2014年4月20日

終わりにさせないということ

学生たちも読んでいるだろうブログでこんなことを書くのも何だが、ぼくは学生時代はあまり授業に出なかった。

今ほどどの授業も出席にうるさくなかったことが第一の理由。授業そのものが面白くなかったのがそれに続く。何を喋っているのかその言語自体が分からない老教授が多かったり、ひたすら文字通り教科書を教壇で読んでいる若手教師などに付き合っている暇はぼくにはなかった。

18歳で東京に出てきて2日後には、近くの本屋でアルバイトを始めていた。それ以外にもバイトを掛け持ちで、1年生ながら「こんなの出てらんねえ」という授業は出る余裕も意欲もなかった。それでいて、成績は結構よかったのは、出席を取らず、期末の試験かレポートで成績評価を付ける教師の授業を選択しては、先輩たちからその傾向を聞いて対策を考えるのが得意だったからだ。

だから、講義をほとんど聞かぬままに「終わって」しまった多くの科目について、ずっと「晴れない」気持ちを抱えながら社会人になった。

22歳で大学を出て企業に就職し、今は大学で教えている。どうやってそうなったのか聞かれることが多いのだが、今にして思えばそうした晴れない気持を引きずっていたから、自分でそれらを学ばなければという思いが強く、会社員をやりながら多少は人より勉強し続けたからかもしれない。

もしぼくが、学生時代に真面目に何々論とか何とか学とかの授業に出ていたとしたら、それらの分野についてその後きちんと学ぼうと考えたかどうか怪しい。勝手に自分で「履修ズミ」と思い込んだに違いないから。

授業をサボることを勧めるつもりはないが、「サボったため勉強していない」ことを後ろめたく思い続けることも大切である。