2025-09-28

リン・シュンロンの新作

所用で瀬戸内海の豊島を訪ねた。午後、三輪バイクのTUKTUKを港でレンタルして島内を少し廻る。

島の南側にある甲生の漁港をたずねたら、そこにアート作品の新作があった。


台湾出身のアーティスト、リン・シュンロンによる「国境を越えて・祈り(Beyond the Border - Prayer)と題した作品だ。

197体の子どもの像が海のすぐ近くに並んで立っているもので、今年の夏に展示を始めたばかりらしい。

197体は世界197国・地域をそれぞれ象徴し、それぞれの像の胸にはこの島からそれぞれの国の首都までの距離が、背中にはその都市の座標(緯度経度)が印字されていて、個々の像はそれらの国が位置する方角を向いている。

 


この静かな島の、静かな漁港に、もの言わぬ200体近くの子どもたちが両手を胸の前で組みじっと佇んでいるさまは、世界の各地で引き起こされているさまざまな不条理と惨劇を悲しむとともに、その終わりを祈っているかのように見えた。 

2025-09-27

モグリを追い出し、ますます管理が進む大学に未来は作れるか

新学期が始まるのに際して研究科の事務所から「授業実施に向けたご案内」と称する文書が送られて来た(実際のところは、パスワード保護された大学サイトのページを送ってきた)。

その中に聴講禁止の項目があった。曰く「大学全体のルールとして、履修登録をせずに授業に参加すること(聴講)は禁止されております」。

これまでも聴講の学生を認めちゃダメよと言われてきたが、それはビジネススクールというちょっと他の学部や研究科と違う性格があるからだと思っていたが、大学全体のルールだったとはね。

自分が大学生の頃はニセ学生なんてのは珍しくなかった。自身も友人に誘われ、他学部や他大学の授業にモグリで参加したことも多々あった。

同様に他の大学の学生が早稲田の授業にモグリで参加していたのだから、行ったり来たりでまったく自由なものだった。

それが、いつからか大学全体のルールとして禁止されていたとはーー。その理由は何だろう。そうした学生が教室に存在することで授業の妨げになるのなら別だが、一般的にモグリで授業に参加している学生は一般の学生以上に真剣に取り組んでいるので、むしろ歓迎のはずだと思うのだけど。

推測するに、教師側の理由ではなく(もしそうであれば、それらの学生を教室から追い出せばいいだけ)、正規の履修学生が大学側に苦情を言ったからじゃないかという気がする。

「自分たちは授業料を払っているのに、非正規の学生はそれを払っていないのは不公平だ」とか何とか。

それに対して大学当局が反応して、個々の実状などにお構いなしにモグリ(聴講)を不可にした、というのが実際の話のような気がする。

だけど、もしそうだったらどうなんだろう・・・。大学は本来のところ、もっと大らかでいい加減でいいんじゃないのか。

知りたい、学びたい、議論したいという学生が方々から集まり、同じ時間を共有することで刺激が生まれ、互いに影響を与えながら新たな知と関係が生まれてくるというものだ。

いろんな類の学生が教室にいた方が、絶対的にオモシロイはず。新しい発想を生む活力は、本当はそうしたところからしか生まれないんだけどね。

知の創造の場として日本の大学が弱体化している一要因だ。 

2025-09-26

相変わらずひとを馬鹿にしたMicrosoftのやり方に怒る

Skype(Microsoft)から「クレジットは7日後に無効になります」とのメールが届く。例によって返信不可のメールで。
 



クレジット残高をアクティブにする方法が記されているので、一応それを行おうとすると「Skypeは廃止されました」というメッセージが出て意味をなさない。

 


お手上げである。大した金額ではないが、金額の大小の問題ではないと思う。

一方的にそれまで提供していたサービスを廃止し、そのサービスを利用するためのクレジット、つまりデポジットをそのまま吸い上げるという、マイクロソフトらしい利用者を見下した乱暴でけしからん態度。

自社の都合でサービスを廃止するのだから、事前に受け取っていた金額は顧客が何を言わなくても一旦返却するのが当然。それをかすめ取ってまで利益を上げたいのか、マイクロソフトという企業は。

世の中では、これを詐欺と呼ぶ。 

私はスカイプをこれまで13年間使ってきた。その利用者に対し、よくこのような不愉快なやり方がとれるものだ。腐ってる。

2025-09-24

なぜ大屋根の保存が「レガシー」なのか、理解不能だ

関西の複数の大学人がそろって「万博会場の大屋根(リング)をできるだけ多く保存すべきだ」とする意見書を万博協会、大阪府、大阪市に提出した。

提出したのは大阪大学、近畿大学、大阪公立大学、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学という関西の主だった大学の総長ないし学長、あるいは理事長である。

理由は、リング(大屋根)は万博のレガシーであり極めて貴重な文化的・歴史的な価値があるからと言っているが、よく分からない。

あの建造物の文化的な価値とは何なのか?  具体的に何がどう文化的なのかまったく不明だ。まして、歴史的な価値があるかどうかなど、なぜ分かるのか。ぼくには理解がむずかしい。

彼ら関西の大学人によると、解体すると「文化的損失として後生に大きな禍根を残す」らしいが、何が彼らをしてそう言わせているのだろう。

7つの大学のトップが揃っていきなり「意見書」を提出するという重々しさはどう考えてもヘン。裏には何があるのかナ。 

岡本太郎による<太陽の塔>は残してくれてよかったと思っている。あれは、ただの建造物ではなく、 確実にあの時代(高度成長期の60〜70年代)の日本の空気を今に残すモニュメントになっているから。

しかし、いま開催中の万博の大屋根と言われている建造物はどうか? 太陽の塔とはまったく意味が異なっていると思う。

それにしても、ある種の人たちは何かというと「レガシー」という言葉を振り回したがるみたいだ。そうした人たちに共通するのは、どうもアタマの中味がすでにレガシー(時代遅れ)だということやな。 

2025-09-21

やっと開花

2か月ほど前に手に入れた赤以外(黄色とピンク)のハイビスカス。ずっと蕾のままだったのが、お彼岸を迎えていまごろ開花した❗️

今年の猛暑が理由で咲くに咲けなかったのかもしれない。

2025-09-20

人をつくづく馬鹿にした説明をする日本の外相

日本政府は、パレスチナの国家承認をしないことを決定した。

https://www.47news.jp/13178329.html  

ギョロ目の岩屋外相が19日の記者会見でそれを語った際、理由として述べた「承認によりイスラエルが態度を硬化させ、パレスチナ自治区ガザ情勢の好転にはつながらないと判断した」は明らかにロジックがおかしくはないか。

彼が記者会見で言わんとしていることが、もし、日本政府はパレスチナ自治区ガザ情勢の好転を望んでいる→そのためには、イスラエルが態度を硬化させるのは好ましくない→そのためには、パレスチナを国家として認めないことが好ましい、だとしたら、ギョロ目に訊ねたい。

日本政府がマジにパレスチナ情勢を好転させること(好転という表現が曖昧だが)を狙いにパレスチナを国家として承認しないのであれば、22日の国連総会でパレスチナを国家として承認することを明らかにしているフランスや英国、オーストラリア、カナダなどの国に対しても国会承認すべきではないと日本は働きかけるべきだ。

また、既にパレスチナを国家として承認している世界147国に向けても承認取り消しを求めるのか、ニッポンは。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/09/blog-post_13.html

ギョロ目は、「パレスチナ側はしっかりとした統治体制を構築する必要がある」とも記者会見で強調したらしいが、冷静に考えれば、連日激しい空爆を受けて街中が瓦礫に埋まり、日々餓死者が出ているような状況で今それができるわけがないことくらい誰にだって分かるはず。

そうした状況を早期に変えるためにもパレスチナを国家として承認することで国際社会がイスラエルに圧力を加え、これ以上の悲惨な攻撃を止めさせなければならないはずなのに。

