2022年8月18日

敵は昭和か

夕刊に「日本社会 なるか「脱・昭和」」という見出しの記事が掲載されていた。

ベースになっているのは、内閣府が6月に公表した「男女共同参画白書」。そこには「もはや昭和ではない」というフレーズが織り込まれ、昭和からの脱却が叫ばれている。

記事によれば、今の若い人たちが昭和について強い違和感や嫌悪感を感じている風潮がうかがえる。

全国の20歳から59歳の男女に訊ねたところ、昭和的な働き方のイメージとして「休暇が取りづらい」とか「働く時間が長い」「会社の飲み会は必ず参加しなければならない」「残業が評価される」「社内の飲み会が多い」といったものが挙げられた(下図参照)。

 
 
これらすべて、組織の中に蔓延しているネガティブな姿として取り上げられている様子だが、これらをただ昭和的だと言ってるだけでは何の問題の解決にもなりはしない。
 
休暇が取りづらいのであれば、どうすれば休暇を取りやすくできるかをまず自分で考える必要があるはず。そして何よりも、休暇を取りたければ取ればいいだけだ(これはあなたの権利だ)。
 
働く時間が長いと不満があるのであれば、どうすれは働く時間を短くできるか考えて、それを実行するために動くこと(これはあなたの義務だ)。
 
会社の飲み会は必ず参加しなければならない、ということに関しては、それが本当かどうか冷静に考えること。勝手にそう思い込んでいるだけじゃないのか。あるいは、周りとただ同調しているだけではないのか(これはあなたの習性だ)。
 
残業が評価されるとあるが、残業したくないのであれば残業しなければいい。それだけだ(これはあなたの自由だ)。
 
社内の飲み会が多い、ということに対する不満については、参加したくないものには参加しないのが一番だと言っておこう(これはあなたの勝手だ)。
 
人は自分の思い通りにいかない時、何か理由となる敵を探す。だが、それは言い訳できる状況を欲してるに過ぎない。
 
上司が昭和アタマで嫌だと思ってるだけでは何も変わらないよ。自分が嫌なことは、なぜそれが嫌か相手に伝え、嫌な事はやらないようにすること。なんとしてでもだ。相手が変わってくれないからとないものねだりを続けるだけでは、それは昭和のおじさんと何も変わらない。 
 
「脱・昭和」を真に求めるなら、昭和生まれの人に変化をもとめるだけでなく、彼らを他山の石としながら平成の意地を見せる時ではないのかな。