2012年12月8日

真夜中のカーボーイ

リンカーンセンター内の劇場で『真夜中のカーボーイ』を観る機会があった。

公開されたのは1969年。40年以上むかし。60年代終わりから70年代にかけて作られたアメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品の一つで、学生時代に高田馬場にある早稲田松竹で観たのが最初だったと記憶している。

監督のジョン・シュレジンジャーが英国人だということは、今日まで知らなかった。てっきり米国人と勝手に思い込んでいた。そう考えてみると、どこか Englishman in New York の視点で描かれているような気がしてくる。

ニューヨークを舞台にしていながらエンパイヤステート・ビルのショットやセントラクパークを映した場面などは登場しない。マンハッタンを上から見下ろした空撮など一つもない。ニューヨークという街に対する共感の度合いが低いのである。

ゲイの中年男性や売春婦、マリワナパーティなどの風俗も描かれているが、英国人であるシュレジンジャーがその当時のニューヨーク、あるいはアメリカに見たのは、社会の底辺で喘ぐ下層階層と中産階級の対比だったのではないかと思った。自由の国アメリカは、英国と変わらぬ階層社会だったわけだ。

この映画のなかでもっとも気持ち悪かったのは、ラストの場面で主人公の2人がマイアミ行きのバスの中で乗り合わせる、他のアメリカ人乗客たちである。異端者に向ける冷ややかで醒めた視線が、映画が撮影された当時のアメリカの一般的な「世間」なのかどうか分からないけど、シュレジンジャーにはそう写ったのだろう。


2012年12月7日

秋学期のコンサル授業終了

今期、コロンビア・ビジネススクールでコンサルティング関連の講義をふたつ覗かせてもらっていたが、今日ですべて終了した。それぞれ、McKinsey & Company と Booz & Companyの出身者が担当する授業だ。

マッキンゼー出身の講師は、MITで数学を専攻して修士号と博士号の学位を取っているインド人。配布資料を見ても、思考がすごく緻密で論理性が高いことが分かる。インド人独特の英語のなまりが強く、話していることが時々分からないのが難だった。

もう一人は南米の出身。ブーズのNY事務所でシニアVPを勤めていたが、リタイアしようと思っていた頃コロンビアから誘われてビジネススクールに来た(米国の企業では、石を投げればVPに当たる。VPは日本企業で云えば課長あたりのレベル。日本人が思っているところの上級管理職は、頭にシニアかエグゼクティブが付くVP以上である)。

若い頃、ウォートン(ペンシルベニア大)でDoctor candidate まで進んだが、事情があって実務界に就職したと言っていたから、もともとアカデミックな世界に興味があったのだろう。新興市場参入のための市場分析の際に、マクロ経済的な指標を用いた高度な分析手法を採用していたのも頷ける。最終講義が終わった日、彼と食事を一緒しながら彼の奥さんが日本語ができることをなにげなく話された時はびっくりした。

コロンビアでは、コンサルティング会社は投資銀行とならんで学生の人気就職希望先で、コンサル関連の授業には多くの学生が集まる。大学もそのあたりのことをよく分かっていて、コンサルティングの実例を学生に講義できる講師を客員として招き、学生のニーズに応えている。開講講座は、学生と世の中にニーズに合わせて柔軟に変更される。

一方、大学の正規教員はコア(必修)科目を体系立てて教えることが求められている。それと当然ながら、彼らには研究の義務がある。正規教員と客員教員で、役割が合理的に分担されている。


2012年12月6日

衆議院選の投票を終えて

在外投票が今日から始まったので、ミッドタウンにある領事館を訪ねた。夕方の締切間際、僕がこの投票所で88人目の投票人だった。投票を終え、外に出たらもう暗い。


この季節、募金を集める救世軍の鐘の音が街角の方々で聞こえる。近くで夕食を済ませた後、ロックフェラーセンターへ立ち寄った。クリスマスツリーが飾られてから初めて訪れたが、ツリーは意外と地味だなあという印象。


その後、タイムズ・スクエアを経由して地下鉄の駅へ向かう。あれ、アップルストアがこんなところに、と思ったら、よく似たマイクロソフトのショールームだった。ガラス張りの店の感じ、店内のテーブルの並べ方、商品(Surface tablet)の展示の仕方、スタッフのユニフォーム、すべてがアップルの真似と言っていい。この店の存在はこれまで気がつかなかったが、10月24日からオープンしているらしい。


マイクロソフトの店を出た後、路上で名物パフォーマーのNaked Cowboyに会う。今日は陽が沈んでからは気温が下がり、手袋が必要なくらい風が冷たいにもかかわらず、彼は裸。これから、彼がパフォーマーとして真骨頂を発揮するシーズンだ。

元気だ
地下鉄の構内で。意味は良く分からなかった。

2012年12月4日

Life of Pi

アン・リー監督の新作『LIFE of PI』は、今年50回目を迎えたNew York Film Festival でオープニング日のワールド・プレミアで公開された作品。その公開時に観ることができず、ずっと気になっていた。一般公開されたのを機に今晩観に行った。

 
原作はヤン・マーテルの小説。2002年に出版され、その年のブッカー賞を受賞している。日本語訳も出ている。タイトルは『パイの物語』。2004年に竹書房から出版されているが、単行本は絶版になっているようだ。日本ではあまり読まれていない本なんだろう。

マーテルという作家は1963年にスペインで生まれ、コスタリカ、フランス、メキシコ、アラスカで育ち、成人してからはイラン、トルコ、インドで暮らしてきたという。そのなかでもとりわけインドが彼に与えた影響が大きかったということか。

この映画は、アン・リー監督にとってはCGを本格的に使った初めての作品である。かつては特殊効果と呼ばれていたCG映像は、いまでは映画制作にとって不可欠なものになってきている。リーはその効果を自分なりに試そうとしたのだろう。先月観た『クラウド・アトラス』(★★☆)もそうだが、CGを屈指しなければ作れなかった物語が、どんどん映像化されていく。

この物語を題材に選んだところは、アン・リーらしい。SFや戦争ものではきっと発揮できなかった、彼ならではの映像センスをコンピュータの力を借りて実現している。

物語も映像も音楽もすばらしい! ★★★★☆

http://www.lifeofpimovie.com/

2012年11月26日

サックスの壁面ディスプレイ

五番街にある老舗百貨店、サックス・フィフスアベニューの正面側の壁面一面にクリスマス・シーズンらしい映像が映し出されていた。友人と夕食のレストランに向かう途中、思わず見上げてしまった。


2012年11月24日

K46歳になった

今日は誕生日。我が家では、50を境に独自のカッパ年齢* を採用することにしているので、K46歳である。来年は、K45歳になる。生きていればだが、2058年の今日にはめでたくKゼロ歳になる勘定。

* 芥川龍之介『河童』、あるいはフィッツジェラルド『ベンジャミン・バトン』。

クリスマス・シーズンの始まり

僕は、朝9時までに大学に到着するようアパートを出ることにしているのだけど、ロビーで今朝出かけしなに見た感謝祭の飾り付けが、夕方帰ってきたらクリスマス・ツリーに変わっていた。


