2023-09-19

懐かしのコピーライター養成所

コピーライターから出発し、小説家として一家を成し、昨年からは日大の理事長でもある林真理子氏がある出版社のサイトに書いていた。

コピーライターの養成所に通っていた頃、講師をやっていた大手広告代理店勤務の人と2人で飲みに行ったら、「ホテルに行こう」と誘われたのです。 

今はその瞬間に「アウト!」という時代ですが、当時の私がまず思ったのは、「へー、私なんかを誘うんだ……」ということでした。さすがに「ありがたい」とまでは思いませんでしたが、「どうもどうも。恐れ入ります」みたいな感じで、全然腹が立ったりはしなかった。

 そうして、「一応、講師やってる立場で誘ったりしていいわけ?」「こういうのに乗ってくる女の子もいるんだろうなあ」という興味の方が勝ってしまい、「世の中ってこういうふうに回っているのかー。面白いなあ」と学ばせてもらったものです(一応お断りしておきますが、もちろんついて行かなかったですよ。まったく好みのタイプではありませんでしたし)。

彼女は僕の4つ上。大学卒業後にコピーライター養成所に通っていたという。僕も大学卒業した年にそこに通っていた。林さんとほぼ同じ頃だ。そこで思い出した。

コピーライター養成所で一緒だった同期の仲間たちとは結構親しくなり、銀座で行われていた授業が終わると必ずみんなで飲みに行ったり、終末にはドライブに行ったりして遊んでいた。いっしょに遊びながら、誰が一番最初にコピーライターとして有名になるかというライバル意識もみんな持っていたはず。

ある時、そのなかのY子が、電通のクリエーターで当時その学校で講師をしていたNから誘われて付き合っていると話し始めた。Nは業界ではそこそこ有名人だった。Y子はその後、Nの手引きで電通の関連会社にコピーライターとして入社した。

だが、僕が広告会社にいる間、彼女の話が広告クリエイティブの業界で流れてくることはなかった。彼女はその後、どうなったのだろう。元気でやっているのだろうかと、ふと気になっている。

2023-09-16

西の人が長寿なのはなぜだろう

敬老の日が間近ということで、厚生労働省が全国の100歳以上の高齢者の概要について発表した。日本の最高齢者は、116歳とか。

人口10万人当たりの100歳超えの人の人数ランキングがあった。

  1. 島根(11年連続)
  2. 高知
  3. 鳥取
  4. 鹿児島
  5. 熊本
  6. 長野
  7. 山口
  8. 愛媛
  9. 宮崎
  10. 大分

九州から4県、中国地方から3県、四国から2県である。長野県を除けば、すべて西日本の県だ。

2023-09-15

まるでオセロのように

つい2日前、ジャニーズ事務所の記者会見をきっかけとして、所属タレントに向ける社会の目が変わって彼らのCM利用に見直しがでてくるだろうと書いた。

だが正直、これほど次から次へとジャニーズ・タレントの契約解消がスポンサー企業から発表されるとは思わなかった。まるでオセロのゲームで、なにかのコマが裏返ったことをきっかけに、その周囲の様相が一変するという状況に似ている。これもまた日本的といえば、実に日本的な横並びの反応である。

それにしても、タレント契約見直しを発表した企業名リストを見ると、つくづく日本企業の広告は「タレントもの」が多いことを再確認させられる。その特徴は昔から変わっていない。

広告の表現形式としてタレント主導型のクリエイティブを一概に批判するつもりはないが、タレントの訴求力におんぶに抱っこで表現としてアイデアに欠けているのも、間違いなく日本の広告の特徴だといえる。 

同じコンビニチェーンのセブン・イレブンとファミリーマートの両社がどちらもジャニーズのタレントを同じ時期にプロモーションに使っていたなど、かつての業界の習わしだと考えられなかったが、いまはスポンサーの担当者がそうしたことを気にしないのだろう。「ブランド」の意味が分かっていない、あるいはそれを気にしていないということだ。

2023-09-14

「させていただく」の真意

岸田首相の第2次内閣改造にあわせて行われた党人事によって選挙対策委員長とやらになった小渕優子議員が、13日の会見の場でドリル事件について問われ、

私自身、記者会見を開かせていただきました。あらためてお詫びと説明をさせていただき、質疑応答も時間(制限)なく、すべての質問に答えさせていただいて、できる限り誠意をもってお答えさせていただいた。

と回答した。

こういう人は、すべてにおいて「させていただいて」生きているのだなと感心する。フツーに「記者会見を開きました」「お詫びと説明をしました」「質問にお答えしました」としゃべれない理由でもあるのだろうか。

ところで、なぜ内閣は「再編」ではなく「改造」と呼ぶんだろうナ。改造とは、改めて造りかえるの意。何かあるとすぐに「適材適所」と言っていたのが、実は「不適材不適所」だったと自ら認めているような気がする。

企業では、組織再編とは言っても、組織改造とは一般に言わない。内閣って実際のところ何が特殊なんだろう・・・。と自問して、思い浮かんだのは、法務大臣だった人が今度、外務大臣になった不思議さ。

企業であれば、法務部門の責任者だった人物が海外営業本部の責任者にポジションが変わったようなものか。求められる適性と専門性が違いすぎる。

2023-09-12

「児童虐待」がスポンサーを動かす

サントリーの新浪社長がジャニー喜多川による「チャイルド・アビューズ(児童虐待)」を批判し、今後ジャニーズ事務所のタレントをCMに起用しないと語った。



先日のジャニーズ事務所の社長交代の記者会見は、彼らが念入りに仕組んだ筋書き通りに進んでいたが、これで社会の空気が変わるかもしれない。

1つには、何と言っても日本を代表する大スポンサー企業がはっきりNOを明らかにしたこと。企業がCMに起用しないと言うことは、民放テレビの番組出演にも当然ながら影響する。

もうひとつは、これまでの争点が「性加害」だったのを、新浪氏は問題点として「チャイルド・アビューズ」をあげたこと。

日本人は欧米人に比べて性犯罪に対してどうも甘い、というかユルい。国民性といっていい。妙に大らか(過ぎる)である。そのためJ社の件についても日本人のなかには「そこまで目くじら立てるようなことではないのでは」という風潮があったように思う。50年近くもジャニー喜多川の性犯罪が黙殺されてきた所以だ。

だが、「児童虐待」となると話は別。印象が異なる。スポンサー企業は躊躇している暇はなく、厳しい姿勢と対応を社会に示すことが求められるはずである。たとえば、児童虐待を続けていた人物を社名に掲げるタレント事務所のタレントを、お菓子や飲み物の会社がCMに使うわけにはいかんだろう。

9/11から22年

ニューヨークのワールドトレードセンターが崩壊した9/11から22年になる。あの日、ハイジャックされたAA機とUA機が続いてビルに突入し、その後WTCが崩れ落ちたのが日本の午後23時頃。

筑紫さんがキャスターをしていた「ニュース23」が番組を延長して朝方まで状況を伝えていたのを覚えている。あれからすっかり世界が変わってしまった。

9/11の前年、2000年の大統領選の結果がいまも悩ましい。クリントン政権で副大統領をしていたアル・ゴアとジョージ・W・ブッシュ(Jr.)が戦った大統領選だ。例のフロリダ州での杜撰な選挙管理が禍して、結局高裁での判断までもつれ込んだ挙げ句、なぜか僅差でブッシュの勝利になった。

もしあのとき、ブッシュではなく、ゴアが米国大統領になっていたらと考えてしまう。その後の9/11も、それにともなう米軍のアフガン侵攻もイラク戦争(1991年にイラク相手に湾岸戦争を起こしたのは、当時の米大統領だったブッシュ(父)だった)もなかっただろう。それから15年後にトランプが大統領に押し出されるなんてこともなかった。

つくづく、ジョージ・ブッシュが23年前に米国の大統領になってしまった世界の不幸を呪う。彼は、今GOPで圧倒的支持を集めるトランプをどう見ているのだろう。たぶんトランプのことはおろか、なんにも考えていないかもしれない。フロリダで(昔そうだったように)アル中になってヨイヨイかも。

2023-09-11

忖度はあなた方の無知、弱さだ

ジャニー喜多川こと喜多川擴(ひろむ)の性犯罪問題で、NHKが自らを含めた「メディアの責任を考える」という番組を流した。1つの節目を、週刊文春が報道したジャニー喜多川による性加害が高裁の判決で認められた2003年におき、その当時NHKと民放で番組制作(芸能部門)にいた人たちに取材をした結果を紹介していた。

つまりそれは、裁判で喜多川の性犯罪の判決が出たにもかかわらず、テレビ・プロデューサーらはそれをほとんど無視し、報道を怠り、ジャニーズにすり寄り続けていた時期だ。呆れた所業である

「タブーだった」「アンタッチャブルだった」「そういう(誤りを指摘をする)雰囲気はなかった」「清濁併せ飲んでやっていた」などの言葉が並ぶ。どれも、自分自身には責任はなく、周りの環境がそうだったから仕方がなかったと言っているのに等しい。容易に忖度に流れる日本のメディア関係者たちの姿がうかぶ。

