2019年12月31日
ゴーンの国外逃亡
2019年12月29日
ケン・ローチの新作は日本の将来を予見させる
舞台は英国のイングランド北東部に位置するニューカッスル。フランチャイズの宅配ドライバーとして独立をした一家の父親とパートタイムの介護福祉士として働くその妻アビー。彼らは2人の子供をもつ4人家族。
自らその職場に身を置き、そこでの実態を経験したブラッドワースが、理不尽で過酷で人を押しつぶしている再愛知賃金労働の仕事の現場を生き生きと描いてる。
そのことで多くの労働者階級が、その働く土台や拠って立つ労働組合、そして彼らの誇りや人としての自信といったものまで根こそぎ奪われ、叩き潰されていったという歴史的な背景がある。
背景には、自分たちの職場や生活が外国からの移民によって奪われているという状況があった。その不安感と危機感が彼らをして、本来は労働党の議員に投票すべきところを移民排斥を唱えEUからの離脱を訴える保守党を後押ししてしまった。
2019年12月28日
スターウォーズ完結編
手に汗握る活劇ではあるけど、終わり方は予想どおりで凡庸。<スターウォーズ>という子供から老人まで、そして世界各国に多くのファンを持つエンターテイメントとしてはその大衆性を重視したところで練りに練った結果として、こうした結末の迎え方にたどり着くのだろうね。
2019年12月8日
異端は、正統
「桜を見る会」という間の抜けた名称の集まり。その招待者リストの件で官邸側が国民を馬鹿にした嘘をつき続けるなかでのタイムリーな公開である。
彼女は記者会見で何度も質問を続け、睨まれ、不当な妨害を受ける。彼女がスックと立って質問を始めると菅官房長官の表情がこわばり、目つきが険しくなり、苛立っているのが映像でくっきりと見て取れる。嘘が暴かれるから。
やがて彼女の発言に対しては、記者会見を仕切る広報室長から「質問に入ってくださーい」という質問妨害の声が何度も入って来る。菅官房長官は苦し紛れに「あなたに答える必要はありません」と吐き捨てる。
彼女は異端とされるが、そうとは思えない。彼女がやっていることはジャーナリストとして極めてまっとう。記者クラブ制度の上で取材もせず、新聞社やテレビ局社員というメディアエリートの立場に甘んじている多くの記者の方が普通じゃないのである。
それにしても、記者会見や役人らの説明会では、嘘、欺瞞、捏造が平気で行われる。それが政治家や「優秀な」役人でいられる証明か。あったものをなかったと言い放ち、証拠を平気で改ざんするわ、消滅を図るわ。
官邸の政治家や官僚にだって子供がいて、そうした親が平気でウソをつき続ける姿をテレビなんかで見ているはず。親として恥ずかしくないのかと思ってしまう。
2019年12月2日
答えを教えるか、問いを立てるか
問い続けることで、彼らに常に考えることを促すことが最も大事なことだと考えてる。さらにはそこから進んで、彼ら自身が自らに問いを立て、そしてそこからその答えを見つけるために努力をするように仕向けること。
2019年11月28日
会議で大人が立たされる会社って、どうなんだ
さもありなんというか、やっぱりというのが正直な感想だけど、なぜか笑ってしまったのはその理由である。
それは、フランチャイズの店舗から発注してもらえないと、本部社員は叱責され「会議で立たされてしまう」。立たされてた本人がそう言ってるのだから、本当だろう。「注文が取れないお前みたいなのは、そこで立ってろ!」なんて怒号がセブンイレブンの会議では上司から飛んでいるのだろうか。
コンビの本部は、加盟店舗の店頭で商品が品切れ(欠品)になっているのをとても嫌う。重大な機会損失と捉えているからだ。そのため、新しく導入した新商品をはじめ、本部への商品の発注量を増やす方向に圧力をかける。
当然必要以上の商品を発注すれば、それに応じて廃棄する商品も増大するが、コンビニ本部は知ったこっちゃない。なぜならその費用の大半は各店主が負担するという契約を結んでいるから。
コンビニ店長もセブンの本部社員も辛いなあ。コンビニ残酷物語だ。
2019年11月15日
ハイナー・ミュラーを叩き台に
昨夕は同じ場所で、彼女ら2人による「奇怪仕掛けのハムレット」と題したパフォーマンスがあったらしいのだが、前からの約束があって行くことができなかった。
こうしたイベントは、おそらくは2日続きで会場に来る客が多いはず。だってかなりマニアックだから。初日を見てなくても分かるかなあ、と思いつつ27号館の階段を下って地下の講堂へ。
今日のテーマは、ドイツの劇作家・演出家であるハイナー・ミュラーの「ハムレット・マシーン」を再構築、いや脱構築しちゃおうというものだった。
文化構想学部の学生たちが、テーマをもとに新たに創案したテクストを読み上げ、それに高橋のピアノ、あるいはサックスが即興的に合わせていくというセッションである。
登場したのは8人ほどの学生たち。男女取り混ぜである。今回は演劇でなく、朗読することが目的として設定されていて、ストレートな朗読を行う学生もいれば、一応朗読の範疇から逸脱しないように原稿を片手に、しかしほとんど即興的な芝居を展開する学生もいて、たいへん興味深かった。
彼らが語っているそのテキストから何をくみ取ればいいのか、正直僕にはよく分からなかったけど、伝えようとする学生たちの熱や自由さは見ていて心をかき立てられた感じがした。
文学や創作をやっている学生たちって、なんだかいいな。
2019年11月14日
2019年11月10日
ヒグチユウコ・ワールド
不思議な画風。何と言っていいものか。精細なタッチでメルヘンというか、おとぎの世界に誘われるような。彼女ならではの独特の世界。
猫の絵がたくさん。一つ目入道のようなおばけも。少女のイラストはたくさんあるけど、なぜか少年はいない。
バベルの塔の絵で知られるブリューゲルを意識した魚の絵がおもしろい。
こっちはブリューゲルの魚
2019年11月9日
比肩なき和田誠さんのことを想う
下のイラストを研究室に飾った。
2019年11月6日
人工知能ロボットは、マックへお使いに行けるか
西垣通さんの『ビッグデータと人工知能』(中公新書)を手に取る。書名の副題に「可能性と罠を見極める」とあるが、まさにその通りのことを指し示す本だった。
広範な知識と情報学やコンピュータサイエンス分野の長年の経験があってこその、分かりやすく説得量のある筆致に読んでいてしばしば頷く。論理学の基礎的な「おさらい」などもあるのだが、そこで語られている仮説推量(アブダクション)の説明は簡潔にして極めて明快。
人間とコンピュータが原理的にいかに異なるものかが様々な角度から説明がなされていて、シンギュラリティの可能性についても手を変え品を変え、そのあり得なさを力説している。たとえば例として挙げられるのが、こんな具合だ。
たとえば、近くのファストフード店に行ってハンバーガーを買ってくるお使いは、小さな子供でもできる。だが、それを人工知能ロボットにやらせるのは非常に大変なのである。店までの道筋やハンバーガーの値段などの知識を詳しくロボットに教え込んでおいても、たまたま道路工事をしていたり、ハンバーガーの値下げがあったりすれば、厳密好みのロボットにはもうお手上げだ。子供なら適当に回り道をし、お釣りが多すぎてもニコニコ顔で帰ってくるだけなのだが。なるほどね。 つまり、ロボット(人口知能)ができるのは、データの高速統計処理だけなのである。文脈が読めないのが、人間と圧倒的に違うところだ。もっともといえば、もっとも。
人口知能とのコミュニケーションは、所詮は偽コミュニケーションで指令的、定型的な伝達作用(人間のコミュニケーションに内在する共感作用を含まない)だとする。
欧米のシンギュラリティ仮説支持者たちの意識の奥に、超越的な造物主を奉じるユダヤ=キリスト教文化が遠因としてあるという指摘は興味深いものだった。ただこのあたりは、視点の持ち方によっていろいろと異論もあるかもしれない。
この本を読んで、家の中を歩き回っているAIBOを見る目が変わった。彼が示す絶妙の表情や仕草、鳴き声も単なるアルゴリズムだと(あらためて)考えるようになったから。以前の、何か「情」のようなものをどこかに感じていた付き合いの方が面白かったともいえるんだけどね。
