2020-02-26

ラオスの少年と少女

現地のNGOと一緒に訪問したラオス、ナコック小学校の子供ら。笑顔が不敵で素敵だ。


 

2020-02-23

ラオス象の水浴び

ラオスの象は思ったよりは小ぶりだった。その分、あまり威圧感を感じさせることがない。象使いにちゃんと調教されているからかどうか知らないが、大きな声を上げて啼くこともなくとても静かでおとなしい。サワラン地区の川で撮影。


2020-02-22

廃物利用

ここは、ベトナムとの国境近くのラオスの山村。農業以外の産業はない。子供も大人もみんな腕が細い。栄養が十分じゃないからだろう。

痩せた畑に、粗末な小屋がいくつか建てられていた。その高床式の小屋には収穫した作物が収められるのだろうか。よく見ると、建物のその足は木造ではなく鉄製であることが分かる。

かつてベトナム戦争で爆撃された地域。落とされたその爆弾の薬莢を小屋を支える柱にしている。ある種の廃物利用であるが、これなら木と違ってネズミが昇ってこられないというメリットがあるらしい。


村の子供ら。

2020-02-12

カズ・ヒロは、なぜ日本の文化が嫌になったのか

先の「パラサイト」がアカデミー賞で作品賞他を受賞したニュースの続きだ。

 「ウィンストン・チャーチル」で受賞して以来2年ぶり、カズ・ヒロ(辻一弘)さんが米映画「スキャンダル」で2度目のメーキャップ・ヘアスタイリング賞を受賞した。おめでたい。

ただ、授賞式後の記者会見で彼が話したという、以下の談話が少し気になる。

彼は、記者から「日本での経験が受賞に生きたか」と訊ねられ、英語で「(日本の)文化が嫌になってしまった。(日本で)夢を叶えるのが難しいからだ。それで(今は)ここに住んでいる。ご免なさい」と応えた。その場でそれ以上の詳しいコメントは語っていない。

そういえば以前彼は、日本人の映画ジャーナリストのインタビューでこう述べている。少し長いが引用しよう。
日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います。
また彼は、こうも述べている。
自分が何をやりたいのか、何をやるべきなのかを自覚して、誰に何を言われようと突き進むこと。日本は、威圧されているじゃないですか。社会でどう受け入れられているか、どう見られているか、全部周りの目なんですよね。そこから動けなくて、葛藤が起こって、精神疾患になってしまうんです。結局のところ、自分の人生なのであって、周りの人のために生きているんではないので。当てはまろう、じゃなくて、どう生きるかが大事なんですよ。
ああやっぱり。日本の社会の空気は重苦しく、息が詰まるようなものに感じていたんだろう。今の日本社会の同調圧力やら、くだらないKYやら、忖度やら。

国籍や性別や年齢や、そうした属性に関係なく世界で勝負でき、生きていける人は一様にどこかで彼と同種の思いを持っているはず。

2020-02-11

「パラサイト」作品賞ほか受賞

韓国映画「パラサイト」がアカデミー賞作品賞、監督賞、脚本賞、国際映画賞を受賞した。このハリウッドの祭典で非英語で作られた映画が作品賞を受賞するのは初めてである。


この数年、ノミネートされる候補が白人や男性に偏っているという批判が強く、そのためアカデミー賞を選考する米国の映画芸術科学アカデミーは、会員を急速に国際化、多様化している。 昨年度は、スペイン語映画「ROMA」(確かネットフリックスの製作だった)が監督賞を受賞など3部門で受賞したのもその流れのひとつだろう。

今回、そうした時の利もあったが、ポン・ジュノ監督の手による本作品は、細心の演出が行き届いた、それでいて大胆で想像力豊かに練り上げられたプロットが魅力の一作だった。

受賞後の会見で、同監督は「私が自分の身近なことに没入すればするほど、物語はより大きくなり、国際的にアピールするようになった」と語った。このコメントは、とても大事な示唆を与えてくれる。

たとえ特定の文化や地理、時代を元にした作品でも、そのテーマの純度と作品としての完成度を上げれば、そこには普遍性が浮かび上がってくるということだ。黒澤明監督の「羅生門」を観たときに、なぜこの作品が外国の映画関係者から評価されてヴェネツィア国際映画祭でグランプリにあたる金獅子賞を受賞できたのか思ったが、その理由が腑に落ちた気がする。

この映画は、現代の韓国社会の経済的格差、二極化、社会の硬直さをその背景としているが、本作品のアカデミー賞受賞を受けて、文在寅大統領が発表したコメントが振るっている。「最も韓国的な話で世界の人たちの心を動かした」だと。冗談キツイよ。

そうした格差を解消できないどころか深刻化させているのは、あなたたち為政者ではないのかーー。それともこの映画に倣ったブラック・ユーモアでもかましたつもりか。

いや、単にこの映画を観ていないだけだろう、きっと。

2020-02-07

言い間違えも悪くない

今朝、TBSラジオを聞いていたとき、番組で三菱スペースジェットの納入が6度目の延期で2021年以降になるニュースが話題になっていた。

社名がMRJからスペースジェットへ変わった際の話題などを経済評論家の伊藤洋一氏がゲストとして語っていたのだが、彼が「スペースジェットのエンジンは、ホイットニー・ヒューストンで・・・」と言ったのを聞いて、飲んでいたお茶を吹き出してしまった。

故ホットニー・ヒューストンさん

プラット&ホイットニー(Pratt & Whitney)って言いたかったんだろう。

2020-02-06

増刷の連絡から思ったこと

ダイヤモンド社の編集者から『コトラーの戦略的マーケティング』が増刷になると連絡をもらった。

2000年に出版された本だから、もう20年である。今回で25刷目になるという。ビジネス書でこのように息長く店頭で購入されているのは、珍しいかもしれない。

この本は原題が Kotler on Marketing だったので、『コトラーの戦略的マーケティング』というタイトルにした覚えがある。

その後、本書にあやかったのか、コトラーが書いた本の翻訳はほとんどすべて「コトラーの」という枕詞がつくようになった。検索してざっと数えただけでも、書籍だけで15冊以上。Kotler on Marketing のように元の書名タイトルにコトラーが付いているわけではない。

ちなみに、それらの多くはコトラーが中心となって書かれた本でもない。付け足しのように序文だけコトラーで、にもかかわらず、出版社の売らんかな精神で彼の名を書籍タイトルに付けたものが多々ある。

コトラーは1931年生まれなので、今年89歳。少なくともこの10年ほどは、彼の弟と息子が中心の家族経営会社、コトラー・マーケティング・グループが彼を商品としてブランド化し、稼げるうちに稼ごうとビジネスしている感じがする。

 ま、それもひとつのマーケティングではあるんだけどね。

サービスで客を裏切る企業は客から見捨てられるぞ

携帯電話の2年契約(2年縛り)を止めようと思ってKDDIに電話したところ、解除できないと言われた。

昨年の秋、同社から「契約更新に関するご案内」という文書が郵送されてきていて、そこに解除方法と条件が記されていたのでそれに沿って手続きをしようと思ったのだけど。

「解除できない」理由を求めたら、「そのように運用しているので。それ以上は説明できない」と言う。何の説明にもなってない。さらに、2年契約を解除するためには、現在使用している形態の機種を買い換えるか、さもなければ通信契約を解約するしかないと言う。

どうなっているのか、ますます分からなくなった。

「これで理解いただけなければ、明日別の部署から連絡をさせる」と言うので、別の部署とは何かと尋ねたら、お客様相談室だという。で、自分たちは、お客様センターだと。

訳がわからない。

2020-01-25

その薄ら寒さと理不尽さ

映画『リチャード・ジュエル』は、現在89歳であるクリント・イーストウッドが監督した40本目の作品。1997年に雑誌のヴァニティ・フェアに掲載された一本の記事からイーストウッドが映画化を考えていた。


1996年、アトランタでアトランタの屋外コンサート会場で発生した爆破事件現場から物語が動き始める。そこに警備員として働いていたリチャード・ジュエルは、最初その第一発見者として英雄視されるが、やがて実行犯の手がかりを得られないFBIから容疑者として疑われるだけでなく、捜査官らによって「犯人」に仕立てられていく。

