2013年7月14日

「あまちゃん」サウンド・トラック

午後、渋谷のタワーレコードへ。NHK「あまちゃん」のサウンド・トラックCDが発売になっている。連続テレビ小説のオリジナル・サウンドトラックがこれほど話題になっているとは。



2013年7月13日

上野からアメ横へ

上野の東京文化会館に行った帰り、アメ横へ行ってみた。最近、NHKの「あまちゃん」で上野駅やアメ横が登場することが多く、その影響で人も増えたのではないかと思い足を伸ばした。

センタービルの電飾看板の下に「アメ横女学園」とある。

2013年6月30日

幸せな仕事

岩合光昭さんという写真家がいる(この場合、カメラマンではなくやっぱり写真家)。National Geographic誌のカバーを何度か飾ったこともある動物写真家の第一人者である。

世界中のさまざまな動物を追って写真を撮ってきた彼が、とみに精力的に最近追っている(ようにみえる)対象が「ねこ」だ。NHKで放映している「世界ネコ歩き」なる番組も人気らしい。
http://www4.nhk.or.jp/nekoaruki/


以前、川崎市民ミュージアムで開催された岩合のトークショーのレポートを見つけた。面白い。http://ilove.cat/ja/2622
彼が被写体である猫に近づきショットを狙うための作法は、男が女とどうお近づきなるか(もちろんその逆も含めて)というのと同じ。また、われわれ学者やジャーナリストが取材対象者に対するときに気を付けなきゃならないことと相通じることがたくさんある。

それにしても、好きな猫を追って日本国内だけでなく世界中を巡る彼がうらやましい。
 

2013年6月29日

鍵を捨てる

筆記具を収めた机の引き出しをゴソゴソやってたら、奥から一本の鍵が出てきた。

どこかの合い鍵だが、それが何のためのものか分からない。いつ作ったのか思い出そうとしても思い出せない。ひょっとしたら大事な鍵かもしれないという思いが頭をよぎる。取りあえずは思い出せないまま、それがあった場所にまたその鍵を戻すことが一番なのかもしれないが、ゴミ箱に捨てることにした。これまで何年も使わなかったってことは、なかったと同じ。「万が一」は、万が一でしか起こらないから。

映画にもなったジョナサン・サフラン・フォーの小説、Extremely Loud and Incredibly Close を思い出した。9/11で父親を失った少年が、父親の部屋から一本の鍵とメモを見つける。その鍵が何を開ける鍵か分からないまま、少年はニューヨーク中を 歩き回ることになるーー。映画ではトム・ハンクスもサンドラ・ブロックもよかったが、マックス・フォン・シドーが印象的だった。


残念ながら、鍵の先にある謎探しの「旅」が似合うのは、少年だけである。おじさんにはその時間も体力もない。

2013年6月17日

2013年6月16日

読書会

今日は、知り合いの読書会に参加。今回は『コトラーのマーケティング戦略』をテーマ図書としているということでお誘いを受けた。このグループ、経営書の名著の読書会を毎月1回のペースで開催していて、今日が41回目、3年半くらい続けていることになる。出席したメンバー10名ほどは、すべてコンサルタントの方々である。偶然そのなかに、以前早稲田で教えたことのある方もいて、びっくり。

今日は、同書の8章から11章までをそれぞれの担当者がプレゼン用スライドを使いながら報告が行われた。本の内容をそのままなぞるのではなく、内容に関連する事例を紹介することで、本に書かれている内容の実践的適応例についてディスカッションをするという、読書会としては高等的な進め方がとてもいい。

そういえば『コトラーのマーケティング戦略』は各章末に「検討課題」が設けられており、僕も以前企業内のマーケターの教育や研修を頼まれた折、そこを中心に討議することで参加にマーケティングを考えてもらうということをよく行った。

休憩を挟み4時間ほどのディスカッションの後は、近くの中華料理屋で食事会。

2013年6月3日

上司はボケと曖昧さ

雑誌をめくっていたら、建築家の隈建吾さんが面白いことを言っていた。

世界の各地でプロジェクトを回している彼に言わせると、日本のサラリーマンは現場感が薄いらしい。失敗した時の言い訳や業界でのしきたりが頭の中で先行して、これが自分の仕事だという熱のこもり具合が足りないと。

で、それを取り戻すため、上司はまず現場に行くべきだということ、そしてそこで現場の細かい点に関しては大ボケをかませと言っている。すると現場の人は心配して、いろいろ説明してくれるからと。

その後が大切なのだけど、あれこれ説明してもらってる時にこちらから「知ってるよ」と言っちゃダメなのだ。なぜなら、そうすると相手は黙っちゃうから。「へえ、そうなの、すげえなあ」と返せと。すると「本当は知ってるんじゃないか」と思いつつ、相手はうれしくてもっと話したくなり、もっと深く考えるようになる。

う〜ん、確かにその通りかもしれない。

いいことを聞いたなあ。
 

2013年6月2日

日曜午後のスモールジャーニー

今日は気温も湿度も高くなく、凌ぎやすかった。そこで、新宿区の早稲田大学から川崎市中原区の自宅まで歩いて帰ることにした。

グーグルマップでルート検索をすると、行程は18キロあまりで所要時間は3時間40分とのこと。そのルートを参考に歩くことにした。

新宿3丁目の伊勢丹までは30分ほど。意外と近い! そこから渋谷駅北口のスクランブル交差点までは50分。

新宿3丁目交差点近くで見かけた奇怪なロボット

大学正門前を出発してから学芸大学駅前まで2時間10分。ここであまりの空腹に耐えきれず豚骨ラーメンの店に入る。疲れが一気に出てくる。しかも冷蔵ケースにビアジョッキがキンキンに冷えているのを見てしまい、つい生ビールも一緒に注文。

腹もふくれ、いい気分になったことで、ここからは電車で帰ろうかという思いが頭をかすめたが、気を取り直して30分後に再出発。環七通りを渡り、大岡山の東工大前を過ぎ、50分後には中原街道に出た。

ここまではずっと幹線通りではなく、住宅街の一般道や細い脇道を通ってきたが、ここからあとはおおかたこの通りに沿っての道程である。

無事に自宅にたどり着いたのは、大学を出てから4時間10分後。途中の30分を除くと、歩行時間は3時間40分だった。

2013年6月1日

グレートジャーニー

現在、国立科学博物館で特別展として「グレートジャーニー 人類の旅」が開催されている。グレートジャーニーとは、英国の考古学者ブライアン・フェイガンが名づけた、アフリカ大陸から世界各地に人類が拡がっていった我々の先祖の旅である。

日本人探検家、関野吉晴は1993年にその旅の過程を南アメリカからアフリカへと逆に辿る旅に出た。機械的な動力に頼らず、自らの脚力やそりなどの動物を駆っての移動により10年をかけて全行程を辿った。

今回の展示会には彼の「グレートジャーニー」がひとつのモチーフとされていた。






2013年5月27日

緑の長谷寺

学会出張で京都へ行ったついでに、奈良まで足を伸ばして長谷寺に詣でてきた。花の寺として有名な山あいの寺である。ここ桜井の長谷寺は、全国に240ほどある長谷寺の総本山であり、『枕草子』『源氏物語』『更級日記』など多くの古典文学にも登場する。

今日、九州と中四国地方ははや梅雨入りしたらしいが、今日の大和地方は清々しい天気で、緑がいっそう鮮やか。人も少なく、静かな雰囲気だった。






2013年5月24日

再生すべき対象は誰か

小学校での英語の授業が正式科目となり、4年生から教えられるようになるらしい。現在は5年、6年生で教えられているが、正式の科目ではない。
教育現場では戸惑いの声が大きい。担当する小学校の先生には英語が専門の人はほとんどいないはずだから当然だろう。教える方にも、教わる方にも無理が大きすぎる。

