2014年5月1日

深夜のコンビニで思うこと

先週の日曜日(27日)に放送されたばかりのNHK「調査報告 女性たちの貧困 〜”新たな連鎖”の衝撃〜」が、昨晩24:40からもう再放送されていた。それだけ初回放送後の反応が大きかったのだろう。

僕は日曜日の放送分を見たのだけど、番組で紹介されている女性がまだ夜も明けきらぬ早朝からコンビニで働いていたのを覚えている。都会では比較的年配の女性のパートの働き口はスーパーのレジ係で、若い女性の働き口はコンビニがまかなっているように見える。

コンビニで深夜や早朝帯に働いている人たちに出会うと、彼女たちは昼間はどうしているのかと(まったくお節介ながら)気になる。学校に通っているのならともかく(疲れてしんどいだろうが)、夜から早朝までコンビニでずっと働き、そのあと自分の部屋に帰って昼間は寝ているだけという子もたくさんいるのではないかと想像する。

逆説的ながら、コンビニのアルバイトがあるからそうした彼女たちの生活が存在しているとも云える。深夜だからこそ比較的割のいい時給で働け、そのため生活を昼夜逆転させ、学校に行ったり、友達と遊んだりという当たり前の昼間の暮らしを切り捨てて過ごす毎日。そうしたアルバイトでスキルを磨くことができないことは分かっているのだろう。いつまでも続けられないことも分かっているに違いない。でも、やめるわけにいかない状況だ。

トレーシー・チャップマンのアルバム『Tracy Chapman』のなかに「ファスト・カー」という曲がある。当時23歳だった黒人女性歌手の彼女が歌うその歌詞の中には「コンビニエンス・ストア」という言葉が出てくる。


酒浸りの父親を捨てて母親が家を出て行き、残った彼女はいたたまれない思いを抱えたまま父親の面倒を見るために学校をやめた。そしてコンビニのレジでアルバイトを続け家計を支えながらも、八方ふさがりの暮らしから逃げ出したいと思っている。そんな彼女の願望をボーイフレンドが手に入れたクルマに託して歌っている。

トレーシー・チャップマンの歌は、こんな詞で終わっている。
You got a fast car
Is it fast enough so you can fly away?
You gotta make a decision
Leave tonight or live and die this way

この歌が発表されたのは1988年だから、いまから26年前のこと。その後、アメリカはどうなったのだろう。毎日コンビニで働くだけで行き場を失った彼女はどうなったのだろう。アル中の父親や差別が深く残る土地を捨てて彼のクルマで遠くに行ったのだろうか。それとも・・・。そして、いま日本でコンビニでしか働けない若い女性たちは、これからどこへ向かうのだろうか。

2014年4月22日

グローバル人とグローバル人材

公益社団法人青年海外協力協会という、青年海外協力隊の経験者たちが加盟している団体がある。そこから機関誌に掲載するインタビューを申し込まれた。喜んで応じた。

グローバル人材について聞かれ、自分なりに疑問に思っていることや、言葉の定義の曖昧さ、こうした言葉が勝手に一人歩きしている背景などについて話をさせてもらった。

僕なりの問題提起として少し話させてもらったのは、「グローバル人」と「グローバル人材」の違い。当たり前だけど、このふたつは違う。ポイントは、人材として存在しているか、そうではないか。人材であるための必要条件は、専門的な能力があること。それがあって初めて、形容詞のグローバルが付加される。

主従で言えば、人材が主でグローバルは従である。だがなぜか、こうした当たり前のことがよく忘れられている。グローバル=英語ができる、と矮小化され、グローバルであることで人材であると勘違いされている。


2014年4月20日

終わりにさせないということ

学生たちも読んでいるだろうブログでこんなことを書くのも何だが、ぼくは学生時代はあまり授業に出なかった。

今ほどどの授業も出席にうるさくなかったことが第一の理由。授業そのものが面白くなかったのがそれに続く。何を喋っているのかその言語自体が分からない老教授が多かったり、ひたすら文字通り教科書を教壇で読んでいる若手教師などに付き合っている暇はぼくにはなかった。

18歳で東京に出てきて2日後には、近くの本屋でアルバイトを始めていた。それ以外にもバイトを掛け持ちで、1年生ながら「こんなの出てらんねえ」という授業は出る余裕も意欲もなかった。それでいて、成績は結構よかったのは、出席を取らず、期末の試験かレポートで成績評価を付ける教師の授業を選択しては、先輩たちからその傾向を聞いて対策を考えるのが得意だったからだ。

だから、講義をほとんど聞かぬままに「終わって」しまった多くの科目について、ずっと「晴れない」気持ちを抱えながら社会人になった。

22歳で大学を出て企業に就職し、今は大学で教えている。どうやってそうなったのか聞かれることが多いのだが、今にして思えばそうした晴れない気持を引きずっていたから、自分でそれらを学ばなければという思いが強く、会社員をやりながら多少は人より勉強し続けたからかもしれない。

もしぼくが、学生時代に真面目に何々論とか何とか学とかの授業に出ていたとしたら、それらの分野についてその後きちんと学ぼうと考えたかどうか怪しい。勝手に自分で「履修ズミ」と思い込んだに違いないから。

授業をサボることを勧めるつもりはないが、「サボったため勉強していない」ことを後ろめたく思い続けることも大切である。

 

2014年4月19日

佐々木圭一さんをゲストに

今日の「ビジネスの森」は、コピーライターの佐々木さんをゲストにお招きして、伝え方の技術について教えていただいた。「もともと理系で、話したりすることが得意ではなかった」からこそ、伝える仕事に就いてから、優れたコピーがなぜ優れているのかを分析的に整理して自分なりの法則を見つけていったのだとか。

FM79.5 Nack5のスタジオで

2014年4月9日

XPのサポート終了

手元のウィンドウズXP機のサポートが今日でおしまいになるらしい。ウイルス感染の危険性が飛躍的に高まるとかで、ネットとの接続はやめた方がよさそうだ。あとはワープロ機代わりに使う道があるが、特にその必要性はない。これもまた押し入れ行きになるのだろう。

日本国内にはまだ600万台ほどのXP搭載機があるらしい。これらの多くが廃棄処理されるのだろう。それほどの利用者がいながら、自分たちの都合で利用者を切り捨てる企業には呆れる。

