ひょっとしたら自分たちの新聞社は潰れるかもしれない、訴えられた経営者と編集責任者は有罪に処せられるかもしれない、そうした重圧を最終的にはねのけて、彼らはジャーナリストとしてやるべきことをした。
2018-03-30
ため息しか出ないのは、われわれ読者だ
ひょっとしたら自分たちの新聞社は潰れるかもしれない、訴えられた経営者と編集責任者は有罪に処せられるかもしれない、そうした重圧を最終的にはねのけて、彼らはジャーナリストとしてやるべきことをした。
2018-03-28
警鐘を僕たちはどう聞いてきたか
何気なく手に取り、主な目次に目を通しざっと全体を眺めたが、そこに書かれている「このままだと、2020年にはこうなってしまうぞ」という警鐘の数々は、ほとんどそのまま20年後の我々が暮らす現在につながっている。
インターネットを誰でもが使えるようになり、AIが急速に進化して人の仕事を奪うのではないかとの危機感が生まれ、車の自動運転の現実化が増してきた日本の現在だけど、どれもこれも海外から押し寄せてきた潮流になんとか遅ればせながら「対応」しているだけで、日本から生まれ、世界を変えようとしているものはほとんど思いつかない。
今の日本の状況は、19世紀の終わり、ビクトリア朝時代の英国を連想させる。産業革命を世界で初めて成し遂げ、世界の工場として他国に比して豊かさを手に入れたが、その「成功体験」から構造転換に鈍感になり、やがては製造業は米国やドイツに追いつかれ抜かれた。
しかし長らく「英国病」と呼ばれる低迷期を経験したその国も、その姿を変えてまた世界の表舞台でそれなりの存在感を示すようになった。そのためには衰退から100年後、サッチャー首相のイニシアティブによる多くの痛みの伴う国を挙げての改革を待たねばならなかった。
鉄板のような官製規制、少子高齢社会に向けての漠然とした人々の不安感、変わらない学校教育、「日本はこれまでもなんとかなってきた」という日本人的盲信・・・。正直言うとどうしようもない面が多いけど、社会が変わらないなら個人だけでも変わらなければとつくづく思う。
2018-03-21
流れがない社会は滞り、腐る
長く努めていさえすれば得ができるというインセンティブで人が良い仕事をするとは思えない。ましてや倒産やクビのない公務員である。人材の流動性を阻害しているだけだ。
社会の活力が生まれない理由の一つは、人の流動性の低さにある。
2018-03-17
自動で走る住居
ただそのためには、「レベル5」とされる最高度の自動運転技術とその適用を可能にする道交法の改正が必要。10年はかかるだろうな。
2018-03-16
日本の大臣、大丈夫か
シャレで言ったのならわかる。しかし自分の考えに沿わない、気に入らないからと言う理由である特定の新聞を読んでいないとしたらそれはあまりにもお粗末だ。
自分の考えと違う言論であればあるほど、そういったものに目配りをし、情報を集めるのが政治家として当然の行いのように思うのだがどうなのだろう。せめて主要新聞の見出しくらい読みなさよ、漫画だけじゃなく。
2018-03-06
第90回アカデミー賞授賞式
それにしても、アカデミー賞の授賞式では毎年コメディアンあるいはコメディアンヌが視界を努めているが、彼らは凄いなあと感心させられるのは、既成の権力を容赦なく笑い飛ばすことで批判し、常識をスマートな表現で揺さぶる技を持っていること。テクニックだけではない、その前にそうした社会意識を持っていることといっていい。
2018-03-01
ビールはサラダだ
ここにあるパブリック・マーケットは、鮮魚、青果、精肉、各種デリやケーキ、チョコレートなどたくさんの食料品の店がひしめく屋内マーケットである。観光客はもちろん、新鮮な食材が手に入るだけに地元の人たちで賑わっていた。
そのすぐ近くにある地ビールの店、Granville Island Brewingでは工場できたてのビールを飲むことができる。店頭にはビール・サイエンスと称して「BEER IS SALAD!!」という妙な理屈の看板があった。
できたてのビール片手に「これはサラダか?」と意見を戦わすのも一興である。
2018-02-25
ドキドキを売ろう
その市街地から車で北に一時間ほど走るだけで、森林リゾート的な場所を訪ねることができる。観光地して有名なのが、Capilano Suspension Bridge Parkである。見どころはその名の通りの吊り橋とCliff Walkと名づけられた展望コース。
この公園への入場料は、42.95カナダドル。3600円ほど。安くない。
ただ歩くだけなら30秒もあれば渡りきるほどの「ちょっとした」施設だ。目を見張るほどの高さでもないし、そこを歩かなければ見ることができないといった景観もない。だが渓谷の山側の岩肌から飛び出した造作物の美しさゆえか、人気がある。
観光用の目的での同様の設置場所なら、日本でもたくさん考えられるはず。少し工夫するだけでもっと魅力的なクリフウォーク(絶壁渡り)ができる。地方の売り物になること間違いない。
問題は作れるかどうか。技術的な問題ではない、意思決定的な問題として、日本で役人がそれを決められるかどうかである。
このクリフ・ウォークを真似てでも、他より早くこうした施設をつくりPRしたところが勝ちだ。
2018-02-20
バリア有りー
下記の写真は、そんななかのJR新横浜駅の新幹線ホームの様子。視覚障害者のために敷かれた黄色い点字ブロックにピッタリとくっついて設置された操作盤が気になった。ホームガードのすぐ脇に、つい最近設置されたものだ。
点字ブロックにはかかっていないからセーフ、という駅の判断がここには見える。
白杖をついて、あるいは盲導犬と歩く視覚障害者が、ここをどうやってうまく通れるか。彼らはこの場所で、おそらくは体の一部をこの操作盤の角にぶつけることになる。
金属製の操作盤だ。角に膝をぶつけただけで十分イタイ。バランスをくずすと、転倒するだろう。
バリアフリーどころか、誰が見てもバリア有りーだ。
どうしてこんな簡単なことが、駅の関係者には分からないのだろうか。あるいは、分かってても面倒だから、あるいは組織の論理を乱さぬようにものを言わないようにしているのかもしれない。おそらく後者なんだろうナ。
僕がホームにいた駅員に声をかけ、このままだと視覚障害者にとって危険だと告げても「私には分からない。ほら、JRに苦情をのべる窓口というのがあるでしょう・・・。そこに電話してください」との答えが返ってきた。自分が働いている職場なのに。けが人が出るまで分からないのだろうか。