提案をまとめた政府の教育再生実行会議の座長であるW大学の総長は、同大が昨年サンフランシスコに事務所を開設した際、現地で提携校の学長などを招いて開催した開所式で日本語で挨拶をした。わずか5分ほどのスピーチだったらしい。事前に周りの関係者からは、せっかくだから英語で、という声があったにも かかわらず、結局わざわざ通訳を使って日本語で話すことを選んだらしい。

こうした人物が座長を努める集まりがグローバル人材の早期育成を唱え、そのため小学校で英語を教えろと言っているのが日本の現実である。
 


 

2013年5月20日

ポイント獲得の行方

しばらく前の新聞に、都内のある学習塾がTポイントを導入するという記事が載っていた。そこに通う生徒にカードを配布し、授業に出席したらその子に1ポイント(1円)、テキストを終えると100ポイント(100円)付与するなどの仕組みである。

子どもに勉強させるインセンティブとして、こうしたポイント制が導入されたことをどう理解すればいいのか。これを考えた大人たちは「子どもにとってはただのゲーム感覚ですよ」といった回答をきっと返すのだろう。

小中学生に内発的動機づけを期待することが難しいのは分かる。目に見える「報酬」(アメ)をぶら下げることで、とりあえずやる気にさせる必要性を大人たちが感じているのも理解できないではない。しかし、こうして子どもたちは、生徒あるいは学生という名の「消費者」として勘違いの度合いを深めていくことになることを忘れてはいけない。

その結果、彼らは勉強に目先の見返りを求める。つまり、消費者として対価を欲しがるようになっていく。数学の方程式を解いたり、英語の文法を覚えることでいったい何を得することができるのかと。こうして学校の勉強が、親にとっても子どもにとってもますます実利主義の対象になっていく。

そんなことを思っていたら、佐賀県武雄市が民間企業(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に運営を委託して今春オープンした図書館では、Tポイントカードを図書館カードとしても使え、一冊本を借りると3ポイント(3円)が付く方式にしたらしい。一般的な図書館利用者は、その3ポイント(3円)目的に本を借りるというのはそれほどないかもしれないが、「せっかく借りるのならポイントが付いた方がいい」と考えるかもしれない。

こうして読んだ本、借りた本の情報が一企業のデータベースに蓄積されていく。頭の中の引き出しを彼らに公開しているようなものである。


2013年5月14日

レミング

先週末に大隈講堂で開催されたイベントをきっかけに、パルコ劇場で公演されている「レミング 〜世界の涯まで連れてって〜」を観に行った。


「満員御礼」である。観客の半分以上は、寺山が亡くなった後に生まれた世代。亡くなって30年。時が経つとともに、ますますその注目度が高まってきているように感じる。

2013年5月12日

寺山はいつだって帰ってくる

大隈講堂で『帰って来た寺山修司―早稲田篇』と題した映画の上映会とトークイベントがあった。今年は寺山の没後30年である。

実験的映画『影の映画 二頭女』と『ローラ』、そして途中会場を抜け出した後、最後のトークセッションを見た。


九條今日子や萩原朔美が語る寺山をめぐる話も興味深いものだったが、とりわけ早稲田の学生時代から深い交流があった山田太一の話が印象に残った。

まだ自分たちが何ものでもない頃、お互いの才能を認め合うことになる若者がひょんなきっかけで出会い、親友となり、互いに大きな影響を受けながら成長していく。将来の可能性だけを頼りに自分の道を突き進んでいた幸せな学生時代である。

松竹の助監督からテレビの脚本家になった山田が「早春スケッチブック」という番組をフジのために書いていた頃の話。主人公である死にゆく男を山崎努が演じていた番組だが、毎週その番組が流れた後に寺山が電話をしてきて、脚本の出来について話したという。

今なら番組を録画しておいて後で見ることができる。わざわざ番組が終わったあとに電話しなくても、メールを送ることができる。だけど、山田太一が寺山の話を今も印象深く覚えているのは、自分の番組が放映された後にすぐに電話をかけてきて熱っぽく語られたからだろう。

印象に残るコミュニケーションとは何か、少し考えた。

2013年5月4日

今年の瀬戸内国際芸術祭

3年おきに開催される予定で2010年に始まった瀬戸内国際芸術祭の第2回目が、今年開催されている。前回は夏だけの開催だったが、今年は春、夏、秋の3つの季節で開催される。

前回の作品展示をベースに、参加する瀬戸内海の島が増えたこともあって新たな作品もずいぶん加わった。

駆け足だったが、連休を使って開催地の一つである豊島を訪ねた。横尾忠則をテーマにした豊島横尾館は準備の関係で春の開催に間に合わなかったのは残念だっだが、その分、夏に訪ねる楽しみができたと考えればよいのかもしれない。
http://setouchi-artfest.jp/artwork/a018

島で早朝に散歩をしてる際、竹藪で竹細工をもとにした作品が展示されているのに出くわした。どうも本当は、それらは展示されているのではなく、制作途中のピースとしての竹玉が吊されている(地面に置くと自重でつぶれていくらしい)のだが、見方によっては既にアートである。




2013年5月3日

ハードはダメだが、ソフト(人)には感心

デルのノートブックが使えなくなった。起動時にOSが起ち上がらなくなったのだ。使い始めてちょうど2年になる。

ヘルプデスクに連絡すると、ハードディスクに関する問題で、交換しなければならないらしい。場合によってはマザーボードも。

交換用のハードディスクは日本国内発送の場合は2万円、海外からの場合は7千円らしい。費用の件はもちろんだが、ハードディスクの交換ともなれば当然PCは初期化されるので再設定が必要なだけでなくデータが失われることになる・・・。対応してくれた彼女は、どうするか検討して連絡してほしいと言う。

その彼女、中国人のスタッフである。話し方でそう思ったのではなく(話し方も確かに日本人とは異なっていたが)最初に彼女が名乗った名前が明らかに中国名だったからだ。

ふと思い出したのは、2年ほど前に大連で開催された世界経済フォーラム(夏季ダボス会議)からの帰途のフライトで隣に座っていた女性だ。デルのコールセンターの立ち上げの仕事で大連に3週間いた帰りだと言っていた。

電話の向こうの彼女に「あなたがいまいるところは大連ですか?」と尋ねたら、そうだとの答えが返ってきた。日本語は、ほぼ問題なく扱うことができる。頭も良さそうだ。デルのノートはハードディスクが2年でダメになるのか尋ねたら、買って一週間でダメになる場合もあるし、1ヵ月でダメになる場合もある、との回答。とても正直なのが気に入った。

電話を切って、別のパソコンでメールをチェックしたらさっきの彼女から既に電話で双方が話した内容が簡潔にまとめられた内容のメールが届いていた。押しつけがましさを感じさせず、こちらに金を支払わせるように上手に誘導していた。テンプレートがあるのだろうが、それにしても簡潔ですばやい対応に感心した。

デルのハードは信頼できないが、ヘルプデスクの対応はすばらしい。

2013年4月20日

ものより旅

先月1年ぶりに日本に戻ってから、人から「ニューヨークでは何をしていたのですか」と問われる。

NYへはできれば何もしないつもりで行った。少なくとも、やりたいこと以外はやらないつもりでNYで暮らしていたし、実際その通りの1年だったと言っていい。時間に追われない、何にも義務感を感じない、やりたいと思ったことは実際にやる、ものを持たない暮らしを続ける。これが年間を通じて自分に言い聞かせていたことだ。

実際、ほとんど物らしい物を買わなかった。家具はレンタルでまかなったし、借りたアパートには冷蔵庫や電子レンジは備え付けだった。日本から持っていたものはスーツケースに詰め込んだ身の回りの衣料品と必要最低限の資料、それとマック1台だけ。

マンハッタン内にアパートを決めて最初に購入したのは、ベストバイという家電量販店で買い求めた32インチの東芝のテレビだったが、そのテレビの台は日本から持って行ったスーツケースで済ませた。

