2022-05-04
2022-05-03
「仕事に熱意」6割弱は上出来だと思う
これは2、3日前の日経朝刊一面の見出しである。なぜかこれが問題らしい。いや、問題にしたいらしい。
僕は、仕事に熱意を持っている人が6割弱もいるのは大いに結構なことだと感心するのだが、どうもこの新聞の論調はそうではないようだ。世界平均と10ポイントほど乖離しているのが気に入らないらしい。
それを示したのが下記の真ん中のグラフだが、奇妙なグラフである。「10ポイント差」を否が応でも読者に強調して見せたいらしい。縦軸の基点を55でなく、普通に0からとれば印象はまったく違ったものになる。
そもそも世界平均の半分とか3分の1というのなら、まだちょっと真面目にそのあたりの理由を考えてみようという気にもなるが、10ポイント程度の差で騒ぐのはどうかと思うし、その差はグラフを見る限りここ数年大きな変化は見られない。
調査で「会社に所属する誇りがあるか」だとか、「与えられた仕事以上に取り組む意欲があるか」だとか、こうした問いに対して<大いにある>と応える人の国民性とそうではない(日本人のような)国民性があるのを無視して「差が埋まらない」ことを嘆いても始まらない。
朝刊一面トップの、この10段抜きの記事が言っているのは、日本の労働者の総労働時間や残業時間は減っている、有給休暇の取得率は上がっている、したがって「働きやすさ」は大幅に改善した。ところが、「働きがい」のスコアは世界に見劣りしている。そして、「働くことに幸せを感じる」社員が多いほど、業績がいい。だから企業は社員の幸せ感を高めなければならない。ということらしい。
理屈がヘンだ。そもそも「働きやすさ」が何を指しているのか、分からない。勤務時間や残業が短かければ働きやすいとしているが、人々が感じる働きやすさは決してそれだけではないと思う。
また、「労働時間が短い」働きやすい職場の労働者は働きがいを感じるはずだという、理屈のわからない思い込みがあるみたいだが、人間はそれほど単純ではないのだよ。
そして一番下のグラフで、働く幸せを感じている人の比率が高い企業ほど、業績がよくなっていると指摘しているが、なぜそんな因果関係を勝手に思い浮かべるのか。
社員をハッピーな気分にさせさえすれば会社が儲かるのであれば、経営者の仕事はこの上なく楽だ(でもそうじゃない)。
社員の幸せ感と業績に相関関係があることが認められたとしても、それは業績が向上している会社はそうでない会社に比べて社内の雰囲気も悪くはないだろうし、またボーナスの増額でもあれば社員の幸せ感が上がるのは容易に想像できる。
つまり、因果関係の矢印を引くとすれば、それは新聞記事の主張と逆方向と考えるのが常識的だろう。
2022-04-24
これぞ、反マーケティング
吉野家の常務取締役なる人物が、早稲田大学が主催する社会人向けのマーケティング講座で放った言葉が世間を騒がした。
「生娘をシャブ漬けにするための戦略」という、「田舎から出てきた世間知らずの若い女性客を牛丼中毒にする」アイデアを受講者にチームで考案させる講座である。
吉野家の経営陣の一角を担うその人物は、自社の商品にまったく愛情を持っていないように思える。また同様に、自分たちの顧客にも愛情の片鱗すら感じていないようだ。
生娘、シャブ漬け、という身の毛がよだつ言葉を教室内で聞きながら、「講義の流れがあったから」などとうそぶいて、牛丼常務をその場で諫めなかった大学の人間の体たらくにも腹が立つ。
そうした今回の残念な出来事のなかでひとつだけ救いだったのは、件の発言に関して運営サイドにきちんと苦情を申し入れた受講者がいたことである。
酷い性差別であるのはもちろん、覚醒剤で苦しんでいる人もいるのに、冗談にして笑って話して良いことだとは思えません。男性客に対しても『家に居場所のない人が何度も来店する』という趣旨の発言がありました。
企業の社会的価値が求められる時代に顧客を中傷する発言をすることに強い怒りを覚えましたし、その発言が教育機関でなされたことにも驚きました。
また、本心は分かりませんが教室にいた受講生の中には笑っている人もいて、温度差を感じました。
社会にも企業にも学校にも、当たり前に年齢も性別もバックグラウンドも多様な人がいます。けれどこうした偏った発言の1つ1つが、日本社会から多様性を排除していると思います。
こんな言葉は下の世代には絶対に聞かせたくない、その思いを誰かに理解して欲しくて抗議しました。高い意欲を持って学びの場を活用されようと考えていた、他の受講生の方には申し訳ない気持ちもあります。私自身は、講座はスタートしたばかりですが続けることを迷っています。マーケティングや授業よりも、人権意識を持つことの方が大切だと感じるので。
2022-04-23
1969年8月15日とは、どんな日だったか
夕方、陽気に誘われて散歩に出たついでにkino cinema 横浜みなとみらいまで足を伸ばした。そこでは映画「ベルファスト」をまだ上映していたと思ったので。
物語は、1969年8月15日のベルファストの街角からスタートする。プロテスタントの武装集団がカトリックの一般住民への攻撃を始め、ベルファストの人々、特にプロテスタントとカトリックが入り交じり暮らしているエリアでの暮らしは平穏さをなくし大きく変化していく。
2022-04-19
11歳男児の父。39歳。
いやいや、これは僕のことではない。
今日の朝刊、健康に関する悩みを専門医に相談できるサイトをビジネスとして立ち上げた人を取り上げた記事内で、彼女のプロフィールがポートレイト写真の下に以下のように紹介されていた。
この人がもし、<にのみや・みまお>という男性だったら、はたして記者はこのプロフィール・キャプションを「11歳男児の父。39歳」と書いただろうか?
