2016-04-22
プリンスが亡くなった
プリンスは非常に個性的、というかキワモノぽかったが、その音楽性は極めて高かった。グラミー賞も7回受賞していた。
先週のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」の中でかけたシネイド・オコナーのNothing Compares 2 U は、もともとはプリンスが1985年に発表したアルバムの中の一曲だ。
死因は、一部ではドラッグの過剰摂取などと言われているようだが、まだはっきりしない。それにしても、という感じだ。
僕と同じ歳だった。
2016-04-20
地震にいいタイミングも悪いタイミングもあるか
そんな折、毎日新聞の下記の記事を読んだ。
おおさか維新の会の片山虎之助共同代表は19日、国会内での党の会合で、熊本地震に関して「大変、タイミングのいい地震だ」と発言し、直後に撤回した。 片山氏は「ダブル(衆参同日選)になるのかならないのか、消費税を上げるのか上げないのか、政局の動向に影響を与えることは確かだ」と語った。http://mainichi.jp/articles/20160420/k00/00m/040/069000c
片山氏はコメントを発表。「政局的な節目に重なったという趣旨で発言した。言葉の使い方が不適切だった」と陳謝したが、被災者の感情を逆なでする発言として反発が出る可能性がある。
熊本でどのようなことが起こっているかという想像力もなく、ただ「政局」にしか興味のない「政治屋」のうすら寒い精神構造が浮き出ている。腹が立つ。
2016-04-17
メンタルコーチという仕事
彼女は3年間、4シーズンにわたってラグビー日本代表チームにかかわってきた。その役割を一言でいうならば、メンタル(精神)面から選手を強くし、勝てるチームにすること。当時のヘッド・コーチだったエディ・ジョーンズさんから直々に乞われてコーチに就任した。
いまでも忘れられないのが、昨年の9月20日の南アフリカ戦。世界最強ともいわれる南アフリカチームを破り、世界中に「ラグビー史上最大の番狂わせ」を見せつけた一戦である。
それまで日本ラグビー代表は1991年のジンバブエ戦で勝っただけで、それ以外で勝った経験が全くなかった。日本代表選手に選抜されれば、さぞ選手たちにとっては誇らしいことなのだろうと考えるのは素人考えで、実際は選手たちは「どうせ勝てないこんなチームになぜ選ばれちゃったのか」との迷いを多くの選手が持っていた。やっても負けてばかりなんだから、当たり前かもしれない。
チームのマインドセットを変えてくれ、とジョーンズ・ヘッドコーチから呼ばれた荒木さん。一人ひとりの個性などを見極めながら、適確に一人ひとりを、そしてチーム全体を変えていった。
今日、うかがった話の中で印象的だったのは、「平常心では勝てない」ということ。ある程度の興奮状態の方が判断能力に優れ、身体の切れもいいという。それをどうコントロールするか。
五郎丸選手のルーティン、正しくはプレ・パフォーマンス・ルーティンと呼ぶあのお祈りに似た仕草も、単なる験担ぎなどでなく、合理的な目的達成のために構築された所作なのだと知らされた。
番組内でかけた曲は、シネイド・オコナーの Nothing compares 2 U。
2016-04-16
市場規模とは
今朝の日経新聞に「『タラレバ娘』独身の女心」という記事が掲載されていた。そこでの主旨は、婚活とやらを断念する、あるいは積極的に諦める女性が増えているというもの。
霞ヶ関の官庁で働く32歳の女性や都内の会社員、35歳の遠藤さん(仮名)が紹介されていて、そこから一人で生きていく決心をしている女性が増えていると記事は紹介する。
その手の話がどこまで本当なのかは知らないが、ひとつ気になったのは「『街コン』サイトの運営サイトを手がけるリンクバルによると婚活市場は年3,000億円」という記述だ。婚活市場とは何なのか定義もなければ説明もない。リンクバルという会社がどうやって推定したのかも分からない。記事を書いた新聞記者は、こうした数字に疑問を抱かないのだろうか。
3,000億円の市場規模というと、例えば一昨年の国内の音楽産業の市場規模に匹敵する(オーディオ売上1,864億円、音楽ソフト677億円、有料音楽配信437億円、合計2,979億円)。本当にこれと同規模の市場があるのなら、簡単でもいいから内訳を示すべき。
記事を書いた日経新聞の記者は、一応その数字の出典元を示している。読者から何か言われたときは、3,000億円はそのリンクバル社によるデータであって、自分には詳細は分からないとする言い訳のためだろう。
まったく信頼性に欠けている。新聞記事は面白そうであればそれでいいというものではなかろう。
2016-04-09
誰かのために仕事をするということ
水野さんのかつての仕事、それは化学会社の社員として自社が開発した防虫蚊帳をアフリカの国々で売ること。事業部長として、生産計画を立て、原価のコントロールを行い、販路を拡大し、どう売上を伸ばすかをいつも考えていた。
