2013-03-28
がんばれ、ラジオ
局制作の通販の広告が何度も流れる。同じ広告がそのまま繰り返される時もある。一般の広告主がついていないからだろう。
2012年度の広告費を見ると、対前年比で他メディアがいずれも増加しているなか、ラジオ広告だけが減少している。ラジオ全体で1247億円しかない(電通「日本の広告費2012」)。苦しい台所事業は、民放連がラジオのデジタル化に民放全社で取り組むことを断念すると正式に決定したことでもうかがえる。
いま、誰が主にラジオを聞いているのだろう。タクシーの運転者たちだろうか。以前は、電車の中でシャツの胸ポケットに入れたラジオをイヤフォンで聞いていたおじさんが結構いたが、いま彼らですら聞いているのはiPodなどだ。
関東圏の主なラジオ局の放送は、ネットで聞くこともできる。どういう形であれ、ラジオにはこれまで通り放送を続けて欲しい。そして、できるものなら、商品名を連呼するだけのあまり趣味のよくない広告は挟まなくてもよいようになって欲しい。
ラジオが経営難で青息吐息なのは、日本だけではない。米国もそうだ。ニューヨークにいた時、よく聞いていた(流していた)ステーションの一つにWBAIという非営利のFM局がある。そこは年がら年中「私たちが放送を続けるためには、あなた方からの寄附が不可欠です」と訴えていた。民放局とは違い、またそれ以上の苦労があるのだろう。
2013-03-11
常識を持ってルールとなす
今日のニューヨークタイムズに「自転車は地下鉄で認められてるの?」という内容に対するQ&A記事が掲載されていた。その記事内容は以下のものだ(電子版から転載)。
交通局のサイトにやってはいけないことのリストが載っていて、それは例えば自転車にまたがって地下鉄車両に乗り込んではだめとか、ラッシュアワーは避けること、入口を塞がないようにすること、できれば大型の車両を使っている路線を使うことなどで、記事にあるように "Many of these involve one rule: common sense." である。
また、自転車の持ち込みが危険を伴ったり、乗客の迷惑になる、あるいは運行上の妨げになる場合は、警官や地下鉄職員の判断で自転車の持ち込みを禁止できる。
基本は「コモンセンス(常識)」だというところが好ましい。最近日本だと、何かというと「その根拠を示せ」と相手に迫り、自分の主張を押し通そうとする連中が多いが、基本のところでは「常識は、常識」でいいのだ。
常識に、すべてその明確かつ論理的な根拠があるわけではない。にもかかわらず、相手を困らせたり、あるいは自分の稚拙な論理を振り回すことを目的に「根拠を示せ」という連中が社会や組織に無用なノイズを与えている。
2013-03-10
The Armory Show 2013
間近に迫った日本への引っ越し準備の合間を縫って、開催場所のハドソン川沿いの会場である桟橋へ。人気ブログ「ニューヨークの遊び方」(http://nyliberty.exblog.jp/)を書いているりばてぃさんに誘われて出かけてきた。
http://www.thearmoryshow.com/
「ピカソからポロックまで」の通り、モダンとコンテンポラリーに渡る多彩なコレクションが展示されている。出展は世界中の著名なギャラリーで、そこで作品の販売が行われる。日本からも Galerie Sho などが出展していた。
| ウォーホル |
| 奈良美智の「Doggy Radio」。喉の下を撫でてやると音量が変化するしかけ |
2013-03-09
無効請求は棄却されたが
その是正を目的に前回の選挙無効(やり直し)を求めた訴訟の判決で、東京高裁は「最高裁が違憲状態とした選挙区割りを是正しないまま選挙が行われたことは看過できない」として、「違憲」の判決を言い渡したが、「今後、国会による格差是正が期待できる」として、選挙無効の請求は棄却した。
「期待できる」というのは可能性であるが、それを持って違憲の判決をしながら無効の請求を棄却したのは、日和っちゃってるとしか言いようがない。
選挙のやり直しは手間がかかるし多少の混乱も伴う。だからといって「今回はこのままやり過ごそう」という発想がベースにあったとしたら、正義を容易に犠牲にした事なかれ主義として批判されるべきものだ。
判決内容に沿ったかたちで選挙の無効を言い渡すか、「期待できる」なんてつかみ所のない話で済まそうとするのではなく、具体的な是正案が設定された期限内に提出されることを条件として付けるべきだったろう。そして、その内容が十分なものと判断されなかった場合、またはその通り実行に移されなかった場合は、遡って無効とする必要性があるのではないか。
2013-03-04
自転車を鉄道に載せて運ぶ
NYでの在外研究期間を終えて日本へ帰国する日が近づいて来た。急いで身の回りのものを片付けなければならない。
日本に持って帰るもの、当地で処分するもの、誰かに譲るもの。このなかで一番手間がかかるのが、誰かに譲るものだ。
今朝は、自転車をクイーンズ地区に住む友人のところに朝食をご馳走になりがてら持っていった。朝5時に起床。5時半に地下鉄に乗り込む。日曜日の早朝ということで車両は空いていて、周りに気兼ねすることなく自転車を運び込める。
ミッドタウンのペン・ステーション(Penn Station)でロングアイランド鉄道(LIRR)に乗り換える。
地下鉄は自転車の持ち込みは無料だけど、鉄道は持ち込み料が5ドルかかる。しかも、一つの車両に積み込みが許されているのは1台だけ。自転車を持った先客がいると、他の可能な車両を探さなければならない。それを懸念して、今朝は思い切って早起きして乗り込んだのだけど、こちらも車内はがら空きだった。
| LIRRの車両に載せたバイク |
学生時代、サイクリング・クラブに入っていた友人が、日本では鉄道で自転車を運ぶ時は分解した上で輪行袋という専用の袋に入れなければ車両に持ち込めないと言っていた。その後も日本では電車に自転車をそのまま持ち込んでいる人を見たことはないから、そうした規則は今も生きているんだろう、きっと。
ニューヨークに住んでいるからといって、決して何でもかんでも米国の方がいいと思っているわけではない。しかし、基本の発想の部分で日米が大きくことなっていることを、この1年間で痛感させられた。
