30代半ばの知り合いが昨年末でそれまで勤めていた会社を辞めた。今年から別の業界に飛び込むらしい。
彼の年齢から、ダグラス・アダムズの法則と呼ばれる考え方があるのを思い出した。
それは、「人は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを自然の世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じる。35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じる」というものである。
30代半ばの知り合いが昨年末でそれまで勤めていた会社を辞めた。今年から別の業界に飛び込むらしい。
彼の年齢から、ダグラス・アダムズの法則と呼ばれる考え方があるのを思い出した。
それは、「人は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを自然の世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じる。35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じる」というものである。
1月1日の各紙一面トップ記事をさらった。
朝日・・・「未来予想図 ともに歩もう」
毎日・・・「露、ヤフコメ改ざん転載 政府系メディアが工作か」
読売・・・「 米高速炉計画 日本参加へ」
東京・・・「「脱原発」叫び強くなれ」
日経・・・「資本主義 作り直す」
朝日、東京、日経は連載特集の初回記事だ。朝日は「未来のデザイン」、東京は「声を上げて デモのあとさき」、日経は「成長の未来図」というシリーズが始まる。
原発に関連した記事を東京新聞と読売新聞が取り上げているが、論調はきわめて対照的だ。読売は、高速炉計画への参加について、その難しさを指摘しながらも必要性を訴えようとしている。一方、東京新聞の一面は、直接原発に関した内容の記事ではないが、フリーの写真家を取り上げるなかで「脱原発」の意味を読者に語っている。 両社のスタンスがよく分かる。
特に元日だからと気張ったところがないのが毎日だ。ロシアの政府系メディアが日本の雑誌、ニュースサイトの読者コメントを改ざんして転載していることを指摘している。今回、そうした改ざんを毎日新聞が確認したものだけでも「週刊朝日」「ニューズウィーク日本版」「ヤフーニュース」がある。ロシアの主たる目的は、日米分断をあおることだと分析されている。
勝手に記事を書き換えたり、原文に書かれていないコメントを自分たちの情報操作を目的に勝手に付け加えていることが明らかにされた。ロシアのこうした情報操作はソ連時代からのもので、第二次大戦前から世界的に巧妙に行われていて、いわばお家芸なんだろう。
人のいい日本人たちは、これまでこうした旧ソ連やロシアによる情報操作と不正な手口でどれほど不利益を被ってきたことか。毎日新聞はいい仕事をしている。
その一方でノー天気としか思えないのが、朝日新聞だ。12月に横浜アリーナで行われたDREAMS COME TRUEのコンサートを引き合いに、ともに手を携えて未来に進もう、とのご託宣だが、まるで朝日中学生新聞かと思った。
元日の新聞一面は、各紙、自分たちの姿勢を読者に表明する場としてそれなりに時間をかけて考えられているはず。いまそれらの新聞各紙が何を考えているか、何に依っているかを知る手だけになる。
政府はよほど国民にマイナンバーカードを持たせたいらしい。何人ものタレントを使い、複数バーションのテレビCMでその取得を熱心に促している。
そのCMのひとつがこれ。
「いまもう国民の3人に1人が持っているっていうから・・・」
と、佐々木蔵之介が話すこのテレビCMに、なんだか馬鹿にされていると感じた視聴者も多いことだろう。理屈はなく、ただ<船に乗り遅れるよ>と相手を不安がらせようとしているだけ。
船と言えば、「沈没船ジョーク」と呼ばれる各国の国民性を揶揄した鉄板ジョークがある。こんな話だーー。
様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、さてどのように声をかければいいか?
イギリス人には、「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」と伝える。
ドイツ人には、「規則ですので飛び込んでください」と伝える。
アメリカ人には、「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」と伝える
イタリア人には、「海で美女が泳いでます」と伝える。
フランス人には、「決して海には飛び込まないで下さい」と伝える。
中国人には、「おいしい食材が泳いでますよ」と伝える。
日本人には、「もうみなさん飛び込んでますよ」と伝える。
総務省が作ったこのテレビCMが言わんとしていることは、これと同じ。「何も考えなくていいから、さっさと右へ倣えでカード作れ」って。
深層心理の部分で国民に向かって「海に飛び込めー」って言ってる。
映画「たちあがる女」は2019年作のめっぽう元気で、気が利いたアイスランド映画である。
主人公ハットラを演じるハルズ・ゲイルハルズドッテルを見ていて、「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドを連想した。
現代のアイスランドを舞台に、その環境破壊を食い止めるために立ち上がった一人の女性を描いたユニークな作品で、自然にあふれたアイスランドの地にも環境汚染の波が押し寄せていることが分かる。中国資本が注がれたアルミニウムの製錬工場である。
アルミニウムの製錬には大量の電気を必要とするが、アイスランドは火山の国、すべての電力は地熱でまかなわれていて電気代が安い(タダ)からだ。
平原に延びる送電線をショートさせ、鉄塔を一人で爆破する彼女は一人で立ち上がり、戦いを続けている。
警察などから追われる彼女を赤外線カメラで執拗に追うドローンは中国の象徴だ。姿を捉えられないように死んだ羊の皮をまとって逃げるハットラ。途中、彼女を追うドローンをハットラが弓矢(!)で仕留め、手に握った石で叩き潰すシーンは「これが私たちのあんたへの回答よ」と聞こえた。その時、彼女は彼女のヒーローであるネルソン・マンデラの写真で作ったお面を被っている!
