おフランスから見ると、日本人というのはよっぽど奇妙な民族なのかも知れない。あるいは、いじるのが楽な対象なのか。
フランス人記者が「NPO法人エンディングセンター」という恰好のネタを見つけたことをいいことに、われわれ日本人でも知らないことをありがたくも色々と教えてくださる。
こうした連中は、どこかに日本人に対する侮蔑観があるのだろう。
ところで、その記事の中に日本では世帯数が減少しているという記述があるが、実際はいまも増加している。そして、国立社会保障・人口問題研究所の推定では2030年まで増え続ける見通しだ。
https://www.ipss.go.jp/pp-zenkoku/j/zenkoku2023/pp_zenkoku2023.asp
(出典)国立社会保障・人口問題研究所、2023年4月12日 |
いい加減な記事を書いている仏フィガロ誌の記者はもちろん問題だが、それを平気で転載しているクーリエ・ジャポン(講談社)の編集部もまたお粗末。
『クーリエ・ジャポン』
「不気味な“人口減少実験室”ニッポンで、いま起きていること」を仏紙が列挙
Text by Régis Arnaud『フィガロ』フランス
「この区画分けした芝生が、集合住宅のようなものだと想像してみてください」。そう話す井上治代(いのうえ・はるよ)は、死後の住宅の管理人だ。
井上が代表を務めるNPO法人「エンディングセンター」は、孤独な日本人の生前と死後の支援をしている。このセンターの墓地は一ヵ所ごとに数百人を受け入れていて、亡くなった会員はそこで死後、再会することになる。いわば目に見えない小さな分譲地を割り当てられているのである。
「消滅した星」
政府が発表した速報の推計値によると、2023年の日本の出生数は75万8631人だった。これはフランスの2022年の数字とほぼ同じだが、日本の人口はフランスの2倍だ。
農業従事者の平均年齢は67歳で、自衛隊員は平均36歳だ。医療業界では、介護士の年齢が患者の年齢と数年しか違わないということがよくある。引っ越し業者もマンションの警備員も年老いていて、レストランのウェイトレスの手は節くれ立っているが、これはまだ始まりでしかない。
いつまで現状を維持できるだろうか。「もうとても手が回りません」と東京の中心地にある高級ホテルの支配人は嘆く。料金に見合うレベルのサービスを維持するために、ホテル業務を大幅に縮小することを強いられた。
そのすぐ側にある複合商業施設に行くと、昼食時に店を開けていないレストランがあることに気づく。ホールスタッフが足りないのか、食材の配達が間に合わなくなったのか、あるいは客が来なくなったのか……。郵便局はもう土曜日の配達をやめてしまった。
日本が他の国とは違う点
国連によると、歴史上最大の出生数はおそらく2013年にピークを迎えたらしい(「ピークチャイルド」と呼ばれる)。これが世界人口減少の第一段階になるだろう。そればかりか、世界人口の「指数関数的下落」の前触れだろうと統計学者のスティーヴェン・ショーは予言する。ショーは、この現象により近くで立ち会うために東京に居を定めた。
この人口減少は、予期せぬ結果を生んでいる。唯一数が増えている人口区分は65歳以上だが、政府がもっとも配慮しているのはこの層であり、晩年期の生活を支える資金の捻出に心を砕いているのだ。
こういった背景において、他者の負担になるのは高齢者ではなくて子供だということになってしまった。東京で、騒音の種になる保育園を開くのはデリケートな問題で、それはパリにごみ捨て場を作るのと似たようなものだと思われる。
「DQN TODAY」というサイトでは、うるさい子供がどこの通りにいるのか事細かにあげつらわれている。「キックボードに乗った子供たちがわがもの顔で遊歩道で遊んでいて、変な声で叫んでいるので騒がしくて大変です」という投稿が典型的なものだ。
人口と反比例して増える孤独
人口が減少すると、必然の理として孤独な人が増える。この問題については、「孤独・孤立対策担当大臣」という役職まで作られたが、それほどまでにこの問題は社会をむしばんでいるのだ。日本の人口はどんどん減っているのに、孤独な人はどんどん増えている。村の景色は人気(ひとけ)なく、都市の景色は味気なく、いずれにおいても孤独な人々は中心部の周りにますます集中することになる。
もはや老年を田舎で暮らすことは考えられない。高齢者たちは中心街で暮らすことを好むが、それは村にはなくなってしまった医療施設や商店があるからだ。世帯数は減っているが、一人世帯の数は増えている。
賃貸住宅の平均面積は小さくなり、同じく消費財もより小さなサイズで売られるようになった。レストラン、ホテル、旅行会社は“お一人様”向けに商品やサービスをアレンジし、シャンパンやワインもハーフボトルで売られるものが増えた。
いっぽう、ペット市場規模は爆発的に拡大している。犬は800万匹(註:最新の実態調査では、700万匹弱)、猫は900万匹で、子供の代替物になった。ペットは子供のようにカートに乗り、服を着て、いやいやをしたりするのだ。
買い物も社会活動も自分だけの楽しみになった。銭湯はかつてコミュニケーションと情報交換の場だったが、いまやおしゃべりを控えることが求められている。
さらに、昨今日本は香水ブームだが、これもまた孤独の傾向を表す例だ。このブームは、新型コロナウイルスの流行を機に始まった。「日本人は自分の家で香水をつけることが多いのですが、それは日常に彩りを添えるためであって、家の外で自分が通ったことを残り香によって示す他の国の人とは違うのです」と、日本ロレアル代表取締役社長、ジャン=ピエール・シャリトンは指摘する。
「墓友」
この孤独がもっとも悲痛なものになるのは、死を前にしたときだ。社会規範やしきたりを重んじる日本社会において、死はかつて親族が丁重に取り扱うものだった。
「墓の世話と死者の弔いには33年かかります。この伝統はきわめて独特な社会関係の上に築かれています」と文化人類学者のアン・アリスンは説明する。
彼女が語るには、日本の住民はかつてみんなが「縫い合わされていた」のだという。人々は生者も死者も互いにつながれていて、国家にも天皇にもつながっていた。たった一人で死に直面した場合、死は「場違い」なものになってしまう。
そのために、孤独死した死者の家を清掃する需要があることを見越した産業が生まれた。この未来ある業界を率いる会社「キーパーズ」が謳うように、こういった会社は「遺族の代わり」に最期に備えるのだ。
孤独な人々の死後の魂は「つながりを失った魂」になるとアン・アリスンは語る。役所の棚には6万個もの引き取り手のない骨壺が並び、いつか墓に埋葬されるのを待っている。
遠からぬ未来に故人と呼ばれるようになる人々は、いつでも井上治代のエンディングセンターを訪ねることができる。孤独な3900人の会員は「墓友」と呼ばれ、死を前にして顔合わせする。
おしゃべりをし、軽食を共にし、「もう一つの我が家」で知り合うようになる。それは墓友のためにつくられた一軒家だ。墓友たちは和やかな雰囲気のうちに入棺体験をおこなう。そうして町田の墓地の桜の木陰に埋葬されるのを待つ。
死が訪れてやっと、みんなと一緒になれるのだ。
だとか。余計なお世話である。
特殊な事例を意図的に集めてパッチワークすれば、日本人の奇妙さが浮かび上がる。意図して歪んだ編集をすれば、どんな国について何でも言える。
記事というのは、ただ面白ければいいというものではないだろう。