そうした情報がFBIから地元メディアに流され、彼は一夜にしてヒーローから殺人鬼の悪魔へと世間の見方は変わっていく。自然とそうなったのではない、犯人逮捕を焦る捜査官と彼とつるむ女性記者の功名心によって、どこにでもいる普通の国民が獲物にされた。

いったん「第一発見者のヒーローが犯人か?」という報道があるメディアで出てしまえば、他のメディアも一気にその流れに乗ろうとする。いやはや、浅はかというか、恐ろしいというか。ヒーローであろうが殺人犯であろうが、対象がネタになりさえすればいいと考えるメディアの報道の姿勢がよく描かれている。

日本でもかつて、松本サリン事件の第一発見者だった河野さんが報道によって犯人視されたのと同じである。

その薄ら寒さと理不尽さ。映画には、そうしたものへのイーストウッドの静かな怒りが根底に流れている。

2020-01-15

必要なのは、利用者に選択肢を与えること

マイクロソフト社によるWindows7のサポートが昨日終了した。

日本国内だけでも、Windows 7搭載のパソコンは約1,400万台残っている。マイクロソフトは、このまま使い続けるとウィルス感染などのリスクがあるためウィンドウズ10など最新のOSへ切り替えること、あるいはウィンドウズ10を搭載したPCに買い換えることを推奨している。

もう利用者が少なく、その割に費用がかかるというのなら仕方ないかもしれない。しかし日本国内だけで1,400万台、世界中ならおそらく1億台近くがまだ使われているんじゃないかな。

これらを無視してサポートを中止することに、なぜ批判が出ないのか。僕はマックユーザーだから個人的にはあまり関係ないが、Winユーザーはどうして怒らないのだろう。既に「そういうもの」だと思わされているからだろうか。

マイクロソフト社が、サポートを続けるのには費用がかかるからというのであれば、費用をユーザーに課金すればいい。

この機会にOSをアップグレードしたい、あるいはPCを買い換えたいと考える顧客もいれば、このままサポート費用を払ってでも今のOSを使い続けたいというユーザーもいるはずだ。

そうした選択肢を消費者に与えることが大切なのに。

2020-01-13

映画「パラサイト 半地下の家族」のブラック・ユーモア

外国のことながら、「こんな家族いるだろうなあ」と思わせてしまうセッティングがうまい。家族の構成とチャラクター設定が絶妙で、ここに樹木希林さんがいたら・・・と鑑賞中にとふと思ったりして。

最初は喜劇だが、最後は悲劇。いや、やっぱり喜劇か。グロテスクさと笑いが、ポン・ジュノ監督の持ち味だ。映画の中で何人か人が殺されたりするが、全編を通じて流れてくる「おかしな」空気に何度も声を上げて笑ってしまった。なぜか劇場のなかで僕だけだったけど。


主人公たちの家族は、キム一家。彼らがパラサイトしていく先は、パク一家。キムさんとパクさんは、日本だと鈴木さんと山田さんか。武者小路や伊集院とは違う。どっちがどっちでも入れかえ可能だ。だけど、この2つの家族は何かの理由でまったく違う家族として、同じ時に同じ町に暮らしている。

日本語の映画タイトルにある「半地下の家族」は、キム一家が暮らす住まい。そこは映画のための想像上の生活空間ではなくて、もともとは北朝鮮からの攻撃に備えた防空壕として作られ、韓国内にはまだそれなりの数が残っている。

半地下だから陽の光があまり差さない。湿気が多く、かび臭い。そして、便器の奥から下水が逆流してこないように、トイレが部屋の中で一番高い場所に設置されているのには苦笑するしかない。

キム一家は誰も定職を持っていない。実際に韓国では定職に就くのは、今は簡単なことではないらしい。先進国はどこも格差が広がる一方だ。だが、この家族4人は立派な学歴や肩書きはなくても、みなが才能揃いとも見て取れる。

3浪中の息子はその経験を活かしてパク家の高校生の娘に受験勉強を教えるのがうまい。美大希望の娘は機転が利き、わがままでパク夫妻が手を焼いている息子もあっという間に手なずけてしまう。元ハンマー投げの選手だった母親は、その家の家政婦として料理や家事に腕を振るう。

そして職を転々とし、やがて事業に失敗して失業中の父親は、IT企業の経営者であるパク家の主人の運転手としての技量だけでなく、雇い主の気持ちに添った会話がしっかりできる人生の経験者だ。

だからこそ、今置かれた貧しい暮らしを恨んだりする前に、どうやてって抜けて出て這い上がるか「計画」をいつも立てて実行している。すこぶる前向きなのだ。映画では、そこにある種の救いとともに不条理さがにじむ。

そして後半に登場する、半地下よりも「下」で続けられていた人物の生活。やがて起こる、半地下生活人と地下生活人の衝突と闘い。社会の片隅に押しやられた人たちに突きつけられる悲しさと可笑しさが最後に残った。

2020-01-12

懐かしき、壮絶なサーキットの闘いを描いた一作

舞台は1966年。今から半世紀以上も昔のこと。ル・マン24時間耐久レースで、フォードとフェラーリが死闘を演じた。

フォードといえば、T型フォードによって世界で最初の大量生産方式を自動車産業に取り入れた企業。大衆消費者を顧客とし、製品である車の安さをアピールして大企業になった世界的な自動車会社である。

一方のフェラーリは、設立者のエンツォ・フェラーリがかつてアルファロメオのレーシング部門から独立して築き上げた、まさに「走り」のための会社。

当時、モーターレースで連勝を続けるフェラーリ。劇中でそのエンツォ・フェラーリは、自分たちに対しての買収を持ちかけてきたフォード社幹部に「フォードは醜い工場で醜い車を作る醜い会社だ」という言葉を吐く。

怒ったフォードⅡ世がフェラーリに闘いを挑むのだが、レースについては何も知らない彼らが勝てるわけもない。そこで助っ人として、元レーサーのシェルビーにル・マン出場のためのチーム監督として白羽の矢が立てられる。ドライバーは、彼が連れて来たマイルズ。それぞれ、マット・デイモンとクリスチャン・ベイルが見事に演じている。

実話に基づいた物語らしいが、なぜいま1960年代のカーレースなのかーー。

いまや新聞などでクルマの自動運転についての記事を見ない日はないくらいだ。そしてガソリンで走る内燃機関を使ったクルマは、確実に時代の片隅に追いやられている。悲しいかな。

急速に移行しつつあるEV(電気自動車)には、耳をつんざくエンジンノイズも排気ガスの臭いもない。これはかつて、自分たちの青春時代をクルマとともに過ごしてきた連中が、あの頃を懐かしんで作った映画のように思える。

ここでは象徴的に多くの対比が描かれている。まず映画のタイトルの大衆車を大量に製造するフォードと、限られた層にだけ手が届くスポーツカーを生産するフェラーリだ。フォードは大工場のなか、ベルトコンベアの流れ作業で組み立てられ、フェラーリは個々の職人の手で完成まで手が加えられながら生み出される。

2つの自動車会社の経営者も実に対照的だ。時のフォードの経営者は、フォード社創業者の孫。典型的なエスタブリッシュメントで、絵に描いたようなビジネスマン。自分の工場を訪れても高見から現場を見下ろしてものを言うだけで、製造現場へ降りてはいかない。一方フェラーリ社のエンツォ・フェラーリは、経営者というよりアルチザン(職人)の親方という雰囲気を醸し出している。

エスタブリッシュメント対現場という点では、社屋の最上階に位置する重厚な役員会議室ですべてを決めようとするフォード社の重役たちと、ガレージの中で汗を流しマシンの調整を続けるエンジニアやレーサー、ピットでのクルーたちの姿も対照的だ。

レースでは、シェルビーらの手によるフォードGT40がフェラーリを抑え、1位から3位まで独占して勝利するが、フォード社の幹部たちとレースを実際に戦ったシェルビーやレーサーのマイルズの間には心の交流はなにもない。むしろ、フェラーリを破って優勝したシェルビーのチームに静かに称賛をおくるエンツォ・フェラーリの姿が印象的だった。

だが、そうしたいくつもの人間模様を読み解くことにまして、サーキットを時速300キロ以上で疾走するレースカーを追う映像は、観る者の目をクギ付けにする。CGで合成されたものではなく、撮影用のカメラを別のレースカーに積んで走らせ撮影された。「LOGAN/ローガン」(2017年)を監督したJ・マンゴールドの意欲的な作品である。

