2014年1月31日

議論する中国人学生、正解を探す日本人学生

昨日で今学期の授業が終わった。補講をしなければならなかったので、通常より一週伸びての終了である。

この学期、大学院のある授業でとても積極的な中国人学生たちがいた。ケースメソッドを用いた授業だったので、なるべく学生たちに発言してもらうように毎回促しながら進行したのだけど、人数でクラスの1割ほどの中国人学生の発言が全体の半分以上を占めていたように思う。発言の中には、自分のはっきりした考えがまとまっていないものも時折あったが、多くは正しいかどうかは別としてそれぞれはっきりした主張をなしていた。

クラスの中で、100パーセント完璧とはいえない日本語で自分の考えを積極的に述べていく中国人学生に対して、日本人学生の「おとなしさ」が気にかかったのは言うもでもない。彼らとて何も考えていないわけではなさそうだ。その証拠に、レポートを書かせるとそれなりにしっかりした考察を述べている。しかし、教室の中で手を挙げてそれを披露し、主張するものは多くはない。

自信がないのか、面倒くさいのか、そうした習慣がないだけなのか・・・。理由を尋ねる機会がなく終わってしまったのでよく分からないが、社会に出てからの個人としての勝負強さで、日本人学生は優秀な中国人学生に圧倒的に負けてしまう気がする。

正しいか間違っているかなど気にせず(そもそもそうした正解など多くの場合存在しないと思った方がよい)、他人と異なる自分ならではの考えを言葉にしていかなければ、「外」では理解されなし、仕事にもならないはずなんだけど。

授業の教室では発言しなくても、実社会にでたらガンガン主張ができるから自分は大丈夫、と思っているのだろうか。だとしたら、大間違いである。