2018-02-14
2018-02-12
当たり前って思われてること、当たり前じゃないことがたくさんある
4月の初めは学校の入学時期であり、会社への新入社員の入社時期であり、人事異動の時期でもある。3月に高校や大学を卒業して会社に入る若者たちの多くはそれまでのアパートを出て、通勤先を考えた場所に新たに部屋を借りる。
4月1日づけでの転勤の辞令を受けたサラリーマンは、3月の末から4月第一週にかけてあたふたと引っ越しの準備をしなければならない。
ただでさえ人不足のサービス業の典型である引っ越し会社では、この繁忙期に人を集めるのに苦労する。トラックのドライバーがまず不足する。
引っ越しのアルバイトは、かつて大学生の定番のひとつだったが、体力と気力を必要とするキツイ仕事だ。だから、最近は敬遠されがちらしい。
アルバイトの日給は一万円から一万三千円。他のバイトと比べ悪くはないのだろうが、それほど大きな金額ではない。僕が学生バイトで引っ越し会社の手伝いをしていたときの二倍程度にしかなっていない。もう40年近く経っているのに。同じ期間で、私立大学の初年度納付金は3倍になっている。
本当に日本の給料は世界の他国に比べてあがっていない。デフレでものの値段が上がっていないから、日々の生活感としてはまあまあという感触で来たのだろうけど、他のOECD諸国などから見れば日本人の給料は、ヤスー! と言われてもしかたがない。
生活が成り立っているのだからそれで何が困るのか、と言われるかもしれない。これからどんどん困っていくのだよ。
高齢者社会(高齢化社会という言葉があるが、人類が誕生してからずっと、例外として戦争や飢饉や伝染病が蔓延した時期を除いて人類は「高齢化」してきているのに、いまになって「高齢化社会」というのはおかしいと僕は思っている)の日本では、老人介護のために間違いなく人を外国から呼ばなければならなくなる。近いうちに。
だってそうしなければ立ちゆかなくなるのは目に見えているから。ロボットが人間の介護者と同様の事ができるようになるのは20年くらい先だろう。言葉のコミュニケーションに難があっても、やっぱり人にはかなわない。
だけど彼ら彼女らだって、わざわざ外国である日本に人類愛でもってボランティアとして来てくれる訳じゃない。賃金を求める労働力として日本に働きに来るのだ。その時に競争的な賃金が払えなければ、誰もそんな国に好きこのんでやってくるわけはない。
かといって今の総理大臣がやっているような賃金上昇の仕方、つまり経済団体の企業経営者に給料アップを要請するのは明らかにポイントがずれている。なかには総理の気持ちを「忖度」してベースアップを発表した経営者もいるが、従業員の給料をどうするか考えることは経営者の仕事の根幹のひとつで、ゼロから自分で判断すべきことだ。
日本の総理大臣も企業の経営者も、やるべき事はひとつ。生産性を上げることだ。だからといって、何も国や企業を根底から揺さぶるようなイノベーションが必要という訳じゃない。
国はつまらぬ規制を撤廃し、前例主義で安穏とするスローな仕事の仕方をあらためること。企業は、これまたつまらぬ横並びの考えを変えて、もっと自由闊達な発想と行動力を発揮すること。単純である。
新卒の4月の一括採用? いい加減に考え直す時期である。人事部にとって慣れしたんだ儀式になっているだけ。年功序列や終身雇用? ほとんどの経営者が止めたいと思っているはず。であれば、止めればいい。それでもって、何か自分たちならではの別の仕組みによって優秀な人材が集まるためのアイデアを考えることだ。それができるかどうか、これから経営者の能力と責任が問われる。
2018-02-11
上に昇るか、右に行くか
誰かがイタズラで回しちゃったのかもしれない。でもこのボタン、見た誰もを一瞬「ひょっとしたら・・・」と考えさせる力を持っているように思う。
アタマのネジに油を差してくれるのは、普段の風景からちょっとズレた、こうしたさりげないものだったりする。
2018-02-06
Three Billboards Outside Ebbing, Missouri
アメリカというとニューヨークやロス、サンフランシスコ、シカゴなどを思い浮かべ、そこがアメリカと勝手に想像してしまう。しかし実際は、アメリカはひとつの大陸の大半を占めるほどの巨大な国。地理的にも歴史的にも極めて多様である。
ミズーリというと、僕がまず思い起こすのは、チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーの1997年のアルバム「beyond the Missouri Sky」だ。ものを書く際にBGMとしてよく流していたが、そのジャケットの写真が映す荒涼とした風景が、僕にとってのミズーリだった。
映画に登場する人物はみんな、ある意味でどこかネジが外れている連中ばかり。しかし、それらがストレートに自分を表現し、どこか深いところで、いわば人間としてつながっている。
邪悪で軽薄そうな男も、自らの深いところに何かしらの悲しみを抱いていて、ひょんなことからそれに気付き、生き方を修正していくことができることを映画は示す。悪党にも一部の善の魂があることを描くことで、観るものを思考の縁へと連れて行く。
一方で、いかにも善人として周りから思われ、自分でそれを疑うこともない教会の神父らがいかに浅薄で社会の矛盾に目をつむり、形式的にだけ生きているかも映し出す。
主人公のミルドレッドを演じたフランシス・マクドーマンドの圧倒的な力強さだけでなく、登場人物がすべてその輪郭をしっかりと持ち、確実に描かれている。練りに練られた優れた脚本があってのこと。
2018-01-30
議論のネタ
中国のタクラマカン砂漠、楼蘭への道中の様子が語られていたのだが、その途中のミーランという村での以下のような話が語られている。
オアシスの村・ミーランにたどり着くと、ポプラが揺れていて風が美しかった。ただトイレが男女一つずつしかないので行列ができる。前も横も仕切りがないので並ぶ人たちに見られながら用を足す。紙で拭くときに人格が崩壊するような屈辱感を抱く。なぜなのだろうと、夜みんなで議論しました。中国のかつての(今も田舎はそうかもしれない)トイレ事情はよく聞かされるところだが、それをネタに撮影隊の連中と「議論」をするというのが愉快だ。
近頃は大学でさえ、人が集まって熱く議論するということは珍しくなったと思う。若い人たちはもっぱらネット上で上滑りで空虚なコミュニケーションに終始しているように思える。