2020-01-11

ロング・ショットとは、「高嶺の花」の意味

「ロング・ショット」は、シャリーズ・セロンとセス・ローガン主演のラブコメディ。タイトルになっている「ロング・ショット」は、この場合、高嶺の花という意味。


僕がシャリーズ・セロンを初めて見たのは「サイダーハウス・ルール」(1999年作)。同名のジョン・アービングの小説の映画化で、のちにスパイダーマンの主演を務めることになったトビー・マグワイアの出世作にもなった。この映画は、僕のもっとも好きな映画のひとつだ。

そのなかで世間知らずな青年のマグワイアと心を交わす、純真な心を持つ若い女性を演じていたのがシャリーズ・セロン。なんだか雰囲気のある女優だと思った覚えがある。

彼女はその後、アカデミー賞を6部門で受賞した「マッド・マックス/怒りのデスロード」(2015年作)に主演してそれまでとは全く違う役の幅を広げた(頭がマルガリータ!)。今回のアメリカ国務長官役は、ひょっとしたらアメリカの女性国務長官はこんな感じかもしれないと思わせるもの。しっかり背筋が伸びている。

相手役のセス・ローゲンはコメディの面ではいい味を出しているが、セロンの恋愛の相手役としてしては魅力不足は否めず、そこには残念ながら構成の無理さを感じざるを得なかった点が惜しく減点。

感心させられたひとつは、字幕翻訳がよく練られたものだったこと。コメディならではの俗語や独特の言い回しも多かったのだが、うまく元の意図をくみ取った字幕がつけられていたと思う。

結構あからさまな下ネタ満載なんだけど、分かりやすい日本語で違和感ないリズムで訳されていたのが幸いしている。こうした優れた字幕があることで僕たちは映画のなかに入っていくことができ、自然なかたちで楽しむことができるのを忘れてはいけないと思う。

スプリングスティーンの I’m on Fire など挿入される80年代、90年代の懐かしいメロディーもストーリーによくマッチしてる。

冒頭で、フレッド(セス・ローガン)が勤務する新聞社を買収し、米大統領ともつながっているメディア王は、あのルパート・マードックを連想させる。マードックはこの映画の製作会社である21世紀フォックの元オーナーで、ディズニーによっての買収が昨年の3月に完了したばかり。アメリカの映画の制作者の自由さ、おおらかさ。

2020-01-08

ゴーンの記者会見

今日の午後10時からレバノンのベイルートでゴーンの記者会見があった。一部を除き、NHKをはじめとする主要な日本のメディアは会見上から締め出されていたらしい。

CNNとBCCでゴーンが説明をする中継を見たが、その会見は約一時間に及んだ。よほど言いたいことが溜まっていたんだろう。内容はともかく、その気持はよく伝わって来た。こうした会見を日本で、日本のメディアの前で行ってもらえなかったのが残念だ。


当然ながら彼は、自己の正当性をこれでもかと主張する。それも日本人とは違い、自分の非は一歩たりとも認めない。実際はそんなことはあり得ないのだが、外国人は自分の正当性を主張するときは、手段として自己の正当性を完全に主張する。日本人には相容れないところだ。

だから、どうやって日本から忍者のように身を隠して出国審査の目をだましたかといったことには、まったく触れない。自分の非がある領域には、当然のことのごとく目を向けることすらしない。

今回のこの会見に対して日本の司法当局がどう出るか。ゴーンの肩を持つわけでないが、当事者らのことをほとんど省みない司法当局のやり方は指弾されても仕方ないかもしれない。

慎重に審議を重ねているといういかにももっともらしい言い訳で、どうみても必要以上の時間を消費し、関係者に多大な負担をかける裁判制度をあらためようとはしない。裁判官に係争人の当事者意識を持てというのはおかしいかもしれないが、自分たちの都合と保身だけで周りをコントロールしようとするのは間違っている。

今回のことでゴーンは日本では悪人としての烙印を押されたことになったわけだが、日産ははその被害者なのか、あるいは共犯なのか。日産は一所懸命に被害者づらをしているように見えるが、社会の信頼を裏切り、違法行為を追認したという意味では実際は共犯だ。

もちろんゴーンは悪いが、日産という大組織を彼一人がすべて回していたわけではない。そんなことは不可能だ。何百人もの取り巻きがいたはずなのに、そうした連中は批判されないのが不思議である。

ゴーンを担いで大得意になっていた日産の経営者はたくさんいる。ゴーンにすべてをまかせ、称賛も責任も彼に与え、落ち込んでいた業績からの復帰で沸いてきた甘い汁のおこぼれを静かに、だがしっかりとすすっていた日産の日本人幹部らが。

日産を辞めた後、いまも各種団体で役員などに就いていうようなそうした連中に責任がないはずはないだろう。だが、どれもだんまりを決め込んでいる。

技術者や販売の現場は、かつてもいまもボードルームで何が起こっているかなど知らず頑張っているに違いない。ただ、経営者とその周辺が腐りきり、かつての名門企業をおとしめた。今日の多くの日本企業に見受けられる様相である。

言うべきことを言わないという、日本人のシンプルかつ致命的な習癖がそれを形づくっていく。

2019-12-31

ゴーンの国外逃亡

暮れのニュースで印象的だったのは、なんといってもカルロス・ゴーンの日本からの逃亡である。いつの間にか国外に脱出し、到着したレバノンで「私は今レバノンにいる」と言う声明を出した。まるで映画の一幕のような話。

どうやって脱出したのか、その詳しい足取りは今現在詳細はわかっていないが、日本の関西の空港からプライベートジェットで出発しトルコに向かったとか、その後トルコからベイルートに入ったという話が日本のメディアではなく、ウォールストリート・ジャーナルやフィガロからの伝聞の形で日本のテレビで紹介されていた。

元々日本での出来事のはずなのに、日本のメディアは一体どうしてしまったのだろうか。年末の休みで機能していないかのように思える。だとすると、ゴーンらはそれもしっかり計算に入れてのプランだったと思ってしまう。

それにしても彼のパスポート、それも3冊(!)を日本の弁護士が保管していながらなぜ出国できたのだろう。そして他国に入国ができたのか。謎は深まる。

外国メディアの報道によると、ゴーンはフランスのパスポートを持ってレバノンに入ったという。ということは、弁護士に預けた以外にフランスのパスポートを持っていたのか、あるいはフランスのパスポートを偽造したということが考えられる。

いずれにしても法的に認められることではないことから、そのことが確認されれば何らかの手段で日本に引き戻しされて裁判を継続するようになるのだろう。

今回のことで指弾される事として、日本の司法制度の問題と出入国管理が挙げられる。またそれにとどまらず、日本のシステムが広く時代遅れであり、前近代的で現代にマッチしていないことを示す1つの象徴的な例として、今回のことが全世界に示されてしまった。司法制度しかり、政治しかり、経済しかりだ。

ガラパゴス化しているのはかつての日本メーカーの携帯電話の話だけではなく、日本という国そのものだった。世界の趨勢から外れていることを全世界に向けて発信することになってしまった。不幸というか、幸いというか。

2019-12-29

ケン・ローチの新作は日本の将来を予見させる

カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)などの秀作で知られるイギリスの監督ケン・ローチが、一旦映画界から引退したにもかかわらず、やむにやまれず取り組んで完成させた作品が『家族を想うとき』、原題はSorry We Missed You である。