ニューヨークの街は、これからクリスマス一色になる。

2012年11月23日

Thanksgiving Dayのパレード

11月第四木曜日は、米国の感謝祭の日で国民の休日である。ニューヨークでは、百貨店のメーシーズがスポンサーとなった巨大なバルーンを中心としたパレードが多くの人を集めた。

この日は、朝早くからパレードの会場となったセントラルパーク・ウエストとブロードウェイは身動きができないほどの人で賑わいを見せる。

僕はまず、59丁目のコロンバスサークルへ地下鉄で出かけてみたが、地上への出口の多くは閉鎖されている。なんとか人をかき分けながら地上に出るが、規制が引かれていて近くへ行くことができない。そこで、また地下鉄に潜り、今度はパレードの終点である34丁目へ。ここでもまた、すごい人出。

パレード終点の34丁目周辺の賑わい
セガのキャラクター、Sonic the Hedgehog
The Pillsbury Doughboy
出番を待つ大カメ?

2012年11月22日

Bob Dylan のコンサート

今年9月にオープンした、ブルックリンのBarclays Centerでボブ・ディラン、マーク・ノップラーのコンサートがあった。この巨大な建物は、コンサート仕様で1万9千人を収容できる。中は、日本武道館をある一方向に引き伸ばしたような感じである。

開演前の館内の様子。

コンサートは当初午後8時開演の予定だったのだけど、一週間ほど前にどういう理由だか分からないまま、メールと電話で7時半に変更になったという連絡が入った。

マーク・ノップラーのコンサートで幕が開き、休憩を挟んでボブ・ディランのコンサートに。コンサート中、ディランが観客にしゃべったのは、終わり間近にバンド・メンバーの紹介をした時だけ。それ以外は、何も話さなかった。会場にいた時は、何か話さないのかと思っていたが、それでよかったのだろう。何曲かステージ中央で歌った以外は、上手側のピアノに向かったまま淡々と歌い続けた。

肉眼では米粒ほどの大きさのディランの顔を、オペラグラスで眺めていた。これほど広い会場だと、多くのコンサートはステージの横か上にスクリーンを設置して、ステージ上の手持ちカメラが捉えたアーティストのアップ映像を映し出すのだが、そうした趣向はなし。ディランなら、「俺はミック(ジャガー)とは違う」と言うのかもしれない。

コンサートが終了したのは午後11時過ぎ。帰宅した時には、日付けが変わっていた。

それにしても、ロックミュージシャンは息が長い。ボブ・ディランは71歳である。ニール・ヤングとピート・タウンゼントは67歳、スティーブン・タイラーは64歳、そしてミック・ジャガーは69歳でキース・リチャーズも12月で69歳になる。いずれも老いてますます、ではないが、ロックの精神をそのままに、年輪を重ねた他に真似のできない味を醸し出していることに敬服。

2012年11月21日

大学は多すぎる

日本経済研究センターからの送られてきたメールに、「大学(生)が多すぎる?」と題した、大阪大学の大竹教授のコラムがあった。
http://www.jcer.or.jp/column/otake/index422.html

彼はその中でOECDレポートを引き、以下のように高学歴社会は失業率が低いという論を展開している。
世界各国で高学歴化が進展しているのは、高学歴者に対する需要が増えていることを反映している。実際、日本でも高学歴者の失業率と低学歴者の失業率を比較すると、高学歴者の失業率の方が低い。たとえば、OECD(2012)は、 「より高い学歴を達成するほど、就業率は上昇し、失業率は低下する傾向にある。日本において、 後期中等教育が最終学歴である男性の就業率が 85.7%、失業率が 6.4%であるのに対し、大学型高等教育または大学院のプログラムを修了した場合、就業率は 92%に上昇し、失業率は 3.4%に低下 する。女性については、後期中等教育から大学型高等教育へと学歴か上がることにより、就業率 は 61.2%から 68.4%へ上昇し、失業率は 5%から 3.2%へ低下する」と指摘している。
現状では高学歴者の方が失業率が低いというのは分かるが、では仮に大学進学率が100%(今の高校のように)なったとしたらどうなるのだろうか。失業率がゼロになるという考えは現実的ではなく、高学歴であろうとなかろうと失業者は発生する。

そもそも、大学卒を「高学歴」と考える古い考えをそろそろやめた方がいいと僕は思っている。これはまだ大学進学率が20%とかの時代、一部の人たちしか大学で学ぶことができなかった時の発想だ。

ところで、このコラムで大学進学率の国際比較がされている箇所で、大竹は次のような指摘をしている。
図4で示したOECDの国際比較によれば、大学進学率のOECD平均は、62%であり、日本の大学進学率はOECD平均よりも10%ポイントも低い。米国では74%であり、北欧諸国は概して高い。韓国も71%と日本より20%ポイントも高い。日本の進学率が90年代に上昇してきたことは事実であるが、そのレベルが先進国の中では低い方であるということは広く知られるべきであろう。
ところが実際のところは、図4のもとになったOECDの資料Education at a Glance 2012 のTable C3.1. Entry rates into tertiary education and age distribution of new entrants (2010) では、引用されたTertiary-type Aの男女合計値ではそうなっているが、性別ごとに見ると男性ではOECD平均55%に対して日本は56%と同等以上である一方、女性はOECD平均69%に対して49%とかなり低い数値である。より大きな意味を持つのは、この男女間の数値の違いなのである。
http://www.oecd.org/edu/eag2012.htm

なお、ここでデータが示されている31カ国中で女性の進学率が男性に比べて低いのは日本とメキシコだけ。しかも、メキシコは男性33%対女性32%とほぼ同値だから、日本だけが明らかに女性の進学率が低い。

上記に則って考えれば、またOECD平均値が基準だとする価値観を採用するならば、日本が対応を考えなければならない課題は、「女性」の進学率をどのようにしてどこまで上げるかということになる。進学を希望する女性が大学へ進むことができるのは、大変結構なことだと考えている。しかし、男女間の雇用環境の格差が歴然として存在する日本でそれが実現したからといって、そのことで大竹がコラムで書いているような失業率の減少が期待できるのかどうか・・・大いに疑問が残る。

また、引用されているデータはEntry rates(入学率)であり、卒業率ではないことも注意する必要がある。日本の場合は大学進学者数と大学卒業者数がほとんど同じと考えていいだろうが、米国では学費など教育にかかる資金が続かず中退する学生が多い。米国の大学は授業料が高いうえに、大学生の多くは自分で教育ローンを組んで学費を払う。また日本の大学は入学さえすれば卒業できると言っても過言ではないが、他国ではしっかり勉強させられ、学業不振でドロップアウトさせられる学生は日本に比べてはるかに多い。つまり、Entry rate の比較がどれだけ正しいか、その確からしさも気になるところである。