ウイルス対策ソフトの会社以外でも、誰かこのビジネスチャンスを上手く活かせばよいのに。

2014年4月5日

マイクの前で話すということ

ラジオ番組のパーソナリティをやることになり、ラジオ局のスタジオ(収録ブース)に初めて入る経験をした。

仕事がら話をすることには慣れていると思っていた。何年も大学で講義を行っているし、年に何度かは海外の学会に出かけて発表もしている。それ以外にも、講演会やらセミナーで話をすることもある。

ところが、スタジオに入り何本ものマイクを前にし、ガラス窓で隔たれた副調整室からの指示をイヤホンで聞きながら話をするというのは、これまでと要領がまったく違う。

極度な緊張感で喉が渇く。おそらくアドレナリンが出て、瞳孔が開き、脈拍が速くなっていたに違いない。思い出すと反省点も多い経験だったが、一方であの緊張感は悪くはないとも思った。


新番組、始まる!

僕がパーソナリティーをつとめるラジオ番組がスタートした。

番組名は「木村達也 ビジネスの森」。ステーションはFM79.5 Nack5で、毎週土曜日朝8時15分から。毎週、話題のビジネス書の著者や各界で活躍している人をお招きする予定だ。

今週と来週のゲストは、無印良品を経営する(株)良品計画会長の松井忠三さん。今回は松井さんが書いた『無印良品は、仕組みが9割』をもとに、彼の社内改革の中心として使われたマニュアル(無印良品ではMUJIGRAMと呼ぶ)を拝見しながら、その役割と効果について話をうかがった。

今回、松井さんと初めてお話をしたのだけど、その静かな語り口の中に揺るぎない意志の強さを感じさせる方だった。


上の写真で、手前が松井さん。撮影事故(!)があって、今回のスタジオ内の写真はこの1枚だけ(汗)。僕の右隣はアシスタントの小林さん。

2014年4月3日

目黒川の桜

通勤の途中。電車が中目黒駅に停車した際の揺れで本から目を上げると、そこは一面の桜。思わず声が出そうになった。


2014年4月1日

音の取り揃えも大切

外国に行った際は、できるだけ現地の商店を見て回ることにしている。昔ながらのオープンマーケットなどは、どこの国でも興味をひく。グルリと見て回っていると、その地域の人たちの胃袋の中身が見えてくる気がする。百貨店やブティック、電機屋も覗くし、パン屋にも立ち寄る。スーパーマーケットや書店をぶらつくのも好きだ。

しかし、自分が日本人だからかもしれないが、外国から日本に戻ってスーパーマーケットに行くと、その品揃えのよさに驚く。日本のスーパーのレジのあり方は気に入らないが、商品のバラエティや並べ方はおおむねどこでもよく考えられていると思う。

ただし、そこに流れている音楽(BGM)は何とかならないだろうか。日本を代表するある大手スーパーマーケットでは、同じ音楽が繰り返し繰り返し店内のすべてのスピーカーから流れている。何か意味がある選曲とは思えない。はっきり言って、どうでもいい安っぽい曲である。

こうした音楽がいったん気になり出したら、とにかく早くそこを出たくなる。見たくないものは目をそらせばよいが、聞きたくないBGMだからといって耳を塞ぐわけにはいかない。

気の毒なのは、その店内で働く人たちだ。店長やマネジャーたちはどう思っているんだろう。商品の品揃えに気を遣うように、店内に流す音楽にももう少し気を遣った方がいい。あるいは、音楽など流さないのが一法だと思うのだが。

2014年3月31日

8%へ

明日から、消費税が8パーセントに変わる。

今日は、どこの駅の窓口も定期券の延長をもとめてなが〜い列ができていた。ガソリンスタンドも入りきらないクルマが道路に連なっていた。

夕方、髪を切りに行ったら、この一週間は暮れの時期より混んでいたと言っていた。みんな誰もが「上手な買い物」をしなければとかけずり回っているかのよう。

スーパーマーケットとドラッグストアを、取り立てて用はないのでだがいくつか回った。気のせいかどうか分からないが、店内はいつもより混んでいるし、買い物客のかごの中身もたくさんあふれていた。3月末日の日本の風景。


2014年3月30日

さくら、さくら

昨日今日と風が強い。桜はほぼ満開。気持の中まで桜色に染まっていきそうだ。


2014年3月29日

ゼミOB会

今日は朝からずっと自宅で机に向かったまま。これではダメだと、近くのプールへ。30分ほど思い切り泳ぐ。体がポカポカして気持ちいい。

夕方からは、大学正門前の大隈記念タワーに入っているレストランでゼミOB会が開催された。

15階の高さからの夜景を眺めながら、懐かしい話に花を咲かす。最後に全員で記念写真を撮って解散。翌日にはフェイスブックのグループが起ち上がっていた。これまでは連絡ごとはメーリングリスト経由だったけど、コミュニケーションの仕方が変わった。

実はフェイスブックはほとんど開かないのだけど、これからはもう少しは見るようになるだろうか。

2014年3月26日

大学院の修了式

昨日は、大学院の修了式が行われた。春のぽかぽか陽気に恵まれた卒業式(修了式)日和だった。僕のゼミからは、夜間主プログラムの6名が無事学位記を手にした。仕事をやりつつ、大学院に夜に通いながらMBAを取得したメンバーだ。オメデトウ!!