そこでは人が本来持っている体温のようなものがまったく伝わらない醒めたやり取りだけが流れている。
いまの若者たちの周りにだって、議論のネタなどいくらでもあるはず。時には敢えて屈辱感に身をさらし、それをネタにみんなで議論したらどうか。
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| 1月25日付け朝刊 |
2018-01-21
紙と墨で1200年を超える
国立西洋美術館で行われている「北斎とジャポニスム」展を観に行ったのだけど、休日ということもあってか入館までの待ち時間が1時間ちかく。
そこは諦めて、東京国立博物館で 開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」展へ足を運んだ。仁和寺は御室桜で知られる真言密教の寺。888年に完成した寺院で、数々の国宝級の宝物が今に伝えられている。
仏像や絵画もすばらしかったが、今回とりわけ記憶に残ったのが、弘法大師(空海)が真言密教を伝える書物として中国(唐)で写経して持ち帰った経典だ。
三十冊あるところから「三十帖冊子」と呼ばれている、これも国宝である。空海の没年が835年なので、1200年近く昔に書かれ(写され)たものだ。それが今も墨のあと鮮やかに残っていて、私たちは展示ケースのガラス越しではあるけど、誰もがそこで読むことができる。
空海はそのとき、どこで何を想いながら教典を写経していたのだろうと想像させられ、またあらゆるデータがデジタルで記憶される時代ではあるが、記憶媒体としての保存性や閲覧性の面で「紙」にまさるものはないとしみじみ痛感させられた。
振り返るに、我が家には4、50枚のフロッピーディスクに加えてMOやMD、メモリースティック、スマートメディアなどが今も残っている。
早く中のデータを確認して必要なものは移行しなければと思ってはいるが、それらの中には既に再生するための機器(ドライブ)が手元になくなってしまったものがある。
はてさて、それらをどう処理するか・・・。
2018-01-16
「ヤリタイホウダイ」と「イノチガケ」
早稲田大学の演劇博物館ーー最近いろいろと旗色が悪い早稲田だが、日本の大学で演劇関係の資料をこれだけ取り揃え、また演劇を支えようとする志を持つ演劇専門の研究機関、博物館はここ以外にはないーーが主催するイベントで、SCOT(元早稲田小劇場)の鈴木忠志が登場するということで、楽しみに出かけた。
上映された「劇的なるものをめぐってⅡ」は、早稲田小劇場の舞台の練習を映像記録したもの。撮影されたのはいまから50年近い昔で、鈴木曰く、誰が撮影したか分からない・・・。
主演は当時28歳、芝居を初めてまだ3年という白石加代子である。既にその独特の怪演ぶりを十二分に発揮している。白石あっての鈴木という印象もなきにしもあらず。
鈴木は1939年生まれ。大学に6年在籍、27歳の時に自分が主催する劇団を創設、37歳の時に富山県利賀村に活動の本拠地を移し、それ以来ずっとその地で演劇活動を行っている。
30年ほど前、ある多目的ホールをオープンする仕事に携わっていた頃、鈴木が主催する演劇祭「利賀フェスティバル」を観に冨山を訪ねたことがある。人口数百人という今でいう過疎の村で、村の民家に泊めてもらったことを思い出した。
夜間に屋外劇場で行われた芝居、確か鈴木版の「ディオニソス」だったと思うが、不思議な静かな熱狂感を感じたことを記憶している。
昨日の上映会の後は、鈴木と演劇評論家の渡辺保の対談があった。鈴木は79歳にして、傍目からは衰えることを知らぬ人物である。「ま、なんでも聞いてくれ」から始まったが、実にとうとうと、かつこんこんと自説をまくし立てる。 芝居への圧倒的な知識と経験、尽きぬ情熱が伝わってくる。
鈴木には、今の歌舞伎や能の役者に対して並々ならぬ不満があるようだが、そうしたことに話が流れようとすると渡辺が巧みに路線をもどす。演劇評論家として全方位を相手にしていたい立場からの「忖度」だろうが、そこが物足りなかった。
下記のリンクは鈴木が2015年に書いた文章のひとつだが、彼流のレトリックとはいえ、そこに書かれている「ヤリチホウダイ」やり、しかし「イノチガケ」で臨むその姿勢は今も健在であることを確認した夜。命がけという言葉について何年ぶりかで考えさせられた。
http://www.scot-suzukicompany.com/blog/suzuki/2015-09/#blog000221
| 終わって大隈講堂から外に出たら、あたりは真っ暗だった |
2018-01-14
入試で人生は決まらないよ、君
毎年思うことなんだけど、どうしてこんな時期にやるのだろう。
今年も大寒波で各地が雪に覆われ、交通期間が麻痺して試験会場に時間通り到着出来なかったり、雪で滑って怪我をしたり、寒さで風邪を引いて試験をあきらめたり、さまざまなトラブルが聞こえてきた。
1月のなかばに日本列島が、あるはその一部が寒波に覆われるのは自然現象であって、不思議でもなんでもないのである。 もっと気候のいい11月にでもやればいいと思っている。2ヵ月早めるだけでコンディションは格段に改善する。
ところで、テレビのニュースでセンター試験の受験生が、カメラに向かい「人生を決める試験なので頑張ります!」とインタビューに応えていた。気を引き締めてしっかりやろうというのは結構だが、思わず「入試や大学で人生は決まらないよ」と画面の向こうにいる若者に声をかけたくなった。
こんな当たり前の事が18歳になっても分かってないことに、ふと残念な気分にさせられた。いや、彼のせいではないのだろう。親か高校教師か分からないが、まわりの大人がそうした完全に時代遅れな発想を信じ、受験生に吹き込んできたのだろう。
世の中の大学も(私もその一部分であるが)そうした責任の一端を担っているとも言える。
2018-01-08
写真は枚数か、手触りか
映画の原題は、Song for Marion。主演は、テレンス・スタンプとヴァネッサ・レッドグローブ。マリオンは、映画の中でのレッドグローブの役名だ。
2017-12-29
ダブルでもトリプルでも好きにやればいい
それによると、副業を認める企業が日本でも増えてきたというのだが、なぜ今なのか不思議である。紙面では理由として能力の開発、ネットワーキングなどとある。
ならば、なぜ今ごろになって? そうした効用があると理解しているのなら、そうした日本企業はなぜこれまで認めてこなかったのか?
