2022-02-27

独裁者の台所

プーチンがウクライナへ侵攻したと聞き、ふと谷川俊太郎さんの詩を思い出した。

私の核弾頭付ミサイルどこへ置いた?
と妻がきいた
冷蔵庫の上
と夫が答えた


2022-02-26

その人の名刺を見てみたい

新聞の「会社人事」欄は、以前は結構よく見ていた方だと思う。企業で仕事をしていたとき、相手先の人事を知ることは必須だったから。

大学に移ったあとも新聞の会社人事欄で、学生時代の同級生や知り合いの動向を知ることが多く、飽きずに眺めていた。

そうした彼らもほとんど現役サラリーマンを終え、僕もその欄に目を走らせることはなくなっていた。

今日、たまたまその紙面を見るともなく眺めていると、こんな肩書きの役職者をふと見つけた。

代表取締役兼副社長執行役員グループ中国・北東アジア総代表兼パナソニックオペレーショナルエクセレンスパナソニックオペレーショナルエクセレンス中国・北東アジア社社長兼パナソニックチャイナ会長、〇間〇郎 

だって。本人も、どこで息継ぎしたらいいのか分かんないんじゃないの。

誰か、企業の役員の役職名の長さとその会社の業績の関係について研究してくれると面白いかも。

2022-02-24

うちでコーヒーを飲みながら思い出したこと

先日、近くのスターバックスに行った際の出来事である。

次回の読書会で取り上げる本に目を通しておかなければと、上下巻合わせて1,000ページを超える2冊を抱えて店を訪れ、コーヒーを飲みながら活字を追っていた。

ページからふと顔をあげると、店のトイレの前に立っている若い女性が目に入った・・・・・・再び本に目を落とし、何章か読み終えたタイミングでまた顔をあげると、さっきと同じ女性が同じ場所に立っているのに気がついた。十代半ばと思われる、おとなしそうな女の子だ。

最初に僕が気づいてからでも20分は経っていて、よく見るとなんだかモジモジしている。早くトイレに入りたがっている風に見えた。

ちょっと気になり、お節介かとは思ったが彼女のところまで行ってどうしたのかと尋ねてみると、彼女は黙って扉のノブのところを指さした。「使用中」を示す赤い色が見えた。僕は、彼女が中にいる客が出てこないのをずっと待っているんだと思って、ドアをトントントントントントントンと軽く7回ノックした。

7回のノックは、中に誰かいるのを確認するためのノックではなく、早く出てきなさいと促すためのノックだ。すると、間もなく中から若い女性が出てきた。あれっ、店のスタッフじゃないか!

使用済みのペーパータオルが入ったゴミ袋を片手に出てきたその店員は、僕とその後ろにいた少女をちらりと見ただけで何も言わずにさっさとカウンターに入って行った。

女の子はトイレに入り、僕は自分の席に戻ったが、なんか変だなと思った。その店員がトイレのなかでペーパータオルの補充やトイレットペーパーの交換をしていただけではないことは状況から容易に想像がついたからだ。

真面目にトイレ前でモジモジしながら何十分も待っていた子がなんだか不憫で、店員が中で何をしていたのか確認するためにカウンターに向かったとき、その女と目が合った。彼女はすぐさま僕から視線をそらし、奥の部屋に駆け込んでいった。

「逃げられた」と思ったが、カウンターのなかに乗り込むわけにもいかず、仕方ないのでそこにいた2人のスタッフに彼女はなぜ突然奥に入っていったのか訊ねたら、その男女は黙ったままお互いの顔を見合わせて首をかしげるだけ。

帰宅後、スターバックス・ジャパン本社に電話を入れた。店での一部始終を話してやったが、本社担当者の反応は「あ、そうですか」で終わり。

スタバはずいぶんと変わったなと感じた一瞬だった。この会社、どうなっちゃったんだろう。

人魚もしっかりしろと言ってる

2022-02-20

利用者の無知と無関心につけ込んではいけない

インターネットの利用者情報、例えば利用者アドレスやアクセスしたサイトページ、その日時、回数などはクッキーの仕組みを使って実質的に外部に筒抜けになっている。

そうした事はマズイだろうと、先進国を中心に利用者情報の扱いを規制しネット上での利用者保護を進める考えが一般になっており、日本でもデータの外部送信への制限を設けようとの考え方が整理されようとしていた。

ところが、楽天が主導する新経済連盟を中心に経団連、経済同友会、ACCJ(在日米国商工会議所)が今回の規制案への反対を表明した。(グーグルやアマゾンまでACCJのメンバーとは知らなかった)

それら団体は声を上げただけでなく、与党政治家へのロビー活動を密かに展開することで政治の面から総務省に圧力をかけて規制案を骨抜きにしてしまった。

自分の情報がどれだけ、誰によって、どこに流れているのか、そうしたことは一般の消費者には分からない。また実際のところ、普段のなかで目に見える形での実害として現れるわけじゃないから、無頓着になってしまう。それが人の心情だ。だから日本では一部の企業によって利用者データの利用が好き勝手が行われ、放置されている。

利用者は、まずはそのことを知っておくことが大切。その上でそうしたことを気にしない人、あるいはポイントなどの対価を受け取ることで了承できる人は、ネット利用の情報が外部でとどめなく利用されることを自分の判断で受け入れればいいと思う。

ただし、それは利用者に知らせられないまま「裏で」行われてはいけないし、また個人のネット利用の情報の扱われ方についての利用者の考えが変わった際には、それに応じたデータの扱いの変更(オプトアウト)ができなければならないはずだ。

利用者は、あくまで自分に関するデータを自分でモニターでき、管理、コントールする権利が確保されてなければならないのが当然のこと。それなのに、情報の収集やその外部利用に関しての本人への同意取得義務もオプトアウトも今回の決定では見送られることになった。

一般消費者の無関心とある種の無知につけ込んで、利用者データを「換金」し続けようとする企業は長持ちしないよ。時間が経てば、日本でもいずれはヨーロッパですでに一般化されているGDPRのような規制への考え方が強くなってきて、「これまで騙されていた」と感じる消費者からそっぽを向かれるようになるのは明らかなのだから。

そのことが分かっていながら、「少しでも長くいまの状況を維持できれば」という企業の短期的思考なんだろうが、感心しない。

2022-02-19

スピルバーグの映画作りの手堅さ

アカデミー賞受賞有力作と言われている、スティーブン・スピルバーグ監督の『ウエストサイド・ストーリー』のリメイク版をレイトショーで観た。

リメイクというのも変だな、元々の1961年製作の同映画(ロバート・ワイズ、ジョローム・ロビンズ監督)は舞台がもとで、その元々の話はシェークスピアの『ロミオとジュリエット』が下敷きになっている。

まあ、よくよく考えてみると、およそほとんどの創作物にはなんらかの下敷きがある。明らかなベースと言えるものがなくても、人が創造する限り影響を受けたものがないものはない。

今回のスピルバーグが監督したウエストサイド・ストーリーだが、冒頭に登場する土地開発中(つまり工事中)のニューヨークを映したカメラワークがいい。センスと技術と予算があるな〜、といきなり惹き込まれる。

この作品、広告には「禁断の愛の物語」などと書かれているが、禁断でもなんでなく、どこにでもある普通の男女の物語である。が、それをこのようにドラマ化して見るものの心に強く訴えるものにできる芸術性というか表現力は素晴らしい。

何よりもバーンスタインの音楽は、いまも色あせない。最初にブロードウェイのミュージカルとして公演されたのは1957年のこと。バーンスタインと言えば、『ウエストサイド・ストーリー』の翌年に常任指揮者に就任したニューヨーク・フィルやウィーン・フィルの指揮者として思い出されるが、作曲家やピアニストとしても知られた存在で、ジャズについても詳しかった。

物語の舞台は1950年代、開発が急速に進むニューヨークのアッパー・ウエストサイド。建設中らしいリンカーン・センターが出てくる。映画の撮影は、街のシーンを含めて多くはスタジオセットだろう。今から60年以上前のニューヨークを描くのだから仕方がない。

そのなかで、実際に今もニューヨークにある観光スポットが使われていた。劇中では名前など出てこなかったが、マンハッタンの北部、フォート・トライオン・パークにあるクロイスターズ(The Cloisters)だ。中世の修道院様式の美術館で、ユニコーンのタペストリーを何枚も展示した部屋や小さいながらも雰囲気のある中庭が印象的だった。今回の映画には、主人公の二人がその中庭で語らうシーンが描かれていた。

今の若者からみれば、この作品に登場する若者たちは、ちょうど自分たちのおじいちゃんとおばあちゃんの世代だ。だけど、そこで繰り広げられている、ひょっとしたら取るに足らない闘争とそれが生む分断は「今」と驚くほど似ている。米国内でトランプ的な考えが生んだ社会の分断だ。アメリカの映画界には民主党支持者が多いことも考えての映画作りだろうか。

このスピルバーグ版では、リタ・モレノがヴァレンティナという新たな役を演じた。その彼女がトニーに話す台詞 "Life matters, even more than love" には、これまでのシンプルな恋愛至上主義ではない価値観が込められている。