彼女にはオルガンと太鼓、スーザフォンの謎の3人からなる音楽隊が寄り添っていて、時に彼女の気持ちを象徴するように、時に彼女を励ますかのようにリズムを刻む。さらに3人の若い女性からなるコーラス隊もあちこちのシーンで登場する。不思議なユーモラスさを醸し出している。
映画のなか、自転車でアイスランドを旅するスペイン人の若者が方々のシーンで登場する。彼はその都度、ハットラが巻き起こす騒動に巻き添えを食わされる。気の毒だったり、情けなかったり。でも可笑しい。
太古の土地が残り、原始性豊かな自然のなかで暮らすアイスランドにも、外国からの資本が容赦なく流入し経済発展の名の下で環境破壊が行われていることへ、この映画は警告を発している。快作である。
駆け足で瀬戸内海に浮かぶ直島の美術館3館、地中美術館、ベネッセ・ミュージアム、李禹煥(リー・ウーファン)美術館を回ってきた。
特に今回の目当てだった地中美術館は、安藤忠雄が設計した独特なデザインによる美術館。建物自体が美術館のひとつの作品だ。
実は、2004年にこの美術館がオープンした時に一度訪問している。夏の暑い日だったのを覚えている。表の駐車場に延びる長蛇の列に並び、1時間近く待っただろうか。結局、暑さに疲れて諦め、入館しないまま島を去った覚えがある。
今回は、コロナ感染拡大防止のために事前予約制による入館なので、「これなら」と思い訪ねた次第だ。
そこには3人の作家、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品がそれぞれの展示室に分けられて恒久展示されている。
モネの部屋には5点の「睡蓮」が展示されていた。いずれもモネが70代半ばを過ぎて取り組んだ作品。会場スタッフの人と、モネが高齢になって煩っていた白内障がモネの作品に与えた影響について意見を交わす。
地中だけど、展示スペースには天窓が設けらえていて、柔らかな空間の雰囲気が醸し出されている。とりわけジェームズ・タレルの「オープン・スカイ」は天窓とそこから差し込んでくる光も作品のひとつになっている。
ジェームズ・タレルの会場では、彼の作品が展示されている新潟県十日町の「光の館」(2000年に越後妻有トリエンナーレのために制作)に展示されているタレル作品をめぐってスタッフの方としばし歓談。
彼女らは、本当はそうした会話は禁じられているのかも知れないけど、ほかに誰も客がいないし、こちらが話しかけると色々と専門知識を教えてくれるのでありがたい。
|
| ブルース・ナウマン「100年生きて死ね」1984年(ベネッセ・ミュージアム) |
| ミュージアム・カフェのテラスから夕暮れの瀬戸内海を望む |
LINE Payでキャンペーン参加者の個人情報が漏洩していた。下記の記事にあるように2ヵ月にわたって外部からアクセスできる状態になっていた。
そもそも、LINE社のセキュリティに関しては、2014年頃から問題点を指摘する声も一部ではあげられていた。
https://facta.co.jp/article/201407039.html
それにしても、こうした記事が掲載される際にLINEについては「日本で8600万人のユーザーを持つ・・・」という説明がメディアでなされているが、どうも信じられない。
国内ユーザー数8600万人というのはLINEが発表している数字だろうが、これは全国の15歳以上すべての77%にあたる。12歳以上に対象を広げても73%だ。日本全土のほぼ4人に3人がLINEユーザーということになるが・・・。
総務省が2021年6月に発表した「通信利用動向調査」によると、2020年度の日本国内のスマホの利用率は下図のように68.2%である。しかもこの数字は「無回答」を除いたものなので、実数はそれより低い可能性が高い。
先のLINEの国内ユーザーが8600万人というのとは辻褄が合わない。
最相さんの『辛口サイショーの人生案内DX』(ミシマ社)が面白かった。
ところで、この本のタイトルのDXには<デラックス>とルビが振ってある。今流行りのデジタル・トランスフォーメーションではないところが昭和で、僕が気に入ったところ。
そもそも、今ごろデジタル・トランスフォーメーションが重要などといって口角泡を飛ばしている国家も企業も、それだけで自分たちが既に周回遅れなのが分かってるのかね。
たとえば承認プロセスのハンコをどうやってなくすかとか、紙の書類を電子化して効率化を図るなんてことを経営者が考えている段階でアウトだ。沈みゆくタイタニック号の甲板の上でデッキチェアをきれいに並び直しているようなもの。やってる感はあるが、それだけ。
大切なのはMX、つまりマネジメント・ トランスフォーメーションなのだよ。
たとえよく切れる包丁を手にしたからといって、それで素人がいっちょまえの板前仕事ができるわけではない。優れた料理の提供に必要なのは、そして繁盛する店をやり繰りするのは、客が何を欲しがっているかという理解とそれに応える技術、そして豊かな経験と想像力なのだ。
それをなしに、日本の経営者は、何か「魔法の道具」さえ手に入れればすべてうまくゆくと考えてはいないだろうか。
なぜ日本の財政破綻が避けられないのか、以下の記事はとても分かりやすくその理由と現在の日本の状況を説明してくれている。
https://toyokeizai.net/articles/-/471734
一方で、元イェール大学教授の浜田宏一など、有力な経済学者に日本はどれだけ国債を発行しても「理論的に」破綻はしないと以前から説く人たちもいる。 浜田はアベノミクスの理論的支柱でもあった人物で、元内閣官房参与だった。
「日本政府は自国通貨を発行しているので破産することはありません」という彼の一貫した主張に強い疑問を持っていた僕には、慶應大学の木幡による先の説明の方が明らかにスジが通っているように思える。
作曲家の池辺晋一郎さんが、若かりし頃を思い出してこんなことを話していた。
特に目的もなく、誰かと飲んだりしゃべったりする時間からどれほどの人生の滋養がえられるか。その時には、これが自分を太らせてくれるなんて思いもしないんだけど、少なくとも、僕はそういう世界に育てられてきたんです。
自分が若かったころ、つくづく閑だったと思う。特に学生時代は、大学に行っても教室に向かうわけでなく、近くの喫茶店や部室で誰彼ともなく一緒にほんとにダラダラダラダラ話をしていた。
それが何を自分に残したのか、そんなものがあったのかさえ判然としないが、ただそうした中で自分以外の人間とどう話を合わせていくか、意識しているわけではないが相手をどう理解するかなど考えていたのかも知れない。
今、そんなことをしている若者を見ることはあまりない。昔ながらの居心地のいい喫茶店が減っているのは一因だろう。以前に比べ、空いた時間を潰す手段もたくさんできた。面と向かって本音を話すより、スマホで書き込んだ方が気楽に思えるからというのもあるだろう。
だから激論になって、思わずテーブルをどんと叩いたり、ましてやコップの水を相手の顔にぶっかけるなんてことはあり得ないんだろうね。(まったく自慢じゃないが、ぼくは昔やったことがある)
先日、駅前のレストランを昼食を取っていたとき、隣のテーブルには若い男女4人組がいて(最初は彼らの存在にすら気づかなかった)、それら4人ともが下を向きスマホをいじっていた。まったく会話がない。いまでは珍しい風景ではないけど、つい「お前ら、せっかくなんだから何か話でもしろよ」 と言ってやりたくなった。
色んなものが薄まってきた。淡泊であっさりも悪くはないが、気持が太る機会がますますなくなっているように思う。
ニュースの中で日常的に見聞きする市場規模予測。