2014年3月22日

彼岸の故郷で

春分の日、お彼岸の墓参りのため帰郷。フェリーで渡った瀬戸内の島で、着いた港でまず目に入ったのが日産のマークの入った電気自動車。


日産とルノーで共同開発されたこの電気自動車は、2人に乗り。運転席を前にスライドさせて後部シートのスペースを取るが、狭くて大変そうだ。フル充電で80キロほど走行可能だという。ガルウィングがユニーク。横に開かないから、省スペースではある。もとになったルノーの車は、開放感を求めて両側のドアがないそうだ。日本では安全基準を満たすためにドアらしきものをつけた。瀬戸内国際芸術祭の開催にあわせて昨年の7月からレンタカーとして島に8台配置されている。利用料金は、一日8千円也。メーカーの主目的は、坂道が多いこの島と実際のお客さんによる実証実験である。

翌日、今度は島からの帰途、着いた小さな港町で迎えてくれたのは、闇夜に浮かび上がるアラーキー(荒木経惟)の巨大な写真パネルのディスプレイだった。



2014年3月15日

「それでも夜は明ける」

TOHOシネマで「それでも夜は明ける」を観る。今年のアカデミー賞最優秀作品賞受賞作。

19世紀半ばのアメリカ、フリーマン(自由黒人)である主人公(ソロモン・ノーサップ)が誘拐され、身分を証明するものを奪われ南部へ奴隷商人に売られる。その後、彼は12年間の苛烈な奴隷生活を経て、ほとんど奇跡的に身分の復活を遂げて家族のもとに戻る・・・。ノーサップ本人が書いた実話、"Twelve Years a Slave"が原作である。

映画の現代は、原作と同じく"Twelve Years a Slave"だが、日本では「それでも夜は明ける」とタイトルが付けられている。映画を見終わって誰もが感じるのは、夜明けにはほど遠い当時のアメリカ奴隷の悲惨極まりない状況だ。

映画の中、南部の綿農場で重労働にかされる黒人たちが歌うワークソング(労働歌)、正面切って支配層の白人にものが言えない彼らが思いをほとばしらせるスピリチュアル(黒人霊歌)が重く胸に迫る。挿入されている曲目数は多くはないが、どの曲も主人公や他の黒人たちの置かれている姿をシンボリックに描き出す歌詞や曲となっている。



2014年3月12日

航空会社の「テッセイ」

地中海のマルタへ学会出張したことは先日のブログでも書いた。

マルタへは日本からの直行便はなく、行きがソウルとフランクフルト経由、帰国便はロンドンとソウル経由で飛んだ。20時間以上の旅程を乗り継ぎをしながら、行きも帰りも機内食で食事を4回続けて済ますのは、文字通り食傷気味で疲れた。

いつも飛行機に乗り降りする度に思うことがある。「機内の清掃ってたいへんだろうなあ」という素朴な感想だ。

新幹線のホームに整然と一列に並び、丁寧なお辞儀をして出迎えてくれる姿で有名になった「テッセイ」(株式会社JR東日本 テクノハート TESSEI)という鉄道整備会社がある。その会社で働く社内清掃スタッフたちは、実質的に7分程度の停車時間にで車両内やトイレの清掃を行うという。

飛行機内の清掃は、新幹線内よりはるかに大変だ。まず機内が複雑。シートの下には救命ベストなどがあり、スペースは狭い。通路も狭いし(とりわけメインキャビンは)、なかなか目や手が届かない場所が多い。機内誌やオーディオ・ビジュアルガイドなどシートポケットに取り揃えなければならないものも多い。それに各シートには毛布と枕が不可欠。

あと何といっても、長距離のフライトを終えた後の機内に散乱する多くのゴミや食事カス。それらを清掃し、現状復帰しろといわれたら、僕だったら目が回る思いだ。それを、すべての航空会社が各フライトごとに当たり前のように行っている。どんな人たちが、何人くらいで、どうやってこんな大変な仕事をやっているのだろう。興味がある。

「テッセイ」と航空機内の清掃スタッフの違いは、外から見えるかどうか。見えないところにもすごい連中がいて、大変な仕事を当たり前にやっている。

2014年3月9日

グーグルに就職したければ

半月ほど前のニューヨーク・タイムズ日曜版にトーマス・フリードマン(『フラット化する世界』の著者)のコラムが載っていた。タイトルは、"How to get a job at Google"。

記事のなかで、グーグル社の採用部門の最高責任者は、大学の成績は無意味であると断言する。そして、よい成績は徒になると云うことはないが、最も重要視しているのは一般的な認知能力であると述べている。グーグルの採用ではIQではなく、学習能力だったり機転が利くかどうかが問われている。

2番目の点として指摘されているのが、リーダーシップである。ただし、ここで指摘されているリーダーシップのあり方には注意が必要だ。われわれが普段「彼(女)にはリーダーシップがある」といった言い方をする時、その人の持つ周りを引っ張っていく力強さに焦点が当たっているはずだ。しかし、グーグルが求めるリーダーシップは、問題が発生した時に必要に応じて介入(step-in)して先導するが、しかるのちには身を引き(step-back)、リードすることを止めることを指している。グーグルにとっての優れたリーダーシップとは、権力(power)を進んで放棄できることなのが新鮮だ。

また、謙虚であることの大切さが重ねて強調されている。専門知識を持っているかどうかは期待されておらず、対人関係面でのソフトスキルがより求められているところがこの企業らしい。

人が自由に働き、協力し合いながら世間が驚くようなものをつくり出す職場では、グーグルに限らずこうした人材が求められていることを学生たちには知っておいてもらいたいと思う。

How to get a job at google
MOUNTAIN VIEW, Calif. — LAST June, in an interview with Adam Bryant of The Times, Laszlo Bock, the senior vice president of people operations for Google — i.e., the guy in charge of hiring for one of the world’s most successful companies — noted that Google had determined that “G.P.A.’s are worthless as a criteria for hiring, and test scores are worthless. ... We found that they don’t predict anything.” He also noted that the “proportion of people without any college education at Google has increased over time” — now as high as 14 percent on some teams. At a time when many people are asking, “How’s my kid gonna get a job?” I thought it would be useful to visit Google and hear how Bock would answer.

Don’t get him wrong, Bock begins, “Good grades certainly don’t hurt.” Many jobs at Google require math, computing and coding skills, so if your good grades truly reflect skills in those areas that you can apply, it would be an advantage. But Google has its eyes on much more.

“There are five hiring attributes we have across the company,” explained Bock. “If it’s a technical role, we assess your coding ability, and half the roles in the company are technical roles. For every job, though, the No. 1 thing we look for is general cognitive ability, and it’s not I.Q. It’s learning ability. It’s the ability to process on the fly. It’s the ability to pull together disparate bits of information. We assess that using structured behavioral interviews that we validate to make sure they’re predictive.”

The second, he added, “is leadership — in particular emergent leadership as opposed to traditional leadership. Traditional leadership is, were you president of the chess club? Were you vice president of sales? How quickly did you get there? We don’t care. What we care about is, when faced with a problem and you’re a member of a team, do you, at the appropriate time, step in and lead. And just as critically, do you step back and stop leading, do you let someone else? Because what’s critical to be an effective leader in this environment is you have to be willing to relinquish power.”