この欄の記者は署名からすると女性だが、彼女はなぜこう書いたのだろう? そしてこの記事を事前に読んだはずのデスクや校閲も、なぜ疑問を感じないのだろう。
2022-04-01
Codaが作品賞を受賞
「コーダ」は劇場公開からふた月がたっているが、今回の米アカデミー賞作品賞を受賞したからなのか、近くのシネコンでいまも上映していて間に合った。Apple TV+は契約していないし、ネット配信してても映画はできれば劇場で観たいからね。
2022-03-27
キャッシュレスは、一体誰のためか
東京都内のタクシー会社が、運賃の値上げ改定を相次ぎ申請したという。その主な理由として挙げられているのが、キャシュレス決済の機器の導入コストと決済機関へ支払う手数料が増加したためだ。
タクシー最大手の日本交通は、1月に増収率27%の計算で申請を行った。最近の燃料高は確かにタクシー会社にとっては厳しい現実だと思う。その分のタクシー料金の値上げはわかる。
だが、新型コロナのためにキャッシュレス決済を導入し、その関連費用が嵩んでいると言われても簡単には納得できるものではない。コロナとキャッシュレスの関係は何だ? お金をやり取りすることで感染拡大してしまうと考えているのだろうか。
そもそもこれまでだって、クレジットカードやスイカで支払いできていた。僕に言わせれば、無用なスマホ決済を次から次へと導入し、その支払い手数料や思わぬ手続き費用に汲々としているというのが現実ではないのか。
経営判断の誤りを利用者に転化しているようだと、そのつけは自分たちに返ってくる。
2022-03-24
「幸せな国」ランキング
CNNのサイトで World's happiest countries for 2022という記事を目にした。
「国民一人当たりのGDP」「社会支援」「健康寿命」「人生における選択の自由」「市民の寛容度」「社会の汚職に関する認識」の6つの基準をもとに以下のようなランキングが発表されているが、さてどうだろう。
1位はフィンランド、そのあとにデンマーク、アイスランド、スイス、オランドとヨーロッパ諸国が上位を占める。
![]() |
| https://edition.cnn.com/travel/article/worlds-happiest-countries-2022-wellness/index.html |
日本は55位である。アジアの国々のなかでランキングで1番上位なのは台湾で24位。続いてシンガポール32位、タイ53位、フィリピン60位、韓国61位となっている。
日本は意外と(そうでもないという考えもあるかもしれないが)低い。もっとも、判定に用いられた6つの基準のなかで国民一人当たりのGDPと健康寿命は統計データから引っ張ってこれるが、それ以外はアンケート調査による各国国民の意識、つまり主観だ。そこでは国民感情の表出の傾向に左右される点を念頭においておく必要もある。
それにしても、日本はもっとランキングが高くてもいいように個人的には思うのだけど、こんなもんかね。格差やそれを起因とする諸問題が出てきているとはいえ、日本ほど安全で清潔で、食べ物がうまくて、気候に恵まれた国はそうそうないと思うんだけど。
日本国内にだけいると自分たちのことが相対化できないから、それが55位という結果の大きな要因になっているように思う。たとえば自分の国が住みやすいかどうかは、他の国に住んでみなきゃ本当のところは分からない。
日本人が日本をもっと外国からの眼で見るようになれば、見方は変わるはず。どの国が一番幸せな国かなんて調査は大きなお世話だけど、そうしたことを考えさせてくれる契機にはなっている。
調査対象となった146ヵ国のランキングは、以下のサイトでみることができる。
https://worldpopulationreview.com/country-rankings/happiest-countries-in-the-world
2022-03-22
現れたのは、仏具の広告だった
このブログに、Google AdSenseを使って広告が掲載されるように設定してみた。
最初にどんな広告が掲載されるかな、と思ってたら、あらら、仏具の広告がどーんと現れた。
僕は仏具について書いたこともなければ、検索したこともないんだけど、なんでだろう。
2022-03-21
僕の写真は国外に行っているらしい
部屋の片付けをしていたら、昔撮影した35ミリのネガフィルムが大量に出てきた。
撮影日や撮影場所が分かるようにきちんと整理してあれば良いのだが、ほとんどにはそうした記録はメモしていない。
ポジフィルムならまだしも、ネガフィルムとなれば肉眼で目を凝らしても誰が写っているのか、どこが写っているのか分からないものがほとんどだ。
どうせたいしたものではないのだろうが、こうしたものは捨ててしまうと当然ながら二度と手に入らない。と思い、データで残すことにした。
ネットで探すと、フジフィルムがネガフィルムをスキャンしてデータ化するサービスをやっているのが分かった。早速、そのサイト上で申し込む。
数日後、フィルム送付用の専用パッケージが送られて来た。取りあえず10本分を入れてフジフィルムに送ったのだが、3週間ほどたっても戻って来ない。
大丈夫かなと、少し心配になり電話で確認したところ、フィルムをスキャンしてデジタル化する作業は国外でやっていることが分かった。どこの国に僕のフィルムを送ったのかは何度たずねても教えてくれなかった。国外へ送っているため、作業に時間がかかるらしい。
以前、LINEが利用者データを中国のサーバーで管理していて問題になった件が記憶に新しいが、こうした実体のあるネガフィルムを海外へ輸送し、また送り返させているとは思いもしなかった。
運送コストに加えて、情報流出のリスクも当然高まるはずだが、そうまでしてでも国外の業者にやらせた方が安価にあがるということだろう。
我々が簡単に海外に行けないあいだに、僕の写真は海外に渡り、デジタル化され、DVDに記録されて手元に戻ってくる予定だ。支払いは、DVDを受け取る時に宅配業者に支払うようになっている。デジタル化された僕の写真は、どことも分からない国のサーバーに記録されたままで。
それって、あまりいい気分じゃないね。
2022-03-20
東の果てと西の果て
昨日、言葉や概念の日本語化について書いたが、それに関連して日本の文化の特徴としてしばしばその雑種性があげられる。
そうしたものの理由のひとつとしては、日本という国の置かれた地理的な特徴が指摘され、その後外国から極東と呼ばれた日本には大陸から朝鮮半島などを経由して種々の文化や考えがやって来て、入り交じり、日本化して留まったとされている。
そこで必要とされたのが、外国の言葉やその概念を適切に日本語に置き換える作業である。
日本が大陸の東の果てなら、アイスランドは西のどん詰まりである。地図を見ると英国とノルウェーから約1500キロほど、ヨーロッパ大陸の西に位置している。もともとノルウェー人の入植からできた国で、その後ノルウェー、デンマークによる統治を経て1944年に完全に独立した。
だがいまもクルマや家電製品、食品、本などをはじめ多くの品がヨーロッパから入ってきている。そして、物と一緒に文化や言葉も当然入って来る。
しかし、アイスランドの人たちは自国の言葉とそれに繋がる文化を守るために、他国の用語、すなわち外来語をそのまま使わず、それを母語であるアイスランド語に置き換えてきた。
たとえばアイスランド語でテレビのことは sjonvarp(ショウンバルプ)と書くらしいが、これは視覚を表すsjonと投げることを表すvarpを組み合わせた造語である。もともとのtele(遠く)+ vision(見る)からテレビジョンが作られたのと似てる。携帯電話は、移動を意味するfarと電話を表すsimi で farsimi (ファルシミ)というらしい。こうした発想は素晴らしい。
アイスランドは人口36万人たらずの人口小国ということもあるのだろうが、社会階層が極めてフラットな国。
また高度に民主化された国で、女性の社会での活動率も高い。文学や詩に親しむ人が多いといわれ、一人当たりの書籍の発行部数が多い。ものを考える習慣を持つ人が多いのだろう。
アイスランドは6年前の9月に一度訪れたことがある。ぜひまた訪ねたい国だ。https://tatsukimura.blogspot.com/search/label/アイスランド
| レイキャビックの目抜き通りで見つけた書店(1〜3階) |
| 店内のカフェ |
| 僕も3階のカウンターでしばし読書を |
2022-03-19
「ウェルビーング」は「フルヘッヘンド」しているか
今からおよそ250年もの昔、杉田玄白らはオランダ語が分からず、また辞書もないなかでオランダ語で書かれた人体解剖書である『ターヘル・アナトミア』を苦心して翻訳し『解体新書』を作った。というのは、みんな学校で習った。
それは大変な翻訳作業だったはずで、「フルヘッヘンド」というひとつの言葉をいかにして訳したかという逸話が『蘭学事始』にある。次のような話だ。
「鼻は顔の中でフルヘッヘンドしたもの」という文章があったが、その「フルヘッヘンド」の意味が分からない。ある本に「木の枝を切り取るとそのあとがフルヘッヘンドとなる」、また「庭をそうじするとごみが集まりフルヘッヘンドする」という表現を見つける。玄白らは考え続け、ふと思いつく。それは「うず高くなる」ということではないのかと。そして「鼻は顔の中でうず高くなっているもの」と訳すことができた。
考え続け、工夫し、読み手のことを考えて<言葉>に向かった玄白ら先人はほんとに偉かった。
江戸時代の杉田玄白らだけでなく、明治時代以降も日本人は頭を使い、工夫して多くの外来語を日本語に置き換えてきた。たとえばphilosophyを哲学に、scienceを科学に、cultureには文化と漢字を当てた。その他にも自由(freedom)、権利(right)、社会(society)、経済学(economics)、資本主義(capitalism)、共産主義(communism)、法律(law)、革命(revolution)なども日本で作られた日本漢語だ。
漢字で表記されたそれらの「新しい」言葉と概念の多くは中国に逆輸入された。中国の国名である中華人民共和国の「人民(people)」と「共和国(republic)」のどちらも日本人が作った言葉である。