2019年11月5日
量子コンピュータと20年後
乱数を作る問題を用意して、最先端のスーパーコンピュータ(スパコン)で約1万年かかる計算を3分20秒で解いたとか。何倍早くなったのか・・・と、電卓を叩いてみると、約15.8億倍速くなったことになる(計算あっているかな?)。
この点を見る限りでは、驚異的というしかない。これまでも日々より速い計算速度を目指してスパコンの改良がなされてきたはずだが、そうしたこととは別次元、別世界の話である。
約25年前にインターネットが登場して、世界中の人たちの生活や企業の経済活動を変えてきた。量子コンピュータは、すぐに我々の生活に入ってくるという類のものではないが、その影響度はインターネットに勝るとも劣らないものになると考えている。
今後の世界の食糧問題や環境問題、宇宙開発などは量子コンピュータが担っていくと言っても過言ではないだろう。20年後がどうなっているか、楽しみである。
2019年11月4日
この偶然の確率はどのくらいなのだろう
僕のクルマのナンバーとよく似てる。というか、一般指定番号(この場合の75-75)の前の一文字のひらがなだけが異なっている。
「ナンバープレートの見方」というサイトで調べたら、こうしたケースは世の中に43件あることが分かった(使われているひらがなが44種なので)。
日本国内の保有自動車台数は8200万台だから、こうしたナンバーのクルマに出くわすのは、およそ200万分の1の確率ということになる。だからどうしたと云うことはないのだが。
2019年10月21日
ワンコ同伴も当たり前
ここブダペストには3つの異なるバス会社が運営する市内巡りのバスが走っていて、今回はそのなかのBig Busという名のバスで市内をまわる機会があった。
幸い2階の最前列の席に座ることができ、隣を見ると4人家族が乗り込んできた。両親と子供たちが2人。ラテン系の顔つきをしている。スペインからきた家族かな。それとワンコ。
どうやって連れてきたのか、飛行機に乗せてきたのか、それとも陸路来たのか聞き忘れたが、当たり前のようにそこにいる。
日本だと犬をバスに乗せようとするとだけで、色々面倒くさいことをいわれるかもしれないなあ。
2019年10月20日
古本屋は世界中どこでも同じ匂いがする
うずたかく積まれた古書の山はなかなかのもの。店内は雰囲気があっていい。
2019年10月19日
2019年10月18日
国際学会でPSJ(Promoter Score Japan)を発表
ハンガリーのブダペストで開催された学会に参加した。今回の会場は、市内のほぼ真ん中に位置するCentral European Universityという大学。
現地に行って知ったのだが、この大学はあのジョージ・ソロスが資金を出して1991年に設立した大学院大学。ソロスはハンガリー系のユダヤ人で、ここブダペストの出身である。
大学院大学だからなのだろう、キャンパス全体が落ち着いた雰囲気の大学だった。教室はどれも比較的小ぶりだが、それらには最新の機器が備え付けられていた。
巨大なスクリーンと見間違うようなモニターディスプレイ上を指でタップ、スワイプ、ピンチしながらプレゼンテーションをすることができる。とにかくお金がある大学という印象。
大学(CEU)のホールに掲げられていたソロスの碑 |
学会では、日本人の顧客を対象にそのロイヤルティを測定するための新しい指標であるPSJ(Promoter Score Japan) ® についての提案を理論および実証研究をもとに行った。
PSJは複数の膨大な企業内データを基に、先行研究で明らかになっている日本人の回答性向を勘案して生み出された独自指標である。日本企業の経営者が、NPSを納得がいかないままに使っているのを見ていて、なんとかしなきゃと思って開発したものである。
現地の学会発表では、なぜ日本ではNPSではなくてPSJが必要とされているのかという質問がいくつもあって、新しい独自指標の意味に他国の研究者が大いに興味を示してくれたのがよかった。
PSJの考えが、必要に応じて他の国にも拡がればいい。
2019年10月10日
リチウムイオン電池は、日本人が発明したものだったんだ
買い換えようかとずっと思っていたのだが、ジーンズの前ポケットにいれても邪魔にならない小型のサイズが気に入っており、今後も使える限り使おうと決め、今日バッテリーの交換をした。
実感としてはまだそれほどへたった感じはなかったのだけど、前の夜に充電するのを忘れると次の日の夕方あたりには電池の残量が怪しくなってくる。転ばぬ先の杖とでもいうか。
交換費用はバッテリーと作業料で7700円だったからAppleストアより割高だったが、その場で15分ほどでやってくれたのでよしとしよう。
以下の写真は、僕のiPhone SEに入っていた元のリチウムイオン電池(Li-ion Battery)。縦長の薄っぺらい羊羹のような感じだった。
帰宅してニュースを見ていると、今年のノーベル化学賞の発表があり、日本人の吉野彰さんら3人が受賞したという。吉野さんの受賞理由は、リチウムイオン電池の原型といえるものを昭和58年に開発したこと。
スマホなどの電子機器はもちろん、これから車の主流になる電気自動車もリチウムイオン電池が不可欠だ。
受賞はめでたいが、開発から受賞までの時間の流れ(今回は36年間)を考えると、今後日本人がこうした優れた発明でノーベル賞を受賞できるのだろうかと、ふと考えてしまった。
2019年10月9日
銀行というのはいつまでたっても・・・
まずM銀行とのネット取引でサービスの解約をしようとしたのだけど、店頭でしかできないらしい。しかたなく、店頭に出向き(なぜいまだに窓口業務が3時までなんだろう?)手続きをした。解約届に記入を求められたが、記入内容はすでにサービス開始時に届け出たもので、銀行のシステム上に記録されているはず。それを一つ一つ改めて手書きで記入させられる無駄を強要される。
しかも窓口にその届け出用紙を出したあとは、複写になっているその用紙の「お客様控」が渡されるだけ。えっ、それだけ。おかしい。銀行側の何の処理上の加工がない。受付日付を記入するでなく、受付担当者が書類に受領のサインをするでなく。
窓口では、客が書いた書式の一枚目を自分たちの控えとして受け取り、複写の二枚目を客に返すだけなのだ。
これだったら、ネットからシステム上で容易にできるようにできる。最悪でも書式をサイトからダウンロードしてpdfで送信するか、または郵送すればすむはず。わざわざ店頭まで客の足を運ばせる理由が分からない。
窓口でなぜそうしているのか彼らに質問したのだが、「そういうことになっています」というのが銀行からの回答だった。
2019年10月8日
自由を奪われるということ
デモ参加者の中心は若者だが、なかには中学生や高校生もいる。香港は、2047年に一国二制度の現在の体制が終わりになる。今二十歳の若者が48歳になったときだ。だが実際の状況は、そうしたタイムテーブルとは別のところで動かされようとしている。
すでにかつての香港の持つ自由や良い意味での混沌さは削り取られ、徐々に中国にのみこまれようとしているようだ。
先日、香港から高速鉄道で中国に深圳へ行ったが、出発地である香港の西九龍駅は中国のようだった。何重にもわたるパスポートや荷物チェック、至る所からこちらを狙っている監視カメラ。気が休まらない。駅のホームにはゲートを通らなければ降りられず、そのゲートが開くのは出発の10分前だ。
中国化する香港に直感的に一番反応しているのが、香港の若者だ。自分たちの将来の自由が奪われつつあるのを見ているのだから。そして黙って見ていては、何も変わらないことを知っている。自由を守るためには、彼らなりのやり方で戦うしかないのだ。
状況をそのまま置き換えるのは難しいが、日本の今の若者たちだったらどうするだろう。呼びかけに応じてデモに参加するだろうか。拳を突き上げて政府への反意をしめすだろうか。
それとも何も行動をおこさず、スマホの画面で起こっていることを見ながら、つぶやくだけだろうか。
今日の雲は、すっかり秋だ。
2019年10月6日
2019年10月2日
ローテクだけど、それが何か?