What else? Humility and ownership. “It’s feeling the sense of responsibility, the sense of ownership, to step in,” he said, to try to solve any problem — and the humility to step back and embrace the better ideas of others. “Your end goal,” explained Bock, “is what can we do together to problem-solve. I’ve contributed my piece, and then I step back.”

And it is not just humility in creating space for others to contribute, says Bock, it’s “intellectual humility. Without humility, you are unable to learn.” It is why research shows that many graduates from hotshot business schools plateau. “Successful bright people rarely experience failure, and so they don’t learn how to learn from that failure,” said Bock.

“They, instead, commit the fundamental attribution error, which is if something good happens, it’s because I’m a genius. If something bad happens, it’s because someone’s an idiot or I didn’t get the resources or the market moved. ... What we’ve seen is that the people who are the most successful here, who we want to hire, will have a fierce position. They’ll argue like hell. They’ll be zealots about their point of view. But then you say, ‘here’s a new fact,’ and they’ll go, ‘Oh, well, that changes things; you’re right.’ ” You need a big ego and small ego in the same person at the same time. 
 The least important attribute they look for is “expertise.” Said Bock: “If you take somebody who has high cognitive ability, is innately curious, willing to learn and has emergent leadership skills, and you hire them as an H.R. person or finance person, and they have no content knowledge, and you compare them with someone who’s been doing just one thing and is a world expert, the expert will go: ‘I’ve seen this 100 times before; here’s what you do.’ ” Most of the time the nonexpert will come up with the same answer, added Bock, “because most of the time it’s not that hard.” Sure, once in a while they will mess it up, he said, but once in a while they’ll also come up with an answer that is totally new. And there is huge value in that.
To sum up Bock’s approach to hiring: Talent can come in so many different forms and be built in so many nontraditional ways today, hiring officers have to be alive to every one — besides brand-name colleges. Because “when you look at people who don’t go to school and make their way in the world, those are exceptional human beings. And we should do everything we can to find those people.” Too many colleges, he added, “don’t deliver on what they promise. You generate a ton of debt, you don’t learn the most useful things for your life. It’s [just] an extended adolescence.”

Google attracts so much talent it can afford to look beyond traditional metrics, like G.P.A. For most young people, though, going to college and doing well is still the best way to master the tools needed for many careers. But Bock is saying something important to them, too: Beware. Your degree is not a proxy for your ability to do any job. The world only cares about — and pays off on — what you can do with what you know (and it doesn’t care how you learned it). And in an age when innovation is increasingly a group endeavor, it also cares about a lot of soft skills — leadership, humility, collaboration, adaptability and loving to learn and re-learn. This will be true no matter where you go to work.

2014年3月8日

マルタ島の漁村

学会参加のため地中海に浮かぶ小さな島、マルタ共和国に行ってきた。イタリアとアフリカ大陸に挟まれ、「地中海のヘソ」と呼ばれている。

マルタ島というと、ハーブ・アルパートの曲「マルタ島の砂」とダシール・ハメットの探偵小説「マルタの鷹」でその名前を聞いたことがあるくらいだった。日本からは直行便はなく、ヨーロッパ経由で入国する。人口は約42万人ほどの小国だが、ヨーロッパと北アフリカの36都市へ運行するマルタ航空というなかなか立派な航空会社を持っている。

先史時代に築かれた遺跡や多くの建造物、地中海らしいのどかな自然が残る豊かな島だ。夏はビーチなどが多くの観光客で賑わうのだろう。

写真は、学会終了後に訪ねたマルタ島東岸の村、マルサシュロック(Marsaxlokk)の風景。新鮮なシーフードを食わせてくれるのどかな漁村である。




2014年2月19日

騙す方も、騙される方も

「現代のベートーベン」と米誌TIMEで紹介された佐村河内守氏が作曲したほとんどの曲が、本人の手によるものではなく、ゴーストライターによるものだったという。

彼が一般の日本人も知る有名人になったきっかけとなったNHKの番組「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」は僕もテレビで見ている。その時のロン毛にサングラス、角張ったアゴの形が印象的で、彼が薬の副作用に苦しみ自宅の廊下を四つん這いで進む姿は強いインパクトを与えた。

その数日後、銀座の山野楽器を訪ねた時、店頭には彼の写真の巨大なパネルが掲げられていた。代表作とされた「交響曲第1番<HIROSHIMA>」のCDは18万枚の売上を記録した。

そうした話題性が大きかっただけに、ウソが暴かれた彼は格好の新聞ネタ、週刊誌ネタとなり叩かれている。そして、CDを買った人のなかには「だまされた」と怒りを露わにする人もいるらしい。確かに作曲者としてクレジットされた人物がニセ者で、本当の作者が別にいたということではだまされたわけだが、その曲の本当の作曲者が別人だからといってその曲の価値が変わるわけではない。

だまされたことに怒っている人は、何に怒っているのだろう。自分が裏切られたことだろうか。その気持は分からないではないが、自分が手にしたCDに収められた曲が良ければ、それでよしとすればいいとも思う(ウソをついてた彼の行為を認めているのではない)。芸術は、そもそも属人的な観点で評価されるべきものではないはず。音楽であれば、それを聴く者が自分の耳で聞いて好きだと思えば、それでいいのである。その曲を書いたのが「誰」かというのは、その次だ。曲が本質、作曲者は周辺情報のはずだ。

今回の事件でだまされたと大騒ぎする人たちは、自分の耳を持っていない人たちと云えないか。メディアによって広まった佐村河内のイメージに乗せられ、作られたストーリーに易々と身を委ね、心を動かされていた。騙す方も騙される方も、どっちもどっちだ。

そもそも年に一度もコンサートに足を運ぶこともないような人が、したり顔に彼を指弾しているのが片腹痛い感じだ。「誰が」が重視され、どういった「ストーリー」が作り込まれているかで評判と評価が決まる。これでは本物は生まれない。

2014年2月16日

いつまでも金ですべてが買えるわけではない

『里山資本主義』は、NHK広島支局が製作した番組をベースに、藻谷浩介氏と局の制作担当者たちによってまとめられている。「里山資本主義」というのは、NHKの命名で、マネー資本主義の対抗概念らしい。