積み上がった在庫の山と格闘しながらも、日々どう売って行こうかと思い悩む日が続いていたという。そんなとき、53歳の時のこと、突然腰が抜けてまったく動くことも何をすることもできなくなった。医者から言われ、40日間の休暇を取ることになって考えた。このままでいいのだろうかと。
アフリカでは今も毎年2億人がマラリアに感染し、50万人が亡くなっている。原因となるのは、ハマダラ蚊という蚊である。日中は動かない。夜になってからだけ活動を開始する蚊だ。だから、蚊帳がとても効率的な予防対策になる。その蚊帳の繊維には特殊な薬剤が染み込ませてあるためそれに触れた蚊を退治することができる。
しかし、アフリカの現地では、マラリアの原因が蚊であることをまだ知らない人たちがたくさんいる。蚊が多く発生するのは、雨の季節。だから、雨がたくさん降ったらマラリアになると信じていたり、その季節には植物が盛んに生い茂ることから、パパイヤをたくさん食べたらマラリアになると信じている人たちもまだたくさんいる。そうした人たちにどうやって蚊帳を使ってもらうか。
水野さんは横になっていた40日間にいろんなことを考えた。頭に浮かんできたのは、セネガルの病院での一コマ。1歳半の子どもをマラリアで亡くした母親が、悲しみにうちひしがれている姿。そうした現状をなんとかしたいと考え始めた。
そしていまは、マラリア・ノーモアという世界的なNPO組織の日本代表として忙しく活躍されている。彼がアフリカで知り、学んだモットーが「焦らず、諦めず、放っておかない」という考え。その精神で、水野さんは今日も頑張っている。
番組中で流したのは、CCRの「雨を見たかい」。
2016-03-29
30歳台、40歳台男性リスナー対象で聴取率第1位
ラジオ局のプロデューサーから「木村達也 ビジネスの森」の聴取率について連絡があった。ラジオの場合、聴取率調査は2ヵ月に一度、ビデオリサーチによって実施されている。
その結果だが、今回もなかなかよかった。男性層30歳台、40歳台でナンバー1。特に男性層30歳台では、第2位の局にダブルスコア以上の差を付けた聴取率だった。
われわれが狙っている、意欲に溢れた中堅ビジネスマンが熱心に聞いてくれている様子がうかがえる。意欲に溢れているかどうかなんて分からないだろうって?
いや、分かるんだよ。そうじゃなきゃ、土曜日の朝から面倒くさい僕の話をラジオで聴こうなんて思わないからさ。
2016-03-27
インドは日本に学び、日本はインドに学ぼう
ゲストは、『インドと日本は最強コンビ』(講談社)の著者、インド人のサンジーヴ・スィンハさん。彼には1年少々前にも番組にゲストとして来てもらったことがあり、今回は2回目だ。
インドの人口は12億5千万人、かたや日本は1億2千7百万人。10倍だ。国民の平均年齢は20代、しかも急速に人口は伸び続けている。市場として膨大な可能性がある。しかし、資金も技術も足りない。日本がいよいよ本気でそれらを投資すべき時だろう。
インド本国以外にいるインド系の人の数、3000万人とか。お喋りで、自己主張が強く、活力のある彼らに「成熟の国」日本は大いに学んでいく必要があるじゃないだろうか。
ところで、彼の本のなかに「孤独を感じられる日本人の幸せ」という言葉があった。僕はインドに行ったことはないのだが、たぶん家族はもちろん、それ以外の関係でも人と人の結びつきがすごく強く、言葉に出しての主張がはっきりしているお国柄だからだろう。
孤独について考えるインドの方が一般的かというと、おそらく彼は特殊な部類に入っていると思う。なぜなら、日本での生活が長く、日本人との付き合いも多いから。それはそうとして、「孤独を感じられる幸せ」という幸せを我々はどれだけ感じているだろう。
むしろ、SNSなどで始終つながっていることに安心感を感じ、それが快適な状況になってはいないか。だが、それが本来の状態なのかというと、僕には決してそうは思えない。
サンジーヴさんが指摘しているように「孤独」を味わうことができる方が、よほど幸せな状態だとあらためて思うのだけど。
2016-03-20
機を見るに敏
スマートな出井さんの「変わり続ける」は、言い換えると「機を見るに敏」かな。だとすると、不器用な僕の「変わり続ける」は、さしずめ「Like a rolling stone(転がり続ける石)」だ。
今回番組中で挿入した曲は、ボウイのChanges とサム・クックの A Change Is Gonna Come。
2016-03-09
志の輔落語
2016-02-27
生地(せいち)は何を語るか
彼女の写真をながめつつ、「テヘラン生まれか」そう言われれば・・・などと思ったりもする。だが、彼女自身が生地としてイランを選んだわけではないので、「彼女の父親は何をしていた人だろう・・・」という思いにすぐかき消されてしまう。
そういえば、以前、ニューヨークにいた時に知り合ったある留学生夫婦は、子どもを「ニューヨーク生まれ」にするため、現地で綿密な妊娠・出産の計画を立ててがんばっていた。
その人物が何年生まれかというのは、読み手にとって意味があると思う。性別も同様だ。つまり、そこに書かれている内容を言っているのがどの世代に属する人なのか、男なのか女なのかは、参考となる情報になり得る。例えば、20代の女性が言っていれば奇異に聞こえることも、それが60代の男性の考えだと分かれば理解できるといったことがある。