米国では教育の機会が日本より重層的であり、かつそれに対する社会の許容度も高いように思う。日本では、大学とは高校を卒業したらすぐに行くところとされている。米国でも多くはそうだろうが、日本以上にいろんなルートがある。高校卒業後しばらく働いてお金を貯めてからコミュニティカレッジに行き、その後さらに大学に転入するとか。またオンライン大学などのネット教育も盛んだ。アリゾナに本拠地を置くUniversity of Phoenixは現在、50万人の学生が学ぶアメリカ最大の大学となっている。(英国のOpen Universityは、25万人の学生を抱える英国最大の大学である。)

日本の大学教育に関しての問題点だと個人的に考えている点を整理したい。

・大学は18歳で(高校を卒業したらすぐに)入るものという通念。高校生側の問題ではなく、社会がそうした圧力を持っている。企業の新卒一括採用など。

・教育の面でテクノロジーの利用度が低い。大教室で行われている一方通行の教養科目などは、オンデマンドで代替できる可能性が大きい。昨日のニューヨークタイムズ紙に掲載されていた「College of Future Could Be Come One, Come All」と題した記事が参考になるだろう。
http://www.nytimes.com/2012/11/20/education/colleges-turn-to-crowd-sourcing-courses.html?pagewanted=all

・大学数がむやみに多い。文科省役人の天下り先確保のためとしか思えない。

・学生が親がかりである。日本の大学生は勉強しなくてもすむから教養が育たないだけでなく、親元を離れないから自立心も育たない。

今年の夏、オレゴン州のポートランドにいる友人を訪ねる飛行機のなかであった女性を思い出した。僕の隣の席にいた彼女は、30歳くらいだったろうか。オレゴンの大学を中退してニューヨークに渡り、いくつかの仕事を経験した後、チェルシーのあるチョコレートショップの店長を任されて何年か働いたという。貯めた資金で、こんどはシアトルに行って栄養学の勉強を本格的にやるそうだ。シアトルの学校に入る前に、ポートランドにいる親に顔を見せに寄るのだと話していた。

大学は卒業するに越したことはないのかもしれないが、卒業証書にどれほどの価値があるか考えてみるのもひとつ。大学を自分の目で見て、やっぱり違う、と思えばいったん止めて働くなりして、また学びたい事ができたら入り直しできるような社会がいい。

2012年11月19日

今村昌平のドキュメンタリー

これがドキュメンタリーと言えるかどうか分からないが、今村昌平のドキュメンタリー映画『人間蒸発』(1967) をイースト・ヴィレッジのAnthology Film Archives で観る。http://anthologyfilmarchives.org/


失踪した恋人を探す女性とインタビュアー(露口茂!)たちが話をしていた茶の間の四方の壁が倒れ、突然そこが撮影所のなかのセットであることが示される場面がある。

寺山修司の映画『田園に死す』に、主人公の少年と母親が食事をしている部屋の四方が放たれ、そこに新宿の街の雑踏が現れる衝撃的なラストシーンがあるが、これは今村の本作品からの発想だったわけだ。

2012年11月17日

The Dukes of September Rhythm Review

今年の米国の大統領選で見聞きした数多くの中で、印象に残っているひとつがPBS (Public Broadcasting Service) の扱いを巡るミット・ロムニーの発言である。彼は非営利で運営されているPBSへの経済的補助を打ち切るつもりだと発言し、多く市民からの反発を招いた。

ロムニーへの反対意見としての代表的なものに以下の新聞記事がある。
http://www.nytimes.com/2012/10/06/opinion/blow-dont-mess-with-big-bird.html?_r=0

たまたまそれをきっかけにPBSのサイトにアクセスし、少しばかり寄附を送ったらコンサートのチケットが送られてきた。

今日、リンカーンセンターのDavid H. Koch シアターで行われた、ドナルド・フェイゲン、マイケル・マクドナルド、ボズ・スキャッグスのコンサートがそれだ。(日本でも同様のコンサートが先日、東京、名古屋、大阪で開催されたらしい。)

手元に届いたコンサートチケットは、2階席の最前列というとてもいいシートだけど、金額の欄は $0.00。なぜかというと、これは録画収録を目的としたライブ・コンサートだったからだ(僕は会場に入って、そのことを知った)。

そのためか、曲の演奏中に突然演奏をやめて、最初からやり直したり、アンコールではまたその同じ曲を演奏したのは、あとで局が行う編集のためだろう。お客さんもそのあたりは承知の上だから、不満の声もない。みんな、寄附をしたお返しにチケットを受け取ったPBSの支援者なのだろう。

夜8時から始まり、アンコールも入れて11時過ぎまで続いた長いコンサートだった。

2012年11月16日

ここでも助け合い

アパートのロビーに、ハリケーン・サンディの被害者へ届けるための寄附を集める段ボールが置かれている。衣料品と食料品が対象だ。


2012年11月14日

冬の風物詩

今月初めの頃から、ニューヨーク市立図書館裏のブライアントパークがスケートリンクに変わった。滑走料は無料。靴を10ドルで借りれば、誰でも滑ることができる。


本屋では犬も自由だ

午後、打合せでグラマシーと呼ばれているエリアへ。その後、ユニオンスクエアの本屋、バーンズ&ノーブルを覗く。

2階へ上がると、売場のインフォメーション・カウンターのすぐ前にゴールデン・レトリーバーが一匹、ドンと寝っ転がっていた。

気持ちよさそうに寝ている。飼い主は店内のどこかにいるのだろう。

時折、犬好きの客が寄ってきて撫でられると、眠たそうな目を少しだけ開けて振り返り、また眠りに入る。店員も含めて誰もがそのまま放ったらかしにしてやっているのがいい。


2012年11月13日

Circle Line NY

ニューヨークは晩秋から冬へ向かっている。今日、ハドソンリバー沿いの83番桟橋から出航しているサークルラインに乗り込んだ。本当は先週NYに来た友人を誘って乗るつもりだったのだけど、その日は午後からストームと雪に見舞われ、クルーズどころではなかった。一度、川の上からマンハッタンをぐるりと見ておきたいと思っていた。

今の季節は、出発が午後4時からの一便のみ。桟橋にはサークルライン用のドックが3つあり、それぞれ船が停泊しているのだけど、平日ということもあってか実際に出航するのは一隻だけだった。

ハドソンリバーを下る。真ん中に工事中のワン・ワールドトレード・センタービルがそびえている。
自由の女神像の前をかすめる。ハリケーンの影響で、まだ再公開されていない。
イーストリバーを上る。ブルックリン・ブリッジを抜けて。
帰りは逆コースを。ブルックリン・ブリッジをくぐりマンハッタンの南端方面へ。
右手にロウワー・マンハッタンを見ながら進む。低い雲が垂れ込めていた。
桟橋到着間近。真ん中のスリットが42丁目の通り。

2012年11月11日

木下恵介の映画

リンカーンセンターで、先週の水曜日から木下恵介監督の映画15作品が上映されている。今夜は、「陸軍」と「二十四の瞳」が上映された。

「陸軍」は、製作年が戦時中の1944年となっていたので、戦意高揚の映画かと訝しがりながら劇場を訪れた。しかも冒頭のクレジットで、「陸軍省後援」と映し出される。映画は、少年の頃から体が弱く、また気弱で母親からいつもはっぱをかけられていた少年がやがて志願して戦地へ出征する物語である。

