2017年12月29日

ダブルでもトリプルでも好きにやればいい

新聞一面トップの見出しに「副業容認で社員育成」とあった。

それによると、副業を認める企業が日本でも増えてきたというのだが、なぜ今なのか不思議である。紙面では理由として能力の開発、ネットワーキングなどとある。

ならば、なぜ今ごろになって? そうした効用があると理解しているのなら、そうした日本企業はなぜこれまで認めてこなかったのか?

他社の真似と、ブームに多少乗って「我が社は従業員重視のやさしい企業」というイメージを付けたいだけじゃないのかと勘ぐってしまう。

そもそも、時間と避ける労働時間が限られている副業で、あらたな能力を身につけるのは容易なことではない。多くの場合は、せめて現業での専門性に自信のある人が、それを場を変えるなど横展開するのがせいぜいだ。

ただ、副業で稼ぐということは、ひとつの会社の事しか知らないサラリーマンが他流試合を行うようなもので、自分の甘さや視野の狭さ、足りない点に気づくにはよい方法だと思う。

その結果、自分の能力の棚卸しをすることができ、セルフラーニングの大切さに気付き実行するようになれば、確かに能力開発につながるかも。

我が身を振り返れば、ほとんど新入社員の頃から副業をやっていた。本業である広告会社でのコピーライター業に加え、アルバイトで企業の広告制作を頼まれてコピーを書いたり、企画書をまとめていた。付加的な収入もあるが、ただただそうした仕事をたくさんやっていたかったのが理由だ。

自分が「外の世界」でどれだけ人から評価されるか、今でいうエンプロイアビリティを磨きたかったからといえる。

仕事が好きだったのは、学生時代からのことだ。大学3年の時には、日本を代表する大手通信会社の正社員として働いていた。週に3日、夜8時から12時までの仕事だった。正社員だから賞与も出たし、健康保険証ももらっていた。組合にも入り、ストの時には赤い鉢巻きを巻いてシュプレヒコールをあげていたのは爽快だった。

その時は学生の身分が本籍としてあったので、企業での仕事を醒めた目でというか、自分なりに相対化して眺めることができたのが、今にして思えば大きな収穫だったように思う。つねに「ここではないどこか」を探して複数の仕事を重層的にやってきたそのきっかけは、こうした学生時代の就労経験にある。いずれにせよ、大学の授業があまりにつまらなくて始めた仕事だったが、その自分がいま大学教授をやっているのだから、何をか言わんやである。 

 ところで、先の新聞紙面によると「人材の流動性が高い欧米では、副業が定着している。米国では労働力人口の3割にあたる約4400万人が主な仕事とは別にフリーランスとしての収入を持っている。一方で、日本では副業を持つ人は数%にとどまる」とある。

そうした米国の労働者にとって、主な仕事とは別にフリーランスでも働くことは、色々な面で重要なセーフティネットなのである。働く場所も、財布も、ネットワークもひとつに絞らないための知恵だ。

人材の流動性が確保され、働き方も自由な米国では、残業過多が理由で精神的に追い込まれた社員が自殺するといったケースはほとんどないのではないか。その方が、よっぽど人間らしい。

日本では就業規則で副業を禁止している企業が多い。週末や休日、有給休暇の間や就業時間後もなぜ社員を管理しようとするのだろう。休みの日はゆっくり休んで英気を養い、また月曜から会社でバリバリ働けるように、との経営者の考えなのかね。