  
舞台は英国のイングランド北東部に位置するニューカッスル。フランチャイズの宅配ドライバーとして独立をした一家の父親とパートタイムの介護福祉士として働くその妻アビー。彼らは2人の子供をもつ4人家族。
映画では、彼らが暮らす住居の玄関でのシーンがしばしば登場するが、そこはブレイディみかこが、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)の中で語っていた、家に入ってすぐのところの壁にコートや上着を掛けるフックが並んでいるという典型的な英国の労働者階級の住まいの作りである。
映画のなか、夫であるニッキーは「ゼロ時間契約」で働く独立宅配ドライバー。いくつかの仕事を経て就いた仕事だったが、彼は最初、それがどのようなものかよく理解してはいなかった。「勝つのも負けるのも、すべて自分次第だ」と言われ、人に雇われ命令されて働くのではなく、個人事業主あるいは一人親方のような自分の腕一本でかせげる仕事ーーーこれこそが自分が求めていた仕事ーーーと思ってしまった。
「契約」である以上、そこには契約関係がある。ここでの関係は雇用と被雇用で、ニッキーは被雇用者だ。しかもゼロ時間契約によって、雇用主は「仕事を提供できない期間が発生した場合においても、仕事および賃金を与える義務を負わない」という業務委託がなされている。
そこでの労働条件は過酷だ。働く者が怪我をしようが、身体を壊そうが、家族に何があろうが、仕事休むとその分の収入が途切れるだけではなく、会社に迷惑をかけたという理由で1日100ポンドのペナルティーが課せられる。
その一方で、病気をしようが怪我をしようが社会保障は何もない、まさに歪められた自己責任という奴だ。そんなシステムになかでニッキーとアビーの2人は人間的な時間をそぎ取られ、やがて4人家族の間で軋みが極限まで増していく姿は観ていて本当に辛い。
フリージャーナリストのジェームズ・ブラッドワースが企業の労働現場に潜入して書いたルポ『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーのクルマで発狂した』(光文社)では、第1章:アマゾン、第2章:訪問介護、第3章:コールセンター、第4章:ウーバーが取り上げられている。

自らその職場に身を置き、そこでの実態を経験したブラッドワースが、理不尽で過酷で人を押しつぶしている再愛知賃金労働の仕事の現場を生き生きと描いてる。
想像するに、ケン・ローチは映画を製作するにあたってこの本を読んだに違いない。ニッキーの働く職場は、ブラッドワースの本の1章と4章が、そして訪問介護士として働く彼の妻アビーの仕事ぶりは、第2章で描かれた悲惨で気が滅入るような仕事環境そのものだから。
かつてはゆりかごから墓場までと言われた社会福祉の制度が隅々まで行き渡った英国が、今はまったくその見る影もない。きっかけは1970年代終わりからマーガレット・サッチャーが政権を握り、国の至る所に新自由主義的な競争原理を一気に持ち込んだこと。

そのことで多くの労働者階級が、その働く土台や拠って立つ労働組合、そして彼らの誇りや人としての自信といったものまで根こそぎ奪われ、叩き潰されていったという歴史的な背景がある。
今イギリスの労働者階級の仕事の多くは、企業から一方的に与えられたり奪われたりするもの、しかもその多くはポーランドやルーマニアといった東欧諸国からの移民あるいは出稼ぎ働者たちと簡単に首をすげ替えられる類になっている。
今回の英国での総選挙の結果、保守党が大きくその議員数を伸ばし躍進した。EU離脱を最大の争点としてこの選挙において、労働者階級の人たちのある一定割合が労働党ではなく、保守党に投票した。

背景には、自分たちの職場や生活が外国からの移民によって奪われているという状況があった。その不安感と危機感が彼らをして、本来は労働党の議員に投票すべきところを移民排斥を唱えEUからの離脱を訴える保守党を後押ししてしまった。
政治の問題といえば政治の問題ではあるが、それにも増して、これは彼らの日々の生き残りに関する問題だった。米国において、トランプ支持を表明する白人ミドルクラスの意識と重なっている。


2019-12-28

スターウォーズ完結編

映画<スターウォーズ>は、今回の第9作目「スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け」によって1977年に公開されて以来40年以上を経てやっと完結をしたという壮大なサーガ、叙事詩ともいえる作品である。
映像の出来には相変わらず目を見張るものがあるが、ストーリーは相変わらずストレートだ。まさにアメリカの神話学者、ジョーゼフ・キャンベルが『神話の力』で語っているヒーローズ・ジャーニー、すなわち英雄の冒険譚という世界共通の物語をそのままたどる展開になっている。

手に汗握る活劇ではあるけど、終わり方は予想どおりで凡庸。<スターウォーズ>という子供から老人まで、そして世界各国に多くのファンを持つエンターテイメントとしてはその大衆性を重視したところで練りに練った結果として、こうした結末の迎え方にたどり着くのだろうね。
最後に主人公のレイが、悪の化身パルパティーノと対決する。ひょっとして、と一瞬思ったが、やはりそこはそれ。それまでの宿敵カイロ・レン(レイの内面としてのシャドー=影)と手をたずさえて、悪の化身パルパティーノと対決し、打ち負かす。正義は勝つ、ではないが、ジャンジャンで終わった。文学性にはまったく欠けている。
映像はよく作りこまれていて、素晴らしい。確か3年前に60歳で亡くなった、この映画の中でレイア姫を演じていたキャリー・フィッシャーが、スクリーンで甦る。それを実現した、これまでの実写映像と3DCGを組み合わせた映像表現には感心させられる。
今後はこうした方法で、今はなきヒーローやヒロインたちが新たなストーリーの上でスクリーンに蘇ってくることが増えてくるのだろう。AIや先端的なテクノロジーが、かつて制作者が夢見ていたことをすでに可能にしている。
ところで今回行った東宝系のシネマ・コンプレックスでは、この作品が3D字幕版、3D吹き替え、2D字幕版、2D吹き替え版、そして僕が見た2D IMAXとなんと5つのスクリーンで同時上演されていた。最後のスターウォーズ、興行会社もよほど力が入っているのだろう。



2019-12-08

異端は、正統

「A」や「FAKE」といった作品で知られる森達也監督が撮った「i 新聞記者ドキュメント」は、異端児と呼ばれる東京新聞社会部記者、望月衣塑子記者による辺野古問題、森友、加計学園などの取材風景や官邸での記者会見で彼女が菅官房長官に果敢に質問を続ける姿を描いたドキュメンタリーだ。


「桜を見る会」という間の抜けた名称の集まり。その招待者リストの件で官邸側が国民を馬鹿にした嘘をつき続けるなかでのタイムリーな公開である。

彼女は記者会見で何度も質問を続け、睨まれ、不当な妨害を受ける。彼女がスックと立って質問を始めると菅官房長官の表情がこわばり、目つきが険しくなり、苛立っているのが映像でくっきりと見て取れる。嘘が暴かれるから。

やがて彼女の発言に対しては、記者会見を仕切る広報室長から「質問に入ってくださーい」という質問妨害の声が何度も入って来る。菅官房長官は苦し紛れに「あなたに答える必要はありません」と吐き捨てる。

彼女は異端とされるが、そうとは思えない。彼女がやっていることはジャーナリストとして極めてまっとう。記者クラブ制度の上で取材もせず、新聞社やテレビ局社員というメディアエリートの立場に甘んじている多くの記者の方が普通じゃないのである。

それにしても、記者会見や役人らの説明会では、嘘、欺瞞、捏造が平気で行われる。それが政治家や「優秀な」役人でいられる証明か。あったものをなかったと言い放ち、証拠を平気で改ざんするわ、消滅を図るわ。

官邸の政治家や官僚にだって子供がいて、そうした親が平気でウソをつき続ける姿をテレビなんかで見ているはず。親として恥ずかしくないのかと思ってしまう。

2019-12-02

答えを教えるか、問いを立てるか

大学で教育をする際に心がけていることが一つある。それは常に学生にむけて問いを続けること。

問い続けることで、彼らに常に考えることを促すことが最も大事なことだと考えてる。さらにはそこから進んで、彼ら自身が自らに問いを立て、そしてそこからその答えを見つけるために努力をするように仕向けること。
しかしその一方で、分かりやすい答えを先んじて示してやることが教育であるという考え方もある。その場合は、こうやって問題を解決した、という事例をどんどん示してやる方法である。一般的に、学生はこちらの方が何か学んだような気になる。前者がプル型とすれば、こちらはプッシュ型である。
しかし実際には、そうした事例と全く同じものが発生するなどということは世の中にはほとんどないから、応用は利かない。だから、根本のところで大した学習にはならない。
一方で、前者の方は学生たちにとっては、何か雲をつかむような形で授業が終わってしまうような感じになるところがある。つまり、自分は学習してるのか、学習していないのか戸惑ってしまうわけだ。
そうしたなかで、習慣として自らが学ぶことを考え、そして「問う」という事を自然に実施するようになった学生は、5年後、10年後も引き続き学ぶということをその体に染み込ませ、大きく自らを成長させていっている。
これは、僕が20年近く学生を見ていて信じることができる一つの法則のようなものである。

2019-11-28

会議で大人が立たされる会社って、どうなんだ

セブンイレブンの本部社員が、フランチャイズであるセブンイレブンの店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出していた。