コンサルティング会社のデロイトによると、世界の顔認証関連の市場規模は25年に85億ドル(約1兆円)となり、20年の38億ドルから倍以上になると予想されている。今日の新聞紙面からだ。読んだ読者は、へぇ〜とその規模の大きさにちょっと驚いたりするんだろう。だけど、まとなビジネスマンなら、本当はこれってまずは疑ってかかった方がいい。
まず、顔認証関連の、って言われても、何がどこまで関連領域なのかまったく不明だ。だから、その数字の信憑性も不明のはず。
先のことなんかよく分からないんだから、新聞記者ももう少しおずおずと、そしていじいじと語ってくれればそういうもんだと思えるのだけど、こうもしれっと言われると、一般の読者はそうなんだろうと勝手に思い込んでしまう。
その数字をはじき出したのが誰なのか表に出るわけでなく、5年や10年後にその推計がどのくらい当たっていたかなんて誰も気にしないと分かっているから、あっけらかんとしたもんだ。
少なくとも一応はその数字に至った計算式とその前提があるはず。市場予測を発表するコンサル会社は、それを公表すべきだ。そして、メディアはそうした数字を記事に用いるのであれば、読者がそれを確認できるように参照先サイトをQRコードで示すか、ウェブ上でURLを表記すべきだ。
読者に対するそうした配慮がなされないまま、無根拠としか言えないような市場規模予測がニュースでまかり通っているというお話。
飛行機に搭乗したのは、昨年の2月以来のことだ。
早朝、羽田空港で全日空機に乗り込んだ。搭乗機の入口で乗客を迎えてくれるCAと軽く挨拶を交わす。これまでも何度となく行ってることだけど、なんか違う印象が残った。何だろう・・・。
予約した席が後方窓口だったので、そこへ向かう途中にも何人かのCAと挨拶をかわす。そこで気がついた。アイコンタクトの時間が以前と比べて長い。加えて、その時の目に力がこもっている。
コロナ感染対策でCAらも全員マスクをしている状況で、彼女たちが自然にそうするようになったのか、あるいは会社の考えからそう指導されているのか知らないが、マスクで半分以上隠れた顔でお客を迎えるための工夫だ。
来年4月に、大学の教職員証(IDカード)を一斉に新しくするので写真を提出するようにと人事課から連絡があった。
彼らの説明によると、2022年3月31日時点で以下の職名で仕事を継続する人は、必ず手続きをするようにとしている。それらは、
教授
准教授
講師(専任)
特任教授
教授(テニュアトラック)
准教授(テニュアトラック)
講師(テニュアトラック)
教授(任期付)
准教授(任期付)
講師(任期付)
助教
助手
特任研究教授
上級研究員
主任研究員
次席研究員
研究助手、だそうだ。
こんなに多種な肩書きが大学内にあったなんて、これまで僕は気がつかなかった。このリストを見ると、たとえば教授といっても種類が5つある。
このヒエラルキーのあり方は、役所内の官僚的序列よりも酷かったりして・・・。以前はこうではなかったように思うのだけど、いつからこうなったんだろう。
皇族のお嬢さんが結婚し、早々に二人でニューヨークへ渡ったとか。
人ごとながら、よかったと思う。
ニューヨークは楽しいよ。彼の方はマンハッタンにあるロースクールに通っていたらしいから、現地での生活の仕方も分かってるだろうしね。
とにかくNYではみんな勝手に、自由に生きている。それが当たり前、それが自然に行われている。どこかの国のように、つまんないことであれこれヘンな口を挟む人はいない。いても、それは一部の特殊なヘンな人たちだから放っておけば済む。
日本を脱出して、今はさぞ清々した気分に違いない。
あの『ナニワ金融道』で一世を風靡した異色の漫画家、青木雄二が『僕が最後に言い残したかったこと』(小学館)のなかでこんなことを語っているのを見つけた。
僕が思うに、間違いなくマルクスは復活してくる。多分、最初は西ヨーロッパで、その動きが出てくるでしょう。だけど、さっきも言ったように、日本で最初に復活しても不思議ではない。(中略) 非常にゆっくりと少しずつ、社会主義体制への動きが活発になるはずや。僕は多分、エコロジー関係の問題に絡んでマルクス主義の復活が始まるような気がするで。
青木がこれを語ったのは2003年のこと。斎藤幸平『人新生の「資本論」』(集英社)に先立つこと17年だ。
『リスペクト』は、「ソウルの女王」ことアレサ・フランクリンを描いた作品。3年前に亡くなったアレサをジェニファー・ハドソンが演じているが、とにかくその歌唱に圧倒される。
牧師の娘に生まれ、教会でゴスペルとともに育ったアレサが「神」について歌い、語るとき、無神論者のぼくも一瞬、神の存在を信じたくなったほど。声のちから、歌のちからを今一度思い起こさせられた。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとの交流や、60年代のアメリカの公民権運動のなかで彼が暗殺されたときのことなども紹介されているのは、BLMの流れが米国で定着してきたことの表れか。
劇中、アレサの父親(デトロイトの有力な牧師)をフォレスト・ウィッテイカーが演じていたが、彼がマーティン・ルーサー・キングJr. が殺されたあと、「多く(の黒人牧師)が彼の後がまを狙っている」と言ったのが妙に記憶に残った。
そうした黒人を巡る当時の世相も織り込みながらということなのだろうが、とにかくそうした時代変革の背景もあってか、60年代から70年代には素晴らしい音楽がたくさん作られた。
映画のタイトルにもなった「Respect」は、元のオーティス・レディング版とはまったく印象が違うアレサ版ともいえるもの。 フリーダム♪ フリーダム♪ とシャウトするアレサのオリジナルの「Think」。そしてキャロル・キング作の「Natural Woman」など、どの歌唱も素晴らしい。
この映画では、強権的だった父親やマネージャーとして彼女を支配し続けた夫など、多くの男たちからの束縛と抑圧から一人の人間として解き放たれたいと願う一人の黒人女性が描かれている。
ひと月半ほど前になるが、国連の専門機関のひとつWIPO(世界知的所有権機関)がグローバル・イノベーション・インデックス2021年版を発表した。以下がその上位10ヵ国だ。
今年もスイスが1位。日本のお隣の韓国は5位に入っている。米国とアジアからランクインした韓国とシンガポールを除いた7ヵ国は、すべて欧州勢だ。中国は12位。日本はその後塵を拝して13位となっている。
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| https://www.wipo.int/pressroom/ja/articles/2021/article_0008.html |
このランキングがどれだけのことを語っているかという点はあるが、どうも日本は「イノベーション、イノベーション」と誰も彼もが叫ぶ割に、肝心のイノベーションが生まれていない。一体、何が問題なんだろう。
明治維新から150年経っても日本人にタキシードが似合わないように、イノベーションも本来的に日本人に似合わないのか。
『文藝春秋』の巻頭随筆に、「漫画家の母を見つめて」と題した文章が掲載されていた。書いた山崎デルスは、漫画家のヤマザキマリの息子だ。仕事はフリーランス・カメラマンとなっている。
ヤマザキが、黒澤明が旧ソ連で制作した映画『デルス・ウザーラ』(1975年公開)に感動して息子にデルスと名付けたと何かで読んだことがある。いい名前だ。
その彼が、母であるヤマザキマリと義理の父のベッピの間で両者を眺め、そのなかから忙しさなどにへこたれず仕事に邁進する母への尊敬の思いを書いている。
