映画『ボストン市庁舎』(原題:City Hall)は、今年の1月1日に91歳になった映画監督、フレデリック・ワイズマンが制作したドキュメンタリー。
劇場での上映開始が今朝9時で、途中10分の休憩を挟んで終了したのが午後2時前だった。本編274分。鑑賞料2800円。半日仕事になってしまったが、時間をやり繰りして出かけた甲斐はあった。
今回の作品はワイズマンの43本目のドキュメンタリーになるが、彼の作るものはある意味で独特だ。ナレーションなし、BGMなし、インタビューなし。フリルの付いたテレビのドキュメンタリー番組に慣れた向きには素っ気ないだろうが、余計な飾りや制作者の意図を拝した姿が伝わる。
制作の場では、目の前で起こっていることをワイズマンを含めて3人という少人数のクルーが映像と音声に収めていく。監督であるワイズマンは、撮影後の編集はもちろん、現場では音声も担当しているらしい。
今回の彼の作品がこれまでのものと違う点は、ある特定の人物に焦点を当てていることかもしれない。それが、当時のボストン市長であるマーティン・ウォルシュ(現在はバイデン政権下の労働長官)だ。
彼が市庁舎や警察などの関係機関はもちろん、市民や各種NPOなどの集会に出かけて話をするシーンがたくさん出てくる。そこでのウォルシュのスピーチ、そして市民などのやり取りが日本人には珍しく映る。言葉の力というものを見せつけられ、実にまぶしい。
行政は何のためにあるのか、市長の存在意義は何なのか、市民との関係はどうあるべきなのか、実にフランクにそして的確に、かつ誰にでも分かりやすく説明をする。
質問や苦情を投げかける市民の方も容赦はない。ストレートに自分(たち)の考えや要望を伝え、対応を求める。成熟した民主主義ってこうなんだろうなって、観ていて感心することしきりだった。
ボストンはアメリカのなかでも歴史のある古い街。だから、さまざまな人種が交錯する。そして格差や不均衡、差別が存在している。性のありかたも多様だ。それぞれのバックグラウンドを抱えた市民やコミュニティが、自らの生を求めるなかでストレートに主張をぶつけ合う。言葉を尽くして相手に訴えかける。
忖度なんて考えていたら何も始まらない。で、当然ながら言葉には言葉で対応する。その力強さと発展性は、残念ながら日本には根本的に欠けているものだ。
ところで、この映画こそ日本の役所で働く連中にも見せなきゃ、と思ったら、今日行った映画館では市役所勤務の人を対象にした「市役所割」をやっていたよ。
いい考えだと思うけど、本当は各自治体が自分たちで上映会を行って、行政のあるべき姿に関して議論などしたらいいと思う。