なんというか、日本の学会はどこまでもお役所みたいだ。

年会費を滞納しているわけでなし、何かこちらがやらなきゃならない義務が残っているわけでなし。それなのに、なんでこうなるのかね。 

振り返ると、ぼくは最初から日本の学会と相性が良くなかったように思う。

遅咲きの研究者として初めて学会に参加したのは30代後半。マーケティング・マネジャーをやりながら博士後期課程の大学院生でもあった時、知り合いから商業系のある学会を紹介されて入会した。

初めて参加した学会、そこで最初に登壇した人物は関西のある国立大の経営学部に所属する助教授で、彼女は研究報告の冒頭でこう言い放った。「企業には攻撃型の企業と守備型の企業があります」

おいおい、ちょっと待てよ、なんだその二分法は。と思ったのが、一番最初の感想だった。

企業は人間と違って生まれながらの不変なパーソナリティを持っているわけではないぞ。市場において攻撃的な行動をとることもあれば、状況に応じて守備(防衛)的な行動をとることもある。

それをどうするかは時の競争環境と、現在の戦略や資源などとの兼ね合いで決定される。 A男さんは物静かな性格で、B子さんはつねに饒舌なタイプといったアナロジーは企業には当てはまるものではない。 

企業をマーケットリーダー、チャレンジャー、フォロワー、ニッチャーに分けて考えるようなことはある。が、それはその時の特定業界における市場占有率によって取るべき基本戦略を類型化したところからの発想に過ぎない。

何十年というマーケティングの現場での経験から、そのくらいのことは分かっていたつもりだ。

彼女の冒頭での発言を聞いておったまげたぼくは、すぐに周りの参加者の反応を見るべく、ぐるりと周囲を見回した。そこでまたおったまげた。

さっきの決定論的な考え(企業の二分法)の発言に対して首を傾げている人が一人もいなかったから。

現場でのたうち回ったことのない<平和な>研究者の様態はこうなのだと実感して、自分とは相容れないことを感じた。

これが一番最初の学会、そしてぼくが聞いた一番最初の研究報告での出来事である。これが良かったのか、悪かったのか・・・。

以来、学会活動への目は日本国内ではなく海外に自然と向くようになった。だから、コロナ禍で海外渡航ができなかった時期を除いて、学会発表はほとんど海外の国際学会で行った。

そのため国内では学会内の何々一派といった集団には一切関係することなく、毎回、海外でいろんな国からやって来た研究者たちと仲良く面白くやり取り(飲み食い、小旅行を含む)ができた。 

思い返せば、すべてはあの時の彼女の「企業には攻撃型の企業と守備型の企業があります」から始まっていたのだな。