何と言っても掲載誌が『文藝春秋』だから、原稿はおそらくヤマザキマリが事前に読んでチェックしたのかどうかなどと妙なことを気にしながら読んだが、素直な文章は母親譲りなんだろう。
苦労人で、そして才能豊かな母親としてブレイディみかこも忘れてはいけない。現地英国の中学校で、「ブルー」という単語はどんな感情を意味するか、という国語の先生の質問に間違った答えを書いてしまったあと、ノートの右隅に「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」と落書きした彼女の息子も、きっと面白い書き手になると思っている。
またぞろ、ヘンなカタカナ言葉を新聞などで目にするようになった。<リスキリング>という言葉だ。技術、技能を表す英語の名詞 skill がもとになっている。
新聞などで「リスキリング(学び直し)」と書かれているが、どうして「学び直し」じゃダメなのか。
その例としてよく紹介されるのが、米アマゾンの事例だ。同社は、2025年までに米アマゾンの従業員10万人に対しリスキリングすると発表した。一人当たり約75万円の教育投資を行うことで、非技術系人材を技術職に移行させる「アマゾン・テクニカル・アカデミー」、IT系エンジニアがAI等の高度スキルを獲得するための「マシン・ラーニング・ユニバーシティ」などを実施するとしている。
米アマゾン一社だけでも750億円の金が動くわけだから、それを目当てにリスキリングの旗を振り始めた有象無象が現れるわけだ。
日本では、日立製作所が国内グループ企業の全社員約16万人を対象にDX基礎教育を実施すると発表している。
教育関連企業やコンサルティング会社を中心に、「社長さん! リスキリングに乗り遅れてますよ、おたく」といったセールス・トークが方々でなされているのだろうが、何がどうなればリスキリングとやらが「できた」状態になるのか何も語られておらず、さっぱり分からないのが現状だ。
リスキリングを触れ回っている連中は、どうも「オオカミが来た!」と叫び、ナイーブな日本人を惑わしているだけのように見える。
企業にとって大切なことは、そうした流言飛語と見紛う扇動に容易に乗せられないこと。360度の情報を集めて状況を判断し、自分の頭で何をやるべきか考えること。それができない人たちは、またしてもカモにされて終わるだけである。
だいたいが、事情通を気取ってこうしたカタカナ言葉を振り回す連中にろくな奴はいない。
リスキリング(学び直し)に乗せられようとしている経営者は、まずはリシンキング(考え直し)した方がよいと思うよ、ほんと。
衆院選の結果、465人の当選者が決定した。それら議員の男女比率は、男性82%に対して女性は18%。年代で見ると、70〜80歳台がまだ9%いる一方で、20〜30歳台はわずか5%しかいない。20代で当選した候補は一人だけだった。
そんな今回の選挙結果を受け、経団連の会長(住友化学社長)は自民党の絶対安定と政策の継続を歓迎したとか。日本の経済界は表層ではいろいろ言っても、結局は社会の変革など何も求めていないのが分かる。
先週のこと、地下鉄東西線の大手町駅に「行幸地下ワクチン接種会場はこちら」という表示を持って立っている人がいた。40代半ばくらいの男性で、首から都職員のIDカードをぶら下げている。
何だろ?と思い、それってどこにあるんですか?と訪ねると、丸の内側の地下一帯だという。地下鉄大手町駅は八重洲口だから、東京駅の反対側だ。そこに現在大規模接種会場を設置し、いまなら予約なしでワクチン接種を受けられるという。
僕自身は接種済みなので直接の関係はないが、横浜市に住んでいる学生で自治体による接種をまだ受けられていないと言っていた学生のことを思い出した。なぜ彼が予約をまだ取れないのかよく分からないところがあるのだが、いずれにせよ未接種のままでは周囲にも迷惑をかけることになる。
そこで、会場表示のプラカードを持って立っている都職員に、都外の人間でも受けられるのか尋ねたところ、都内在住か、あるいは都内に勤務じゃないとダメだという。じゃあ、都内の大学に通学している学生はどうなのか聞いたら「さあ」と。分からないらしい。
当然、その場で都庁に電話を入れるなりして確認してくれると思ったら、あっさり「ホームページかなにかで調べてください」と言われてしまった。
大勢の市民が行き交うところにプラカード持って立ってるのだから、もともとそのくらいの情報は持っているのが当然だと思うのだけど。
「自分で調べて」と言うのなら、40男が立っている必要はない。東京都職員の給料は高いんだから。学生バイトに任せなさい。
時折雨が降った日曜日だった。昼過ぎに投票会場になっている近くの小学校に行くと、思いもよらず長蛇の列。
「最後尾はこちら」のプラカードを持っている女性に、どのくらいかかるか訊いてみたら20分ほどだろうとの返答。会場の体育館から学校の門まで投票に訪れた人たちがずーと並んでいた。
何か読み物を持って来ればよかったと思ったこともあって、出直すことにした。そして夕方、雨が止んだのを見て、再度投票所に出かけた。列の様子は昼間とほぼ同じ、長蛇の列である。
こんなの初めてだが、それだけ有権者が高い投票意識を持っているのなら結構なことと自分に言い聞かせた。
夜8時から開票が始まり、テレビ局はどこも開票速報を報じる選挙特番を流している。なかでも面白いのが、爆笑問題の太田が政治家とやり取りしていたTBSの番組だ。
自民党の二階前幹事長に「人相が悪いんですけど怒ってますか?」と切り込み、「いつまで政治家続けるつもりですか?」と突っ込みをかまし、二階を「お前失礼だよ!」と怒らせてたので、おもわず笑ってしまった。
テレビの報道番組で、経済学者の野口悠紀雄さんが日本はもう先進国ではなく、衰退途上国だと語っていた。僕自身、10年前の3・11以来ずっと感じていたことだ。各種のデータもそのことを示している。
たとえば経済成長率、平均給与の伸び率、株価、国の競争力、科学技術分野の研究業績、ジェンダーギャップ指数など、日本の相対的位置づけは明らかに低迷を続けている。
日本は1975年の第1回からG7会議の加盟国だが、いずれG7のメンバーから外されても不思議ではない。主要先進国から衰退途上国へポジションが変わったのだから。
もともと英語もできず、原稿がなければスピーチすらできないこの国の首相がG7の会合に参加しても存在感などなかった。いてもいなくても同じだったから、他国の代表は日本がそこから消えても誰も気にしないだろう。
明日、衆議院議員総選挙が行われるが、どうやってもコップの中の嵐だ。20年後のこの国の姿を描いてみせる政治家がいない。
元FBの社員、フランシス・ホーゲンさんがCBS「60 Minutes」のインタビューに続き、米国上院の公聴会で証言した。
どういった経緯で彼女がここまで立ち上がらなければならなくなったのか知らないが、たぶん社内でいくら声を上げ自分たちの誤りを正そうとしても、埒があかなかったからだろう。
利益を最大化するためには平気でウソをつくことを厭わず、醜悪なものが目前にあるのに見ない振りをし、知らぬ存ぜぬで見え透いたきれいごとを口走るバッカーザーグ、いやザッカーバーグへの鉄槌だ。
駅前のM銀行で貸金庫を契約した。間違いなく来る大型地震への備えのひとつだ。
最初、電話で利用を申し込むと、審査があるのでまず一度来店してくれと言われた。銀行の担当者が相手の人物を<見る>らしい。面倒だが仕方なく通帳と身分証明書をポケットに出向いたら、まだ学校を出たばかりと窺える若い女性行員から横柄としか思えない極めて事務的な対応を受けた。
