野生の肉(主に鹿と猪)を食べるということ。そのことで、自然と人間がつながっていることや、気候の変動についても自然と意識が向いていくという話をうかがった。
鹿の神々しい姿に猟銃の引き金を引けなかったというお話に、じゃあ猟をしなければいいではというシンプルな(短絡的過ぎる?)コメントを返そうと一瞬思いつつ、そうした逡巡や時としての葛藤も含めて猟というものは成り立っているのだろうという考えが頭をよぎり、言葉に詰まってしまった。
安藤さんを迎えての先週の放送のあと、リスナーの方から「動物にも命がある。家族もいる。食べるものに困っているわけでもないのになぜ彼らを撃ち殺すのか」というようなメッセージを番組宛にもらった。
確かにそうかもしれない。しかし、山中に生息している動物を自らの手で仕留めて食べることと、家畜として飼育された動物が食肉業者によって解体処理されたものをスーパーマーケットや食肉店で購入して食べることの違いはどこにあるのか。僕には正直、よく分からない。
話は変わるが、今日横浜の劇場で観た映画「白鯨との闘い」は19世紀初頭の難破船を巡る実話とされていて、そこでは漂流を続けるボートの上で残った乗組員たちが仲間を食べて生き延びた話が挿入されている。
メルヴィルの小説「白鯨」のもとになった巨大なマッコウクジラと船乗りたちの闘いとともに、クジラに敗れた人間が考えた、あるいは生き物として取らざるをなかった究極とも云える生存手段がテーマになっている。
これにもまた考えさせられた。
昨日の番組で選んだ曲は、ジュリア・フォーダムの「Hope, Prayer, and Time」