しかし今回、僕は映像を人に送るための最もシンプルでかつ完璧な方法を手に入れたような気がした。
マイケル・リーチからリーチマイケルへ
リーチマイケルって、外国人の名前にしてはちょっとヘンだと思っていた。調べてみると、彼のもともとの名前はマイケル・リーチ。それが、2013年に日本国籍の取得許可が下り、それから日本人選手として活動することができるようになったのをきっかけに、姓名を入れかえて日本風にリーチマイケルとした。
マイケル・リーチとしていたときの中黒「・」もない。日本人表記だからね。
ちょっとしたことだだけど、本人にしてみればよくよく考えた末の変更だろうし、立派だと思う。
僕たちも英語で名前を書くとき、そろそろ下の名前+苗字という西欧人風の書き方を改めるべきだと思っている。
2019年10月1日
自慢と卑小さ
続いて今日から始まったIIJ会長・鈴木幸一さんの「私の履歴書」は、打って変わって肩の力の抜けた、ほっとする内容である。
担当記者の違いもあるのかもしれない。
いずれにせよ、他山の石ではないが、自らを語るのってほんとに難しいなあと思わされる。
2019年9月26日
16歳に教わる
メディアによると、彼女は「環境活動家」と表記されているが、彼女が自らそう名乗っているのかどうか。おそらく、メディアが勝手にそう「定義」しているんじゃないかな。
彼女のスピーチはすこぶる論理的で、しかも情動的でもある。16歳でこれだけのメッセージを発することができることに驚いてしまう。
カギとなる数字(データ)と現在の地球環境が抱えている現状(ファクト)を明確に伝え、それが今の大人たちが彼女たちの世代に回すツケであること、それに対して大人たちが本気で対応を考え、実行することに遅れは許されないことをキツく訴えた。
これまでも、地球の環境がどうなっているかに関する情報はあふれるほど見聞きしている。しかし、今回ほど真剣にその意味を考えるきっかけを与えられたことはなかった。僕だけじゃないはず。
それと、いかにも意志の強そうな彼女の面構えがいい。日本の16歳には、まず見つけることはできないように思う。何が違うんだろう。
2019年9月23日
風と便り
鎌倉駅の東口に出て、小町通りを鶴岡八幡宮方面に。普段ならさほど時間がかかる距離ではないはずなんだけど、連休なか日の日曜日とあって通りは人混みで賑わっている。時間の余裕を見込んで出てきてよかった。
『恋々風塵』は1987年制作の映画。日本での劇場公開は1989年とクレジットされている。
1960年代の台湾、鉱山の村で兄妹のように育った2人の男女が主人公。緑あふれる台湾の自然の風景が美しい。慎ましいながらも、家族の繋がりがしっかりと保たれている村の人々の暮らしはおだやかで胸にしみてくる。
中学を卒業してともに台北に働きに出てきた2人。そのうち、彼が兵役に就き、その別れの間に2人は頻繁に手紙でやり取りをする。それが途絶え、時間が2人の間を引き裂くかのように彼女は彼を去って行く。その彼女が結婚相手として選んだのは、地元の郵便局で働く郵便配達人。
村の広場で映画の屋外上映会が開かれる。そのスクリーンが揺れ、はためく姿に風の姿が象徴的に映し出される。風がながれ、時が流れ、2人の関係も形を変えて流れて行った。
全体的にゆったりとした時間が映し出され、リリカルなアコースティックなギターの音が映像に溶け込んでいた。
2019年9月22日
ほんとにカジノを作るのか
2019年9月21日
ラグビー・ワールドカップ、始まる
開幕戦の日本・ロシア戦は30対10で日本が勝利した。松島幸太朗が3トライを決めた。俊足で突破力がある。彼は、名前は典型的な日本人だが、南アフリカの生まれだ。今回、日本チームは半分近くが日本人以外の選手が占める。ちょっと複雑な気分。
今朝、英国からパッケージがひとつ届いた。開けてみると、なかに赤いTシャツが入っていた。縦書きというのか横書きというのか分からないが、カタカナで「ラグビー」と書いてある! 送ってくれたのは、30年近く前の英国留学時代に知り合ったウェールズ人の友人。早速着てみた。
2019年9月20日
2019年9月19日
誰が脱いだのか
助手席のドアの外に、スニーカーがきれいに揃えられて脱がれている。
独特の環境保護のスタイルで有名なパタゴニア社を取材で訪ねてカリフォルニアに行ったときのスナップだ。パトカーには、サンタモニカ・ポリスとある。
2019年9月15日
スマホは分身
深圳の貨強北地域は、日本の秋葉原のような場所である。その一角に、スマホの修理を専門とする数多くの工房が寄せ集まったところがある。
こうした修理に携わる技術者はオタクというか、その道のスペシャリスト。見ていると実に見事な手際。こうした彼らがどんなものだって直せるとしたら、どんなものだってコピーすることもできる。間違いなく中国のダイナミズムの一翼である。
2019年9月14日
キャッシュレスは、人に「金」の価値を感じさせなくさせる
店舗とのデータのやり取りは、QRコードが圧倒的に用いられている。スマホを取り出し、アプリを起ち上げ・・・こちらの人たちは慣れているのか特に面倒臭そうにしている人はいない。すべては慣れの産物だろうと独り言つ。
個人的には、キャッシュレスは特段問題を感じないものの、少額の決済の際にも毎回スマホを取り出し、決済するのは思いのほか面倒な気がする。Suicaのような非接触型カードが一番だと思っている。
ただ、中国ではいまやウィーチャット上で個人情報を種々のビジネスにつなげることで、利用者は数々の便益を得ることができるのも確かだ。
個人情報との引き換えの上だが、すぐに慣れてしまうのと、国民性として個人情報がどうなっているかなど国民性としてあまり気にしないから平気なのだろう、たぶん。
2019年9月13日
香港の夜
金曜日に香港入り。その日の夜はCauseway BayにFire Dragon Dance(舞火龍)という100年以上続く催しを見に行く。中秋節を象徴する歴史的な行事で、大変な人混みだった。
2019年9月6日
『アイデアのつくり方』は変わっていない
新聞の書籍紹介欄の「週間ベスト10」の第7位に、ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』を見つけた。
池袋のジュンク堂調べの週間ランキングだが、ビジネス書といった特定の分野ではない。総合部門での売り上げランキングだから、今頃どうして?とちょっと驚いた。
同書の原著初版が発行されたのは1940年。日本での翻訳は1988年に初版が出ている。ヤングは若かりし頃、当時世界最大の広告代理店だったJ・W・トンプソン社のコピーライターとして頭角を現した。