物を持たない暮らしのなんと清々しいことか。与えられているのが1年という期限付きの短い暮らしであったということも、もちろんある。必要な本は大学と市の図書館でかなりのものが手に入った。新刊書は、米国アマゾンでデジタル本を購入してパソコンとキンドルで読んでいた。

ただし旅はたくさんした。それが最大の財産。 
 

2013年4月14日

だから、統計学の考え方は大切

散歩の帰途、立ち寄った本屋の店頭に平積みされていた『統計学が最強の学問である』を一冊手に帰ってきた。書き手は西内啓という人なのだが、帰宅してから著者名を竹内啓だと見誤っていたことに気付いた。統計という表題の用語で、勝手にあの著名な数理統計学者の竹内先生と思い込んでしまったのである。竹内先生、ずいぶん思い切ったタイトルの本を出したなあ、などと思っていたわけで・・・。

そういえば、北杜夫さんが若い頃に東北の駅前でギクリとしたことがあったと何かに書いていた。その時、目に飛び込んできたのはトマトソースの看板の文字。どうして自分がギクリとしたのか分からなかった。後で考えてみると、当時彼はトーマス・マンに心酔していたせいで、トマトソースをトーマス・マンと頭の中で読み替えていたのだ。アナグラムというやつだ。僕は竹内啓に心酔しているわけでも何でもないのだけど、勝手に脳が読み替えていたようである。

この本は、統計学の役割を一般読者に概観させるような内容になっている。著者が書いているように「現代統計学の基本の考え方は今世紀の前半には確立していたし、主要な統計解析手法は1960年代頃にはほぼ出揃っていた」。近年変わって来たのは、何といってもITベースを利用した統計学の活用である。それとビッグデータと呼ばれるもの。

IBMやNTTデータなど多くの企業がビッグデータの活用を呼びかけ始めている。あなたの企業に埋もれているデータの山から宝を一緒に探しましょうよ、と。しばらくはビッグデータがビジネスの世界で流行りの言葉になるのだろう。「クラウド」の次は「ビッグデータ」か。

西内は、その狂騒ぶりに注意を促す。SI業者やコンサル会社に多額の金を払う前に、正しいサンプリングと適切な検定作業を行った方がいいと説く。同感である。

以前、データマイニングがまるで魔法の杖のように語られていた時期があった。しかし、それが実際のビジネスを展開するうえでどれだけ思いがけない発見を生み出したかを僕たちはしっかり考えた方が良さそうだ。僕自身、その当時、ある大手通販会社が保有する膨大な販売データを仲間と一緒に解析したことがあった。主にオフィス用品を取り扱う会社だったのだけど、バスケット分析の結果見えたのはコーヒーとコーヒーカップホルダーや、フロッピーディスクとラベルシールなど、いかにもといった取り合わせで脱力したのを覚えている。

溜め込まれた膨大な自社内(あるいはクラウド)データを先進的と思える分析ツールで解析すれば、快刀乱麻を断つごとく消費者心理の奥底までも知ることができると経営者は期待してしまうのだろう。何か次の一手が欲しいのは分かる。しかし、その前にしっかり統計学の基本くらいは知らなくては。

それと、個々の消費者が<いま>何を考えているのかを知ることにも増して、自分たちが製品やサービスで顧客の気持ちを<これから>どう変え、動かしていくかを考えることを忘れてはいけない。

2013年4月1日

いいね! は、どの位いいのだろう

帰国の挨拶を各方面に送り、ついでにフェイスブックにも投稿した。FBのページを開いたのは、ずいぶん久しぶりのこと。ニューヨークにいたとき、ある人から "Facebook is a timesuck!" という話を聞いたこともあり、ずいぶんと見ていなかった。

そうした時間のこともあるけど、個人の情報をFBのデータベースに蓄積されることへの不安、というか不快感もある。5年後どうなっているかよく分からないが、現ユーザーはすごいヘビーユーザーと「一応アカウントはあるよ」という2つの層に分かれている気がする。

いいね! をクリックするのは、"I'm here" の別表現。すごくいいと思ったのか、まあまあいいと思ったのか、分からない。今では、そのいいね!を事前に設定しておくことで特定の人の投稿に自動的に付けてくれる無料アプリがあるとか。

2013年3月28日

がんばれ、ラジオ

ずっと以前からラジオのファンである。一年ぶりに日本に戻ってからも、もっぱらラジオを流している。時間帯によってAMだったりFMだったりするのだが、どうも広告が以前と変わったように思うのは気のせいだろうか。

局制作の通販の広告が何度も流れる。同じ広告がそのまま繰り返される時もある。一般の広告主がついていないからだろう。

2012年度の広告費を見ると、対前年比で他メディアがいずれも増加しているなか、ラジオ広告だけが減少している。ラジオ全体で1247億円しかない(電通「日本の広告費2012」)。苦しい台所事業は、民放連がラジオのデジタル化に民放全社で取り組むことを断念すると正式に決定したことでもうかがえる。

いま、誰が主にラジオを聞いているのだろう。タクシーの運転者たちだろうか。以前は、電車の中でシャツの胸ポケットに入れたラジオをイヤフォンで聞いていたおじさんが結構いたが、いま彼らですら聞いているのはiPodなどだ。

関東圏の主なラジオ局の放送は、ネットで聞くこともできる。どういう形であれ、ラジオにはこれまで通り放送を続けて欲しい。そして、できるものなら、商品名を連呼するだけのあまり趣味のよくない広告は挟まなくてもよいようになって欲しい。

ラジオが経営難で青息吐息なのは、日本だけではない。米国もそうだ。ニューヨークにいた時、よく聞いていた(流していた)ステーションの一つにWBAIという非営利のFM局がある。そこは年がら年中「私たちが放送を続けるためには、あなた方からの寄附が不可欠です」と訴えていた。民放局とは違い、またそれ以上の苦労があるのだろう。

2013年3月11日

常識を持ってルールとなす

先日、自転車をNYの地下鉄と鉄道で友人宅へ持っていった話を書いた。

今日のニューヨークタイムズに「自転車は地下鉄で認められてるの?」という内容に対するQ&A記事が掲載されていた。その記事内容は以下のものだ(電子版から転載)。
 
 

交通局のサイトにやってはいけないことのリストが載っていて、それは例えば自転車にまたがって地下鉄車両に乗り込んではだめとか、ラッシュアワーは避けること、入口を塞がないようにすること、できれば大型の車両を使っている路線を使うことなどで、記事にあるように "Many of these involve one rule: common sense." である。

また、自転車の持ち込みが危険を伴ったり、乗客の迷惑になる、あるいは運行上の妨げになる場合は、警官や地下鉄職員の判断で自転車の持ち込みを禁止できる。

基本は「コモンセンス(常識)」だというところが好ましい。最近日本だと、何かというと「その根拠を示せ」と相手に迫り、自分の主張を押し通そうとする連中が多いが、基本のところでは「常識は、常識」でいいのだ。

常識に、すべてその明確かつ論理的な根拠があるわけではない。にもかかわらず、相手を困らせたり、あるいは自分の稚拙な論理を振り回すことを目的に「根拠を示せ」という連中が社会や組織に無用なノイズを与えている。

2013年3月10日

The Armory Show 2013

毎年3月に開催されるアーモリーショーは、ニューヨーク最大のアート・フェアである。

間近に迫った日本への引っ越し準備の合間を縫って、開催場所のハドソン川沿いの会場である桟橋へ。人気ブログ「ニューヨークの遊び方」(http://nyliberty.exblog.jp/)を書いているりばてぃさんに誘われて出かけてきた。
http://www.thearmoryshow.com/

「ピカソからポロックまで」の通り、モダンとコンテンポラリーに渡る多彩なコレクションが展示されている。出展は世界中の著名なギャラリーで、そこで作品の販売が行われる。日本からも Galerie Sho などが出展していた。