信念などなく、メディアに携わる者としての矜恃を持たぬ連中。そういえば、局という所は、親などが政治家や芸能人でそのコネを使って入社する者のなんと多いことか。

タレントのマネジメント事務所が力を持ちすぎ、局の(エンタメ)制作部門に深く食い込み過ぎている。双方がどっぷり腐敗の海に浸かっている。

もうひとつ指摘しておかねばならない日本のメディアの特徴のひとつは、広告代理店の怪しさである。番組スポンサー、CMスポンサーへの配慮から、タレントやその事務所の不正を見て見ぬ振りをするだけでなく、スキャンダルは握りつぶしてきた。

倫理や社会的公正の意識の欠片もなく、ただカネのためにしか動かない代理店の人間たちが間違った形で力を持ちすぎている。いまもテレビ番組や映画の製作者として広告代理店が名前を連ねているのは、その証しである。そして、東京五輪での数々の贈収賄事件は、まだ我々の記憶に新しい。

それにしても、ジャニー喜多川の悪行がこれだけ明らかになったのに、株式会社ジャニーズ事務所は社長の交替を発表しただけで、ジャニー喜多川の名を冠した社名を変えないとはどういうことか。藤島ジュリー前社長は「してやったり」とほくそ笑んでいる。

 
 
彼女が社長を辞めても代表権を握ったままでは組織は絶対に変わらない。会社の株は100%彼女が保有したままだ。日々の実状を目の当たりにしながら、何も正そうとしなかったJ社の幹部らも一掃しなければだめだろう。

2023-09-07

理容室のサイン

街中でよく見る、床屋の店先でぐるぐる回っているお馴染みのサインポールだが、こんな風に2つあると、なんかそれだけで面白い。早稲田通り沿いの理容室。

2023-09-05

年寄りはメチャクチャなくらいがちょうどいい

現在公開中の『春に散る』は、沢木耕太郎の新聞小説を原作にした映画である。

実は映画を見てから、原作の小説を手に取った。書棚の片隅に置いていたその本は2017年発行の初版本だった。

映画のなか、佐藤浩市が演じる初老の元ボクサーの年齢ははっきりとは明らかにされていない。佐藤本人は63歳なので、それくらいかという印象だった。

小説で描かれた主人公である広岡は26歳で日本を出て米国に渡り、40年ぶりに初めて帰国したということなので、66歳に設定されていた。66歳、微妙な年齢である。一昔前なら、もう現役の第一線から退いた引退者の一角を占めているわけだが、いまはどうなんだろう。

映画の中で印象的だった、佐藤浩市演じる元ウェルター級のボクサー広岡仁一が、若いボクサーの黒木に向けて放つ台詞がある。広岡からボクシングを教わる黒木から「言ってることがメチャクチャじゃねえか」と言われ、広岡は「年寄りはメチャクチャなんだよ!」と返す。だがこの台詞は、沢木の原作には書かれていない。

前言を翻すといったことではなく、「今」を生きる感覚で、理屈ではなく直感的に判断をすると、そうなるのである。

若い連中には理屈に従って秩序正しく真面目に生きてほしいが、俺たち年寄り(都合がいいときはそう言っておく)は好き勝手言って、好き勝手やって、メチャクチャなくらいがちょうどいいのである。

「春に散る」は、もうひとつの「あしたのジョー」である。

2023-09-02

TBSキャスターのヘンな言語感覚

昨日、テレ朝のキャスターのおかしな感覚について書いたが、今日は別のテレビ番組キャスターの奇妙な言葉遣いが気になった。

土曜夕方のTBS「報道特集」は、日本で珍しいまともなニュース報道番組だと思っていた(ローカル番組は知らないから分からない)。ところが。

今晩、取り上げられていた特集のひとつは、福生市のある社団法人(名前は伏せられていた)が生活困窮者の救済を装って行政(福生市役所)との間に入り、彼らに生活保護者申請をさせ、その後、連んでいる不動産屋と共謀して普通の物件価格よりかなり高く設定された家賃(生活保護受給者に認められている上限価格ぴったり)のアパートに入居させ、更に免許証や保険証などを取り上げて動けなくし食い物にしているというヒドイ話だった。

経済弱者を狙った税金詐欺に、ほぼ間違いない。世の中には悪い奴らがいるもので、この番組で報道されなければ知る由はなかったケース。

番組のなかでTBSの村瀬という男性キャスターが、生活保護受給者を人質に取り不正な報酬を得ている、福生市にあるその社団法人と不動産業者による明らかな詐欺手口を「ビジネスモデル」と表現していたのには驚いた。

気の利いた用語を言ったつもりかもしれないが、詐欺の手口を指してビジネスモデルって言うか!? どうかしてんじゃないのか。

2023-09-01

組合のストを「異常」だと言い放つニュース・キャスターの異常さ

9月1日、当事者らが予定していたとおり、そごう・西武百貨店がセブン&アイ・ホールディングスによって米国の投資ファンドに売却された。

それに先だって、8月31日に西武百貨店の池袋本店で労働組合による終日のストライキが行われた。様子はメディアで幅広く報道されていたが、その理由はそうしたストがいまどき珍しいからということらしい。

昨日、たまたまは出先で夜10時からのテレビ朝日のニュースを見てたのだが、以前NHKで夜9時のニュース番組のキャスターをやっていた大越健介という男が、「なぜ、こうした異常な事態に陥ってしまったのでしょうか」と賢しらなコメントを述べていた。

最初、異常な事態なんて言うから、組合の猛者が会社の社長を拘束して会議室に軟禁でもしたのかと思ったけど、何のことはない。予定していたストライキを予定通り実施しただけの話だった。

組合がスト(ストライキ行使)を行うのは、憲法で保証された権利の一つ。それを「異常な事態」だと発言するのはどうかしている。労働運動をとんでもない行為か何かだと考えているのだろう。異常なのは、このニュースキャスターと番組である。

そういえば、同キャスターがその前日の放送で沢木耕太郎氏にインタビューしていた。今度映画化された沢木の『春が散る』を取り上げて、「〜を読ませていただきました」「映画を見させていただきます」と当たり前のように発言していた。また「させていただく」だ。言葉がじつに貧困。

2023-08-24

理解していないのに賛成できるのはなぜ

福島原発の「要処理水」——政府や東電はその水を「処理水」と呼んでいるが、処理済みではない——が今日から福島沖に海洋放出される。

関係者の同意がなければ放出しないと言っておきながら、いざとなったら無視。自分たちの既定路線に沿って、放出の準備は以前から進められていた。五輪招致の時、安倍元首相は「アンダー・コントロール」と世界に向けて言ったが、汚染水が日々貯まり続け、その保存場所がいずれなくなる事は最初から分かっていた。

投棄する場所は海中と大気中の2つの選択肢があるが、大気中へ放出するプランはどれくらい真剣に検討したのだろう(米国のスリーマイル島の原発事故のケースでは、大気放出が選ばれている)。今回、2つの方法の是非はどれくらい科学的に議論したのだろう。

海の方が国民の同意を得やすいという理由で、当初から「海中放出」が国の考えにあったように思える。というのは、「大気中へ放出」より「福島沖の海へ放出」の方が国民にとっては「自分には直接の影響がなさそう」と思えるからだ。自分ごと感が圧倒的に薄くなる。

海水で1200倍に希釈すれば、トリチウムが基準値以下になるから海洋放出しても構わないという理屈が分からない。ほとんど無尽蔵の海水で薄めれば、何だっていくらでも薄められる。だが、いくら薄めても元の放射性物質の量は変わらない。

トリチウムを水に流して捨てるのではなく、そもそも除去する技術はないのか。研究はどこまで進んでいるのか。その技術を人類が持てない限り、原発はやはり不適切なのではないか。

汚染水の放出期間は「30年ほど」と発表されているが、政府が今30年と言っているということは、実際はそれでは決して終わらないということ。50年か、70年か、いや100年経っても終了しない可能性が極めて大きい。なぜなら原発を廃炉できなければ今の汚染水は止まらないから。

格納容器に溜まった燃料デブリを冷やすための汚染水は、日々増え続けている。そして福島第一にある880トンのデブリは、まだ1gたりとも取り出せてない(取り出せたとしても、それをどこに保存する?)。つまり、現状では汚染水は<半永久的>に増え続けるということ、トリチウムの海洋放出もほぼ永久に続くと考えるのが妥当だ。岸田首相が「私が最後まで全責任を負って・・・」なんていくら言っても、その頃にはもうみんな死んじゃってる。

海洋放出についての国の説明について、国民の7割が不十分なままだと言いながら、5割以上が海洋放出に賛成しているのも不思議。みんな「人ごと」だからと思考が停止しているように思える。忘れやすく、お上に言われたことに対して盲目的に追従しがちな日本人の国民性を政府も東電もよく知っている。