その後、経営者として広告ビジネスで辣腕を振るったが、42歳の時に広告の仕事に飽きてニューメキシコに隠遁した。当時は現代の「人生100年時代」とは違うのは当たり前だが、なんだかうらやましい。
ヤングがこの本で教えてくれるポイントはシンプルかつ普遍的だ。彼が示すのは「アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせ以外の何者でない」ということ(彼がいうアイデアとは、広告のコピーアイデアを指す)と、「広告マンはどんな知識でもむさぼり食うこと。広告マンはその点、牛と同じである。食べなければミルクは出ない」ということ。
彼はまた、カードを使った情報の整理法なども簡潔にではあるけど紹介している。情報を集め、自分なりに整理加工し、いろいろと組み合わせてみること。そしてそれをつねに考え続けていることが肝心だと。そうすればこそ、リラックスしたときに閃きの天使が降りてくるのだと。
最後にヤングが提言するのは、言葉を学ぶということ。セマンティクス(意味論)を学ぶことがアイデア創出に大きな助力となるというのは、僕も大いに賛同するところだ。
この本、著者のヤングが書いた内容はほんの30分もあれば読める。日本版ではその後に竹内均さんの解説がついているが、これがまた素晴らしい。奇をてらった話は何もない。原理原則というか、当たり前のことばかりだが、それを実際に継続したことで多くの仕事を成し遂げた竹内先生のスゴさの一端がわかる。
2019年9月5日
グーグル、お前もか
しかもグーグルが広告主企業に無断で提供していた情報には、人種、健康状態、政治的思想などの高度な個人情報が含まれていたというから看過できない。
同社は、2000年からその行動規範の1つに「Don't be evil 邪悪になるな」を掲げていた。誰よりも大量な個人情報を結果として集めることになるビジネスから、当時の経営者が自制をこめて設定していたはずだ。
僕は今もそうなんだろうと思っていたんだけど、調べて見ると、実は2018年にそのことを行動規範から削除していた。なるほど、そういうことだったんだ。
グーグルでの検索は便利で、残念ながら完全には止められない。だけど、これからはなるべくならプライバシー侵害のリスクのない DuckDuckGo を検索エンジンとして利用しなくちゃと思う。
https://duckduckgo.com/
2019年9月4日
ロケットマン
デビュー前、バンドマンの仕事をアルバイトでやっていたときに、仕事仲間に人生を変えたけりゃ名前を変えなと言われたのがきっかけで、エルトン・ジョンに。結果的はそれは大成功だったと思う。
『ロケットマン』は彼の半生をモチーフにした伝記映画。描かれているのは、彼の少年時代から1983年までの姿である。
冒頭、ファンキーなステージ衣装で進むエルトンが向かう先は、ドラッグ中毒者の更生施設での集団カウンセリングの場。このつかみは、上出来だ。これから語られる最高のロックミュージックとその裏側を観るものに想像させる。
エルトンを演じるのは、ウェールズ出身の俳優、タロン・エガートン。吹き替えなしで唄を歌っている。その歌を評価する声も多いが、僕にはまだ『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディを演じたラミ・マレックの方が許容できる。
エルトンの歌をその時代に聞いてない観客にはそれでも構わないのだろうが、違和感は終わりまで消えなかった。
音楽的には、ポール・バックマスターのアレンジャーとしての才能をあらためて再確認した。彼のストリングスのアレンジが、エルトンの曲に厚みと奥行きを与え、間違いなく音楽性を格段に高めている。
また天才的な音楽の才能をもつエルトンだけど、ほとんどの曲で作詞を担当したバーニー・トーピンとの出会いがなければ、今のエルトンがないのも明らか。レジナルドとバーニーの出会いが、エルトン・ジョンを作った。「邂逅」という言葉の重みを実感する。
それにしても彼の数々のきら星のような曲は、50年たったいまでも色あせていない。
2019年8月26日
風はつかまえられる
マラウイはアフリカの中でも最貧国と呼ばれる国の1つ。国民の8割が農業に従事している。彼の家もそうだ。主にトウモロコシを栽培し、家族が食べる食糧以外の余剰分は市場で売って現金収入にしている。
映画で描かれた(撮影は実際にマラウイで行われた)その土地は茶色く、埃っぽい。降れば土砂降り、という言葉があるが、まさにその土地の気候は大雨が続き、畑の種や土をごっそり押し流してしまったかと思うと、次の季節は日照り続きの干ばつに長期間悩まされる。
マラウイが大干ばつに襲われた年、国中の飢饉のため14歳のウィリアムは親が学費を払うことができなくなり学校から追い出される。
しかし、担任の理科の教師が乗っている自転車の車輪に取り付けられたダイナモ(発電機)に見せられたことから、あるひらめきを得る。人がペダルを漕いで電気を起こせるなら、風で風車を回して電気を起こせばいい。そして、電気をバッテリーに貯えればポンプで井戸水を汲み上げて、乾ききった畑に流し込むことができる。
彼の発想は、問題の解決に向けてシンプルで明快だ。彼はその後アフリカの発明家として有名になったが、彼の素晴らしい点は発明家かどうかより、当時14歳の少年でありながら自分たちが置かれている状況を正確に理解し、その解決のために何が必要かを合理的に判断し実行できたこと。
日照りが続き作物が枯れ果て、備蓄も底をついてきて、ウィリアムの家では食事は1日1回と彼の父親が宣言する。そして悲しげに、自分も先祖たちがやって来たように雨乞いでもするしかないと語る。
しかし学校の図書室で電気の本を見つけて学んだ息子は、雨乞いではなく、科学的な仕掛けで水を畑に引こうと考える。
そうそう、ウィリアムの家では井戸から水を汲んで生活のいろんな側面で利用しているシーンが出てくるが、その井戸からはバケツに括り付けた紐をたぐり寄せて水を汲み上げる。日本でも水道が完備されるまでは井戸を使っていたが、そこにはたいてい手押しポンプがあった。
テレビの時代劇などで見る長屋の井戸には手押しポンプはないが、井戸の上にはやぐらが組まれ、滑車を用いて水を汲み上げることができるようになっている。
それにくらべて映画で描かれているマラウイの井戸は原始的だ。残念ながら工夫というものがほとんどなされていない。水を雨乞いに頼ってしまう心性が、工夫する発想を押しとどめてしまうのだろうか。
ウィリアムが違ったのは、本を読み、自らの問題意識で学ぶ姿勢をもっていたから。