親分(米国)に言われるまま追従を続けるのでは主権国家とはとても呼べない。同盟国といった関係ではなく、これではまさに51番目の州である。

日本の外交は根底から世界の信頼を失うことになった。 

2025-09-19

企業がやりたいこと、顧客がやらされたくないこと

中国地方のある地を訪ねることになったのだが、そこは地方ゆえ現地の交通機関がままならない。そこで、移動のための足としてレンタルバイクの店が駅前にあるのを知り、予約することにした。

サイトで日にちと利用時間を入れて予約しようとすると、クレジット・カード情報の入力を求められた。料金全額先払いらしい。気が進まなかったが、そのとおりカード情報を送ったら、支払い完了と予約完了のメールが届いた。

翌日、その会社からメールが来て、指定のサイト上から運転免許証の画像を送付せよと言ってきた。事前にその手続きをしない場合は、レンタルバイクの利用ができないと書いてある。

そうした条件を設けているのであれば、客に利用代金を支払わせる前にそのことを案内すべき。

免許証の画像情報を、信頼に足らない企業に渡すのも気が引けるので放っておいたら、同様の内容のメールがまた来た。またしてもnoreply@XXXXXのメールアドレスから送られてきている。

記されているURLを試しにクリックすると、今度はいきなり会員登録のページが現れた! まず、名前などの個人情報を記入させて自社サービスの「会員」にしたいらしい。こっちは現地でその日に数時間レンタルで使うだけなのだが。

こうした顧客対応の手法は、まったく的外れであると思う。こんな不愉快なやり方で客に会員登録させたって、その企業に対しての満足感もロイヤルティも感じるわけがない。むしろ逆なのは明らか。

電話番号を調べ、免許証の事前送付に関して問い合わせたら、システム上そうなっているので仕方ないと言う。が、そのシステムとやらを導入したのは、お前たちだろうと。

不安感は払拭できるはずがなく、その企業にPマーク認証は取得しているのか問うたら、「何ですか、それは?」と訊かれてしまった。 

この会社だけの特殊な例ではない。近年は、顧客の個人情報管理も含めてこの手の野放図なビジネスが横行している。

顧客の気持ちをまったく無視した、不出来な顧客管理システムを作っているIT屋がいるのだろうが、結局、何も価値を創造していない。そうしたシステム会社も、そのシステムを採用する会社もお粗末すぎる。

2025-09-14

高畑勲と手考足思

麻布台ヒルズギャラリーで開催されている「高畑勲展」では、彼が60年近く携わってきたアニメーションを中心とする、ほぼすべての作品についての軌跡を見ることができる。

作品の完成に至る途中の圧倒的な数のスケッチ、コンテ、アイデアメモなどだが、とりわけなかでも印象に残っているのは、映画「火垂るの墓」の脚本作成のための高畑のノートだ。

野坂昭如の原作本を全文コピーしたものを数セット用意し、場面、時間、人物にマーキングしたうえで時系列ごとに分けてノートに切り貼りしている。そして、その余白には彼が映画で描こうとしている各シーンの状況説明や台詞、カメラワークなどが書き込まれている。

 

野坂の原作にはなかった「死んだ兄妹が物語を見つめている」という映画での二重構造は、高畑がこのノートを作りながら構想していくなかから生まれた。

「手考足思」という河井寛次郎の言葉があるが、高畑の仕事はまさにそうだ。作品を作るに際しては画で考え、文字で考えるのはもちろん、可能な限りその舞台となる地を内外を問わず訪ねて、その地の歴史や人物に関することなどを渉猟することで企画書をまとめていった。

高畑のこのノートを見ることができただけでも、出かけた甲斐がある。「ものをつくるということ」を、あらためて考えさせられた。 

2025-09-13

日本が独立した主権国家であるということ

国連加盟国193ヵ国のうち147ヵ国が、パレスチナを国家として承認している。

また非人道的攻撃を続けるイスラエルへの圧力を目的に、新たにフランスや英国、オーストラリア、カナダなどが今月の国連総会での国家承認を準備している。

一方で米国は日本に対して「パレスチナ国家承認は情勢を悪化させる」「日本が国家承認すれば、日米関係に重大な影響がでる」などとして承認しないよう圧力を加えている。

国連総会は今月22日、ニューヨークの国連本部で行われる。石破政権が決断できるかどうかだ。 

東京新聞 2025. 9. 13
 
昨年12月、トランプ大統領が「カナダは米国の51番目の州になるべきだ」と発言したとき、他国の事ながら実に嫌な気分になった。

今回、日本政府が米国の圧力を受け、いつもように腰砕けになり、パレスチナの国家承認を見送れば、名実ともに日本は主権国家ではなく米国の属国、あるいはその一部(51番目の州)となる。

終わりが決まった石破政権がどう踏ん張れるか。これまでの政権と同じく米国の尻を舐めるのか、それともパレスチナ人の命を救うために当たり前の人道的国際協調行動をとるのか、その意思決定に注目している。 

2025-09-10

議事録は誰が何のために作成するか

大学3年の時、学生の身分のままある企業の正社員になった。それから20年間にわたって日英米の複数の企業に勤め、その後フリーランスのコンサルタントなどをやった後に学界に移り25年が過ぎようとしている。

大学という世界にすっかり慣れているはずだが、今だに面食らうことがある。その一つが会議の議事録だ。

新型コロナ以来、すべての会議はリモートで行われている。事前に議題と基礎資料が送付され、それにそってZOOMで行われるので対面でやっていた以前よりずっと会議の進行が早くなった。

会議内容は事務局によって全部収録がなされているので、本来であれば議事録などあっという間に作成できるはずなのだが、実際はそうではない。

場合によっては会議からひと月近くたって議事録のドラフトが送られてきたりする。

しかも、そこに記載された内容はこれ以上ないほど削られた、ほとんど議題一覧と変わらぬような代物である。まるで空腹の猫にしゃぶり尽くされた魚の骨のようだ。

ほんとうは何も記さない白紙文書をして「議事録」にしたいと思っているのだろうと思ってしまう。明文化した記録を残したくない考えが底にある。

半年ほど前から仕事で、文字起こしを自動でやってくれるボイスレコーダーを使っている。会話を文字に起こしてくれるだけでなく、AIが録音データから議事録も作成してくれる。その精度は、気になったところをちょちょっと手直しすれば問題ないくらいの高レベルだ。 

あるとき、AIによる議事録作成についての話になった。そこにいた人たちの共通の認識として、会社に入って初めの頃はみんな会議での発言など期待されることなどなく、ただひたすら会議室の後ろの方で記録を取らされていたとーー。

そして、会議が終わってからが仕事の本番。どれだけ早く、そして正確に会議の議事録をまとめあげられるか上司から求められた。

そうやって下積み仕事として議事録作りをすることで、結果として自分たちの仕事の具体的な内容、仕事全体の進め方、参加者それぞれの立場や考え方など多くのことを学び、身につけていったという点で僕たちの意見は一致した。

生成AIが登場してきたことで、そうした若いときならではの貴重なトレーニングを積む機会がなくなったことを考えると、今の若い連中は可哀相だと思う。

2025-09-08

3年ぶりの皆既月食

9月8日の未明、というか深夜に南西の空に3年ぶりの皆既月食がみられた。太陽と月の間に地球が入って月が欠ける現象である。

予定では部分食が始まるのが午前1時27分、皆既月食の始まりは2時半。今回は、満月が地球の影の中の中心からわずかに南側を通る深い皆既月食であり、皆既が1時間半近く続くすばらしい月食だったのだが、いかんせん時間帯が悪すぎた。

食分が0.53である2時まではなんとか起きていたのだが、結局赤銅色の皆既月食は見ずに寝てしまった。残念。次回の皆既月食を楽しみにしよう。

ベランダに三脚を持ち出し、カメラを向けてみた。 

午前1時(満月)
 