ウォーホル
奈良美智の「Doggy Radio」。喉の下を撫でてやると音量が変化するしかけ 

2013年3月9日

無効請求は棄却されたが

一人一票、これは民主主義の基本のはずである。それが、一票の重みが住んでいる地域によって違っている。その差は、2.43倍まで拡がっている。

その是正を目的に前回の選挙無効(やり直し)を求めた訴訟の判決で、東京高裁は「最高裁が違憲状態とした選挙区割りを是正しないまま選挙が行われたことは看過できない」として、「違憲」の判決を言い渡したが、「今後、国会による格差是正が期待できる」として、選挙無効の請求は棄却した。

「期待できる」というのは可能性であるが、それを持って違憲の判決をしながら無効の請求を棄却したのは、日和っちゃってるとしか言いようがない。

選挙のやり直しは手間がかかるし多少の混乱も伴う。だからといって「今回はこのままやり過ごそう」という発想がベースにあったとしたら、正義を容易に犠牲にした事なかれ主義として批判されるべきものだ。

判決内容に沿ったかたちで選挙の無効を言い渡すか、「期待できる」なんてつかみ所のない話で済まそうとするのではなく、具体的な是正案が設定された期限内に提出されることを条件として付けるべきだったろう。そして、その内容が十分なものと判断されなかった場合、またはその通り実行に移されなかった場合は、遡って無効とする必要性があるのではないか。

2013年3月4日

自転車を鉄道に載せて運ぶ

NYでの在外研究期間を終えて日本へ帰国する日が近づいて来た。急いで身の回りのものを片付けなければならない。

日本に持って帰るもの、当地で処分するもの、誰かに譲るもの。このなかで一番手間がかかるのが、誰かに譲るものだ。

今朝は、自転車をクイーンズ地区に住む友人のところに朝食をご馳走になりがてら持っていった。朝5時に起床。5時半に地下鉄に乗り込む。日曜日の早朝ということで車両は空いていて、周りに気兼ねすることなく自転車を運び込める。

ミッドタウンのペン・ステーション(Penn Station)でロングアイランド鉄道(LIRR)に乗り換える。

地下鉄は自転車の持ち込みはタダだけど、鉄道は別に持ち込み料が5ドルかかる。そして、一つの車両に積み込みが許されているのは1台だけ。自転車を持った先客がいると、他の可能な車両を探さなければならない。それを懸念して今朝は思い切って早起きして乗り込んだのだけど、こちらも車内はがら空きだった。

LIRRの車両に載せたバイク

学生時代、サイクリングクラブに入っていた友人が、日本では鉄道で自転車を運ぶ時は分解した上で輪行袋という専用の袋に入れなければ車両に持ち込めないと言っていた。その後も日本では電車に自転車をそのまま持ち込んでいる人を見たことはないから、そうした規則は今も生きているんだろう、きっと。

ニューヨークに住んでいるからといって、決して何でもかんでも米国の方がいいと思っているわけではない。しかし、基本の発想の部分で日米が大きくことなっていることをこの1年間で痛感させられた。

米国には、基本のところで市民がやりたいと思うことが最大限認められる社会が理想だという発想と基本理念がある。一方で、日本は最初から何でもやっちゃいけないことばかりで、その後どこまで許してやるかを役所の裁量で決めていく社会になっている。だから秩序が守られていて社会は安定しているけど・・・新しいことが生まれにくい。

謂わば、米国は国民のために作られた自由型社会で、日本は役人のために作られた規制型社会だと云える。これは思考のパースペクティブの点で、空を自由に飛ぶ鳥と地面をもぐって進むモグラくらいの違いがある。

この数十年間を見て、日本でアメリカのようにイノベーションが(結果として)生まれない理由は、これでかなりの部分が説明できる。

日本人がイノベーティブではないということではない。ましてやDNAの問題ではない。人を取り巻く世の中の環境が問題なんだ。

その証拠に、日本が太平洋戦争で敗戦し、それまでの軍国主義がアメリカ式の民主主義に移行し始め、財閥が解体され、それまでの権威者たちが肩書きを剥ぎ取られ、新しい秩序が生まれつつあった混沌の時代には後のソニーやホンダが生まれている。

どうも我々は、食うや食わずの状況に追いやられて初めて、根本的なところの力が出てくるようだ。

2013年3月3日

米国ヤフーが在宅勤務を見直したわけ

米国のヤフーで、在宅勤務を見直し、6月からすべての社員に出勤を求めるという社内メモが人事部門責任者から全社員へ送られた。昨年CEOになったマリッサ・メイヤーのイニシアティブである。


チームで創造性を生むというやり方は彼女が昨年まで働いていたグーグル内で実践されている方法論だ。

「ヤフーをもう一度イノベーター集団にする」のが彼女の目的である。

ニューヨークタイムズなどの記事によると、在宅勤務によって生産性は上がったと報告されている。しかし、業務レベルの仕事の効率化が実現している一方で、仕事の質が低下したり、クリエイティブなアイデアが出にくくなっているのだろう。

社員全員が出勤していれば、自然とカフェテリアや廊下、階段の踊り場などで仲間たちと話をするようになる。そうしたところから思いも寄らなかったアイデアが出たり、コラボレーションの雰囲気が出てくることが期待できる。

もっとも、ただ在宅勤務を廃止するだけで期待通りに物事が進むわけではなく、社員たちが自由にアイデアを交わし合ったり、自然発生的にチームを作って課題にチャレンジしたりしていくような空間と時間とコミュニケーションとプロセスをどのように組織内にデザインしていくかが重要なポイントだ。

これは、在宅勤務が普通になった企業での見直し例であるが、翻って日本はどうだろう。自宅勤務で構わない仕事をさせるために、いまだ長時間の朝夕の通勤を社員に強いているところが多数だろう。

米国ヤフーの組織がどうなっているか知らないが、非製造業では今後は仕事の内容に合わせて次の3つの勤務形態に分かれてくるように思う。

研究・開発などをやっている人たちはオフィスなどの決まった場で集合的に仕事をする。営業職などは基本的に自宅から客先をまわるスタイルで、週に何日か勤務先に出勤する。 カスタマーサービスなどは自宅の作業が中心になる。

最初のタイプに優秀な人材がより多く就いている企業が、継続的にアイデアを生み、それを形にすることで競争優位を得ることができる。日本では(特に都会では)社員の通勤にともなうストレスや時間コストなどのマイナス面をどう軽減してやるかという厄介な問題の解決が鍵になる。

ところで今日の午前中、同じ建物に住むY澤さんに彼の研究留学先であるColumbia University Medical Center を案内してもらった。戦前からのビルが多く、改修に次ぐ改修で入り組んだ建物になっている。この巨大なセンターではリサーチ、教育、臨床が行われているが、重点は臨床よりリサーチに置かれている。

基礎研究を行っている棟を案内してもらいながら、興味深い話を聞いた。日本の大学病院との違いについて話をしていたのだけど、彼が言うには個々人の能力では日本の医師(リサーチャー)も遜色ないが、プロジェクトベースの研究チームで成果を出して行くのは米国人が圧倒的に勝っているとか。

おもな理由は2つ考えられる。まず、プロジェクト・マネジメントのノウハウとシステムが構築されていること。とりわけ日本に比べ、多分野の研究者が相互に協力し合いながら新たな発見に向かっていく気風がある。そして、メンバーのモーチベーションが高いこと(成果を出せないとプロジェクトが資金的に続かず、雇われている研究者は職を失う)。

日本の大学は、医学部だけではなくどこも縦割りのサイロであり、閉鎖的なムラの集合体である。だから他分野との交流などめったにない。他分野との境界や接合部分にこそ、面白い研究テーマがあるのだけど。

2013年2月21日

グッゲンハイム美術館でのGutai(具体)展

久しぶりにグッゲンハイム美術館へ行ってみた。本当の目当ては、そのすぐ近くにあるクーパーヒューイット国立デザイン美術館だったのだけど、行ってみたらそこは改装中で閉館されていて・・・。