2016-02-25
上は「未来」
出店しているラーメン屋はその時々で変わっているのだろうが、町、いや博物館の雰囲気はあれから変わっていない。相変わらずのレトロならではの懐かしさと得も言われぬ可笑しさがある。
イベントというのかアトラクションと言っていいのか分からないが、途中で自転車に乗った紙芝居屋が出てきて、ひとしきり黄金バットなどの紙芝居を太鼓を叩きながら演じるのも楽しい。のほほん気分満載だ。
でラーメンを食べ、ビールを飲み、エスプレッソ・コーヒーをすすり、そうここはとにかく食べたり飲んだりして遊ぶ博物館である。
地下の「博物館」から地上に戻ろうと前を見たら、階段のところに矢印と共に「未来」とあった。
2016-02-09
映画はタイトルだ
やっと続きを劇場で観た。映画「オデッセイ」は、不幸なアクシデントで火星にひとり取り残されてしまった宇宙飛行士の話だ。監督はリドリー・スコット、主演はマット・デイモンである。
火星では夏になると極地の氷が溶けて上昇気流が起きて、時には風速100メートルを超える砂嵐が起こる。それに巻き込まれて吹き飛ばされ、気がついたら一人だけ火星に取り残されていた、というのが話の始まり。
水、食糧の確保が当然、生きていくために必至になる。とりわけ、食糧をどうするかなのだが、植物学者である主人公は、火星上の飛行士たちの生活居住施設でジャガイモをそだて食料にする。
主人公の専門が植物学であるところは、考えてみれば都合が良すぎるが、まあいい。彼は、施設内に火星の土を敷き詰め、他の乗組員たちが残していった排泄物のバクテリアを利用して植物を育てる。赤い火星の土から初めて小さな緑の芽が出てくるのはちょっと感動的である。
思いもしなかったサバイバルが描かれているが、この映画の中心的なテーマは人間の持つユーモアと楽観主義への賛歌のように思う。(サバイバル術なら、行きのフライトの中で読んだ加村一馬さんの『洞窟オジさん』の方が格段にスゴイ)
地球から2億キロ以上離れた場所に一人で取り残された男が、途方もない孤独のなかで生きて行けたのは、食料となる植物を育てることができたり水を作ることのできる科学的な知識だけでなく、自分の置かれた状況を笑うことのできるユーモアの感覚。
その後ろには逞しい精神力があるわけだが、もうひとつ。彼は、日々の活動や思ったことを施設内の録画カメラに向かってログとして残していったわけだが、ひょっとしたら自分が死んだ後に見つけられ再生されるだろう映像を残すなかでジョークめいたことも言ったりする。人間、思っているだけではなくて、言葉に出して言わなければならないのだ。
いくらユーモアやジョークのセンスがあったとしても、口に出さなければ何にもならない。言葉にして初めて(人に伝えて初めて)精神性と結びつく。その当たり前のことをリアリティをもって教えてくれる。
このあたりは、「やっぱりアメリカンだなあ」と思わせる。もちろんすべてのアメリカ人が前向きで合理的だったり、楽観主義のやってやろう精神を持っているわけではないが、悩む前に考える、落ち込む前に行動する、悲嘆に暮れるのではなく笑い飛ばす、といったことは僕ら日本人よりずっと得意にみえる。
宇宙開発のような究極のパイオニア精神を必要とするものに限らず、新しいことを生み出す彼らの力の基盤を感じる。
ところで、この映画の原作はもともと無名の新人作家がウェブ上で発表し、その後ベストセラーになったもので、小説の原題は The Martian。映画の元のタイトルも同じだ。
小説の日本での翻訳は、早川書房から『火星の人』で出ている。原題をそのまま訳せば「火星人」だが、これではちょっと違うので、火星に取り残された人物と云うことで「火星の人」になっている。
一方、映画の邦題は『オデッセイ』。これはホメロスが残したとされるあの大長編叙事詩である。このタイトルはうまい。
オデッセイ(オデッセウス)には、主人公であるオデッセイアが神の呪いを受けて長旅に出たまま故郷に戻れず長年にわたって漂白し、やがて帰還するはなしが描かれている。
そのため、英語のOdysseyには、長年にわたる放浪の旅の意味がある。まさにこの映画主人公を象徴的に表している。映画のタイトルが小説同様「火星の人」では宇宙観にも欠け、リドリー・スコットらしい映像イメージも観客に思い浮かばなかっただろう。
1968年に公開されたアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの 「2001: A Space Odyssey (2001年 宇宙の旅)」へのオマージュも込められているに違いない。
映画の終わり近くに流れてきたのは、デイヴィッド・ボウイの「スターマン」だった。なんだか、じんときたよ。
2016-02-06
ダントツでいこう
https://www.youtube.com/watch?v=s9VnL-lvp14
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| 日本経済新聞出版刊 |