他社の真似と、ブームに多少乗って「我が社は従業員重視のやさしい企業」というイメージを付けたいだけじゃないのかと勘ぐってしまう。
そもそも、時間と避ける労働時間が限られている副業で、あらたな能力を身につけるのは容易なことではない。多くの場合は、せめて現業での専門性に自信のある人が、それを場を変えるなど横展開するのがせいぜいだ。
ただ、副業で稼ぐということは、ひとつの会社の事しか知らないサラリーマンが他流試合を行うようなもので、自分の甘さや視野の狭さ、足りない点に気づくにはよい方法だと思う。
その結果、自分の能力の棚卸しをすることができ、セルフラーニングの大切さに気付き実行するようになれば、確かに能力開発につながるかも。
我が身を振り返れば、ほとんど新入社員の頃から副業をやっていた。本業である広告会社でのコピーライター業に加え、アルバイトで企業の広告制作を頼まれてコピーを書いたり、企画書をまとめていた。付加的な収入もあるが、ただただそうした仕事をたくさんやっていたかったのが理由だ。
自分が「外の世界」でどれだけ人から評価されるか、今でいうエンプロイアビリティを磨きたかったからといえる。
仕事が好きだったのは、学生時代からのことだ。大学3年の時には、日本を代表する大手通信会社の正社員として働いていた。週に3日、夜8時から12時までの仕事だった。正社員だから賞与も出たし、健康保険証ももらっていた。組合にも入り、ストの時には赤い鉢巻きを巻いてシュプレヒコールをあげていたのは爽快だった。
その時は学生の身分が本籍としてあったので、企業での仕事を醒めた目でというか、自分なりに相対化して眺めることができたのが、今にして思えば大きな収穫だったように思う。つねに「ここではないどこか」を探して複数の仕事を重層的にやってきたそのきっかけは、こうした学生時代の就労経験にある。いずれにせよ、大学の授業があまりにつまらなくて始めた仕事だったが、その自分がいま大学教授をやっているのだから、何をか言わんやである。
ところで、先の新聞紙面によると「人材の流動性が高い欧米では、副業が定着している。米国では労働力人口の3割にあたる約4400万人が主な仕事とは別にフリーランスとしての収入を持っている。一方で、日本では副業を持つ人は数%にとどまる」とある。
そうした米国の労働者にとって、主な仕事とは別にフリーランスでも働くことは、色々な面で重要なセーフティネットなのである。働く場所も、財布も、ネットワークもひとつに絞らないための知恵だ。
人材の流動性が確保され、働き方も自由な米国では、残業過多が理由で精神的に追い込まれた社員が自殺するといったケースはほとんどないのではないか。その方が、よっぽど人間らしい。
日本では就業規則で副業を禁止している企業が多い。週末や休日、有給休暇の間や就業時間後もなぜ社員を管理しようとするのだろう。休みの日はゆっくり休んで英気を養い、また月曜から会社でバリバリ働けるように、との経営者の考えなのかね。
2017-12-16
猫は平和の象徴のひとつ
監督はトルコ人女性のジェイダ・トルン。そして舞台はトルコのイスタンブール。イスタンブールには、国際学会に出席するため今年の3月末から4月にかけて訪ねたばかり。映画にはその時の懐かしい風景がたくさん出てきたのも楽しい。
学会出張であっても、時間を見つけてはひとりでとにかく街を歩く。歩くというより彷徨うのがいつもの流儀。その時も繁華街から1本、2本と裏通りに入り、時間の許す限り地図とコンパスをポケットに歩いたが、時折野良(たぶん)猫に出会ったのを印象的に覚えている。
その時、見かけた猫たち・・・
| イスタンブールの裏街で会った猫たち(にゃん1) |
| にゃん2 |
| にゃん3 |
| こちらはトルコのカッパドキアの猫 |
| 接近して。。。 |
この映画を観て実は初めて知ったのは、イスタンブールは他でもない「猫の街」だということ。
地面すれすれの猫視線で、イスタンブールの街で生きる猫たちがとらえられている。岩合光昭の「世界ネコ歩き」をイメージしてもらうといい。
映画の中で、「猫は神の使い」という言葉が出てくる。自立し、自由で勝手、人に媚びることもなく生きているからかな。
街に住む人たちが、実に自然に猫に接してやっているのが微笑ましく、その関係に幸せ感がにじみ出ている。
2017-12-10
鬼ヶ島とも呼ばれる青ヶ島
直通の交通手段はなく、八丈島まで全日空機で飛び、そこから東方航空のヘリコプターでわたる。なかなか人気のルート(島)らしく、ヘリの予約は取りづらい。
何年か前、取材で世話になった若者が青ヶ島小学校で先生をしていると聞き、訪ねようとしたことがあった。その時は天候のため八丈島で足止めをくらい、2日待って結局青ヶ島へは渡れず、八丈島の見学だけして本土へ帰ってきたことがあった。
雨や風はたいていのことでは平気らしいが、ヘリは有視界飛行なので霧のために視界がない日は飛行できないし。フェリーは海がしけると出港できない。
有人島としては伊豆諸島の最南端に位置し、東京都心からは360キロほどの距離。小笠原諸島などに比べればそれほどの距離ではないのだけど、アクセスがよくないために、離島中の離島といった印象がある。
島の周囲に浜辺はなく、ほとんどが垂直に近く切り立った崖で囲まれていて、近づき難いことから鬼が島とも呼ばれていたとか。
上の動画は大凸部と呼ばれる島の最高地点の展望台からの360度。ここから島最大の特徴である二重カルデラの地形がよく観察できる。北には八丈島が望める。
民宿で夕食を済ませた後、尾山展望公園に星空を眺めに出かけた。月の出が午後10時半過ぎの予定なのでそれまでは漆黒の空に星が観察できるはずだったのだが、そらの四分の一位を雲が覆っていたので、見上げる空中に満天の星とはいかなかった。
それでも冬の大三角形(おおいぬ座のシリウス、オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオン)がきれいに見え、流れ星をいくつも観ることができた。
2017-11-19
厳然自粛?!