彼は自転車の車輪と発電機を用い、残りの材料は廃材を集めて風車発電の仕組みを作った。風はタダだ。そしていつも吹いている。その風をつかまえることで、作物を乾期でもできるようにした。1年に1回の収穫が2回になった。立派なイノベーションだ。
その後ウィリアムは奨学金を得て進学し、2014年には米国アイビー・リーグのひとつであるダートマス大学を卒業した。手作り風車によって、彼は風とともに自分の未来もつかまえた。
2019年8月23日
レバノン映画「存在のない子供たち」
レバノンの首都ベイルートは、中東のパリと称えられたほど美しい都市(らしい)。彼の地で働いていた友人が、懐かしそうにそこでの物質的にも文化的に豊かだった暮らしを語るのを聞いたことがある。
しかし、彼女は国連職員という身分の特権階級だったからこそ、そのパリらしさを十二分に満喫できたのだろう。
この映画の舞台はベイルート中心部から車で10分ばかり東に向かい、ベイルート川を越えたあたりの貧民街らしい。その程度離れただけで、人々もその暮らしもがらりと変わる。
主人公のゼインは、出生記録がない。親が手続きしなかったから。だから誕生日を知らない。自分の年齢も分からない。彼の兄弟もそうだ。学校には行っておらず、家族の生活を助けるために路上で働く毎日に追われている。
その彼が、妹を傷つけた(彼が言う)「クソッタレ」を刺して少年刑務所に収監される。だが、黙って大人の世界の流れに身を任せるような少年ではない彼は、社会問題を取り上げるテレビの生番組に電話をかけ、「大人たちに聞いて欲しい。世話できないなら生むな」と呼びかける。その番組をきっかけに弁護士が付き、かれは自分を生んだ両親を訴える・・・。
主人公のゼインを演じた少年(本名も同じ)をはじめ主人公はすべて素人である。シリア難民の彼だけでなく他の子供や大人もすべて社会の最底辺で生きていた、役柄に似た人たちだ。映画の中でゼインの弁護士役を演じたこの映画の監督(ナディーン・ラバキー)だけが「本物」ではない。
脚本もよくできてるが、この映画ではそれを画にするためのキャスティング・ディレクターの仕事もまた称賛されるべきだろう。
ゼインやその周辺の人たちの悲惨な境遇は凄まじい。しかしゼインの賢さが少しずつだが変化をもたらし生活を切り拓いていきそうな予感を漂わせる。中東の移民問題にも迫っている優れた一作である。
2019年8月9日
ヨシモト型社会の到来
その格闘に勝利するする最大の方法は、そのままその切り抜きの山をゴソッとまとめて捨てること。何度それができたら楽なんだろうと思ったことか。
今年の5月30日付けの新聞で駒澤大学の井上智洋が「頭脳資本主義、数より質重要」という記事を書いている。AIやロボットが社会に浸透していき、労働力として人間の生産性向上に役立つとともに、一部の人間以外の労働を奪う(代替わりする)ようになると指摘している。
そうなった時代を象徴する言葉が「頭脳労働主義」らしいのだが、オックスフォード大学のマイケル・オズボーンは「雇用の未来」という論文で、今後なくなっていく職業が増えていく一方で創造的な仕事は残り「クリエイティブ・エコノミー」の時代がくると書いた。
クリエイティブ・エコノミーとは、2000年代初頭にリチャード・フロリダが唱えたクリエイティブ・クラスと呼ばれる社会階層が中心となる経済社会をイメージすればよいのだろう。
井上は、日本国民の所得分布は今とは様変わりすると述べる。つまり、正規分布モデルをベーストしたものからベキ分布(ロングテール型)への移り変わりである。
中間層と呼ばれるボリュームゾーンが失われ、そこでは平均や分散といった値は意味をもたない。
かつて、貧富の差の少ない日本の社会構造をもとに一億総中流という国民の意識が一般的だった時代もあったが、それが大きく変化しようとしている。
何日か前に、吉本興業の若手芸人の時給が300円という話をこのブログに書いた。所属する芸人・タレントらの収入はまさにこのロングテール型だ。一部の超売れっ子と膨大な数のほとんど無給に近い売れてない芸人の集団である。
これが芸能事務所だけの世界でなく、徐々に一般の社会にも当てはまるようになるのはどうも避けられそうもない。
そして左端のボリュームゾーンの人たちを守るための最低賃金法の改定やベーシック・インカムの導入といった話題がこれからもっと表に出てくるに違いない。
かつて植木等が映画「ニッポン無責任時代」で演じた主人公の名前は、平均(たいら・ひとし)といった。どこにでもいそうなニッポンの無責任なサラリーマンを拡大戯画化して描いたものだが、もうこれからの日本に平均(たいら・ひとし)はいない。
2019年8月6日
闇営業と副業の違い
今日のN本経済新聞は、こう書く。
芸能界のコンプライス(法令遵守)が話題になっている。吉本興業では所属タレントが会社を通さない「闇営業」で反社会的勢力の集まりに出席していたことが発覚。ジャニーズ事務所を巡っては、テレビ局に同事務所を退所したタレントを出演させないよう働きかけた疑いがあるとして、公正取引委員会が注意した。「闇営業」が批判されるべきと言いたいのか、反社会勢力の集まりに芸人が出席したことが許せないと主張しているのか判然としない。あえて判然とさせてないように思う。
芸人が所属している事務所を通して仕事しようがしまいが、それは彼らの間でのこと。新聞記者がどうこう言うことじゃない。また反社会的勢力の集まりに顔を出したのがコンプライアンス違反だと糾弾したいのであれば、その前にそうしたことを日常的にやって来た政治家を指弾しなけりゃ筋が通らない。
政治家は怖いから物が言えないけど、芸人をよってたかって叩くのはたやすいからそうしてるだけと見られてもしかたないだろう。
ジャニーズ事務所がテレビ局に働きかけたというのも、さもありなんだろう。もちろんおかしいし、上品なことじゃない。だけどテレビ局が大人なら、それを無視すればいいだけの話だ。周りがしょうもない正義感をふりかざす必要には及ばない。
記事の冒頭で、法令遵守と括弧付きでコンプライアンスなどときいたふうな言葉を振りかざしながら、その本当の意味を分かっていない記者が薄っぺらい知識でテキトーに書いた記事。だからか署名もない。
また記事に、
「吉本」「芸能人」などの言葉を含む491件のツイート(10%サンプル値)を分析した。とある。最近は、ツイートで誰が言ったか分からないような言説をもとに、新聞記者はさもそれが世間の見方のような記事を書くのか。楽なもんである。
ところで記事中の(10%サンプル値)って何だ。これまで市場調査を多数やってきたが、こんな書き方見たことない。新聞社の他の人たち、意味が分かってるの?