日本人は平均的主義に流れがちである。まんべんなく何事もできることがよしとされる。それが優等生に求められることであって、文字通り優れていることの証明となっている。
坂根さんは高校生時代、数学と理科では誰にも負けないが歴史や古文などには興味が持てなかった。しかし、平均的にすべてができなければ難関校に入ることはできない。それに反発を感じ、得意なモノだけに突出した成果を上げようと努力してきたという。
高校生時代からのそうした「ダントツ」への想いは、コマツに入ってからもずっと続いていて、経営者になって打ち出した指針がまさに得意な領域でナンバーワンを目指すダントツ経営。
その結果、同社の現在の2兆円の売上の半分は世界1位の製品から上がっている。2位まで入れれば、売上の85パーセントにのぼる。どこに特化して稼ぐのかが明確になることは大切なことである。社員にも分かりやすい。
ダントツを目指すということは、平均点主義を目指さないこと。決めた領域に特化して、どこにも負けないこと。坂根さんらが設定したのは、環境、安全、ICTの3分野。この3つのキーワードで業界の中で負けないことだった。
今日の一曲は、フォー・トップスで「Reach Out, I'll Be There」。
2016-02-04
清原の逮捕に思う
それにしても彼に関するこうしたニュースを聞くたびに、離婚した奥さんの亜希さんのことを思い出す。20年ほど前のこと、撮影の仕事でサイパンに一緒に行ったことがある。忙しい撮影中にもかかわらず周りのスタッフに細やかな気がまわる、魅力的な人だった。
その後、清原選手と結婚したと聞いたときは、正直いい感じはしなかった。何か胸騒ぎがしたのを覚えている。二人があまりに違い過ぎると思ったからだ。
それにしても、プロ野球選手というのは多くの日本人を惹きつけてやまない不思議な存在である。
2016-02-03
1年ぶりにスリランカへ
現地にわずか2泊という駆け足だったが、1年ぶりにスリランカの首都、コロンボを訪れた。今回もJICAからの依頼の仕事である。
スリランカは、昨年の1月にそれまでの独裁的な政権から民主的な政権へと変わった。短期で訪れるわれわれのような者には変化は分からないが、昨年に比べて入国がスムーズにいったのはひょっとするとその影響かもしれない。
昨年、今年同様、公務のビザで入国しようとした際は、空港で別室に呼ばれて入国の目的が何なのか詳しく説明させられた。
政権が変わったといっても、長らく続いた前政権時に、大臣ポストを目的にやたらと作られた省庁の数々は今も残っていて複雑な官僚機構を構成している。
今回打合せを行ったのは財務省の一部門だったが、組織が縦割りで全般的に情報の流れが悪い。すっきりするには、かなり時間が必要となるのだろう。
宿泊したホテルの窓から見下ろすと、ビーチに沿ってビルがいくつも建設中だった。シャングリ・ラなどのホテルで、すべて外国資本のものらしい。中国資本が多いと聞いた。インドの近くにありながらも、シーレーンの獲得を睨んだ中国主導で経済発展がなされていくのかもしれない。
写真は、宿泊先のホテルの部屋からの風景。右手がインド洋である。浜辺の近くにホテルがいくつも建築中だった。
2016-01-29
Over Penalty
だけど、今回はちょっと気になったことがある。タレントのベッキーへのさまざまな「処罰」である。犯した「罪」は、不倫疑惑である。
彼女が人非人ででもあるかのようなメディアでの取り上げ方には、とても違和感を感じる。また、不倫疑惑が理由でテレビ番組から降板させられたり、出ているCMが差し替えられるのは、その意図を図りかねる。
犯罪を犯したのでもないのに、どうしてここまでの過剰反応になるのだろう。Over penalty(過剰な罰則)という言葉があるが、まさにその例だ。まるで「水に落ちた犬は打て」とばかりだ。
世の中に聖人君子などいないし、ましてや彼女を悪し様になじるメディアの人間は、そうしたものから最も遠い人間たちだろう。
女性スキャンダルに事欠かないフランスやイタリアの大統領を見てみればわかるが、不倫だとか何だとかは個人的な趣味の領域。放っておけばいい。
2016-01-27
控えめだから、気を引かれる
「ドアが開くまで席を立たないで頂けると 乗務員は安心できるんです」「しっかり掴まって頂けると 乗務員は安心できるんです」という2枚。
手書きでコピー用紙に筆で書いてある。都バスには、たまにもの凄く不機嫌そうだったり、客に対して高圧的な態度の運転手がいて(客の多くが学生の学バスだからか)、あまり好きではないのだが、だからこそこうした控えめなメッセージが印象的にうつる。
2016-01-26
いつまで西洋に追いつこうとするのか
今回のスピーカーは、現在、同大学の社会学科で教鞭を執る苅谷剛彦さん。演題は、“Still Playing the Game of 'Catch-up with the West’?”(西欧への追いつき追い越せは終わったのか?)。
1 時間ほどの講演の後、質疑応答が行われたのだが、その際、日本人である苅谷さんに日本人の中年男性が日本語でなくわざわざ英語で質問をするのを間近で見ていて、経済的な面は別として精神的には間違いなくいまだキャッチアップしようとしている姿を感じたのは僕だけだろうか。