米国には、基本のところで国民がやりたいと思うことが最大限認められる社会が理想だという基本理念がある。一方で、日本は最初から何でもやっちゃいけないことばかりで、その後どこまで許してやるかを役人が裁量で決めていく社会になっている。だから秩序が守られていて社会は安定しているけど・・・新しいことが生まれない。
謂わば、米国は国民のために作られた自由型社会で、日本は役人のために作られた規制型社会。これは思考のパースペクティブの点で、空を自由に飛ぶ鳥と地面をもぐって進むモグラくらいの違いがある。
この数十年間を見て、日本でアメリカのようにイノベーションが(結果として)生まれない理由は、これでかなりの部分が説明できる。
日本人がイノベーティブではないということではない。ましてやDNAの問題ではない。人を取り巻く世の中の環境が問題なのである。
その証拠に、日本が太平洋戦争で敗戦し、それまでの軍国主義がアメリカ式の民主主義に移行し始め、財閥が解体され、それまでの権威者たちが肩書きを剥ぎ取られ、新しい秩序が生まれつつあった混沌の時代には、後のソニーやホンダが生まれている。
どうも我々は、食うや食わずの状況に追いやられて初めて、根本的なところの力が出てくるようだ。
2013-03-03
米国ヤフーが在宅勤務を見直したわけ
チームで創造性を生むというやり方は彼女が昨年まで働いていたグーグル内で実践されている方法論だ。
「ヤフーをもう一度イノベーター集団にする」のが彼女の目的である。
ニューヨークタイムズなどの記事によると、在宅勤務によって生産性は上がったと報告されている。しかし、業務レベルの仕事の効率化が実現している一方で、仕事の質が低下したり、クリエイティブなアイデアが出にくくなっているのだろう。
社員全員が出勤していれば、自然とカフェテリアや廊下、階段の踊り場などで仲間たちと話をするようになる。そうしたところから思いも寄らなかったアイデアが出たり、コラボレーションの雰囲気が出てくることが期待できる。
もっとも、ただ在宅勤務を廃止するだけで期待通りに物事が進むわけではなく、社員たちが自由にアイデアを交わし合ったり、自然発生的にチームを作って課題にチャレンジしたりしていくような空間と時間とコミュニケーションとプロセスをどのように組織内にデザインしていくかが重要なポイントだ。
これは、在宅勤務が普通になった企業での見直し例であるが、翻って日本はどうだろう。自宅勤務で構わない仕事をさせるために、いまだ長時間の朝夕の通勤を社員に強いているところが多数だろう。
米国ヤフーの組織がどうなっているか知らないが、非製造業では今後は仕事の内容に合わせて次の3つの勤務形態に分かれてくるように思う。
研究・開発などをやっている人たちはオフィスなどの決まった場で集合的に仕事をする。営業職などは基本的に自宅から客先をまわるスタイルで、週に何日か勤務先に出勤する。 カスタマーサービスなどは自宅の作業が中心になる。
最初のタイプに優秀な人材がより多く就いている企業が、継続的にアイデアを生み、それを形にすることで競争優位を得ることができる。日本では(特に都会では)社員の通勤にともなうストレスや時間コストなどのマイナス面をどう軽減してやるかという厄介な問題の解決が鍵になる。
ところで今日の午前中、同じ建物に住むY澤さんに彼の研究留学先であるColumbia University Medical Center を案内してもらった。戦前からのビルが多く、改修に次ぐ改修で入り組んだ建物になっている。この巨大なセンターではリサーチ、教育、臨床が行われているが、重点は臨床よりリサーチに置かれている。
基礎研究を行っている棟を案内してもらいながら、興味深い話を聞いた。日本の大学病院との違いについて話をしていたのだけど、彼が言うには個々人の能力では日本の医師(リサーチャー)も遜色ないが、プロジェクトベースの研究チームで成果を出して行くのは米国人が圧倒的に勝っているとか。
おもな理由は2つ考えられる。まず、プロジェクト・マネジメントのノウハウとシステムが構築されていること。とりわけ日本に比べ、多分野の研究者が相互に協力し合いながら新たな発見に向かっていく気風がある。そして、メンバーのモーチベーションが高いこと(成果を出せないとプロジェクトが資金的に続かず、雇われている研究者は職を失う)。
日本の大学は、医学部だけではなくどこも縦割りのサイロであり、閉鎖的なムラの集合体である。だから他分野との交流などめったにない。他分野との境界や接合部分にこそ、面白い研究テーマがあるのだけど。
2013-02-21
グッゲンハイム美術館でのGutai(具体)展
久しぶりにアッパーウエストサイドのグッゲンハイム美術館へ行ってみた。本当の目当ては、そのすぐ近くにあるクーパーヒューイット国立デザイン美術館だったのだけど、行ったらそこは改装中ということで閉館されていて・・・。
グッゲンハイムでは、特別展として Gutai: Splendid Playground が開催されていた。
http://www.guggenheim.org/new-york/exhibitions/on-view/gutai-splendid-playground
1952年から1974年まで芦屋や大阪を中心として活動していた前衛美術集団である具体美術協会の活動内容を取り上げたものである。ここで紹介されている作家で元々知っていたのは元永定正だけだったけど、この集団の奇想天外な発想と思い切りのいい表現にはついうれしくなり、作品を見てて何度も声を出して笑ってしまった。
偶然かどうか知らないが、時を同じくしてニューヨークにある世界的な2つの現代美術を主に扱うミュージアムが、戦後ほとんど同じ時期に活動した関東と関西のアバンギャルド集団をテーマに特別展を開催している。
http://tatsukimura.blogspot.com/2013/02/tokyo-19551970-new-avant-garde.html
帰りしなに寄ったミュージアム・ショップで現代美術家、堀尾貞治の作品集「Sadaharu Horio」(Vervoordt Foundation)を見つけた。50ドルしたが、迷わず買って帰る。これも今日の収穫。