だが、陸軍省の思惑は完全に外れたようである。当時の世間の風潮と軍部の管理統制のもとでも、木下は彼らしいセンチメンタリズムと反戦への気持ちを映画に見事に織り込んだ。ラストシーンでの田中絹代が演じる母親が涙をそそう。

もう一つの方は、壺井栄の小説を映画化したもの。1954年の作品で、高峰秀子が主役の大石先生を演じている。彼女も素晴らしい。黒澤が男を描くのが得意だったように、木下は女を描くのがほんとうにうまい。

冒頭、岬の分教場の女先生として師範学校を出たばかりの大石先生が赴任してくる。島(小豆島)の子どもたちは、早速「大石、小石。大石、小石」とはやし立てる。英語字幕は "Miss Big Stone, Miss Pebble. Miss Big Stone, Miss Pebble." で、これでは意味不明である。字幕翻訳は難しい。

壺井栄が『二十四の瞳』を書いたのは1952年。彼女が52歳の時であり、この作品で人気作家になった。彼女は同郷の壺井穣治が早大の英文科に入学すると自分も上京し、1925年に学生結婚をしている。若かった頃の彼らの生活は貧困を極めていたようである。夫がアナーキズムからマルキシズムに移行し、やがて治安維持法によって逮捕されたりしてるのだからもっともだろう。

彼らが住んでいた長屋には林芙美子や平林たい子が隣家にいたという。手塚治虫や石森(石ノ森)章太郎、赤塚不二夫ら優れた漫画家たちが住んでいたアパート、トキワ荘を連想させる。

嵐山光三郎は、壺井について「栄が書く小説は、一見平凡に見える生活に庶民のしたたかな知恵があり、ユーモアがあふれ、希望があり、故郷を深く愛しています。「思想の文学」ではなくして「生活の文学」なのです」と書いている。

『二十四の瞳』で主役の大石先生を演じた高峰秀子は5歳から子役として働き続けて(義母によって働かされ続けて)いたわけで、そのため小学校も出ていないことをその後後悔していたという。基礎的な学校教育すら受けていないので、年をとった後も数の計算が苦手だったらしい。

しかし、彼女は55歳で女優を引退してから、文筆家として数々の本を著している。どれも高峰秀子ならではの確かな眼差しとしなやかな文章である。日々の生活を見つめるなかから気づき、得るさまざまな知恵があふれている。

『二十四の瞳』の中に登場する12人の子どもたちの中にも、別の理由(貧困と家庭の理由)から高峰同様に小学校すら途中で諦めなければならなかった子どもたちが何人も描かれている。当時はそうした時代だったのだろう。

先日、大学の新設申請を田中文科大臣から不認可とされた新設予定の大学の学長や理事長らが、それに対して「学生たちの将来を潰すのか」と反論していたのを思い出した。まあ、経営責任を負っている連中の反論のための表現であろうが、メディアがそのまま同じ論調で同調するのはよした方がよかった(自分でものを考えていないのがばれてしまうからね)。

文科省や大臣を突き上げたい気持ちは分かるけど、僕はさっきの言葉には大きな違和感を感じている。新設予定の3大学がどうということではなく、一般論として日本では学生にはいくらでも進学の選択肢があり、また自らが学習する意欲があればたいていのことはどうやってでも学ぶことはできる。日本で、特定の大学に進学しなければ学べないものなどあるだろうか。ない。

Film Society of Lincoln Centerは、先の2作品のレビュー(批評)において、主役を演じた田中絹代と高峰秀子について、それぞれ the boy’s mother, the great Kinuyo Tanaka、a new teacher (Hideko Takamine, magnificent)  といった表現で称賛している。

『二十四の瞳』

2012年11月10日

コロンブスのリビングルーム訪問

コロンバスサークルで開催中のDiscovering Columbusのイベントを観てきた。

チケットを手に、入場の列に並んだ時はまだ空は明るかったのが、寒風の中で45分ほど待たされている間に、すっかり日が暮れてしまった。

しつらえられた「リビングルーム」は、美術館であるようで、また普通の居間のようでもあり。観客はその中間的な空間の居心地の中でソファに横たわり、コロンブス像と記念写真を撮り、しばらく時間を過ごした後、「地上」に降りていく。

Tatzu Nishi(西野達)がどういうきっかけでこうしたアートを考えついたのか分からないが、「物を観る視点を変える」ことの見事な具象化であり、その成功した一般性に感心させられる。

東の方角を向いて建つコロンブス像
地上20メートルほどのところにある「コロンブスのリビングルーム」

http://collabcubed.com/2012/09/20/discovering-columbus-follow-up/

コニーアイランドへ

地下鉄Fラインでブルックリンへ行く用事があったついでに、そのあとコニーアイランドまで足を伸ばしてみた。ここはFラインの終点。先日のハリケーン・サンディの被害地の一つである。

ざっと見たところでは、街中は目立った被害はないようにうかがえたが、遊園地や水族館、それにほとんどの商店は営業をしていない。そして、人通りもない。いつ回復できるのだろうか。

どこもシャッターが閉まった、遊園地向かいの商店街
交差点でレストランのチラシを配るニワトリも寂しそうだった

2012年11月9日

ニューヨークに雪

NYでは、11月7日の午後からみぞれ交じりの雨が雪に変わった。はや冬の訪れだろうか。

今朝のコロンビア大学のキャンパス。



2012年11月7日

オバマが再選

米国大統領選でオバマ大統領が再選を果たした。


日本経済のためには、ロムニーの方が(短期的には)好ましかったのかもしれない。彼が大統領に選ばれれば、オバマ政権と違って強いドルを求め、保護主義的な政策も変更しただろう。そうすれば、円高傾向は反転するし、日本企業はその製品の競争力をもっと米国市場で発揮できるようになったかもしれない。

しかし、そうした事とは別に、世界最大のパワーを持つ米国の大統領は、人格者であって欲しいと思う。その意味で、オバマは相応しい人物であると思っている。

米国に暮らしていることもあって、選挙権があるわけでもないのにかなり意識的に両候補の発言に何ヵ月も耳を傾けてきたつもりだ。その結果、自分なりに見えたこと。オバマの誠実さ、ロムニーの胡散臭さ。

長い、長いキャンペーン期間だった。米国大統領の4年の任期の最終年は、ほとんど選挙活動に没頭しているのではないかとすら思えるほどだ。

それにしてもオバマもロムニーも演説が上手い。もともとうまいのだろうけど、厳しい選挙活動で鍛えられ、否が応でも上手くなるのだろう。


大学設置不認可問題で

日本で、田中文部科学大臣の発言が話題になっているようだ。3大学の新設申請を認めないとした発言である。ネットで新聞記事を読んだだけだが、考えさせられる点が多い。いくつか整理しておきたいと思う。今朝がた読んだ記事は、以下の2つである。
真紀子氏は「知らなさすぎる」 …設置審委員(記事A)