2016-01-17
肉を食らうこと、生きること
野生の肉(主に鹿と猪)を食べるということ。そのことで、自然と人間がつながっていることや、気候の変動についても自然と意識が向いていくという話をうかがった。
鹿の神々しい姿に猟銃の引き金を引けなかったというお話に、じゃあ猟をしなければいいではというシンプルな(短絡的過ぎる?)コメントを返そうと一瞬思いつつ、そうした逡巡や時としての葛藤も含めて猟というものは成り立っているのだろうという考えが頭をよぎり、言葉に詰まってしまった。
安藤さんを迎えての先週の放送のあと、リスナーの方から「動物にも命がある。家族もいる。食べるものに困っているわけでもないのになぜ彼らを撃ち殺すのか」というようなメッセージを番組宛にもらった。
確かにそうかもしれない。しかし、山中に生息している動物を自らの手で仕留めて食べることと、家畜として飼育された動物が食肉業者によって解体処理されたものをスーパーマーケットや食肉店で購入して食べることの違いはどこにあるのか。僕には正直、よく分からない。
話は変わるが、今日横浜の劇場で観た映画「白鯨との闘い」は19世紀初頭の難破船を巡る実話とされていて、そこでは漂流を続けるボートの上で残った乗組員たちが仲間を食べて生き延びた話が挿入されている。
メルヴィルの小説「白鯨」のもとになった巨大なマッコウクジラと船乗りたちの闘いとともに、クジラに敗れた人間が考えた、あるいは生き物として取らざるをなかった究極とも云える生存手段がテーマになっている。
これにもまた考えさせられた。
昨日の番組で選んだ曲は、ジュリア・フォーダムの「Hope, Prayer, and Time」
2016-01-15
1時間で配達してくれる
僕は残念ながら先月引っ越ししたため、現在は対象エリアには入っておらず利用はできない。今後エリア拡大で利用できるようになるのを期待している。
通勤で東急東横線を利用することが多い。その際は、降車駅の出口の関係で一番前の車両の最前部に乗るのだが、アマゾンPrimeNowの広告がそこの網棚上の額面広告として掲示されていた。
たまたまそこの広告スペースしか取れなかったのか。いや、そんなことはないはず。意図的にその場所に掲示したのだろう。ネットで注文して翌日に届くだけで十分早いと思うのだけど、「せっかち」な人はもっともっととスピードを求める。
そうしたせっかちな連中は(僕もその一人だ)、電車に乗る際も降りる駅や乗り換える駅を念頭にどの車両に、さらにはその車両のどのあたりに乗るかを考える。
今回のアマゾンの電車内の額面広告は、明らかにそうした「せっかちセグメント」に向けた訴求をしている。
なぜこの広告に気を引かれたのか考えてみたところ、先日読んだ本のなかで橋本治が「私は、くどいわりには面倒くさがりで、つまりはせっかちである」と<せっかち>を定義しており、どうも他人事とは思えなくて気になっていたせいかもしれない。
2016-01-07
平成28年のオフィーリア
これまで無数の広告を目にしてきた。しかし、これほど唸らされた広告がいままであったか、なかったか・・・。
ヘッドラインは「死ぬときくらい 好きにさせてよ」。合成写真は、ラファエル前派の代表的作品であるミレイの「オフィーリア」をもとにしたパロディである。モデルは樹木希林。広告主は宝島社。
コピーは、なかなかの文明時評になっている。科学技術の(ありがたい)進歩のお陰で昔のように悠々と死ねなくなった時代に、死ぬときくらい自分の意思で静かに逝かせてというのだ。
病気を治し、命の炎を消さないようにすることが医学の本来的な使命である。生物としての人間の適正な寿命(あるとして)がどのくらいなのかは、僕は知らない。しかし、医学の進歩によって人が自分の生を生きるのではなく、生物として生かされ続けることが増えていることは知っている。さて、それをどう考えるかだ。哲学の問題である。
広告を見てしまったからというのもあるが、樹木希林さん以外にモデルは思い浮かばないのも、「負けた!」という感じだ。
2015-12-29
行動を数値化すると、やる気が起きる例
毎日の自分の体重を計測して書き留めていくだけで減量に成功した物書きの話を読んだことがあるが、なるほど具体的な数値を記録することで何よりも実態がつかめ、それをどう変化させてやろうかという意欲がわいてくるものである。
2015-12-28
落語の奥深さ
先日の「木村達也 ビジネスの森」は、ゲストに落語家の立川談慶さんをお迎えした。
噺家の方を番組のゲストにお迎えしたのは初めて。今回は、主に彼の『いつも同じお題なのに、なぜ落語家の話は面白いのか』(大和書房)をもとにお話をうかがった。
2015-12-24
「明日なき暴走」から40年
ブルース・スプリングスティーンの「明日なき暴走」がリリースされたのが1975年。今から40年前である。
あれから何度このアルバムを聴いたか分からない。もっとも多く針を落としたアルバムの一枚であることは間違いない。