安全だと主張し海洋放出するなら、東京湾に流したらいい。そしたら、国民(特に東京都民、神奈川県民、千葉県民ら)はもう少し真剣に考えるようになるじゃないかね。

ただそこのところで韓国や中国など、周辺の国の人々は日本人とは違う。たとえばBBCの報道では、そうした国の感情としてAngerとAxietyを指摘していた。元々の国民感情もある。それをほぐすための説明は十分になされたのか。なされてはいない。こうしたことは、理屈だけで安全だから安心しろって言っても無理だ。

https://www.bbc.com/news/live/world-asia-66599189

2023-08-13

「戦う覚悟」と「言う覚悟」

先日、自民党副総裁の麻生太郎が台湾でまたやらかした。台湾有事に際して「戦う覚悟」が必要だとして、「いざとなったら防衛力を使う」と前のめりに宣言したらしい。

台湾海峡で争いが起こったからといって、それに日本が自衛隊を送り威力を行使するのは日本の憲法に反しているだけでなく、国際条約もそんなことは認めていない。

こうした分かりきったことをなぜ外国まで行って話すのだろう。理解が足らないのだろうが、どうもそれだけではないみたいだ。というのは、この麻生の発言を受けて、自民党の政調副会長がその発言を「政府内部を含め、調整した結果」だったと説明したから驚きだ。

自民党の連中が自分で「言う覚悟」がないものだから、麻生をたき付けて代わりに言わせた、というところか。のせる方も、のる方もアタマのネジがとんでいる。

いずれにせよ、もし戦争になったら一般市民は巻き込むな。あんたたちだけでやってくれ。自分が鉄砲担いで最前線に立てよな。

ただし、日本と中国の兵力には圧倒的な差があることは知っておいた方がよい。艦船数で2倍、戦闘機数で5倍、潜水艦数で3倍、人員の数では10倍の差がある。もちろん優っているのは相手国だ。それを知っていて「闘う覚悟がある」と宣言するのは、太平洋戦争に突入した昭和16年時の日本のトップと変わりがない。つまり、歴史から何も学んでいないということ。

本来は、実際の戦闘になどならないよう、外交や経済や文化といったソフトなパワーで周りの諸国と関係を閉じないようにするのが政治家の役目じゃないのか。

2023-08-12

顧客のライフタイム・バリューを見込んだ人質価格戦略

アマゾンプライムの会費が、来月以降年4,900円から5,900円に変わる。2割強の値上げである。4,900円の前は、3,900円だった。

 
例によってアマゾン・ジャパンは値上げの理由を説明していない。だからか、メディアが気を遣って(?)その理由を解説しているのだが、それによると物流コストが上昇したのを吸収するためだと書いてある。本当か? だって、ヨドバシ・ドットコムは会費なんか取らずとも無料で配送してくれてるぞ。

世の中の多くの物の値段が上がっているという風潮への便乗だというのが、僕の見立てだ。新聞記者が、トラックドライバーの「2024年問題」などを引き合い出し、勝手な推量でアマゾンの値上げを容認するトーンの記事を書いているのは違和感が大だ。

プライム・ミュージックにしてもプライム・ビデオにしても、有料版のunlimitedへ強引に誘導しようとしたり、観たい映画に限って有料だったりして、だんだん使い勝手は悪くなっている。だが、アマゾン・フォトに写真を保存している限りは解約することはできない。こうやって「人質」をとって、利用者からカネを巻き上げる価格戦略の典型である。いずれ利用料は1万円あたりまでいくのだろう。

同様のスタイルで値上げしたのが、Evernoteだ。こちらは5,800円だった年会費をこの5月に9,300円に料金改定した。実に60%もの値上げである。大幅な値上げは腹立たしいが、こちらも大量のデータをこのサービスのクラウドに預けている以上はすぐには手を打てない。やはり人質作戦だ。

グーグルはグーグルで、利用者の不利益など関係なく勝手に利用規約を変更している。

確かにどれも利便性の高い、優れたサービスではあるが、利用者が簡単に離脱できないのをいいことに、一方的な値上げを繰り返されるのは本意ではない。いざとなったらこうしたサービスからいつでも離脱できる代替案だけは自分なりに用意しておきたい。

2023-08-10

訪日外国人と渡航日本人

中国が、日本行きの団体旅行を解禁することを決め、その旨を在日中国大使館が外務省に対して文書で伝えた。

すでに中国は個人での日本への旅行は許可しているが、そのためには一定額以上の収入が必要になるなど、日本政府側のビザの発給条件がそれなりに厳しかった。しかし、団体旅行は申請条件がゆるいため、中国政府が日本への団体旅行を解禁すれば、かの国からの訪日観光客数が一気に増加するのは間違いない。

そうした動きを受けて、すでに百貨店や大手のドラッグ・ストア、ホテルなどの株価が上昇した。中国から大勢の観光客が日本に詰めかければ、そうした一部の観光、あるいは小売、運輸関係の業種は潤うことだろう。

だがその一方で、我々一般の国民から見れば、はっきり言っていろんなノイズがまた周りでいっきょに増してくるのかといささか心配になってくる。日本政府は、訪日外国人が増えることを経済的な面で歓迎しているのだろうが、それでいいのか。日本もそうした国になってしまったのかと嘆きたくなるのは僕だけだろうか。

この10年で所得の上昇にともない海外に旅行に出かける中国人が世界中で増加した。その恩恵にあやかり、外貨を稼ぎ、経済を少しでも押し上げようというのが、日本の政府が期待してるところだ。裏を返せば、それしか日本の経済を保つ方策が残っていないと言うことなんだろう。日本はいつの間にかギリシャのようになってしまった。

新型コロナの最中、京都市内の四条通を歩いていたときのことだが、まだ夜の9時前だと言うのに僕たちの前にも後ろにもほとんど人がいなかった。なんだか妙な寂しさのようなものを感じたほどだったが、一方で京都のその大通りを独り占めしてるような不思議な快感があった。もう2度とそんなことを感じる機会は無いのだろう。
 
京都四条通、2020年9月撮影
 
ところで、「インバウンド」と行政などが呼んでいる海外からの外国人旅行者が増加する一方で、日本から海外に行く人数は伸びていない。理由は、ビジネスの商談がリモートで行われるようになったからではない。数字の上ではそれもあるが、日本人の実質的な賃金の減少と海外での物価上昇、そして何と言っても円安のインパクトが大きい。 

10年前、在外研究のためにNYに住んでいた時のアパートの家賃は2,850ドルだった。円ドルの為替レートは80円だったので月約23万円。その時現地で世話になった不動産屋の担当者に、今同じ部屋を借りるとしたらいくら位かメールで聞いてみたら、4,995ドルという返事が返ってきた。今のレートで計算すると月70万円以上である。つまり、この10年で円換算で3倍に上昇した。もちろん上がったのは家賃だけではない。すべてだ。
 
これはひとつの例だが、日本は海外からの観光客を呼び込むことはできても、自分たち(一般的な日本人)が海外へ行くことは、とても「贅沢」な時代になった。この事実は旅行者だけではなく、海外の大学への留学者数のさらなる減少も予想させる。それが中長期的にどういった影響をこの国に及ぼすかは、また改めて考える。

2023-08-07

アマゾン・レビューの恣意性(続)

テストとして送った先日のレビューの内容を、サイト上の「編集」で本来のメッセージに書き直した。もともとのレビューが未だにアマゾンに無視されているからだ。

そうしたら、彼らから以下のようなメールが来た。投稿できませんでした、とある。

「すべてのお客様に関連性があるわけではありません」とあるが、冗談ではない。関係があると考えるからレビューにわざわざ書き込んでいる。

そもそも日本語になっていない奇妙な文章だ。だがそれもまた、彼らにとってはお構いなしなのだろう。

2023-08-06

日本の自動車メーカーは中国車と世界で戦えるか

最新のグローバル・ブランド・ランキングによると、その上位20位にある日本企業はトヨタ一社(6位)である。かつては日本の銀行や通信会社、電機メーカーなどが上位に並んでいたが、今ではまるで様変わりし、見る影もなくなった。

そのトヨタの行く末を危ぶませるデータが公表された。今年前半(1月〜6月)の自動車輸出台数で、中国が日本を抜き初めて世界首位になったのである。
 
彼らの主な輸出先はヨーロッパ。徐々にヨーロッパ大陸で中国車が拡がりを見せている。特にEVは、極端なはなし、モーターとバッテリーとソフトウェアがあれば生産できるから、その面では中国はお手のものだ。EVの台頭に合わせてデザインも磨いてきている。
 
このままいくと輸出台数だけでなく、企業ブランドのプレゼンスでもトヨタは中国の自動車メーカー、例えばBYD(比亜迪)などの後塵を拝するようになるかもしれない。そうしたとき、一体この国には世界に太刀打ちできるものとして何が残るのだろうかと、一抹の不安を覚える。

2023-08-04

アマゾン・レビューの恣意性(続)

購入した水のレビューを、安心して飲める、とかどうでもいいことを「テスト」としてアマゾンのレビューページに書いたら、すぐに掲載された。

 

だが、アマゾンのキャンセル・ポリシーの不適切さを指摘した先のレビュー内容はいまだに表示されないまま。自社に都合の悪いことは掲載しないようにしているわけだ。立派!

