2022年8月25日

努くんと水木サン

俳優の山崎努さんが、いま新聞で自分の来し方を振り返って語っている連載が面白い。

そこで彼は自分を指し示すとき、ときおり「努くん」と呼ぶ。昔、「山口さんちのツトム君」という、みなみらんぼうが作詞作曲した歌が流行ったが、それが彼のアタマにあるのかもしれない。

たとえば「近年、努くんも物忘れがひどくなり、暮らしに必要な書類等はすべて壁にピンナップしている」(8月25日)というふうだ。

文章の中に出てくる「努くん」という言い方には、主観と客観が微妙なバランスで合わさっている。心の声として、俺もそうだけどそれって俺だけじゃなくて、俺と同じくらいの年代はみんなそうだろ・・・とでも言っているような。

自分のことをそのように呼ぶ人は他にもいて、漫画家の水木しげるさんは自分のことを「水木サン」と呼ぶ。私でも、俺でも、僕でも、自分でもない。

自分の事を水木サンと呼ぶことで、そこに本人の自我や主観を残しつつもその水木さんが考えた事を別の自分が客観的に観察している、といった印象が伝わってくる。そもそも、水木さんの本名は水木ではない。ペンネームだ。

ペンネームを使うことで、いっそう彼は自身から距離を取ることができたのかも。だから第三者的な視点で、自分が置かれていた想像を絶するような状況(たとえばそれは彼が従軍をしたニューギニア戦線・ラバウルでの体験)を映画の1シーンを見ているかのように表現している。