なぜこんなトリビア的なことを記しているかというと、近頃の妙なカタカナ語が気になったから。たとえば、気取ったビジネスマンや三流コンサルがよく使う「パーパス」や「リスキリング」など。
最近では「ウェルビーング」というのもある。もとは英語のwell-being だ。日本語で言えよ、と言いたくなる。辞書には日本語の用語候補が載っているんだから。江戸時代の「フルヘッヘンド」よりよっぽど簡明だろう。
そうした連中が「ウェルビーング」と表現したがる理由は、その方が何となく新しい考え方のように響いて、そのため聞いた(読んだ)人がありがたがってくれるし、意味を明示的に定めない方が何とでも言えて金になりそうと考えているから。
well-beingをウェルビーングと表現するのは間違いではないが、考えることを放棄しているようで、とても恥ずかしい。
でまた、そうしたものを「素直に」受け入れてしまういい年した大人(企業経営者)がいるから困ったものだ。
| 思わせぶりなだけで、何も伝わってこない信託銀行の新聞広告 |
2022-03-16
2022-03-15
Wake-up Call
それは月曜日の夜の生番組の最中だったらしい。ロシアの国営テレビ・第一チャンネルで番組放映中に制作スタッフ(編集担当者)が番組内に当然「登場」した。
カメラの前で話をしている女性キャスターの後ろに、NO WARと大書、そしてロシア語で「戦争を止めろ。プロパガンダを信じないで。彼らはあなたに嘘をついている」と書いたA全ほどの用紙を広げて現れた。
視聴者は驚いただろうな。が、上記写真で手前に座ってニュースを読んでいる女性は驚いている風でないところを見ると、あらかじめ打合せ済みだったのかもしれない。
ただこれは、現在のロシアの状況下では命がけの行為である。
幸いにこの映像は世界中で拡散され、彼女がこの行動をとる以前に準備していた映像メッセージの公開もあり、注目度は世界中で一気に加速した。
警察が彼女を逮捕したものの、世界中の声を気にして軽微な罪状で(取りあえずは)済ませた。今後、彼女がロシア当局の手によってどう扱われるかが心配だ。
この、まさに目の覚めるような一発は、ロシアの、そして世界中のメディア関係者への超強力なウェイクアップ・コールになった。
2022-03-13
2022-03-12
「廃炉」幻想を我々は許せるか
東日本大震災以後、長年に渡って東京電力福島第一原発を取材している記者による『「廃炉」という幻想』からは、東京電力と政府がいう「30年で廃炉」が完全に幻想、いや我々を騙すウソだということがよく分かる。
著者は10年以上にわたり、福島第一の現状を多面的に取材し続け、報道してきた記者だ。
この本を読んで、つくづく東京電力と日本政府の欺瞞に腹が立ったし、被災地の人たちにいっそう思いを馳せないではいられなくなった。
いまテレビをつけると、ロシアからの攻撃を受け、ウクライナから難民としてポーランドなど他国に逃れている老人や女性、子どもたちの姿を目にするが、福島の人たちも自分たちが暮らしていた土地を自分の意思とは別に離れなければならなくなったのは同様で、決して人ごとではない。
国と東電は、30年以内に廃炉を「完了」すると言っているが、「使用済み燃料」の取り出しへの着手だけでも少なくとも10年遅れている(2027年か2028年の予定)。彼らが公表した工程表が画餅にすぎないことが分かる。
燃料の溶解(メルトダウン)によってできた高濃度放射性物質である「デブリ」の取り出しについては、まったく見通しがついていない。さらに、もしデブリの取り出しができたとしてもだ、今の状況ではデブリやその他発生する膨大な量の放射性廃棄物を安全に保管できる場所はない。
「放射能汚染水」の処理で出てくる高レベルの放射性汚染物(スラリー、スラッジと呼ばれている)をどう処分するかという問題にも解答はない。増え続けるそれら放射能のゴミは、ヒックと呼ぶタンクに入れられて保管されている。その数は、現在で約3000基。
そこでもたいへんなことが起ころうとしている。容器底部の密度が上がり、線量が高まり、2年後には限界を迎えて容器の破損が起こる危険性が指摘されている。中身が中身だけに、新しい容器に入れかえればそれで済むという代物ではない。極めて高い放射線からどうやって作業員を守るのか、東電は説明できていない。
つまり、現在のどのような技術を屈指しようが、東京電力と政府がいっている「30年で廃炉」は不可能。原子力学会の専門家集団は、たとえデブリを取り出せたとしても、最低でも約100年、長ければ300年は処理にかかるとレポートで結論づけている。
「3・11」から我々はまだ11年である。これから世代をいくつも受け継ぎながら、日本は福島第一の処理を続けていかなければならないらしい。
膨大な時間と費用がかかるのはもちろん、それをおこなう現場の人たちが必要となる。それについて著者の吉野はこう書いている。
フクシマ第一原発に行ってみればわかることだが、廃炉の最前線で活躍しているのは、東京電力の社員というよりは、むしろ、「協力会社」と呼ばれている二次請け、三次請け、四次請けの会社の人たちである。
やはりそうなんだなあとの思いに、心底厭な気分になる。責任を取るべき東京電力の社員はリスクがある場には現れない。
東電のエスタブリッシュメントらが責任から目をそらし、ほお被りしている一方で、経済弱者がさまざまなリスクに晒されながら現場で命がけの作業をこれからも続けていくという構図は、そのまま日本の縮図である。
当然、現場で作業する二次請け、三次請け、四次請けの会社の人たちは好き好んで放射能を浴びながら日々作業をしているわけではない(東京電力→東芝エネルギーシステムズ→一次請け→二次請け→三次請け→四次請けと続く)。ひずみとゆがみでどうしようもなくねじ曲がった日本のあられもない一面だ。
2022-03-11
ドイツには何があるのか
下図は、ユニセフ(実査はギャラップ)が21ヵ国を対象に「今後、子どもたちは今より豊かになるか、貧しくなるか」という質問調査をおこなった結果だ。
日本は、これらの21ヵ国のなかで「豊かになる」と答えた割合がもっとも少なく、そして「貧しくなる」がもっとも多かった。スペインが日本と極めて近い傾向を示している。
「豊かになる」の回答が少ないのは、その日本とスペイン、フランス、英国といった国々である一方、「豊かになる」と答えたのはインドネシア、エチオピア、バングラデッシュ、ナイジェリアなどの発展途上国。
そうした中で特徴的なのがドイツだ。先進国のなかで今後より豊かになると答えた人の割合が一番高く、日本の2倍ちかい。
ドイツ人がそれほど「楽観的」な国民性の人たちとは思えず、そう答えた理由に興味が沸く。
2022-03-10
2022-03-09
インドよ、お前もか
JR東日本の「えきねっと」を装う偽メールがこのところ頻繁に届く。文面やデザインを実際のサイトに巧妙に真似ているが、よく見るといろいろと変だ。
文中のリンク先URLのトップレベル・ドメインは、そのほとんどが .cn である。つまり中国のサイトである。
ところが最近、それらの中に .in のサイトに誘導するメールがあることに気がついた。.in はインドを示す国別コード。中国に便乗したインド人詐欺団か。
2022-03-08
不良少年たちはどこへ行ったのか
久しぶりに新宿をぶらつく機会があった。新宿3丁目あたりから花園神社、ゴールデン街、歌舞伎町周辺を行き当たりばったりに歩く。
昔の猥雑さは薄れ、といっても僕が覚えている、そして期待している猥雑さは70年代、80年代のそれだから、そうしたものが残っているほうがおかしいのは自分でも分かっている。
ただ新宿をぶらついていてひとつ気になったのは、街から不良たちがいなくなったこと。そうした連中がいた方がいいというわけではないが、なんか街全体が消毒されてしまった感じである。彼らはどこへ行ったのか。
外ではマスクが普通のご時世では、マスク顔で通行人にガン飛ばしても様にならないし、くわえタバコで斜に構えて見せるわけにもいかず、みんな家の中でネットゲームといったところか。
2022-03-07
プーチンも見ろ
CNNやBBCが映すウクライナの状況をライブで見ている。原子力発電所がロシア軍の手に落ちた。ウクライナから脱出してきた人たちの様子がポーランドからレポートされている。ゼレンスキー大統領が西側にさらなる軍事支援を求めている。
いったいこの戦争はどうなるのだろう。NATOが本格的に参戦すれば決着は着くのだろうが、戦域が自国に及ぶ可能性を懸念する為政者の判断で、なかなか踏み切れないでいる。一般市民が殺されているというのに。
明らかに違法な侵略行為が放置されている。国連も機能不全だ。このままウクライナはロシア軍に実効支配されて終わるのだろうか。
各国がロシアに対しての経済制裁を与えているなかで、中国は「話し合いが大切」と言って静観している。台湾へ侵攻する根拠付けができるのを期待している。
気分を変えようと、友人に勧められた「ドント・ルック・アップ」を見た。最後(物語が始まって6ヵ月後)には地球に彗星が衝突して人類、いや生物がすべて滅亡してしまうブラック・コメディだ。このくらい毒が効いていると気持ちがいい。
いろんなボケがかまされていて笑った。メイル・スリープ演じるアメリカ大統領は、まるでトランプを戯画化している。その大統領の名前、オーリンズ(Orlean)は、土地全体が海面下で水没可能性が高いNew Orleansを示している。というわけで、地球滅亡につながる彗星は、気候変動のメタファーだろう。
ディカプリオが演じる天文学者が、人類への危機を訴えるために出演したテレビの人気番組はThe Daily rip(Rest In Peace?)だし、その番組の男性キャスターはマウナケア山山頂にあるすばる望遠鏡が確認したという話を聞いて、「スバルは望遠鏡も作っているのか?」。自動車会社のスバルのことだと思っている。
彗星衝突が避けられないと察知すると、大統領と大富豪らは自分たちだけが搭乗できるロケットで地球を脱出する。
予測通りに彗星は地球に衝突し人類は滅亡してしまう。戦争なんかやってる場合ではないのだよ、プーチン。
2022-03-06
主要5ヵ国の若者の意識調査から
成功を決定する最も重要な要因は何か?
