2017年8月5日

意味のない形式主義が日本の生産性を下げている

2か月に一度送られてくる水道料金の支払いをクレジットカード払いにした。

引っ越して来てから2年近く毎回コンビニで支払いを済ませていて特段面倒というほどのこともなかったが、省けるルーティーンの手間は省こうというくらいの考えだった。

水道局の担当部署に連絡して支払い方法変更のための用紙(はがき)を送ってもらった。必要事項を記入して送付。これで完了かと思ったら、簡易書留で送り返されてきた(そのために不在配達書に日時を書き込み、後日自宅待機して受け取った)。

必要事項の記載に漏れがあるので、記入の上で再度送るようにと書かれた添え状が付いている。

記載が漏れていたのは、名前の「フリガナ」欄だった。といっても、名前の欄にはクレジットカードの名義人名を書くようになっていたので、名前はカタカタで記入しておいた。だから、あえてフリガナを振る必要は無いと判断して記入しなかったのだ。

しかし、そこが空欄だから処理できないと送り返されたきたわけだ。

単に形式的なものをそろえるために余計な時間とコストをかけていることに、どうして疑問をもたないのだろう。

「考え、判断する」ことを放棄している。これなら担当はロボットでいい。