(追記 8月7日)
たまたまだが、「日本郵便の場合、大手事業者向けに、配送に7日程度の余裕を持たせる代わりに料金を1割前後割り引く料金体系がある」と記された新聞記事(日経)を読んだ。アマゾンは当然、ここでいう大手事業者に当たる。つまり今回の場合、アマゾンは彼らが支払う配送料を1割割り引かせるために、僕が注文した商品の発送をその分だけ遅らせたということだろう。だとすると顧客無視もいいとこ、ずいぶん勝手放題である。

2023-08-03

アマゾン・レビューの恣意性

日々猛暑が続く。外出の機会が減る。特に日中はできるだけ炎天下を歩くのは避けている。買い物の機会も減った。

半月ほど前、ボトルの水をネットで購入した。アマゾンのサイトで1ケース分を発注。配送まで1週間と表示されている。少し長いな、と感じたが急ぐ商品ではないので気にせず注文した。

ところが1週間たっても届かない。アマゾンのサイトで「配送状況」を見たら、まだ配送手続きにもはいっておらず、その時点で配達予定日は注文から13日目になっていた。

これはアマゾンの不手際なので、サイト上から「配達予定日が遅すぎる」という理由を選択してキャンセルをし、ヨドバシ・ドットコムで同じ商品を注文した。値段は大差なし。商品は翌日に届いた。

ところがキャンセルしたその商品について「キャンセル不可」というメールがアマゾンから来た。おかしいね。発送していない商品はキャンセルできることはずなのだが。しかも、事前に知らされた配送日が、いつの間にか1週間から2週間に変更されていた。

メールにはキャンセルできないという理由として「発送準備に入っているため」と記されてはいるが、実際にその商品が来たのはそれから1週間後だったこと考えれば、それは事実ではなかったと考えるのが妥当だ。

客にはどうせ本当の事など分からないからどう繕っても平気、というアマゾンの方針なんだろう。 

今回の経緯をアマゾンのレビューに書いた。だが、5日たってもそれが掲載されない。自社に都合が悪いからだろうな。アマゾンもそんな企業になってしまったということか。

2023-08-02

CMに解説は不要

先日、今年のカンヌ国際広告賞を受賞したiPhoneのCMをここで紹介したが、その後、元電通のCMクリエーターの杉山某が審査員として同フェスティバルに参加した経験を新聞紙面で語っていた。
私が今回、個人的に一番印象に残ったのが「Relax, it’s iPhone―R.I.P. Leon」と題されたアップルのCM。トカゲの世話を任されたペットシッターの男性が、夜のキッチンでカラダの硬直したトカゲを見つめている。なんとも言えない悲壮感をその表情に漂わせながら。どうやら暇を持て余したのか、イタズラをしている最中に、トカゲが死んでしまったよう。
 
やがて彼は意を決して雇い主にiPhone14のメッセンジャーで悪いニュースを伝える。その瞬間、トカゲが突然息を吹き返し、ホッとしたペットシッターは商品の売りである「送信取り消し」機能を使ってメッセージを削除する。これら一連のシークエンスが絶妙な演出で映像化されていた。そのことで「リラックスしようよ」というメッセージがじんわり伝わってくる。
ははあ、そうだったのか・・・と。だが、このCMの登場人物がペットシッターだとか、今いる場所が夜のキッチンだとか、メールの送信先が彼の雇い主だとか、そうしたこと、このCMを見ている一般の視聴者がなんで知ることができよう。
 
そもそもテレビ番組でも映画でもないCMにタイトル(題)が必要か。広告賞のイベント会場で配布された審査用資料を一般読者に紹介して何の役に立つのか。こうしたことは業界内の雑談ネタにとどめておけばよい。解説も不要だ。

2023-08-01

まるで丸見えだ

最近、家族旅行に出かけたというある女性とその息子の携帯電話に、次々と見ず知らずのところからメッセージが届く。企業、個人からを問わずだ。それらは、たとえば「空港まで私のタクシーを利用しませんか?」とか「今度のホテルは決まっていますか?」といった内容らしい。ベトナムでのこと。 

彼女らの携帯電話の通信内容やそのメモリーに記録されたデータが盗み見られているおそれが大きい。

原理的に通信会社は、ユーザーの通信情報をすべて盗み見ることができるだけでなく、すべて保管している。だから、社員や関連企業の人間がアクセスし持ち出す。

それだけではなく、ユーザーが知らないうちに何かプログラムを忍びこませてしまえば、もう一人のユーザーとして何でもできる。

利用者の個人情報が、知らぬところでカネに替えられているんだろう。当然、遠い他国だけの話と思わない方がいい。

2023-07-31

サボテンも枯れる暑さ

今日会った人が、南相馬市で開催されている相馬野馬追に行った話をしてくれた。馬を目当てに見に行ったらしいが、現地での猛烈な暑さで何頭か馬が死んだんじゃないかと言っていた。

歴史のある行事ではあるが、時期をずらすという、ちょっとした工夫がなぜできないのか。ちょっと立ち止まって考えれば分かるはずのことが、「慣性」に浸って生きていると分からなくなる。そして、過ぎ去ってから、(少し)反省する。

それにしても、このところの連日の猛暑は異常だ。と思っていたら、それもそのはず、12万年5000年ぶりの高温を記録しているという。

なんだそれは、と思ってしまうのもの無理はないが、古気候学(太古の気候を研究する学問領域)の専門家によると、12万5000年前の地球は2つの氷河期の間に位置し、「直近でもっとも暑くなった時期」にあたる。これは古気候学にもとづいてデータを収集し、気候モデルを作成している機関(アメリカ地質調査所)の分析による。

ところが、今年7月の地球の気温はそれにまさる暑さなのだ。異次元の暑さ。米アリゾナ州ではサボテンが暑さで枯れ始めたらしい。

そのなか、日本では例によって夏の甲子園大会の地方戦が行われている。大会を主催している新聞社(朝日)、高野連、NHKの幹部の脳みそは溶けて働いていないのだろう。しかし、利権を守るというその考えは堅固で揺るがない。

グラウンドで試合をする選手はもちろん、スタンドの観客、関係者らも命がけである。なぜそうまでしてこの時期、日中の屋外で行うのか。人の命や健康を考えれば、つまり冷静に常識でものを考えればヘンだということに気づくだろう。

夏の甲子園大会が始まったのは1915年(大正4年)。その頃の夏の気温は、今とは全然異なる。これは東京のデータではあるが、気象庁によれば1915年8月の平均気温は25.7度、最高気温でも29.7度だ。

命を大切にするには、今の時期は室内で静かに体力を温存するようにしておくのが一番。人間の体は気温が35度超え、湿度が60%超えのなかで過ごせるようにはできていない。屋外で激しい運動をさせるなどもっての外だと思う。

これはすべて関係している大人の責任だ。

2023-07-30

サステナブルからレスポンシブルへ

サステナブルは、通常、「サステナブル(持続可能性)」と表記される。じゃあ、持続可能性でいいじゃないかと思うのは当然なのだが、世間はサステ・・・が好きらしい。理由は僕には分からない。カタカナがなんか新しさを感じさせるからかな。それとも、みんなそう言っているからか。

どちらでもいいんだけど、持続可能性という言葉でやはり気になるのは、その対象がよく見えないことだ。もともとは環境問題の文脈で出てきた言葉。その当時は、地球や自然環境と言った持続可能が期待される対象が明らかだった。

だが、いま用いられているサステナブル(持続可能性)は注意深く見ていると、何てことはない。その製品を作ったり、販売している企業の持続可能性だったりして、本来の意味からいつの間にか逸脱していることが多々ある。

パタコニア社の創業者であるイヴォン・シュイナードは、「サステナブル」という言葉の代わりに「レスポンシブル」という言葉を用いる。日本語にすると「責任のある」だ。日本では中学生でも知っている英単語だろう。

レスポンシブルという言葉を聞いたとき、われわれ日本人でもまず頭に浮かぶのは、その主体が誰かと言うこと。責任対無責任の文脈なかで、自然と「誰が」の発想が浮かんでくる。そうした意味で、環境へ向かう想いがサステナブルよりシャープだ。

われわれは、そろそろ主体も対象も曖昧さに逃げる「サステナブル」って言葉から「レスポンシブル」あるいは「責任(のある)」に言い方を変えた方がいいと思う。 


2023-07-25

予告編は余計だ

夕方、東宝系のシネコンに映画を観に行った。トム・クルーズのバイク・ジャンプを見るためだ。61歳で驚異的なスタントを自ら行うトム・クルーズには驚きしかない。 

こうしたスペクタクルな映画はやはり大画面の劇場で観たい。だが劇場で閉口するのは、上映予定時間になってから流れる映画予告編とCMだ。今回は本編開始まで15分も続いた。これまでのなかでも最長の部類だ。一般的にシネコンは長い。単館系はもっとコンパクトだ。CMが入らないというのもあるのだろうが。

映画の予告編は、かつては今後上映される作品をそれで知ることができ役に立った。だが、いまでは劇場で無理矢理見せられなくても、YouTubeなどでいくらでもチェックできる。

鑑賞料を払って席に座っているのに、否応なくCMを見せられるのは不愉快。好きで見ている観客はまずいない。それなのに、なぜこうした顧客の意に沿わないことをいつまでも押し付けるのか。

それは、シネコン運営企業の経営者が、一般客に交ざって劇場内で映画を鑑賞しないからだ。自分が真に映画ファンで、試写室でなく一般上映館で映画を観ていたら何か感じるはず。彼らはそれをやっていない。あるいはそうしていても、顧客がどう感じるかを感じるセンスがないということである。