 
グッゲンハイムでは、特別展として Gutai: Splendid Playground が開催されていた。
http://www.guggenheim.org/new-york/exhibitions/on-view/gutai-splendid-playground

1952年から1974年まで芦屋や大阪を中心として活動していた前衛美術集団である具体美術協会の活動内容を取り上げたものである。ここで紹介されている作家で元々知っていたのは元永定正だけだったけど、この集団の奇想天外な発想と思い切りのいい表現にはついうれしくなり、作品を見てて何度も声を出して笑ってしまった。

偶然かどうか知らないが、時を同じくしてニューヨークにある世界的な2つの現代美術を主に扱うミュージアムが、戦後ほとんど同じ時期に活動した関東と関西のアバンギャルド集団をテーマに特別展を開催している。
http://tatsukimura.blogspot.com/2013/02/tokyo-19551970-new-avant-garde.html

帰りしなに寄ったミュージアム・ショップで現代美術家、堀尾貞治の作品集「Sadaharu Horio」(Vervoordt Foundation)を見つけた。50ドルしたが、迷わず買って帰る。これも今日の収穫。

美術館内のトイレ(3階と4階)


2013年2月20日

ユニット WORLD ORDER

日本の知り合いが「こんなのあるよ」と、須藤元気の WORLD ORDER in New York のYouTubeサイトを教えてくれた。「ニューヨークの街で見かけた?」とか聞かれたけど、、、、ねえ。


いま日本では、子どもたちが学校であの歩き方をみんなで真似してんじゃないかなあ。

WORLD ORDER "2012" のプロモーションビデオは、メキシコシティが舞台になっている。


今年の1月に訪ねたテオティワカン遺跡や宿泊したホテル周辺の風景が出てきて懐かしい。
http://tatsukimura.blogspot.com/2013/01/blog-post_7.html


2013年2月19日

ダガンの「戦略的直観」

コロンビア・ビジネススクールで「Napoleon's Glance」というちょっと変わったタイトルの授業を担当するW・ダガン教授が書いた本に『戦略は直観に従う』(原題は、Strategic Intuition)がある。

この本でダガンは、戦略的直観は「思考」であり、「感情」の一形態である単なる直観と区別している。また、「即断」を可能にする専門的直観とも戦略的直観は異なるとしている。著者がいうところの専門的直観とはヒューリスティクスに近い。

クラウゼヴィッツの戦争論アプローチを「戦略的直観」の源流とし、ジョミニの「戦略的計画」と比較している。両者の違いは、一瞬のボールの不規則な流れからゴールラインまでの展開を瞬時にイメージしつつ、それを連続的に繰り返しながら展開するラグビーと、あらかじめゲームプランを描いた上で試合をステップ・バイ・ステップで進めるアメリカンフットボールの違いを思い起こさせる。

これまでの戦略論の文脈のなかではおおかた否定的な意味合いを持たれていた「直観(Intuition)」を正面から打ち出したのは、M・ポーター流の戦略論が戦うべき市場や競争相手を所与のものとしていることへのアンチテーゼである。

現在、企業が置かれている状況は、これまでになく速い変化の波に乗っている。あるいは、呑み込まれている。顧客の嗜好の変化や競合の戦略転換、新しいテクノロジーの登場、それらに伴う企業を取り巻く環境の変化はまるでラグビーボールのようにどこに転がっていくか分からなくなってきている。一方、これから新たにビジネスを起こそうとする連中にとっては、自分たちが未来を作るチャンスが拡がっている。

そうした状況の中で、1970代の産業組織論をベースにしたポーターの競争戦略は、静的な市場の分析には役に立つかもしれないが、そうした市場自体が年々限られてきているのが実態だ。

New Yorker誌でM・グラッドウェルが掲載していた(その後書籍化された)記事や、行動経済学の発展も戦略的直観の重要性が語られる際の背景としてある。今後、この流れに沿った戦略論が次々と現れることになるだろう。ただその際、「語り」に頼ってしまう言説をどうモデル化できるかがポイントになる。

(以下追記 2013年2月25日)
その後、この本のタイトルにある直観(intuition)という言葉に居心地の悪さというか違和感を感じていたが、その理由に今日やっと気付いた。それは、ダガンが言っているところのものは推論(チャールズ・パースが名づけたアブダクション=仮説的推論)だということ。つまりそれは認識であって、直観ではないのである。

2013年2月17日

Girls vs. Boys

OECDが3年ごとに実施している各国の15歳を対象にした科学領域のテストの結果を図示したものが新聞に載っていた。65カ国を対象に3年ごとに実施しているもので、下記の図は2009年の結果をもとにしている。

http://www.nytimes.com/interactive/2013/02/04/science/girls-lead-in-science-exam-but-not-in-the-united-states.html

いくつかの興味深い傾向が見られる。このテスト点数を見る限り、アジアでは女子が男子より優秀。ヨーロッパと米国では逆で、男子が女子に勝っている。

日本の15歳の世界の中での位置はというと、男子はフィンランド、香港、シンガポール、韓国に次いで5位。女子はフィンランドと香港に次ぐ3位である。(「上海」のスコアは一都市だけのデータしか公表されておらず、中国全体を示すものではないので検討対象から除外)

日本では大学の理系に進学するのは男子の方が圧倒的に多いのは、どういった理由なのだろうか。男子の理科系科目の高校での伸びが女子より大きいからだろうか。あるいは能力とは別に、将来仕事に付くための方向性として女子は文科系科目を、男子は理科系科目を選ぶからだろうか。

2013年2月14日

日本は計画経済国家か

日本の新聞が「電力、相次ぐ値上げ 東北電が家庭向け11%申請へ」という見出しの記事を掲載していた。

東北電力は東日本大震災で多くの設備が被災した。女川(宮城県)と東通(青森県)の両原発は停止しており、より多くの部分を火力発電に頼らざるを得ないなかで燃料費の増加が経営を圧迫していることが報告されている。

こうした状況の中では 、現実的対応として電気料金の値上げはやむを得ないと思う。しかし、僕が気になったのは記事のなかの次のところである。
電気料金は東電が昨年5月に家庭向けで平均10.28%の値上げを申請したが、経産省の審査で8.46%に圧縮し昨年9月から実施した。昨年11月に関電が同11.88%、九電が同8.51%の値上げを申請し、今年4月の実施を目指して経産省の審査を受けている。
まるで統制経済である。

一見すれば、東京電力が10.28%の料金値上げをしようとしたのを8.46%に抑えてくれた経産省は、国民にとって「正義の味方」と受け取れないこともない。しかし、元々が総括原価主義で計算された数字だ。

問題は、価格について市場のメカニズムが存在してないということである。

さらには、数字の中身が国民にはブラックボックスであるだけに、東電は経産省と前もって相談済みで10.28%増の数字を作ったと疑われたとしても不思議ではない。結果として、電力会社はもともとの目標を達成し、経産省は中身を知る由もない国民から「いい仕事をした」と評価されるというシナリオだ。

政府がやらねばならないのは、電力の地域独占体制の変更や発送電分離を着実に進める手立てを考え、電力供給と需要についての新たな制度設計をすることである。既得権を持つ勢力の「それなら、停電が頻発してもいいのか」という脅しがいつまでもまかり通るのはおかしなことだ。法人だけでなく、個人も米国のように電力供給事業者を自由に選べるようになるといい。

2013年2月11日

大臣、それとも投資家?