2013-02-20
ユニット WORLD ORDER
日本の知り合いが「こんなのあるよ」と、須藤元気の WORLD ORDER in New York のYouTubeサイトを教えてくれた。
その際、「ニューヨークの街で見かけた?」とか聞かれたけど、、、、ねえ。
いま日本では、子どもたちが学校であの歩き方をみんなで真似してんじゃないかなあ。
WORLD ORDER "2012" のプロモーションビデオは、メキシコシティが舞台になっている。
今年の1月に訪ねたテオティワカン遺跡や宿泊したホテル周辺の風景が出てきて懐かしい。
http://tatsukimura.blogspot.com/2013/01/blog-post_7.html
2013-02-19
ダガンの「戦略的直観」
この本でダガンは、戦略的直観は「思考」であり、「感情」の一形態である単なる直観と区別している。また、「即断」を可能にする専門的直観とも戦略的直観は異なるとしている。著者がいうところの専門的直観とはヒューリスティクスに近い。
クラウゼヴィッツの戦争論アプローチを「戦略的直観」の源流とし、ジョミニの「戦略的計画」と比較している。両者の違いは、一瞬のボールの不規則な流れからゴールラインまでの展開を瞬時にイメージしつつ、それを連続的に繰り返しながら展開するラグビーと、あらかじめゲームプランを描いた上で試合をステップ・バイ・ステップで進めるアメリカンフットボールの違いを思い起こさせる。
これまでの戦略論の文脈のなかではおおかた否定的な意味合いを持たれていた「直観(Intuition)」を正面から打ち出したのは、M・ポーター流の戦略論が戦うべき市場や競争相手を所与のものとしていることへのアンチテーゼである。
現在、企業が置かれている状況は、これまでになく速い変化の波に乗っている。あるいは、呑み込まれている。顧客の嗜好の変化や競合の戦略転換、新しいテクノロジーの登場、それらに伴う企業を取り巻く環境の変化はまるでラグビーボールのようにどこに転がっていくか分からなくなってきている。一方、これから新たにビジネスを起こそうとする連中にとっては、自分たちが未来を作るチャンスが拡がっている。
そうした状況の中で、1970代の産業組織論をベースにしたポーターの競争戦略は、静的な市場の分析には役に立つかもしれないが、そうした市場自体が年々限られてきているのが実態だ。
New Yorker誌でM・グラッドウェルが掲載していた(その後書籍化された)記事や、行動経済学の発展も戦略的直観の重要性が語られる際の背景としてある。今後、この流れに沿った戦略論が次々と現れることになるだろう。ただその際、「語り」に頼ってしまう言説をどうモデル化できるかがポイントになる。
(以下追記 2013年2月25日)
その後、この本のタイトルにある直観(intuition)という言葉に居心地の悪さというか違和感を感じていたが、その理由に今日やっと気付いた。それは、ダガンが言っているところのものは推論(チャールズ・パースが名づけたアブダクション=仮説的推論)だということ。つまりそれは認識であって、直観ではないのである。
2013-02-17
Girls vs. Boys
http://www.nytimes.com/interactive/2013/02/04/science/girls-lead-in-science-exam-but-not-in-the-united-states.html
いくつかの興味深い傾向が見られる。このテスト点数を見る限り、アジアでは女子が男子より優秀。ヨーロッパと米国では逆で、男子が女子に勝っている。
日本の15歳の世界の中での位置はというと、男子はフィンランド、香港、シンガポール、韓国に次いで5位。女子はフィンランドと香港に次ぐ3位である。(「上海」のスコアは一都市だけのデータしか公表されておらず、中国全体を示すものではないので検討対象から除外)
日本では大学の理系に進学するのは男子の方が圧倒的に多いのは、どういった理由なのだろうか。男子の理科系科目の高校での伸びが女子より大きいからだろうか。あるいは能力とは別に、将来仕事に付くための方向性として女子は文科系科目を、男子は理科系科目を選ぶからだろうか。
2013-02-14
日本は計画経済国家か
東北電力は東日本大震災で多くの設備が被災した。女川(宮城県)と東通(青森県)の両原発は停止しており、より多くの部分を火力発電に頼らざるを得ないなかで燃料費の増加が経営を圧迫していることが報告されている。
こうした状況の中では 、現実的対応として電気料金の値上げはやむを得ないと思う。しかし、僕が気になったのは記事のなかの次のところである。
まるで統制経済である。電気料金は東電が昨年5月に家庭向けで平均10.28%の値上げを申請したが、経産省の審査で8.46%に圧縮し昨年9月から実施した。昨年11月に関電が同11.88%、九電が同8.51%の値上げを申請し、今年4月の実施を目指して経産省の審査を受けている。
一見すれば、東京電力が10.28%の料金値上げをしようとしたのを8.46%に抑えてくれた経産省は、国民にとって「正義の味方」と受け取れないこともない。しかし、元々が総括原価主義で計算された数字だ。
問題は、価格について市場のメカニズムが存在してないということである。
さらには、数字の中身が国民にはブラックボックスであるだけに、東電は経産省と前もって相談済みで10.28%増の数字を作ったと疑われたとしても不思議ではない。結果として、電力会社はもともとの目標を達成し、経産省は中身を知る由もない国民から「いい仕事をした」と評価されるというシナリオだ。
政府がやらねばならないのは、電力の地域独占体制の変更や発送電分離を着実に進める手立てを考え、電力供給と需要についての新たな制度設計をすることである。既得権を持つ勢力の「それなら、停電が頻発してもいいのか」という脅しがいつまでもまかり通るのはおかしなことだ。法人だけでなく、個人も米国のように電力供給事業者を自由に選べるようになるといい。
2013-02-11
大臣、それとも投資家?
