2019年7月22日

老年よ、海外をめざせ

金融庁の審議会が、老後ひとりあたり2000万円の生活資金が不足するという報告書を出したのをーつのきっかけとして、民間の機関が個別の事情を深掘りする独自の調査報告を相次ぎ公表した。ニッセイ基礎研究所、第一生命経済研究所、日本総合研究所といったところからだ。
それぞれの調査の方法は独自の基準に基づいて行われているが、どの機関も公的年金だけで生活水準を保つのは難しいとしている。現役世代で十分な資金があるのは2割だという試算も出した。結果として、長くなって行く寿命に合わせて生活を成り立たせていくためには、上手に資産運用をすることと長期間働き続けることで収入を得続ける環境が肝心だと結論した。
定年で仕事を終えたあとは、退職金と年金で余生をゆったりと過ごすという、ついこの前までの日本人の人生の晩年の過ごし方に大転換が迫られているわけだ。なんなんだと思う。
100年人生だとか言われてるが.長生きすることが果たして幸せなことなのかどうか。多くの人が真剣に考え、身につまされることになるだろう。
経済的な視点からは、貯蓄が限られ退職金や年金が限られる中で生計を営んでいくためには、不足する分を自分の力でその後も稼ぎ続けるか、家族や周りに食べさせてもらう方法しかない。
しかし稼ぐ代わりに、限られた持ち金でそれなりの生活をし、幸せを感じながら生きていく方法を探し求めてはどうだろう。
一つは金銭的な経済に頼りすぎない生活をすること。例えば、土地の余っている田舎に生活の場を移し、田や畑を耕し、自分たちが食べていくための自給自足に近い生活をするという道だ。
あるいは、日本より物価の安い外国に移り住むという方法はどうだ。1980年代後半に当時の通産省がシルバーコロンビア計画というのを発表した。
スペインや、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、そしてアジアのタイやマレーシアなどがその対象国だった。日本より物価の安いそれらの国に移住し、残りの人生をゆったりと過ごしてはどうだっという考えである。実際のところはうまくいかず、計画は頓挫した。

「海外姥捨て山」とか「老人の輸出」といった批判がなされたことが背景のひとつにあった。しかし、改めてそうした人生後半の過ごし方をもう一度真剣に考えてもいい時期かもしれない。
例えば日本より物価が5分の1といった国では、日本で暮らすには不十分と思われる年金の額でも生きていくことはできる。

そのためにも機会を見つけて、まずは外国にいろいろと出てみることだ。言語も含めて、日本のぬるま湯的な社会環境とは違うなかで折り合いをつけながら日々を楽しく過ごせるようにするトレーニングを積んでいく必要はある。
また食事にしても、外国で日本と同じような食事が普通にできるわけではない。現地の食事に慣れていくか、あるいは自分で工夫をして料理を楽しむしかない。そのためには、男だろうが何だろうが台所に平気で入り、自分の知恵と経験でどんどん料理を工夫し作っていくくらいの応用力は必要になる。
つまりは、今までと違う環境に自分の身を投じて、そこに自らを合わせていく柔軟性や自分の好きな料理をアイデアと工夫で作っていくといった、人間の基本的な能力といったものが最後は鍵になる。