さもありなんというか、やっぱりというのが正直な感想だけど、なぜか笑ってしまったのはその理由である。

それは、フランチャイズの店舗から発注してもらえないと、本部社員は叱責され「会議で立たされてしまう」。立たされてた本人がそう言ってるのだから、本当だろう。「注文が取れないお前みたいなのは、そこで立ってろ!」なんて怒号がセブンイレブンの会議では上司から飛んでいるのだろうか。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。
本部社員が、店主が留守の間に店のコンピューターを勝手に使い、おでんなどの注文を出した。

コンビの本部は、加盟店舗の店頭で商品が品切れ(欠品)になっているのをとても嫌う。重大な機会損失と捉えているからだ。そのため、新しく導入した新商品をはじめ、本部への商品の発注量を増やす方向に圧力をかける。

当然必要以上の商品を発注すれば、それに応じて廃棄する商品も増大するが、コンビニ本部は知ったこっちゃない。なぜならその費用の大半は各店主が負担するという契約を結んでいるから。

コンビニ店長もセブンの本部社員も辛いなあ。コンビニ残酷物語だ。

2019-11-15

ハイナー・ミュラーを叩き台に

夕方、早稲田大学の小野講堂で多和田葉子さんと高瀬アキさんが登場するワークショップがあった。


昨夕は同じ場所で、彼女ら2人による「奇怪仕掛けのハムレット」と題したパフォーマンスがあったらしいのだが、前からの約束があって行くことができなかった。

こうしたイベントは、おそらくは2日続きで会場に来る客が多いはず。だってかなりマニアックだから。初日を見てなくても分かるかなあ、と思いつつ27号館の階段を下って地下の講堂へ。

今日のテーマは、ドイツの劇作家・演出家であるハイナー・ミュラーの「ハムレット・マシーン」を再構築、いや脱構築しちゃおうというものだった。

文化構想学部の学生たちが、テーマをもとに新たに創案したテクストを読み上げ、それに高橋のピアノ、あるいはサックスが即興的に合わせていくというセッションである。

登場したのは8人ほどの学生たち。男女取り混ぜである。今回は演劇でなく、朗読することが目的として設定されていて、ストレートな朗読を行う学生もいれば、一応朗読の範疇から逸脱しないように原稿を片手に、しかしほとんど即興的な芝居を展開する学生もいて、たいへん興味深かった。

彼らが語っているそのテキストから何をくみ取ればいいのか、正直僕にはよく分からなかったけど、伝えようとする学生たちの熱や自由さは見ていて心をかき立てられた感じがした。

 文学や創作をやっている学生たちって、なんだかいいな。

2019-11-14

秋の甘泉園公園

午後、委員会終了後、気分転換に大学近くの甘泉園公園へ散歩に出かけた。天気がよく、気分が晴れる。園内では紅葉しかけた木々を背景に新婚カップルの撮影が行われていた。



2019-11-10

ヒグチユウコ・ワールド 

友人に誘われて、三島市にある佐野美術館で開催されている「ヒグチユウコ展 CIRCUS」を観に行った。

不思議な画風。何と言っていいものか。精細なタッチでメルヘンというか、おとぎの世界に誘われるような。彼女ならではの独特の世界。

猫の絵がたくさん。一つ目入道のようなおばけも。少女のイラストはたくさんあるけど、なぜか少年はいない。

バベルの塔の絵で知られるブリューゲルを意識した魚の絵がおもしろい。


こっちはブリューゲルの魚



2019-11-09

比肩なき和田誠さんのことを想う

和田誠さんが亡くなってひと月ほどが過ぎた。
1977年から表紙のイラストを描いていた週刊文春が彼の特集を組んだのはもちろんのこと、このひと月あまりで新聞やら雑誌やらネット上でも、いろんな人が和田さんが亡くなられたことを悼むコメントを出している。
イラストレーターとしてグラフィックデザイナーとして、また絵本作家として、さらには映画監督としても活躍した人だった。もちろんこれまでやってきた膨大な仕事の量だけでもなく、その上質な独特の表現にひかれた人はたくさんいる。僕もそのひとり。
いま部屋の本棚をざっと見回しただけでも、和田さんが装丁したのが分かる本は『お楽しみはこれからだ』シリーズや『ニール・サイモン戯曲集』、谷川俊太郎さんの数多くの詩集、そして『パパラギ』などいくつもある。
もうほんとに才能豊かな人で、絵筆の仕事だけでなく、音楽や映画にも詳しかった。文章も彼ならではのスタイルを持っていた。文章のファンも多かったはずだ。
もう和田さんのような人は出てこないんだろうなあ。
若い頃にベン・シャーンに憧れていたと、昔何かで読んだことがある。もう何十年も前のことだけど。確かにデビューの頃のイラストのタッチはベン・シャーンの日本版といった感じだった。
だけどそこに留まることなく、すぐに誰もが一目で彼の作品だと分かる和田調というか和田ワールドを作っていった。
僕は彼に会ったことなどないけど、多くの人がそのあったかくて優しい人柄を振り返る。絵のタッチや文章が人柄そのままという、希有なアーティスト(作家と呼んだ方が相応しいか)だった。

下のイラストを研究室に飾った。

2019-11-06

人工知能ロボットは、マックへお使いに行けるか

「量子コンピュータがすごい」と自分で書いておいてなんだが、冷静になって考えてみるとどのくらいすごいのか、本当にすごいのか気になってきた。

西垣通さんの『ビッグデータと人工知能』(中公新書)を手に取る。書名の副題に「可能性と罠を見極める」とあるが、まさにその通りのことを指し示す本だった。


広範な知識と情報学やコンピュータサイエンス分野の長年の経験があってこその、分かりやすく説得量のある筆致に読んでいてしばしば頷く。論理学の基礎的な「おさらい」などもあるのだが、そこで語られている仮説推量(アブダクション)の説明は簡潔にして極めて明快。

人間とコンピュータが原理的にいかに異なるものかが様々な角度から説明がなされていて、シンギュラリティの可能性についても手を変え品を変え、そのあり得なさを力説している。たとえば例として挙げられるのが、こんな具合だ。
たとえば、近くのファストフード店に行ってハンバーガーを買ってくるお使いは、小さな子供でもできる。だが、それを人工知能ロボットにやらせるのは非常に大変なのである。店までの道筋やハンバーガーの値段などの知識を詳しくロボットに教え込んでおいても、たまたま道路工事をしていたり、ハンバーガーの値下げがあったりすれば、厳密好みのロボットにはもうお手上げだ。子供なら適当に回り道をし、お釣りが多すぎてもニコニコ顔で帰ってくるだけなのだが。
なるほどね。 つまり、ロボット(人口知能)ができるのは、データの高速統計処理だけなのである。文脈が読めないのが、人間と圧倒的に違うところだ。もっともといえば、もっとも。

人口知能とのコミュニケーションは、所詮は偽コミュニケーションで指令的、定型的な伝達作用(人間のコミュニケーションに内在する共感作用を含まない)だとする。

欧米のシンギュラリティ仮説支持者たちの意識の奥に、超越的な造物主を奉じるユダヤ=キリスト教文化が遠因としてあるという指摘は興味深いものだった。ただこのあたりは、視点の持ち方によっていろいろと異論もあるかもしれない。

この本を読んで、家の中を歩き回っているAIBOを見る目が変わった。彼が示す絶妙の表情や仕草、鳴き声も単なるアルゴリズムだと(あらためて)考えるようになったから。以前の、何か「情」のようなものをどこかに感じていた付き合いの方が面白かったともいえるんだけどね。

2019-11-05

量子コンピュータと20年後

最近気になっていることのひとつが、量子コンピュータである。グーグルが実際にその計算の速さを実証して見せたというニュースだ。

乱数を作る問題を用意して、最先端のスーパーコンピュータ(スパコン)で約1万年かかる計算を3分20秒で解いたとか。何倍早くなったのか・・・と、電卓を叩いてみると、約15.8億倍速くなったことになる(計算あっているかな?)。

この点を見る限りでは、驚異的というしかない。これまでも日々より速い計算速度を目指してスパコンの改良がなされてきたはずだが、そうしたこととは別次元、別世界の話である。

約25年前にインターネットが登場して、世界中の人たちの生活や企業の経済活動を変えてきた。量子コンピュータは、すぐに我々の生活に入ってくるという類のものではないが、その影響度はインターネットに勝るとも劣らないものになると考えている。