その中に東芝の当時の社長、西田氏を取り上げた(ヨイショした)記事が掲載されていた。彼の写真のキャプションに「朝の6時半には出社して、戦略を練る。座右の銘は『厳然自粛』」とある。
厳然自粛とは、「厳然として自を粛す」との意。中村天風が好んだ「六然訓」の一節だ。
今となってはジョーク以外の何ものでもなく、即ゴミ箱に投げ入れた。
2017-11-10
「クールジャパン」はクールじゃないよ。困ったね。
クールジャパンは、国の成長戦略の1つ。日本の文化の輸出促進のために設定されたのが、クールジャパン機構という官民ファンドだ。
記事によると、発足から丸4年が経ったが、成果が振るわないと報告されている。投資案件24件のなか、その過半が成果を上げていないか、計画を達成することができていない。
なぜこれが官民ファンドの投資対象になったか、報道資料だけでは理解できないものも多い。
例えば、スカパーJSATが6割、クールジャパン機構が4割を出資いている「WAKUWAKU JAPAN」は、赤字続きで来年3月には減損の可能性がある。そもそも出資をしたクールジャパン機構の社長は、スカパー持ち会社の社外取締役を務めていて、彼が出資案件として持ち込んできた。ガバナンス上の問題はないのか。
ワクワク・ジャパンという企業名(サービス名)が、悲しいほど貧しいセンス。真面目に会社を設立したとはにわかに信じがたいのだが。
そもそも、自分で自分のことをクールと評する「鈍感さ」は、まったくクールではないと思ってしまうのは僕だけだろうか。クールジャパン、恥ずかしい。
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| 日経新聞11月6日朝刊一面 |
2017-10-30
不正そのものが競争力低下の原因ではない
続いて神戸製鋼所で、取引先の求める基準に達していない製品の検査データを書き換えていたことも明らかになった。その後、日産と同様に、スバル自動車でも完成車の検査を無資格の検査員が行っていたことが表沙汰になった。
2017-10-26
シリウス、輝く
今日はやっと秋らしい天気の一日だった。これがこのまま続いてくれるとうれしいのだけど、天気予報によると週末はまた雨だとか。
今夜は南の空におおいぬ座のシリウスがひときわきれいに輝き、明るい瞬きを見せている。今の季節、南向きのバルコニーからほぼ正面に見える。その右上にはオリオン座が輝いている。
天気のいい日には、毎晩寝る前にシリウスを眺めるのがここ数年来の僕の習慣。その星までの距離、8.6光年である。
2017-10-19
「演奏すれば思い出すだろう」
この位のゆとり感がいい。もう半世紀近く、ミュージシャンをやってる。その経験と自信があればこそ。
2017-10-14
「増毛のために髪の毛を食べるようなもの」
サプリは病気を治すための薬ではないので、その効果のほどは感覚的なものになる。サプリが効くかどうかは、気分が重要である。
マーケティング的にサプリは、買い手がその商品やサービスに価値があるかどうかは、彼らがそう思うかどうか次第だという「信用財」だといえる。鰯の頭も信心から、の類だ。
だからなのか、グルコサミンサプリの販売で知られているのは、大手の製薬会社と大手のビール会社系のサプリ販売会社である。いずれも知名度だけは抜群の企業だ。それを最大限活かして、利益率もまた抜群にいいサプリを通販で売っている。
「グルコサミンは効かない!」と題する記事を目にした。グルコサミンは、膝や腰の痛みを和らげるとの効用で売られている成分サプリである。
グルコサミンが効くかどうかに関しては、以前から「効く」「効かない」の両論があった。だが、最新の研究でグルコサミンは効かないことが証明された。
研究者によれば「グルコサミンは糖分の一種で、大部分が腸内細菌のエサになって終わりです。一部が小腸で吸収されるかもしれませんが、それば損傷した関節へ到達し、軟骨成分になるとは考えられません」とある。
いわば、グルコサミンのサプリを飲んで関節痛を治そうとするのは「増毛のために髪の毛を食べるようなもの」なのである。これは、おまじないと同じ。
売れればいいのか。科学的に効果が証明されていない成分を、さも効くように表現し続けていいはずはない。病気に苦しむ多くの人たちの弱みにつけ込んでいる、まやかしビジネス。倫理的な問題を感じる。
2017-09-30
休み方改革とロケット旅行
経営者がやらなければならないことは、社員の有給休暇取得率を気にしたりそれをいかに上げるかに時間を割くのではなく、グーグルのエリック・シュミットらがいう「スマート・クリエイティブ」という、新しいやり方を自分でつくり出すことができる人材を社内に増殖させること。そして彼らに責任と自由と彼らが楽しめる仕事を与え、思いっきりそれに没頭させることだ。
社長が社員の勤務形態を考えることに時間を費やしたり、出退管理を気にしていてはいかんのである。そんな企業は早晩市場から消えることになる。
2017-09-29
文部科学省って天才?