アカデミー作品賞受賞はどうか分からないが、いくつかの部門賞はまず獲得しそうだ。

マリア役は、なんと3万人のオーディションで選ばれた。

2022-02-11

真鍋さんの言葉の意味

仕事用のテーブルの上に積まれた書類の山を整理していたら、4ヵ月前の新聞が出てきた。その第一面にあったのは「真鍋さん 言葉濁した日本への思い」と題する記事。

片付けの手を止め、思わず読み直してしまった。そこに書かれた彼の言葉に考えさせられることがあったのでメモしておこう。

昨年、ノーベル物理学賞受賞が決まった日に、真鍋淑郎さんがプリンストンの自宅で日本の報道陣のインタビューに応えた言葉だ。

日本の研究は、好奇心に基づくものが以前よりもどんどん少なくなっていると思う。

⇒ 諸外国(特にアメリカ)で話題になったテーマやネタをカタカナに直して日本で紹介しているだけの研究が多い。これはとりわけ、マネジメント研究の領域で甚だしい。オリジナルなことをやるのが研究のはずなのだけど。

日本で人びとは常に、お互いの心を煩わせまいと気にかけています。とても調和の取れた関係性です。日本人が『イエス』と言っても、それは必ずしも『イエス』を意味せず、『ノー』かも知れません。

⇒ 真鍋さんは、1997年に約40年ぶりに日本に戻って仕事を始めた。当時の科学技術庁が管轄する研究組織の長に就いたのだが、4年後に辞任して米国に戻った。はっきりと考えや意思を示さず曖昧に済まそうとする日本人のスタイルは、そうした玉虫色コミュニケーションに慣れていない人間には苦痛以外の何ものでもないものだ。

なぜなら、誰かの感情を傷つけたくないからです。アメリカではやりたいことができる。他人がどう感じているか、それほど気にしなくていい。

⇒ つまり、日本では人びとは他人の感情を窺うことを優先させなければならないがために、やりたいことができないと。

米国で暮らすって、素晴らしいことですよ。私のような科学者が、研究でやりたいことを何でもやることができる。

⇒ それこそ素晴らしい。真鍋先生だから、というのもある。

私は調和の中で生きることができません。それが、日本に帰りたくない理由の1つなんです。

⇒ とても優しい言い方をされているが、日本に住む我々は自分を生きていないという指摘だろう。

最後のその言葉を彼が発したとき、インタビューの場が笑いに包まれた。そうすると、真鍋さんはしばらくの間、そこにいた日本の報道関係者たちを黙って見渡したらしい。なぜそこで笑いが起こるのか、彼には不可解だったから。

ところで彼の発言を読む限り、真鍋さんは言葉を濁してなんかいないと思うけど、記事を書いた記者はなんでそう感じたのかナ。

2022-02-10

視覚障害者にとってメタバースとはどんな世界か

メタバースについて見聞きする機会が増えてきた。ネット上に作られたその仮想の3次元空間で、人は日々働き、学び、遊ぶことができるという。

そこではアバターと呼ぶ自らの分身が、本人に代わって仕事をしたり、人と話をしたり、レジャーを楽しむことができるわけだ。ありがたや、ありがたや。

現実の空間ではないので、そこを訪れるための物理的な距離の制約はない。だから、体が不自由な人でもそこで仕事ができる。また、アバターという分身が動いてくれるおかげで、実は人と話すのが苦手だという人も相手とコミニケーションを取りやすくなるかもしれない。

ただ、その仮想世界の中で活動するためには、その独自の世界を見るためのヘッドマウントギア(VRゴーグル)を被らなければいけないはずだ。そうやってその世界に没入するわけだね。

 
そこでふと思ったのだけど、目の不自由な視覚障害者にはそこでの活動の場があるのだろうか。
 
彼らは視覚情報を他の感覚、つまり聴覚、嗅覚、皮膚感覚などで補っている。ゴーグルからは音は聞こえてくるだろうが、実空間と違って微妙な音の方向や距離や響き、反響といった情報は捉えられないのではないか。
 
嗅覚情報や皮膚で感じる情報(風邪や日の光)もない。彼らは、メタバースのなかではいっそう迷子になってしまいそうだ。

これまた今流行りのSDGsとやらが書かれた国連の計画書の冒頭には「われわれはこの共同の旅路に乗り出すにあたり、誰一人取り残さないことを誓う」("As we embark on this collective journey, we pledge that no one will be left behind.")と高らかに宣言されている。

SDGsの意味を理解していようがいまいが、メタバースを新たなビジネスの機会と考えている企業の経営者は、この宣言を思い起こし、視覚に障害のある人たちを取り残さないよう自分たちがどうしたらよいのかを考えておいて欲しい。

2022-02-09

高梨沙羅選手の失格について思う

スキーの高梨沙羅選手が混合団体戦の1回目のジャンプのあと、ウェアの検査でそれが失格になった。

胸が苦しい。この件に関しては、素人ながらいくつか疑問があるんだ。
 
彼女がジャンプの際に来ていたスーツが検査で規定以上に大きかったと言うことらしいが、その検査はどこの誰が行ったのか。太ももが規定(選手の身体とスーツ寸法の誤差)より2センチ大きかったということだが、どうやって測ったのか。ただ、彼女は失格、という判定だけなんじゃないか。

確かにジャンプ競技の性格を考えれば、どんなスーツでもいいというわけにはいかないだろうからそれなりのルールは必要だろうが、そうした検査は選手がジャンプする前に済ませればいいんじゃないのかね。

もっと不思議なのは、ジャンプ後のスーツチェックはすべての選手に対してではなく、抜き打ちで1部の選手にだけ行われるということ。

検査するなら、出場選手全員に対して同じ検査が行われてしかるべきだ。そうでないと、たまさかその検査対象に選ばれなければ<オーケー>ということになる。

彼女が使ったのは、1日前に出場した個人戦で着ていたものらしい。人間の体は食事や体調、環境などで変わる。国際スキー連盟は、日々変わるそうした微妙な体型変化に合わせてすべて調整しろというのだろうか。針と糸でちょちょっと、というものでもないだろう。

今回の判定は、とても不自然。どこでどんな力学が働いているのか、気にかかる。
 
当日のジャンプ用スーツを選んだのは高梨選手本人ではなく日本チームのコーチだったとか、団体戦で一緒だった小林選手が彼女に温かい言葉をかけたとか、いろんな話がくっついて報道されているけど、問題の核心はそんなところではないはず。

2022-02-08

649ページの超重厚マニュアルは役に立つか

コロナ感染拡大以来、国際学会にはどこにも行けていない。これってフラストレーションが溜まるもんだね。

ところで、われわれ大学の研究者が研究を推し進めるためにもらっている代表的な研究費に科研費がある。正式には科学研究費助成金と呼ぶもので、文科省所管の日本学術振興会が仕切っている。

僕もその助成金を受け取って研究の一端を進めているわけだが、コロナで国際学会に一切出かけられなくなりどうしようかと思っていたら、その助成金の使用年限を延長することができる申請の案内が来た。

ありがたい話だ。その申請は日本学術振興会のサイトから行うのだが、サイト利用のための手引き(マニュアル)はなんと649ページもある。https://www-shinsei.jsps.go.jp/kaken/docs/kofumanual-shinseisha_K.pdf

 
おそらく高度に網羅的に記述しているので、サイト上で種々の手続きを行うためにはこのマニュアルを読めば何でも分かるのだろう。一方で時間がないときなどは、目眩がしてしまいそうだ。

2022-02-07

高校生たち、君らは何に夢中になってもいいけど、株には気を付けろ

「米国のウォルト・ディズニーカンパニーの株をおよそ30年前に買っていたら、今は何倍になっているでしょう。(1)2倍、(2)21倍、(3)119倍」――。21年12月、吉祥女子中学・高等学校(東京都武蔵野市)の教室で、三菱UFJモルガン・スタンレー証券の社員が生徒たちに問いかけた。正解は(3)の119倍。「1万円のお年玉を投資していたら、30年あまりで100万円を超えました」という説明に約30人の生徒が驚きの表情を浮かべた。

という書き出しで始まる記事が、夕刊の一面トップに載っていた。
 
高校の学習指導要領が新しくなって、2022年度からは株式や投資信託などの資産形成を教えることが必修化されるらしい。
 
その是非はここではひとまずおいておくが、それにあわせて女子中高生(なぜ中学生まで集めているのかネ?)を対象にしたクラスで、証券会社の社員が出張授業をしたとか。
 


教室内での先の問いかけだが、学校関係者や取材していた記者はヘンだとは思わなかったのだろうか。
 
普通の感覚であれば、その証券会社の女性社員に対して「あなたは、あるいはあなたの知り合いか誰かで30年前にそのウォルト・ディズニーカンパニーの株を購入し、119倍になった株の含み益を保有している人がいるのですか?」という素朴な疑問がうかぶはずだ。

そうした人物がいれば大したものだが、どうだろう・・・。30年前に一般の日本人の個人投資家で外国株をやっていた人はごく僅かであり、もしその時にディズニーカンパニー株を購入した人がいたとしても、30年後の今も持ち続けているかどうか。

もちろんこの証券会社の社員が言ったのは「たとえば」の話だろうが、こうした極めて特殊な事例を株投資の知識を持ち合わせていない女子中高生にするのは適切ではないはず。それが分かっていてこうした話をしたとしたら、確信犯的でとても悪質だ。
 