下記の図は、米国統計局が世界の若者を対象に調査した結果の一部(調査は世界20ヵ国で行われた)である。
調査対象者はそれぞれの国の15歳から24歳の若者だ。
日本の若者は、成功を決定するのは学歴や親の経済力、コネよりもハードワークが重要だと答えている点が他の4ヵ国と比較して特徴的だ。
対照的なのがドイツ。成功するためにもっとも重要なのはハードワークでも親の経済力やコネでもなく、学歴だとする比率がこれらのなかでずば抜けて高い。ドイツはそれほどまでに学歴社会なのか。
アメリカ、英国の若者は、ハードワークも重要だが、親の経済力やコネも重要だと答えている。学歴の重要性を示した値は、ドイツよりは低いが日本より高かった。
フランスは日本とドイツの若者の中間の位置づけである。
これらのなかで「本当だろうか?」といちばん首をひねったのが、他でもない日本の若者である。というのは、ハードワークが重要だと意識しているにしては、実際にそのように行動しているようには思えないから。
15〜19歳、20〜24歳の2群に分けた結果があれば、もう少し何か分かりそうだが。
2022-03-05
プーチンには懲役150年
ロシアのプーチン大統領は、軍についての「偽情報」を広めた人には最長15年の懲役を科すことにした。
何が恐ろしいかって、偽情報かどうかを彼らが勝手に決めることだ。自分たちに都合が悪い報道や市民の声は、すべて「偽情報」で取り締まりの対象になり人びとは逮捕され、禁固刑に処される可能性がある。
他国への軍の侵攻に関してウソを塗り重ねているプーチンには法律は適用されないのかね。
その法律の発効の結果、記者の安全のためにBBCやブルームバーグは取材活動を停止せざるを得なくなった。
ところで、そもそも日本の報道機関はどうしているのだろう。まったくロシアからのレポートを見ないが。モスクワに支社がないことはないはずだが、さっさと引き上げてしまってるということか。
2022-03-04
マスクはパンツだ
水曜日のアメリカ大統領の一般教書演説を見ていたら、バイデン大統領だけでなくハリス副大統領、ペロシ下院議長もマスクをしていなかった。米国ではもう感染拡大はピークを過ぎて落ち着いてきているということだろうか。
日本では未だ誰もがマスク顔だ。
高速道路のサービス・エリアで、そこのパーキングに入ってきたクルマのドライバーを見ると、きちんとマスクをしていた。その車には同乗者はいないにもかかわらずだ。不思議だった。
友人と話をしていたら、彼女が早朝、家の前のゴミ収集場にゴミを出すときマスクをしていなかったら、通りがかりの近所の人たちに睨まれた、と言っていた。怖いね。
感染拡大はみんなで協力して防がなくちゃいけないけど、これらはどちらもやり過ぎ。日本人がお得意の理屈を欠いた強迫観念に支配された人たちの例である。
そして今後コロナが収まっても、真面目な日本人はマスクをなかなか手放さない気がする。その本来の必要性がなくなっても、日本人はマスクを続けているだろうと。
彼らにとってマスクは、パンツをはいているのと同じように、しているのが当たり前となっている。マスクを外すのは、メシを食うときだけ。風呂に入るときにだけパンツを脱ぐのと同様。
マスクもパンツも、どちらも脱ぐとすっきりするところも似ている😳
そしてマスクが顔の一部となり、人前で手放せなくなった日本人は、外国からホモ・マスカス(マスクする人)と呼ばれるようになる!?
2022-03-03
コロナだから哲学でも勉強しよう
というわけではないが、2年ほど前に同年代の有志で読書会を始めた。昨日の最終回の会合で取り上げた『ディスタンクシオン』は大部であるだけでなく、文章の難解さでたいそう難渋したが面白かった。
2022-02-28
2022-02-27
2022-02-26
その人の名刺を見てみたい
新聞の「会社人事」欄は、以前は結構よく見ていた方だと思う。企業で仕事をしていたとき、相手先の人事を知ることは必須だったから。
大学に移ったあとも新聞の会社人事欄で、学生時代の同級生や知り合いの動向を知ることが多く、飽きずに眺めていた。
そうした彼らもほとんど現役サラリーマンを終え、僕もその欄に目を走らせることはなくなっていた。
今日、たまたまその紙面を見るともなく眺めていると、こんな肩書きの役職者をふと見つけた。
代表取締役兼副社長執行役員グループ中国・北東アジア総代表兼パナソニックオペレーショナルエクセレンスパナソニックオペレーショナルエクセレンス中国・北東アジア社社長兼パナソニックチャイナ会長、〇間〇郎
だって。本人も、どこで息継ぎしたらいいのか分かんないんじゃないの。
誰か、企業の役員の役職名の長さとその会社の業績の関係について研究してくれると面白いかも。
2022-02-24
うちでコーヒーを飲みながら思い出したこと
先日、近くのスターバックスに行った際の出来事である。
次回の読書会で取り上げる本に目を通しておかなければと、上下巻合わせて1,000ページを超える2冊を抱えて店を訪れ、コーヒーを飲みながら活字を追っていた。
ページからふと顔をあげると、店のトイレの前に立っている若い女性が目に入った・・・・・・再び本に目を落とし、何章か読み終えたタイミングでまた顔をあげると、さっきと同じ女性が同じ場所に立っているのに気がついた。十代半ばと思われる、おとなしそうな女の子だ。
最初に僕が気づいてからでも20分は経っていて、よく見るとなんだかモジモジしている。早くトイレに入りたがっている風に見えた。
ちょっと気になり、お節介かとは思ったが彼女のところまで行ってどうしたのかと尋ねてみると、彼女は黙って扉のノブのところを指さした。「使用中」を示す赤い色が見えた。僕は、彼女が中にいる客が出てこないのをずっと待っているんだと思って、ドアをトントントントントントントンと軽く7回ノックした。
7回のノックは、中に誰かいるのを確認するためのノックではなく、早く出てきなさいと促すためのノックだ。すると、間もなく中から若い女性が出てきた。あれっ、店のスタッフじゃないか!