2023-07-23

再販制度(再販売価格維持制度)は今どうなっているのか

昨日、急ぎの調べものがあり、そのためにアマゾンで必要と思われる本を注文した。

実は同じ本が研究室のどこかにおそらくあるはずなのだが、週末で大学に行く予定はない。しかも先週で前期授業はすべて終了したので、わざわざ研究室に足を運ぶのは憚られた。

アマゾンの画面で表示されたその書籍の価格は3980円で、「新品」とある。以前に購入し研究室の本棚に置いてあるものと同じものだが、かすかに覚えているその本の造作から想像すると値段が「ちょっと高すぎる」。

今日自宅に届いたその書籍、カバーを見ると定価は2200円。税を入れても2420円だ。ということは、先の価格は定価より65%も高い。

中古本の価格が売り手によって自由に決められているのは分かるが、新品の本は再販制度によって定価販売が義務づけられているはずだ。

ちなみに販売元は中古本の取扱店ではなく、アマゾン自身である。

これはアマゾンの再販制度違反じゃないのかね。再販制度違反は刑事罰にはならないことをいいことに、売上最優先で確信犯的にやっているのかもしれない。

2023-07-07

学生の短冊

授業で7号館に入ったら、入口のホールに小さな笹の木が2本あり、そこに色とりどりの短冊が添えられていた。願いが叶うといいね。



2023-07-02

カンヌ国際広告祭2023受賞作


グランプリを受賞したAppleのCM

可愛がってたトカゲが死んじまった。

やっぱ、悲しいよ。そんなメールをダチに送ったとおもったら、レオンの奴、生き返りやがった。

ヤッホー 

でも「生き返ったよ」ってメールを後で送ってやった方が相手は喜んだかもしれないけどね。

"Working with Cancer"

 


"The Last Performance"


2023-06-27

日本の競争力が過去最低に。だが、これで終わりではないわけ

スイスの経営教育機関であるIMDが毎年発表している「世界競争力ランキング」の2023年度版で日本は35位、これまでの過去最低を記録した。

共同通信のサイトから
 
他のアジアの国を見ると、シンガポールは4位、台湾と香港はそれぞれ6位、7位、中国は21位で、マレーシア、韓国、タイがそれぞれ27位、28位、30位。主なアジアの各国から抜き去られた。インドネシアも日本より上位だ。

マジかと思ったが、安倍、菅、岸田の政権がトンチンカンな政治運営を営々と続けていたのを振り返ると、これもしかたないかと思えてしまう。ネポティズムのなかで日本という国の全体感は忘れ去られ、既得権者を維持することだけに政治リソースが使われた結果である。

企業は企業で、どこも「ごっこ」だ。トップは経営ごっこ、コンサルティング会社はコンサルごっこ、ビジネスマンはビジネスごっこに終始している。何かやってる気になっているだけに見える。

焦点がなく、リスクを負おうとせず、過去の延長上でしかものを考えられないから真に新しいことにチャレンジしない。競争力の低下はたまたまではなく、因果の現れである。 

今後、フィリピンやベトナムにも抜かれるかもしれない。そんな日本にこれから留学したいとか、働きに行きたいと思ってくれるアジアの人たちはいるのだろうか。

やがて日本は、アジアの人たちの目からは一観光地として興味があるというだけの国になっていく気がする。

2023-06-26

DXはドンクサイの略

ある女優の一人芝居を観に行きたくなりチケットを探した。東京公演はすでにすべて販売終了で、地方公演のチケットがまだ残っていたのでそちらを予約することにした。

前にも書いたことがあるが、ネットでのチケット予約にはどうも腑に落ちない点が多い。まず手続きが必要以上にややこしく、手数料も納得がいかない。すべてシステムで予約を受け付けるので、チケット販売のエージェントは素知らぬ顔なんだろう。我々にとって面倒だったり、プロセスがスムーズなものでなくても自分たちは痛くも痒くもないからだ。

利用者は、S席とかA席の括りで席を選ぶようになるが、その際、会場のシートマップが表示されないのはなぜなのか。システム的には簡単なはず。S席とA席の割合をどうするかなどは興行主の思わく次第だ。一列違えばSとAに分かれる。それで価格が30%異なる。
 
以前はS、A、B、Cと4種に分かれていた席種も、今は多くがSとAの2つなのも疑問。売り手が勝手をやってる。

ネットで飛行機のチケットを購入する時、多くの利用者はその機のシートマップからフライトの空き具合を見て、自分が座る席を選んで予約する。しかも飛行機のチケットは、予約後のキャンセルや変更が可能だ。購入した航空券は自宅でプリントアウトすれば済む。
 
ところが、芝居やコンサートのチケットはと言えば、自分がその会場のどこに座るかという基本条件すら示さず、しかも一旦予約したらキャンセルできない(返金しない)。チケットは自宅でプリントアウトすれば済むものを、なぜ客にコンビニまで足を運ばさせ、そこで発券手数料を課すのか。コンビニでの発券手数料を、後でチケット業者が按分させているとしか考えられない。手間も金銭的出費も、ツケはすべて利用者に回されている。

以前こんなことがあった。なるべくいい席を取りたいとS席を予約したところ、その席は広い会場の1番端っこだった。しかもS席ブロックの最後列だった。こんなことであれば、A席で真ん中あたりの席の方がよほどコンサートを楽しめたはずだった。

なぜ、こうしたことが起きるか。業者がとにかくチケットをさばき、一刻も早く入金させることしか考えていないから。訪れる観客がコンサートを楽しめるか、芝居を楽しめるかなんてことは一切気にしていない。期待する方が無理か。

チケット屋が扱っているのは、芝居やコンサートの「席」だ。文字通りの席(椅子)ではなく、ある日のある時間にその場所を所望している顧客がそこにいられる「権利」だ。モノではなく無形のサービスなので、ネット上での販売や決済にもっとも適している商材と言える。

にもかかわらず、日本のチケット業者のやっていることといったらこのようにお粗末極まりない状況である。やろうと思えば、顧客の納得感を得られる仕組み作りは簡単にできるはず。DXなんて言葉があったが(今もそうした言葉で仕事をねだってるコンサル会社もあるようだが)、チケット販売業者がやっているDXはドンクサイの意味としか思えない。

こんなことでこの国のパフォーミング・アーツのお客さんが増えていくとでも思っているのだろうか。この手の問題が解決されない理由のひとつが、こうした分野のジャーナリストにある。新聞や雑誌に提灯記事、いや失礼、劇評やコンサート評を書いているその分野の専門家とされる連中のこと。彼らは自分でチケットを買わない、自分でチケットを予約してコンビニ店頭で発券してもらわない。なぜなら、放っておいても主催者から招待されるから。
 
だから、実状を知らない。いや、知らないことにしているのだろう。それ故に発言しようとしないし、業界も変わらない。

2023-06-25

町中の訓言

散歩の途中で見つけた工務店店頭のガラスケース。なかなかいいことが書いてある。立ち止まって一通り読んでしまった。


2023-06-24

1日の閲覧数が1,000を超えた

このブログを始めたのは、2009年。当初は学会で海外に行ったときの記録、サバティカルでNYに暮らしていたときのメモ代わりとして書いていた。特に読者は想定せず、一切気にせず。

 一時だけ広告を掲載してみたことがあるが、目障りなのですぐに止めた。こんなことで小銭を稼いでも仕方がないし、グーグルからviewを稼ぐためにこんなことをやった方がいいとか、余計なことを言われるのも鬱陶しかったからね。

あくまでも自分の記録として書いていたら、先日、一日の閲覧数が1,000を超えた。誰がどういう思いで読んでいるのか知らないが、何か人の役に立ってるなら嬉しいことである。

2023-06-19

「俳優」と「女優」の違い

性平等のための是正策として、これまでの職業名が言い換えられている。例えば看護婦は看護師に、保母さんは保育士に、スチュワーデスは客室乗務員に。

それはそれでいいのだが、その理由としてそれまでの呼び名が女性蔑視だとか性差別というのはどうも理解できない。どこまで気にするかは人によるけど、〇〇マンが女性蔑視だからだめで、〇〇パーソンと言い換えるべしというのは言葉遊びをしているように思える。

ある自治体のサイトから

上の表では「サラリーマン・OL」を「会社員」と置き換えなさいと言っているが、会社員以外のサラリーマンはどうなるのか。会社員以外でサラリーを対価に働いている人たちも世にたくさんいる。

ビジネスマンはビジネスパーソンに呼び名を変えた。 ではサラリーマンは「サラリーパーソン」か。そもそも「マン」は「男」の意味だけではなく、総称的に「人(男女問わず)」を表す。

こうした世の中で女優を俳優と言い換えることが多くなっているが、なかには「女優」を堂々と名のるひとたちもいる。今朝の新聞に通販生活の折り込みチラシが挟まっていたが、そこに「女優 香山美子」さんの名前を見つけた。俳優ではなく女優とした意思があるに違いない。