 「新しい仕組みを始めたい」――。
 3大学の来春開校が不認可とされた問題で、6日、田中文部科学相は不認可の正当性を強調しつつ、大学設置の新たな基準で「再審査」を行うことを表明した。
 「見直し」方針が決まった諮問機関の大学設置・学校法人審議会(設置審)の委員の1人は「田中大臣は設置審について知らな過ぎる。設置審には大学関係者以外の委員もいるが、審議の内容があまりに専門的なため、ほとんど発言できていないのが現状」と指摘。そのうえで、「大学の質の低下や数の問題は国の規制緩和が招いたこと。個々の大学についての審議の内容の見直しをしても、その根もとの部分が変わらなければ意味がないと思う」と話した。
(2012年11月6日20時21分  読売新聞)
文科省「不認可処分でない」 ...3大学『詭弁だ』(記事B)

 秋田公立美術大(秋田市)など3大学の新設が不認可とされた問題で、文部科学省の前川喜平官房長は6日になって、「(現在も3大学の)不認可の処分はしていない」という説明を始めた。
 田中文科相は同日、3大学を事実上、再審査する方針を表明したが、不認可処分が決定された後では、処分取り消しの行政訴訟の対象になるうえ、正式な審査では申請書類の再提出が必要になり時間がかかることを考慮したとみられる。だが、「不認可」「再審査」と翻弄された3大学は強く反発している。
 前川官房長は同日の田中文科相の記者会見の後、補足説明を行った。この中で、2日に同省高等教育局長が3大学に不認可を伝えたことについて、「大学側には認可できないとは伝えたが、不認可処分をするとは伝えていない」と弁明した。
 また、今月2日に報道陣に不認可と説明した担当課長が、「大臣の不認可決定は今日。あくまでも大臣の政策的な判断で、不認可という結論」と述べていたことについて、前川官房長は「事実とは違った。訂正して謝罪したい」と述べた。不認可処分の大臣決裁も済んでいないとした。
 これに対し、3大学側は「文科省から電話で『不認可である』と説明があった」「詭弁(きべん)だ」と反発した。
(2012年11月6日21時51分  読売新聞)
Aの記事から見てみよう。見出しは「真紀子氏は『知らなさすぎる』」である。これは、大学の設置審議会の委員の発言として紹介されている。1ヵ月前に文部科学大臣に任命された人が大学の設置審議会についてよく知らなかったわけだが、これって批判に値することだろうか。そんなことまで詳しく知らないのは当たり前。

また、この委員は「設置審には大学関係者以外の委員もいるが、審議の内容があまりに専門的なため、ほとんど発言できていないのが現状」と述べているようだが、これってありかな? つまりは、審議の内容は専門性が高いため大学関係者である一部の委員のみにしか理解できないようになっている、と云うわけだ。設置審ってそんなに複雑で難解なことをやっているの? 委員が何名いるか知らないが、大学関係者以外の委員には分かるような説明すらなされないままになっているとしたら、そちらの方が問題である。

もうひとつ気になったのは、記事上でこの委員の名前が明らかにされていないこと。これは報道するメディア側の問題。ひょっとしたら書かれている内容自体が事実ではないかもしれない点を読者は考えておく必要がある。

Bの記事。対象となった大学が述べているとおり、この官房長の言っていることは、詭弁である。

ところで、自民党の安倍総裁が「既に決めたことをこんな形で急に変更するのは間違っている」と批判したそうだが、この指摘は的を射ていない。学校教育法では、
・大学設置の認可権者は、文部科学大臣(第4条)
・認可の際に、文部科学大臣が大学設置・法人審議会に諮問する(第95条)
と定められており、「答申どおり決定」というのはこれまでの慣例に過ぎない。過去30年間にわたって答申が覆されたことは一度もないと報道されているけど、そちらの方がよほどおかしい。認可権者たる大臣が自らの判断で答申を覆すことは、制度上は間違っているわけではない。

推測だが、田中文科相はこうした手続き論だけで物事が決められてきた現状そのものが不満だったのかもしれない。

これを契機に、委員会のメンバーですらその一部の人しか内容を理解できない(ように仕組みが作られている)審議の在り方を根本的に見直すべきである。

新聞やテレビなどのメディアは一斉に彼女へのバッシングを始めたようだが、この機に根本的に考え直さなければならない多くの重要な点を掘り下げて欲しい。

2012年11月5日

We shoot you.

被災地の常か、災害そのものが去った後、この機に乗じて略奪や窃盗を働こうとする輩が現れてくる。

ハリケーンの強風と押し寄せる高波の影響でもっとも被害が大きかった地域の一つであるロング・アイランドでも、住民が無防備になった自分たちの家や財産を守ろうと必死になっている。

下の写真では、砂に埋もれて動かなくなった車のボディに、”LOOT, WE SHOOT(略奪する者は、撃つ)"と書かれている。


2012年11月4日

市長のリーダーシップについて

こちらに来てから気になっていたのだが、米国人は(他の地域はよく知らないからニューヨーカーは、という方が正確だが)有事の際には心を一つにして協力しあうことが自然にできているように思う。

ハリケーン・サンディ後の状況に関しては、頻繁に市長のブルームバーグが自らメディアに登場して、直接現場から話しかけている。手にした原稿を読むだけといったどこかの国の役人とは、まったく違うリーダーシップと説得力を感じさせる。それを支える優れたスタッフもたくさんいるのだろう。

彼は、現状がどのように回復されているか説明をした後には、必ずそれに携わっている関係者、例えばニューヨーク交通局や電力会社、警察、消防、病院、防衛関係、各種ボランティアへの最大限の謝辞を忘れない。

そうしたことが、市民の行政担当者への信頼と尊敬の気持ちを醸成しているように感じる。そして、市民から信頼されていると実感できているからこそ、職員たちは骨身を惜しまず仕事に携わる。日本ではとっくに失われてしまった、幸せな関係である。

日本でも最近は女性や若い人が市の首長に就くことが増えているが、彼らが何か新しい政策を打ち出すたび、年配の(つまり年寄りの)市議会議長やその周りの連中が「聞いていない」とか言って反対することが多い。

その街に長年住み、長く議員をやっているだけで(だから既得権で固まっている)、自分がエライと思っているようなそうした連中を選挙で選んだ市民は、もっと情報を集め、よく考えた方がよい。

2012年11月3日

ニューヨークシティマラソン

ハリケーンの影響で、今日もセントラルパークは閉鎖されたままである。

夕方、93丁目のセントラルパークへの入口で「Park Closed」の表示を眺めていたら、犬の散歩で通りかかった女性から「明日にはオープンになるみたいよ」と教えられた。