使用済みのペーパータオルが入ったゴミ袋を片手に出てきたその店員は、僕とその後ろにいた少女をちらりと見ただけで何も言わずにさっさとカウンターに入って行った。
女の子はトイレに入り、僕は自分の席に戻ったが、なんか変だなと思った。その店員がトイレのなかでペーパータオルの補充やトイレットペーパーの交換をしていただけではないことは状況から容易に想像がついたからだ。
真面目にトイレ前でモジモジしながら何十分も待っていた子がなんだか不憫で、店員が中で何をしていたのか確認するためにカウンターに向かったとき、その女と目が合った。彼女はすぐさま僕から視線をそらし、奥の部屋に駆け込んでいった。
「逃げられた」と思ったが、カウンターのなかに乗り込むわけにもいかず、仕方ないのでそこにいた2人のスタッフに彼女はなぜ突然奥に入っていったのか訊ねたら、その男女は黙ったままお互いの顔を見合わせて首をかしげるだけ。
帰宅後、スターバックス・ジャパン本社に電話を入れた。店での一部始終を話してやったが、本社担当者の反応は「あ、そうですか」で終わり。
スタバはずいぶんと変わったなと感じた一瞬だった。この会社、どうなっちゃったんだろう。
| 人魚もしっかりしろと言ってる |
2022-02-20
利用者の無知と無関心につけ込んではいけない
インターネットの利用者情報、例えば利用者アドレスやアクセスしたサイトページ、その日時、回数などはクッキーの仕組みを使って実質的に外部に筒抜けになっている。
そうした事はマズイだろうと、先進国を中心に利用者情報の扱いを規制しネット上での利用者保護を進める考えが一般になっており、日本でもデータの外部送信への制限を設けようとの考え方が整理されようとしていた。
ところが、楽天が主導する新経済連盟を中心に経団連、経済同友会、ACCJ(在日米国商工会議所)が今回の規制案への反対を表明した。(グーグルやアマゾンまでACCJのメンバーとは知らなかった)
それら団体は声を上げただけでなく、与党政治家へのロビー活動を密かに展開することで政治の面から総務省に圧力をかけて規制案を骨抜きにしてしまった。
自分の情報がどれだけ、誰によって、どこに流れているのか、そうしたことは一般の消費者には分からない。また実際のところ、普段のなかで目に見える形での実害として現れるわけじゃないから、無頓着になってしまう。それが人の心情だ。だから日本では一部の企業によって利用者データの利用が好き勝手が行われ、放置されている。
利用者は、まずはそのことを知っておくことが大切。その上でそうしたことを気にしない人、あるいはポイントなどの対価を受け取ることで了承できる人は、ネット利用の情報が外部でとどめなく利用されることを自分の判断で受け入れればいいと思う。
ただし、それは利用者に知らせられないまま「裏で」行われてはいけないし、また個人のネット利用の情報の扱われ方についての利用者の考えが変わった際には、それに応じたデータの扱いの変更(オプトアウト)ができなければならないはずだ。
利用者は、あくまで自分に関するデータを自分でモニターでき、管理、コントールする権利が確保されてなければならないのが当然のこと。それなのに、情報の収集やその外部利用に関しての本人への同意取得義務もオプトアウトも今回の決定では見送られることになった。
一般消費者の無関心とある種の無知につけ込んで、利用者データを「換金」し続けようとする企業は長持ちしないよ。時間が経てば、日本でもいずれはヨーロッパですでに一般化されているGDPRのような規制への考え方が強くなってきて、「これまで騙されていた」と感じる消費者からそっぽを向かれるようになるのは明らかなのだから。
そのことが分かっていながら、「少しでも長くいまの状況を維持できれば」という企業の短期的思考なんだろうが、感心しない。
2022-02-19
スピルバーグの映画作りの手堅さ
アカデミー賞受賞有力作と言われている、スティーブン・スピルバーグ監督の『ウエストサイド・ストーリー』のリメイク版をレイトショーで観た。
リメイクというのも変だな、元々の1961年製作の同映画(ロバート・ワイズ、ジョローム・ロビンズ監督)は舞台がもとで、その元々の話はシェークスピアの『ロミオとジュリエット』が下敷きになっている。
まあ、よくよく考えてみると、およそほとんどの創作物にはなんらかの下敷きがある。明らかなベースと言えるものがなくても、人が創造する限り影響を受けたものがないものはない。
今回のスピルバーグが監督したウエストサイド・ストーリーだが、冒頭に登場する土地開発中(つまり工事中)のニューヨークを映したカメラワークがいい。センスと技術と予算があるな〜、といきなり惹き込まれる。
この作品、広告には「禁断の愛の物語」などと書かれているが、禁断でもなんでなく、どこにでもある普通の男女の物語である。が、それをこのようにドラマ化して見るものの心に強く訴えるものにできる芸術性というか表現力は素晴らしい。
何よりもバーンスタインの音楽は、いまも色あせない。最初にブロードウェイのミュージカルとして公演されたのは1957年のこと。バーンスタインと言えば、『ウエストサイド・ストーリー』の翌年に常任指揮者に就任したニューヨーク・フィルやウィーン・フィルの指揮者として思い出されるが、作曲家やピアニストとしても知られた存在で、ジャズについても詳しかった。
物語の舞台は1950年代、開発が急速に進むニューヨークのアッパー・ウエストサイド。建設中らしいリンカーン・センターが出てくる。映画の撮影は、街のシーンを含めて多くはスタジオセットだろう。今から60年以上前のニューヨークを描くのだから仕方がない。
そのなかで、実際に今もニューヨークにある観光スポットが使われていた。劇中では名前など出てこなかったが、マンハッタンの北部、フォート・トライオン・パークにあるクロイスターズ(The Cloisters)だ。中世の修道院様式の美術館で、ユニコーンのタペストリーを何枚も展示した部屋や小さいながらも雰囲気のある中庭が印象的だった。今回の映画には、主人公の二人がその中庭で語らうシーンが描かれていた。
今の若者からみれば、この作品に登場する若者たちは、ちょうど自分たちのおじいちゃんとおばあちゃんの世代だ。だけど、そこで繰り広げられている、ひょっとしたら取るに足らない闘争とそれが生む分断は「今」と驚くほど似ている。米国内でトランプ的な考えが生んだ社会の分断だ。アメリカの映画界には民主党支持者が多いことも考えての映画作りだろうか。
このスピルバーグ版では、リタ・モレノがヴァレンティナという新たな役を演じた。その彼女がトニーに話す台詞 "Life matters, even more than love" には、これまでのシンプルな恋愛至上主義ではない価値観が込められている。
アカデミー作品賞受賞はどうか分からないが、いくつかの部門賞はまず獲得しそうだ。
2022-02-11
真鍋さんの言葉の意味
仕事用のテーブルの上に積まれた書類の山を整理していたら、4ヵ月前の新聞が出てきた。その第一面にあったのは「真鍋さん 言葉濁した日本への思い」と題する記事。
片付けの手を止め、思わず読み直してしまった。そこに書かれた彼の言葉に考えさせられることがあったのでメモしておこう。
昨年、ノーベル物理学賞受賞が決まった日に、真鍋淑郎さんがプリンストンの自宅で日本の報道陣のインタビューに応えた言葉だ。
日本の研究は、好奇心に基づくものが以前よりもどんどん少なくなっていると思う。
⇒ 諸外国(特にアメリカ)で話題になったテーマやネタをカタカナに直して日本で紹介しているだけの研究が多い。これはとりわけ、マネジメント研究の領域で甚だしい。オリジナルなことをやるのが研究のはずなのだけど。
日本で人びとは常に、お互いの心を煩わせまいと気にかけています。とても調和の取れた関係性です。日本人が『イエス』と言っても、それは必ずしも『イエス』を意味せず、『ノー』かも知れません。
⇒ 真鍋さんは、1997年に約40年ぶりに日本に戻って仕事を始めた。当時の科学技術庁が管轄する研究組織の長に就いたのだが、4年後に辞任して米国に戻った。はっきりと考えや意思を示さず曖昧に済まそうとする日本人のスタイルは、そうした玉虫色コミュニケーションに慣れていない人間には苦痛以外の何ものでもないものだ。
なぜなら、誰かの感情を傷つけたくないからです。アメリカではやりたいことができる。他人がどう感じているか、それほど気にしなくていい。
