ある会社が、自由ヶ丘で画廊のような商売をしていたときのこと。
場所柄、観光客を含む外国人も多く店を訪れていたらしいのだけど、そうした外国の人と日本人では絵を選ぶ際の行動がずいぶん違っていたという。
たくさんの絵がお店にありますので、「自分の好きな絵を見つけてください」と言ったときに、外国の方は、すぐに「私はこれが好き!」と選ぶのですが、意外と日本人は見つけられず、「どの絵が売れてるんですか?」と聞く人が多い。これはひとつに自分の中に自分の好きな美の基準がない。アートのようなものは、絶対的な基準はあるわけではなく、自分の好き嫌いでいいと言えばいいと思うのですが、おそらく教育の違いなのかもしれませんが、そういう経験がなく「この絵が自分はいい!」と言い切れる人が少ないのかもしれないなということでした。
教室で学生に対して何かを問うたとき、まっすぐな視線で自分の意見をさっと言える若者(だけじゃないけど)がとても少ないことにすっかり慣れていた僕は、これを読んではっとした。
他人はどうしているか、どう思うのかをまず知ろうとする。それを察知して、自分とさほど違わないということが分かってまず安堵する。 人が言っていることに追従してなら意見が出てくる。
比較すると、留学生らはもっとはっきりものを言う。他人のことなどあまり気にない。だから発言内容は別としても、彼らのそうしたすっきりした姿勢に僕は好感を持つ。
こうした状況では、世界を引っ張るビジネスモデルやサービスが、これからこの国で生まれてくることはないんだろうなと、ふと思う。