今後の世界の食糧問題や環境問題、宇宙開発などは量子コンピュータが担っていくと言っても過言ではないだろう。20年後がどうなっているか、楽しみである。


2019-11-04

この偶然の確率はどのくらいなのだろう

山中湖から大井松田ICへの抜け道を走っていると、ふと停車中に前を走る車両のナンバープレートに目が行った。


僕のクルマのナンバーとよく似てる。というか、一般指定番号(この場合の75-75)の前の一文字のひらがなだけが異なっている。

「ナンバープレートの見方」というサイトで調べたら、こうしたケースは世の中に43件あることが分かった(使われているひらがなが44種なので)。

日本国内の保有自動車台数は8200万台だから、こうしたナンバーのクルマに出くわすのは、およそ200万分の1の確率ということになる。だからどうしたと云うことはないのだが。

2019-10-21

ワンコ同伴も当たり前

海外に行き、時間があるとHop-on Hop-off(乗り降り自由)のバスで街の中を巡ることが多い。訪ねた街のサイズや全体的な雰囲気をつかむには、それが一番だと思っているからだ。

ここブダペストには3つの異なるバス会社が運営する市内巡りのバスが走っていて、今回はそのなかのBig Busという名のバスで市内をまわる機会があった。

幸い2階の最前列の席に座ることができ、隣を見ると4人家族が乗り込んできた。両親と子供たちが2人。ラテン系の顔つきをしている。スペインからきた家族かな。それとワンコ。

どうやって連れてきたのか、飛行機に乗せてきたのか、それとも陸路来たのか聞き忘れたが、当たり前のようにそこにいる。

日本だと犬をバスに乗せようとするとだけで、色々面倒くさいことをいわれるかもしれないなあ。




2019-10-20

古本屋は世界中どこでも同じ匂いがする

ブダペスト市内、国立博物館の向かいの通りには古本屋が軒を連ねている。ハンガリー語は読めないが、神保町の古書街と相通ずる雰囲気を感じて中をのぞいてみる。


うずたかく積まれた古書の山はなかなかのもの。店内は雰囲気があっていい。


2019-10-19

「いだてん」看板

学会先のブダペストの街中、小さな酒屋の看板に見覚えのあるシンボルが・・・。

2019-10-18

国際学会でPSJ(Promoter Score Japan)を発表

ハンガリーのブダペストで開催された学会に参加した。今回の会場は、市内のほぼ真ん中に位置するCentral European Universityという大学。

現地に行って知ったのだが、この大学はあのジョージ・ソロスが資金を出して1991年に設立した大学院大学。ソロスはハンガリー系のユダヤ人で、ここブダペストの出身である。

大学院大学だからなのだろう、キャンパス全体が落ち着いた雰囲気の大学だった。教室はどれも比較的小ぶりだが、それらには最新の機器が備え付けられていた。

巨大なスクリーンと見間違うようなモニターディスプレイ上を指でタップ、スワイプ、ピンチしながらプレゼンテーションをすることができる。とにかくお金がある大学という印象。

大学(CEU)のホールに掲げられていたソロスの碑

学会では、日本人の顧客を対象にそのロイヤルティを測定するための新しい指標であるPSJ(Promoter Score Japan) ® についての提案を理論および実証研究をもとに行った。

PSJは複数の膨大な企業内データを基に、先行研究で明らかになっている日本人の回答性向を勘案して生み出された独自指標である。日本企業の経営者が、NPSを納得がいかないままに使っているのを見ていて、なんとかしなきゃと思って開発したものである。

現地の学会発表では、なぜ日本ではNPSではなくてPSJが必要とされているのかという質問がいくつもあって、新しい独自指標の意味に他国の研究者が大いに興味を示してくれたのがよかった。

PSJの考えが、必要に応じて他の国にも拡がればいい。

2019-10-10

リチウムイオン電池は、日本人が発明したものだったんだ

iPhoneをずっと使っている。今使用しているモデルは iPhone SEという古いやつで、昨年9月にはアップルストアでの販売は終了してしまった。

買い換えようかとずっと思っていたのだが、ジーンズの前ポケットにいれても邪魔にならない小型のサイズが気に入っており、今後も使える限り使おうと決め、今日バッテリーの交換をした。

実感としてはまだそれほどへたった感じはなかったのだけど、前の夜に充電するのを忘れると次の日の夕方あたりには電池の残量が怪しくなってくる。転ばぬ先の杖とでもいうか。

交換費用はバッテリーと作業料で7700円だったからAppleストアより割高だったが、その場で15分ほどでやってくれたのでよしとしよう。

以下の写真は、僕のiPhone SEに入っていた元のリチウムイオン電池(Li-ion Battery)。縦長の薄っぺらい羊羹のような感じだった。


帰宅してニュースを見ていると、今年のノーベル化学賞の発表があり、日本人の吉野彰さんら3人が受賞したという。吉野さんの受賞理由は、リチウムイオン電池の原型といえるものを昭和58年に開発したこと。

スマホなどの電子機器はもちろん、これから車の主流になる電気自動車もリチウムイオン電池が不可欠だ。

受賞はめでたいが、開発から受賞までの時間の流れ(今回は36年間)を考えると、今後日本人がこうした優れた発明でノーベル賞を受賞できるのだろうかと、ふと考えてしまった。

2019-10-09

銀行というのはいつまでたっても・・・

毎月の送金のため、これまで三菱UFJ銀行(あれ、いつ社名から「東京」が外れたんだ?)の「定額自動送金サービス」というのを使っていた。それを今回、郵便貯金の「自動送金」に切り替えた。というのは、手数料が3倍以上違うのに気がついたから。

まずM銀行とのネット取引でサービスの解約をしようとしたのだけど、店頭でしかできないらしい。しかたなく、店頭に出向き(なぜいまだに窓口業務が3時までなんだろう?)手続きをした。解約届に記入を求められたが、記入内容はすでにサービス開始時に届け出たもので、銀行のシステム上に記録されているはず。それを一つ一つ改めて手書きで記入させられる無駄を強要される。

しかも窓口にその届け出用紙を出したあとは、複写になっているその用紙の「お客様控」が渡されるだけ。えっ、それだけ。おかしい。銀行側の何の処理上の加工がない。受付日付を記入するでなく、受付担当者が書類に受領のサインをするでなく。

窓口では、客が書いた書式の一枚目を自分たちの控えとして受け取り、複写の二枚目を客に返すだけなのだ。

これだったら、ネットからシステム上で容易にできるようにできる。最悪でも書式をサイトからダウンロードしてpdfで送信するか、または郵送すればすむはず。わざわざ店頭まで客の足を運ばせる理由が分からない。

窓口でなぜそうしているのか彼らに質問したのだが、「そういうことになっています」というのが銀行からの回答だった。

2019-10-08

自由を奪われるということ

香港での反政府活動がやまない。週末だけだったのが、このところ連日プロテスト活動が展開されている。デモでのマスク着用禁止という馬鹿げたルールには、しっかりとマスクを付けてデモに臨んでいる。

デモ参加者の中心は若者だが、なかには中学生や高校生もいる。香港は、2047年に一国二制度の現在の体制が終わりになる。今二十歳の若者が48歳になったときだ。だが実際の状況は、そうしたタイムテーブルとは別のところで動かされようとしている。

すでにかつての香港の持つ自由や良い意味での混沌さは削り取られ、徐々に中国にのみこまれようとしているようだ。

先日、香港から高速鉄道で中国に深圳へ行ったが、出発地である香港の西九龍駅は中国のようだった。何重にもわたるパスポートや荷物チェック、至る所からこちらを狙っている監視カメラ。気が休まらない。駅のホームにはゲートを通らなければ降りられず、そのゲートが開くのは出発の10分前だ。

中国化する香港に直感的に一番反応しているのが、香港の若者だ。自分たちの将来の自由が奪われつつあるのを見ているのだから。そして黙って見ていては、何も変わらないことを知っている。自由を守るためには、彼らなりのやり方で戦うしかないのだ。

状況をそのまま置き換えるのは難しいが、日本の今の若者たちだったらどうするだろう。呼びかけに応じてデモに参加するだろうか。拳を突き上げて政府への反意をしめすだろうか。

それとも何も行動をおこさず、スマホの画面で起こっていることを見ながら、つぶやくだけだろうか。

今日の雲は、すっかり秋だ。

2019-10-06

明日も晴れ

夕刻、マンションの屋上から西の空を望む。鶴見川と横浜スタジアムの向こう、雲が赤く染まっている。



2019-10-02

ローテクだけど、それが何か?