午前2時(食分0.53)

2025-09-05

「AI秘書」が「AI部長」になる時

つい先日、職場におけるAIエージェントの登場について書いたら、早速そのとおりの記事が現れた。 

生命保険会社の明治安田が、社員にAIエージェントを使えるようにするという新聞記事。見出しは、「明治安田「AI秘書」5万人」「指示待たず営業提案や助言」とある。

営業職の社員が持って帰ってきた客の面談データを元に、「AI秘書」が客の好みに合わせたイベントの案内文を作成したり、保険の提案書をまとめてくれるのだ。

日経 2025.9.5


便利この上ない。だが、ちょっと待てよ。

今後その会社では、営業マンがお客さん個人についてのデータ、例えば趣味や健康状態などをAIに伝えると、AIエージェントが自律的に効果的な営業アプローチを考え、同時に適切な保険の提案書を作成して持たせてくれるというのは、何か変じゃないか。

それだけ聞いて感じるのは、仕事を実際に仕切っているのはAIエージェントであって営業職の社員じゃないってこと。営業マンたちがやるのは、ただの御用聞きの仕事だ。 

つまり「AI秘書」は、実際は「AI課長」「AI部長」で、人間はその小間使いをやることになる。

明治安田生命の経営者はそれを分かっていながらも正直にそうとは言えないから「AI秘書」と呼んでいるのである。

その先に何があるかというと、提案書をAIが作成していることくらい客にもすぐ分かるので、やがて「人抜き」がなされるようになる。

つまり、顧客が保険会社のAIエージェントと直接やり取りすることで、最も気に入る生命保険の提案を受けるようになるのが一般的になるはずだ。

結果、明治安田生命の場合では現在3万7千人いる営業職の多くは不要となる。 

これが経営者の狙いだろう。なんせ圧倒的な費用削減が実現できるのだから。

社員は自分にも秘書が付いた、などと喜んでいる場合ではないのである。 

2025-09-03

名前が大切なのは分かるが

書留郵便を受け取る際、名前の本人確認ができないから「郵便物を渡せない」と配達員に執拗に言い張られてしまった。 

三井住友系の金融機関がカードを送ってきたのだが、その登録名を姓名ともにカタカナにしてあったので、郵便物の宛先もカタカナ表記になっていた。

僕の名前は名字も漢字も読み方はひとつだ。確かに「達也」は「タツナリ」と読むことも可能だが、そう読む達也さんにあったことはない。

ところが書留を持って来た日本郵便の社員は、封書の宛名と同様のカタカナ名が表記された身分証明書がないとそれを渡せないことになっているというではないか。

運転免許証もパスポートも示したが「名前のカタカナ表記がないのでダメ」だと言う。お手上げである。パスポートにはアルファベットで名前が表記されているので、それをカナにすれば照合できると言っても聞かない。

いつまで経っても埒があかず、最終的に彼から手渡された携帯電話で郵便局の彼の上司と怒鳴り合いをした挙げ句、やっと封筒を手渡された。ホントばかばかしく、ほとほと疲れてしまった。

なぜそんな事を思い出したかというと、昨年5月施行の改正戸籍法で戸籍名へのフリガナの表記基準が変更になったという記事を目にしたから。この場合の変更というのは、読み方に制限をかけるという変更である。

名前には親などの思いが込められているだけに扱いが一筋縄ではいかないことは理解できるが、なかにはどうやっても読めない名前の「読み」がある。そうした名前の漢字と読みのアンマッチングも名付け親にしてみれば子供の大切な個性の一つなのかも知れないが、そうした名前を付けられた方はそれを感謝するだろうか。

いつも間違って名前を呼ばれる、あるいは読めないので一度では呼ばれない、などの社会生活上の戸惑いに一生煩わされることになる。 

2024年に生まれた男の子に付けられた名前で最も多かったのが「陽翔」らしい。ただ、この名前(漢字)の読み方はとっても複雑。

ハルト
ヒナト
ハルカ
ヒナタ
ヒロト
アキト
ハルヒ
ヒュウガ
ヒビト
ヤマト
ヒカル
という11種の読み方、つまり11種の名前があるというからビックリ。親(名付け親)が何を考えてのことかは推測するしかないが、正確には名前(呼び名、呼ばれ名)がどうというより、「陽」「翔」の漢字を使いたかったわけだな、これは。

名前は大切である。その人にとっての欠かせない重要なブランド要素であることは間違いない。だが、期待されるとおりに読まれない、呼ばれないではそもそも名前としてきちんと機能していないとも考えられる。

名前の重要性と個別性を承知の上で言うが、名前とは結局は記号なのだ。記号として役立たなくては意味をなさない。

例えば太郎や次郎など、たとえ名前が平凡で古風だからといって、その子が凡人になるかということとはまったく無関係。名付け親はよくよく考えた方がいいと思う。

2025-09-01

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか

経済産業省が発表した試算によると、今から15年後の2040年に「AIなどの活用を担う」人材が498万人必要となり、そのうち326万人が不足するらしい。

だが、その498万人という具体的な数字の内訳は分からない。この場合、分からないというのは、いくら調べても出てこないってこと。それこそ生成AIに徹底的に探索させたが見つからない。つまりは、経産省が元々それについて発表していないのだ。

中味を発表せずに、そうした数字だけを示す意味があるのかどうか首を傾げる。塊としての498万人という数字は、産業連関表などを用いて産業構造の今後の変化を予測して編み出したものらしい。

15年後に産業構造がどう変化しているかを過去のデータをもとにどこまで推定できるかだ。それこそ今から15年前に、生成AIの登場と社会への浸透が急速に進む現在の姿を予測した人がいたか。いやしないよな。

頼るものが他にないのかもしれないが、役人が産業連関表で未来の社会を予測して政策を立案するのはもう止めにした方がいい。もっともらしく聞こえるだけで、当たりはしないのだから。そんなこと、自分たちも分かっているはずなのに続けている。

「AIを活用できる」人の育成が急務だとの考えは文科省も同様に指摘しているようだが、ここでもAIを活用するとは何なのかははっきりしない。またしても役人がよく分かってないのだ。 

思い出すのは、いまから30年前。ウィンドウズ95が発売され、爆発的に売れた。そしてパソコンのブームが到来した頃のこと。当時はパソコンを使える、具体的にはワープロソフトで文書作成ができるとか、スプレッドシートで計算ができるといったことが、ビジネスマンの特殊技能として通用した。

いま、あなたはどんなスキルがあるかと聞かれて、パソコンが使えますと言ってもお話にならないが、当時はそれが通用した。現在、そのパソコンに当たるのがAIなんだろう。

パソコンができる、が技能として認められていた時期は間もなく過ぎ去り、それはただのツールでしかないことを社会が理解していった。

今の時代のAIは30年前のパソコンと同じと考えた方がよいように思う。肝心なことはそれを活用できるかどうかといったテクニカルなことではなく、どれだけオリジナルな発想をアウトプットできるかどうかなのである。

何をやろうかという意思と評価はつねに人間側にあるべきもの。どうやるかは、やりたければAIの助けを借りてやればいいだけの話だ。 

話を戻すと、2040年、「AI活用人材」が国内で300万人不足するなどありえないと考えている。情報処理全般は、そのころには間違いなく意思決定も含めてAIがまかなっているはず。ここで言う情報処理全般とは、仕事そのものである。

最後まで人の手に残されるのは、包丁やハサミ、メスを扱う仕事、つまり調理、理容、外科手術といったものだ。それとスポーツ競技と芸術活動(の一部)、建設現場、そして第一次産業である。

まもなくAIは、エージェントとして自律的に考えて仕事をするようになる。それらを指揮するのは一部の人間と、そのアシスタントとなるマスターAIエージェントだ。 

そう考えれば300万人が不足するどころか、数百万人の労働者が仕事をなくしていくことになる。

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか、いずれかの選択を迫られる時代に私たちはまもなく向かう。

