2019年7月22日

定年後も働くということ

日本の大手企業で、これまでならば定年で会社を去っていくはずの社員を、そのまま役職につけたままで雇用し続ける例がいつか見られるようになってきた。
もちろん全ての定年を迎える社員をそうやって雇用延長するわけではないが、企業とすれば年齢に関わりなく優秀な人材を組織の中に留め、活躍してもらうというのはきわめて合理性に沿った判断である。今さらながらにしてやっと、という気がする。
2000年代あたりだったと思うが、家電産業を中心に日本企業から多くの優れた技術者たちが中国や韓国の企業に流れた。ソニー、パナソニック、シャープ、当時の三洋など、枚挙にいとまがない。
それらの企業は深く考える事もなく、それまでやってきた社内の紙の上での決まりに沿って人材を社外に押しやった。それまで優れた研究開発の業績を上げてきたにもかかわらず、ただ定年だと言うことで仕事を取り上げ、会社から追い出してしまった。
まだ働きたいし、能力を活かすことができるエンジニアたちは、こぞって中国や韓国からのスカウトの話に乗って海を渡ったのである。結果として外国の多くの競争相手に貴重なノウハウや知識、経験を与えてしまうことになり、長年にわたって日本企業の中で培ってきた優れた技術を中国や韓国の企業に移転することになった。
日本企業は、やがてそうした国の家電メーカーに対して競争力を失っていった。しかし日本企業の経営者たちは、そうした実体を知っていながら発想を変えることをせず看過していた。
なぜその当時から、能力がある社員は年齢に関わらず社内で活躍し続けてもらおうと考えなかったのか。合理性から考えれば至極当たり前のことを、どうして日本企業の経営者たちはできなかったのだろう。