明後日のニューヨークシティマラソンはどうなるか知ってるか尋ねたら、開催される予定だと聞かされた。彼女のご主人もランナーとして参加すると言っていた。

 
ニューヨークシティマラソンは、参加者3万7千人の世界最大級のマラソンである。世界中からの参加希望者は、その限定数をはるかに上まわる。だから、アマチュアが参加するためには他のマラソン大会の運営にボランティアとして協力して出場資格を得るためのポイントを獲得する必要があるなど、この大会で走ることは簡単ではない。もちろん、ランナーとしての優れた記録を持っていればそれでいいのだが、アマチュアランナーはなかなかそうはいかない。

今朝、米国人の友人と電話で話した時、彼も予定通り行われるにちがいないと言っていた。というのも、翌週の日曜日は別のマラソン大会が予定されているので、ニューヨークシティマラソンといえども延期できないだろうと。

ニューヨーク市長はよく開催を決めたなと感心したのだけど、夜のニュースを見ていたら開催は中止されることになったと報道された。やはりハリケーンによる倒木などで荒れたコースの修復が間に合わなかったのだろう。それはそれで、難しい決断をしたと思う。世界中が注目する大イベントだから。

そんなニュースを見た後、チャンネルを変えるとNBCでハリケーンの被災者への募金を募るチャリティ・コンサートを放映していた。ロックフェラープラザにあるNBCスタジオからの生中継である。出演は、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーンとEストリートバンド、スティング、エアロスミスのスティーブン・タイラー(ギターのジョー・ペリーも)、ジョン・ボン・ジョヴィなど。

ビリー・ジョエルの弾き語りの後ろで、ブルース・スプリングスティーンとエアロスミスのスティーブン・タイラーがバック・グラウンド・ボーカルを努めていた。

最後はスプリングスティーンとEストリートバンドだったが、番組が終わる予定の9時を過ぎても曲が終わらずどうするのかと思っていたら、NBCは9時2分まで番組を延長して最後まで演奏を放送した。

全収益は食糧支援や避難所などの救援活動を行なっている米赤十字社に寄付される。



2012年11月2日

停電が続く

今回のハリケーン・サンディは、ニューヨークのライフラインをずたずたにした。

今も63万世帯に電気が供給されていない。クイーンズやニュージャージーに住む知り合いだけでなく、金融街で知られるウォール街に住む友人のアパートでも電気と水が止まったままだ。しかも、マンハッタン内のホテルに避難しようにもどのホテルもいっぱいで部屋が取れないという。

マンハッタンの北側に位置する住宅地に住む知り合いのところも、ずっと停電が続いているようである。ハリケーンによる倒木で電線が切れたのだろう。

テレビのニュースで、電力会社のコン・エジソンが停電している地域に氷とドライアイスを配っているのを見た。冷蔵庫内の食品が腐るのを防ぐためである。

タイムズスクエア(42丁目)以北は地下鉄が走り始めた。バスの運行も再開している。今日、バスでミッドタウンまで行ったのだが、すべて無料で運行している。帰りの地下鉄も無料だった。地下鉄やバスを運行しているNY交通局のせいで交通手段が止まってしまった訳でもないのだが。


2012年10月31日

ビルの明かりが消えた街

ハリケーン・サンディが過ぎ去った後の街は、妙に静かで、それでも朝から少しずつ人々が街に出始めたようだ。

日曜日の夕方から全面運行停止になったニューヨークの地下鉄は、今もまったく動いていない。路線の確認作業やシステムの復旧に時間がかかっているのだろうが、日本と比べると随分のんびりした感じを受ける。東京ですべての地下鉄が全線区で何日にもわたって運行中止したなど聞いたことはない。

閉鎖されたままの地下鉄

アパートの屋上からマンハッタンのダウンタウンを眺めた。いつもなら明かりが灯っている高層ビル群に今日は色がない。街が沈んでいる。

真ん中に写っている尖塔がエンパイアステート・ビル

2012年10月30日

コロンブスもハリケーンでお休み

59丁目のコロンバスサークルで行われているDiscovering Columbus の今日のチケットを入手していたが、ハリケーンでイベントは中止に。また、チケットの取り直しである。

http://www.publicartfund.org/view/exhibitions/5495_discovering_columbus

写真は、nytimes.comのサイトから

会社も学校も臨時休業

ハリケーンが近づいているなか、知り合いとお昼を食べに出た。

最初のぞいたダイナーは客が入口まで並んでいて入れなかった。夫婦や家族連れの客が多い。月曜日だがハリケーンで地下鉄やバスが止まり、勤め先も学校も休みになったからだろう。彼らはちょっとしたピクニック気分を感じている風に見えた。

写真は、別の店に行く途中に見かけたコンビニの店先に積まれたミネラルウォーター。ずいぶん大量に仕入れたものである。


2012年10月29日

若松孝二監督、76歳で逝く

17日に亡くなった若松監督の追悼記事が28日付けのニューヨーク・タイムズに掲載された。


Sandy is coming

大型のハリケーン、サンディが米国の東海岸を直撃する予定だ。報道ではSuper Stormと表現されているほどの超大型で、ゆっくりとした速度のハリケーンだ。強風と高波の被害が予想されている。

今回のこのハリケーン、最初に知ったのは金曜日の午後のこと。ブルックリンの知り合いのスタジオからの帰りに地下鉄に入った時だ。すでに、日曜の夕方からニューヨークの地下鉄が運行中止になるという貼り紙がしてあった。

まだNYではその気配もなかった時から、そうした準備が進んでいたわけである。2005年に米国内に大きな被害をもたらしたハリケーン・カトリーナからの教訓があるのだろう。沿岸エリアを中心に高波の影響を受けそうな地域の人々には避難命令が出されている。

今日の午後7時には地下鉄、バス、鉄道などの交通が順次運行を止めた。もちろんフライトはすべてキャンセルされた。明日は学校は休校、病院は急患を除いて患者を受け入れないとしている。人の流れが急減し、街は静かなものだ。マンハッタン内にあるコロンビア大学、ニューヨーク大学は早くからすべての授業を休講するとの知らせを出した。

今日、停電に備えてロウソクを近くの雑貨屋に買いに行った。普段は閑散としている店内で今日は下の写真のように長い列ができていた。


ロウソクの入った袋をぶら下げたまま、近くの食品スーパーを覗きに行ったら、そこも普段とはまったく違う様相だった。通路を通ることすら難しいほどの混雑だった。僕もせっかくなので牛乳と果物を少し買って列に並んだが、レジを通るまで30分以上かかった。

クイーンズに住む友人からの今朝の電話では、その地区のスーパーマーケットでは水、パン、牛乳、オレンジジュースの棚が空っぽになっていたと聞いたのだが、マンハッタンはそうでもないみたいだ。それらのどの商品もまだ棚に、十分とはいえないまでも残っている。徒歩での生活圏に多数の店舗があるマンハッタン地区と、そうではないクイーンズ地区の違いだろう。