なぜ1万3千円なのか。その数字の算定基準は何なのかが知りたい。なんとなくそう思って言ったとしたら、大臣が話すような内容ではないはずだ。メディアもそれをそのまま報道するだけで、金額の根拠を問わないのはまったくの認識不足。
そもそも閣僚が、市場によって決定される株価や為替レートについて「こうあるべき値」を口にすること自体が大間違い。
先のコーンヘッド甘利は、自分か家族が保有している株式の値上がりを念頭に、経済財政大臣ではなく投資家の立場で発言してしまったのか。あるいは、誰かに誘導されているか。どちらにしても、やってることがズレズレなのに変わりない。
2013-02-10
アタマは体、体はアタマ
| 路肩で雪をかぶったまま放置された車 |
今日の午後、国連ビルの近くにあるジャパン・ソサエティで劇作家の平田オリザによるワークショップがあった。興味半分で出かけた。参加者用のチケットはすでに売り切れなので、僕が手にしているのは見学者用のチケットだ。
初めて集まった集団をどうやって一つにまとめるか、メンバー間に共感を生み出すか、自然なコミュニケーションが行き渡るようにするか。自分を他者(たち)との関係性の中でどう表現するかというコミュニケーション(デザイン)の構築を目的にした練習が多かった。彼が用いている手法は、大学でも応用できそうな感じだ。
何年か前、劇団「第三舞台」が行うワークショップに参加したことがある。そちらは、役者がどう脚本を読み、役作りをするかを狙いにしたものだった。
僕たち大学人がやっている仕事は、あまり身体を使わない。しかし、知性というのは頭から生まれてくるだけではなく、体からも生まれてくると思っている。
正しくは体がなんとなく発見し、頭がやがてそれに気づき言語化する、という感じだ。そう、体はアタマなのだ。僕が旅をする目的のひとつは、そのもう一つのアタマに考えるきっかけを与えてやることだと考えている。
2013-02-07
Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde
日本が戦後から復興、再生を目指し馬車馬のようにかけ始めていた時代、熱気が溢れかつ混沌とした世の中でさまざまなアートのうねりが誕生していった。静かな今となっては、その勢いは想像もつかないほどだ。アートが時代に一撃を加え続けた15年である。
いろんな運動に赤瀬川原平が登場する。今さらながら、彼のアーティストとしての影響力の大きさを感じる。
http://www.moma.org/visit/calendar/exhibitions/1242
2階にThe Yoshiko and Akio Morita Media Galleryと名づけられたギャラリーがあることを今日まで知らなかった。ここで現在、Performing Histories (1) という展示会が行われていた。
| 作品<<作品と私>> |
2013-02-06
ゼロ・ダーク・サーティー
オサマ・ビン=ラディンの居所を、アメリカのCIAがいかにして突き止め、そして米海軍特殊部隊がどう攻撃し殺害したかが描かれている。
途中、なかなか決め手の手がかりを掴めないでいることに業を煮やしたCIAの幹部が、スタッフを前に「お前らは3・11を忘れたのか。罪のない市民が3000人も殺された・・・」と檄を飛ばす。そして、スタッフたちの動きがいっそうめまぐるしく、過激に進む。
70数年前、リメンバー・パールハーバーの掛け声でアメリカ中が一つになって太平洋戦争に突入したのも、アメリカ人が持つこうしたセンチメントというかメンタリティーがあったから。今も昔も変わらない人々である。
映画の冒頭、CIAによる捕虜への執拗な拷問シーンが描かれる。米国内で「あった、なかった」と論議を生んだが、実際にそうしたことはあったのだろう。この件を巡っては、米国の有力な上院議員が配給元のソニー・ピクチャーズに抗議を行うところまで行った。ビグローがアカデミー監督賞にはノミネートされなかった理由は、このあたりにあるんじゃないかと思う。
2013-01-30
コロンビア大学でのセミナー
ここのメンバーのほとんどは、経済学を専門とする人たち。マーケティングと経営学の研究者が意見を交わすことはあるが、マーケティングと経済学の研究者が議論することは、少なくとも日本ではほとんどない。刺激的でいい経験になった。
2013-01-28
Geechee Dan、72歳
彼は、いつもニューヨークの地下鉄42丁目駅(タイムズスクエア)のプラットフォームで歌っている。
駅のホームで歌うのは、もっぱら古いR&Bの曲。その心を打つ歌声に、通りすがりの多くの客が足を止めて聞き惚れる。昔は歌手としてハーレムのコットンクラブなどでも歌っていたらしい。
商売道具のアンプとスピーカーをカートに積んで週に7日、ハーレムからやって来る。BGMは、今ではなつかしいソニーのディスクマンから鳴らしている。
少ない日でもチップは150ドルくらいになるらしい。(YouTubeのタイトルはホームレスとなっているが、彼はホームレスではない)
日本の地下鉄にもしこうしたおじさんがいると、みんなびっくりするだろうなあ。
だけど、その見事な歌声にみんなが肝をつぶす前に、駅員たちから追い払わらわれてしまうのだろうけど。
2013-01-27
セントラルパークが凍った
セントラルパークにある"The Lake"と呼ばれる池(湖)が完全に凍り付いていた。で、多くの人がその上を歩いて渡っていた。
僕も渡ってやろうと池に降りて真ん中に向かって歩き始めたら、後ろから大声で "Off the ice!(氷から降りなさい)" と警官から注意された。
