2012年10月22日

カンダハール

昨日、カナダのモントランブランからNYに帰ってきた。戻ってからも頭の片隅に引っかかっていることがいくつかあるのだけど、その一つが「カンダハール」だ。

今回、旅先に持って行った一冊が藤原新也の『空から恥が降る』だ。その中に、カンダハールの話が出てくる。そこは、彼が若いとき訪れた、まだソ連から蹂躙される前のアフガニスタンの南の都である。

そこで彼は、病み上がりの上に空腹で弱っていたところを地元の農民に助けられ、その際、スイカのように大きなメロンを切り分けたものでもてなされた。そのことで文字通り生き返ったように元気になった彼は、その時のことをこう回顧している。

「長い人生の中のたった数十分の出来事だった。しかしその一瞬の邂逅は私の身体の記憶に深く刻み込まれた」

彼が9/11以降も一貫してアフガニスタン側に立ちコメントを述べてきたのは、この経験があったからだろう。

その日、そんな話を読み終えた後、モントランブランの村を歩いていると、ある一帯の家の住居表示がすべてKandaharなのに気付いた。そう、そこはカンダハールという地区なのだ。もちろん偶然なのだが。