週刊文春に「私の読書日記」を書いている橋本愛も「女優」を名のっている。彼女の意思だと思う。

性差を感じさせない呼び名に変更することが、自分がそれなりの意識系の人間だということを示す「お作法」になっていることを感じて、おそらくちゃんと考えたうえで「女優」を標榜しているのだろう。それはカッコいいと思う。

2023-06-11

ただただ、驚き感心する

6月9日、アマゾン地帯のジャングルに墜落した小型飛行機からの生存者として、子どもたち4人が現地で救助された。13歳、9歳、4歳、そして1歳の兄弟だ。残念ながら、彼らの母親やパイロットら大人3人は5月1日の墜落現場で死体として見つかっていた。

頭から地面に激突する形で墜落した飛行の前部座席には大人3人が、4人の子どもたちは後部に座っていたのが幸いした。しかし、何よりも驚かされたのは、墜落したあと、子どもたちが40日間を自分たちだけでジャングルの中で生き延びたことだ。1歳の赤ん坊も含めて。

彼らは、Huitoto Indigenous communityというコロンビアの先住民族の子どもたちで、周りから密林で生きながらえていく術を教えられ身につけていたのだろう。1歳の赤ん坊を皆で守らなければという強い気持ちが兄弟のなかにあったことを指摘する専門家もいる。 

食料をどう得るか、水は、寝る場所は・・・自分たちで考え、行動しなければならないことだらけだったはず。年齢から考えると、実際に動けたのは13歳と9歳のふたりだろう。その2人が力を合わせて下の2人を守った。

いまや近くにコンビニがなければ生きていけないような日本人(ぼくも含めて)には到底できない、人間の知恵と力だ。

2023-06-04

週刊朝日 ついに休刊

「週刊朝日 ついに休刊」の見出し。朝日新聞ではなく、他紙の記事である。そうだ、と思いだし、近隣のコンビニを覗いたが在庫がない。行きつけの駅前の書店いくつかにも電話したが、売り切れと言われた。

最終号の中吊り広告

新聞専売所ならあるかなと思い連絡したら、手元には残っていないが「重版をかけるそうです」とか。正確には増刷だろうが、珍しい。最終号ならではだろう。なくなるとなれば、名残惜しいと思う読者がたくさんいるのだろう。専売所に届いたら配達してもらうようお願いした。

あらためて雑誌の役割のようなことを考える。雑誌ってなんだろうって。「雑」の字を白川静の『字統』で引いてみると「もと色彩のある織物を組み合わせる意」「他に組み合わせ、混合したものを雑といい、学にも雑学・雑識がある」とある。

組み合わせたもの、混合したもの、というのが雑誌のオリジンのようだ。つまりは、「編集」ということか。ただの断片的な情報を編集して見せることで、より面白く、新しく、別の価値をつくり出すということ。

そうした価値を届けてくれる雑誌は大切なメディア。ネット上にもその類は数え切れないほどあるが、信頼できるかどうかはまったくもって危うい。署名もないサイトは信用しないのが知恵だと思っている。

手に取り、パラパラと一気にめくれるのも紙の雑誌ならではの楽しみなんだけどね。

以前も書いたが休刊に追い込まれた一番の要因は、広告収入が確保できなくなっていたから。ネットに持って行かれてしまった。でもネットの広告ってどれだけ広告主の役に立ってるんだろう。ターゲティング広告なんていっても、だからそれをどうビジネスに活かしているのか。読んでいる人の属性が推測できるから? どんな記事に興味がありそうか分かるから? それで?と言いたい。

企業の広告担当者は、自分が予算を使って何を実現したいのか、企業(製品)にとってどんなマーケティング・コミュニケーションが必要なのか、ちゃんと考えているか。

2023-05-30

教育の場では、生成AIは生産性を上げない

先日、このブログで生成AIは意外と役に立つと書いた。それに間違いはない。ただし、自分がそれ、つまり自分ではなく生成AIが「これ」をやったと知っている限りだ。

教育の場で問題になるのは、そこのところの対称性が確保されていないこと。たとえば、学生がレポートを生成AIで作成して提出するのは造作もない。

それで終わりならいいが、本来的にはレポートは読まれ、評価される対象である。生成AIで書かれたレポートを生成AIに読ませ、その真偽(本人が書いたか、生成AIが書いたか)を判断し評価まですることは無理だ。

だとするとそれは人間が読み、判断するしかない。すでに僕の元には生成AIを使って課題を提出してきた学生のレポートがある。ほぼ間違いなく、それらは彼ではなく生成AIが作成したものだと見て取っている。

なぜなら、生成AIには知性はない。AIにあるのはずば抜けた計算能力だけ。確率的に相応しい言葉を選びながら文章を構成していくだけだ。だから、表面的にはもっともらしく、それらしい論理の筋道もあるが、人間ならではの、例えば勘違いからの突飛な発想や思い込みがない。ただネット上にある情報を「何も意味を考えず」つなぎ合わせたものに過ぎない。 

これまでその学生が書いてきたもの、話してきた調子と「路線」が違うのだ。たとえば、それまでずっとJ-POPだったのが、いきなりバッハになったら誰でも変だと判る。

だから読めば、これは生成AIが書いたレポートだと判断できる。ただし、それを「生成AI作」と断定する客観的なデータはいまのところない。あくまで主観的な推量と判断の域を出ない。

そのため必要となるのが、提出されたレポートをもとに口頭で質問をして即答させること。そうすれば間違いなく判る。だが、価値を生まないそうしたことに時間を割いてられるだろうか。

そこに生成AIを教育現場に持ち込む現時点での最大の問題点がある。ただ無駄な仕事を増し、関係者全員にストレスを与えて混乱させるだけだ。

現場を知らない人間が、したり顔して「まずは拒絶せず取り入れて、学生が生成AIを使いこなせられるようにすることが好ましい」などとノー天気なことをいうのはやめるべきだろう。

2023-05-29

都職員を全員、非正規職員にしてみたらいい

都営地下鉄は、その名の通り、東京都が運営する地下鉄である。その半分以上の駅で「偽装請負」という法令違反が行われていた。

それらの駅では都の職員と派遣社員が働いている。関係者以外はそんなことは知らないはずだ。なぜなら、派遣職員も都職員と同じ制服を着用し、同じ業務内容に携わっているから。

だが、働く条件は異なる。都職員の年収は30歳モデルで約440万円、40歳モデルで約550万円だ。一方、派遣で働く人たちはというと、ある男性(年齢は示されていない)の年収は350万円で、昇給はなし。退職金もなしという。

同一労働同一賃金など、どく吹く風だ。

偽装労働は労働者派遣法でも職業安定法でも禁じられている。違法性はもちろん、倫理的にも許されるものではない。東京都は何をやっているんだろう。

だが、この国ではつくづくこうした問題の解決は難しい。解決の方法としてシンプルで効果的な案がある。それは、「都職員を全員、非正規職員にすること」。それしかないだろう。

そうすれば、自分ごとになる。何とかしなけりゃと思う。

2023-05-26

「非正規社員」という言葉をなくすところから始めよう

先日、同一労働同一賃金について書いた。同一労働同一賃金が是正されていないことは以前から問題であり、またそのための本格的な動きも見られない。

それと深く関わるのが<正規・非正規>の区別である。少し調べて見ると、非正規社員の定義すらはっきりしていないのが分かる。そうした点が、いかにも日本的なのである。

下記は朝日新聞に初めて「非正規社員」という言葉が登場した記事からの引用だ。1990年1月の名古屋版の記事で、弁護士の大脇雅子さんという方の同紙へのコメントから。

 --現在のパートタイマーの地位はどうなっていますか。
 大脇:そもそもパートタイマーとは、1日8時間フルに働く人に対して、短時間しか働かない人を指します。しかし、日本でパートタイマーというと非正社員、という意味になっています。労働省の調べでも、女性パートタイマーの1割は1日8時間近く働いています。結局、正社員と区別して、安く使う手段なんですね。
 --パートタイマーにも正社員並みの権利を、ということですね。
 大脇:そうです。昨年夏、訪れたスウェーデンでは、パートタイマーの時間給が差別されていませんでした。幼児のいる男性社員は育児に協力出来るようにパートタイマーとして1日6時間働けばいい、といった制度も設けるなど、いろいろ工夫しています。昇進や退職金、福利厚生などでも、正社員とパートタイマーという身分差別はありません。7年ほど前、全国レベルで労使が話し合い合意したそうです。
 --日本の現状を変えるのは容易ではありませんね。
 大脇:パートタイマーの権利向上は意外に早く進むと見ています。労働省は昨年6月、パートタイマーの労働条件について指針を出し、また国際労働機関(ILO)はパートタイマー保護基準の制定を議題にすることを昨秋、決めました。90年代後半には、何らかのパート保護法が国内でもできるでしょう。
パートタイムの労働者=非正規社員と呼ばれていたわけだ。パートタイムはフルタイムの対義語。フルタイムが1日8時間であるのに対して、それより短い時間働く者がパートタイムである。大脇さんの話からすると、1990年にはもうパートでありながらフルタイムと同じだけ働いてる人たちがいた。ここで既に、何かがズレている。

毎日新聞に「非正規社員」が初めて登場するのは1995年。その年の『労働白書』の紹介記事。そこには、「パート、派遣社員、季節工といった非正規社員」という言葉がでてくる。単純に1日当たりの労働時間で括ることができなくなっていて、実質的に差別的な労働条件のもとで働いている人たちを非正規と言っているように受け取れる。問題の根は深い。