池全面が凍ってはいるが氷の厚みは6センチほどで、その下の水は対流しているので割れるかもしれないらしい。昔は自然のスケートリンクとして使われていたと教えてくれた。温暖化のせいで、今はもうそうはいかないらしい。
2013-01-23
NYの寒さ
夜の9時頃までコロンビア大学の図書館で作業し、帰りの支度をして建物を出たところで凍り付いてしまった。
ビル風のせいもあるのだろうが、ハドソン川方面から吹いてくる寒風に鼻と耳がちぎれそうになる。
手袋とマフラーはしていたが、それだけではだめだ。防寒用の帽子がなければやってられない。今日は、日中の最高気温がマイナス5度。天気予報によれば、明日は最高気温がマイナス7度、最低気温がマイナス13度だそうだ。
以前NYに住んでいたことがあるHideとYumiから、日本を出る前に「ニューヨークじゃマイナス20度くらいになる日も珍しくないから、気を付けてね」と言われたのを思い出した。
ニューヨークの寒さ、尋常じゃない。
2013-01-22
米大統領の就任式
朝から米ネットワークテレビはどこも大統領の就任セレモニーをライブで流していた。2期目ということで、オバマ大統領はいくぶんリラックスした様子に見えた。
式典の司会を上院議員のチャールズ・シューマーが努めており、彼が開会の挨拶の中で語った「アメリカ人はこれまでも、また今もプラクティカルで、オプティミスティックで、プロブレム・ソルビングな人たちである。そして、どんな困難な時にも立ち上がり、繁栄へ向かって進んできた」という内容のコメントが印象的だった。
ジェームズ・テイラーが登場し、ギター一本で "America the Beautiful" を歌った。こうした歌手と歌を持つ国が、とても羨ましい。
2013-01-21
SAMSARA
http://barakasamsara.com/
台詞やナレーションは一切なし。映像と音楽だけで構成されたドキュメントである。もとになった映像は、世界25カ国で撮影されたもの。日本が登場するシーンもある。増上寺や渋谷駅前のスクランブル交差点、葛西の巨大なゴルフ練習場、さらにはダッチワイフの製造工場。その導入として映し出される大阪大学石黒教授と彼のつくったヒューマノイド。
日本人としてはそれらの選択に首をかしげるところもあるが、ここは制作者たちがこれらを「撮したい」と思ったことに理解を示したい。
映像はデジタルではなく70ミリのフィルムで撮影されており、その深みと鮮やかに引き込まれる。
2013-01-20
余計なお節介社会、ニッポン
電鉄会社は、わざわざ乗客を不快にするために車内アナウンスを流している訳ではないだろう。では、なぜこうしたことになるのか。
僕は、電車の中で足を組もうが、投げ出そうが、寝っ転がろうが構わないと思う。周りに人がいなくて、他人に迷惑をかけさえしなければ。肝心なことは、他人に迷惑をかけたり不快な思いをさせないことであり、足を組むかどうかということではない。自分の行為がそうしたものかどうかは、各自が状況から判断すればよい。
個人が判断すればよいことを、わざわざルール化して守らせようとするのが日本人は好きである。「決まりをつくればみんなが従う」という意識は、役人だけのものではない。日本人全体の体のどこかに染みついた業のようなものである。
企業の顧客サービス窓口とのやり取りで「何々ということになっておりますので」と言われることがよくある。顧客にはその何々の意味も必然性も分からず、勝手にその企業の都合で決めていることをまるで法律か何かを振りかざすように言ってくる。
しかも残念なことに、そうした時の相手の口調には迷いがない。おそらくは上司から言われた、あるいはマニュアルに書かれていることを自分の頭で考える事もなくそのまま信じているのだろう。また、そうした対応を日本の顧客の多くが日々受け入れてしまっている現状があるのだと思う。
ハーバード大の教授だったアージリスらは、人間の学習にはシングルループ・ラーニングとダブルループ・ラーニングがあると規定したが、まさにその前者の典型例である。前提(governing variables)を疑うことなく、ただ言われたことをいかに実現するかということにしか目が向いていない。
「個」の特性を活かした経営だとか、個性が生きる教育や社会の構築だとか言われているが、ニッポンでは100年たってもそれは無理かもしれない。我々の生活の隅々まで行き渡っている官僚制度によって、管理し管理されるのが好きになってしまっている。管理されることを無心に受け入れれば、自分の頭で意味を考えたり、判断したり、そのための価値基準を心の中に持ったり、それをもとに行動したりといった事をしなくてもいいから。
現在ニューヨークに住んでいて、日々の移動のほとんどは地下鉄だ。NYの地下鉄では、路線の運行変更のアナウンスはあっても、車内で足を組むなとか、投げ出すなというアナウンスはない。周りに迷惑をかけている人がいた場合は、誰かがその旨注意して止めさせる。それだけである。
大げさかもしれないが、日本の駅のプラットフォームや車内でのアナウンスは、ニッポンという国全体の精神構造を実によく表していると思う。僕が生きている間に、こうしたアナウンスがされなくなる日が来るだろうか・・・。
2013-01-19
柔軟性とマニュアル主義
航空会社としては、多少足りないマイレージに目をつぶってでも、出発間際の便に追加料金を払ってもらった方がいいと判断したのだろう。僕はこうしたアメリカ人やアメリカ企業の柔軟性が好きだ。時としていい加減さに映ることもあるけど、とりわけサービス業では現場の裁量に任せた柔軟な対応がいい顧客満足を生むことの方が多い。