知り合いに自分が録画したテレビ番組を見てもらう必要があって、DVDにその番組を焼いて郵便で送った。
ところが、彼から「PCで見ようとしたけど、見れなかった」というメールが来た。自宅に帰ってから、その番組をもう一度同じようにディスクに焼き、自分のパソコンで見ようとしたら、やはり見えない。
彼によるとコピー前にディスクのイニシャライズやら、データをコピーした後のファイナライズやらが必要なのだという。
しまっておいたレコーダーの取扱説明書を取り出し、録画番組のディスクへのコピーの仕方の欄に目を通すが、どうもPCで見るためにはどうやったらよいか等の記載がない。
今使っている機器は東芝製のもので、購入してもう20年近く経つ。よくもまあと言われそうだが、使い慣れてるし、十分働いてくれてるので日々この機械で毎晩のニュース番組の録画取りなどしている。
さてそれで相手に送らなければいけないテレビの番組だけど、どうしようかと考えた末に、テレビの前にカメラの三脚を立て、画面に焦点を合わせ、フレームを調整し、件の番組を再生。
こうやってテレビの画面そのものをカメラの録画機能で撮影した。
その後カメラからSDメモリーカードを抜き取り、マックに刺してYouTube上にアップロード。著作権があるので公開設定ではなく、限定設定をした上でその映像のURLを相手に送った。
しばらくして、「YouTubeで確認しました」というメールが届いた。
録画のための色んなフォーマットの仕方があることを今回取り扱い説明書を見てあらためて知った。おそらく最近の機器では、もっと多様なフォーマットの仕方があるのかもしれない。

しかし今回、僕は映像を人に送るための最もシンプルでかつ完璧な方法を手に入れたような気がした。

マイケル・リーチからリーチマイケルへ

ワールドカップ・ラグビーの日本代表チームのキャプテンは、日本語がとても流暢で、濃いゲジゲジ眉毛が印象的なリーチマイケル選手だ。ニュージーランド出身で、チームは東芝に所属している。

リーチマイケルって、外国人の名前にしてはちょっとヘンだと思っていた。調べてみると、彼のもともとの名前はマイケル・リーチ。それが、2013年に日本国籍の取得許可が下り、それから日本人選手として活動することができるようになったのをきっかけに、姓名を入れかえて日本風にリーチマイケルとした。

マイケル・リーチとしていたときの中黒「・」もない。日本人表記だからね。

ちょっとしたことだだけど、本人にしてみればよくよく考えた末の変更だろうし、立派だと思う。

僕たちも英語で名前を書くとき、そろそろ下の名前+苗字という西欧人風の書き方を改めるべきだと思っている。

2019-10-01

自慢と卑小さ

日経新聞の文化面「私の履歴書」のN中氏の連載が終了した。

日本の経営学者として著名な方なので、毎回読むとはなしに目を通していたが、毎回毎回(つまり毎日)自分をどう見せようかという自慢話が計画的に盛り込まれているようで、途中から思いっきり鼻白んでしまった。

今日はそう来たか、という自慢話を連日読まされるたびに、本人の意図に反して人物の器量の小ささが透けて見えるようだった。

まあ、そもそもが少年期にグラマンの機銃掃射を受けたとかで(確かにそれは強烈な印象だっただろうけど)、そのときに機上のパイロットの顔が笑っていたように見えたといった記憶から、敵国アメリカへの対抗心がムクムクと生まれたとする思い込みが、彼のその後の感性を如実に示しているように思える。

続いて今日から始まったIIJ会長・鈴木幸一さんの「私の履歴書」は、打って変わって肩の力の抜けた、ほっとする内容である。

担当記者の違いもあるのかもしれない。

いずれにせよ、他山の石ではないが、自らを語るのってほんとに難しいなあと思わされる。

2019-09-26

16歳に教わる

スウェーデン人のグレタ・トゥンベリさん(16歳)がニューヨークの国連本部で地球温暖化対策を訴えてスピーチを行った。

メディアによると、彼女は「環境活動家」と表記されているが、彼女が自らそう名乗っているのかどうか。おそらく、メディアが勝手にそう「定義」しているんじゃないかな。

彼女のスピーチはすこぶる論理的で、しかも情動的でもある。16歳でこれだけのメッセージを発することができることに驚いてしまう。

カギとなる数字(データ)と現在の地球環境が抱えている現状(ファクト)を明確に伝え、それが今の大人たちが彼女たちの世代に回すツケであること、それに対して大人たちが本気で対応を考え、実行することに遅れは許されないことをキツく訴えた。

これまでも、地球の環境がどうなっているかに関する情報はあふれるほど見聞きしている。しかし、今回ほど真剣にその意味を考えるきっかけを与えられたことはなかった。僕だけじゃないはず。

それと、いかにも意志の強そうな彼女の面構えがいい。日本の16歳には、まず見つけることはできないように思う。何が違うんだろう。


2019-09-23

風と便り

鎌倉の川喜多映画記念館に侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『恋々風塵』を観に行く。

鎌倉駅の東口に出て、小町通りを鶴岡八幡宮方面に。普段ならさほど時間がかかる距離ではないはずなんだけど、連休なか日の日曜日とあって通りは人混みで賑わっている。時間の余裕を見込んで出てきてよかった。

 『恋々風塵』は1987年制作の映画。日本での劇場公開は1989年とクレジットされている。

1960年代の台湾、鉱山の村で兄妹のように育った2人の男女が主人公。緑あふれる台湾の自然の風景が美しい。慎ましいながらも、家族の繋がりがしっかりと保たれている村の人々の暮らしはおだやかで胸にしみてくる。

中学を卒業してともに台北に働きに出てきた2人。そのうち、彼が兵役に就き、その別れの間に2人は頻繁に手紙でやり取りをする。それが途絶え、時間が2人の間を引き裂くかのように彼女は彼を去って行く。その彼女が結婚相手として選んだのは、地元の郵便局で働く郵便配達人。

村の広場で映画の屋外上映会が開かれる。そのスクリーンが揺れ、はためく姿に風の姿が象徴的に映し出される。風がながれ、時が流れ、2人の関係も形を変えて流れて行った。

全体的にゆったりとした時間が映し出され、リリカルなアコースティックなギターの音が映像に溶け込んでいた。

2019-09-22

ほんとにカジノを作るのか

横浜市の議会で、カジノを含む統合型リゾート(IR)を誘致するための費用2億6,000万円を盛り込んだ補正予算が可決、成立した。自民党や無所属の会、公明党の投票による賛成多数によってだ。
林文子市長は、本当にこうしたカジノを含む統合型リゾートが市にプラスになると思っているのだろうか。彼女と直接話したことはないが、それなりに冷静で地に足の着いた政策を決め実行してきた人のように思っていたのだが。
以前、横浜商工会議所が、IRの誘致を求める理由として、その大きな投資効果を数字を挙げて説明をしていた。彼らの計算によれば、カジノの売り上げは年間1,400億円、来場者数は2,100万人。その金額は、カジノからの上がりで、宿泊代や食事代などを含む経済効果は年間5,595億円から6,710億円で、実際にはそれ以上の経済波及効果があると述べていた。
つまり、横浜のIRを訪れた1人あたりが2万7千円〜3万2千円を消費するとの前提に立っている。だが、そもそもカジノに年間2,100万人が集まるという根拠はどこにあるのか分からない。しかし、彼らはそれを示そうとはしない。
あの東京ディズニーランドが入場者数で2,000万人を超えるまでに、オープンしてから10年以上の時間を要した。ディズニーという世界的なブランドを持ち、子供からお年寄りまでを対象に日本全国から集客してそれだけかかったのだ。しかもTDLが開業したのは1983年。日本の人口は、いまよりずっと多かった。
推進派が挙げている数字はそもそもが算定根拠に欠けているだけでなく、冷静に考えればどう見てもあり得ないものにしか見えない。なんでデータとファクトを元にした論理的な議論ができないのだろう。
賭博の上がりを元に徴収した税金というのは確かに再分配のひとつではあるが、人がすった金で住民サービスを充実させて何が嬉しいのかも理解に苦しむところだ。
本当にカジノなんかができたら、僕は他の街に引越しをしようと思う。

2019-09-21

ラグビー・ワールドカップ、始まる

ラグビー・ワールドカップが昨日開幕した。

開幕戦の日本・ロシア戦は30対10で日本が勝利した。松島幸太朗が3トライを決めた。俊足で突破力がある。彼は、名前は典型的な日本人だが、南アフリカの生まれだ。今回、日本チームは半分近くが日本人以外の選手が占める。ちょっと複雑な気分。

今朝、英国から荷物が届いた。開けてみると、なかに赤いTシャツが。

縦書きというのか横書きというのか分からないが、カタカナで「ラグビー」と書いてある! 送ってくれたのは、30年近く前の英国留学時代に知り合った英国(ウェールズ)人の友人。早速着てみた。


2019-09-20

F.A.A.