国の定めで学校で必修化されたため、各地の多くの高校では投資や資産形成について誰がどう教えたらいいのか戸惑っている。それをいいことに、証券会社の社員らが出張授業や教材提供などの手段で教育の場にスルスルッと入り込み、今回のような子供だましの説明をして生徒たちをミスリードしていく。
 
学校の先生や教育委員会は、株投資に関して自分たちの知識が限られているから、手をこまねいてそれを放置するしかない。親や社会がしっかりしないとね。
 
そもそも「金融教育」とは、高校生に投資を推めることが本来の目的ではないはず。

ディズニー株で大もうけできたはずの話のあとは、株で大損こいて人生を破滅させた人の事例も当然中高生たちにお話してやったんだろうね、三菱UFJモルガン・スタンレー証券の社員さん。

2022-02-06

なぜ岩波ホールは閉館するのか

今年の年明け、神保町の映画館、岩波ホールがこの7月で閉館されるとの発表があった。東宝や松竹、東急といった大手の興行システムとは異なるスタイルで、自分たちのお眼鏡に適った映画を単館で長期上映するやり方を続けていたが、とうとう立ちゆかなくなった。

下記は岩波ホールが上映したなかでのこれまでの主な作品。僕が観たのを覚えているのは、88年の『八月の鯨』、2013年の『ハンナ・アーレント』、19年の『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』あたりか。

 
『ハンナ・アーレント』
https://tatsukimura.blogspot.com/2013/11/blog-post_24.html
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』
https://tatsukimura.blogspot.com/2019/06/blog-post_26.html 

日本のほぼすべての新聞(全国紙)が岩波ホール閉館を惜しみ、「なぜ支えられなかったのか」という論調の記事を書いているが、いまさら何を言ってるのかと思わないでいられない。普段ろくに目を向けたこともないくせに、何かあると「どうして閉館するのか?」と問う。

それはそうと、岩波ホールの閉館は日本の組織の失敗の典型例にみえる。神保町駅の真上という集客型ビジネスでは願ってもない最高の立地。九段下駅も近くだ。近隣は日本を代表する古書街、書店街がある。大学も周辺に数多くある。オフィスや商業施設もたくさんある。劇場が入っているビルは、自社ビルである岩波神保町ビル。だからテナント料を心配する必要はないはず。そして、「岩波」という日本の最高の知性ブランドを掲げる。

良質な映画を単館上映する姿勢を守り、「社会情勢の変化とともに観客が減った結果」の閉館決定と伝えられているが、根本のところは経営者の能力とやる気のなさではないだろうか。

自分たちが考える「良質な映画」にこだわり、それを標榜するのは勝手だが「良質」とは何かは個人の、そして時代の価値観によって異なる。

かつては岩波ホールでは高野悦子さんという知る人ぞ知る優れた映画人が支配人をしていたが、そんなことは今の若い人たちは知る術もない。今の時代に自分たちをどう位置づけ、どう社会(映画ファン)に向けて発信していくかの基本的な行為すら経営者は分かってなかった。

自分たちの価値観で「いい映画」を上映するだけではなく、映画館は興行なんだからそれを興味のありそうな人たちに伝え、魅力を感じてもらい、劇場に足を運ぶようさせなければにっちもさっちもいかなくなるのは当然のこと。

コロナ禍の影響は大きかったと思うが、時間の問題だったと言える。 

https://www.iwanami-hall.com/topics/news/5024

2022-02-05

反省だったら、猿でもできる

昨年12月下旬、『日経ビジネス』誌の記者が大学の研究室にやって来た。今度、ファンづくりに関しての特集を作るので、インタビューをしたいとのこと。

僕がNPS(Net Promoter Score)日本版とも言えるPSJ(Promoter Score Japan)を提唱してるのを何かで知って、それについて話を聞きたいということだった。

クリスマス前のその日、研究室で1時間ほど話をし、彼はそれをICレコーダーで録音し、その後持って来たカメラで写真を何枚か撮って帰っていった。

また、誰か企業のマーケティング責任者でNPS/PSJについてインタビューできる人を紹介してもえないかと言うので、知り合いの化粧品会社のマーケティング部長を紹介した。

先週、その特集を組んだ日経ビジネスが発売されたのだが、その記事には括弧(引用符)つきで僕がしゃべってないこと、むしろこちらの意図とは逆の内容がいかにも僕がしゃべったように書かれていた。先のマーケティング部長もインタビューで都合のいいところだけを摘ままれたと指摘している。

黙っているのは良くないので、件の担当者にどういうことか問いただしたら、インタビューの際の話のいくつかをつなぎ合わせて1つの発言にしたと言い、「猛省しております」と返答を送ってきた。

すぐさま猛省するくらいなら、そもそもそんなことをして記事を作るのはやめた方がいい。

2022-02-04

3.7% 増えて市場規模はいくらに

今日の日経の記事。2020年度の日本の広告費は対前年比16%のマイナス、翌21年度は過去最高の伸びの15%プラスだったらしい。で、22年度は3.7%の伸びという見通しらしい。


どういった推計を行っているのか分からないが、それにもましてこの記事はここ数年の国内広告費に関するもののはずなのに、金額の実数が一切書かれていないのが不思議。

2022-01-27

北京冬季五輪のテレビCM

来週、北京で第24回目の冬季オリンピックが開催される。オミクロン型コロナウイルスが世界的に蔓延してなかでの大会となる。

日本ではオンエアされていないが、IOCがUncommon Creative Studioというロンドンの広告制作会社に作らせた北京冬季五輪のCMが世界で流されている。

世界中が冬季オリンピアンとシンクロしていく様を表現するのがコンセプトなんだろうけど、ちょっとね。

2022-01-25

騙される方が悪い、のがネットの世界か?

動画投稿アプリTik Tokの日本法人が、インターネット上で影響力を持つインフルエンサーたちに金を渡して特定の動画をTwitterに投稿させ、拡散しようとしていたと報じられた。

報道ではステルス・マーケティングではないかと書いてあったが、こうした訳のわからない言い方はやめて、はっきりと「やらせ」と呼んだ方が良いんじゃないのかね。

他にもアドフラウとか、その実態が一般の人にはすぐには分かりようがないアメリカ生まれの用語そのままをカタカナで使うのは、どうしたものかと思う。

そうした用語は日本語できちんと置き換えて表現することで意味とニュアンスもより明確に伝わるはずだ。たとえば、アドフラウは端的に「広告詐欺」と表現すればすむ。

カタカナで表現されると、オブラートで包まれたような印象しか残らない。まずはメディアの人間が意識的に物事を表現するようになると状況は少しずつ変わっていく。
 
ところでバイトダンス社だが、その後「利用者や関係者の皆さまに誤認を与える可能性があることを考慮し、今後このような施策は行わないよう社内に周知徹底し、再発防止に取り組む」との声明を出したが、いったい外部の誰がそれを確認できるのか。

とにかく金で易々と釣られるインフルエンサーがいる限り、こうしたことはなくならることはない。契約に基づいた金銭の支払いでなくても、それを求める連中に対して如何様にでもインセンティブは提供できる。

ここはもう、諦めるしかない。ネット上の不正を厳密に取り締まることはできないし、自浄作用に任せるのも現実的とは思えない。あとできることは、受け手であるわれわれの側がしっかり知恵を働かせて、ウソとマコトを自分で判断するしかない。狐と狸の化かし合いではないが、ネットはそういう世界だ。
 
広告やマーケティング上のやらせは、最近始まったことではない。むかしからあり、これをどう捉えるかは状況や立場によって異なるので簡単ではない。 

プロダクト・プレイスメントという手法がある。たとえば映画やドラマの小道具や衣装などに特定の商品を用いることで間接的に訴求するというやり方だ。これもまた昔から古典的なやり方だが、手法として有名になったきっかけは、1982年のスピルバーグの映画『E.T.』で使われたチョコレートからだ。
 
007シリーズでボンドがしている腕時計なんかも明らかにプロダクト・プレイスメントだろう。自動車メーカーが番組提供しているテレビドラマで主人公が乗る車は当然、そのメーカーの車だ。これらを「やらせ」と呼ぶかどうかだが、そうは受け取らないのが一般的だろう。
 
やらせかどうかの線引きは実に難しい。結局は、受け手の考え方とリテラシー次第ということになる。
 

2022-01-24

マーケティングは、そこにあった

マーケティングの分野を代表する世界的な学者として、アメリカ人のフィリップ・コトラーがいる。彼が書いた『Marketing Management』は、今も世界中のビジネス・スクールにおいてマーケティングの定番テキストとして用いられている。
 
僕自身、30年ほど前に英国のビジネス・スクールで学んだとき用いたテキストが、同書の第7版か8版だったように記憶している。初版は1970年頃で、今は第16版あたりが最新版として出ている。移り変わりの激しい分野で、これほどまでに長く、そして広く読まれていること自体が優れたマーケティングである。
 
彼はまた、そうしたテキスト以外にもマーケティング分野の多くの本を書いている(ただし、最近の共著書上の彼の名は、ほとんど名義貸しだが)。そして日本の出版社が、それらの翻訳本を売らんがためなのであろうか、彼を書籍広告などで「マーケティングの神様」と称して紹介している。

マーケティングの神様とは何だろうと思うのだが、確かにかつてはセールスの別名としてアメリカで考えられていたマーケティングを整理し、今のマーケティングの体系を築き示してきたのは彼の最も大きな功績の1つだ。

