2024年4月19日

そうか 京都、よかったね

京都市にある冷泉家で、木箱に収められていた古今和歌集の注釈書の原本が見つかった。藤原定家によって今から約800年前の1221年にまとめられたものだ。
 
藤原定家の直筆の書であることはその筆跡から明らかになり、推敲の跡なども見られる。またそれ以外に冊子59冊と古文書58点も見つかった。
 
注釈書が収納されていた木箱は蔵の中で保管され、約130年間一度も開けられることがなかった。現在のデジタル媒体、つまりハードディスクやフラッシュメモリ、DVDといった媒体だったら、今から130年後にその中身を確認することができるだろうか。
 
おそらく電子データを取り出す事は難しいだろうし、ディスクはどうやったって800年間はもたない。えっ? クラウド・サービスならどうかって? それって、800年間、サブスクで利用料を払えってことかね。
 
あらためて媒体としての紙と墨はすごいと思う。紙は、人類の最大の発明だ。日々流れ去っていく情報はデジタルで構わないが、人類が後生に残すべき知は、紙でも保管しておくことが大切だ。

藤原定家直筆の注釈書「顕注密勘」

ところで京都で思い出したのが、映画「オッペンハイマー」のなかで米軍の首脳らが原爆投下地をどこにするか会議で話し合っているシーン。
 
投下の候補地リストに京都があがるのだが、時の陸軍長官(ヘンリー・ルイス・スティムソン)が、京都は自分がハネムーンで旅行した先の1つだからそこは避けたいと言った。結果、京都は原爆の投下予定地から外され、広島と長崎が選ばれた。
 
そうだとすると、京都に原爆が投下されなかったのは、たまさかの事だったのである。もしスティムソンが新婚旅行で京都を訪ねていなかったら、今の京都はなかったかもしれない。
 
「京都人にとって先の戦争とは、応仁の乱のこと」てなことを、ある種の京都人は好んで言うらしいが、京都が原爆で一面が焦土になるかどうかはアメリカさん次第で紙一重だった。もしそうなっていたら、京都は今の京都ではまったくなく、古今和歌集の注釈書どころではなかった。
 
ちなみに、陸軍長官のスティムソンは1947年2月、原爆投下に対する米国内における道義的批判を避けるために「原爆投下によって戦争を早く終わらせ、アメリカ兵だけで100万人を超える者が救われた」と表明し、また大統領のトルーマンもその考えを盲目的に踏襲した。その結果、この考えが現在に至るアメリカの原爆使用の正当化につながったとされている。