アポ通りの時間に店舗を訪ねたにもかかわらず何にも準備しておらず、こちらが行ってから必要書類などを1つずつ揃えていく。客が目の前でそれを待っているにもかかわらず眼中にないみたいだ。彼女の意識は、おそらく支店内の先輩と上司に向かっている。
こうしたどこを見ているか分からない若い行員の「眼力」を試すために、わざわざ店まで客を呼びつけるなよ。
紙を1枚渡され、名前、住所、連絡先、携帯番号、勤務先名、勤務先での役職、勤務先住所などを記入させられる。で、「一週間ほどで審査結果が出ます」と告げられた。その結果が出なければ次の手続きは進まない。
10日ほどして審査に通ったという連絡があり、再度予約をして銀行の店舗を訪ねた(どうして銀行はいまだに窓口が午後3時までなのか?)。今回が正規の利用申込で、何枚もの書類に個人情報を記入させられる。すべての書類に口座開設時に届出したハンコを捺印していく。
手元の書類に判を押しながら「オタクではDXっての、何かやってるの?」 と聞いてみると、入社3年目というお客さま相談課のS林君は「本社ではいろいろ始めているみたいです」と。
「ハンコ、無くなりそう?」と尋ねると、「無理でしょうね」と彼。「こんなことお客さんにいつまでもやらせていると、そのうち誰も銀行使わなくなって、代わりに日々の決済なんかヤフーとか楽天でみんな済ますようになるよ」と言ったら、彼は「そうでしょうね(分かってるじゃない!)、でも僕が働いているうちは大丈夫だと思います(エエッ!)」だって。
入社3年目がこれだから、銀行幹部のおじさんたちの頭の中は推して知るべし。銀行はなくなっても仕方ないけど、貸金庫の中身はなくさないようにしてくれよ。
自宅のすぐ近くに大手コンビニチェーンの店があって、重宝している。
今日は、大学からの帰宅途中にビールを買いに立ち寄った。時間は夜の11時を過ぎていた。お客さんは僕の他には若いカップルがひと組だけ。アイスクリームのケースをのぞいている。
僕が精算カウンターに行くと、奥で揚げ物を作っていたA達君が出てきた。「いらっしゃいませ」「こんばんは」といつものように挨拶をかわす。
支払いをしながら「朝9時まで?」、と以前彼から聞いたことのある仕事明けの時間を尋ねると、「はい ・・・ 実は今日はお昼からずっとなんです」
「えっ! 何時間の勤務になるの?」と訊ねたら、下を向いて指を折って数え始め「20時間です」とこちらを向いた。
「ずっと一人で?」、「はい、ワンオペです」と彼。午後1時から働き始め、翌朝の9時まで一人でコンビニのすべての業務を行うという。
その間、代わりのスタッフはいないから、食事も落ち着いてとれない。トイレもゆっくりすますことはできない。お客さんがいないときは体を休ませるようにしていると言ったけど、横になって眠ることはできないはずだ。
とにかく人手が足りないらしい。彼はアルバイトなのだが、端で見ていても真面目でよく働くから店主から都合良くシフトを頼られてしまうのかもしれない。
「大丈夫ですよ、もう慣れてますから。37時間働いたこともありますから」と話してくれた。
そうやってまで働く彼には彼の事情があるのかもしれないと思いつつも、コンビニエンス(便利)ストアってもうここまで営業しなくてもいいと思わないでいられない気持になった。そもそも労働基準法に違反している。
ある時期まで、夜間にそのコンビニに行くとオーナーらしき50代後半の男性が店番をしていたが、最近は見なくなった。 何かあったのかもしれないし、ただ疲れただけなのかもしれない。
どちらにしても、もうコンビニの24時間営業もA達君も限界にきている。なんとかならないものか。
この頃見る広告は、CMも印刷媒体もウェブもどれもこれもつまらなくなったと思ってたけど、優れたアイデアといいスタッフを集めてちゃんと作ればこんなイカシタCMができる。
夕食後、テレビのニュースを見ながら、実際は聞きながら、いつものように本を読んでいた。
『拡張するキュレーション』という新書を片手でめくり、155ページに掲載されてるバンクシーの「風船と少女」に目が行ったとき、テレビでバンクシーのまさに同じ作品がオークションで141億円の値がついたというニュース映像が画面に現れた。
この本でバンクシーのことが記されているのはこの前後の数ページで、「風船と少女」が掲載されているのはこのページのみ。
びっくり⁉️ 完璧なシンクロニシティだ。
2021年のノーベル物理学賞をプリンストン大学の真鍋淑郎博士が受賞した。
彼は大学院修了後に日本の気象庁に入ろうとしたが採用されず、アメリカの気象局に就職した。その後、アメリカで地球温暖化対策につながる気候変動の予測モデルを開発し、今回、ドイツの研究者とともにノーベル物理学賞を受賞した。
真鍋さんは、受賞後のインタビューで日本に帰りたくないと語った。「日本に戻りたくない理由の一つは、周囲に同調して生きる能力がないからです」と冗談めかしたが、その本音をわれわれは考えなければいけない。
彼は帰りたくない理由として、「日本では人々はいつも他人を邪魔しないように気遣っています。とても調和的な関係を作っています」と述べ、一方アメリカでは「自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかにも気にする必要がありません」と比較して語った。
「米国では、他人の気持ちを気にする必要がありません。私も他人の気持ちを傷つけたくはありませんが、私は他の人のことを気にすることが得意ではない。アメリカでの暮らしは素晴らしいと思っています。おそらく、私のような研究者にとっては。好きな研究を何でもできるからです」とし、「私はまわりと協調して生きることができない。それが日本に帰りたくない理由の一つです」と明言した。
90歳になる真鍋さんは、ご自身が米国籍を取られたこともあり、もう日本については諦めているのかもしれない。
ノーベル賞を受賞した碩学のこの発言の内容だが、その後国内でこのことはほとんど議論されていないように思う。半世紀以上も海外から日本を眺めてきた科学者のこの「観察」をないがしろにすることは、日本全体がガラパゴス化をさらに深めることにつながる。
本当は、彼のこの発言はとても重いはずなんだけど。
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| 真鍋淑郎さん |
閲覧数(サイトへのアクセス)を不当に水増しして、それで不当な広告費をだまし取る広告詐欺(「アドフラウ」と呼ばれている)の被害が以前にまして深刻化している。
今日の新聞が社会面において7段抜きで報じた。
ひとつの理由として、広告主(企業)側の姿勢が指摘されている。自分たちの広告がどういったサイト(メディア)に掲載されているかという質への関心にまして、どれだけ安い単価でより多く配信されるかを重視しているがために足下を掬われているということ。つまり、広告主側のマーケティング意識の欠如だ。
もうひとつは、そうした広告主の考えを逆手にとったネット広告業界側の不正行為の継続である。典型的な例は、とにかくアクセス数を増やすことを目的にしたボットを使った不適切で無意味なサイトへの重点的アクセスだ。
いつまで経ってもこうした不正がなくらならないだけでなく増加する要因としては、根本がおかしくなっているネット広告業界の構造的な問題がある。
2000年を過ぎてから、企業による広告媒体の利用が従来のマスメディアからネット利用へと大きく変化してきたが、そろそろ現状の問題の深刻さに気づいた広告主は本格的な再考を始めている。