僕自身コトラーの本の翻訳を何冊か手掛けているし、また彼と何度か直接会って話したこともある。そして今も時折メールのやりとりをするのだが、ある時彼にあなたの本が日本で広告されるとき、日本の出版社はあなたのことを「マーケティングの神様」と呼んでいると伝えたことがある。
 
それに対して彼は、自分は神ではない、自分はマーケティングを創造していない、マーケティングはそこにあった、と言う。

神、すなわち創造主としてマーケティングを創ったのではなく、市場現象としてそこにあったマーケティングを彼は様々な分析方法やコンセプトを用いて整理し、体系化したという。
 
確かにその通りだろう。そう、マーケティングは既にそこにあったのだ。

2022-01-23

老年期の男と少年と動物、そしてメキシコの旅路

映画「クライ・マッチョ」は、クリント・イーストウッドが50年前に「恐怖のメロディー」で監督デビューしてから40作目になる作品。今や誰もが認める大監督である


監督と主演をつとめるイーストウッドが演じる元ロデオ・スターのマイクは、かつての落馬をきっかけに引退し、今は静かな、そしてある意味で落ちぶれた男として暮らしている。

昔の雇用主からメキシコにいる訳ありの息子を連れて帰ってくれるように依頼されることから物語が始まり、半ば誘拐のような感じメキシコ人の少年を連れて、おんぼろ車で旅しながら彼の父親が待つメキシコとアメリカの国境に向かうと言うロードムービーである。

先日見た『マークスマン』で、リーアム・ニーソンがメキシコ人の少年を連れてメキシコ国境から中西部の街シカゴを目指すスタイルと似ている。
 
『マークスマン』では、リーアム・ニーソンは旅の途中でメキシコ人の少年に銃 (ベレッタ)の使い方を教えるシーンがあったが、本作では元ロデオのチャンピオンだったイーストウッドが国境へ向かう途中で立ち寄った村で少年に馬の乗り方を教えてやる。

それは、マイクにとっても自分自身を取り戻す再生を呼び起こす行為である。『マークスマン』では旅をするのは年老いたリーアム・ニーソン、メキシコ人の少年、そして1匹の犬だった。本作では、年老いたイーストウッドと同じくメキシコ人の少年、そしてその少年が連れている闘鶏のマッチョであるところもなんだかよく似ている。
 
かつての輝きを失った年老いた男と少年、そして動物という取り合わせは黄金のトリオだ。

途中、彼らの旅を阻む連中の存在、そして戦い。それにより少年は成長し、新たな人生への予感を漂わせる。一方、年老いた男はどうなるか。『マークスマン』のニーソンはやるべきことを成し遂げた後、すでに何にも名残はないかのように満足し安らかな表情で息途絶える。

イーストウッドは、その長身の体を少しかがめ、ゆったりとした足取りながらもちょっぴりロマンチックな新たな人生を見つけそこへと静かに入っていく。

これは、91歳になったイーストウッドが眺める人生へのひとつの眼差しだ。イーストウッド節といっていい、性根の太さとペーソスを漂わせる。
 
劇場の観客は、週末だというのに僕ともう一人だけ。下の階のスターバックスは人で溢れているというのに。

2022-01-18

森友事件糾明の声は再燃するか

もっと本を読もう、映画は映画館で観よう、と思い、先月契約を止めたネットフリックスを再契約してしまった。そして「新聞記者」6話分を一気見してしまった。

一晩で一気に見るつもりはなかったのだけど、次の話がどんどん再生されていくんだもんなあ。うまいというか、ほんとよくできているよ。

ストーリーの中心は、安倍元首相の例の森友学園問題で近畿財務局の職員だった赤木俊夫さんが自殺にいたったことと、それに絡んだ官邸と財務省の作為だ。

本件、関係者はもう終わったと胸をなで下ろしていたかもしれないが、これで再燃するかもしれない。

日本のメディアには官邸や総務省からの圧力がかかっているだけでなく、局の番組スポンサーも政府の意向を気にしてできるだけ波風を立てない考えをもっている。だから報道姿勢も腰砕けというか、見て見ぬ振りを続けているように思える。

だが、ネットフリックスにはそうした忖度は基本的にほぼ無用のようだ。しかも、このドラマの視聴者は日本国内だけでなく、世界中の人間がそれぞれの言語の字幕付きで見ることができるのが何と言っても圧倒的だ。テレビ局も番組スポンサーも、フィルムの配給会社も劇場興行主も関係ない。コンテンツそのものに力があれば、何億人という人がダイレクトに見てくれる。

2022-01-15

リーアム・ニーソンの新作

もとは米海兵隊員で名うての狙撃兵だった男が、メキシコとの国境近くの田舎町でいまは小さな農場で愛犬とだけ暮らしている。

その彼がある日、訳あってメキシコの麻薬カルテル組織から追われてアメリカに逃げ込んできた親子と出会う。母親は撃ち殺され、彼はメキシコ人の11歳の少年を連れてシカゴを目指すことになる。

ラジエーターの壊れたクルマで北へひた走る彼(リーアム・ニーソン)と少年、ワンコも乗ってる。映画『マークスマン』は、彼らに対して執拗に迫ってくる組織の殺し屋たちとの戦いを描いたロードムービー。


ストーリーはシンプルだが、登場人物の輪郭と彼らの関係がくっきり描かれている。まだ11歳とあどけなさも残るが、利発なメキシコ人少年。息子を心底愛していたその母親。リーアムが最近失った妻と、今は地元の国境警備隊の捜査官として働く娘。そして、愛犬。

本作品でのリーアム・兄さん、じゃなかった、ニーソンが演じる主人公は『グラントリノ』のイーストウッドを彷彿とさせる。

どこか親近感があると思ったプロットは、ジョン・カサベテスの『グロリア』を連想させる。

観客は50代以上がほとんどだった。

2022-01-12

「ダークウォーターズ」は、アメリカの水俣だ

マーク・ラファロが主人公の弁護士ロブ・ビロットを演じた『ダークウォーターズ』は、ビロットも含め、映画に登場する全員がすべて実在の人物である。

ということは、ストーリーも事実に基づいているということ。アメリカの大化学企業デュポンが起こしたとてつもない環境汚染と、その被害者である多くの住民と、たまたま彼らの側で闘うことになった弁護士を描いている。


物語は1998年から始まる。ビロットが勤務する法律事務所に彼の祖母の知り合いだというウェスト・バージニア州で農場を営む中年男が訪ねてくる。物語はいつもひょんなことからスタートする。これもまた作り話ではなく事実だ。

デュポン社が生んだ巨大なイノベーションのひとつである<テフロン>が製造される段階でPFOA (PFAS) という化学物質が排出され、デュポン社はそれが持つ強い毒性を種々の実験調査で知っていながらたれ流すことで水を汚染していた。多くの住民や従業員が癌で亡くなり、女性は顔面が畸形化した子どもを産んでいた。

何十年も前からその毒性を確認しておきながら、莫大な利益を生む製品を守るために自分たちが犯している犯罪を隠蔽し、誤魔化し、政治力に訴えてもみ消そうとする世界的な巨大化学会社。その存在はどこの国にもあり、珍しい存在ではないかもしれない。

しかし、その犯罪的行為を真正面から糾弾する映画は珍しい。デュポンやテフロンは、実在する企業名、製品名。舞台とされている街(ウェスト・バージニア州パーカーズバーグ)も実在の街だ。登場人物の名前も実在の人びとだ。

アメリカには、こうした映画を作る勇気があることに敬服する。正義を求め、それを真正面から堂々と主張しなければと考えるスピリットが多くの人のなかに生きている。

この映画、僕は個人的に音楽の使い方が気に入ったところがある。たとえば、主人公の弁護士ビロットが実状を確認しようと初めてウエスト・バージニア州を車で訪れるとき、BGMにジョン・デンバーの「カントリー・ロード」が流れる。

そうだ、覚えているかな。こんな歌詞で始まる。

♪ Almost heaven, West Virginia
Blue Ridge Mountains, Shenandoah River
Life is old there, older than the trees
Younger than the mountains, growin' like a breeze

Country roads, take me home
To the place where I belong
West Virginia, mountain momma
Take me home, country roads

「♪まるで天国、ウエスト・ヴァージニア」と始まる歌で、皮肉が効いている。

ビロットは文字通りその身を掛け、デュポンというゴリアテ相手に何年もの闘いを挑み、やっと裁判に持ち込む。その裁判は、いま現在も続いているという。水俣と同じだ。

映画のラスト、懐かしい声がスクリーンから流れてきた。Johnny Cashが歌う「I Won't Back Down」である。聴いてて泣きたくなったよ。 

2022-01-11

理解し、重要なポイントを選び、手を使って覚えることから始まる

新聞のサイトでGIGAスクール構想とやらの現実を映す写真を見て、思うところがあった。

GIGAスクール構想は、文部科学省が2019年12月に打ち出した全国の小中学校生に一人一台のパソコン(タブレット)端末を渡し、学校には高速大容量のネットワーク環境を設けるという政策だ。

この写真、教室内で子どもたちが授業の終わりに先生の板書内容を「一人一台」のタブレット端末で撮影している。前の児童の頭が邪魔なのか立ち上がり腕を伸ばして撮影しているようだが、みんながそれをやれば結局は同じ。