文科省が本日、東京23区内の私立大学は学生の定員を増やすこともはまかり成らぬという正式の告示を出した。
その理由は、彼らによると「学生の過度の東京集中により地方大学の経営悪化や、東京圏周縁で大学が撤退した地域の衰退が懸念される」からとしている。
つまり、何だ・・・、東京の大学(それもなぜか私立大学だけ)の定員を抑えることで、若者を地方に留めおくことができ、ひいてはそのことで地方創成が実現できると考えているわけだ。
冗談のような話。発想がけちくさいというか。いつもながらに、文科省の役人らの思考回路はショートしている。
都内の大学の定員増分に入らなかった受験生たちが、なぜ地元にそのまま残ると考えるのだろうか。東京でなくても京都や大阪など、大学をたくさん抱える都市はたくさんあるしね。
そのうち、文科省からの告示で、20歳未満の人が東京以外から都内に入る際には関所か何かが設けられ、そこで都内での滞在期間が明記された通行手形を見せることを要求されたり、そこで都内滞在日数に応じて通行料が課せられたりするようになったりして。
彼らの発想を敷衍するなら、東京都内から大学を無くしていけば人口の一極集中がなくなり地方が栄えていく、という話になるが、役人はどうしてこんな勘違いに自分たちで気がつかないのだろう。
都内への人口集中をそれほどまでして減らしたいのなら、まずはさっさと文科省の役人を束にして都内から地方へ放り出すことだ。どこもいらないというだろうが。
さらに付け加えるならば、都内の大学の定員増を認めないことで影響が出るのは、その追加定員分に入らなかった受験生である。あくまで入試学力の面だけで述べるが、その程度の学力の若者たちだ。
そうした若者を、東京の大学に入学できないようにしてまで地方に留めおいて何があるのか。地方の発展や隆盛を期待するのであれば、人物、学力とも第一級の若者を東京なり外国でしっかり学ばせ、仕事なども経験させた後、彼らが地元に戻ってきて活躍したいと思えるような地元の街づくりと施策を考えるべきではないか。
いずれにせよ、こうしたことは国がああだこうだということでなく、各自治体が知恵を絞るしかない。
2017-09-18
死亡奨励金
本来、敬老とは老人を敬うこと。祝日法によれば、敬老の日は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことが趣旨とされている。
しかし、今日の新聞記事にもあるように、高齢者人口の増加と一緒に必ず語られることは、医療費や介護にかかる費用が年々膨らみ続けていて下の世代にますますしわ寄せが来ていること、そしてこのままの制度は維持できないということ。老人への敬愛や長寿のお祝いなど、すっかり片隅に追いやられている。
人が年をとり高齢者になることは、もうおめでたいことではなく、歓迎されるものでもなくなってきている。高齢者=社会の負担ということか。
社会保障の内容が細っていくに従って自己負担額が増加し、これまでのような医療や介護を特に貧困者は受けられなくなる。
そのうち高齢者になる65歳を境に、死んだら国から奨励金か何かが残された者に支払われるようになるかもしれない。もちろん早ければ早いほど制度的に優遇され、65歳死亡時での受給額が最大だ。
そうして「国民のみなさん、(高齢者になったら)早く死んだ方がトクですよ〜」と国が巧妙に国民へ刷り込みを始めるようになる。もちろん政治家や官僚、大金持ちは別枠で、そうした連中はいつまでも長寿を目指し権力に汲々とし続ける。
近い将来的には、金や権力を持つ者と持たない者の間で、新たな格差である寿命格差が生まれてくるに違いないと見ている。
2017-09-17
2017-09-09
単なる欠陥駅では済まない
だが、取材先の企業が渋谷にあれば、仕方なくそこで降りることになる。つい先日、ある企業を訪ねるため東横線の渋谷駅で電車を降り、構内見取り図で自分が目指す方面へ出る出口が15番であることを確認。掲示を探すと14から16の出口方面への矢印があったので、それに沿って進む。
ところが、14番出口の隣が16番になっている。15番出口がない。たまたま近くに東急電鉄の定期券売場を見つけたので、そこに飛び込みどうなっているのか聞いた。14と16とはまったくかけ離れた場所に15があることを案内された。なぜそうなっているのか尋ねたら、「この駅は迷路のようになってしまっていて、複雑すぎて僕たちにもよく分かりません」と言う。
駅員からしてこうだ。 それでも通勤や通学で毎日使用している客は、それなりに「慣れて」麻痺し、そんなものと思っているのかもしれない。
問題は、たまたまこの駅を利用した不慣れな客だ。特に、視覚障害のある人にとっては、この駅は間違いなく地獄である。
案内や表示が不備で統一感がなく、階層が地下何階にも分かれ、階段やホームが信じられないほど狭いこの駅を目が見えない状況で移動できたらオリンピックものだ。他線へのスムーズな乗換などまず不可能。初めて日本に来た海外からの観光客たちも、間違いなく途方に暮れる。
新宿駅や池袋駅、東京駅といった他のターミナル駅に比べて白杖の人や車椅子の人が極端に少ないのは、そうしたことが理由なのだ。彼らは自らのことであり、よく知っている。
構造が分かりづらく不親切なだけでない、視覚障害者用の点字ブロックの設置の仕方もおかしい。下の写真では、一般の歩行者用通路は左側通行で両方向の流れが設置されていて対面でぶつからないようにしているが、点字ブロックは片側に一本だけしかない。
しかも、杖を頼りにあるく盲人用の点字ブロックと建物の壁面は、50センチも離れておらず、危険極まりない。障害者は端っこを歩いてろ、と言わんばかりである。
バリアフリー? いちおうちゃんとやってまっせ、という電鉄会社の言い訳だけがそこに見える。
こうした駅の仕組みが視覚障害者などにとって不都合であることを具体的な例を挙げて駅員に説明したが、その時返ってきたのが先の「複雑すぎて、僕たちにもよく分かりません」という情けない返答だった。
こんなとんでもない駅が今どきあること自体が許せない気分だ。入場無料のStation Jazzも結構だが、その前にすぐにでもやることがあるだろう。
2017-09-03
月を見てから寝床に入る
寝入りばなは静かなBGMで眠りを誘い、朝は設定した目覚まし時間を参考にしながらレム睡眠のタイミングで起こしてくれる。睡眠中の覚醒の波(度合い)も記録し、朝目覚めたときにその日の睡眠の快眠度を数値で示してくれる。
スマホは厳密な診断機器ではないので、いずれの値もどこまで正確なものかわからないが、自分の睡眠の質を改善していくための参考にはなると思っている。
そのアプリの診断のひとつが、月齢と快眠度の関係。僕の場合は、月齢で7から23あたりが快眠度が高いことがはっきりと分かる。三日月が上弦の月になる頃から下弦の月にいたる手前あたりである。
ただし、月の満ち欠けと人体の関係についての科学的な証明はなされていない。
スイスのバーゼル大学で行われた研究では、満月の時に人間の睡眠は乱されるとの研究結果が出ている。僕の場合は、満月の頃ぐっすり眠れているらしく、それとは傾向が逆だ。
2017-09-02
民止党代表決定
2017-08-30