⇒ つまり、日本では人びとは他人の感情を窺うことを優先させなければならないがために、やりたいことができないと。
米国で暮らすって、素晴らしいことですよ。私のような科学者が、研究でやりたいことを何でもやることができる。
⇒ それこそ素晴らしい。真鍋先生だから、というのもある。
私は調和の中で生きることができません。それが、日本に帰りたくない理由の1つなんです。
⇒ とても優しい言い方をされているが、日本に住む我々は自分を生きていないという指摘だろう。
最後のその言葉を彼が発したとき、インタビューの場が笑いに包まれた。そうすると、真鍋さんはしばらくの間、そこにいた日本の報道関係者たちを黙って見渡したらしい。なぜそこで笑いが起こるのか、彼には不可解だったから。
ところで彼の発言を読む限り、真鍋さんは言葉を濁してなんかいないと思うけど、記事を書いた記者はなんでそう感じたのかナ。
2022-02-10
視覚障害者にとってメタバースとはどんな世界か
メタバースについて見聞きする機会が増えてきた。ネット上に作られたその仮想の3次元空間で、人は日々働き、学び、遊ぶことができるという。
2022-02-09
高梨沙羅選手の失格について思う
スキーの高梨沙羅選手が混合団体戦の1回目のジャンプのあと、ウェアの検査でそれが失格になった。
2022-02-08
649ページの超重厚マニュアルは役に立つか
コロナ感染拡大以来、国際学会にはどこにも行けていない。これってフラストレーションが溜まるもんだね。
ところで、われわれ大学の研究者が研究を推し進めるためにもらっている代表的な研究費に科研費がある。正式には科学研究費助成金と呼ぶもので、文科省所管の日本学術振興会が仕切っている。
僕もその助成金を受け取って研究の一端を進めているわけだが、コロナで国際学会に一切出かけられなくなりどうしようかと思っていたら、その助成金の使用年限を延長することができる申請の案内が来た。
ありがたい話だ。その申請は日本学術振興会のサイトから行うのだが、サイト利用のための手引き(マニュアル)はなんと649ページもある。https://www-shinsei.jsps.go.jp/kaken/docs/kofumanual-shinseisha_K.pdf
おそらく高度に網羅的に記述しているので、サイト上で種々の手続きを行うためにはこのマニュアルを読めば何でも分かるのだろう。一方で時間がないときなどは、目眩がしてしまいそうだ。
2022-02-07
高校生たち、君らは何に夢中になってもいいけど、株には気を付けろ
「米国のウォルト・ディズニーカンパニーの株をおよそ30年前に買っていたら、今は何倍になっているでしょう。(1)2倍、(2)21倍、(3)119倍」――。21年12月、吉祥女子中学・高等学校(東京都武蔵野市)の教室で、三菱UFJモルガン・スタンレー証券の社員が生徒たちに問いかけた。正解は(3)の119倍。「1万円のお年玉を投資していたら、30年あまりで100万円を超えました」という説明に約30人の生徒が驚きの表情を浮かべた。
2022-02-06
なぜ岩波ホールは閉館するのか
今年の年明け、神保町の映画館、岩波ホールがこの7月で閉館されるとの発表があった。東宝や松竹、東急といった大手の興行システムとは異なるスタイルで、自分たちのお眼鏡に適った映画を単館で長期上映するやり方を続けていたが、とうとう立ちゆかなくなった。
下記は岩波ホールが上映したなかでのこれまでの主な作品。僕が観たのを覚えているのは、88年の『八月の鯨』、2013年の『ハンナ・アーレント』、19年の『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』あたりか。
『ハンナ・アーレント』
https://tatsukimura.blogspot.com/2013/11/blog-post_24.html
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
https://tatsukimura.blogspot.com/2019/06/blog-post_26.html
日本のほぼすべての新聞(全国紙)が岩波ホール閉館を惜しみ、「なぜ支えられなかったのか」という論調の記事を書いているが、いまさら何を言ってるのかと思わないでいられない。普段ろくに目を向けたこともないくせに、何かあると「どうして閉館するのか?」と問う。
それはそうと、岩波ホールの閉館は日本の組織の失敗の典型例にみえる。神保町駅の真上という集客型ビジネスでは願ってもない最高の立地。九段下駅も近くだ。近隣は日本を代表する古書街、書店街がある。大学も周辺に数多くある。オフィスや商業施設もたくさんある。劇場が入っているビルは、自社ビルである岩波神保町ビル。だからテナント料を心配する必要はないはず。そして、「岩波」という日本の最高の知性ブランドを掲げる。
良質な映画を単館上映する姿勢を守り、「社会情勢の変化とともに観客が減った結果」の閉館決定と伝えられているが、根本のところは経営者の能力とやる気のなさではないだろうか。
自分たちが考える「良質な映画」にこだわり、それを標榜するのは勝手だが「良質」とは何かは個人の、そして時代の価値観によって異なる。
かつては岩波ホールでは高野悦子さんという知る人ぞ知る優れた映画人が支配人をしていたが、そんなことは今の若い人たちは知る術もない。今の時代に自分たちをどう位置づけ、どう社会(映画ファン)に向けて発信していくかの基本的な行為すら経営者は分かってなかった。
自分たちの価値観で「いい映画」を上映するだけではなく、映画館は興行なんだからそれを興味のありそうな人たちに伝え、魅力を感じてもらい、劇場に足を運ぶようさせなければにっちもさっちもいかなくなるのは当然のこと。
コロナ禍の影響は大きかったと思うが、時間の問題だったと言える。
2022-02-05
反省だったら、猿でもできる
昨年12月下旬、『日経ビジネス』誌の記者が大学の研究室にやって来た。今度、ファンづくりに関しての特集を作るので、インタビューをしたいとのこと。
僕がNPS(Net Promoter Score)日本版とも言えるPSJ(Promoter Score Japan)を提唱してるのを何かで知って、それについて話を聞きたいということだった。
クリスマス前のその日、研究室で1時間ほど話をし、彼はそれをICレコーダーで録音し、その後持って来たカメラで写真を何枚か撮って帰っていった。
また、誰か企業のマーケティング責任者でNPS/PSJについてインタビューできる人を紹介してもえないかと言うので、知り合いの化粧品会社のマーケティング部長を紹介した。
先週、その特集を組んだ日経ビジネスが発売されたのだが、その記事には括弧(引用符)つきで僕がしゃべってないこと、むしろこちらの意図とは逆の内容がいかにも僕がしゃべったように書かれていた。先のマーケティング部長もインタビューで都合のいいところだけを摘ままれたと指摘している。
黙っているのは良くないので、件の担当者にどういうことか問いただしたら、インタビューの際の話のいくつかをつなぎ合わせて1つの発言にしたと言い、「猛省しております」と返答を送ってきた。
すぐさま猛省するくらいなら、そもそもそんなことをして記事を作るのはやめた方がいい。
2022-02-04
3.7% 増えて市場規模はいくらに
今日の日経の記事。2020年度の日本の広告費は対前年比16%のマイナス、翌21年度は過去最高の伸びの15%プラスだったらしい。で、22年度は3.7%の伸びという見通しらしい。
どういった推計を行っているのか分からないが、それにもましてこの記事はここ数年の国内広告費に関するもののはずなのに、金額の実数が一切書かれていないのが不思議。
2022-01-27
北京冬季五輪のテレビCM
来週、北京で第24回目の冬季オリンピックが開催される。オミクロン型コロナウイルスが世界的に蔓延してなかでの大会となる。
日本ではオンエアされていないが、IOCがUncommon Creative Studioというロンドンの広告制作会社に作らせた北京冬季五輪のCMが世界で流されている。
世界中が冬季オリンピアンとシンクロしていく様を表現するのがコンセプトなんだろうけど、ちょっとね。
2022-01-25
騙される方が悪い、のがネットの世界か?