これはどこかで見た風景であり、僕が教える大学院(ビジネススクール)でも、数年前まで教室で「カシャッ」「カシャッ」という音が響いていた。

不愉快なので禁止にした。不満の声が出たが、こちらが話をしているときに不遠慮に聞こえてくる撮影音がノイズであるのはもちろんのこと、ノートを取るという作業を放棄して写真さえ撮っておけば安心、という学生の思考放棄に問題があると考えたからだ。

手を怪我していてノートが取れない、だからしかたなく黒板(ホワイトボード)を撮す、そしてちゃんと後で見返す。というのなら、もちろんOKだ。が、そうでもないのにホワイトボードやプロジェクタースクリーンをパシャパシャやって、それで「学んだ」気になっているだけなのが大半である。

確かにノートを取らないという学習スタイルはある。その時に自分の頭で考え、理解し、覚えるべきことは記憶できるという自信があればそれでいい。あるいは、理解することを主眼に据え、記憶も記録も自分には不要だと割り切れば、それもそれで構わないだろう。

だがそうした考えでノートを取らないのではなく、写真さえ撮っておけばなんとなく安心、と思っているのが窺える。

本来、ノートを取る、つまり自分の言葉で記録しておくためには、まず内容を理解し、残しておくために記録するべきことを峻別し、文字や記号などでそれを留めておくことが求められる。そうした当たり前のことをやっているかが問題だ。

ジャーナリストの故筑紫哲也さんは手考足思(もとは陶芸家、河井寛次郎さんの言葉)をつねづね語っていたが、タブレットのカメラでカシャッとやって済ますのは学習することとはほど遠い。

小学生の時からそんなことをさせてどうするのだ。彼らのノートパソコンやタブレットの中にはやがて大量の写真情報が蓄積されていく。しかしそれは、学ぶこととはまったく無関係。

そういえば、ムーンライダーズに『カメラ=万年筆』という傑作アルバムがあったが、これからの小学校は、さしずめ「タブレット=カメラ」と成り果てるのだろう。

2022-01-04

『ボストン市庁舎』

映画『ボストン市庁舎』(原題:City Hall)は、今年の1月1日に91歳になった映画監督、フレデリック・ワイズマンが制作したドキュメンタリー。


劇場での上映開始が今朝9時で、途中10分の休憩を挟んで終了したのが午後2時前だった。本編274分。鑑賞料2800円。半日仕事になってしまったが、時間をやり繰りして出かけた甲斐はあった。

今回の作品はワイズマンの43本目のドキュメンタリーになるが、彼の作るものはある意味で独特だ。ナレーションなし、BGMなし、インタビューなし。フリルの付いたテレビのドキュメンタリー番組に慣れた向きには素っ気ないだろうが、余計な飾りや制作者の意図を拝した姿が伝わる。

制作の場では、目の前で起こっていることをワイズマンを含めて3人という少人数のクルーが映像と音声に収めていく。監督であるワイズマンは、撮影後の編集はもちろん、現場では音声も担当しているらしい。

 

今回の彼の作品がこれまでのものと違う点は、ある特定の人物に焦点を当てていることかもしれない。それが、当時のボストン市長であるマーティン・ウォルシュ(現在はバイデン政権下の労働長官)だ。

彼が市庁舎や警察などの関係機関はもちろん、市民や各種NPOなどの集会に出かけて話をするシーンがたくさん出てくる。そこでのウォルシュのスピーチ、そして市民などのやり取りが日本人には珍しく映る。言葉の力というものを見せつけられ、実にまぶしい。

行政は何のためにあるのか、市長の存在意義は何なのか、市民との関係はどうあるべきなのか、実にフランクにそして的確に、かつ誰にでも分かりやすく説明をする。

質問や苦情を投げかける市民の方も容赦はない。ストレートに自分(たち)の考えや要望を伝え、対応を求める。成熟した民主主義ってこうなんだろうなって、観ていて感心することしきりだった。

ボストンはアメリカのなかでも歴史のある古い街。だから、さまざまな人種が交錯する。そして格差や不均衡、差別が存在している。性のありかたも多様だ。それぞれのバックグラウンドを抱えた市民やコミュニティが、自らの生を求めるなかでストレートに主張をぶつけ合う。言葉を尽くして相手に訴えかける。

忖度なんて考えていたら何も始まらない。で、当然ながら言葉には言葉で対応する。その力強さと発展性は、残念ながら日本には根本的に欠けているものだ。

ところで、この映画こそ日本の役所で働く連中にも見せなきゃ、と思ったら、今日行った映画館では市役所勤務の人を対象にした「市役所割」をやっていたよ。

いい考えだと思うけど、本当は各自治体が自分たちで上映会を行って、行政のあるべき姿に関して議論などしたらいいと思う。

斎藤幸平のあやしさ

地球温暖化は避けがたい現実である。だが、地球温暖化や気候変動の原因を資本主義に収斂させる単純な思考には首を傾げてしまう。

そもそも、こうしたことは「主義」の問題なのか。地球温暖化や気候変動の原因やそれらへの対応はもっと科学的な議論であるべきだ。

人類の経済活動が地球を破壊するとする人新生の考え方を唱える人は、「主義」の転換が問題解決につながると考えているらしく、具体的にいえば資本主義を共産主義に転換することが必要と言う。

だがそれで何か変わるのか、僕にはよく分からない。中国はCO2を排出していないのか。してる、大量に。

われわれは、環境保全を目的として共産主義の世界で生きるべきか。われわれは、そもそも何のために生きているのか。これは哲学の問題だが、ただ生物として生存するために、そのことを第一義的にして生きることに意味があるか疑問を感じる。

大阪市立大の斎藤幸平の本で「人新世」という言葉が知られるようになったが、そもそもその言葉の定義すらまだ定まっていない。

人新世という用語は、科学的な文脈で非公式に使用されており、正式な地質年代とするかについて議論が続いている。人新世の開始年代は様々な提案があり、12,000年前の農耕革命を始まりとするものから、1960年代以降という遅い時期を始まりとする意見まで幅がある。(Wikipedia)

それは12,000年前からか、それとも60年前からか、という訳だ。これでは議論のスタート地点にも立てない。

60年前から(1960年以降)というのは、以下のグラフからの指摘だろう。確かに異常気温が顕著になっているのはその頃からだ。だが、その当時はソビエト連邦はまだ崩壊していなかったし、多くの東欧の諸国も共産主義を標榜していた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%96%B0%E4%B8%96

ところで先日のNHKのテレビ番組で、斎藤がチェコの経済学者で『善と悪の経済学』の著者のトーマス・セドラチェクとリモートで対談していたが、その冒頭で斎藤は、

In my book, I argued for de-growth communism which became very popular currently in Japan ....

とセドラチェクに迫ったが、very popular in Japan はないだろう。彼の本がどれだけ売れたのかは詳しく知らないが、たとえ100万部のミリオンセラーだとしても、日本人の1%以下。そして、その本を購入したからといって、購入者のすべてが彼の主張する<脱成長コミュニズム>に賛同しているわけでもない。

セドラチェクは、かつてソ連に侵攻されたことのあるチェコの学者ということもあって、コミュニズムの復権には注意深さを崩さず、きわめて懐疑的である。

そのチェコからネットで対談参加している彼に対し、日本の実状など分からないからとこうしたハッタリをかますのはいかがなものか。

そうした人間を精神分析の視点から論評することはたやすいが、それはここでは書かない。ただ言えるのは、こうした人物は信用出来ないということである。

2022-01-03

最初から結論ありきで論じている

今朝の日本経済新聞の一面。「社内の幸福度の低さが企業の成長を阻み、それが社員の不満をさらに高めかねない」とある。その元になっているのは、同紙に掲載されているグラフ化された以下の調査結果だ。

これで分かるのは、せいぜい社員の幸福度と企業業績の間に相関関係がありそうだということだけ。ところが同紙は、「社員の幸福度の低下」が「企業の売上高の低下」を導くという因果関係があると一方的に解釈している。

そうではなく、「企業の売上低下」が「社員の幸福度の低下」を導いている可能性をなぜ考えないのだろうか。あるいは、ここにはない別因子の「経営の拙さ」が「企業の売上高の低下」と「社員の幸福度の低下」の双方を導いているとは。

日本企業では社員の幸福度が低いことが原因で企業業績がはかばかしくない、だから社員にもっとハッピーになってもらうことが肝心である、と読者に向けて言いたいようだけど理屈に合ってない。

そもそも目を向けるべきは社員の心の状態ではなく、企業経営の巧拙の方だろう。

2022-01-02

ダグラス・アダムズの法則

30代半ばの知り合いが昨年末でそれまで勤めていた会社を辞めた。今年から別の業界に飛び込むらしい。

彼の年齢から、ダグラス・アダムズの法則と呼ばれる考え方があるのを思い出した。

それは、「人は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを自然の世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じる。35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じる」というものである。

人は35歳までは新しいことを受け入れることができ、そこに魅力的なものを感じる事ができるが、35歳を過ぎると周りに現れた新しいテクノロジーに対しては不安や不自然なものを感じてしまう性向があるということらしい。実は法則といっても科学的な根拠があるものではないのだが。

35歳と云えば、人は35歳までに転職をした方がいい、ということを僕が初めて聞いたのは40年近く前のこと。大学を卒業して初めて仕事に就いた広告代理店の先輩から聞いたのを覚えている。