そもそものところだが、フルタイムとパートタイムは働き方の違いを示している。ところが、正規社員と非正規社員の違いは、働き方の違いではない。正規採用(考えてみれば、この考えがそもそもヘンだ)の制度に則って採用されのが正規社員、そうでないのはすべて非正規社員。同じ仕事を同じようにやっても処遇が違うという「身分制度」だ。

非正規(つまりは、正規に非ず)という言葉を、社員とか職員といった「人」の修飾語として用いるのをやめた方がいいと思う。非正規何とかって、その人を半端者って言ってるような響きがある。

一般財団法人雇用開発センターが運営するサイトに「正規社員と非正規社員の違い」が記されていた。https://www.hiraku-navi20.jp/about_us/index.html

正規社員と非正規社員の違い
(1)正規社員とは
正規社員の定義について、法律で明確にされてはいませんが、一般的には、会社内で正社員と呼ばれ、期間の定めのない雇用契約で働いている社員をさすことが多いようです。
(2)非正規社員とは
非正規社員の定義について、法律で明確にされてはいませんが、一般的には、契約社員やパートタイマー、アルバイト、派遣社員のように期間を定めた雇用契約により、正規社員と比べて短い時間で働く社員をさすことが多いようです。

労働法でも明確化されていないわけだ。使っている言葉が曖昧だから、問題の輪郭がいつまで経ってもはっきりしないままになる。なぜ定義づけしないのだろう。そうすることで不利益を被るグループがあるからだろうな。

2023-05-25

生徒思いで、だけど世間知らずの先生たちに出会った

新横浜駅から上りの新幹線に乗る。乗るのは東京駅での乗り換えを考えて、いつも15号車と16号車の間のデッキだ。

昨日、新幹線に乗り込もうとしたら、そこに男女が3人。降りるつもりのお客さんかと思ったら、そうではない。だけど、何かへんな様子。3人で僕の方をじっと見ている。

デッキに乗り込むと、その中で一番若そうな30台半ばの男がぼくに向かって言った。「席はどこですか?」。車掌でもない人間に答える必要はないので無視したら、もう一度聞いてきた。やけに真剣そうに聞いてくるので、「席はとってない」と返すと、「この2両(15号車と16号車のことだろう)は我々の貸し切りなので、ほかの車両に行ってください」と言ってきた。

デッキから車両内を覗き込むと、中学生らしい男女で埋まっている。修学旅行の団体なんだ。ぼくは新幹線の乗降扉が開くまで、ずっとホームで読みかけの本に集中していたので車内の様子にまったく目が向いてなかった。

それにしても、さっきのものの言いから推測すると、僕のことがよほど目障りな存在に見えたか、あるいは不審者に映ったんだろう。失礼な!と思い、「そんなに怪しい者に見えるか?」と少し強い調子で若い男に言うと、やや間があって「いえ」と答えた。「おれは東京までの18分、いつもこれで通ってんだ」と言うと、3人はただ黙ってしまった。

生徒のことを心配しているのかもしれないが、それにしても随分失礼な連中である。「あなたたちはどこの旅行代理店の添乗員だ?」ときくと、またもや、やや間があって「教師です」と。引率でやって来た先生たちだった。

車内に座っている生徒らを見ると、遊びたい盛りの子どもたちのはずが、みんなやけに真面目というか、驚くほど静かに座っている。旅先でもおとなしくしているよう強く指導されているのだろう。先生らは先生らで、大きな責任感を感じてプレッシャーに半分あっぷあっぷしている様子。

東京駅への到着間近、教師らに学校名を尋ねたが教えてくれなかった。話してるアクセントから「あなた方、関西からですよね?」と聞くと「神戸から」とだけ答えた。

やがて東京駅に到着。ドアが開き始めたとき、「じゃあ、東京を楽しんで」と先生らに声をかけたが、彼らの頭の中はもうそれどころではない。生徒たちに向かって、一斉に立ち上がれとか、荷物は胸の前に抱えろとか、忘れ物がないように周りを見回せとか、憶えておいた舞台台詞を話しているような感じでトーンが上がっている。

おつかれさん、と胸の中で小さく呟いて先に下車した。先生たち、最初は仕方ないけど、ずっとその調子だと生徒たちが疲れるよ。せっかくの修学旅行なんだから、あまり抑圧しないでもっと解放してやって欲しいと余計な事をつい考えてしまった。

生徒のみんな、修学旅行でいい思い出ができるといいね。

2023-05-22

「同一労働同一賃金」の議論はどこへ行ってしまったのか

たまたまラジオをつけたら、その番組のパーソナリティの大竹まことがリスナーからの手紙を読んでいた。

手紙を送ってきたのは64歳の女性。非正規公務員として22年間、地方の図書館に司書として勤めていた。正規職員との待遇の違いに不満を感じながら、一途に仕事に打ち込んだ。が、非正規であるがために結局認められないまま、職場を去ったことが縷々綴られていた。


正規、非正規という差別待遇がこの国から消えない。そもそも正規とか不正規とか、なんなんだろう。概念自体がよく分からないのだ。

正規は英語ではregular、だから正規社員はregular employeeなんだろう。だが非正規の英語は辞書では見当たらなかった。あえていれば、非正規社員はnon-regular employeeとなるのだろうか。

投稿者の彼女は22年間努めていて、それでもなぜノン・レギュラーなのか。これでは、人の能力や意欲に無関係な、かつての士農工商の身分制度と何ら変わりない。これが今も続くこの国の常識だ。彼女が投書の中で「やり場のない怒り」と言っていたのはもっともである。

しばらく前まで、同一労働同一賃金という言葉を方々で目にしたが、最近ほとんど聞かない。新聞でも目にしないなあと思い、新聞社のデータベースでちょっと調べてみた。

2000年から昨年まで、朝日新聞(朝夕)と日経新聞(朝夕)に「同一労働同一賃金」の言葉がどのくらい出現していたか。グラフにするとこんな感じだ。

朝日新聞では、1991年にはじめて日本国内の問題として同一労働同一賃金が、その5年前に施行された雇用機会均等法と絡めて記事になっている(それまでは外国でのニュースとして紹介されている)。そして、この時の「同一」とは男女間での同一である。「正規・非正規」の文脈で「同一労働同一賃金」が記事が掲載されたのは2005年のこと。

日経新聞では、1996年に中央大学の古郡鞆子教授が「やさしい経済学」で「同一労働同一賃金」について書いていた。一般記事として始めて掲載されたのは2004年。ただし、男女間の同一労働同一賃金でなく「正規・非正規間」のそれが取り上げられるのはもっと後になってから。

「同一労働同一賃金」の出現数のグラフをみると、両紙ともに2016年に急に掲載記事が増えている。それは、安倍政権下で厚労省が「同一労働同一賃金の実現に向けた検討会」を実施し、その年の暮れに「同一労働同一賃金ガイドライン」を発表したのが理由だ。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/other-syokuan_339702.html

ところが、翌年から一気に新聞では見られなくなっている。問題がなくなったわけでもないのに。ただ熱が冷めてしまった。結局みんな、人ごとだから執着しないのだろう。見て見ぬ振りをしてやり過ごすのが大半なんだろう。

たまたま正規で職員になった(コネでもなんでも)者はそのまま正規、途中から非正規として働き始めた者は、いつまでたっても能力や意欲、成果に関係なく非正規のまま放っておかれる。柔軟性がなく硬直的。既得権が当たり前のようにすべてに立ち塞がっている日本の組織と社会。

これじゃ、この国の生産性はいつまでたっても上がるわけない。

2023-05-21

違うからこそ面白いはずなのに

いま、日本と海外の双方で活躍している日本人俳優は少ない。渡辺謙や真田広之が思い浮かぶが、それ以外に誰がいるかすぐには思い出せない。

その渡辺謙が、自分の俳優人生を振り返ったドキュメンタリーがあった。その中で、渡辺は外国で仕事をすることの難しさや戸惑いについて語っている。
 
彼はイーストウッドが監督をした「硫黄島からの手紙」で主人公である栗林中将を演じ、それ以前には42歳の時、トム・クルーズと共演をした「ラスト・サムライ」でアメリカ映画に出演した。

海外で働く上ではバランスを上手にとってやっていかなければならない大切さについて渡辺は話すとともに、海外での仕事場を「違うことが面白い」と語る。同じ映画を作っている人間といっても、ベースにある文化やそれぞれの現場での感覚も違うと。そこでの違いが面白いと言うのだ。違いを面白いと思う感覚。これがあるから海外で外国人スタッフと仕事ができるのである。

彼が言っているのは映画撮影の現場での日本とアメリカでの違いだが、そうした違いは意外とどこにでもある。そこで思い出したのが、僕が教える社会人大学院でのあるクラスの中での話。学生は60名強だったろうか。彼らをグループに分け、毎回授業の冒頭でそれぞれのグループごとにこちらが指示をしたテーマについてディスカッションをさせ、各グループごとに考えをまとめさせた。