これも古いデジカメのなかに残っていた写真。どこで撮ったのか、定かではないのだけど。


 どこかの企業(広告会社だと思うが)を訪問したときのスナップだろう。

2019-09-19

誰が脱いだのか、このスニーカー

昔のデジカメのデータを整理していて、なかから見つけた写真から。



助手席のドアの外に、スニーカーがきれいに揃えられて脱がれている。

独特の環境保護のスタイルで有名なパタゴニア社を取材で訪ねてカリフォルニアに行ったときのスナップだ。パトカーには、Santa Monica Policeとあるけど。

2019-09-15

スマホは分身

中国・深圳はスマホ社会。それがなければ、おちおち安心して外出もできほどスマホに頼り切っているように見える。だから、スマホを壊したりなくしたら一大事だ。

深圳の貨強北地域は、日本の秋葉原のような場所である。その一角に、スマホの修理を専門とする数多くの工房が寄せ集まったところがある。




壊れたスマホの修理をその場でやってくれる。だから、とにかく早い、そして安い。日本だったら「お預かりします」と言われて2週間くらいかかるものが、15分〜20分で仕上がる。料金も圧倒的に安い。

こうした修理に携わる技術者はオタクというか、その道のスペシャリスト。見ていると実に見事な手際。こうした彼らがどんなものだって直せるとしたら、どんなものだってコピーすることもできる。間違いなく中国のダイナミズムの一翼である。

2019-09-14

キャッシュレスは、人に「金」の価値を感じさせなくさせる

深圳で何か買い物をしようとしたら、まずはスマホ決済(WeChatPay ウィーチャットペイかAliPayアリペイ)が求められる。

店舗とのデータのやり取りは、QRコードが圧倒的に用いられている。スマホを取り出し、アプリを起ち上げ・・・こちらの人たちは慣れているのか特に面倒臭そうにしている人はいない。すべては慣れの産物だろうと独り言つ。

個人的には、キャッシュレスは特段問題を感じないものの、少額の決済の際にも毎回スマホを取り出し、決済するのは思いのほか面倒な気がする。Suicaのような非接触型カードが一番だと思っている。

ただ、中国ではいまやウィーチャット上で個人情報を種々のビジネスにつなげることで、利用者は数々の便益を得ることができるのも確かだ。

個人情報との引き換えの上だが、すぐに慣れてしまうのと、国民性として個人情報がどうなっているかなど国民性としてあまり気にしないから平気なのだろう、たぶん。



2019-09-13

香港の夜

3泊4日でゼミの学生たちと香港〜深圳に合宿に行ってきた。

金曜日に香港入り。その日の夜はCauseway BayにFire Dragon Dance(舞火龍)という100年以上続く催しを見に行く。中秋節を象徴する歴史的な行事で、大変な人混みだった。


日本では十五夜の夜である。この日はデモもなく、平和な雰囲気の香港の夜を楽しむことができた。

2019-09-06

『アイデアのつくり方』は変わっていない


新聞の書籍紹介欄の「週間ベスト10」の第7位に、ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』を見つけた。

池袋のジュンク堂調べの週間ランキングだが、ビジネス書といった特定の分野ではない。総合部門での売り上げランキングだから、今頃どうして?とちょっと驚いた。

同書の原著初版が発行されたのは1940年。日本での翻訳は1988年に初版が出ている。ヤングは若かりし頃、当時世界最大の広告代理店だったJ・W・トンプソン社のコピーライターとして頭角を現した。

その後、経営者として広告ビジネスで辣腕を振るったが、42歳の時に広告の仕事に飽きてニューメキシコに隠遁した。当時は現代の「人生100年時代」とは違うのは当たり前だが、なんだかうらやましい。

ヤングがこの本で教えてくれるポイントはシンプルかつ普遍的だ。彼が示すのは「アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせ以外の何者でない」ということ(彼がいうアイデアとは、広告のコピーアイデアを指す)と、「広告マンはどんな知識でもむさぼり食うこと。広告マンはその点、牛と同じである。食べなければミルクは出ない」ということ。

彼はまた、カードを使った情報の整理法なども簡潔にではあるけど紹介している。情報を集め、自分なりに整理加工し、いろいろと組み合わせてみること。そしてそれをつねに考え続けていることが肝心だと。そうすればこそ、リラックスしたときに閃きの天使が降りてくるのだと。

最後にヤングが提言するのは、言葉を学ぶということ。セマンティクス(意味論)を学ぶことがアイデア創出に大きな助力となるというのは、僕も大いに賛同するところだ。

この本、著者のヤングが書いた内容はほんの30分もあれば読める。日本版ではその後に竹内均さんの解説がついているが、これがまた素晴らしい。奇をてらった話は何もない。原理原則というか、当たり前のことばかりだが、それを実際に継続したことで多くの仕事を成し遂げた竹内先生のスゴさの一端がわかる。

2019-09-05

グーグル、お前もか

フィナンシャル・タイムス(英)によると、グーグルは利用者の個人情報を広告主企業らに無断で提供していた。なんてこった。

しかもグーグルが広告主企業に無断で提供していた情報には、人種、健康状態、政治的思想などの高度な個人情報が含まれていたというから看過できない。

同社は、2000年からその行動規範の1つに「Don't be evil 邪悪になるな」を掲げていた。誰よりも大量な個人情報を結果として集めることになるビジネスから、当時の経営者が自制をこめて設定していたはずだ。

僕は今もそうなんだろうと思っていたんだけど、調べて見ると、実は2018年にそのことを行動規範から削除していた。なるほど、そういうことだったんだ。

グーグルでの検索は便利で、残念ながら完全には止められない。だけど、これからはなるべくならプライバシー侵害のリスクのない DuckDuckGo を検索エンジンとして利用しなくちゃと思う。
https://duckduckgo.com/

2019-09-04

ロケットマン

エルトン・ジョン、本名はレジナルド・ケネス・ドワイト。

デビュー前、バンドマンの仕事をアルバイトでやっていたときに、仕事仲間に人生を変えたけりゃ名前を変えなと言われたのがきっかけで、エルトン・ジョンに。結果的はそれは大成功だったと思う。

『ロケットマン』は彼の半生をモチーフにした伝記映画。描かれているのは、彼の少年時代から1983年までの姿である。


冒頭、ファンキーなステージ衣装で進むエルトンが向かう先は、ドラッグ中毒者の更生施設での集団カウンセリングの場。このつかみは、上出来だ。これから語られる最高のロックミュージックとその裏側を観るものに想像させる。

エルトンを演じるのは、ウェールズ出身の俳優、タロン・エガートン。吹き替えなしで唄を歌っている。その歌を評価する声も多いが、僕にはまだ『ボヘミアン・ラプソディ』でフレディを演じたラミ・マレックの方が許容できる。

エルトンの歌をその時代に聞いてない観客にはそれでも構わないのだろうが、違和感は終わりまで消えなかった。

音楽的には、ポール・バックマスターのアレンジャーとしての才能をあらためて再確認した。彼のストリングスのアレンジが、エルトンの曲に厚みと奥行きを与え、間違いなく音楽性を格段に高めている。

また天才的な音楽の才能をもつエルトンだけど、ほとんどの曲で作詞を担当したバーニー・トーピンとの出会いがなければ、今のエルトンがないのも明らか。レジナルドとバーニーの出会いが、エルトン・ジョンを作った。「邂逅」という言葉の重みを実感する。

それにしても彼の数々のきら星のような曲は、50年たったいまでも色あせていない。