かつての自然回帰ブームや懐古主義ではなく、前向きで発展性のある日々の営みを、これまで見落としがちだった地方(つまりは都会以外)のなかから再発見していこうと言うわけだ。

彼らが云う里山資本主義の例として紹介されているものは、どれも読めば「なるほど」と思うものばかりである。そこには秘密も、目の覚めるような先進的テクノロジーの利用と云ったものもない。あるのは、人と人のつながりのなかから社会や毎日の生活を大切にしていこうとするまなざしの確かさである。

誰もが実際に里山で暮らせるわけではないが、都市生活のように容易に金ですべてを充足させるのではない、別のアプローチがあることを身近な例から思い起こさせてくれる。そして、地方の時代などとずいぶん昔からいわれながら、おおかたは人口が減り、疲弊が続く地方の市町村をコミュニティ・デザインの発想で活性化できそうな気にさせてくれる。

読み終わったあと、先月末にリリースされたブルース・スプリングスティーンのアルバム「High Hopes」のなかのタイトル曲「High Hopes」のサビの一節を思い出した。
分からないかい、近頃は
金を払わなければ何も与えられない
でも俺はまだ持ってる
大きな希望、まだ持ってる、大きな希望

2014年2月6日

身内とよそ者の論理

宋文洲は、その著書『英語だけできる残念な人々』のなかで「内の人間」と「外から来た人間」があからさまに区別されている日本企業の特徴を分かりやすく紹介している。それを示すの1つの典型例が「正社員」という日本人にとってはあたりまえの言葉に代表されるものである。

正社員って何だろうか。正社員である正規社員に対するのは、契約社員や派遣社員。しかし、宋が指摘しているように、正社員も同様に企業と社員が労働契約によって結ばれているわけで、正社員とは別の契約社員というのはヘンである。ここで考えなければならないのは「正」に込められている意味だ。

また正社員も多くの日本企業ではそれが新卒入社か中途入社かによって、組織での扱われ方が異なってくる。つまり、正社員で新卒入社した「身内」である社員とそれ以外の経緯で社員になった「よそ者」という意識が支配していると云うことである。そして、たいがいよそ者はプロパーと呼ばれる身内から低く見られてしまう。

さらに日本企業で厄介なのは、複数企業同士が合併や吸収などで一つになった時は、2つの(場合によっては3つ以上の)正社員間でそれぞれの「身内」と「よそ者」をめぐる衝突や牽制、駆け引きがあきることなくなされること。合併で一つになった大企業内で、10年も経つのに社員たちが「おれたちはD、あいつらはSだ」などと今はない出身母体の名前に拘っていることをよく聞かされる。

会社だけではない。日本は、今も昔と変わらず身内だけにやさしいムラ社会である。

 

2014年1月31日

議論する中国人学生、正解を探す日本人学生

昨日で今学期の授業が終わった。補講をしなければならなかったので、通常より一週伸びての終了である。

この学期、大学院のある授業でとても積極的な中国人学生たちがいた。ケースメソッドを用いた授業だったので、なるべく学生たちに発言してもらうように毎回促しながら進行したのだけど、人数でクラスの1割ほどの中国人学生の発言が全体の半分以上を占めていたように思う。発言の中には、自分のはっきりした考えがまとまっていないものも時折あったが、多くは正しいかどうかは別としてそれぞれはっきりした主張をなしていた。

クラスの中で、100パーセント完璧とはいえない日本語で自分の考えを積極的に述べていく中国人学生に対して、日本人学生の「おとなしさ」が気にかかったのは言うもでもない。彼らとて何も考えていないわけではなさそうだ。その証拠に、レポートを書かせるとそれなりにしっかりした考察を述べている。しかし、教室の中で手を挙げてそれを披露し、主張するものは多くはない。

自信がないのか、面倒くさいのか、そうした習慣がないだけなのか・・・。理由を尋ねる機会がなく終わってしまったのでよく分からないが、社会に出てからの個人としての勝負強さで、日本人学生は優秀な中国人学生に圧倒的に負けてしまう気がする。

正しいか間違っているかなど気にせず(そもそもそうした正解など多くの場合存在しないと思った方がよい)、他人と異なる自分ならではの考えを言葉にしていかなければ、「外」では理解されなし、仕事にもならないはずなんだけど。

授業の教室では発言しなくても、実社会にでたらガンガン主張ができるから自分は大丈夫、と思っているのだろうか。だとしたら、大間違いである。

2014年1月3日

信用するが、信頼できない

今日、帰省するはずだった。朝10時すぎの新幹線に乗り込むため、新横浜駅へ。

今朝は新聞は見たが、テレビやラジオのニュースは目に(耳に)することなく家を出て、駅で慌ててしまった。どうも様子がおかしい。新幹線がまったく走っていないのだ。7時9分発予定の新幹線が3時間経ってまだ駅のホームに到着していない。


原因は有楽町駅周辺での火災だという。線路が火災をおこしている訳ではないらしいが、消火活動のために鉄道の運行をすべて止めてしまったためだ。 運行再開の見込みはまったくたっていないとのことで、しかたなく予約をキャンセルして帰省を見合わすことになってしまった。

今朝の新聞一面に、東海道新幹線の運行システム「COMTRACK」のことが載っている。
平時の運行はコンピューターが制御し、緊急時でも10秒ほどで2〜3時間先の適切なダイヤを計算する。これを基に司令員がダイヤの乱れを収束させ、東京ー新大阪約550キロを一日330本以上が走る新幹線の遅れは平均30秒だ。
なるほど、採用されてる技術はすばらしい。ところで、新幹線の運行中止の原因は東京と品川間にある有楽町でのビル火災だ。関東一円が大地震などの災害に見舞われたわけではない。なぜ品川以西で新幹線を運行できなかったのか。

帰宅後、テレビのニュースに写っていたJRのある関係者によれば、「東京駅に列車が入らなければ車内清掃ができないから」というのが理由だとか。折り返しの列車の清掃ができないから運行できない(しない)というのは、Uターン客だけで何十万人もいるという状況下でとてもおかしな判断だ。