越えられる人間の知性、越えられない子ガメの野性
アカウミガメの産卵の時期のピークは、5月から7月。だから、僕が行ったこの時期はもう産卵が終わり、浜の陸地に近いあたりには砂浜に細い棒が何本も立てられていた。
ここにウミガメの卵が埋まっているから立ち寄らないでね、という意味で地元の人たちが立てた印である。
60日ほどで孵化するので、ちょうど砂の下で卵は孵化している最中のはず。一匹のアカウミガメから一度に生み付けられる卵の数は100から140個。殻を破って出てくるのは夜中だけ。外敵から身を守るためだろう。砂の表面の温度の変化から時間帯を知って、這い出てくるのだという。
3日から7日間かけて地表に出てきた子ガメたちは、夜を待って巣穴から一斉に這い出し一目散に海に向かう。その後は広い太平洋で回遊生活を送り、若い頃は海を渡った北米大陸の沿岸で過ごしているという。
30年ほどで成人ガメになり、また屋久島の浜に産卵のため戻って来るのである。いつもは海中で暮らしているので、浜に上がってくるのは産卵の時だけだ。
それにしても、彼らが生まれながらに備えているコンパスというかGPS機能はすばらしい。子ガメは海を見たことがないのに、どうやって砂から這い出した後、海の方向が分かるのか。そして30年も経ってどうやって自分が生まれた屋久島の場所を知ることができるのか、本当に不思議だ。
2045年にはAI(人工知能)が人間の知性を越えるシンギュラリティ(技術的特異点)がやって来るとか聞かされると、僕はちっぽけな子ガメの姿を思い浮かべ、ケッと思う。
2017-08-26
2017-08-20
支援します。
相手の選手は、メキシコ人のルイス・ネリ、22歳。同ランキング第1位の選手で、23選全勝のボクサーである。ちなみに、山中選手は34歳。
第4ラウンド、残りあと30秒でセコンドにいるトレーナーから投げ入れられたタオル。本人は終わったあと、もう少しやれたと思っただろうが、それはそれで仕方がない。
話は変わるが、金曜日の新聞に全面の意見広告が掲載されていた。袴田さんの事件の再審の早期開始を求める内容だ。
一番下に記載されている広告主に目が行ったのだが、そこに日本プロボクシング協会袴田巌支援委員会という文字を見つけた。
1966年に袴田さんが、その後「袴田事件」といわれる不当逮捕でつかまったとき、彼はプロボクサーだった。彼が検察から「狙われた」理由のひとつとして言われているのが、ボクサーという職業への偏見だった。
そんな袴田さんを支援する輪の中の1つに、WBC(世界ボクシング評議会)がある。僕は知らなかったが、WBCは袴田さんに名誉チャンピオンベルトを贈り、その支援を明らかにしている。
僕も支援のいくばくかの金を送金した。
*今年5月に行われた村田ーエンダムのミドル級タイトルマッチを行い、とんでもない判定をパナマ人ジャッジが行ったWBAは、WBCとは別の団体である。
2017-08-19
情報操作
そこに添えられていたのが、トランプ大統領の写真と下記のグラフである。
これは、つねづね学生たちに対して注意しなければならないバイアスのかかったグラフだと示している作図の仕方の典型例である。
このグラフから言えることは、ここで示されたOECD5カ国の中で2016年では日本が最高(約95%)、米国が最低(約89%)、そしてフランス、ドイツ、英国の欧州勢がその中間(約92〜93%)であること。あと2009年から米国の数値がそれまでと比べて急に下がって来たこと。
ただ、この図を見ると、誰もが米国の近年の数値が他国に比べて極端に低いと感じるに違いない。その理由は明らかで、グラフの縦軸の数値が0から始まるところが88から始まっているからである。
新聞社が、こんな作図をしては絶対にだめ。社内で誰も指摘しないまま、こんなものが1面トップ記事に掲載されてしまう日本の新聞社のダメさ加減が出ている。
捏造ではないが、ある意味での「操作」であると捉えられてもしかたない。データの最も基本的な扱いすら分かっていないことが読者に明らかになってしまったね。
2017-08-15
日本の教育はどこへ行く
日本学術振興会理事長の安西祐一郎氏(前慶応大学塾長)は、その改革の意味について先日の新聞紙上で次のように述べている。
これからの時代には自分の思考内容を明確にし、それを論旨明快に相手に伝える方法の1つとして、英語力を身につけることが肝要だからである。高校や大学では、英語は主体的に思考、判断、表現する方法の1つと考えるべきであり、書く・話す鍛錬が極めて重要になる。彼が言っている「これからの時代」とは何なのか、分からない。思考内容を明確にすることや、それを相手に伝えることと英語力はどういう関係があるのかも分からないし、なぜそれが肝要であると主張できるのかも理解できない。
英語が主体的に思考、判断、表現する手段の1つ、という彼の考えもまた意味不明である。英語は言語の1つとして表現の1つではあるが、それが思考やまして判断の手段だと述べる意図はどこにあるのだろう。
このように日本語でも何を言っているのか分からない大人が多いのに(たぶん本人はそれに気づいていないのがいっそう残念)、どうして高校生たちに入試で過大な負荷を負わせたがるのか。論理的な思考や判断、その表現は母国語で鍛えるのが基本だろう。
なぜなら、日本語で考えたり表現できない内容を外国語で伝えることができないのは明らかだからだ。
こうした奇妙な「改革」で喜ぶのは、受験業者、英会話学校、帰国子女だ。高校時代の夏休みに欧米に語学留学に出かけることができる親の経済力がある子供と、そうでない子供の格差も確実に拡がってくことが予想される。どんな阿呆でも若い時に英語環境で暮らせば、それなりに聞け、話せるようになる。話す中身は別としても。
このようなしょうもない入試改革を発想する連中は、自らが大いなる英語コンプレックスと白人コンプレックスを胸に抱えて生きてきた人たちなんだと思う。
2017-08-14
中国からの攻撃が続く
もともと大学の個人割り当ての容量は2Gバイトと少ないのではあるが、それでもまだそんなはずはないはず。ところが確認してみると、何千というメールが来ている。驚いている間も次から次へと来ているではないか。
件名は長々と漢字の羅列。簡体字が多いので、どうもいずれも中国かららしいと思い調べたら、やはりそれらの多くはqq.com(テンセント)や126.comという中国のフリーメールからの発信だった。
それにしても人迷惑な。それら中国のドメインや件名の共通項をフィルタにしてメールを即時破棄にするように設定したが、どういうわけか大学のそうしたシステムの精度はあまりよくない。今もフィルタにかからず着信するメールが山のようにあるので困ったものである。
さらに困った(つまり「やられた」)のは、大学のアドレス宛のメールを転送している先のGmailのアドレスが、短期間にあまりにも大量のメールを受信したということで、メールの受信に制限をかけられてしまい、一切届かなくなった。
さらに悪いことには、8月11日から20日までは大学が一斉休業に入るため、通常であればこうしたことに対応してくれるITサポートの手助けも21日まで待つしかない。このタイミング、狙ったか?