2012年10月27日

MUJI のデザイン

MUJI は、世界中でデザインに敏感な人たちによく知られた「ブランド」である。

今日、ミッドタウンにあるジャパン・ソサエティで、無印良品を運営する(株)良品計画の金井社長の講演会があった。

飄々とした人で、人を食ってるわけではないのだろうが、「自分は正直で、ピュアな人間だ」と述べ、司会者の米国人からピュアの意味を質問されると「ピュアは、ピュアだよ〜」と返したのは傑作だった。聴衆のなかの日本人には受けたが、米国人にはどう受け取られたかは分からない。

無印良品が、「これがいい(This is what I want)」ではなく、「これでいい(This will do)」という一つの思想性を製品づくりの骨子にしたところはまことに秀逸で、西洋流の発想からは出てこないところが外国の人たちに逆に新鮮なのだろう。

金井社長の口からは、「アンチテーゼ」(Antithesis:反対命題)という、なんだか懐かしい言葉も聞かれた。現代の消費文化への対抗概念ということなのだろう。その一つとして No name という考え方をあげた。野球のボールにはデザイナー名が付いていない、包丁も誰がデザインしたのか分からない。そうした商品(もの)とデザインの在り方のことである。

確かにそうしたものは僕たちの周りに今もたくさんあり、それらから僕たちは大きな恩恵を得ている。そうした商品はもちろんあってもいい。だけど、デザインには署名性が必要なときもある。そのことで優れたデザインが生まれることがあるから。また、優れたデザインについては、その開発者の名を残すことは大切ではないだろうか。聴診器や注射器だって、それぞれ発明・開発者の名前が歴史に残っている。

ただし、開発者(デザイナー、アーティスト)の名前が刻まれているだけで、5ドルのものが2000ドルになるのは疑問だけど。
http://tatsukimura.blogspot.com/2012/10/2000.html

会場には、デザイン関係の会社の人たちが多くやって来ていた。


2012年10月26日

コンサルティング102

ビジネススクールで Consulting 102という授業に参加させてもらった。米国の大学ではすべての科目に3桁の番号が付けられていて、それで基本科目なのか応用(発展)科目なのか位置づけが分かるようになっている。101は最も初歩の科目だ。科目名そのものに102と付けたのは「基本の次だよ」というメッセージだが、しゃれっ気がある。

担当教員は、元ブーズアレン&ハミルトンのニューヨーク事務所でシニアVPをしていたコンサルタント。90分x2コマの連続授業で、前半は彼のレクチャー、後半はブーズアレンのCEOがゲストとして講義した。後半の内容は、ほとんど自社のPRのようなものだった。

その夜、コロンビア・ビジネススクールの学生と飲んでる時に聞いたのは、ビジネススクールの学生たちが好むのはビジネスの生の実態を紹介してくれる、(正規教授ではなく)外部の経営者やコンサルタントが客員の立場で教えているものだということ。実務を離れてフルタイムの学生をやっている彼らは、理論よりも現場の話の方に引かれるのだろう。

ただ気を付けねばならないのは、現場の事はその現場にいなければ本当の事は分からないということ。教室の中で、もう終わってしまったこと(その大半は「珍しく」大成功した話)を、さらに話し手のフィルターを通して聞いても学習効果には限界がある。そこから多くを学ぶ学生も中にはいるが、たいていはテレビの番組かYouTubeで何か見たというくらいのものしか残らない。

実際、教室(レクチャーシアター)の最上段からクラスを眺めていると、学生がどうしているかよく分かるのだけど、ノートを取っている学生はごくごく少数である。ノートを取る必要がないと思っているのか、すべてを記憶する自信があるのか、面倒くさいのか、ただその習慣がないのか。いずれにせよ、日本の学生とはこの点は、ずいずん異なる(日本の教室でもノートをまったく取らない学生は結構いる)。

研究者である専任教授は必修科目で基本的な理論や考え方を教え、一方で選択科目では外部の実務家講師が学生と実際のコンサルティング・プロジェクトに取り組むような授業も多いと聞いた。教える方には、優秀な学生を見つけて自分の会社に誘いたいという意図がある。

現在、コロンビア・ビジネススクールの修了生の約7割は、投資銀行かコンサル会社に就職している。ニューヨークという場所の特徴もあるのだろうが、高い授業料を回収するために手っ取り早く稼げるこの2業種に人気があるというのもある。その結果(それとも原因?)、これらに関連する科目で外部講師が多いようだ。

2012年10月25日

Columbia University Green Market

グリーン・マーケットというと、毎週月・水・金・土曜日にユニオンスクエアで開かれる青空市場が有名だけど、ニューヨークの街を歩いているとそれ以外にもいろいろ出くわすことがある。

今日は大学のキャンパスを出たところで、Columbia University Green Market が開かれていた。

野菜や果物、各種のジュース、お菓子やケーキなどが並んでいて、その時ちょっとおなかがすいていたことも手伝い、アップルケーキとキャロットケーキを手に家に帰った。






2012年10月24日

5ドルと2000ドルの関係

今朝は少し時間があったので、近くのダイナーで朝食を取ることにした。注文したフレンチトーストが運ばれてくるまで、コーヒーをすすりながら新聞に目を通していたら、店の親父が「この近くに住んでいるのか?」と話しかけてきた。「そうだ」と答える。今度は「日本人か?」と尋ねてきた。また「そうだ」と答えながら、吹き出しそうになった。

実はこの店で、この親父とまったく同じやり取りをするのは、これで3回目なのだ。まあ仕方がない。毎日何十人、日によっては何百人もの客が食事をしに来る店だ。そして、店のオーナーらしき彼は、来客となるべく親しくしようとしているのが分かるから。

ところがこれまでと違うのは、今度はいきなり隣の席に座っていた客が話しかけてきたことだ。それまで携帯電話でずっと話をしていたのに、電話を切るやいなや「おれは日本に行ったことがある」としゃべり始めた。

ブルックリンで画廊を経営している人物で、なんでも京都に友人がいて、来週にまた訪ねる予定だそうだ。その際にお土産として持って行くつもりの絵があると言って彼が鞄から取り出したのは、B4サイズ程度の画用紙に鉛筆で書いた線画である。

思わぬ事にぽかーんとしてると、そのおっさん、「ウォーホルだ」と言う。値段は2000ドル。絵の値段は門外漢には分からないから、「へえ〜」とか言いながら相変わらずぽかーんとしてたら、絵の右下に記されたアンディ・ウォーホル(とおぼしき)サインを指さしながら、30年前に5ドルで買ったと教えてくれた。

その絵はどう見ても10秒か20秒で描いたイタズラ書きに近いものにしか見えなかった。5ドルで手に入れたその絵が、今は2000ドル。右下のサインがあればこそだ。

マーケティングの仕事には、そうした「サイン」をどうやって作るかと云う面もあるなあとやって来たフレンチトーストをほおばりながら考えていた。

彼にその絵の写真を撮らせてくれと頼んだが、断られた。

2012年10月23日

「税制のグリーン化」?