FMラジオ局で毎週土曜日の朝にやっている「木村達也 ビジネスの森」のなか、いつもゲストとの対談の途中、ブレーク替わりに音楽を一曲かける。番組をスタートして以来、ずっとその選曲も僕がやっている。
当日のゲストや対談の内容をイメージしながら曲を選ぶのだが、基本的には自分の好みのものしかかけない。わがまま。
最初のころは、自宅のレコード棚やCD棚から抜き出して収録スタジオに持って行ってた。ほとんどはオールディーズというかクラシックロックだ。それらは、自分を育ててくれたロックの名曲といってもいい。
2年近くそうした選曲をしていたところ、日本経済新聞が月一で連載している「ロックタイムズ」欄で話して欲しいとの依頼が来た。紙面でロックとの出会い、そしてスプリングスティーンについて語って欲しいと。
ギャラはなし。だけど、受けたよ、それは。70年から80年代のロックについて話するなんて、最近なかったからね。普段、そんな話をする相手は近くにいないし。
というわけで、出来上がったのが今年のクリスマス・イブに掲載された以下のインタビュー記事である。
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| 日本経済新聞 2015年12月24日夕刊 |
2015-12-20
4冊目のパスポート
1冊目のものの表紙には「数次旅券」とあるが、2冊目からはただの「旅券」となった。3冊目からサイズが小さくなっている。そして、4冊目にはICチップが入った。確か3冊目の切替の時にはICチップ入りに選択があったが、その際は断った覚えがある。
中をめくると、海外に行き始めたころには米国に行くにもオーストラリアにも韓国もフランスも、もちろん中国にもすべてビザが必要だったのが分かる。それに航空券も高価だったし、海外に行くにはそれなりの覚悟がいった。
1987年に訪ねた現ミャンマーのスタンプは、ビルマ(Burma)と綴られている。
2015-12-19
旅と歌とギターで過ごした2年4か月
日本に戻ってきた感じたことは、「日本はほんとうにいい国」という気持だったという。食べ物は旨いし、安全だし、何をやっても生きて行けそうな国だと。
帰ってきて涙もろくなった、という話が番組のなかであった。バスのなかで若者がお年寄りに席を譲っているのを見ただけでじーんとしてしまう。平和で安全で豊かな国を実感するのは、そうしたところからかもしれない。
彼はインドを再訪することを計画している。インドへ行った折、路上でたくさん見かけたストリートチルドレン。チューインガムなどを売って日銭を稼いでいる、そうした子どもたちにまた会うためである。
いま日本の各地から寄せてもらっているリコーダーを抱えていき、路上で子どもたちと演奏するためだ。ストリート・チルドレンを中心としたリコーダー楽団! 路上ミュージシャンである彼が思いついた、子どもたちのもう一つの「稼ぎ方」である。
今日もスタジオで金丸さんに一曲歌ってもらった。曲は、彼のCD『アンダルシアの風』に収められている「ワンモアタイム」。
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| CD『アンダルシアの風』 |
2015-12-15
それでも13,196歩
それでも13,196歩、歩行距離9.14キロ、階段の上り下り27階分。駅をひとつふたつすっ飛ばして歩けばこのくらいになる。
2015-12-10
がんばって、15,939歩
2015-12-06
日曜日、9576歩
今日は日曜日だったので9576歩。階段12階分昇降、歩行距離6.64キロ。まあこんなものか。
2015-12-05
学ぶより、自分で考える方が大切だ
英国に行っていつも思うのは、緑が豊かなこと。ロンドン市内であっても、きちんと公園や庭の緑が確保されている。土地があるから開発すればいいというものではないのだ。
そうした点については、厳しい規制を敷いている。規制することそものものがいいとは思わないが、何が大切で、守らなければならないかをそうやって明確にしていることは好ましい。
笠原さんは、日本は英国から学びすぎてきた、学ぼうとする必要はもうないのではとおっしゃる。二大政党制、マニフェスト、小選挙区制、いずれも英国から日本は「学び」、導入したがうまくいっていない。歴史や制度、国民のメンタリティがそれぞれ背景にあって英国では導入されたものだからだ。
日本で何か問題があると、官僚は対応策を外国に求める。自分の頭で考えるよりその方が得策らしい。探し集められた諸外国の制度のリストが作られ、政治家がこれがよさそうだと「選ぶ」。 だが、そうした輸入品は機能しないことがやがて露呈する。責任はだれも取らない、と。
確かにその通りである。彼の話にもあったように、メンタリティの問題だ。それをどうやって変えていけばいいのか、果たして変えることはできるのか・・・・・・。
今朝の選曲は、The Who の "My Generation"。
2015-12-04
2015-12-03
1日11,940歩なら上出来だろう