私がいる大学の現場も、AIとロボットであらかた事足りるようになるのだろうな。  

2025-08-29

フジの50億円損害賠償請求

タレントだった中居正広を巡る性暴力一連の問題で、フジテレビは同社の前社長と元専務だった二人対し計50億円の損害賠償を求めて提訴した。

50億円の根拠は、今年6月末までに被った損害額の総額が約453億円だったことにあるとしている。そうであれば、損害賠償請求額は今後のさらなる影響を加味して500億円ほどにしなくては理屈が立たない。

個人として支払えるかどうかではない。彼ら経営者は、経営責任を問われ損害賠償請求されたときに備えて専用の保険(役員賠償責任保険)に加入しているはずである。しかも、掛け金は企業持ちで。

見方によれば「マッチポンプ」みたいな感じだけどね。いや、もう経営者ではないから役員賠償責任保険の対象にはならないか。

すでにフジの親会社であるフジ・メディア・ホールディングスに対しては旧現経営陣に対して230億円あまりの賠償を求める株主代表訴訟が起こされている。一方、フジテレビに対しては株主代表訴訟が起こされないので、会社が原告となって提訴したのかね。

経営責任という観点から言えば、訴えの理由が「適切な対応を怠ったこと」なら、他の役員の責任も問われるべきだろう。そのあたりが釈然としない。

フジの件については、以前にも書いたかもしれないが、辣腕の番組プロデューサーだったことと組織の経営者としての能力は別だということ。そんな当たり前の考えが、この会社にはなかった。

言葉を換えれば、そうした当たり前の経営常識すらなくても、日本のテレビ局は成り立っているという事実に驚く。しかも上場企業ときている。

これもまた、新規参入がない規制業種の典型的腐敗の一例である。 

2025-08-28

企業の本音は利用規約に表れる

新幹線予約の際に用いている「エクスプレス予約」「スマートEX」のサービスを変更するというメールがそれぞれ届いた。日常的に利用している関係上、メールに一応目を通す。

これまで使えたカード(EX-ICカード)を使えなくするというだけでなく、改札の際に自動改札機から発行されていた「利用票(座席の案内)」の発行をやめるといったことが記されていた。

前者はプラスチックカードの発行を今後中止するということ、後者は機器からの印字して発行してた6x8センチほどの紙(カード)をなくすことでのコストカットである。

実に発想がセコイ。利用者の利便性などお構いなしである。それらのメールは例によって「本メールは送信専用アドレスからの送信のため、そのまま返信されないようお願いいたします」だ。

残念ながら新幹線はそれしかないので、こちらが否が応でもそれに合わせて適応するしかない。念のために現在のそれら2つの登録がどうなっているか確認しようとしたら、サイトにまず「会員規約等の変更」画面が出た。

で、そこに記された3つの文書、会員規約、特約、同意条項を<読んだ>として <同意>しないとログインができない仕掛けにしてある。 


試しに、そのなかの一つの規約とやらを生成AIに読ませて内容確認をやらせてみた。各条項についての利用者側のリスクと注意事項が表示される。以下は、そのまとめの部分。


例えばネットの通信上のトラブルがあっても何があっても責任はすべて「利用者」、規約等に変更が加えられてもJR東海はそれを自社HPに載せるだけでOK、など徹底的に一方的な契約内容。

サイトではそうした規約や同意事項に「同意」しない限り、利用者が自分の登録内容すら見ることができないようにしてある。

まともな競争に晒されているまともな企業なら、ここまではやらない。そうしたところに、この企業の黒い裏の顔が見えている。 

2025-08-25

ネットは嘘の世界だから

勝手なところから勝手なメールが日々送られてくる。

そのなかでも不愉快なのが、「このメールは送信専用アドレスからお送りしています。ご返信いただいても回答はできませんので、あらかじめご了承ください。」 なんて文末で言いながら、自分たちの言いたいこと(セールス・メッセージ)だけ書き連ねているメールだ。

そうしたメールが増えていっているように感じる。実に不愉快な世の中。すべて迷惑メールに放り込んでいる。

それと同時に、なんでんもかんでも「会員登録」を求め、その際に氏名、住所、電話番号、メールアドレス、生年月日、職業等々を「*必須事項」として記入させるサイトがあまた増えているのも気に入らない。何のためにそれらに回答させるのか分からないし、説明もない。

顧客の個人情報を集めておけば、そのうち何か自分たちの役に立つかもしれないと考えている。あるいは、売れば金になるとでも考えているのだろうが、そうした企業は頭が悪くて厭になる。

正直に「申告」する人も中にはいるのだろうが、多くはそうじゃない。ぼくはそういう時は自分のプロフィールについてはデタラメしか書かないし、友人たちに聞いてもばか正直に書く人は一人もいなかった。これが現実。

ならば、そうしたつまらないことさっさと止めればいいのに、と思う。あまりに浅薄な連中が絶えない。それがネットの世界。 

2025-08-23

サービス・デザインの研究会

サービス・デザインについての研究会を大学で開催した。

某大手金融機関の関連総研でリサーチをしてるI君からの問題提起のプレゼンテーションと、最近ある金融機関の窓口でとんでもない経験をしたというSさんの報告をもとに、現状と課題について議論が進んだ。

ひとつのフォーカスは、日本の金融機関におけるAI/ロボットの導入と活用だったのだが、米国などの他国の状況に比べてあまりにも日本の状況が立ち後れていることをあらためて確認した。

立ち後れの理由は、日本の大手金融機関の経営者の頭の古さと金融庁の指導の的外れさにあるようだ。そしてどちらも、一朝一夕にはこの地では改善される見込みはない。

ということは、世界の主だった諸国に後塵を拝するのは必至で、いつものようにギリギリになって「このままじゃイカン」と足を前にやっと踏み出すようになるのだろう。 

2025-08-19

報道がつくる外国人忌避のバイアス

元法政大学総長の田中優子さんが、こんなことを書いていた。

7月28日、29日の複数の新聞で、佐賀県の殺人事件を報道する際の見出しに、容疑者の外国籍が記載されていた。容疑者を報道する時になぜ国籍を見出しにつけるのか? 参院選後とりわけ気になった。国籍を見出しにつけるルールがあるなら、日本人も書くべきではないだろうか。

確かにその通り。

まだ犯人と確定しているわけでもないのに、容疑者が外国籍の場合だけ、その国籍を見出しにするのはどうなんだろう。これは、いわゆるアンコンシャス・バイアスの典型である。

以下は、田中さんが「複数の新聞」と書いてあった7月28日掲載の見出しである。

朝日
「佐賀の強盗殺人 容疑者逮捕、否認 技能実習で寮生活 ベトナム国籍」

 毎日
「強盗殺人:外国籍の20代逮捕へ 佐賀・2人殺傷 娘に複数の傷 」 

読売
「伊万里強殺 容疑で逮捕 佐賀県警 ベトナム国籍の24歳男」

産経
「佐賀の母娘死傷 強殺疑い ベトナム人逮捕 技能実習生 寮のナイフに血痕」

日経
「佐賀の母娘死傷、ベトナム人実習生逮捕 強盗殺人疑い」 

気をつけないと、こうした報道記事を目にするなかでわれわれの心にも「また外国人が」とか「外国人だから」といった謂われない偏見が生まれてくる。

2025-08-17

米国人統治者のプラグマティズム

トランプ大統領が先月、ノルウェーのストルテンベルグ財務相と電話で話した際に、関税率の話と併せてノーベル平和賞の受賞を望んでいる話したそうだ。これもトランプ流の「ディール」なんだろう。