今日、KDDIが米国で携帯電話サービスを行っているKDDI Mobileに電話した際のこと。日本への帰国時の解約手続きについて確認しておくためである。手続き自体は、電話一本で済むらしい。いま使っている携帯電話機は、日本国内では使えないので「破棄」してくれと言われた。
企業としてリサイクルを検討した方がいいと言ったところ、「上司に伝えます」との回答。ふと思うところがあって、結果を知らせてほしいとお願いした。すると、こちらの電話番号、フルネーム、パスポート番号を教えてくれと。なぜパスポート番号が必要なのか? 「お客さま確認のためにお聞きしております」だって。マニュアルにそうあるのだろうけど、もちろん教えなかった。だって、必要ないもの。
2013-01-18
本物のホットチョコレートのおいしさ
場所はチェルシー・エリアの近く、フラティロン(Flatiron: フラットアイアン・ビル)地区のチョコレートショップ、L.A. BURDICK。http://www.burdickchocolate.com/about-us.aspx
ここで飲んだホットチョコレートが実においしくて、びっくり。こくがあって、香りがゆたか。しかもべたついたところなどなくて、後味がさっぱりしていて、チョコなのにある意味でスッキリしている。本当のホットチョコレートのおいしさを知った感じがする。
フラティロン地区には特徴のあるいい飲食店が多く出店している。23丁目と5番街の角にあるEatalyはもちろんだが、知り合いのバンドが初出演するからと昨晩出かけたFlatiron Roomのようなウイスキーにこだわったバー・レストランのような店も人気だ。http://www.theflatironroom.com/
2013-01-16
意味のないメッセージ
日本出発前日、ニューヨーク行きのフライトを確認するために航空会社に電話を入れた。すると、「ただいま電話が大変混み合っております。順番におつなぎいたしておりますので、このままお待ちいただくか、お掛け直しいただけますようお願いいたします」という応答メッセージが流れてきた。このメッセージ、以前から変わっていない。
しばらく待ってオペレータが出たので、先のメッセージについてかけ直した場合は優先的につながるようになっているのかどうか尋ねてみた。システム上、そうした風にはなっていないという。ということは、場合によってはかけ直したらもっと待たされることがあるわけだ。
この航空会社がやるべきなのは、電話をかけてきた客へ応対できるまで何分くらいかかるか案内できるようにすること。3分なのか、5分なのか、7分なのかーーこれ迄の応対記録と人員から、おおよそのところは自動的に計算できるはず。それを知らせた上で、そのまま待つかかけ直すかは電話をかけてきた客に任せればいい。
そうした情報を何も提示せずにおいて「 このままお待ちいただくか、お掛け直しいただけますようお願いいたします」などいうメッセージを聞かせるのは馬鹿げている。
話は変わるが、日本の電車で聞かされる「足を組んだり投げ出したりすると周りの方への迷惑になりますので、お止めください」という車内アナウンスは何とかならないか。われわれは幼稚園児ではない。ひさしぶりの日本の電車内での一幕。
自分が無価値な人間ではないという充実感
いまでも、夫を介護する私を見て、作家業もこなしながら大変ね、と哀れみの情を示す人がいます。その人たちは、介護は厄災で、介護者ばかりが我慢しているとおもっている。しかし実際は違います。極端にいえば、夫は私がいなくても生きていけるでしょうが、私は生きていけない。夫の役に立てるという実感、自分が無価値な人間ではないという充実感を、夫は与えてくれています。私の日々の喜びは、掛け値なしに介護なんです。(2013年1月17日号)唸ってしまった。
2013-01-09
メキシコで「幸福」について考えた
メキシコの人は人懐っこい。おおかたはとても親切で、先日、フリーダ・カーロ美術館(Museo Frida Kahlo) への道を迷って近くを歩いていた人に尋ねた時は、わざわざ遠回りして案内してくれたほどだ。
モンゴロイドの血を引き継いでいるのか、なんとなく顔かたちが僕らに似ているところがあるのも、お互いが親近感を感じる所以だろう。
メキシコ人の血は複雑だ。現在、もともとのメキシコにいた原住民の血を100%継いでいる人たちはわずか1割(だんだん血が濃くなってきて、そのせいだと言われているが、最近は生まれる子供の8割が女の子である)。純粋な白人(スペイン系白人)が1割。そして残り8割はメスティーソと呼ばれる白人と現地人の混血である。
スペイン人エルナン・コルテスによってアステカ文明が破壊され、メキシコが征服されたのが1521年。それから500年ほどかけて血が混じり続けてきた。
ティオテワカンへの観光ツアーは、メキシコシティの日系旅行代理店に申しんだこともあり、ガイドは日本人女性だった。滞墨9年目になるという彼女から、往復2時間半あまりメキシコについて話を聞かせてもらった。
彼女によれば、現在の大統領も閣僚もほとんどが人口では1割しか占めていない白人だという。そして、彼らは特権階級である白人のための政治を行う。例えば、富裕層である白人階級保護のため、この国では相続税は課されていない。
しかし、だ。白人が1割しかおらず、独裁国家でもないのに、どうしてそのような議員構成になるのか尋ねてみた。その理由は、一言で言えば「買収」。貧しい人たちが容易に村単位で買収され、歪んだ投票行動につながっているという。その結果、白人がその人口比に対してはるかに多い割合で議会を占め、自分たちの利益誘導に進む。