安倍政権の甘利経済財政大臣が、株価(日経平均)について「(本年3月末の)期末までに1万3千円をめざす」と講演会で話したらしい。

なぜ「1万3千円」なのか。その数字の算定基準は何なのかが知りたい。なんとなくそう思って言ったとしたら、大臣が話すような内容ではないはずだ。メディアがそのまま報道するだけで、金額の根拠を問わないのは認識不足。

そもそも閣僚が、市場によって決定される株価や為替レートについて「こうあるべき値」を口にすること自体が問題である。

先の大臣は、自分か家族が保有している株式の値上がりを念頭に、経済財政大臣ではなく投資家の立場で発言してしまったのか。あるいは、誰かに誘導されているか。どちらにしても、やってることがおかしいことに変わりはない。

2013年2月10日

体はアタマ

昨晩からの雪が積もりに積もった朝だった。このところ、米国北東部は雪に見舞われることが多い。


今日の午後、国連ビルの近くにあるジャパン・ソサエティで劇作家の平田オリザによるワークショップがあった。興味半分で出かけた。参加者用のチケットはすでに売り切れなので、僕が手にしているのは見学者用のチケットだ。

初めて集まった集団をどうやって一つにまとめるか、メンバー間に共感を生み出すか、自然なコミュニケーションが行き渡るようにするか。自分を他者(たち)との関係性の中でどう表現するかというコミュニケーション(デザイン)の構築を目的にした練習が多かった。彼が用いている手法は、大学でも応用できそうな感じだ。

以前、劇団「第三舞台」が行うワークショップに参加したことがある。そちらは、役者がどう脚本を読み、役作りをするかを狙いにしたものだった。

僕たち大学人がやっている仕事は、あまり身体を使わない。しかし、知性というのは頭から生まれてくるだけではなく、体からも生まれてくると思っている。正しくは体がなんとなく発見し、頭がやがてそれに気づき言語化する、という感じだ。そう、体はアタマなのだ。僕が旅をする目的のひとつは、そのもう一つのアタマに考えるきっかけを与えてやることだと考えている。

2013年2月7日

Tokyo 1955–1970: A New Avant-Garde

MoMA(ニューヨーク近代美術館)の最上階、特設会場で Tokyo 1955–1970: A New Avant-Gardeと題したエキシビションが開催されている。

日本が戦後から復興、再生を目指し馬車馬のようにかけ始めていた時代、熱気が溢れかつ混沌とした世の中でさまざまなアートのうねりが誕生していった。静かな今では、その勢いは創造もつかないほどだ。アートが時代に一撃を加え続けた15年である。

いろんな運動に赤瀬川原平が登場する。今さらながら、彼のアーティストとしての影響力の大きさを感じる。
http://www.moma.org/visit/calendar/exhibitions/1242


 
2階にThe Yoshiko and Akio Morita Media Galleryと名づけられたギャラリーがあることを今日まで知らなかった。ここで現在、Performing Histories (1) という展示会が行われていた。

作品<<作品と私>>

2013年2月6日

ゼロ・ダーク・サーティー

夜、映画「Zero Dark Thirty」を観に行った。監督は、2008年に「ハート・ロッカー」でアカデミー監督賞と作品賞を受賞したキャスリーン・ビグロー。今回の作品でも作品賞にノミネートされている。


オサマ・ビン=ラディンの居所を、アメリカのCIAがいかにして突き止め、そして米海軍特殊部隊がどう攻撃し殺害したかが描かれている。

途中、なかなか決め手の手がかりを掴めないでいることに業を煮やしたCIAの幹部が、スタッフを前に「お前らは3・11を忘れたのか。罪のない市民が3000人も殺された・・・」と檄を飛ばす。そして、スタッフたちの動きがいっそうめまぐるしく、過激に進む。

70数年前、リメンバー・パールハーバーの掛け声でアメリカ中が一つになって太平洋戦争に突入したのも、アメリカ人が持つこうしたセンチメントというかメンタリティーがあったから。今も昔も変わらない人々である。

映画の冒頭、CIAによる捕虜への執拗な拷問シーンが描かれる。米国内で「あった、なかった」と論議を生んだが、実際にそうしたことはあったのだろう。この件を巡っては、米国の有力な上院議員が配給元のソニー・ピクチャーズに抗議を行うところまで行った。ビグローがアカデミー監督賞にはノミネートされなかった理由は、このあたりにあるんじゃないかと思う。

2013年1月30日

コロンビアでのセミナー

所属している コロンビア大学の研究所のセミナーで、マーケティングの話をする機会があった。

メンバーのほとんどは、経済学を専門とする人たち。マーケティングと経営学の研究者が意見を交わすことはあるが、マーケティングと経済学の研究者が議論することは、少なくとも日本ではほとんどない。刺激的でいい経験になった。
 

2013年1月28日

Geechee Dan、72歳

彼は、いつもニューヨークの地下鉄42丁目駅(タイムズスクエア)のプラットフォームで歌っている。昔は歌手としてハーレムのコットンクラブなどでも歌っていた。


駅のホームで歌うのは、もっぱら古いR&Bの曲。その歌声に、多くの乗客が足を止めて聞き惚れる。カートにアンプとスピーカーを積んで週に7日、ハーレムからやって来る。BGMは、今ではなつかしいソニーのディスクマンから鳴らしている。少ない日でもチップは150ドルくらいになるらしい。(YouTubeのタイトルはホームレスとなっているが、彼はホームレスではない)

日本の地下鉄にこうしたおじさんがいると、みんなびっくりするだろうなあ。その見事な歌声にみんなが肝をつぶす前に、駅の係員から追い払わらわれてしまうのだろうけど。

2013年1月27日

セントラルパークが凍った



セントラルパークにある"The Lake"と呼ばれる池(湖)が完全に凍り付いていた。で、多くの人がその上を歩いて渡っていた。僕も渡ってやろうと池に降りて真ん中に向かって歩き始めたら、後ろから大声で "Off the ice!(氷から降りなさい)" と警官に注意された。

池全面が凍ってはいるが氷の厚みは6センチほどで、その下の水は対流しているので割れるかもしれないらしい。昔は自然のスケートリンクとして使われていたと教えてくれた。温暖化のせいで、今はもうそうはいかないらしい。

2013年1月23日

NYの寒さ

夜の9時頃までコロンビア大学の図書館で作業し、帰りの支度をして建物を出たところで凍り付いてしまった。ビル風のせいもあるのだろうが、ハドソン川方面から吹いてくる寒風に鼻と耳がちぎれそうになる。

手袋とマフラーはしていたが、それだけではだめだ。防寒用の帽子がなければやってられない。今日は、日中の最高気温がマイナス5度。天気予報によれば、明日は最高気温がマイナス7度、最低気温がマイナス13度だそうだ。

以前NYに住んでいたことがあるHとYから、日本を出る前に「ニューヨークじゃマイナス20度くらいになる日も珍しくないから気を付けてね」と言われたのを思い出した。

2013年1月22日

米大統領の就任式

今日はマーチン・ルーサー・キング・ジュニア・デーで米国は祝日。

朝から米ネットワークテレビはどこも大統領の就任セレモニーをライブで流していた。2期目ということで、オバマ大統領はいくぶんリラックスした様子に見えた。

式典の司会を上院議員のチャールズ・シューマーが努めており、彼が開会の挨拶の中で語った「アメリカ人はこれまでも、また今もプラクティカルで、オプティミスティックで、プロブレム・ソルビングな人たちである。そして、どんな困難な時にも立ち上がり、繁栄へ向かって進んできた」という内容のコメントが印象的だった。

ジェームズ・テイラーが登場し、ギター一本で "America the Beautiful" を歌った。こうした歌手と歌を持つ国が、とても羨ましい。



2013年1月21日

SAMSARA

住んでいるビルの1階にあるPeter Norton Symphony Spaceで映画「SAMSARA」(監督ロン・フリック)の上映があった。Samsaraは、サンスクリット語で輪廻の意味らしい。
 http://barakasamsara.com/

台詞やナレーションは一切なし。映像と音楽だけで構成されたドキュメントである。もとになった映像は、世界25カ国で撮影されたもの。日本が登場するシーンもある。増上寺や渋谷駅前のスクランブル交差点、葛西の巨大なゴルフ練習場、さらにはダッチワイフの製造工場。その導入として映し出される大阪大学石黒教授と彼のつくったヒューマノイド。