たとえ足下に多少ゴミが散らかっていても、そんなことは状況を車内アナウンスすれば客たちは理解してくれる。前の席のシートポケットに新聞やペットボトルが残っていようが、それよりとにかく列車を走らせてもらいたいのというのが利用客が求めることだ。

航空機であれば給油が必要となるが、鉄道は車両が線路にのっかっていれば走れるはずだ。JR自慢の運行管理システムCOMTRACKで、なぜ運行スケジュールを品川終点で組み直さなかったのか。これは技術の問題ではなく、運行サービス業を担っている企業の責任者の判断の問題である。

JRの技術は世界に誇るすばらしいもの。十分に信用できる。しかし、サービス企業としてのJRは信頼できない。

2013年12月31日

マーケティングは世界を救うか

日経新聞「私の履歴書」欄のコトラーの連載が終わった。彼はもともと数学や経済学、意思決定論を専攻した後にマーケティングの分野の研究者に移ったことは知っていたが、そのきっかけなどを興味深く読んだ。

ただ、いくら彼がマーケティング概念の拡張論者であるにしても、回を重ねるにつれて語られるマーケティングについての拡大解釈がエスカレートしてきたのは「?」である。

マーケティングを、世の中を豊かにし、環境問題など各種の社会的課題を解決してくれる「魔法の杖」のように語るのは違和感がある。「マーケティングが、世界の平和と繁栄を実現する役割を担う余地は十分ある」と言われても、具体的なアプローチが示されなければ残念ながら納得できるものではない。

コトラーは、まるで「マーケティング教」の教祖のようになってしまったかのようである。

2013年12月21日

窓からの富士

大学の年内の授業は、昨日が最終日だった。夜間のゼミのあとは研究室で学生と1時間ほど話し、その後机の周りを片付け、駅へ向かう道すがらでふと立ち寄ったラーメン屋で夕食を済ませて自宅に着いたらもう夜中の12時近かった。

空気が乾燥してくるこの季節。朝、研究室に行き、西側のブラインドを上げるとまず「今日も富士山元気かな」と遠くに目をやるのがいつの間にか習慣になった。

高層ビルに少し姿を隠しながらも、晴れた日は遠くに富士山を眺めることができるからだ。日中その姿をきれいに望める日は少ないだけに、そうした時はそれだけで得した気になる。陽が西に沈む夕方は、そのシルエットを眺めてぼうっと手を休めることもしばしばである。



2013年12月5日

マンデラ氏が亡くなった

ネルソン・マンデラ氏が亡くなった。現代の世界でもっとも影響力のある人のなかの一人である。95歳だったというから、それはそれで仕方がないことだけど。不屈を誰よりも体現した人。

2013年12月2日

虹 ー No rain, no rainbow

学生時代の友人Aの墓参りのため、新潟へ向かった。今年が3回忌である。

今日の関東平野は秋晴れのよい天気だった。関越自動車道をひたすら北へ。谷川岳を貫く関越トンネルを抜けると、山なみには雪がかぶさっていた。道路脇にも雪が積もっている。

空の色は、トンネルを抜ける前とまったく変わった。雨が断続的に降りかかるが、峠をいくつか越えると雨は止み、やがてすばらしい虹が道路の向こうに現れた。路肩にクルマを停め、しばし虹の帯に見とれた。


2013年12月1日

使用許諾契約

パソコンのアプリケーションのアップデートは日常的な行動になっている。なかには毎週といってよいくらいアップデートがかかるものがある。


こうしたアップデートは日常的なので、アップデートに際して画面に現れる使用許諾契約に目を通す人はほとんどいないはずだ。長文の面白くもない文章を読む時間も労力ももったいないからだ。

考えるまでもなく、これはその名の通り、契約書である。よくよく考えると目を通さず「同意する」と承諾してよいのかとふと疑問も浮かぶ。規約のなかにクッキーで収集した個人情報の自由な利用を認めるといった、利用者の権利を一方的に侵害する条項があってもわれわれには分からない。かといって、自分でいちいち目を通すのは現実的ではないし。

だれか、その「使用許可契約」の内容を自動チェックし、こちらに不利益を及ぼす内容があったさいに知らせてくれるサービスを提供してくれるとありがたいんだけどね。

2013年11月24日

ハンナ・アーレント

大学の帰り、神保町に「ハンナ・アーレント」を観に行く。岩波ホールは久しぶりである。

劇場が、というよりその上映ラインアップのせいだろうが、観客の雰囲気が他の一般館とはかなり異なる。見たところ今日は、中年以上の女性同士のペアが圧倒的に多かった。次に比較的若い女性同士。若い男女のカップルは数えるほどだ。

髪がかなり白くなった男性の1人客も目立つ。彼らの多くは映画の上映が始まるまで、席で静かに本を読んでいる。文庫本ではなくハードカバーが多かったのは、彼らの年齢(老眼)のせいか。

映画の途中、隣の客の携帯電話が突如けたたましく鳴り始めた。慌ててバッグの中をまさぐっているその女性を見たら、むかし「海を感じる時」でデビューした作家Nだった。彼女が教えている大学も近くだったな、と頭をかすめた。

ハンナ・アーレントは、『全体主義の起源』で知られる20世紀有数といわれる女性哲学者。ユダヤ人である。彼女は、アドルフ・アイヒマンの裁判傍聴記(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)を米国のニューヨーカー誌に連載して同胞のユダヤ人たちの間で物議をかもす。

ナチスの親衛隊にいたアイヒマンは、ホロコーストの中心的人物であり、大戦後にアルゼンチンで潜伏生活を送っていたところをイスラエルの諜報機関モサドによって見つかりエルサレムに連行された。1961年に裁判にかけられ、1962年に死刑になっている。

彼女はニューヨーカーの連載のなかで、裁判傍聴の様子を中心に、欧州各地でどのようにユダヤ人が国籍を剥奪され、収容所に送られ殺害されたかを詳述している。彼女はこの本の中でイスラエルは裁判権を持っているのか、アルゼンチンの国家主権を無視してアイヒマンを連行したのは正しかったのか、裁判そのものに正当性はあったのかなどの疑問を投げ掛けた。

さらに、アイヒマンを極悪人として描くのではなく、ごく普通の小心者で「取るに足らないただの役人に過ぎなかった」と描いた。

記事のなかで彼女は、アイヒマンは命令にただ従っただけだったと主張した。彼の犯した罪は、官僚支配の行き渡った世界での非人間性のもとで行われたものであり、その無思考性と悪の凡庸性こそが問題だとした。

