2022年1月25日

騙される方が悪い、のがネットの世界か?

動画投稿アプリTik Tokの日本法人が、インターネット上で影響力を持つインフルエンサーたちに金を渡して特定の動画をTwitterに投稿させ、拡散しようとしていたと報じられた。

報道ではステルス・マーケティングではないかと書いてあったが、こうした訳のわからない言い方はやめて、はっきりと「やらせ」と呼んだ方が良いんじゃないのかね。

他にもアドフラウとか、その実態が一般の人にはすぐには分かりようがないアメリカ生まれの用語そのままをカタカナで使うのは、どうしたものかと思う。

そうした用語は日本語できちんと置き換えて表現することで意味とニュアンスもより明確に伝わるはずだ。たとえば、アドフラウは端的に「広告詐欺」と表現すればすむ。

カタカナで表現されると、オブラートで包まれたような印象しか残らない。まずはメディアの人間が意識的に物事を表現するようになると状況は少しずつ変わっていく。
 
ところでバイトダンス社だが、その後「利用者や関係者の皆さまに誤認を与える可能性があることを考慮し、今後このような施策は行わないよう社内に周知徹底し、再発防止に取り組む」との声明を出したが、いったい外部の誰がそれを確認できるのか。

とにかく金で易々と釣られるインフルエンサーがいる限り、こうしたことはなくならることはない。契約に基づいた金銭の支払いでなくても、それを求める連中に対して如何様にでもインセンティブは提供できる。

ここはもう、諦めるしかない。ネット上の不正を厳密に取り締まることはできないし、自浄作用に任せるのも現実的とは思えない。あとできることは、受け手であるわれわれの側がしっかり知恵を働かせて、ウソとマコトを自分で判断するしかない。狐と狸の化かし合いではないが、ネットはそういう世界だ。
 
広告やマーケティング上のやらせは、最近始まったことではない。むかしからあり、これをどう捉えるかは状況や立場によって異なるので簡単ではない。 

プロダクト・プレイスメントという手法がある。たとえば映画やドラマの小道具や衣装などに特定の商品を用いることで間接的に訴求するというやり方だ。これもまた昔から古典的なやり方だが、手法として有名になったきっかけは、1982年のスピルバーグの映画『E.T.』で使われたチョコレートからだ。
 
007シリーズでボンドがしている腕時計なんかも明らかにプロダクト・プレイスメントだろう。自動車メーカーが番組提供しているテレビドラマで主人公が乗る車は当然、そのメーカーの車だ。これらを「やらせ」と呼ぶかどうかだが、そうは受け取らないのが一般的だろう。
 
やらせかどうかの線引きは実に難しい。結局は、受け手の考え方とリテラシー次第ということになる。