それは、若いときは人は誰でも自分にいろんな可能性を感じて新しい事にチャレンジしていきたいと思うが、35歳を過ぎるあたりからたいていの人は自分にできることでできないこと、自分に向いてることと向いていないこと、可能性と不可能性のラインのようなものがわかってくるんだよという話だった。

転職をするとしたら、少なくとも35歳までにするべきだというのがその時の彼のメッセージの一つだった。彼自身がその当時30代半ばで、いろいろ思うことがあったのだろうと今にして思う。

そうしたアドバイス(?)があったからというのではないが、僕はその後30歳までその会社に勤め、転職した。それまでにも何度も会社を辞めようと思ったことはあったが、なぜか親身になって入社時から相談にのってくれた彼の顔が浮かび、30歳になるまでその会社で仕事をした。

いま世間では「45歳定年」という話があるが、そのことについて僕は基本的には結構なことだと思っている。いや、正しく述べるなら、制度として45歳で定年にするというより、少なくともそのあたりの年齢でビジネスマンは自らいくつか組織を渡り歩いていた方がいいということだ。

もし仕事は同じだとしても、働く場所や環境を変えた方がいい。新しい環境で、新しい人たちと働くことで新しい発見があり、新しい事を学ぶことができる。だから成長することができる。

同じ会社で定年まで働くのが間違ってるとは言わないが、その場合でもせめて周りの環境を意識的に変更することで人生はより豊かになる、というのが転職を繰り返してきた僕の経験からの考えである。

2022-01-01

元日の新聞一面から

1月1日の各紙一面トップ記事をさらった。

朝日・・・「未来予想図 ともに歩もう」

毎日・・・「露、ヤフコメ改ざん転載 政府系メディアが工作か」

読売・・・「 米高速炉計画 日本参加へ」

東京・・・「「脱原発」叫び強くなれ」

日経・・・「資本主義 作り直す」

朝日、東京、日経は連載特集の初回記事だ。朝日は「未来のデザイン」、東京は「声を上げて デモのあとさき」、日経は「成長の未来図」というシリーズが始まる。

原発に関連した記事を東京新聞と読売新聞が取り上げているが、論調はきわめて対照的だ。読売は、高速炉計画への参加について、その難しさを指摘しながらも必要性を訴えようとしている。一方、東京新聞の一面は、直接原発に関した内容の記事ではないが、フリーの写真家を取り上げるなかで「脱原発」の意味を読者に語っている。 両社のスタンスがよく分かる。

特に元日だからと気張ったところがないのが毎日だ。ロシアの政府系メディアが日本の雑誌、ニュースサイトの読者コメントを改ざんして転載していることを指摘している。今回、そうした改ざんを毎日新聞が確認したものだけでも「週刊朝日」「ニューズウィーク日本版」「ヤフーニュース」がある。ロシアの主たる目的は、日米分断をあおることだと分析されている。

勝手に記事を書き換えたり、原文に書かれていないコメントを自分たちの情報操作を目的に勝手に付け加えていることが明らかにされた。ロシアのこうした情報操作はソ連時代からのもので、第二次大戦前から世界的に巧妙に行われていて、いわばお家芸なんだろう。

人のいい日本人たちは、これまでこうした旧ソ連やロシアによる情報操作と不正な手口でどれほど不利益を被ってきたことか。毎日新聞はいい仕事をしている。

その一方でノー天気としか思えないのが、朝日新聞だ。12月に横浜アリーナで行われたDREAMS COME TRUEのコンサートを引き合いに、ともに手を携えて未来に進もう、とのご託宣だが、まるで朝日中学生新聞かと思った。

元日の新聞一面は、各紙、自分たちの姿勢を読者に表明する場としてそれなりに時間をかけて考えられているはず。いまそれらの新聞各紙が何を考えているか、何に依っているかを知る手だけになる。

2021-12-29

古めかしいエスニック・ジョークのようなCM

政府はよほど国民にマイナンバーカードを持たせたいらしい。何人ものタレントを使い、複数バーションのテレビCMでその取得を熱心に促している。

そのCMのひとつがこれ。

 
「いまもう国民の3人に1人が持っているっていうから・・・」

と、佐々木蔵之介が話すこのテレビCMに、なんだか馬鹿にされていると感じた視聴者も多いことだろう。理屈はなく、ただ<船に乗り遅れるよ>と相手を不安がらせようとしているだけ。

船と言えば、「沈没船ジョーク」と呼ばれる各国の国民性を揶揄した鉄板ジョークがある。こんな話だーー。

様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませるには、さてどのように声をかければいいか?

イギリス人には、「こういうときにこそ紳士は海に飛び込むものです」と伝える。

ドイツ人には、「規則ですので飛び込んでください」と伝える。

アメリカ人には、「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう」と伝える

イタリア人には、「海で美女が泳いでます」と伝える。

フランス人には、「決して海には飛び込まないで下さい」と伝える。 

中国人には、「おいしい食材が泳いでますよ」と伝える。

日本人には、「もうみなさん飛び込んでますよ」と伝える。

総務省が作ったこのテレビCMが言わんとしていることは、これと同じ。「何も考えなくていいから、さっさと右へ倣えでカード作れ」って。

深層心理の部分で国民に向かって「海に飛び込めー」って言ってる。

2021-12-26

立ち上がる女

映画「たちあがる女」は2019年作のめっぽう元気で、気が利いたアイスランド映画である。

主人公ハットラを演じるハルズ・ゲイルハルズドッテルを見ていて、「スリー・ビルボード」のフランシス・マクドーマンドを連想した。

現代のアイスランドを舞台に、その環境破壊を食い止めるために立ち上がった一人の女性を描いたユニークな作品で、自然にあふれたアイスランドの地にも環境汚染の波が押し寄せていることが分かる。中国資本が注がれたアルミニウムの製錬工場である。

アルミニウムの製錬には大量の電気を必要とするが、アイスランドは火山の国、すべての電力は地熱でまかなわれていて電気代が安い(タダ)からだ。

平原に延びる送電線をショートさせ、鉄塔を一人で爆破する彼女は一人で立ち上がり、戦いを続けている。

警察などから追われる彼女を赤外線カメラで執拗に追うドローンは中国の象徴だ。姿を捉えられないように死んだ羊の皮をまとって逃げるハットラ。途中、彼女を追うドローンをハットラが弓矢(!)で仕留め、手に握った石で叩き潰すシーンは「これが私たちのあんたへの回答よ」と聞こえた。その時、彼女は彼女のヒーローであるネルソン・マンデラの写真で作ったお面を被っている!

彼女にはオルガンと太鼓、スーザフォンの謎の3人からなる音楽隊が寄り添っていて、時に彼女の気持ちを象徴するように、時に彼女を励ますかのようにリズムを刻む。さらに3人の若い女性からなるコーラス隊もあちこちのシーンで登場する。不思議なユーモラスさを醸し出している。

映画のなか、自転車でアイスランドを旅するスペイン人の若者が方々のシーンで登場する。彼はその都度、ハットラが巻き起こす騒動に巻き添えを食わされる。気の毒だったり、情けなかったり。でも可笑しい。

太古の土地が残り、原始性豊かな自然のなかで暮らすアイスランドにも、外国からの資本が容赦なく流入し経済発展の名の下で環境破壊が行われていることへ、この映画は警告を発している。快作である。

2021-12-19

鳥と落花生

昨日、千葉から遊びに来た友人が持って来てくれた煎り落花生をバッグに放り込んで南の島へ。横浜とは気温が10度以上違う。

ベランダでその落花生をむきながら本を読んでいると、次々と鳥がやって来る。豆の匂いなのか、殻を剥いている音なのか、それとも食べてる様子に誘われてなのか。 

人に慣れているらしく、落花生の実を投げてやると器用にキャッチする。

機上から富士山を

よく晴れていたので、機上から冠雪の富士山を撮影。
富士山の奥には山中湖と河口湖が見える。

2021-12-16

クリスマス前

毎週木曜午後に非常勤講師として教えに来てくれている神奈川大学のY先生と、今度ランチでもしましょう、とずっと言ってきたのが、やっと実現した。

彼と大学キャンパスを少し散策。

大隈庭園から大隈講堂を撮る。ふだんあまり見ないアングル。

演博の企画展「新派」の垂れ幕の前に飾られたクリスマス・ツリー

2021-12-13

直島の美術館巡り

駆け足で瀬戸内海に浮かぶ直島の美術館3館、地中美術館、ベネッセ・ミュージアム、李禹煥(リー・ウーファン)美術館を回ってきた。 

特に今回の目当てだった地中美術館は、安藤忠雄が設計した独特なデザインによる美術館。建物自体が美術館のひとつの作品だ。

実は、2004年にこの美術館がオープンした時に一度訪問している。夏の暑い日だったのを覚えている。表の駐車場に延びる長蛇の列に並び、1時間近く待っただろうか。結局、暑さに疲れて諦め、入館しないまま島を去った覚えがある。

今回は、コロナ感染拡大防止のために事前予約制による入館なので、「これなら」と思い訪ねた次第だ。

そこには3人の作家、クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品がそれぞれの展示室に分けられて恒久展示されている。

モネの部屋には5点の「睡蓮」が展示されていた。いずれもモネが70代半ばを過ぎて取り組んだ作品。会場スタッフの人と、モネが高齢になって煩っていた白内障がモネの作品に与えた影響について意見を交わす。

地中だけど、展示スペースには天窓が設けらえていて、柔らかな空間の雰囲気が醸し出されている。とりわけジェームズ・タレルの「オープン・スカイ」は天窓とそこから差し込んでくる光も作品のひとつになっている。

ジェームズ・タレルの会場では、彼の作品が展示されている新潟県十日町の「光の館」(2000年に越後妻有トリエンナーレのために制作)に展示されているタレル作品をめぐってスタッフの方としばし歓談。

彼女らは、本当はそうした会話は禁じられているのかも知れないけど、ほかに誰も客がいないし、こちらが話しかけると色々と専門知識を教えてくれるのでありがたい。


W・D・マリア「タイム/タイムレス/ノー・タイム」2004年

2022年は、5回目となる瀬戸内国際芸術祭(トリエンナーレ)が直島を中心に、このあたりのいくつもの島を舞台に開催される予定だ。第1回目から毎回訪問しているが、訪れるたびに新しい発見や出会いがある。

ブルース・ナウマン「100年生きて死ね」1984年(ベネッセ・ミュージアム)

ミュージアム・カフェのテラスから夕暮れの瀬戸内海を望む

2021-12-07

LINEの国内利用者数が8600万人って本当か?