彼がノーベル平和賞の受賞に強い意欲を示しているのはよく知られた話だが、今月12日には米国ホワイトハウスがSNSでイスラエルやカンボジアなど7か国の名前とともに「世界がトランプ氏のノーベル平和賞の受賞を求めている。トランプ氏は平和の大統領だ」と投稿しているというからその厚かましさに鼻白んでしまう。

今回のウクライナとロシア間の停戦協議の設定も、そのためのデモンストレーションに見える。トランプが真にウクライナ国民に共感や同情の念を持っているわけではないだろう。あくまで自己利益しか頭にない。

米国の為政者のそうした自己利益優先主義というか自己利益専有主義で思い起こされるのが、太平洋戦争終結後の日本国憲法制定時に見せたダグラス・マッカーサーの態度である。

早大名誉教授で評論家だった加藤典洋氏は、なぜ日本国憲法が今のようなかたちになったのか、『9条入門』でその第1条と第9条の関係に着目して興味深い考察をしている。

終戦の年の6月末時点、米国内での世論調査(ギャラップによる)に見る日本の天皇の処遇は厳しいものだった。
・処刑を求める=33%
・裁判にかける・終身刑・追放=37%
・不問に付す・傀儡として利用する=7%

当然、GHQが日本を占領統治するに際してそうした米国内の世論は無視できないものだった。

しかも、日本国憲法を制定する権限を持つ11ヵ国からなる極東諮問委員会のなか、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続に反対していた。

それら11ヵ国は、東京裁判と呼ばれた極東国際軍事裁判の判事選任の権限を有していた。つまり、その委員会主導で戦後の日本国憲法が制定された場合、天皇制が廃止される可能性があった。

ところが、現在の日本国憲法第1条にみるように、そうはならなかったのはGHQによるウルトラCがあったから。

GHQには法理上の日本国憲法の制定権はなかったにもかかわらず、彼らが極東諮問委員会や連合国、米国国務省の裏をかいて電光石火の勢いで憲法草案を起草し纏め上げた。そして、「日本国民の自由に表明せる意志に従い」日本政府が作成した案であるという建前論をごり押しして制定化してしまった。

なぜかという理由について、加藤はマッカーサーが日本を占領統治するに際して天皇制を利用することで、占領にかかるコストと時間を劇的に削減できると考えたからだと分析する。

マッカーサーは1948年の大統領選への共和党からの出馬を狙っていた。そのために、連合国軍最高司令官として速やかに占領を完了したという統治者の実績がなんとしても欲しかった。

そして、天皇制を存続させることへの諸国からの危惧や批判を抑えるために第1条とバーターで第9条2項を作った、というのが加藤の見立てである。


つまり、日本という国の将来のこととか、世界の安定・平和とか、そうした本来あるべき統治哲学やモラルなどではなく、自分が大統領の地位へ近づくための手段として彼は日本国憲法を利用したわけだ。

人や社会への情を持たず、経済性などの(自己にとっての)合理性だけで判断する、これが米国流為政者のプラグマティズムなのだろう。 

トランプもそうしたマッカーサーと同じ系譜にあると考えれば分かりやすい。

ウクライナへ侵攻し、今も多くの人命を奪っている殺略者であるプーチンをアラスカの空港にレッドカーペットを敷いて迎えたのも、彼の狙いを考えれば納得がいく。 

ちなみにマッカーサーは、大統領選で大勝するだろうという当時の米国内の下馬評に反して1948年4月の予備選の場で敗れ、消えていった。

2025-08-16

渋滞高速道路上の快感ホルモン

年末年始とお盆の時期の毎年変わらぬ高速道路風景がこれである。


休みを取って移動する時期をその前でも後でも一週間ずらせば、写真の左側<下り>のようにスイスイ行けること間違いないのに・・・。

人間(日本人)の習慣の粘着性はすごいなと感心するとともに、不思議でならない。

こうした渋滞や混雑によって生じるストレスが、人に快感を感じさせる脳内ホルモンを発生させているに違いない。たぶんね。

2025-08-15

国会議員の「みんなで〇〇〇〇する会」

終戦の日の15日、自民党の閣僚をはじめ、参政党、日本保守党の党首らが靖国神社に参拝した。

例大祭と終戦の日に靖国に行こうという超党派の議員連盟では約50人が一斉参拝した。その議員連盟、名称を「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という。

1981年に結成された団体らしいが、なぜ「みんなで」なんだろうナ。シンプルに「靖国神社に参拝する国会議員の会」でもいいはずなのに。 

なんてこと考えてたら、ふと思い出したのだが、たしか『ツービートのわッ毒ガスだ』(KKベストセラーズ)が出版されたのがその前年の1980年。ビートたけしの大ヒットギャグ「赤信号、みんなで渡ればこわくない」が紹介されている本である。


日本人なら誰もが知るこのフレーズは、実用日本語表現事典によれば「禁止されていることも、集団でならば心理的な抵抗もなく実施してしまえる、といった意味合いの表現」と説明されている。

なるほどね。その「集団でならば」のところを国会議員たちは40年以上にわたって継承しているってわけだ。

そろそろ「自立できない国会議員の会」に改名した方がいいんじゃないか。 

2025-08-14

市長の実績が意味するもの

郵便受けに今月初旬に行われた横浜市長選の投票開票の結果数値を記したチラシが入っていた。

裏面には当選した現市長の「実績」というのが書いてあり、曰わく、

・小児医療費の無償化
・待機児童ゼロ
・中学校全員給食の実施
・学童保育での昼食提供

どれも子どもたちの成長を支援する策で、結構なことではある。が、これが市長の実績かと言われると、大いに疑問がある。

どれも金を使えば実現できるばかり。これらの政策を実現するために必要な資金を市長が追加的にどこかから生み出したなら市長の実績と言っても構わないが、だがそうではなく、予算の使い道を変えただけなら、その実績は市長のそれではなくわれわれ納税者のものということにならないか。

これでは市民としてどっちらけだ。他人の褌みたいなことを実績として標榜するなどせず、もっと力を果たせよと言いたい。

2025-08-12

ほんとうの「日本人ファースト」を

徒歩5分ほどのところにあるホテルの前からバスに乗れば、羽田空港まで直通で40分。海外路線を扱う第3ターミナルへは空港内をバスが少しぐるぐる回るので時間がかかるが、それでもプラス15分くらい。いずれにせよ自宅を出て1時間もあればたどり着ける。

その利便性から成田空港はほとんど利用しなくなって久しい。そんな羽田空港だが、そこから離陸するフライトの飛行ルートをいつも不思議に思っていた。

飛行機が関東周辺から抜け出すにあたって妙なかたちで旋回していたり、急上昇したり、それは関東平野上空の気流の関係かなと思っていたのだけど、実はそうではなかった。

在日米軍の特権的地位を定めた「日米地位協定」によって、米軍横田基地が管制する空域は、日本の飛行機は立ち入ることができないことになっているからだ。 

米軍が航空管制を行っているエリア


そのため、われわれが乗る飛行機もそのエリアを避けて飛ぶ。日本の空なのに。日本という国の主権は日本国にあるはずなのに、おかしな話だ。日本のど真ん中の空から日本が完全に弾き出されている。 

「日本人ファースト」を主張する政治家たちは、難民申請者や日本で学ぶ留学生たち、海外からの旅行者を目の敵にする前に、なぜこの不平等な協定を問題視しないのか。

飛行エリアだけじゃない。日本に駐留する米軍兵士の数は6万人、その家族(扶養者)が3.5万人、合計約10万人に日本国内でかずかずの特権が与えられている。こうした、誰が見ても明らかな「アメリカ人ファースト」が日本国内でまかり通っている。 

政治家が知らないはずがない(知らなかったら勉強してくれ)。これは一つの例。

政治家だったら何とかしてみろよ、参政党。

2025-08-11

ハルシネーションを楽しんでいたのだが

Chat GPT-5がリリースされたということで、chatgpt.comにアクセスしてみたら

GPT-5 のご紹介

という文字が画面に現れた。そして「ChatGPT のモデルに思考能力が組み込まれ、これまでで最もスマートで、速く、便利になりました。いつでも最適な回答が得られます」とある。
 
