映画「プアン」の監督、バズ・ブーンビリヤはタイ映画界の新鋭と呼ばれているらしい。そして僕はタイ人監督の映画をこれまで観たことがない(おそらく)。ではこれは観なくてはと出かけた。
前評判では、方々で「ウォン・カーウェイが才能に惚れてプロデュース・・・」なんて惹句があちこちで流れていたが、そんなことは関係なし。確かにそうしたプロモーションもうまかったんだろう。本作はタイではたいそう人気を博したらしい。
映画のトーンは、かつての日テレ日曜夜8時の学園青春ものである。プロットの中心は、2人の若者と1人の女。時間と場所の流れのなかでの三角関係。そんなどこにでもあるシチュエーションを、年代物のBMWやカセットテープの音楽(キャット・スティーブンス!)、ラジオDJなど気の利いた小道具でカラフルに組み立ててみせたサービス精神は買っていい。
元々ニューヨークで知り合った2人の男。バンコクに戻った一方の男(ウード)が白血病で余命宣告を受ける。その彼は、今もニューヨークでバーを経営するボスに電話をする。死ぬ前に元カノを訪ねたいので運転手を頼みたいと。そして2人は、バンコクを基点にウードの父親の形見である70年代ものだと思える白いBMWでウードの昔の3人の彼女を訪ねて回る。
昔の女との再会と別れが、ウードにとっての人生の惜別として描かれる。ヒロイズムに浸る若者の思い上がりと自己憐憫が甘酸っぱい感傷を感じさせるのは、世界共通なのだろう。ただ、ウードが本当は気にしていたのは、ボスがNYでかつて一緒に暮らしていた女、プリムだった。
ウードとバズの両者が関わりを持っていたプリムは腕のいいバーテンダー。シェーカーを振る姿が様になっている。バズも自分のバーでシェーカーを振る。映画には気の利いた名前がつけられたオリジナルのカクテルがいくつも出てくる。
ウードの3人の元カノ、過去と未来、バンコクやチェンマイなどタイの街とニューヨーク、余命の限られたウードと未来を見つめるボス。これらがシャカシャカシャカといい音を立ててシェイクされ、いくつもの色鮮やかなカクテルとなってグラスに注がれる。
ところでここまで洒落のめすなら、映画の公開タイトルは「プアン」(タイ語で友だちの意味)というあまりに明らか過ぎるタイトルではなく、原題である「One for the Road 」(旅立ちの前の最後の一杯の意)にした方がよかった。