コロナ感染者数の一応の減少によって緊急事態宣言が解かれ、人の動きが増してきたように思う。
酒を提供できなかった飲食店でもやっと食事と一緒に飲めるようになった。アルコール提供の自粛、閉店時間午後8時の要請、そうしたことが実際に感染拡大防止にどれだけ役に立ったのか、僕は強く疑っている。
結果オーライで、感染者数が減ったのだから良かった正しかったんじゃないかというのではダメ。
そろそろ、また旅行業界が政府に泣きつき始めた。Go To トラベルを早く再開しろと。
多くの人々の気持の中には、出かけたい、旅行したい、という思いがふつふつと甦ってきているはず。それにただ弾みを付けるためだけに、一部の企業や関係者にだけ恩恵が向かう政策に多額の税金をこれ以上流し込むべきではない。
旅行や移動を制限されていたから、人々は旅行しなかった。その制約がなくなれば、放っておいても人は旅行という行動をとるのは間違いない。それに、さらに税金で自分らを潤せというのは欲が深すぎるんじゃないの。
消費者の行動の抑制で厳しいビジネス環境で耐えることを強いられたのは、なにもホテルや旅館、交通機関だけじゃない。
音楽、演劇、ダンスなどのライブ・エンターテイメントは、公演の場をずっと失っていた。病院は、一般患者の通院や健康診断の受診数が減少して収益を確保するのが大変だったはず。
もちろん飲食店もだ。僕が贔屓にしている近くの日本料理店は、先月末で緊急事態宣言が解除されるまで、この1年間で営業できた(店を開店した)のは3週間にも満たなかったと言っていた。
ある大手ホテル&リゾートの経営者が、インバウンドが期待できないのだから早々にまたGo To をやってくれなければ困る、と恥ずかしげもなく主張してたが、自分たちのことだけでなく少し広い目で社会を見たらどうだ。
先に述べた通り、人々の気持ちの中には旅行をしたいという感情と欲求がわいているのは間違いないのだから、旅行ビジネスに携わる人たちは、ただ政府に補助金政策で後押ししてくれと訴えるのではなく、業界挙げて旅や旅行の愉しさや本来の喜びを国民に伝える工夫をしたらどうだ。
自分で頭を使うことをせず、いきなり「補助金ちょーだい」というところが、日本の旅館業界のレベルの低さを象徴している。
そのうち、業界からも国交省を中心とした政府関係者からもまた「インバウンド」の合唱が始まることだろう。
インバウンドについて、先日、作家の北方謙三さんがこう書いていた。
インバウンドとは、どういう意味なのかな。もし外国人旅行者のことを言うのなら、そのまま日本語で言った方が、はるかに分かりやすくないか。(中略)日本語で言えないので、インバウンドなどと言ったりするのだろう。インバウンドが外国人旅行者だとしたら、それほど日本人にとって不都合な人たちになるのか。いやだなあ。私は、ほんとうにいやだよ。
その通り、本当にいやだね。「インバウンド」はひとつの例で、そのほかにも流行り言葉を自分で吟味することなくそのままカタカナで表現して、括弧のなかで日本語で説明するなど、各メディアの見識のなさが目立つこの頃だ。
言語脳科学を専門とする東大の先生が、情報を記録するツールと記憶に関しての実験を行った。
学生を手帳群(手書き)、タブレット群(電子ペン入力)、スマホ群(フリック入力)の3群に分けて、記憶力の差を図ることを目的にある課題に取り組ませた。
その結果として、記憶を想起する際の脳の活動をMRIで測定してみたところ、手帳に手書きしたグループが他の2グループに比べて「豊富で深い記憶情報を取り出せる」ことが明らかになった。
その理由として上げられているのは、紙には思い出すための「手がかり」が多いということ。手帳のどのあたりのページのどのあたりの場所に書いたか、何色のボールペンで書いたか、丸で囲ったかどうかなど、空間情報や色の形の情報が記憶に残るから。
ダブレットに電子ペンを使って記録しても同様かと思うかも知れないが、タブレットではどのあたりのページといった物的な感覚はあまり備えていない。
いまだに記録にはノートと手帳が手放せない僕としては、これまでそうじゃないかと思っていたことが、まだ1つの実験結果だけだけどこうして実証されたことに少しほっとしてる。
世の中、デジタルらしい。
教育の場でもデジタルが流行りだ。ハイブリッドとかハイフレックスとか、コロナは収まってきたのに一旦走り始めたこちらは収まろうとはせず、エスカレートしている。
授業を録画してアーカイブに入れてまた利用できるようにした方がいいとか、オンデマンドで学生がいつでも授業を見られるようにすべきだとか、いろいろ。
会議の席で大学の教員から、大学内に授業用動画収録のための本格的なスタジオを作るべきだとの提案があった。なんでもこれからは映像の「クオリティ」が重要だからとか。被写体のクオリティはどうすんねん、と思わず突っ込みかけた。
他の大学(多くの場合、海外の有力校)を例に引いて、もっとDXを積極的に推し進めるべきだと何も迷わず主張する人たちがいるのにも驚く。やろうとしていることは、DXのためのDX。本来の目的はどこへやらである。だから、世の中の動向を一向だにせず、どこかで見た海外の先進的な事例を自分たちのモデルと考える。
一方でオンラインでのPCスクリーン越しの授業に慣れた学生は、本当かどうか分からない理由を掲げてリモートでの受講を求める。教室まで来るのが面倒臭くなっているのだろう。
どっちもどっち。DXだかデトックスだか知らないが、そんなことやってて新しい知が生まれるはずはない。逆に人の思考力がかすれていくだけのような気がする。
『文藝春秋』に財務事務次官の矢野氏が寄稿した「財務次官、モノ申す 『このままでは国家財政は破綻する』」が波紋を拡げているようだ。
この記事、分かりやすく十分納得のいくものである。数日前にこのブログで拡大が止まらない財政赤字について書いたとき、参考にさせてもらった。
彼が書くように、政治家は無為なバラマキ政策をあらためて、財政を立て直す意識を持たなければならないと思う。ジャカスカ国債を発行すればよいというものではない。恩恵にあずかる連中はウハウハだろうが、ツケは必ず後に回ってくる。誰かのところに。
後々の世代に思いを向ける意識が少しでもあれば、目の前に出されたマシュマロを後先考えずに口に放り込む愚かさに気づくと思うのだけど。
『文藝春秋』のその記事に、自民党政調会長の高市早苗が「大変失礼な言い方だ」とテレビ番組(NHK「日曜討論」)の中で噛みついた。
ん? 何言っているんだろう、この人。「失礼」とは
【失礼】礼儀を欠く振る舞いをする・こと(さま)。失敬。無作法。「―なことを言う」「―のないようにもてなす」「先日は―しました」「ちょっと前を―します」
つまり、彼女が「失礼」と感じたのは、役人が自分と違う考え方を口にしたことが彼女にとって礼儀を欠いていることを指している。
自分は違う考え方なのであれば、それを説明すればよい。立場の上下の問題ではない。彼女にとっては、自分と考えが異なる人は「失礼」な人になるんだろう。
また彼女は、続けてこんなことを語った。
基礎的財政支出にこだわって本当に困っている人を助けない。未来を担う子供たちに投資しない。こんな馬鹿げた話はないん? 困っている人を助けなくていいとか、子供への投資を控えるとか、そうした話は先の『文藝春秋』の記事中に一言も書かれてはいない。
どうやったら、こんなに思い込みが強くなるんだろう。
また、上記にあるように、彼女は「分配(政策)で消費マインドを高めていけば税収となって返ってくる。総合的に考えていただきたい」と言ったようだが、これまで散々バラマキをやっても消費マインドはあがっていない。