LINE Payでキャンペーン参加者の個人情報が漏洩していた。下記の記事にあるように2ヵ月にわたって外部からアクセスできる状態になっていた。


LINEは今年の3月、ユーザーの名前やメールアドレスといった個人情報に加えてトークや写真も閲覧できる状態を放置していたのが明らかになったのが記憶に新しい。

そもそも、LINE社のセキュリティに関しては、2014年頃から問題点を指摘する声も一部ではあげられていた。 

https://facta.co.jp/article/201407039.html 

それにしても、こうした記事が掲載される際にLINEについては「日本で8600万人のユーザーを持つ・・・」という説明がメディアでなされているが、どうも信じられない。

国内ユーザー数8600万人というのはLINEが発表している数字だろうが、これは全国の15歳以上すべての77%にあたる。12歳以上に対象を広げても73%だ。日本全土のほぼ4人に3人がLINEユーザーということになるが・・・。

総務省が2021年6月に発表した「通信利用動向調査」によると、2020年度の日本国内のスマホの利用率は下図のように68.2%である。しかもこの数字は「無回答」を除いたものなので、実数はそれより低い可能性が高い。

先のLINEの国内ユーザーが8600万人というのとは辻褄が合わない。


2021-12-06

DXは、デラックスだ

最相さんの『辛口サイショーの人生案内DX』(ミシマ社)が面白かった。


新聞に連載されていた人生相談をもとに再構成したもので、相談の中身はもちろん真面目なものばかりなので「面白かった」という感想は不謹慎に聞こえるかも知れないが、最相さんの相談者の甘えをぶった切る回答姿勢は新鮮だった。

ところで、この本のタイトルのDXには<デラックス>とルビが振ってある。今流行りのデジタル・トランスフォーメーションではないところが昭和で、僕が気に入ったところ。

そもそも、今ごろデジタル・トランスフォーメーションが重要などといって口角泡を飛ばしている国家も企業も、それだけで自分たちが既に周回遅れなのが分かってるのかね。

たとえば承認プロセスのハンコをどうやってなくすかとか、紙の書類を電子化して効率化を図るなんてことを経営者が考えている段階でアウトだ。沈みゆくタイタニック号の甲板の上でデッキチェアをきれいに並び直しているようなもの。やってる感はあるが、それだけ。

大切なのはMX、つまりマネジメント・ トランスフォーメーションなのだよ。

たとえよく切れる包丁を手にしたからといって、それで素人がいっちょまえの板前仕事ができるわけではない。優れた料理の提供に必要なのは、そして繁盛する店をやり繰りするのは、客が何を欲しがっているかという理解とそれに応える技術、そして豊かな経験と想像力なのだ。 

それをなしに、日本の経営者は、何か「魔法の道具」さえ手に入れればすべてうまくゆくと考えてはいないだろうか。

2021-11-28

財政破綻に向かう日本

なぜ日本の財政破綻が避けられないのか、以下の記事はとても分かりやすくその理由と現在の日本の状況を説明してくれている。

https://toyokeizai.net/articles/-/471734

一方で、元イェール大学教授の浜田宏一など、有力な経済学者に日本はどれだけ国債を発行しても「理論的に」破綻はしないと以前から説く人たちもいる。 浜田はアベノミクスの理論的支柱でもあった人物で、元内閣官房参与だった。

「日本政府は自国通貨を発行しているので破産することはありません」という彼の一貫した主張に強い疑問を持っていた僕には、慶應大学の木幡による先の説明の方が明らかにスジが通っているように思える。

2021-11-26

目的もなく誰かと会ってずっと喋っている

作曲家の池辺晋一郎さんが、若かりし頃を思い出してこんなことを話していた。

特に目的もなく、誰かと飲んだりしゃべったりする時間からどれほどの人生の滋養がえられるか。その時には、これが自分を太らせてくれるなんて思いもしないんだけど、少なくとも、僕はそういう世界に育てられてきたんです。

自分が若かったころ、つくづく閑だったと思う。特に学生時代は、大学に行っても教室に向かうわけでなく、近くの喫茶店や部室で誰彼ともなく一緒にほんとにダラダラダラダラ話をしていた。

それが何を自分に残したのか、そんなものがあったのかさえ判然としないが、ただそうした中で自分以外の人間とどう話を合わせていくか、意識しているわけではないが相手をどう理解するかなど考えていたのかも知れない。 

今、そんなことをしている若者を見ることはあまりない。昔ながらの居心地のいい喫茶店が減っているのは一因だろう。以前に比べ、空いた時間を潰す手段もたくさんできた。面と向かって本音を話すより、スマホで書き込んだ方が気楽に思えるからというのもあるだろう。

だから激論になって、思わずテーブルをどんと叩いたり、ましてやコップの水を相手の顔にぶっかけるなんてことはあり得ないんだろうね。(まったく自慢じゃないが、ぼくは昔やったことがある)

先日、駅前のレストランを昼食を取っていたとき、隣のテーブルには若い男女4人組がいて(最初は彼らの存在にすら気づかなかった)、それら4人ともが下を向きスマホをいじっていた。まったく会話がない。いまでは珍しい風景ではないけど、つい「お前ら、せっかくなんだから何か話でもしろよ」 と言ってやりたくなった。

色んなものが薄まってきた。淡泊であっさりも悪くはないが、気持が太る機会がますますなくなっているように思う。

2021-11-22

市場規模予測はどのくらい信頼できるのか

ニュースの中で日常的に見聞きする市場規模予測。

コンサルティング会社のデロイトによると、世界の顔認証関連の市場規模は25年に85億ドル(約1兆円)となり、20年の38億ドルから倍以上になると予想されている。
今日の新聞紙面からだ。読んだ読者は、へぇ〜とその規模の大きさにちょっと驚いたりするんだろう。だけど、まとなビジネスマンなら、本当はこれってまずは疑ってかかった方がいい。

まず、顔認証関連の、って言われても、何がどこまで関連領域なのかまったく不明だ。だから、その数字の信憑性も不明のはず。

先のことなんかよく分からないんだから、新聞記者ももう少しおずおずと、そしていじいじと語ってくれればそういうもんだと思えるのだけど、こうもしれっと言われると、一般の読者はそうなんだろうと勝手に思い込んでしまう。

その数字をはじき出したのが誰なのか表に出るわけでなく、5年や10年後にその推計がどのくらい当たっていたかなんて誰も気にしないと分かっているから、あっけらかんとしたもんだ。 

少なくとも一応はその数字に至った計算式とその前提があるはず。市場予測を発表するコンサル会社は、それを公表すべきだ。そして、メディアはそうした数字を記事に用いるのであれば、読者がそれを確認できるように参照先サイトをQRコードで示すか、ウェブ上でURLを表記すべきだ。

読者に対するそうした配慮がなされないまま、無根拠としか言えないような市場規模予測がニュースでまかり通っているというお話。

2021-11-21

南の空に


木星、土星、金星がほぼ一列に並んだ。北緯24度。いつもと星の見え方がこんなに違う。

南の海で

透き通るような海。軽石は漂着していない。

2021-11-20

マスク顔で人を迎えるということ

飛行機に搭乗したのは、昨年の2月以来のことだ。

早朝、羽田空港で全日空機に乗り込んだ。搭乗機の入口で乗客を迎えてくれるCAと軽く挨拶を交わす。これまでも何度となく行ってることだけど、なんか違う印象が残った。何だろう・・・。

予約した席が後方窓口だったので、そこへ向かう途中にも何人かのCAと挨拶をかわす。そこで気がついた。アイコンタクトの時間が以前と比べて長い。加えて、その時の目に力がこもっている。

コロナ感染対策でCAらも全員マスクをしている状況で、彼女たちが自然にそうするようになったのか、あるいは会社の考えからそう指導されているのか知らないが、マスクで半分以上隠れた顔でお客を迎えるための工夫だ。