日本人としてはそれらの選択に首をかしげるところもあるが、ここは制作者たちがこれらを「撮したい」と思ったことに理解を示したい。

映像はデジタルではなく70ミリのフィルムで撮影されており、その深みと鮮やかに引き込まれる。

2013年1月20日

余計なお節介社会、ニッポン

先日、「日本の電車で聞かされる『足を組んだり投げ出したりすると周りの方への迷惑になりますので、お止めください』という車内アナウンスは何とかならないか。われわれは幼稚園児ではない」と書いたことについて、何人かから自分もそうしたアナウンスを不快に思っているというメールをもらった。

電鉄会社は、わざわざ乗客を不快にするために車内アナウンスを流している訳ではないだろう。では、なぜこうしたことになるのか。

僕は、電車の中で足を組もうが、投げ出そうが、寝っ転がろうが構わないと思う。周りに人がいなくて、他人に迷惑をかけさえしなければ。肝心なことは、他人に迷惑をかけたり不快な思いをさせないことであり、足を組むかどうかということではない。自分の行為がそうしたものかどうかは、各自が状況から判断すればよい。

個人が判断すればよいことを、わざわざルール化して守らせようとするのが日本人は好きである。「決まりをつくればみんなが従う」という意識は、役人だけのものではない。日本人全体の体のどこかに染みついた業のようなものである。

企業の顧客サービス窓口とのやり取りで「何々ということになっておりますので」と言われることがよくある。顧客にはその何々の意味も必然性も分からず、勝手にその企業の都合で決めていることをまるで法律か何かを振りかざすように言ってくる。

しかも残念なことに、そうした時の相手の口調には迷いがない。おそらくは上司から言われた、あるいはマニュアルに書かれていることを自分の頭で考える事もなくそのまま信じているのだろう。また、そうした対応を日本の顧客の多くが日々受け入れてしまっている現状があるのだと思う。

ハーバード大の教授だったアージリスらは、人間の学習にはシングルループ・ラーニングとダブルループ・ラーニングがあると規定したが、まさにその前者の典型例である。前提(governing variables)を疑うことなく、ただ言われたことをいかに実現するかということにしか目が向いていない。

「個」の特性を活かした経営だとか、個性が生きる教育や社会の構築だとか言われているが、ニッポンでは100年たってもそれは無理かもしれない。我々の生活の隅々まで行き渡っている官僚制度によって、管理し管理されるのが好きになってしまっている。管理されることを無心に受け入れれば、自分の頭で意味を考えたり、判断したり、そのための価値基準を心の中に持ったり、それをもとに行動したりといった事をしなくてもいいから。

現在ニューヨークに住んでいて、日々の移動のほとんどは地下鉄だ。NYの地下鉄では、路線の運行変更のアナウンスはあっても、車内で足を組むなとか、投げ出すなというアナウンスはない。周りに迷惑をかけている人がいた場合は、誰かがその旨注意して止めさせる。それだけである。

大げさかもしれないが、日本の駅のプラットフォームや車内でのアナウンスは、ニッポンという国全体の精神構造を実によく表していると思う。僕が生きている間に、こうしたアナウンスがされなくなる日が来るだろうか・・・。


2013年1月19日

柔軟性とマニュアル主義

日本へのフライトの際、ダラス空港の搭乗ゲートでアップグレードを申し出た。一人分2万5千マイルと450ドルが必要と言われる。連れがいたのでマイレージは5万マイル必要なのだが、2千マイルほど足りない。どうしようかと思っていたら、カウンターの米国人スタッフが「ちょっと足りないけど、いいわ」と足りないマイレージ分をオマケしてくれた。

航空会社としては、多少足りないマイレージに目をつぶってでも、出発間際の便に追加料金を払ってもらった方がいいと判断したのだろう。僕はこうしたアメリカ人やアメリカ企業の柔軟性が好きだ。時としていい加減さに映ることもあるけど、とりわけサービス業では現場の裁量に任せた柔軟な対応がいい顧客満足を生むことの方が多い。

今日、KDDIが米国で携帯電話サービスを行っているKDDI Mobileに電話した際のこと。日本への帰国時の解約手続きについて確認しておくためである。手続き自体は、電話一本で済むらしい。いま使っている携帯電話機は、日本国内では使えないので「破棄」してくれと言われた。

企業としてリサイクルを検討した方がいいと言ったところ、「上司に伝えます」との回答。ふと思うところがあって、結果を知らせてほしいとお願いした。すると、こちらの電話番号、フルネーム、パスポート番号を教えてくれと。なぜパスポート番号が必要なのか? 「お客さま確認のためにお聞きしております」だって。マニュアルにそうあるのだろうけど、もちろん教えなかった。だって、必要ないもの。

2013年1月18日

本物のホットチョコレートのおいしさ

チョコレートのreviewerとして有名な友人のDが、ニューヨーク・タイムズ紙のレポーターから取材を受けるというので一緒に出かけた。

場所はチェルシー・エリアの近く、フラティロン(Flatiron: フラットアイアン・ビル)地区のチョコレートショップ、L.A. BURDICK。http://www.burdickchocolate.com/about-us.aspx

ここで飲んだホットチョコレートが実においしくて、びっくり。こくがあって、香りがゆたか。しかもべたついたところなどなくて、後味がさっぱりしていて、チョコなのにある意味でスッキリしている。本当のホットチョコレートのおいしさを知った感じがする。

フラティロン地区には特徴のあるいい飲食店が多く出店している。23丁目と5番街の角にあるEatalyはもちろんだが、知り合いのバンドが初出演するからと昨晩出かけたFlatiron Roomのようなウイスキーにこだわったバー・レストランのような店も人気だ。http://www.theflatironroom.com/

2013年1月16日

意味のないメッセージ

つかの間の休暇を日本で過ごした。どこへ行くということもなく、やったことは鮨と天麩羅とすき焼きを食ったことくらいだが。

日本出発前日、ニューヨーク行きのフライトを確認するために航空会社に電話を入れた。すると、「ただいま電話が大変混み合っております。順番におつなぎいたしておりますので、このままお待ちいただくか、お掛け直しいただけますようお願いいたします」という応答メッセージが流れてきた。このメッセージ、以前から変わっていない。

しばらく待ってオペレータが出たので、先のメッセージについてかけ直した場合は優先的につながるようになっているのかどうか尋ねてみた。システム上、そうした風にはなっていないという。ということは、場合によってはかけ直したらもっと待たされることがあるわけだ。

この航空会社がやるべきなのは、電話をかけてきた客へ応対できるまで何分くらいかかるか案内できるようにすること。3分なのか、5分なのか、7分なのかーーこれ迄の応対記録と人員から、おおよそのところは自動的に計算できるはず。それを知らせた上で、そのまま待つかかけ直すかは電話をかけてきた客に任せればいい。

そうした情報を何も提示せずにおいて「 このままお待ちいただくか、お掛け直しいただけますようお願いいたします」などいうメッセージを聞かせるのは馬鹿げている。

話は変わるが、日本の電車で聞かされる「足を組んだり投げ出したりすると周りの方への迷惑になりますので、お止めください」という車内アナウンスは何とかならないか。われわれは幼稚園児ではない。ひさしぶりの日本の電車内での一幕。

自分が無価値な人間ではないという充実感

ニューヨークへ戻る機内で読んだ週刊文春のなかで、作家の鹿島田真希がこんなことを述べていた。 
いまでも、夫を介護する私を見て、作家業もこなしながら大変ね、と哀れみの情を示す人がいます。その人たちは、介護は厄災で、介護者ばかりが我慢しているとおもっている。しかし実際は違います。極端にいえば、夫は私がいなくても生きていけるでしょうが、私は生きていけない。夫の役に立てるという実感、自分が無価値な人間ではないという充実感を、夫は与えてくれています。私の日々の喜びは、掛け値なしに介護なんです。(2013年1月17日号)
唸ってしまった。