辞職を強硬に迫る大学の同僚やナチを擁護したと強烈な非難を投げかけるイスラエルのシオニストなど、ユダヤ人のナチスに対するルサンチマンのすさまじさを感じつつも、「考える人」アーレントとそれを支える家族や編集者の存在の大きさと力強さに勇気づけられる映画だった。


2013年11月22日

ヒースロー空港へ

学会は20日で終了。21日夕方のフライトで日本へ戻る。

ホテルで朝食をさっと済ませた後、朝10時の開館と同時にカーディフ美術館を訪ねる。それほど大きくはないが、近代や現代の有名な画家の作品に加えて、地元ウェールズを代表する作家の作品が多く展示されていた。

カーディフ美術館

 昼過ぎ、昼食用のタルトを2つとナッツ1袋を買って、ヒースロー空港行きのバス、ナショナル・エクスプレスに乗り込む。そして一週間前に来た道を、そのまま今度は東へ走る。

ところが途中、高速道路でバスの運転席側のサイドミラーが突然壊れ、走っていたバスは路肩に停車。見ると風圧でミラーが破損して、ぶらぶらとぶら下がっている。これが路上に落下すると、間違いなく後続車が事故になる。

運転手がバス会社に連絡し、救援を待つ。僕はバスの前から3列目あたりに座っていたのだけど、その間運転席までやって来て、サイドミラーがなくたって車は走れるのだから空港へ向けて走るべきだとか、このままだとフライトに遅れるかもしれないからタクシーを呼べとか、強烈な要求をしてくる乗客がいるのに驚く。たいていは、アメリカ人か中国人である。

40分ほど待って、乗り換え用のバスがやって来た。以前、ハワイでも途中でバスが故障して、道中で30分ほど待って救援のバスに乗り換えたことがあったのを思い出す。

まあ外国ではこんなもんだろうと、十分ゆとりをもって出たので慌てることはなかった。むしろ、こんなちょっとしたハプニングのおかげで、バスを乗り換えた際に隣に座っていたロシア人女性ととても親しく話ができた。地質学者である彼女はその仕事柄か、旧ソビエト連邦内をずいぶん旅していて、興味深い話をたくさん聞かせてくれた。別れ際にメールアドレスを交換した。

2013年11月20日

Morgan Arcade in Cardiff

カーディフは小さな街。中心地の主な場所はほとんど歩いて回れる距離にある。繁華街の中に、古い趣を残すモーガン・アーケードがある。落ち着いた雰囲気のアーケードのなかに靴屋や本屋、カフェ、レコード店、カメラ屋など、いずれも小さな店構えである。




本屋のショウウインドーには、研究社版の『ビジネス英和辞典』が展示されていた。古書も扱ってるので、カーディフ大学で勉強していた日本人学生が売っていったものかもしれない。

またこのアーケードには、スピラーズという1894年に開店した世界最古のレコード店がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Spillers_Records



2013年11月17日

Croeso i Gymru!

ロンドン・ヒースロー空港からバスでカーディフへ。車はM4(国道4号線)を西に向かって走り、セバン川を渡ったところでイングランドからウェールズになる。するとまもなく Croesso i Gymru! と書いた看板が目に入る。Croesso i Gymru! は、Welcome to Wales!(ウェールズにようこそ!)の意味。

ここでは、道路標識や公共の掲示はウェールズ語と英語の併記が法律で決められている。ウェールズ語では英語のtaxisをtacsisと表記するように、比較的新しい言葉は英語に似ているが、そうではない言葉は表記も発音もまったく別ものである。

 
駅の出口に掲げられている表示


ウェールズに入った日、学生時代の友人が息子を連れてバス・ステーションへ迎えに来てくれた。The Mill House というのが彼の家の住所で、その名の通りかつては地域の製粉工場として使われていた建物に一家で住んでいる。

子どもたちは学校でウェールズ語を必修の第二言語として学んでいるのだが、それをあまり好んではいないようだった。ウェールズ語を習得する必要性があるわけではなく、政治的な背景をもとに無理矢理学ばされているからだ。

ウェールズは16世紀の半ばにイングランドに併合され、その後ウェールズ語は劣った言語とみなされて教会以外での使用を禁止されてきた歴史がある。その結果、ウェールズ語を話すことができる人の数は減り続けてきた歴史がある。それへの歯止めをかけるためにウェールズ政府が学校での必修化を決めたのである。

言葉は、人が生きてきた歴史と文化そのものだ。力によってそれを奪われようとしたことへの抵抗の気持ちがあるのは当然のこと。しかし、英語が当たり前となった状況で、ウェールズ語を子どもたちが嫌がるものまた自然なこと。

いったん自分たちの「スタンダード」を奪われると、苦労するのである。

2013年11月13日

規制という幽霊

今週末から英国の学会に行く予定である。場所は、南ウェールズのカーディフ。そこから40キロほどのところに、古い友人の家がある。一度彼の家を訪ねたいと思っていた。そこで、近くの駅に着く電車の時間やら連絡するためにスカイプで電話をした。スカイプでの通話は課金はされるが、ほとんどタダみたいな料金なので助かる。

ただし、スカイプ電話の発信番号通知サービスが使えない。相手にこちらが誰だか知らせるためには必要だ。スカイプは日本語サイトにそのサービスの案内は載せているのだが、実際は利用できない状態になっている。(http://www.skype.com/ja/features/?intcmp=SN-Header#calling)

調べてみると、世界で日本とメキシコだけがそのサービスを利用できないようだ。なぜかと疑問に思い調べたところ、ユーザーフォーラムでスカイプのスタッフらしい人が以下のような書き込みをしているのを見つけた。
すでに対応しなくなって6年ぐらい経ちます・・・・・対応のできなくなったのは、日本の規制のせいですので難しいですね。

コストを度外視すれば可能なのですが、普通の電話からかけた方が安くなるという使えないサービス内容を回避するために、未対応はしばらく続くと思います。
詳細は分からないが、ここでの「日本の規制」って総務省の規制だろうか。国民の利便性を犠牲にして日本の通信会社を守るためのもの・・・?