2021-11-17

大学内の研究職名の多さに驚いた

来年4月に、大学の教職員証(IDカード)を一斉に新しくするので写真を提出するようにと人事課から連絡があった。 

彼らの説明によると、2022年3月31日時点で以下の職名で仕事を継続する人は、必ず手続きをするようにとしている。それらは、

教授
准教授
講師(専任)
特任教授
教授(テニュアトラック)
准教授(テニュアトラック)
講師(テニュアトラック)
教授(任期付)
准教授(任期付)
講師(任期付)
助教
助手
特任研究教授
上級研究員
主任研究員
次席研究員
研究助手、だそうだ。

こんなに多種な肩書きが大学内にあったなんて、これまで僕は気がつかなかった。このリストを見ると、たとえば教授といっても種類が5つある。

このヒエラルキーのあり方は、役所内の官僚的序列よりも酷かったりして・・・。以前はこうではなかったように思うのだけど、いつからこうなったんだろう。

2021-11-16

95年間働き続けるエレベーター

所用で午後から日帰りで京都へ行った。

用件を済ませた後、下鴨神社の近くから四条大橋まで鴨川沿いを歩く。今日は寒くも暑くもなく、川沿いの公園では多くの人々がのんびりと読書したり、散歩を楽しんでいた。

橋のたもとにある東華菜館に初めて入った。目当ては、大正15年(1926年)から動いているエレベータ。米オーティス社製で、95年前に船で運ばれてきた。

動き続くように頻繁にメインテナンスを施していると、エレベータボーイならぬエレベータおじさんが言っていたが、オーティスもよく部品を絶やさないでいると感心する。

東華菜館2階から南座を見下ろす

日本脱出おめでとう

皇族のお嬢さんが結婚し、早々に二人でニューヨークへ渡ったとか。

人ごとながら、よかったと思う。

ニューヨークは楽しいよ。彼の方はマンハッタンにあるロースクールに通っていたらしいから、現地での生活の仕方も分かってるだろうしね。

とにかくNYではみんな勝手に、自由に生きている。それが当たり前、それが自然に行われている。どこかの国のように、つまんないことであれこれヘンな口を挟む人はいない。いても、それは一部の特殊なヘンな人たちだから放っておけば済む。

日本を脱出して、今はさぞ清々した気分に違いない。

2021-11-15

青木雄二の慧眼

あの『ナニワ金融道』で一世を風靡した異色の漫画家、青木雄二が『僕が最後に言い残したかったこと』(小学館)のなかでこんなことを語っているのを見つけた。

僕が思うに、間違いなくマルクスは復活してくる。多分、最初は西ヨーロッパで、その動きが出てくるでしょう。だけど、さっきも言ったように、日本で最初に復活しても不思議ではない。(中略) 非常にゆっくりと少しずつ、社会主義体制への動きが活発になるはずや。僕は多分、エコロジー関係の問題に絡んでマルクス主義の復活が始まるような気がするで。

青木がこれを語ったのは2003年のこと。斎藤幸平『人新生の「資本論」』(集英社)に先立つこと17年だ。

2021-11-13

ジェニファー・ハドソンがアレサ・フランクリンに乗り移った『リスペクト』

『リスペクト』は、「ソウルの女王」ことアレサ・フランクリンを描いた作品。3年前に亡くなったアレサをジェニファー・ハドソンが演じているが、とにかくその歌唱に圧倒される。

 
『ドリーム・ガールズ』でも観る者を魅了したが、彼女の歌はこの映画ではそれ以上だ。実際、アレサの葬儀で彼女はアレサを悼みながら「アメイジング・グレイス」を歌った。

牧師の娘に生まれ、教会でゴスペルとともに育ったアレサが「神」について歌い、語るとき、無神論者のぼくも一瞬、神の存在を信じたくなったほど。声のちから、歌のちからを今一度思い起こさせられた。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとの交流や、60年代のアメリカの公民権運動のなかで彼が暗殺されたときのことなども紹介されているのは、BLMの流れが米国で定着してきたことの表れか。

劇中、アレサの父親(デトロイトの有力な牧師)をフォレスト・ウィッテイカーが演じていたが、彼がマーティン・ルーサー・キングJr. が殺されたあと、「多く(の黒人牧師)が彼の後がまを狙っている」と言ったのが妙に記憶に残った。

そうした黒人を巡る当時の世相も織り込みながらということなのだろうが、とにかくそうした時代変革の背景もあってか、60年代から70年代には素晴らしい音楽がたくさん作られた。

映画のタイトルにもなった「Respect」は、元のオーティス・レディング版とはまったく印象が違うアレサ版ともいえるもの。 フリーダム♪ フリーダム♪ とシャウトするアレサのオリジナルの「Think」。そしてキャロル・キング作の「Natural Woman」など、どの歌唱も素晴らしい。

この映画では、強権的だった父親やマネージャーとして彼女を支配し続けた夫など、多くの男たちからの束縛と抑圧から一人の人間として解き放たれたいと願う一人の黒人女性が描かれている。

2021-11-10

イノベーションから取り残される日本

ひと月半ほど前になるが、国連の専門機関のひとつWIPO(世界知的所有権機関)がグローバル・イノベーション・インデックス2021年版を発表した。以下がその上位10ヵ国だ。

今年もスイスが1位。日本のお隣の韓国は5位に入っている。米国とアジアからランクインした韓国とシンガポールを除いた7ヵ国は、すべて欧州勢だ。中国は12位。日本はその後塵を拝して13位となっている。

https://www.wipo.int/pressroom/ja/articles/2021/article_0008.html

このランキングがどれだけのことを語っているかという点はあるが、どうも日本は「イノベーション、イノベーション」と誰も彼もが叫ぶ割に、肝心のイノベーションが生まれていない。一体、何が問題なんだろう。

明治維新から150年経っても日本人にタキシードが似合わないように、イノベーションも本来的に日本人に似合わないのか。

2021-11-08

山崎デルス

『文藝春秋』の巻頭随筆に、「漫画家の母を見つめて」と題した文章が掲載されていた。書いた山崎デルスは、漫画家のヤマザキマリの息子だ。仕事はフリーランス・カメラマンとなっている。

ヤマザキが、黒澤明が旧ソ連で制作した映画『デルス・ウザーラ』(1975年公開)に感動して息子にデルスと名付けたと何かで読んだことがある。いい名前だ。

その彼が、母であるヤマザキマリと義理の父のベッピの間で両者を眺め、そのなかから忙しさなどにへこたれず仕事に邁進する母への尊敬の思いを書いている。

何と言っても掲載誌が『文藝春秋』だから、原稿はおそらくヤマザキマリが事前に読んでチェックしたのかどうかなどと妙なことを気にしながら読んだが、素直な文章は母親譲りなんだろう。

苦労人で、そして才能豊かな母親としてブレイディみかこも忘れてはいけない。現地英国の中学校で、「ブルー」という単語はどんな感情を意味するか、という国語の先生の質問に間違った答えを書いてしまったあと、ノートの右隅に「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」と落書きした彼女の息子も、きっと面白い書き手になると思っている。

2021-11-07

「リスキリング」て何だ

またぞろ、ヘンなカタカナ言葉を新聞などで目にするようになった。<リスキリング>という言葉だ。技術、技能を表す英語の名詞 skill がもとになっている。

新聞などで「リスキリング(学び直し)」と書かれているが、どうして「学び直し」じゃダメなのか。

その例としてよく紹介されるのが、米アマゾンの事例だ。同社は、2025年までに米アマゾンの従業員10万人に対しリスキリングすると発表した。一人当たり約75万円の教育投資を行うことで、非技術系人材を技術職に移行させる「アマゾン・テクニカル・アカデミー」、IT系エンジニアがAI等の高度スキルを獲得するための「マシン・ラーニング・ユニバーシティ」などを実施するとしている。

米アマゾン一社だけでも750億円の金が動くわけだから、それを目当てにリスキリングの旗を振り始めた有象無象が現れるわけだ。 

日本では、日立製作所が国内グループ企業の全社員約16万人を対象にDX基礎教育を実施すると発表している。

教育関連企業やコンサルティング会社を中心に、「社長さん! リスキリングに乗り遅れてますよ、おたく」といったセールス・トークが方々でなされているのだろうが、何がどうなればリスキリングとやらが「できた」状態になるのか何も語られておらず、さっぱり分からないのが現状だ。

リスキリングを触れ回っている連中は、どうも「オオカミが来た!」と叫び、ナイーブな日本人を惑わしているだけのように見える。

企業にとって大切なことは、そうした流言飛語と見紛う扇動に容易に乗せられないこと。360度の情報を集めて状況を判断し、自分の頭で何をやるべきか考えること。それができない人たちは、またしてもカモにされて終わるだけである。

だいたいが、事情通を気取ってこうしたカタカナ言葉を振り回す連中にろくな奴はいない。

リスキリング(学び直し)に乗せられようとしている経営者は、まずはリシンキング(考え直し)した方がよいと思うよ、ほんと。

2021-11-02

ますます硬直化する日本

衆院選の結果、465人の当選者が決定した。それら議員の男女比率は、男性82%に対して女性は18%。年代で見ると、70〜80歳台がまだ9%いる一方で、20〜30歳台はわずか5%しかいない。20代で当選した候補は一人だけだった。

そんな今回の選挙結果を受け、経団連の会長(住友化学社長)は自民党の絶対安定と政策の継続を歓迎したとか。日本の経済界は表層ではいろいろ言っても、結局は社会の変革など何も求めていないのが分かる。