ネット上の評では、5になってさらに深い思考に基づいた回答が得られるようになり、ハルシネーションの程度を抑えられるようになった、と書かれている。
 
技術的なことはよく分からないし興味もさほどないが、なるほど使ってみて思うのは、こちらの質問の意図を推測してその答えを探しているような感じがすることである。進化シテルーという実感だ。
 
4oや4.5と比べて推論能力や文脈理解力が上がっていると説明されると、なるほどそうかもと思ってしまうし、ハルシネーションも減少したように感じるのだ。
 
ハルシネーションとは、人工知能によって生成された、虚偽または誤解を招く情報を事実かのように提示する応答のこと。
 
実は、それを結構楽しんでいたところがあった。例えば生成AIにある人物について訊ねてみると、内容はそれなりにまとまっているのだが、顔写真がまったくの別人だったりして笑えた。
 
ハルシネーションの可能性があるから、もっともらしく(自信満々に)画面に現れる内容でも常に少し引いた目で読んでいた。
 
またハルシネーションがあるから、学生が書いたものなどを読んでもすぐにそれ(AI)と気がつくという意味で「便利」だった。 
 
生成AIというのは、こちらが知らない森羅万象の情報や知識を屈指して、推論を働かせながらもっともらしい文章を自信満々に書いて寄こしてくるが、肝心なところを勘違いして嘘をついてる<とっぽい野郎>だったのが、間違うことのない<クールないけ好かない奴>になっていくとしたら、少し残念だ。 
 
生成AIはもっともらしく見せていて、その実、間違うことがあるから人間が介在している。これが間違うことなどないスーパーな存在になったら、人間はそこにどう介在すればいいのか。
 
その時には、われわれは自分のアタマで考えたり判断する必要がなくなっているのだろう。15年後くらいには、世の中の半分ほどの人たちはAIに従属するようになっているかもしれない。
 
AGIやASIという言葉を目にする機会も増えた。それぞれ汎用人工知能(人工汎用知能が正しいと思うが)と人工超知能と言われているもので、ChatGPT-5でもまだAGIに至っていないし、ASIはその遙か先の存在らしい。
 
そうそう、あまり急がないで、ゆっくり進化していって欲しい。
 
誰か地球を止めてくれ、僕はゆっくり眠りたい・・・ 

2025-08-10

どうした、青木

ジャーナリストの青木理がTBS「サンデーモーニング」に出演した際に、約10カ月ぶりにテレビの番組に出演したと語った。

昨年の9月に配信されたYouTube番組での発言をきっかけに、地上波テレビ番組の出演を自粛していたらしい。

彼はYouTube上の番組で津田大介と対談した際、津田から「人々はなぜ自民党に入れ続けるのか?」という講演を予定していることを告げられるとこう言った。「よくこんなテーマで・・・。ひとことで終わりそうじゃない? 『劣等民族』だからって」と。

すると、それに対してSNS上で批判が相次いだ。青木はその後、その発言について謝罪、撤回し、さらに地上波テレビ番組への出演を当面、自粛する考えを表明していたというのだ。

彼が言った「劣等民族」の民族というのは国民を意味してのことだろう。用語センスがいいとは思わないが、この発言の何が問題なのか。特定の誰かを貶めているわけではなく、ただひとつの考えを示しているだけだ。

そもそもこうした発言に目くじら立てる方がどうかしている。青木はそれが分かっていながらネット上でのそうした顔のない批判にひるんでしまった。こんなことで自粛してどうするのか。ジャーナリストとして情けない。

彼がそのとき「謝罪」したのは、一体、誰に向けて謝罪したのか。私たち1億2千万人の国民に向けてか。そうではないとすると、SNS上で批判してきた顔なしたちに対して「スンマセンでした」と素直に頭を垂れたということになる。 

ジャーナリストの矜恃というものはないのかネ。ジャーナリストならジャーナリストらしく、しゃんと背筋を伸ばせよ。

日本を遠く離れたガザでは今もジャーナリストたちが文字通り命を賭し、地獄を目の当たりにしながら日々の惨状をレポートし続けている。これまでにガザで180人以上のジャーナリストが殺害されている事を知らないはずはないだろう。


それにしてもラジオ番組には毎週出ていながら、なぜ地上波テレビは別なのか。そこも理解できない。

数少ないまともな日本人ジャーナリストの一人だと思っていたのだが、ガッカリしてしまった。 

2025-08-09

言葉にならぬガザの現状

今年の4月時点、すでにガザへの爆撃による被害は「広島へ投下された原爆6発分」と専門家によって分析されている。言葉を失う。

2025-08-06

その後の新幹線の喫煙ルームは何に使うのか?

新幹線は昨年の3月、他の交通機関に遅れること10年?くらいか、やっと完全禁煙になった。

ところが新幹線の車両には、不思議なことに今も「喫煙室」が備えられている。


訪日外国人旅行者がこの数年で格段に増加し、新幹線のなかで大型のスーツケースの置き場所に困っている乗客をいつも目にする。他国に比べて日本の高速鉄道(新幹線)には、荷物用のスペースが圧倒的に足らないのである。

「喫煙室」は、写真のような貼り紙をした上で鍵がかけられ開けられなくしているが、みんなが困っているのだからその部屋を荷物置き場として乗客に開放すればいいのに。

そんなことを考えていたら、車掌がたまたま通りかかったので、なぜ喫煙室を乗客の荷物置き場として利用させないのか問うたが、納得いく答えが返ってこない。

サービス業として顧客の利便性をもっと考えた方がいい、海外からの旅行者を中心に多くの乗客が困っているのだとこちらが話はじめたら、「ちょっと用事がありますので・・・」と言って逃げてしまった。 

2025-08-05

「利用規約」は生成AIにチェックさせよう

インターネット上で、有料無料問わず各種サービスを利用しようとすると、必ずと言っていいほど「利用規約」だの「プライバシーポリシー」や「個人情報の取扱い」といった長々とした文章を読まされる。

金融機関のサイトはなおさらで、各種規約を読んで「読みました」というチェックを付けないと先に一歩も進めない。消費者保護の観点もあるのだろうが、やり方は明らかに現実離れしている。

先日、ある情報サイトを利用するに際して相手から提示された「利用規約」を、自分で読むのは億劫なので生成AIに読ませ、注意点を指摘するように言った。すると、こんなコメントが出てきた。

ーーーーー
 
✅ 注意が必要な条項とポイント
1. 利用規約の一方的変更(第3条)
•    リスク:🌑🌑🌑は利用者の事前承諾なく、いつでも規約を変更可能です。
•    注意点:不利益な変更については告知義務がありますが、利用を継続することで自動的に同意したとみなされる点は留意が必要です。
 
2. 会員登録の取消・強制退会(第5条・第8条)
•    リスク:🌑🌑🌑が「不適切」と判断した場合、会員登録を拒否・抹消可能です。
•    特に強い条文:理由の詳細を通知する義務がなく、損害に対する責任も負わないと明記。
 
3. 免責条項の強さ(第16条)
•    リスク:🌑🌑🌑の責任は「故意または重過失がある場合」かつ「直接かつ通常の損害」に限られ、逸失利益・機会損失は対象外です。
•    実質的な意味:ほとんどのケースで損害補償を受けるのは困難。
 
4. クレジットカードに関する責任(第22条4項)
•    リスク:クレジットカードのトラブルは「カード会社との間で解決」とされ、🌑🌑🌑は一切関与しないと明記。
•    注意点:不正利用・二重請求などが発生した場合も、🌑🌑🌑は対応しない可能性あり。
 
