2022年8月17日

カセットに残された声とともに

映画「長崎の郵便配達」では、長崎の今の町並みやいくつかの行事が魅力的に描かれる。以前、友人を訪ねてその街を訪れた時のことを思い出す。

ファットマンと呼ばれれるプルトニウムを使用した原爆が長崎に投下されて77年。この映画の主人公の一人は、16歳の時にその原爆で被爆し、背中一面に大やけどを負ったかつての若い郵便配達人、谷口稜曄(すみてる)さん。治療のため1年9か月にわたり、うつぶせのままで病院のベッドに横たわっていた。胸に褥瘡ができた。

その後、彼は郵便配達の仕事を続けながら、一方では原爆被害を世界に示すひとつのシンボルとされ、また彼自身もその使命のようなものを深く受け入れて死ぬまで生きた。 

その彼と、旅の途中の長崎で出会った英国の作家、ピーター・タウンゼント。第二次大戦中は英国空軍の軍人だった彼は、戦争被害者に強い関心を抱いていたことから谷口と知り合い、友人として交わることなる。やがてタウンゼントは、谷口のことを「The Postman of Nagasaki」というノンフィクション小説に書く。

タウンゼントを信頼していた谷口はその本の復刊を強く望み、そのことをこの映画の監督である川瀬美香が知る。復刊を欲する理由を、谷口は「許せないからだよ」と語ったという。いまだ世界に核兵器が無数に配備され、唯一の被爆国である日本は核拡散防止条約にも核兵器禁止条約にも参加していない。

川瀬が二人の交流を核に映画を制作しようと計画している最中に、谷口が亡くなった。

その後見つかった、タウンゼントが吹き込んだ10本のカセットテープをもとに映画はその娘イザベルを追って進行する。家族と暮らすパリから父親の足跡をたどって長崎を訪れた娘をカメラが追う。道しるべは、それら取材テープに残された父親が残したメッセージだ。

今はなき2人の男性の友情と信頼だけでなく。27年前になくなった父親を娘が再発見する物語にもなっている。

濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が広島の街を丁寧に描いていたように、この映画では長崎が魅力的に描かれている。長崎の街は静かで美しい。ただそこに暮らす人たちは、深い悲しみを底に秘めているようにも見えた。お盆の時期、精霊流しが行われる頃の長崎の風景だからかもしれない。

映画を見終わって、僕も映画のなかに登場するのと同じ赤い自転車に乗って家路を急いだ。