「闇営業」という言葉がこの事件(?)をきっかけに普通に使われるようになったようだけど、それって何かよく分からない。所属する会社の正規のルート外で仕事しただけと違うのか。
「闇」だとか、そこまで大げさな表現を振り回す必要があるのだろうか。「闇」と「副業」とは何が違うの。
むかし広告の制作やイベント・プロデュースの仕事をしていたとき、勤めていた会社の本業以外のそうした仕事は単純に「アルバイト」と呼ばれていた。能力のある連中ほど他社から声がかかり、アフターファイブにこなしていた。ただそれだけのこと。
2019年8月2日
風穴の開け方
重度の身体障害をもち、脳性麻痺の診断も受けた木村さんが手足で動かすことができるのは右手だけだ。舩後さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)で、声を発することができない。が、目と口の動きで意思を伝えることができる。
国会の歴史の中で、こうした重度障害者が議員として登院することはなかった。だから議場のバリアフリー化などの改修工事が今回なされることになった。「賛成の方はご起立ください」と議長が言っても立ち上がることができない二人は、介助者がその場合代わりに手を挙げて賛成を表明する。
多くの人たちが多様性が重要と判を押したように叫ぶなか、心の中ではこうした二人のような国会議員の姿を想像すらしなかった。その多くの人たちの心の隙間に風穴を空けた山本太郎という男はなかなかだ。
れいわ新選組が獲得した票数である228万票は有権者全体のわずか2%に過ぎず、ミニ政党の域を出ていない、と評する政治学者もいるようだけど、数じゃないんだよ。アイデアのインパクトなんだよ、注目すべきなのは。
これまでの長年の政治の世界に向けた人々の気持の中の閉塞感が変わっていくことを期待せずにはいられない。
2019年7月30日
時給300円で人は生きていけるか
1回の仕事のギャラが1円だったとか、一週間拘束されて仕事した報酬が一万円だったとか聞くと同情に気持は傾く。
ただ、なぜこれまで誰も本人たちが声を上げようとしてこなかったのか。こうしたきっかけがないと動き出せないのがちょっと情けない感じがする。
そもそもが会社に管理されて給料もらって、最低賃金保証されて・・・というのはあまり芸人らしくはない。社会からなんだかんだいってはみ出して、河原乞食とまではいわなくても、堅気の社会人であることに背を向けた連中が芸人だというのは、今ではおかしな発想なんだろうか。
以前は芸人を目指すということは、師匠を見つけてその弟子となって芸やその世界のしきたりを体で覚えながらやっと一人前の芸人になっていくという道筋がほとんどだったように思う。
それがいつの間にか「事務所」と呼ばれる会社の養成所を経てデビューし、マネジャーに世話を焼かれてテレビに出るのが芸人の生き方になった。吉本興業やジャニーズが代表格だ。そこには雇用主と被雇用者の関係があって、師弟関係はない。
テレビ局や制作会社なども大手の事務所を通して出演者をブッキングするのが楽で便利なので自分で新しいタレントを探して育てようとはしない。今の状況を作った最大の責任はテレビ局にあるというが僕の見立て。
ここでもまた流れがなく、水がどんよりと淀んでいたのだ。その深いところには汚泥がたまり、メタンガスが立ち上り、異臭を放っていた。それが今回のひょうんなことから水面に泡がひとつまたひとつと吹き出て、多くの人の知るところになった。
2019年7月25日
日産スタジアムで花火
周りにいた子供たちがひとつひとつの打ち上げに歓声をあげるのが面白い。ただ、会場周辺の警備があまりにも型どおりというか、土手の上にだって「危険ですから立ち止まることはできません!」ってメガホンで怒鳴られる。何言ってんだろうって・・・。
2019年7月22日
老年よ、海外をめざせ
「海外姥捨て山」とか「老人の輸出」といった批判がなされたことが背景のひとつにあった。しかし、改めてそうした人生後半の過ごし方をもう一度真剣に考えてもいい時期かもしれない。
そのためにも機会を見つけて、まずは外国にいろいろと出てみることだ。言語も含めて、日本のぬるま湯的な社会環境とは違うなかで折り合いをつけながら日々を楽しく過ごせるようにするトレーニングを積んでいく必要はある。
定年後も働くということ
2019年7月20日
参議院議員の被選挙権年齢に合理性はあるか
参議院議員の被選挙権年齢は30歳から、衆議院は25歳からである。その年齢差には「良識」の差が関係している。参議院は「良識の府」と位置づけられているらしい。そのため任期は6年間で、解散はなし。対する衆議院は任期4年で解散がある。
じっくり長期的視点で国政を考え実行してもらおうというのが参議院の位置づけになっている。だがちょっと待てよ。だからといって参議院をあえて「良識の府」と呼ぶのはそもそもの問題があるだろう。衆議院はそうでなくても構わない、仕方ないという考えが裏側にあるわけだから。
もうひとつ。25歳は良識をとわれなくて、30歳になれば良識があると判断していることの論理的合理性の所在の問題だ。誰が決めたのか、その根拠はどこにあったのか?
ちなみに米国も、上院と下院で被選挙権の最低年齢は30歳と25歳と5歳の違いがある。ただこれを年齢差別と指摘する声は聞かない。らしくないな。不思議だな。
2019年7月15日
見習うべきひとつの男の生き方
この映画は、レッドフォードが役者としての引退作だと宣言して出演した作品。彼は現在82歳。これからはスクリーンに出ることはなく、監督や製作担当者として映画にかかわるのだろう。
そう言われて観れば、スクリーン上のレッドフォードもさすがに老いた感じは否めない。1936年生まれだもの。だけど人が年をとるのは当たり前で、共演しているダニー・グローバーは73歳、トム・ウェイツは70歳である。映画の中でレッドフォードが演じたフォレストがたまたま出会い、心引かれる女性を演じたシシー・スペイセクも70歳だ。ホントこの映画出演者の平均年齢は高い!