2013年1月9日

メキシコで幸福について考えた

メキシコの人は人懐っこい。おおかたはとても親切で、ある日、美術館への道を迷って近くを歩いていた人に尋ねた時は、わざわざ遠回りして案内してくれたほどだ。モンゴロイドの血を引き継いでいるのか、なんとなく顔かたちが僕らに似ているところがあるのも、お互いが親近感を感じる所以だろう。

メキシコ人の血は複雑である。現在、もともとのメキシコにいた原住民の血を100%継いでいる人たちはわずか1割(だんだん血が濃くなってきて、そのせいだと言われているが、最近は生まれる子供の8割が女の子である)。純粋な白人(スペイン系白人)が1割。そして残り8割はメスティーソと呼ばれる白人と現地人の混血である。スペイン人エルナン・コルテスによってアステカ文明が破壊され、メキシコが征服されたのが1521年。それから500年ほどかけて血が混じり続けてきた。

ティオテワカンへの観光ツアーは、メキシコシティの日系旅行代理店に申しんだこともあり、ガイドは日本人女性だった。滞墨9年目になるという彼女から、往復2時間半あまりメキシコについて話を聞かせてもらった。

彼女によれば、現在の大統領も閣僚もほとんどが人口では1割しか占めていない白人だという。そして、彼らは特権階級である白人のための政治を行う。例えば、富裕層である白人階級保護のため、この国では相続税は課されていない。

しかし、だ。白人が1割しかおらず、独裁国家でもないのに、どうしてそのような議員構成になるのか尋ねてみた。その理由は、一言で言えば「買収」。貧しい人たちが容易に村単位で買収され、歪んだ投票行動につながっているという。その結果、白人がその人口比に対してはるかに多い割合で議会を占め、自分たちの利益誘導に進む。

そうした現状を一般のメキシコ人(白人以外)はどう考えているのか尋ねたら、「ほとんど気にしていない」という。「最初から諦めているのです」とも。戦おうとも現状を変えようともしない。何百年間にもわたって被征服者として虐げられ服従することで生きてきた結果、将来を自分たちの手で作り上げるという意志はまったく持たず、ただ今日だけを楽しく生きることができればいいと思うようになったというのが彼女の説明だった。

メキシコは米国の隣国であり、歴史的にも経済的にも強いつながりがあるにもかかわらず、メキシコの公立学校では英語は教えられていない(そのためか、現地では思った以上に英語が通じなかった)。英語を学ぶためには大学に進学するか、高額な私立の高校に行く必要があるが、一般のメキシコ人にはそれはなかなか難しい。その結果、外資系企業などの「割のいい」仕事に就けるのは、そうした一部の階級に留まっている。こうして階級と格差が固定化されているわけだ。

彼女の話でもう一つ印象的だったのは、就職は肌の色と賄賂の2つで決まってしまうということ。ただ、それがどの程度のものなのかは正確には分からない。だからこそこうした問題は厄介で、問題として定義することすら難しいままに置かれている。

ブータンのワンチェク国王が来日した際、日本でもGNH(国民総幸福度)指標を導入しようという動きがあった。(2010年6月にその測定方法を開発することを目的とした研究会も発足しているはずだが、どうなったのか。) 

「幸福度」がキーワードとして語られるとき、しばしば議論に現れるのがメキシコである。幸福度に関する調査結果で示されるスコアが極めて高いからである。

細かな議論はここでは避けるが、メキシコを日本のモデルの一つとして検討してはということなら、それは全くのお門違いだろう。先に述べた悲惨な裏の状況が一つの理由だし、また「あなたは幸せですか」と尋ねられてどう答えるかは、やはり国民性に依存するところが大きい。


2013年1月8日

テオティワカンのピラミッド

メキシコシティから約50キロほど北へ行ったところにテオティワカン(Teotihuacan)と呼ばれる宗教遺跡が残っている。紀元前2世紀頃に栄えた都で、6世紀には建物だけを残し忽然と人々が消えたとされていて、その理由はいまだに謎らしい。



遺跡の中に、太陽のピラミッドと月のピラミッドと呼ばれる(のちに発見したスペイン人が勝手に名づけた)2つの巨大なピラミッドがある。階段の平均斜度は45度だから、なかなかだ。その中腹になぜだか犬がいた。


2013年1月6日

フリーダ・カーロ博物館

メキシコを代表する女流画家であるフリーダ・カーロの博物館を訪ねた。ここはもともとフリーダの家だったところで、彼女が生まれ、晩年は夫のディエゴ・リベラと過ごし、そして亡くなったところである。


メキシコ人画家らしい、自由奔放なイマジネーションと神秘性を感じさせる作品や彼女が生前好きだった創作に影響を与えたであろう遺物が数多く展示されている。

庭には、どこから集めたのか分からない、名前など表示のない民間信仰のオブジェがいくつも置かれていた。

左の像は、まるでスターウォーズのヨーダのようだ

2013年1月4日

原因不明のフライトキャンセル

メキシコへ向かうためにラガーディア空港へ。この空港を利用するのは初めてである。

同じニューヨーク市内の空港でもJFKに比べればこぢんまりした空港であるが、到着した時そこはやけに混んでいた。チェックインのための航空会社のカウンター前には恐ろしいほどの長い列。それになかなか進まない。どうしたのか・・・。

実はフライトが何便もキャンセルになり、一人ひとりに対してカウンターでその便の振り替え処理をやっていたのである。僕の乗る予定だった便もキャンセルされている。原因は知らされない。

とにかく列に並ばなければとそうしていると、係員が航空会社の電話番号が書かれたメモを客に手渡して回っている。僕ももらった。再予約のためにここに電話しろということらしい。何だこれは、と思いつつも携帯電話でダイヤルするが、つながらない。


とにかく状況が分からないまま、列に並び続ける。なかなか進まない。およそ一時間ほど並んで、やっとカウンターの順番が来た。空港の一部が安全上の理由で閉鎖されたためにフライトがいくつかキャンセルになったと言われた。その理由も尋ねたが、分からないとのこと。理由を知らされないのが、一番不安感を感じる。

フライトは、ダラス経由だったのがマイアミ経由に変更になり、当初の予定から1時間ほど遅れて出発した。どうも米国ではこうしたことはよくあるらしい。


2013年1月2日

Kindle Paperwhite

12月31日に、アマゾン・ドットコムからキンドル・ペーパーホワイトが届いた。キンドル・ファイヤーHDとどちらにしようかと考えた末、主要用途とバッテリーの持ちを考えてペーパーホワイトにした。初代のキンドルに次いで、これが2台目である。

日本国内で販売されている同機の3G接続対応モデルは日本国内のみの対応なのに対し、米国内で販売されているモデルは世界中で3Gが無料で使える。その違いなのか米国内モデルの方が値段が高かったが、海外でも使える方がよいと思いこちらにした。


まず、アマゾンのキンドルサイトで、日本に置いてきた初代キンドルのライブラリーとデータを同期する。とてもスムーズで、あっという間に終わる。

本体は軽く、持ちやすく、そしてEインクは読みやすい。ベッドに寝転がったり、トイレで読んだり、お風呂に浸かりながら使ってみたが、いい感じだ。ただし、電源スイッチは下ではなく上の方に付けた方がよかった。

日本のアマゾンのサイトで、W・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズ』をダウンロードしてみた。こちらもあっという間である。

但し、キンドル版の書籍の値段がスゴク高い! 2分冊で、それぞれが1995円、両方で3990円。日本語版のハードカバー書と同じ値段だ。ソフトカバー書なら、一冊1050円である。原著は分冊になってはおらず、価格はハードカバーで18.8ドルしかしない。

日本のアマゾンのサイトでは、わざわざ価格のところに「出版社によって設定された価格です」と表示してある。


講談社のような影響力の大きな出版社は、いまもって顧客の事より書店に対する配慮が欠かせないのか。それとも、版元(Simon & Schuster)との取り決めでもあるのだろうか。アマゾンへのコミッション以外はほとんど限界費用がかからないのだから、もっと安くしてもらいたいものだ。