動画投稿アプリTik Tokの日本法人が、インターネット上で影響力を持つインフルエンサーたちに金を渡して特定の動画をTwitterに投稿させ、拡散しようとしていたと報じられた。
2022-01-24
マーケティングは、そこにあった
2022-01-23
老年期の男と少年と動物、そしてメキシコの旅路
映画「クライ・マッチョ」は、クリント・イーストウッドが50年前に「恐怖のメロディー」で監督デビューしてから40作目になる作品。今や誰もが認める大監督である
監督と主演をつとめるイーストウッドが演じる元ロデオ・スターのマイクは、かつての落馬をきっかけに引退し、今は静かな、そしてある意味で落ちぶれた男として暮らしている。
先日見た『マークスマン』で、リーアム・ニーソンがメキシコ人の少年を連れてメキシコ国境から中西部の街シカゴを目指すスタイルと似ている。
これは、91歳になったイーストウッドが眺める人生へのひとつの眼差しだ。イーストウッド節といっていい、性根の太さとペーソスを漂わせる。
2022-01-18
森友事件糾明の声は再燃するか
もっと本を読もう、映画は映画館で観よう、と思い、先月契約を止めたネットフリックスを再契約してしまった。そして「新聞記者」6話分を一気見してしまった。
一晩で一気に見るつもりはなかったのだけど、次の話がどんどん再生されていくんだもんなあ。うまいというか、ほんとよくできているよ。
ストーリーの中心は、安倍元首相の例の森友学園問題で近畿財務局の職員だった赤木俊夫さんが自殺にいたったことと、それに絡んだ官邸と財務省の作為だ。
本件、関係者はもう終わったと胸をなで下ろしていたかもしれないが、これで再燃するかもしれない。
日本のメディアには官邸や総務省からの圧力がかかっているだけでなく、局の番組スポンサーも政府の意向を気にしてできるだけ波風を立てない考えをもっている。だから報道姿勢も腰砕けというか、見て見ぬ振りを続けているように思える。
だが、ネットフリックスにはそうした忖度は基本的にほぼ無用のようだ。しかも、このドラマの視聴者は日本国内だけでなく、世界中の人間がそれぞれの言語の字幕付きで見ることができるのが何と言っても圧倒的だ。テレビ局も番組スポンサーも、フィルムの配給会社も劇場興行主も関係ない。コンテンツそのものに力があれば、何億人という人がダイレクトに見てくれる。
2022-01-15
リーアム・ニーソンの新作
もとは米海兵隊員で名うての狙撃兵だった男が、メキシコとの国境近くの田舎町でいまは小さな農場で愛犬とだけ暮らしている。
その彼がある日、訳あってメキシコの麻薬カルテル組織から追われてアメリカに逃げ込んできた親子と出会う。母親は撃ち殺され、彼はメキシコ人の11歳の少年を連れてシカゴを目指すことになる。
ラジエーターの壊れたクルマで北へひた走る彼(リーアム・ニーソン)と少年、ワンコも乗ってる。映画『マークスマン』は、彼らに対して執拗に迫ってくる組織の殺し屋たちとの戦いを描いたロードムービー。
ストーリーはシンプルだが、登場人物の輪郭と彼らの関係がくっきり描かれている。まだ11歳とあどけなさも残るが、利発なメキシコ人少年。息子を心底愛していたその母親。リーアムが最近失った妻と、今は地元の国境警備隊の捜査官として働く娘。そして、愛犬。
本作品でのリーアム・兄さん、じゃなかった、ニーソンが演じる主人公は『グラントリノ』のイーストウッドを彷彿とさせる。
どこか親近感があると思ったプロットは、ジョン・カサベテスの『グロリア』を連想させる。
観客は50代以上がほとんどだった。
2022-01-12
「ダークウォーターズ」は、アメリカの水俣だ
マーク・ラファロが主人公の弁護士ロブ・ビロットを演じた『ダークウォーターズ』は、ビロットも含め、映画に登場する全員がすべて実在の人物である。
ということは、ストーリーも事実に基づいているということ。アメリカの大化学企業デュポンが起こしたとてつもない環境汚染と、その被害者である多くの住民と、たまたま彼らの側で闘うことになった弁護士を描いている。
物語は1998年から始まる。ビロットが勤務する法律事務所に彼の祖母の知り合いだというウェスト・バージニア州で農場を営む中年男が訪ねてくる。物語はいつもひょんなことからスタートする。これもまた作り話ではなく事実だ。
デュポン社が生んだ巨大なイノベーションのひとつである<テフロン>が製造される段階でPFOA (PFAS) という化学物質が排出され、デュポン社はそれが持つ強い毒性を種々の実験調査で知っていながらたれ流すことで水を汚染していた。多くの住民や従業員が癌で亡くなり、女性は顔面が畸形化した子どもを産んでいた。
何十年も前からその毒性を確認しておきながら、莫大な利益を生む製品を守るために自分たちが犯している犯罪を隠蔽し、誤魔化し、政治力に訴えてもみ消そうとする世界的な巨大化学会社。その存在はどこの国にもあり、珍しい存在ではないかもしれない。
しかし、その犯罪的行為を真正面から糾弾する映画は珍しい。デュポンやテフロンは、実在する企業名、製品名。舞台とされている街(ウェスト・バージニア州パーカーズバーグ)も実在の街だ。登場人物の名前も実在の人びとだ。
アメリカには、こうした映画を作る勇気があることに敬服する。正義を求め、それを真正面から堂々と主張しなければと考えるスピリットが多くの人のなかに生きている。
この映画、僕は個人的に音楽の使い方が気に入ったところがある。たとえば、主人公の弁護士ビロットが実状を確認しようと初めてウエスト・バージニア州を車で訪れるとき、BGMにジョン・デンバーの「カントリー・ロード」が流れる。
そうだ、覚えているかな。こんな歌詞で始まる。
♪ Almost heaven, West Virginia
Blue Ridge Mountains, Shenandoah River
Life is old there, older than the trees
Younger than the mountains, growin' like a breeze
Country roads, take me home
To the place where I belong
West Virginia, mountain momma
Take me home, country roads
「♪まるで天国、ウエスト・ヴァージニア」と始まる歌で、皮肉が効いている。
ビロットは文字通りその身を掛け、デュポンというゴリアテ相手に何年もの闘いを挑み、やっと裁判に持ち込む。その裁判は、いま現在も続いているという。水俣と同じだ。
映画のラスト、懐かしい声がスクリーンから流れてきた。Johnny Cashが歌う「I Won't Back Down」である。聴いてて泣きたくなったよ。
2022-01-11
理解し、重要なポイントを選び、手を使って覚えることから始まる
新聞のサイトでGIGAスクール構想とやらの現実を映す写真を見て、思うところがあった。
GIGAスクール構想は、文部科学省が2019年12月に打ち出した全国の小中学校生に一人一台のパソコン(タブレット)端末を渡し、学校には高速大容量のネットワーク環境を設けるという政策だ。
この写真、教室内で子どもたちが授業の終わりに先生の板書内容を「一人一台」のタブレット端末で撮影している。前の児童の頭が邪魔なのか立ち上がり腕を伸ばして撮影しているようだが、みんながそれをやれば結局は同じ。
これはどこかで見た風景であり、僕が教える大学院(ビジネススクール)でも、数年前まで教室で「カシャッ」「カシャッ」という音が響いていた。
不愉快なので禁止にした。不満の声が出たが、こちらが話をしているときに不遠慮に聞こえてくる撮影音がノイズであるのはもちろんのこと、ノートを取るという作業を放棄して写真さえ撮っておけば安心、という学生の思考放棄に問題があると考えたからだ。
手を怪我していてノートが取れない、だからしかたなく黒板(ホワイトボード)を撮す、そしてちゃんと後で見返す。というのなら、もちろんOKだ。が、そうでもないのにホワイトボードやプロジェクタースクリーンをパシャパシャやって、それで「学んだ」気になっているだけなのが大半である。