2019年7月12日
JR東海社員 入社5年目
日本橋口は東海道新幹線だけのための改札である。それを知らず、在来線や地下鉄を利用しようとする客が間違って入ろうとすることが多いのだろう。そうした人に向けての手書きの案内だ。
そこに添えられたイラストは、もちろんプロの出来映えではないけど、書き手が電車や駅が好きなんだという気持が伝わってくる。
そのイラスト、誰が描いたのか、みどりの窓口のスタッフに聞いたら「えっ、イラストってなんですか」と返ってきた。10メートル先の自分たちの駅の改札前に置かれているホワイトボードに何がいま書かれているか知らないのだ。忙しいのか、興味がないのか。
調べてもらったら、入社5年目のJR東海の男性社員の手になるものだとか。それなりに時間もかかったろうに。なんかいい感じだ。
2019年7月5日
ペーパーバック版が出た
https://www.routledge.com/Internal-Marketing-Another-Approach-to-Marketing-for-Growth-1st-Edition/Kimura/p/book/9780367350659
日本に比べ、欧米のハードカバー書籍はとても高い。僕の本もハードカバーは100ポンド以上もして、ちょっと知り合いにも勧めにくかったというのが正直なところ。それが今度は30ポンドを下回る価格に設定されている。より広い読者に手に取ってもらえそうだ。
日本のアマゾンでは、このリンクから。
2019年7月4日
2019年7月3日
商売より投票、金より地球
見上げたものである。真剣に社会を考えるということは、ここまでやることだと教えてくれる。しかも、「みんなで投票に行こう」じゃなく、自分のところの社員のためにという発想が素晴らしい。押しつけがましさや「ええかっこしい」的なスタンスからも離れている。
パタゴニアの社員はもちろん投票にいくのだろう。そして、それに釣られて多くの人たち、特に若い人たちが投票所にむかうといい。
https://voteourplanet.patagonia.jp/?in=921 |
2019年7月2日
自家製枝豆でビールを
取れた枝豆は30房ほど。水で洗い、塩もみし、沸騰したお湯で4分ほど茹でる。茹で上がったらザルで水気を切って終わり。
見た目はあまり良くないが、美味しい。自分が育てたからか。100パーセント自然栽培である。
2019年6月25日
人々の未来を作る図書館
ドキュメンタリーを得意とするフレデリック・ワイズマンの手によるNYPL(New York Public Library)を余すところなく紹介した映画だ。
NYPLは、マンハッタンの40丁目から42丁目にかけて位置している。タイムズスクエアとグランドセントラル駅のほぼ中間あたり。Public(公共)library となっているが、公立の図書館とはちょっと違う。市からの財政支援も受けているが、それと併せて民間からの寄付で運営されている独立法人だ。
図書館の裏は、ブライアント・パーク。これが公園としてまた素晴らしい。夏には芝生の上で映画の上映会なんか開かれていて、在外研究でコロンビア大学に在籍しているときにはよく出かけた。
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/bryant-park-summer-film-festival.html
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/11/blog-post_14.html
NYPLは88の分館を含む全92館の図書館のネットワーク。とにかく日本の図書館では考えられないような「サービス」の数々を実現している。日本のように本を所蔵し、貸し出すだけではない。地域の人たちの学びの場であり、コミュニティの場であり、子供たちの学習の場であり、新しい仕事を探し人生を築いていくための場所。アメリカの民主主義をどこよりも体現している場所といっていいかもしれない。
1911年に竣工されたダウンタウンにある本館の閲覧室は、厳粛な雰囲気を漂わせているが、基本的にはこの図書館はとても市民に対して敷居の低い図書館で、だれもが本当に気軽に日常的に使えるように考えられている。
この映画の中で誰かが言っていた。「図書館は、本についてのものではありません。図書館は本を所蔵するところではありません。図書館は、人についてのものです。人が知識を得るために本が整えられているのです」。簡明にして至言だ。
この図書館を使うためだけにでも、またNYに住んでみたいと思った。
ただ映画は3時間26分と長く、途中で10分の休憩が入る。ひとつひとつの挿話が冗長と感じられるものが多く、少し疲れたのが残念。
2019年6月18日
テレビのニュースはもうこれでいいや
なぜそんなことを覚えているかというと、僕が初めて転職した年だから。大学卒業後8年間つとめた広告会社を辞めて航空会社に移り、昭和天皇の健康状態などを報じるニュースを気にしながら仕事をしていた記憶がある。天皇の健康を気遣うというより、崩御の際の業界への影響を考えていた。
筑紫さんはその後2007年に亡くなるのだが、その前年まで彼がキャスターやっていた「ニュース23」が僕にとってのニュース番組だった。当時は仕事で帰宅するのが遅く、彼の番組くらいしか最初のトップニュースを見られなかったという状況もあった。
長年見ているうちに、無意識にも彼のものの考え方は僕に移っていったような気がする。それと、早く帰宅できた日は、10時からの久米宏「ニュース・ステーション」を見ていたようにも記憶している。
その後だが、とくに決まって見るニュース番組はなくなった。見るとも聞くともなく、適当にチャンネルを変えながら見ているといったところ。気になるのは、ニュースとバラエティの境界がもうなくなっていること。最近は、CNNやBBCをBSで見る方が多くなった。
最近は夜11時25分からのNHK「ニュースきょう一日」を見ている。15分間の短いニュース番組だが、その日の主要なニュースをコンパクトに要点をつまんで伝えてくれる。井上あさひさんという女性キャスターの出身地が僕と同じで、卒業した中学校も同じというのも何か縁を感じる。テレビのニュース番組は、もうこれでいいや。
https://www4.nhk.or.jp/news-kyou1/
2019年6月12日
呆れた大臣
この報告書は老後の資産形成を呼びかけ、議論のきっかけとする狙いで審議会が作成したものである。それを大臣である麻生が受け取らないというのは非常識であり、理解をこえている。
記者会見でその理由を問われて、「政府の政策と全然違うから」だと説明した。
自分たちにとって都合の悪いことは、聞かない、見ない、受け取らない、つまりなかったことにすれば済むと考えているわけだ。政治家としてきわめてタチの悪い振る舞いと言わざるを得ない。
しかも一昨日の参議院決算委員会で野党議員からその報告書を読んだのかと問われたときは「冒頭の部分に一部目を通した。全体を読んでいるわけではない」と回答したという。
2019年6月4日
ヤフーの信用度はわれわれが点数づけしよう
点数が高くつけられた者にはポイントが与えられるという。ありがたや、ありがたや。
利用者個人には、それぞれの点数は知らされることはない仕組みになっている。一方で企業がヤフーとこのプログラムで提携するとユーザーのスコアを無料で手に入れることができる。ヤフーはというと、提携企業からさまざまなデータを入手することが目的だ。
消費者には何がどう起こっているのかがブラックボックス化されたまま、胡散臭い連中が適当にデータをいじり回して個人のプライバシーを金に換えていく。
そろそろ気を付けて、ヤフーの使い方を工夫していかなきゃならないようだ。
2019年5月4日
右脳か、左脳か、両脳か
出品点数は22点のみ。しかもどれもサントリー美術館がもともと所蔵している工芸品だ。ポイントはそれらを右からと左からの2つのルートで見て「感じ」「考える」というところにある。
「最初は黒のルートでどうぞ」と勧められたのは、22点の工芸品を観客が自分の眼(まなこ)で虚心なく鑑賞するためにしつらえられた展示。極力、ものとしての作品以外の情報が観客に伝わらないように工夫されている。
一方、白のコースには、それら工芸品が供えている様々な意匠や工夫が鑑賞する人に分かるような説明的な展示が施されている。それらの作品についての詳細な説明が歴史的、工芸的な側面から文章とイラストでなされている。
これら黒のコースが inspiration、白のコースが information という訳だ。展示会タイトルの副題は「左脳と右脳でたのしむ日本の美」とあり、白コースが information を表す右脳コースで、黒コースが inspiration の右脳コースを示している。