安倍が行った10万円一律給付がどのように使われたか検証したのか。仕事を長期間失った人や、子供を抱えたシングル・マザーなどの人たちの生活を一時救う手立てになったが、国民全体の消費マインドを刺激して経済成長を押し上げるようなことにはまったくつながっていない。
国民のおよそ7割は、それを貯えに回したとの調査結果がある。そりゃそうだろうな。小学生がお年玉をもらったのとは違うんだから。一方で、生活が立ちゆかず経済的な支援を心底必要としている人たちには、10万円ではあまりに少なすぎる。
必要としている人に、必要なものを、必要とする形で手助けする。政府は本気で、心してそれを実施するべきだろう。
菅が行ったGo To トラベルで商売が上向いた関係企業のほとんどは、一部の高級旅館や高級ホテルだった。その利用者はといえば、金も時間も十分にあるシニア世代が中心だ。税金で補填してやらなくても大丈夫な連中ばかりじゃないか。
一方、新型コロナ感染拡大の影響でアルバイトやパートの仕事を切られ、生活に困窮し始めた人たちは旅行など行けるはずもなく。また当然ながら、感染者と休みなく向き合って働いていた医療関係者にも、そんな夢のような話はまったく縁がなかった。
こうして1兆円を超す税金が捨てられたようなものだった。
これまでの税金を使った対策は、効果のほとんどない、ただの目先の対処療法的目くらまし対応で、単なる税金のバラマキ(無駄使い)だったわけだ。
日本の新しい総理大臣が言う「新しい日本型資本主義」って何だろうと思っている。
岸田は「年内に数十兆円規模の経済対策を策定して、国民にともに協力していただける雰囲気を作りたい。そしてその先に、経済、新しい資本主義を構築していきたい」と総裁選直後の会見で語った。
数十兆円が具体的にどのくらいのことか分からないが、今の日本の財政がどうなっているかご存じなのか。
コロナ対策費用に金がかかるのは分かるが、菅がやってたころのGo To 何とかなどはほとんど効果を生まない、特定の政治的意図を実現するためだけの明らかなバラマキだった。
政府はまた、そうしたことをやろうとしているような気がする。総選挙を睨んだ<パンとサーカス>だ。
現在の財政赤字は1166兆円、日本のGDP比での一般政府債務残高は256%にのぼる。これは過去最悪の状況。他の先進国では、たとえばドイツは69%、英国は104%、米国が127%だから、それらと比較しても日本のそれがいかに突出したものかわかる。
2、3日前に千葉を震源とする震度5の地震があった。もし今後、首都直下型地震が発生した場合、死者数万人、家屋の全壊・焼失60万棟、避難者700万人強、そして経済被害額は95兆円と想定されている。また、南海トラフ地震が起きた際の経済的損失は、220兆円と試算されている。
散々バラマキをやって政治家は神経が麻痺しているのかもしれないが、これ以上国の赤字を増やした場合、大地震など何かの拍子に一発でこの国は崩壊に向かう。
これって、心配しすぎだろうか。
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| 日本列島は4つのプレートが切り込む真上にある! |
金曜日に公開された『ONODA』は、フランス人のアルチュール・アラリが脚本を書き、監督した映画だ。
津田寛治が演じるルパング島の小野田さんは、精悍で危なさそうでキャラクターとしては魅力的だ。劇場に足を運ぼうと思いながら、小野田さんについての本を以前買っていたのを思いだし本棚から手に取った。
それは『小野田寛郎は29年間、ルバング島で何をしていたのか』と題する本だが、意外な結論に驚く。著者が書いているのは、あくまで推測である。しかし、状況や時代背景を考えると、十分納得がいくものだ。
その具体的な内容はここでは記さないが、これまで小野田さんはどうして29年間もフィリピンのルパング島にいたのかという謎が解けた気がした。
ルバング島は東西10キロ、南北27キロあまりの島だ。29年間をずっと過ごすには小さすぎる。なぜ脱出しなかったのか。
小野田さんは終戦を知らなかったのでずっと任務を続けていた日本兵士の鏡と評価する向きが多いが、彼は戦前は海外勤務をしていた商社マンで英語が理解でき、フィリピンでの任務の前には陸軍中野学校で諜報の訓練を受けたインテリだった。そして、島の密林に暮らしながらも、食糧や物資の調達のためにフィリピン人の民家に忍び込んでいた彼が、29年間ずっと終戦を知らなかったというのは不自然だ。
彼は終戦のことくらい当然知っていたが、ある<任務> のために世間に出てこれなかったというのがこの本の指摘するところ。
「なあんだ、そうか」というのが正直な読後感だった。おかげで映画を観に行く気が萎えてしまった次第。
昨日、帰宅の途中に千葉県北西部を震源とする地震に遭った。時刻は午後10時41分頃。
すぐ近くのワイン棚の最上段から赤ワインが床に落ちてボトルがくだけた。一気に立ちこめるワインの香り。飛び散ったガラスを避けるため僕はその場からすぐに離れた。
自宅に戻って玄関を開けたら、普段と雰囲気がちょっと違う。いつもならそこに猫が座って待っている。エレベータの音で帰ってきたのが分かるみたい。だけど、その日は姿が見えない。
廊下に平積みしている本がいくつも倒れていた。それを跨ぎ室内へ。同様に本棚の上に平積みで置いてあった本が床に散乱していた。書斎の本も同様。本棚に収容している本は問題なかったが、平積みしている本が下に落ちていた。
着替えもそこそこに床の本を集めていると、どこからか猫がそろりと姿を見せた。思っていたほど怯えている様子でもなく、ちょっと安心する。
それにしても地震発生が帰宅駅に着いてからでよかったとつくづく思う。東京駅発の下り新幹線最終は、22時48分発だから、それで帰ろうと思っていたらそのままホームに停車している車内で何時間も待たされたはず。
昨日はその一本前、22時12分発の新幹線になんとか間に合ったのでスムーズに帰り着けた。それにしても、22時12分に乗り遅れたら、48分の終電まで36分も空いているJR東海のタイムテーブルは何とかならないものか。
震度5の「周囲の様子と被害」状況は、1996年以前の定義だと「壁が割れ、煙突が壊れたりする」となっているが、今回はそうした話はほとんど聞かなかった。
最近の建造物は、それだけ堅牢なものになったということだろう。建物が地震で崩壊するということは、古い木造建築物以外はないかもしれない。問題は、建物の中で何が起こるかだ。身の危険に及ぶとしたら、家具などに押しつぶされる可能性が一番大きいかもしれない。
震度6や7(最大震度)の地震、それも直下型のものがいつ来てもおかしくない状況である。これを機に、ちゃんとその時の対応に備える準備をしなくてはと思う。
昨日、おかしな調査結果について少し書いたが、今朝の日経に別の意味でおかしな調査が掲載されていた。プレゼンテーション(表現)についてである。
以下の3つのグラフには、いずれも1980年以降の労働力人口を表す2本(全年齢と64歳以下)の曲線が示されている。
図A
図B
図C
図Aは、高齢者雇用についての記事に添えられていた図だ。このグラフをパッと見た限りでは、直近での64歳以下の就業者数と65歳以上の就業者数がほぼ似通ったボリュームと印象づけられる人が多いかもしれない。理屈で考えて<おかしいぞ>と思った人は、グラフの目盛りを見て納得することになる。5000が基点になっているからだ。
同じグラフを試しに5500から初めてみたのが、図Bだ。新聞社が図AをOKとするなら、図BもOKとなるはずだ。むしろ、ここまで見え方をデフォルメすれば、ほとんどの読者は目盛りの付け方に目を向け、意味を正しく理解するかもしれない。しかし図Aなら、ビミョーなところだ。