天気がいい日は、乗換が少ないルートを選び、その代わり駅までの歩行距離が伸びる。幸いスクールゾーンで道はクルマが少なく、しかも起伏がまったくなくとても歩きやすい。雨が降っていない限り、自然とこのルートを使うようになってきた。
先日、fitbitという活動量計を買った。これまでも万歩計の類をいくつか持っていたが、fitbitは簡単にパソコンやスマホアプリと同期し、その日の活動量がわかるのが気に入っている。
今日は、歩行歩数11940歩、階段の上り下りが36階分、歩行距離8.27キロだった。
数値化すると実感が持てる。自然と明日もまた歩こうと思うようになるから不思議だ。
2015-12-01
規制できるものは何でも規制しようという役人の根性
しかし、この歳になるとその頃に比べて圧倒的に身の回りの物量が増し、また人間関係を含めいろいろ複雑なことが増えていることにあらためて気付く。人生のオリがたまってきているということだ。
転入転出の届け、パスポートの切替、銀行や証券会社への連絡などいずれも面倒くさいがやらざるを得ない。
ほとほと厭になったのは、電話会社の変更である。建物に架設されている回線の都合で、インターネットを含めた電話会社をプロバイダーは継続したままでK社からN社に変更した。その手続きは、バカバカしいほど手間がかかった。
以前の電話番号に入電した際に、新しい電話番号を流してもらうようにするだけのことで、K社に電話すると「そうした手続きはプロバイダーのソネットに任せている」と伝えられ、ソネットに連絡すると「新しい電話会社のN社に連絡してください」と言われ、N社に電話すると「以前にご使用になっていたK社に依頼してください」となる。
こうした訳の分からない循環を3回はまわっただろうか。まったく人の時間を何だと思っているのだろうか。
しかも、どこに連絡しても「ただいま電話がたいへん混み合っており、おつなぎできません。しばらく経ってお掛け直しになるか、そのままお待ちください」というメッセージを聞かされるのには心底アタマにきた。
こうした場合、電話をわざわざかけた身として腹立たしいのは、その相手の状況がわからないことである。こちらは、平日の午後という、忙しくないだろう時間帯に連絡しているにもかかわらず、毎度同じ「ただいま・・・」という音声メッセージを聞かされる。
混み合っているのではなく、対応をギリギリまで絞ったスタッフでやらせているからに違いない。そんなところで少々の人件費をガリガリ削ってどうすのか。本来のマネジメントができていないのだ。
あ、それと呆れたことをひとつ。引っ越しは、ある大手の業者のお任せパックのようなものを頼んだのだが、洗面所の洗濯機の設置が彼らではできない(認められていない)といわれた。電気工事業者に来てもらわなければならないことになっていると。それには4500円ほどの別料金がかかる。
設置といっても、やることは水道の蛇口の金具、ならびに排水菅を繫ぐことだけである。どうも以前、ある引っ越し業者がそれをやって、なにかの不具合で洗濯排水がうまく排水溝に流れなかったことがどこかであったらしく、それを契機に役所が引っ越し業者がそれをやってはいけないという規制を設けたというのだ。
コネクターを繫ぐだけだから、不器用な僕がやっても1分もかからない。ということは、今では誰だってできるのに。
2015-11-14
アートによる地域再生をすすめる秘訣とは
彼が行っている多彩なアート関係の仕事の中のひとつが、越後妻有の「大地の芸術祭」の総合ディレクターである。
大地の芸術祭は、2000年から新潟県の越後妻有(新潟県十日町市、津南町)の里山を舞台に開催されている世界最大級の国際芸術祭であり、美術による地域再生を目指して3年に1度開かれている。この夏、3年ぶり(トリエンナーレ)6回目の開催が行われた。
http://www.echigo-tsumari.jp/about/overview/
僕はこの8月の末、金沢で行った大学院のゼミ合宿の帰り、朝5時半起きでJRに飛び乗り十日市駅に向かった。そこを起点に、一日だけだったが中心的な展示物を駆け足で見て回った。開催地域がとても広く、本当は2泊3日くらいで回るのがよかったのだけど。
当日のスタートであるJR十日町駅の駅前にはテントがならび、ボランティアをしている地域のおばさん、おじさんたちがお茶とお饅頭を振る舞ってくれた。地域で芸術祭をつくっているという想いが伝わってきて、とてもいい感じだった。
国際的な芸術祭を何ヵ月にもわたって開催するには、多くの人の協力と関与が不可欠だ。参加するアーティストはもちろん、会場を提供する地域の住民たち、行政の人たち、全国から集まったボランティア・・・。
そうした実に多様な人たちを「アート」の名の下だけでまとめていくのは、本当に大変そう。国家や企業が主導して、権力や金の力に任せて上意下達でやっていくのとは原理が違う。
フラムさんは、何といっても多様さがゆるされていることが最も重要だと主張する。その例として、彼らは芸術祭の事務局を毎回変えていく。プロを作らない。書記局のようなものができないようにすることで、官僚的にならないように心がけている。