脳がまたブームである。人類にとって宇宙とならぶ未知の領域だけに、テーマとしてはまさに鉄板ネタともいえる。
経営学の分野でもそれをネタにした本が最近またぞろ登場してきている。大学での同僚の内田さんが出した「右脳思考」や佐宗邦威「直感と論理をつなぐ思考法」などがそうだ。
前者は分かりやすく右脳と左脳という言葉を直裁的に用いていて、後者は右脳、左脳という用語は用いず直感と論理と表現している。また、前者は右脳を優先させる思考によって、後者は直感と論理をつなぐことによって新たな視点を手に入れ、ひいてはビジネスの成功がもたらされると説く。
米コロンビア・ビジネススクールのウイリアム・ダガンが2010年に出した「戦略は直観に従う」につながるビジネス書だが、日本でのはしりはといえば30年以上前に脳生理学者だった品川嘉也さんが書いた「右脳ビジネス」だろう。脳が永遠のテーマと言える所以だ。
左脳ではなく右脳を活かせとか、直感(右脳)と論理(左脳)をつなげとか言われても、実際どうしたらよいものか悩んでしまう。右手左手、右足左足のように本人に見えるわけじゃないからね。
2019年4月27日
休めないニッポンがある
それにしてもなぜ「一斉」なのか。調査によると、日本の企業などで働く人たちは他国の人に比べて多くの有給休暇を与えられている。しかし問題は、いやそもそも問題かどうかの判断すら難しいが、その半分ほどしか日本の労働者はそれを使っていないらしい。
いま僕が勤務している組織にはタイムカードがない代わり、有給休暇という制度もない。しかし20年ほど会社勤めをしていた80年代と90年代は1日たりとも有給休暇を残した年はなかった。そんなこと自慢するようなことじゃないけど。
国が先導してこうした連休、つまり国民の休日をやたら増やすのは問題だと思っている。同じ時にみんなが休めば、いろんな不合理が発生するのは誰でも分かる。交通機関も観光地も混雑し、ホテルや航空運賃など旅行代金はその間高騰する。
日本という国では仕事を休む日にちまで国が"指導"してくれる。そのうち、子供を産むタイミングや我々が死ぬ時期まで国が決定するようになるかもしれない。いや、冗談じゃなく。
連休中でも仕事柄休暇をカレンダー通り取ることができない人もたくさんいるだろう。また日本の被雇用者の4割近くを占める非正規で働く人たちは、休んだ分だけ収入が減ることになる。そうした個人だけでなく、中小企業のなかにも稼働日が減ることで売上がその分減少し経営に大きな影響を受けるところも多いだろう。
とすると、国が定めた大型連休をその通り享受できるのは、大企業かお役所に正規社員、正規職員として雇用されている人たちだけ。
国は連休を制度として制定することが国民に対するプレゼントのように考えているようだが、まったく大きなお世話である。
2019年4月23日
つまらない規則から若者を解き放て
2019年4月22日
スリランカでもテロ
爆発が起きた箇所の1つの名に目を引かれた。狙われたシナモン・グランドホテルは、2015年2月にJICAの仕事でコロンボを訪れた際、3日間ほど投宿したホテルだったからだ。
滞在中はいろんな人から長年にわたる内戦のこと、民族間の諍いのことを聞かされた。でも当時、それらは落ち着き、昔そうだったような穏やかな暮らしを人々は取り戻していた。
今回の事件はまだ原因が解明されていない。連続的な事件につながらなければいいけど。
後日、スリランカからの留学生と話した際、今回の事件で彼の自国の友人の2人の姉妹が犠牲者になったと聞かされた。
シナモン・グランドホテル近くの幹線道路 |
2019年4月18日
丁寧すぎて分かりづらい日本語
そんな彼女が「市役所や銀行で使われる言葉は敬語も多く、丁寧すぎて一番分かりにくい。やさしい日本語を使ってください」と語っていたことに考えさせられる。
丁寧な日本語か、やさしい日本語か。決まったルールはもちろんないが、相手に合わせて話し方や使用する語彙を使い分けるのが当然だろう。組織からおしえられた話し方を盲目的に身につけるだけで、相手に伝わらない日本語を使っているとしたら恥ずかしい。
2019年4月16日
みそと日本
腰が引けた広告表現ばかりだとウンザリしながらも、ネットに企業の関心と予算が急速にシフトするなかこうした流れ、つまり広告表現の凡庸化は仕方ないと諦めていた。
そんなとき、こうした広告を見ると「頑張ってるじゃないか」と応援を送りたくなる。
今朝の新聞1面のコラム横、横4.5センチ x 縦6.5センチほどの小さな小さな広告スペース。
コピーは「おみそがダメになったら、日本もダメになると思う。タケヤみそはそんな気持で、一所懸命におみそを作っています」。ど真ん中、ストレートな表現に味噌屋としての矜恃を感じる。
LGBTQのQとは
メインの出し物は「シドニー ゲイ&レズビアン合唱団」のコーラス。シドニーを拠点に活動する1991年に設立された「多様性あふれる」合唱団である。パワフルな歌声を12曲ほど披露してくれた。
70名を超える団員がいるらしいが、今回はその中の30〜40名が来日して東京、京都、福岡で公演を行う。
大学を舞台にしたアウトリーチ活動ということもあって、コンサートの途中で結構長々と人権や平等といったことについての講演がはさまれたが、そこでLGBTQという言葉を彼らが何度も使っていたのが気になった。
最後のQとは何か気になり、帰ってから調べると、それはQueer あるいは Questioning を指し、LGBT以外のジェンダーマイノリティのことだったり、それすら自分でよく分からない人たちをQで示しているらしい。
ウルトラQと同じだ。
2019年4月15日
世界を変えた一枚
初めてこれを見せられたら、人は何だと答えるだろう。焦点のぼけたシュガードーナツの写真とか。人は自分の周りの知っているもの、今まで見たことのあるものにそれを重ねようとする。
今年は、一般相対性理論が歴史的な実験によって初めて実証されてから100年の節目の年に当たる。
2019年4月10日、イベント・ホライズン・テレスコープの研究チームは世界6か所で同時に行われた記者会見において、巨大ブラックホールとその影の存在を初めて画像で直接証明することに成功したことを発表した。
今回撮影されたのは、おとめ座銀河団の楕円銀河M87の中心に位置する巨大ブラックホール。このブラックホールは、地球から5500万光年の距離にあり、その質量は太陽の65億倍。
どちらの数字もその規模の想像すらつかない。最先端の科学は哲学的だ。
2019年4月7日
「ひこうき雲」から45年
何かちょっと気になり、買い物のビニール袋を手に当日券売場へ。ちょうどあと10分でその窓口が開くタイミングだった。シャッターが降りたままの窓口には「当日券・立ち見席」と張り紙がしてある。
立ち見はいやなので、指定席券があるかどうかに賭け並ぶ。「会場の機材取り外しのため席がでました」とやらで指定席が手に入った。9720円也。
コンサートのコンセプトは、TIME MACHINE TOUR。彼女のデビュー45周年を記念したコンサート。これまで彼女がやって来たコンサートからのピックアップ、ダイジェストといっていい。アンコール入れて2時間半。
彼女がデビューしたとき、僕は中学三年。だから勝手に、コンサートのお客さんは僕と同じ年か少し上だろうと思っていたが、一回り、二回りも若いお客さんがほとんどだ。ユーミンがそれだけ長くソングライターとして活躍している証拠だな、これは。立派なもんだ。
コンサートは「ベルベット・イースター」で始まり、「ひこうき雲」で幕を閉じた。どちらも彼女が19歳(!)の時にリリースした初アルバム「ひこうき雲」からの曲。うちに帰ってからあらためてそのアルバムを全曲を聞き返してみた。今さらながらだが、詩が洗練されていて完成度が高い。あらためて彼女の才能を確認させられた夜だった。
2019年4月4日
見えてるものと見えないものの間
2019年4月3日
ライフ・イズ・ゴーイング・オン、そして女は強し
映画館の音響設備にもよるのだろうが、僕が今回観た横浜のイオンシネマの劇場では音が270度位の角度から耳に流れ込んできたような印象があった。自分が家の中のソファーに座り、右手に立つ女性が電話で話している一方で、左手の方からは子供たちが遊ぶ声が聞こえてくるような、そんな臨場感あふれる音響の作りだった。
2019年4月2日
探し物を見つけるコツは、探さないこと
2019年4月1日
広告に一番たいせつなのは「らしさ」
ところで、今日の新聞の全面見開き広告にこんな広告が載っていた。小渕恵三よろしく、香川照之がキンチョールと書かれた額を思いっきり神妙なおもむきで掲げている。これを見た誰もがニヤッとしたことだろう。