5. 返品・交換の条件が限定的(第24条)
•    リスク:
o    外装や広告物の破損では返品不可
o    申請期間は到着から8日以内
•    注意点:商品本体に明確な欠陥がある場合以外、返品が認められない可能性が高い。
 
6. 会員ID・パスワードの利用責任(第10条)
•    リスク:IDやパスワードが第三者に不正利用されても、利用者側の責任となる。
•    実質的影響:盗用されても自己責任になるため、管理を厳重に。
 
7. サービスの終了・変更に関する免責(第14条・第15条)
•    リスク:サービスが予告なく終了・変更されても損害補償なし。
•    影響例:講座やデジタル商品などが予告なしに停止される可能性。
 
✅ 総合コメント
この利用規約は、🌑🌑🌑側に広範な裁量権・免責権限が与えられており、利用者側の保護がやや弱い構成になっています。一般的なEC規約と同様の範囲内ではあるものの、
•       返品条件の限定
•       会員抹消・強制退会の広範な裁量
•       免責条項の強さ
などにおいて、ユーザーは特に慎重になるべきです。

ーーーーー

とても参考になる。自分で無味乾燥な利用規約など読むのはご免だが、これなら読まずとも注意すべきポイントを知ることができる。

それにしても、他の「利用規約」もいくつか生成AIにチェックさせたのだが、ほとんどはこの通り、自分たちの利益を最大化するとともに責任範囲を最小化したものばかりだった。

知らぬは利用者ばかり、である。

2025-08-04

日本の企業にもAI役員が登場

キリンホールディングスが、経営戦略会議にAIが生成した仮想役員を導入するという。

過去の議事録や外部情報を基に、マーケティングや法務など各分野を専門とする12の「人格」が論点提示や情報提供を担うのだとか。 

その目的は経験や直感だけによらず、客観データを基にした迅速な経営判断を手助けするためだとしており、その発想はなかなか結構である。

それらAI役員は、マイクロソフトやグーグルが提供するモデルを基盤にキリンHDが独自に開発したもので、過去10年間分の取締役会と経営戦略会議の議事録を記憶させたという、

なかなか面白い試みで、これまでになかった戦略が出てくるかもしれない。ただ一つ気になるのは、なぜ過去の取締役会や経営戦略会議の議事録をAI役員に取り込んだのか。

果たしてそうすることが、より高度な戦略立案や意思決定への示唆に役に立つのか。むしろ逆効果にならないか。

これまでの経営者たちによる議論や意思決定プロセス、組織内の習慣性癖といったものは一切教えず、純粋に客観的な市場データや顧客に関するデータ、財務データなどから取るべき最適な戦略の策定や意思決定案を考えさせるべきではないのかね。

個人も組織も、間違った思考パターンで猛烈に学習し続けることほど危険なことはない。

私が以前、ある上場企業から社外取締役の就任を依頼されたとき、まず最初にやったことは、その会社の会議室にこもって過去10年間分の取締役会議事録にすべて目を通すことだった。

その目的は、そこに記されている「過去」を理解した上でそれをフォローするのではなく、逆にその会社の経営上の癖を知ることで、そうしたものに自分が組みせずに取締役として適切な意思決定をするためだった。

今回のキリンHDのAI役員たちも、過去の取締役会や経営戦略会議の議事録の内容をそのような狙いで理解し、今後の新たな方向性作りに生かしてくれると良いのだろうが、果たしてそこまでAIが気を利かせてくれるものなのかどうか、私には定かでない。

現在キリンHDには12名の取締役(こちらは人間の)がいるけど、その数は5年後には半分に減っているのだろう。

ところで、「人格」を与えられる12のAIは会議の場で何と呼ばれるのだろう。まさかキリン1号、キリン2号・・・とか。「南極1号」か!

2025-08-03

上條恒彦さん

人の心をふるわせる声というものがあり、僕にとってのそうした声の持ち主の一人が先日なくなった上條恒彦さんだった。

彼は歌手からスタートし、舞台の役者やテレビの俳優としても活躍した。スタジオジブリの劇場用アニメなどで声優もつとめていた。

初めて聴いた彼の歌は『出発(たびだち)の歌』(1971年)で、だがそのレコード(17センチのドーナツ盤)はどこかにやってしまったらしく探してみたけど見つからない。 

『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』(1972年)が見つかり、ひさしぶりにレコードプレーヤーに載せてみた。この歌唱もスバらしい。

上條の歌唱はもちろんのこと、和田夏十が書いた歌詞もまたいい。あの時代の空気の一つを見事にすくい取っている。


2025-08-02

裸足で全力疾走する女

近所を散歩していたら、道の反対側を向こうから上半身はだかの男が疾走してきた。

このあたりは鶴見川土手が近いせいか、ランニングやジョギングをしている人たちと出会うのは日常のこと。だが、その男は白いシャツを手に、上半身はだかで全速力で走っている。というか、逃げていた。

何ごとかと思ってたら、「誰かそのひとを捕まえて〜」と叫びながら、その男を追う女性が現れた。彼女も全速力で駆けている。

続いて小学校高学年くらいの男の子が現れた。彼女を、そしてその先の半裸の男を一生懸命に追っている。その女性と少年は、裸足のままだ。

現場の状況が掴めず、しばし呆然としてしまったのだが、これは普通じゃないなと思い近くの警察署の番号を調べ電話をかけようとしていたら、その女性と少年がこちらへ戻って来た。男に追いつけなかったらしい。裸足が見るからに痛々しい。話を聞くと、逃げた男との間でいざこざがあったようだ。

電話に出た警察の人間に起こっていることを説明し、われわれ3人がいる場所を伝えたのだが要領を得ない。警察署からは車で1、2分ほどの距離。警察署の建物の前からどう進んだらよいか詳細に道案内をしたにもかかわらず、うまく伝わらない。

そこに配属されたばかりなのかも知れないが、それにしてもだ。警察署の建物の中に閉じこもってばかりで、周囲の地理的状況すら頭に入っていないのだろう。

その後、なんとか警察官にその二人の保護を任せて帰宅後、警察署から携帯に電話が入った。あらためてこちらの名前や住所を教えてほしいというのだが、その際、生年月日を訊いてきた。

何のためにそれが必要か訊ねたら「念のため」だとか。訳が分からない。だから代わりに干支と星座を教えてやった。 

2025-08-01

本から遠くへ離れてしまった日本の子どもたち

全国学力テストと呼ばれる全国学力・学習状況調査の2025年度の結果が公表された。調査対象は国内の小学6年生と中学3年生の全員で、国語、算数・数学、理科の科目について実施されたものである。

それによると、各教科で記述式の問題の正答率が過去の調査時より低く、自らの考えを根拠を示して書く力に課題があることが浮き彫りとなったとされている。

またこの調査と同時に行われた、小学6年生と中学3年生の読書実態についてのアンケート調査では、小学6年生の3割近く、中学3年生の4割以上がまったく本を読まない(読書時間ゼロ)と回答していて、その割合は前回、前々回より増加している。


理由は複数考えられるが、そのひとつは子どもたちが本の代わりにスマホを手にして、多くの時間をそれに費やしていることがあると考えられる。 

ヨーロッパやオーストラリアを中心に、子どものSNSへのアクセスを規制する法制度が成立する動きが出てきた。規制対象となる年齢は国によって多少異なるが、だいたい16歳未満が多い。

オーストラリアでは16歳未満のYouTubeのアカウント作成も禁止されることになり、動画をアップしたりコメントを書いたり、また一部の動画閲覧ができなくなる。 

こうした規制の考え方は正しいと思っている。まともな大人は、国を問わずこうした考え方をするものだ。これからの問題は、どのように実効性のある規制を実現するかだが、技術を用いたスマートな方法論が早急に確立されることを期待する。もちろん、日本でも同様に子どもたちのSNS規制が望まれる。