そうした現状を一般のメキシコ人(白人以外)はどう考えているのか尋ねたら、「ほとんど気にしていない」という。「最初から諦めているのです」とも。戦おうとも現状を変えようともしない。何百年間にもわたって被征服者として虐げられ服従することで生きてきた結果、将来を自分たちの手で作り上げるという意志はまったく持たず、ただ今日だけを楽しく生きることができればいいと思うようになったというのが彼女の説明だった。
メキシコは米国の隣国であり、歴史的にも経済的にも強いつながりがあるにもかかわらず、メキシコの公立学校では英語は教えられていない(そのためか、現地では思った以上に英語が通じなかった)。
英語を学ぶためには大学に進学するか、高額な私立の高校に行く必要があるが、一般のメキシコ人にはそれはなかなか難しい。その結果、外資系企業などの「割のいい」仕事に就けるのは、そうした一部の階級に留まっている。こうして階級と格差が固定化されてしまっている。
彼女の話でもう一つ印象的だったのは、就職は肌の色と賄賂の2つで決まってしまうということ。ただ、それがどの程度のものなのかは正確には分からない。だからこそこうした問題は厄介で、問題として定義することすら難しいままに置かれている。
ブータンのワンチェク国王が来日した際、日本でもGNH(国民総幸福度)指標を導入しようという動きがあった。(2010年6月にその測定方法を開発することを目的とした研究会も発足しているはずだが、どうなったのか。)
「幸福度」がキーワードとして語られるとき、しばしば議論に現れるのがこのメキシコである。幸福度に関する調査結果で示されるスコアが極めて高いからだ。
細かな議論はここでは避けるが、メキシコを日本のモデルの一つとして検討してはということなら、それは全くのお門違いだろう。先に述べた悲惨な裏の状況が一つの理由だし、また「あなたは幸せですか」と尋ねられてどう答えるかは、やはり国民性に依存するところが大きいのだから。
2013-01-08
テオティワカンのピラミッド
遺跡の中に、太陽のピラミッドと月のピラミッドと呼ばれる(のちに発見したスペイン人が勝手に名づけた)2つの巨大なピラミッドがある。階段の平均斜度は45度だから、なかなかだ。その中腹になぜだか犬がいた。
2013-01-06
フリーダ・カーロ博物館
2013-01-04
原因不明のフライトキャンセル
同じニューヨーク市内の空港でもJFKに比べればこぢんまりした空港であるが、到着した時そこはやけに混んでいた。チェックインのための航空会社のカウンター前には恐ろしいほどの長い列。それになかなか進まない。どうしたのか・・・。
実はフライトが何便もキャンセルになり、一人ひとりに対してカウンターでその便の振り替え処理をやっていたのである。僕の乗る予定だった便もキャンセルされている。原因は知らされない。
とにかく列に並ばなければとそうしていると、係員が航空会社の電話番号が書かれたメモを客に手渡して回っている。僕ももらった。再予約のためにここに電話しろということらしい。何だこれは、と思いつつも携帯電話でダイヤルするが、つながらない。
とにかく状況が分からないまま、列に並び続ける。なかなか進まない。およそ一時間ほど並んで、やっとカウンターの順番が来た。空港の一部が安全上の理由で閉鎖されたためにフライトがいくつかキャンセルになったと言われた。その理由も尋ねたが、分からないとのこと。理由を知らされないのが、一番不安感を感じる。
フライトは、ダラス経由だったのがマイアミ経由に変更になり、当初の予定から1時間ほど遅れて出発した。どうも米国ではこうしたことはよくあるらしい。
2013-01-02
Kindle Paperwhite
日本国内で販売されている同機の3G接続対応モデルは日本国内のみの対応なのに対し、米国内で販売されているモデルは世界中で3Gが無料で使える。その違いのせいなのか、米国内モデルの方が値段が高かったが、海外でも使える方がよいと思いこちらにした。
まず、アマゾンのキンドルサイトで、日本に置いてきた初代キンドルのライブラリーとデータを同期する。とてもスムーズで、あっという間に終わる。
本体は軽く、持ちやすく、そしてEインクは読みやすい。ベッドに寝転がったり、トイレで読んだり、お風呂に浸かりながら使ってみたが、いい感じだ。ただし、電源スイッチは下ではなく上の方に付けた方がよかった。
日本のアマゾンのサイトで、W・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』をダウンロードしてみた。こちらもあっという間である。
但し、キンドル版の書籍の値段がスゴク高い! 2分冊で、それぞれが1,995円、両方で3,990円。日本語版のハードカバー書と同じ値段だ。ソフトカバー書なら、一冊1,050円である。原著は分冊になってはおらず、価格はハードカバーで18.8ドルしかしない。
日本のアマゾンのサイトでは、わざわざ価格のところに「出版社によって設定された価格です」と表示してある。
講談社のような影響力の大きな出版社は、いまもって顧客の事より書店に対する配慮が欠かせないのか。それとも、版元(Simon & Schuster)との取り決めでもあるのだろうか。アマゾンへのコミッション以外はほとんど限界費用がかからないのだから、もっと安くしてもらいたいものだ。
2012-12-30
米国Newsweekが廃刊
79年の歴史を持つ、言わずとしれた米国の有力雑誌である。広告収入の減少に歯止めがかからなかったのが主要な理由とされている。時代の趨勢だろう。
昨年の春に米国に来て驚いたことの一つは、雑誌の定期購読料が驚くほど安いということ。例えば、New Yorker誌は店頭で一冊6ドル99セントするのが、年間定期購読だと一冊あたり1ドル49セントだ。ニューズウィークのライバル誌であるタイムに至っては、一冊あたり59セントである。