特定の誰に文句を言えばいいというのではないのが、腹立たしい。
2017-08-05
意味のない形式主義が日本の生産性を下げている
2か月に一度送られてくる水道料金の支払いをクレジットカード払いにした。
引っ越して来てから2年近く毎回コンビニで支払いを済ませていて特段面倒というほどのこともなかったが、省けるルーティーンの手間は省こうというくらいの考えだった。
水道局の担当部署に連絡して支払い方法変更のための用紙(はがき)を送ってもらった。必要事項を記入して送付。これで完了かと思ったら、簡易書留で送り返されてきた(そのために不在配達書に日時を書き込み、後日自宅待機して受け取った)。
必要事項の記載に漏れがあるので、記入の上で再度送るようにと書かれた添え状が付いている。
記載が漏れていたのは、名前の「フリガナ」欄だった。といっても、名前の欄にはクレジットカードの名義人名を書くようになっていたので、名前はカタカタで記入しておいた。だから、あえてフリガナを振る必要は無いと判断して記入しなかったのだ。
しかし、そこが空欄だから処理できないと送り返されたきたわけだ。
単に形式的なものをそろえるために余計な時間とコストをかけていることに、どうして疑問をもたないのだろう。
「考え、判断する」ことを放棄している。これなら担当はロボットでいい。
2017-07-15
即日売り切れ
際どいスクープを連発している週刊文春が、一方で常識と普遍性のようなものを読者に感じさせているとしたら、その半分くらいは和田誠の描く表紙が影響しているように思う。
その和田さんの描く表紙が、2000回を迎えた。40年間である。それが、毎週毎週だ。すごいとしか言いようがない。しかも、その表紙の絵を見る限り、和田さんは毎週頭をひねりつつ楽しみながら書いている(に違いないように僕には思える)。
2000回を記念してメモリアルクロックなるものを週刊文春と和田さんが売り出したのだが、申込をしたところ即日「完売」ということだった。
台数限定販売なのは分かっていたが、即日完売とは。全国に大勢の和田誠ファンがいることを忘れていた。しまった。
2017-07-07
バルミューダ創業者の本
2017-06-30
ワイダの残像
第二次大戦が終わり、ポーランドが旧ソ連の支配下におかれ、そこでは芸術すらも社会主義的イデオロギーを表出したものだけが認められ、社会主義リアリズム以外の芸術作品はすべからず排斥された。
2017-06-29
アマゾンとヤフー
2017-06-23
電車の中で
多くの日本人が同じような考えを持ち、だけどどこにその気持ちをぶつけていいか分からず、鬱屈した思いでいるはず。駅や電車の中で声高にそうしたこと叫ぶとたちまち警察に通報されるし、駅員に「ちょっとこっちへ来てください」となる。
そこでこの男性が考え出した方法が、この自己看板戦法だ。これなら誰からも迷惑だと文句をつけられない。たぶん。
2017-06-17
2017-06-08
マーケティング、授業終了
昨日、授業終了後、大隈通り商店街にある店で打ち上げの懇親会があった。
夜7限の授業が終わった後だから午後8時40分から10時すぎまでの1時間半ほどだったが、社会人大学院生らしく限られた時間のなかで濃密に交流した飲み会で面白かった。
学生たちから大きな花束をプレゼントされ、帰りの電車に持ち込むのが小っ恥ずかしかったナ。
2017-05-28
いつだってフルスイング
もともとはテレビ局で大人向けのバラエティをつくりたかったという新谷さん。ひょんなことで(ま、ふつう新卒で入社するときはそうだけど)株式会社文藝春秋に入社、いくつかの部署を経て「週刊文春」の編集長になって6年目。
一番興味があるのは、人。その可笑しさや、情けなさや、胡散臭さや、そうしたものすべてを含めて人が好きだから続けられていると。
スクープにしても、大上段から社会正義で人を裁くようなまねはしたくなく、フラットな目線で取材し、掘り下げ、記事にしてい行くのが文春流のようである。しかし、スクープだけでなく記事を載せるときはいつだってフルスイングでいく。
いま話題になっている「週刊新潮」の中吊り広告の件などもダイレクトにお聞きしましたが、そこはオフレコということで放送できませんでした。来週も新谷さんをゲストにお招きします。
| 編集者は黒子、ということで顔写真なしの記念撮影でした |
今朝の一曲に選んだのは、Christina Perri で A Thousand Years。
2017-05-21
亀とジェット機
先週と今週、「木村達也 ビジネスの森」にゲストとして元エルピーダメモリ社長の坂本幸雄さんをお招きした。
エルピーダメモリは、1998年に日立とNECの半導体(DRAM)部門が統合してできた会社。設立後うまくいっていなかったその会社に、坂本さんが2002年に再建を託されて社長に就任し、その後10年間にわたり同社を率いてきた。
坂本さんの企業人の原点は、体育大学の卒業後に義理のお兄さんの紹介で入社した日本テキサスインスツルメンツ社。そこの倉庫番からスタートし、25歳で経営企画部の課長に。それまでの上司が部下になった瞬間だった。最初は双方ともやりづらい感じもあったが、両者ともすぐに慣れていったという。肩書きは、単なる「役割」なのである。
日本企業とアメリカ企業の経営の違い。多くの違いの中でも決定的なのがスピード感の違い。両企業をよく知っている坂本さんから見た場合、その差は亀とジェット機くらい違うと云う。
コングロマリットの事業形態がその根底にある。種々なビジネスに関して、トップがすべてを理解できるはずがなく、だからこそクイックな判断ができない。社長がビジネスに精通していなくて、なぜ適切な経営判断ができるのか。切り離すべきだというのが坂本さんの考え方だ。
スペシャリストとジェネラリストについてもお話をうかがった。日本企業は多くの社員がゼネラリストを目指しすぎるので、部長になったとたんに専門性を鍛えてこなかった人たちはリストラの対象になってしまう。
企業に必要なのは、一部のジェネラリスト。坂本さんが語るように、その以外の人たちはスペシャリストを目指すべきなのだ。
まずは専門性を磨くこと。その後、組織内のポジションと役割に応じて、ジェネラリストとしてのキャリアを磨いていって経営者になる人材が出てくる。多くの日本のサラリーマンは専門性のひとつも持たないで最初からジェネラリストを目指すケースが多いが、それでは仕事にならないのである。
今朝の一曲に選んだのは、スティングで「Shape of My Heart」。


