2013年11月7日

サービス・リカバリー

午前中、大宮で打合せ。その帰り、友人とレストラン(百貨店)の食材偽装の話で盛り上がる。偽装をどうとらえるか、午後のクラスの学生たちがどう考えるか、反応を楽しみにしていると彼に話す。

午後からの「サービスマーケティング研究」のクラスで今日扱ったテーマは、サービス・リカバリー。サービス・リカバリーとは、顧客からの不満や不満足に対して企業がいかに対応するかということ。

学生たちに、いまメディアの報道で話題になっているメニューの食材表示偽装をどう思うか、そして自分が経営者だったらどうリカバリーを行うかと訊ねたところ、ある留学生は「フレッシュジュースと表示されてたものが冷凍のジュースであったとしても、別に構わないと思う」との意見。 実はこれは予想していた通りの反応。議論を深めるいいきっかけだったのだけど、残念ながら時間切れになってしまった。来週、フォローアップしたい。

2013年11月5日

人を活かす会社、とは

日本経済新聞社が行った「人を活かす会社」についてのアンケート調査の結果(総合ランキングなど)が掲載されていた。

そうしたランキングの妥当性は別として、以下のような記述には首をひねってしまった。
「人を活かす会社」とはどんな会社か。大手企業で働く人を対象にした「ビジネスパーソン調査」では、働く社員から見た「人を活かす」企業の条件を聞いた。その結果、労働時間の実態に関心が高いことが分かった。最も重視しているのが「休暇の取りやすさ」(48%)で、2位も「労働時間の適正さ」(42.4%)だった。
休暇が取りやすいかどうかということと、人を活かしているかどうかの関係が僕にはしっくりこない。労働時間の適正さに至っては、不適正であればそれを問題視し、正すように働きかけるべきだろう。あるいはそんなところは辞めるか。人を活かしているかどうか以前の基本的要件だ。つまり、休みの取りやすさや労働時間の適正さは、衛生要因であって動機づけ要因とはならないはずだけど。被験者であるここでの「大手企業で働く人」の意識が低いことに驚かされたのは、僕だけか。

ところで、記事の冒頭で「調査は上場かつ連結従業員1000人以上の企業とそれらに準ずる有力企業436社が対象」としていながら、記事の終わりに添えられている「調査の方法」では「有力企業の計1553社を対象に、・・・・回答企業は436社だった」となっている。紛らわしい記述である。

2013年10月30日

Summarizing Kotler

東京国際フォーラムでコトラーの講演があった。演題は、Marketing and Innovation: The Winning Combinationというもの。彼が2011年に発行した本(実際は共著者がほとんど書いている)、Winning at Innovation のなかからの話で始まった。いろんな企業のマーケティングの実例や逸話を盛り込んでの講演はとても上手だけど、話の中身はほとんどがこれまでの本の中で紹介されていること。全体的には、さしずめ Summarizing Kotler といった内容だった。

ところで、今回の講演は日立製作所が主催した「日立イノベーションフォーラム2013」の中のひとつのプログラム。今回は、コトラーのほか、スティーグリッツ、そして元世銀副総裁の西水美恵子さんの講演を聴いた。彼女の講演パートでは60分の講演のあと、30分強の質疑応答が行われた。

そもそもフォーラムの意味はというと「公開討論会」。しかし、今回のものだけではなく企業が行う「フォーラム」のほとんどはフォーラムにはなっていない。スピーカーが現れ、壇上で話をし、司会者が彼(女)にありがとうございましたと言ってそれで即終わり。主催者はフォーラムとは何かがまったく分かっていない。

その中で、今回、西水さんが会場からの質問に楽しみながら積極的に答えていた姿がとても好印象だった。

2013年10月29日

♨ 安兵衛湯

昨日の夕刊の文化面に、作詞家の喜多條忠が「横丁の風呂屋」を書いていた。

1973年、彼が26歳の時に詞を書いた「神田川」とその頃の彼自身の話だ。「神田川」は、彼が早稲田をやめ(除籍になり)、放送作家をやっていた時に「南こうせつとかぐや姫」のために書いた曲。「♪小さな石鹸 カタカタ鳴った」など四畳半フォークと言われたジャンルの代表曲である。

僕は早稲田大学入学時から2年間、大学のすぐ近くの下宿に住んでいた。だから早稲田界隈にある銭湯はほとんど知っている。

学生時代から、この曲を聴く度に舞台になったのはどこの銭湯か、少し気になっていた。今回の記事にその曲作りのもとになった銭湯の写真が載っていた。

ああ、安兵衛湯だ。早稲田通りの一本裏手の通りから少し入ったところ。大きな立派な煙突のある銭湯だった。

すでになくなってしまったが、いまも大学からの帰り道、そばを通るとふとその銭湯があった場所に目を向けることがある。

昔からつっかえてた謎から解放されたような気分だ。


2013年10月26日

「偽装」それとも「誤表示」

阪急阪神ホテルズで、レストランのメニューの表示が不正だったニュース。社長は、記者会見で偽装ではなく、誤表示だと主張していた。彼によると、だます意図を持っていたのなら偽装だが、今回は無知によって発生したものなので誤表示だという。

偽装を認めれば、経営者の責任が問われる。それを考えて現場の社員の「無知」のせいにしたのだろうが、「あのホテルの従業員(レストランスタッフ)は、芝エビとバナメイエビの違いや九条ネギと白ネギの違いも分からないで調理していたのか」と顧客や一般市民に思わせることになるのが分かっていないのだろうか。このことは、ホテルそのものの信用を大幅に損なうことになる。

つまり、その社長は自分が経営を任されている企業より、自分の責任回避を優先させたわけである。株主たちは今後、その点をしっかり追求すべきだろう。

それともう1つ、テレビの記者会見で驚いたのは、リッツ・カールトンホテル大阪の総支配人だというフランス人は日本語が理解できないこと。よくそれで日本にあるホテルのトップマネジメントが務まるものだ。

今回のいくつかの問題、次回のサービスマーケティング研究の授業で大学院生たちと議論してみよう。

 (追記)10月28日、阪急阪神ホテルズの社長が辞任した。辞めるのではなく、経営責任者として他にすべきことがたくさんあると思うのだが。日本ではなぜ経営者の責任の取り方が、こうワンパターンなのだろう。