2014年2月6日

身内とよそ者の論理

宋文洲は、その著書『英語だけできる残念な人々』のなかで「内の人間」と「外から来た人間」があからさまに区別されている日本企業の特徴を分かりやすく紹介している。それを示すの1つの典型例が「正社員」という日本人にとってはあたりまえの言葉に代表されるものである。

正社員って何だろうか。正社員である正規社員に対するのは、契約社員や派遣社員。しかし、宋が指摘しているように、正社員も同様に企業と社員が労働契約によって結ばれているわけで、正社員とは別の契約社員というのはヘンである。ここで考えなければならないのは「正」に込められている意味だ。

また正社員も多くの日本企業ではそれが新卒入社か中途入社かによって、組織での扱われ方が異なってくる。つまり、正社員で新卒入社した「身内」である社員とそれ以外の経緯で社員になった「よそ者」という意識が支配していると云うことである。そして、たいがいよそ者はプロパーと呼ばれる身内から低く見られてしまう。

さらに日本企業で厄介なのは、複数企業同士が合併や吸収などで一つになった時は、2つの(場合によっては3つ以上の)正社員間でそれぞれの「身内」と「よそ者」をめぐる衝突や牽制、駆け引きがあきることなくなされること。合併で一つになった大企業内で、10年も経つのに社員たちが「おれたちはD、あいつらはSだ」などと今はない出身母体の名前に拘っていることをよく聞かされる。

会社だけではない。日本は、今も昔と変わらず身内だけにやさしいムラ社会である。