総務相の諮問機関である地方財政審議会が、経済産業省などが廃止を求める自動車取得税について廃止は不適当と主張する意見書を提出した。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121022/k10015923961000.html

自動車を購入する際にかかる自動車取得税には、元来から消費税との二重課税になっているという批判がある。

2011年度の日本国内のクルマの総販売台数は421万台で、対前年度比で15%減少している。同様に総登録車台数は、17%の減少である。自動車業界などが自動車取得税の廃止を求めているのは当然だろう。

地方財政審議会から提出された意見書は「課税の根拠が異なることから、消費税との『二重課税』という指摘は当たらず、税制のグリーン化にも逆行するものであり、新たな関連税制の姿を示すことなく廃止することは不適当だ」として廃止に反対しているのだが、それが本当の理由なのか。それとも、それが地方自治体の貴重な(ということは徴収しやすい)財源だからなのか。後者が本当の理由で、前者のねじ曲がった理屈は建前の理由に見える。そもそも地方財政審議会は広く税制について考える集団ではなく、「地方財政」についての審議会だ。

ところで、理由内でキーワード的に使われている「税制のグリーン化」という言葉に首をかしげてしまった。税を課すことでクルマの販売を抑止することができ、それが地球環境にプラスに働く・・・ということを指しているのだろうか。

クルマの走行距離を抑制するためにガソリン税を操作するのならわかるけど。車の販売を抑える政策(つまり車の生産を抑える政策)がグリーン化(地球環境保護)のために必要なら、国内海外問わず、また自動車と言わずすべての製造業の活動を抑制しなければ理屈に合わないが、日本は本当にそれでいいのか。

また「新たな関連税制の姿を示すことなく廃止することは不適当だ」という主張の論理的整合性が分からない。当初から財源確保ありきの発想自体が貧困というものだろう。

世の中は変わってきているのだから、税に対する考え方も変えて行かなければ。ただ取れるところから取るではお粗末だ。前例主義的で硬直化している。

前例主義と言えば、日本の大学も負けていない。僕はこの春から米国にいるのだけど、まったく学内の動きが分からないのは帰国後の仕事に差し支えると考え、最小限の情報を得ておくために会議資料をこちらに送ってくれるように以前頼んだことがある。

その当時の事務長が下した結論は、「これまで慣例的にそうしたことはしていないから、送らない」というものだった。前例に倣って決めればよいのであれば、管理職は必要ない。

そうした組織では過去のことを知っているかどうかが管理職に問われる能力になってしまい、本来の能力や熱意があっても、若い連中や外部から新しくやって来た人たちは仕事がしずらい雰囲気と環境ができあがる。変革を謳うのなら、まずはそうした前例主義の発想を根本的に変えなければいけないと思うのだが、どうだろう。

2012年10月22日

カンダハール

昨日、カナダのモントランブランからNYに帰ってきた。戻ってからも頭の片隅に引っかかっていることがいくつかあるのだけど、その一つが「カンダハール」だ。

今回、旅先に持って行った一冊が藤原新也の『空から恥が降る』だ。その中に、カンダハールの話が出てくる。そこは、彼が若いとき訪れた、まだソ連から蹂躙される前のアフガニスタンの南の都である。

そこで彼は、病み上がりの上に空腹で弱っていたところを地元の農民に助けられ、その際、スイカのように大きなメロンを切り分けたものでもてなされた。そのことで文字通り生き返ったように元気になった彼は、その時のことをこう回顧している。

「長い人生の中のたった数十分の出来事だった。しかしその一瞬の邂逅は私の身体の記憶に深く刻み込まれた」

彼が9/11以降も一貫してアフガニスタン側に立ちコメントを述べてきたのは、この経験があったからだろう。

その日、そんな話を読み終えた後、モントランブランの村を歩いていると、ある一帯の家の住居表示がすべてKandaharなのに気付いた。そう、そこはカンダハールという地区なのだ。もちろん偶然なのだが。



2012年10月21日

モントリオールのゾンビ

バスで一昨日と同じルートを逆にたどり、モントリオールへ戻って来た。

車中で、年配の日本人夫婦と出会った。モントランブランに一週間滞在していたそうだ。これからモントリオールへ戻り、その後トロントまで鉄道で移動した後、カナダ中央部のウィニペグへ飛行機で飛び、そこからは2泊3日の鉄道の旅を楽しみながらバンクーバーへ向かい、そこから日本に戻るとのこと。約1ヵ月の旅だと話していた。

2年前にご主人が仕事をリタイアして、それから計画を練っていたという。無事楽しい旅を続けられるよう言葉を交わし、モントリオールのバスターミナルで分かれた。日本にもこうした活動的でいい感じの年配のカップルが増えるといい。

外国で見かける日本人観光客というと、どういうわけだか中年女性の団体が多い。どのおばさんも同じような身なり格好をして、固まって歩いているので目立ち、すぐ分かる。最近は中国人のグループも多い。

南米のペルーで出会った日本人は、30代のカップルが多かった。ペルーは、中年のおばさんグループにはとっては「ロマンチック」じゃない場所なんだろう。

モントリオールに到着してから、僕はニューヨークへのフライトまでまだ時間があるので街の中をぶらつくことにした。途中で見かけた理髪店で髪を切ってもらった後(ずいぶん短く切られた)、アートセンター近くの公園で何やら騒がしい気配がするのでそちらの方へ向かう。

Montreal Zombie Walk という催しで、ゾンビのメークをした連中があちこちをうろついている。彼らは一般のゾンビファン(?)なのか、それとも役者が依頼されて演じているのか。何を狙った企画なのか確認せずじまいだったので趣旨はよく分からない。


まだ学生っぽいカップル。結構なりきっていた。
こちらもカップルで参加。どこで特殊メイクしたんだろう。
迫力満点のジェイソン。

アメリカン航空の飛行機は、左手にマンハッタン島を見下ろしながらロングアイルランド方面へ侵入していく。そこからゆっくりと左旋回した後、ジョン・F・ケネディ空港に到着した。着陸寸前、機体が何度か左右に大きく揺れた。左右どちらかの主翼の先端が滑走路にぶつかったのではないかと思ったが、なんとか無事着陸した。通路を挟んだ他の客と思わず顔を見合わせる。

ここからクイーンズのジャマイカ駅まで、いつものようにエア・トレインに5ドル払って乗車。カボチャを持った3人の男女(男2人、女1人)が乗っていた。僕と男の間の席に置かれたカボチャがあまりにも見事なので、それは作り物かと聞いたら、本物だと言う。他の2人が持っているカボチャも本物で、カボチャはスペイン産に限るなどと嬉しそうに話す。

ジャマイカ駅で6ドル25セント払ってロングアイルランド鉄道のチケットを買い、マンハッタンまで。そのホームでさっきのカボチャ・トリオとまた一緒になったので、Take care of your pumpkins!と乗り込む際に声をかける。

ところで、日本のカボチャはパンプキンとは種が異なる。こちらではそれをsquashという。飲み物かスポーツみないな名前だ。 

ペン・ステーションで地下鉄に乗り換え、アッパーウエストサイドのアパートに到着。建物に入ると、エントランスにハロウィーンの新しいディスプレイが。カボチャのお化けだ。