確かにノートを取らないという学習スタイルはある。その時に自分の頭で考え、理解し、覚えるべきことは記憶できるという自信があればそれでいい。あるいは、理解することを主眼に据え、記憶も記録も自分には不要だと割り切れば、それもそれで構わないだろう。
だがそうした考えでノートを取らないのではなく、写真さえ撮っておけばなんとなく安心、と思っているのが窺える。
本来、ノートを取る、つまり自分の言葉で記録しておくためには、まず内容を理解し、残しておくために記録するべきことを峻別し、文字や記号などでそれを留めておくことが求められる。そうした当たり前のことをやっているかが問題だ。
ジャーナリストの故筑紫哲也さんは手考足思(もとは陶芸家、河井寛次郎さんの言葉)をつねづね語っていたが、タブレットのカメラでカシャッとやって済ますのは学習することとはほど遠い。
小学生の時からそんなことをさせてどうするのだ。彼らのノートパソコンやタブレットの中にはやがて大量の写真情報が蓄積されていく。しかしそれは、学ぶこととはまったく無関係。
そういえば、ムーンライダーズに『カメラ=万年筆』という傑作アルバムがあったが、これからの小学校は、さしずめ「タブレット=カメラ」と成り果てるのだろう。
2022-01-04
『ボストン市庁舎』
映画『ボストン市庁舎』(原題:City Hall)は、今年の1月1日に91歳になった映画監督、フレデリック・ワイズマンが制作したドキュメンタリー。
劇場での上映開始が今朝9時で、途中10分の休憩を挟んで終了したのが午後2時前だった。本編274分。鑑賞料2800円。半日仕事になってしまったが、時間をやり繰りして出かけた甲斐はあった。
今回の作品はワイズマンの43本目のドキュメンタリーになるが、彼の作るものはある意味で独特だ。ナレーションなし、BGMなし、インタビューなし。フリルの付いたテレビのドキュメンタリー番組に慣れた向きには素っ気ないだろうが、余計な飾りや制作者の意図を拝した姿が伝わる。
制作の場では、目の前で起こっていることをワイズマンを含めて3人という少人数のクルーが映像と音声に収めていく。監督であるワイズマンは、撮影後の編集はもちろん、現場では音声も担当しているらしい。
今回の彼の作品がこれまでのものと違う点は、ある特定の人物に焦点を当てていることかもしれない。それが、当時のボストン市長であるマーティン・ウォルシュ(現在はバイデン政権下の労働長官)だ。
彼が市庁舎や警察などの関係機関はもちろん、市民や各種NPOなどの集会に出かけて話をするシーンがたくさん出てくる。そこでのウォルシュのスピーチ、そして市民などのやり取りが日本人には珍しく映る。言葉の力というものを見せつけられ、実にまぶしい。
行政は何のためにあるのか、市長の存在意義は何なのか、市民との関係はどうあるべきなのか、実にフランクにそして的確に、かつ誰にでも分かりやすく説明をする。
質問や苦情を投げかける市民の方も容赦はない。ストレートに自分(たち)の考えや要望を伝え、対応を求める。成熟した民主主義ってこうなんだろうなって、観ていて感心することしきりだった。
ボストンはアメリカのなかでも歴史のある古い街。だから、さまざまな人種が交錯する。そして格差や不均衡、差別が存在している。性のありかたも多様だ。それぞれのバックグラウンドを抱えた市民やコミュニティが、自らの生を求めるなかでストレートに主張をぶつけ合う。言葉を尽くして相手に訴えかける。
忖度なんて考えていたら何も始まらない。で、当然ながら言葉には言葉で対応する。その力強さと発展性は、残念ながら日本には根本的に欠けているものだ。
ところで、この映画こそ日本の役所で働く連中にも見せなきゃ、と思ったら、今日行った映画館では市役所勤務の人を対象にした「市役所割」をやっていたよ。
いい考えだと思うけど、本当は各自治体が自分たちで上映会を行って、行政のあるべき姿に関して議論などしたらいいと思う。
斎藤幸平のあやしさ
地球温暖化は避けがたい現実である。だが、地球温暖化や気候変動の原因を資本主義に収斂させる単純な思考には首を傾げてしまう。
そもそも、こうしたことは「主義」の問題なのか。地球温暖化や気候変動の原因やそれらへの対応はもっと科学的な議論であるべきだ。
人類の経済活動が地球を破壊するとする人新生の考え方を唱える人は、「主義」の転換が問題解決につながると考えているらしく、具体的にいえば資本主義を共産主義に転換することが必要と言う。
だがそれで何か変わるのか、僕にはよく分からない。中国はCO2を排出していないのか。してる、大量に。
われわれは、環境保全を目的として共産主義の世界で生きるべきか。われわれは、そもそも何のために生きているのか。これは哲学の問題だが、ただ生物として生存するために、そのことを第一義的にして生きることに意味があるか疑問を感じる。
大阪市立大の斎藤幸平の本で「人新世」という言葉が知られるようになったが、そもそもその言葉の定義すらまだ定まっていない。
人新世という用語は、科学的な文脈で非公式に使用されており、正式な地質年代とするかについて議論が続いている。人新世の開始年代は様々な提案があり、12,000年前の農耕革命を始まりとするものから、1960年代以降という遅い時期を始まりとする意見まで幅がある。(Wikipedia)
それは12,000年前からか、それとも60年前からか、という訳だ。これでは議論のスタート地点にも立てない。
60年前から(1960年以降)というのは、以下のグラフからの指摘だろう。確かに異常気温が顕著になっているのはその頃からだ。だが、その当時はソビエト連邦はまだ崩壊していなかったし、多くの東欧の諸国も共産主義を標榜していた。
| https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%96%B0%E4%B8%96 |
ところで先日のNHKのテレビ番組で、斎藤がチェコの経済学者で『善と悪の経済学』の著者のトーマス・セドラチェクとリモートで対談していたが、その冒頭で斎藤は、
In my book, I argued for de-growth communism which became very popular currently in Japan ....
とセドラチェクに迫ったが、very popular in Japan はないだろう。彼の本がどれだけ売れたのかは詳しく知らないが、たとえ100万部のミリオンセラーだとしても、日本人の1%以下。そして、その本を購入したからといって、購入者のすべてが彼の主張する<脱成長コミュニズム>に賛同しているわけでもない。
セドラチェクは、かつてソ連に侵攻されたことのあるチェコの学者ということもあって、コミュニズムの復権には注意深さを崩さず、きわめて懐疑的である。
そのチェコからネットで対談参加している彼に対し、日本の実状など分からないからとこうしたハッタリをかますのはいかがなものか。
そうした人間を精神分析の視点から論評することはたやすいが、それはここでは書かない。ただ言えるのは、こうした人物は信用出来ないということである。
2022-01-03
最初から結論ありきで論じている
今朝の日本経済新聞の一面。「社内の幸福度の低さが企業の成長を阻み、それが社員の不満をさらに高めかねない」とある。その元になっているのは、同紙に掲載されているグラフ化された以下の調査結果だ。
これで分かるのは、せいぜい社員の幸福度と企業業績の間に相関関係がありそうだということだけ。ところが同紙は、「社員の幸福度の低下」が「企業の売上高の低下」を導くという因果関係があると一方的に解釈している。
そうではなく、「企業の売上低下」が「社員の幸福度の低下」を導いている可能性をなぜ考えないのだろうか。あるいは、ここにはない別因子の「経営の拙さ」が「企業の売上高の低下」と「社員の幸福度の低下」の双方を導いているとは。
日本企業では社員の幸福度が低いことが原因で企業業績がはかばかしくない、だから社員にもっとハッピーになってもらうことが肝心である、と読者に向けて言いたいようだけど理屈に合ってない。
そもそも目を向けるべきは社員の心の状態ではなく、企業経営の巧拙の方だろう。