つまり、1回ごとに事務局をご破算にするのだ。固定化しない。ベテランを作らず、専門化せず、毎回、大学生が中心で最初から作り上げていく。経験者は周りからながめながら、ちょろちょろと手伝う程度に抑える。
200人のサポーターより20人のプロの方が経済的には効率がいいが、それはまずい。できるだけ手間暇かけて、素人がかかわって行くことの方がいいという考え方である。
なんという非効率! ボランティアのなかには熟練のビジネスマンややり手のOLの人たちもいて、彼ら彼女たちからすれば何をやっているのか、ということになる。だが、フラムさんよれば、美術とは赤ちゃんのようなもの。本来とても手間がかかるし、面倒くさいもの。そして、回りが一緒になってケアしていくなかでみんながつながっていく。この喩えはとてもおもしろい。
ものごとを手早く片付けられのが、デキるビジネスマンとされている。効率さが、その人や組織の評価の重要な指標になっている。確かにビジネスは競争であり、他にまさるスピード感で走り続けるのが、競争優位を築くひとつのポイントである。
だからこそ、ビジネス的な効率性ではなくて、多様性と手作り感、そしてみんなの納得感を積み上げながら開催されている芸術祭が人の気持ちの奥底に届いてくるのだと思う。
今朝の選曲はドアーズで、Light My Fire 。
2015-10-31
ニュース、見てますよ
NHKの人気番組、番組「週刊こどもニュース」をお父さん役の池上彰さんと一緒に立ち上げ、8年間ディレクターを努めた杉江さん。通常、ニュース番組は報道局が制作するが、杉江さんは「お母さんといっしょ」などの教育番組を担当していたディレクターである。
「週刊こどもニュース」は、もともとは局の上からのお達しでスタートした番組ということだが、報道局で記者をしていた池上さんがその後、一躍テレビメディアの寵児になったのは番組を制作していた杉江さんの力も大きいに違いない。
正直言って、僕はNHKのニュース番組ほどつまらないものはないと思っている。しかしそうは言いつつ、夜7時のニュースは毎日ビデオに撮って夜中に早まわしに見ている。つまらなくても、それが日本の最大公約数的なニュース報道だろうと考えているから、いちおう抑えておくため。
「街角の声を聞きました」的な、新橋の機関車広場でのサラリーマンへのインタビューや、銀座4丁目での奥様へのインタビュー、何か催し物があった会場での小さなこどもへのインタビュー(?)には、毎度首を傾げてしまう。対象に媚びている様子が見えて、ジャーナリズムとはまったく異質なものを感じるからだ。
その点、「週刊こどもニュース」は番組として毎週ひねりが利いていた。こどもたちのキャスティングもよかった。彼らは、総理大臣と大統領はどう違うのか、貧しい人たちを救うには国がお金をどんどん刷って渡せばいいんじゃないかとか、大人たちが分かった気になっている素朴でいて興味津々な質問を投げかける。
杉江さんら番組スタッフは、限られた時間で子どもたちのそれらの疑問にどうやって分かりやすい回答をするか、毎週ずいぶん頭を悩ましたらしい。
視聴者に的確に分かりやすく伝えようという意欲と細心の注意が垣間見える、きわめて優れた教育娯楽番組だった。
今朝の一曲に選んだのは、ランディ・ニューマンで Sail Away。
2015-10-27
境界を越える、そして結ぶ
仕事をしながら大学院に通っている彼らなので、授業がない曜日の夕方に研究室や街中のカフェで会う。そして彼らに今どんな仕事をしているのかとか、これからどんなキャリアを考えているのかなど聞く。
そうした場でときおり、彼らからどうしてビジネススクールの教授がラジオ番組のパーソナリティをしているのか質問を受ける。好きだからやっているという答えだけではどうも納得してくれないようだ。
ぼくの狙いは、大学とメディアを結ぶこと、またアカデミズムとビジネスをつなぐこと。だからラジオ番組を持ったり、企業の社外取締役を引き受けている。思い返せば、昔からマージナルな領域に立つことでひとつの立場に縛られない自分なりの考えを得てきたように思う。
ひとつのところに留まるという意味での一所懸命というのは、どうも性に合わない。自分で自分を揺さぶりながら、その時々の目標を設定していくのがいい。
2015-10-17
好きだからこその、辛口コメント
4月に続いて2回目のゲスト出演である。相変わらず、歯に衣着せぬ歯切れのいい日本への辛口のコメントをうかがった。
彼はいろんなエピソードを語ってくれたのだけど、煎じ詰めれば彼が感じている「おかしい日本」というのは次の2つかな。それらは、日本人の一貫性のなさ(ご都合主義)と生産性の低さ。
もちろんそうしたところって日本だけの話ではないことを彼はよく知っているのだけど、彼が気になってしかたないところは、それらについていつまでたっても日本人が気付かず、変えようとしないこと。
この本を出した後、ずいぶんと読者から「大きなお世話だ」という反応が帰ってきたそうだ。だけど彼は真の確信犯、それで口をつぐんだりしない。自分はしつこいタイプの人間だと入ってはばからない。そうした点が、僕が強く共感を感じるところだ。
今朝の一曲は、スティービー・ワンダーの「迷信」。





