図Cは基点を0で作図してみたもので、これが本来のグラフである。
人は直感で印象づけられ、それをもとに容易に判断に向かう。グラフは多くの場合、言葉(テキスト)より饒舌で、かつストレートに語る。だからグラフの見せられ方にはつねに注意しないとね。
書棚の奥から『実戦・観天望気 山の天気を知る法』(飯田睦治郎著)が出てきた。観天望気を知るきっかけになった本。雲や空の様子から今後の天気の移り変わりを読むコツを教えてくれた本でもある。
雑誌『岳人』を出版していた東京新聞から出版されている。 手元のものは昭和52年発行だから、大学に入って間もなく手に入れたものだ。
学生時代、山に行くときはたいていポケットサイズのラジオと天気図帳をザックに入れていた。山行中、テント場に着くとNHKラジオの気象通報を聞きながらその日の天気図を書き、それと当日の雲の様子から翌日の天気を予想していた。
山に行くことはほとんどなくなったが、今も空や雲を見ない日はない。コロナで自宅に籠もっていたときですらそうだし、出張で海外に行っても決まって同じことをしている。そうした習慣を身につけるきっかけとなった一冊。
社会調査を専門とする谷岡一郎さんが、ニュース上に見る社会調査の問題点を指摘していた。
その中の一つとして彼が取り上げていたのが、プルデンシャル ジブラルタ ファイナンシャル生命保険が行った調査の結果である。
今年60歳になる男女2,000人へのアンケートをもとにしたもので、その結果の内容は「現段階の貯蓄額は4人に1人が100万円未満で、2,000万円にはとても届かない」というものだった。
2,000万円という参照値は、2019年春に金融庁金融審議会が、95歳まで生きるには夫婦で2,000万円の蓄えが必要と試算した例の数字のことである。
今年のアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した作品で、映画評での評価もすこぶるいい。デンマーク人のヴィンターベアが監督したデンマークを舞台にした作品だ。アナザー・ラウンドは、酒場では「もう一杯」といった意味。
昨日観た007の映画では、ボンドとパブで飲んでいた仲間が Next is my round と言ってカウンターに2人の酒を求めに行くシーンがあった。
英国で暮らしていたとき、学生仲間と授業後に何人かでパブに繰り出すと、まずそのなかの誰かが全員分のビールを手に席に戻ってきた。みんなのグラスが空いてくると、別の誰かが It's my round と言ってみんなのビールを注文しにカウンターへ。次はまた別の誰かが。結果、こうして人数分のグラスを重ねることになる。これが英国のパブ文化。
このデンマーク映画の主人公は、 マーティンという名の歴史を教える高校教師。仕事はあまりやる気がなく、家庭でも問題を抱えて過ごしている。その彼を含む同僚4人が「人間は血中のアルコール濃度を0.05%に保つとリラックスし、やる気と自信がみなぎる」という理論を聞き、それを実践しようとする馬鹿話である。
4人はそれぞれ、ほろ酔いの時は調子がいいのだが、だんだん飲酒がエスカレートしていき、ハチャメチャへと向かう。そもそも、ほろ酔いの時に調子がよかったのは軽い酩酊状態で勝手にそう思っていただけ。酔っ払いには誰でもがそうした経験があるはず。
この4人が、どれだけ血中アルコール濃度を上げられるか挑戦してみようとバーをハシゴし、自宅の居間にボトルを並べ、飲み続ける。どこかで見た風景。そうだ、学生時代の俺たちがやっていたことと変わらない。
16歳から(ハードリカーは18歳から)飲酒が認められているデンマークの人は酒好きらしい。それにしては酒の飲み方が幼いとしか言いようがない4人のおっさんに呆れた。主人公のマッツ・ミケルセンは「北欧の至宝」と呼ばれる名優らしいが、最後まで冴えない中年オヤジにしか見えず。
ラストで、元バレエダンサーだったというミケルセンが、教え子たちの卒業を祝ってパレードで踊りまくるところがハイライト・シーンなんだろうけど、何が言いたいのかメッセージが読めず。何か見落としてるかな? ☆☆
ただスカッとしたくて、007の新作を見に劇場に。IMAXのシアターはさすがに音がよく響き渡る。
15年間にわたってボンドを努めたダニエル・クレイグの007最終作だ。『カジノ・ロワイヤル』で彼がボンドとして登場してきたときはどうなるんだろうと思ったが(2002年の『ロード・トゥ・パーディション』で演じた、いささか情けないイメージがあったから)、ボンドの役を重ねることで役者も観客もその世界を共有することになるもんだね。
こうした映画はただ楽しめばいいので、余計な講評はしたくない。 ただ本作品の途中、ロンドンにあるのQのフラットのキッチンで彼が料理をしているとき、彼が日本の酒屋の前掛けをしているのが気になった。ほんの一瞬だったけど、そこに「酒」って漢字が見えた。
今回の悪役を演じるラミ・マレックのアジトには、なぜか畳が敷いてある。後ろには枯山水。で、正座して座っている。能面ぽいマスクが意味深長な小道具として登場する。
何でだろうと思ってたら、この作品の監督はキャリー・フジオカという名の日系人だった。だからかな、ボンドが自死を選ぶ最後のシーンに日本的な滅びの美学を感じた。
上映時間2時間44分は、007シリーズで最長。 ☆☆☆☆
東京五輪が終わり、まもなくひと月になろうとしている。その後のコロナウイルス感染拡大と収束、そして緊急事態宣言の解除などで、五輪のときの騒ぎは人々の意識から消えてしまったようだ。
だが、大切なのはこれから。膨大な予算と時間とエネルギーを国家レベルで注ぎ込んだ大イベントなのだから、しっかりとした総括がなされなければ。
例えば、9400億円という巨額な公費(税金)を結果として注ぎ込んだ、その内訳が隠さずに示されるかどうかが問われることになる。
でもおそらくそうはならないと思わせる報道があった。五輪の東京招致をめぐってJOC(日本オリンピック委員会)が賄賂を使ったとされる裁判で、捜査を受けている前JOC会長の竹田恒和の弁護士費用としてこの3年間ですでに2億円が支出されており、けれど公開用の理事会議事録からはその記載が削除されているという。
内部の限られた関係者だけが知り得る情報となっていて、すでに外部からはこうした金の使途がわからないようにされているのだ。
会場となった施設で大量の弁当がそのまま廃棄されていたとか、オリンピック村の食堂でこれまた大量の食事が無駄に捨てられていたニュースは表に出ている通りだ。もちろん五輪事務局が公表したのではなく、メディアが内部関係者から聞き取りを続けて調査した結果、あきらかになった事実である。
弁当や食堂の件は氷山の一角だろう。自分の懐から出る金ではないということで、コスト意識を持たない連中が行ったさまざまな施策は公共心の欠如の表れともいえる。
さて先の賄賂裁判だが、3年の時間と2億円の弁護士費用を注ぎ込んでいまだ無罪となってないということは、「やった」と見るのが普通だろう。JOC会長だった竹田は、フランスの司法省から訴えられて即座にその立場から辞任している。無実なら、そうやって逃げる必要はなかった。
日本政府は色んな方面から圧力を、あるいは懐柔策をフランス司法省やフランス政府に対しておこなっているかもね。フランス側がどう判断するかが見物だ。
この手の有象無象の話がどこまで透明性を持って表に出てきて、事実関係がちゃんと検証されるかが、この国の今後のカタチを決めていく重要なポイントになる。