同じグループだと考えが固定化し面白くないだろうと思い、まず学生たちにアンケートをとった。現在のグループ編成について(1)このままで良い(2)編成を変えた方がよい(3)どちらでも構わないの3択の質問に答えてもらった。

変えてほしいという2番目の回答が半分以上あった場合には、全体をシャッフルして新しいグループ編成にするつもりでいた。が、回答を見るとそう答えた学生はわずか1割ほど。

彼らがグループを変えて欲しいと思った理由は、おそらくメンバーに何らかの不満があったのか、もしくは不満がなくても新しい顔ぶれと討議をしたかったからだろう。別に不思議ではない。

そこで、グループを変えてほしいと希望してきた1割ほどの学生たちを別のグループに移行することにした。そうしたところ、当初、グループを変えてほしいと言ってたその何人かが「悪目立ち」するのが嫌だから元のグループに戻してほしいと連絡してきた。以前のグループのメンバーに対して自分が不満を持っていると思われるのが厭だという。

そのとき、「悪目立ち」と言う日本語を初めて聞いた。そんな言葉、いままで使ったことがなかったからね。不思議な言葉があるんだなぁと思いながら対応した覚えがある。

同調圧力、目立ちたくない、周りから浮きたくない、皆と違うと思われたくない。みんな、自分が思うところのコンフォート・ゾーンにいないと不安で仕方ないのだろう。

かつて渡辺謙は、自分の役者としての可能性を広げるために意を決して海外に出て行ったに違いない。そしてそこで、彼は「違うことが面白い」というひとつの感覚を得た。そのことが彼を世界で通用する俳優にした。

違うことを面白いと思えるか思えないか、その違いは日本の若いサラリーマンにとって思いのほか大きい。「悪目立ち」なんてものは、ないんだよ。

2023-05-20

性犯罪と性的被害の違い

デーブ・スペクターが、藤島ジュリー景子の謝罪動画と今回のジャニー喜多川による出来事について語った「ニューズウィーク日本版」のインタビュー記事を読んだ。

彼は長年メデイアの内側にいるので、その体質や状況をよく知っている。しかも日米のことを比較しながら語ることができる。なるほど、と頷きながら読んだ。

そのなかで、メディアによって使われている「性的被害」という言葉を「性犯罪」に置き換えて考えてみるといいと語っていたのは慧眼だと思う。たしかにそうだ。これは、性加害問題ではなく性犯罪。響いてくる重みが違う。窃盗を万引きというのと同じで印象が大きく異なる。

こうしてある種のイメージ上のすりかえがなされていることに気がつかなかった。アメリカ人に日本語の使い方について教えられた感じだ。

2023-05-15

ジャニーズ社長の小賢しい謝罪コメント

ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長が、動画と文書で創業者・ジャニー喜多川による性加害問題について謝罪した。今ごろになってやっと、という感じだ。

なぜきちんとした記者会見を開かないのか、という声が上がるのは当然だが、その1分少々の動画内のコメントで引っ掛かったのは、彼女の「被害を訴えられている方々に対して、深く深くお詫び申しあげます」という言葉の選び方だ。

社長の彼女が謝罪すべきなのは「被害を訴えている人たち」でなく、「すべての被害者」ではないのか。当時のことを表立って「訴えている」のは性被害を受けた(当時の)少年たちのごく一部に過ぎないはずだ。

だが彼女の姿勢は、週刊文春や英BBCなどのメディアに当時の被害を語った被害者には謝罪を言うが、それ以外は知らないよ、と聞こえる。

表に出てこない少年たちをないものと考えることで事件を矮小化しようとしている。

2023-05-14

「言ったもん負け」に負けるな

品質不正問題を起こした三菱電機には、目に見えぬ「言ったもん負け」文化があるという。

誰かが気づいて改善の提案をすると、その人が取りまとめ役を任されることになる。それまでやっていた仕事はそのままで、「言った分だけ」仕事が単純に上乗せされることを意味している。

やがてそうした組織には、言われたことしかしない、余計なことはやらない、上司に異論をとなえない、変化を求めない、正義を口にしない社員しかいなくなるのは当然の理だ。

でも、そんな職場で一日何時間も、年に何百日も働いて何か楽しいのだろうか。楽しいわけないよな。組織の上に行けば、普通の社会とは違った別の意味で「楽しい」のかもしれんけど。

だけど、社員はなんで転職しないんだろう。

辞めたくても辞められないのか。我慢するだけの何か他の見返りがあるのか。あるいは、すでに何も感じなくなっているから問題ではないのか。

三菱電機だけじゃないのだろう。きっと、こうした企業って日本中にあって、珍しくもないのかもしれない。

2023-05-13

点字ブロックを取りのぞけ

2023年5月10日撮影

これは新幹線・新横浜駅ホームの写真である。ホームドア開閉のための操作盤が突き出ているのが分かる。

もし視覚障がい者が点字ブロックに添って歩いたら、ぶつかってしまう。操作盤は金属製。怪我をするか、転倒のおそれもある。何年も前からJR東海に危険だからと改善を求めているが無視されている。その後JR側がやったのは、操作盤の角に黄色い緩衝剤を貼り付けただけ。

点字ブロックに沿って駅ホームを歩く盲導犬の訓練犬と訓練士
(日本盲導犬協会の会報誌から転載)

当初、リスクを指摘したときは「点字ブロックにはかかっておりませんから」というのが、JR東海側の返答だった。だが見れば分かるとおり、くっついている。危険なのには変わりない。そう伝えると、今度は「この操作盤の近くには常時駅員がいるので、安全の確保はできてます」と言う。しかし、写真が示すように、駅員がいるのは新幹線が到着するときだけだ。

点字ブロックは、盲人の安全を確保するためのものなのに、ここではそれを利用すると逆に彼らが怪我をする可能性がある。まずは暫定的措置として、盲人の安全確保のために操作盤の前後の黄色い点字ブロックを取り外すことが必要。パラドックスだ。

その後、ちゃんとした工事ももちろんやってもらわなければいけない。

以前、他の駅(たしか品川駅だったような)で撮った写真がスマホのなかから見つかった。同じ条件でありながら、こちらには視覚障がい者に対しての配慮が見られる。

2023-05-09

生成AIは意外と役に立つ、かも

連休中からチャットGPTを使い始めた。

数ヵ月前からちょっとばかり長い原稿に取り組んでいて、その作業の効率化をチャットGPTで図れないかと考えて導入した。

こちらが書いた原稿をGPT-4で校正したり、ラフな編集するのに使っているのだが、うまくやれば人間の仕事の効率が上がりそうなのが分かった。

ただし、というか思っていた通り、オリジナルな原稿をAIが書くのは今はまだ無理で期待したクオリティのものは上がってこないことは確認できた。今できるレベルは、良くて程々のアシスタントである。

最初からこれに人の代わりとして何かやらせると(核となるアイデアを発案させるとか、人の代わりに文章を書かせると)お粗末な齟齬が生ずるだろう。なんとかとハサミは、ではないが、これも使い方しだいだ。

物書きでも、オリジナリティやクリエイティビティを問われない人たち、たとえばプレスリリースや官庁の記者会見をもとに記事をまとめているだけの新聞記者なんかは、間違いなくいなくなる。

2023-05-06

駅のホームから消える時刻表

西武鉄道やJR西日本、JR東日本の駅のホームから、時刻表が順次撤去されている。

それらの会社はコスト削減を理由にあげているが、時刻表を修正するのは基本的には年2回のダイヤ改正の時期だけ、しかも時刻表のフォーマットは既に決まっていて、ただ数字の表示を修正するだけ。
 
なぜそれほどまでに手間を惜しむのか。いざとなれば、手書きだってかまわないぞ。あるいは自分たちでできないなら、近所の小学校の子どもたちに時刻表を作ってもらったらどうだ。その方がイラスト付きで楽しそうだ。
 
鉄道会社は、「利用者たちはスマホを持っており、自分で時刻表を確認することができる」から大丈夫なのだと言うが、本当にそうなのか調査はしたのか。していないだろう。勝手に自分たちがそのように思いたいだけ、あるいはそうしたもっともらしい理由をつけているだけだ。
 
スマホを持っていない小さな子どもや、持っていても使い慣れていない高齢者はどうなのか。海外からの旅行者はどうする。
 
ぼくはスマホは持っているが、それをわざわざ取りだし、起動し、アプリを立ち上げ、路線を選び、駅名を選択し、上りか下りかを選び、時間帯が表示されるようスクロールして・・・バカバカしくてやってられない。
 
時刻表の撤去だけではない。コスト削減を目的に駅から時計やゴミ箱まで取り除いている。ゴミ箱がなければ、つまり捨てるところがなければ客はゴミを持ち帰ってくれる(少なくとも自分たちの駅から外へ持って出てくれる)と考えているからだ。
 
公共交通機関として鉄道運輸業を営んでいる自分たちが、利用者や社会にどのような価値提供しているのか、こうした鉄道会社の経営者たちは考えることがないのだろうか。小さなコストダウンに走るより、彼ら本来の社会性を保つことを重視した方がいい。
 
時刻表について言えば、彼らが今どき考えるべきことはそれをなくすことではなく、むしろ盲人でも利用できるように時刻表に点字をつけることではないのかね。