書店やキオスクへの流通マージンがかからないとはいえ、こうした価格ではほとんど利益はでないはずで、広告収入のための部数確保が最優先されている。しかし、人は雑誌の値段が安くなったからと云って、もともと興味がないものを読もうとはしない(価格弾力性が低い)。しかも、日本のように電車通勤者が多くない土地柄である。この国ではテレビのチャンネルも訳がわからないほど多い。当然いまはネットでもニュースやコメンタリーを探して読める。
ところで、日本版ニューズウィークはまだ健在のようだ。
http://www.newsweekjapan.jp/
Newsweekの現在のロゴマークは2011年に新しくなっている。しかし、最終号の表紙に写真に写っているビルに取り付けられたロゴはそれ以前のものだ。写真が新しいものだとしたら、同社はサインを作り直す金にも事欠いていたということだろうか。
5年後、この国のどれだけの新聞と雑誌が店頭で売られ続けているか、興味深いところである。(個人的には、紙とネットとそれぞれの利点があるので、両方あってほしい)
2012-12-24
カサブランカ空港で欺されかける (モロッコ /12 最終日)
空港の出国審査を終えてゲートに向かう途中、現地通貨がまだポケットに残っているのに気付いた。両替所がないか探すが見つからない。仕方ないので、免税店で何か適当に買い物でもして使ってしまえとうろついていたら、空港のインフォメーション・カウンターがあったので、そこで両替所を尋ねることにした。
そこには女性が2人。顔を見合わせて、ここにはない、との返事。そして、一人が隣のもう一人を指し「彼女のベスト・フレンドが両替してくれるかもしれない」と言うではないか。そして、やおら立ち上がったもう一人が両替してくるからと手を出した。僕は金額も確認せずポケットの現地通貨(ディルハム)をすべて彼女に渡した。彼女は金額を数える風でもなく、あそこで待っててと少し離れたベンチを指さした。
僕も一緒に行くと申し出たが、首からぶら下げたIDカードをこちらに見せ、自分しかその友人のところへいけないからと言うや、向こうへ駈けていった。待つこと15分、その女は帰って来ない。カウンターに残っているもう一人にどうなっているのか聞いても、要領を得ない。搭乗は既に始まっている。
インフォメーション・カウンターのすぐ脇で女の帰りを待っていたら、そいつが帰ってきたが、こちらがまだいることに気付くやいなや、踵を返してまた向こうへ駈けていった。僕はやっと状況を理解した。空港職員の女2人にカモにされたのだ。
そのままそこにいても、金を持ってトンズラした女は帰ってこないだろうと思い、諦めたふりをして一旦インフォメーション・カウンターを離れて10分後にまた行ったら、何もなかったような顔で座っている。金をだまし取ってやったトロイ日本人(ぼくのこと)は、てっきりもうモロッコの地上から消えたとでも思っていたのだろう。
突然また現れた僕を見ても、さして驚いた顔をしなかったのはこうした詐欺の常連か。金を返すように言ったが、何を言われているのか分からない振りを始めた。フライトの搭乗時間はほとんど終わりかけている。ゲートまでは5分くらいかかる。
相手を睨みつけつつ、カウンターのテーブルを平手で打ちながら「ゲット・マイ・マネー・バック」とゆっくり大声で5回繰り返した。一体何事かと周囲の客がこちらを振り向く。すぐにセキュリティーのバッジを下げたスタッフが2人やってきた。事情を手短に話し、その女から金を取り返し、彼女らの処分は任せてゲートへ走った。ゲートは閉まる寸前だった。
| 僕をカモろうとしたカサブランカ空港の女たち |
座席についた後、汗を拭きつつ、動き出した飛行機のなかでさっきのことを考えてしまった。
結局、手元のモロッコ通貨は使われることなく、両替もされず、そのまままたポケットに戻って来た。こんなことなら奴らにくれてやってもよかったかなと思いつつも、こうした相手を舐めた真似を許すと他の旅行客もやられることになると考え「これでよい」と自分を納得させた。
モロッコよさらば、である。
2012-12-23
マラケシュ2日目 (モロッコ /11)
2012-12-22
マラケシュのフナ広場 (モロッコ /10)
マラケシュの中心地が旧市街のジャマ・エル・フナ広場である。
だだっ広い広場に、夕方から大小の各種屋台が建ち並び始める。そしてヘビ使いなどの大道芸や民族楽器の演奏や踊り、漫談など様々な見世物が繰り広げられる。
ターバンを巻いたおじさんが吹く笛でコブラが鎌首をもたげるという古典的な大道芸や、民族楽器の演奏に合わせて民族衣装を着た、顔を半分くらい隠した娘がただ踊りまくるという(はっきり言って芸のない)芸が多いなか、僕が気に入ったのは、連れてきた子犬2匹と鷹とハツカネズミを客に見せているだけという下のおじさん。
動物たちに何をさせるというわけでなく、ただときおり子犬にミルクを飲ませてやるだけという平和な「見せ物」である。
今回マラケシュで宿泊する予定のホテルは、このフナ広場からさらに奥の込み入ったエリアのなかにあるみたいだ。
場所をグーグル・マップで確認しようとしても、この先の地域は迷路のような細かい道が複雑に入り組んでいるため、そこにたどり着く道が表示されない。
仕方ないので、広場にあるコーヒーショップから宿に電話して迎えに来てもらった。
2012-12-21
ワルザザートで宿泊 (モロッコ /9)
夕方、ワルザザートのリヤドに投宿。部屋の鍵は南京錠である。中にいる時、もし外から施錠されたら外へ出られない!? 部屋に電話はない。