SNSへの「浸かりっきり」がイジメや暴力的行為を助長しているのは明らかだし、これ以上日本の子どもたちの学力が落ち続けないうちに、国が早めに手を打つ必要性が明らかになっている。 

2025-07-31

KDDIによる契約改ざん

3日前、KDDIから電話があった。それは、前回「確認してご連絡します」と彼らが言ってから10日が過ぎてのこと。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/07/blog-post_18.html

契約している料金プランが、知らぬ間に勝手に変更されていたことへの説明のための電話だ。

結論から言えば、そこでKDDIは契約内容(料金プラン)を自分たちが勝手に変更したことを認めた。 

そもそも今回のやり取りは、料金プランそのままで携帯電話を新たにKDDIで買い換えたことからだった。ところが、その契約を締結したのちにKDDIの社内都合で現行の料金プランを継続できないことが判明したと言う。

そのため、請求内容の内訳の数字を操作し、トータルの金額を以前と同じに調整することで発覚することを隠蔽していた。 

本来は契約者に対して契約内容変更の許可を得る必要があるはず。にもかかわらずKDDIはダマテンでやり、それを認めている。

違法ですよ、とのこちらの指摘を受けて、本日KDDIから「ご契約内容のご案内」なる文書が郵送されてきた。

そこには当初の(本来の)契約内容が書かれていた。今回、辻褄を合わせるために修正したものを送ってきたのだ。ただし、「お客様にご契約いただきました内容についてご案内いたしますので、内容のご確認をお願い致します」とだけ書かれ、自分たちの契約改ざんに対する釈明も謝罪の一言もない。

しかも、「ご契約の内容」を明記した文書の受付日は、バックデイトの日付が印字されていた。自分たちがやったマズイことは活字にはせず、しれっと覆い隠してなかったことにする手口である。

通信会社のやり口ってのは、そもそもこんなもんなのかね。あきれた遵法精神の企業である。今回たまたまバレただけで、どこも似たようなインチキをやっていると思った方がよい。

契約担当の社員ですら、自社の料金プランが複雑すぎてどうなっているのかキャッチアップできていないという面もありそうだ。

880トンの道程へ1グラム

東京電力福島第一原子力発電所の爆発後処理は、あの3.11から14年以上過ぎてもまだデブリの取り出しが始まっていない。

国の専門機関「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」は、2030年代初頭と見ていた取り出し開始時期が2037年以降になると明らかにした。

よく読むと、開始できるまでにこれから12年から15年かかるから、ということ。つまり、開始できる時期が2037年〜2040年頃だと言っているわけさ。

だが、こんな説明は眉唾だと言っておく。

なぜなら、現時点で実際に取り出しに成功したのは1グラム(正確には0.9グラム)。一方、取り除かなければならない原発内のデブリの量は880トン(1〜3号機)と推定されている。

あるペースで既に取り出し作業が続けられているのならば、「このペースで取り出し作業が行われれば・・・」という話にもなろうが、まだどうやって取り組んでいいのかすら分からない状態。

そもそも、このデブリは高放射線、高温、その形状も位置も不明で、取り出し作業は世界でも前例がない超難関作業と言われている。だから周囲のあらゆるもの、人はもちろん、水の処理や環境にも細心の注意と配慮が求められる。 

さらには、取り出した880トンもの高放射線デブリをどこに保管するのか、どこでどうやって最終処分するのか、まだ何も決まっていない。保管場所すら決定できないのに、取り出しに一所懸命になってどうするのか。 

これが現状だ。12年〜15年経てば取り出し作業を開始できると言われても、その根拠が見えない状態でそんな話を信用できるわけがない。

責任者の定年が12年後に控えているから、というのがこの数字の背景にあるんじゃないかと疑いたくもなる。 

2025-07-30

「現役」とは、「人生」とは

日経新聞の社会面に「生涯現役『人生2倍楽しむ』」の大きな文字が躍る。

2025年7月28日、31面

記事には、市役所の職員を定年退職後に弁護士の資格を取得し、現在は法律事務所に所属して相続問題を主に手がけている男性が取り上げられている。 

セカンド・キャリアのひとつの例として紹介されているわけで、役所関連の何とか協会なんてのに天下り再就職するのでなく、自らの意思で獲得した新しい職に打ち込むその人の姿はすばらしいと思う。

一方、この記事から「現役」とは何か、また、この場合の「人生」とは何かということを考えさせられてしまった。

この記事を書いた人は、社会の中で職に就いている人たちだけが「現役」であり、そうした職に従事することが「人生」だと考えているように思う。

だが世の中には病気のため、あるいは重い障害を抱えているためにずっと職に就かず、または就けないまま過ごしている人たちもたくさんいる。ヤングケアラーと呼ばれる、家族の介護のために仕事に就けないでいる人たちもいることだろう。

さらには専業主婦(主夫)たちもまた、この記事の視点からは「現役」からはずれたものとみなされ、一生「人生を楽しむ」状況とは無縁の存在と定義される。

こうした記事が掲載された根底には、「現役」というのは組織で働くなど、社会との関わりのなかで生産活動に従事することだとする固定観念が横たわっている。

病床にある人たちも、障害が理由で職に就けない人たちも、また専業主婦らもそれぞれの意味で「現役」であり、各人の「人生」は確実にあるはずなのに。

そうした当たり前の視点を忘れている。 

やはりグーグルの仕業

昨日書いたテーマパークに関する口コミに関する件、ネット上の無数の「?」に押されたのか、グーグルが自分たちが「やった」と明らかにした。


「ポリシー違反」とかで、「実際の体験に基づかない不適当な投稿」だったからとしているが、実際に客が行ったかどうやったら分かるというのか。

具体的な投稿例すら示しもせず、不適切な「検閲」を裏でやるのは実に卑怯である。

2025-07-29

ここでも不可解なグーグルの検閲行為

つい先日、グーグルがネット空間上で行っている不可思議な操作についてここに書いたが、似た話はやはりあるもので、GoogleMapでもほぼ同様なことが行われていた。

今回はオープンしたばかりのテーマパークという話題の対象だったので、世間に知られるようになった。


https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2507/28/news100.html 

コトラー、94歳

今でもたまにメールのやり取りをすることがあるP・コトラーさんから「そろそろ雑事は切り捨てて、やりたいことだけに集中したい」というメールがあったのはいつのことだったろうか。

彼は1931年生まれ、8年目に亡くなった僕の父親と2つ違い。もうずいぶん長いこと会っていないが、かなりの高齢者であることは間違いない。
 
そんな彼がやっとKotler Impactとの縁を切ったようだ。良かったと思う。その中心として「営業」に猛進していた彼の弟が数年前に亡くなり、経営の中心が別の人に移ったのが契機になったのだろう。
 

彼の名前は今でも『コトラーのマーケティング5.0』といったタイトルの本の共著者として見かけるが、それは名義貸しで実質的な執筆はしていないはず。本を売らんがための、出版社によるコトラーブランドの「販促利用」だ。
 
共著ではないコトラーによる最近10年間の本(単著)は、Confronting Capitalism (2015)、Democracy in Decline (2016)、My Adventures in Marketing (2017)、Advancing the Common Good (2019)、My Life as a Humanist (2022) の5冊。
 
タイトルにMarketingとあるのは2017年のMy Adventures in Marketingだけで、しかもこの本はマーケティングに関して書かれたものではなく彼の自叙伝である。
 
すでに10年前から、彼の関心は近年の資本主義や民主主義のあり方、社会の中での共通善(Common Good)といったより大きなテーマに移っていた。https://4pkotler.medium.com/
 
今もFather of Modern Marketing(近代マーケティングの父)と呼ばれることがあるが、それは彼がかつてSelling(販売)の一手段としてしか考えられていなかったマーケティングを、組織の重要な経営機能の一つとして体系的にまとめあげたからだ。
 
その意味で彼の功績は大きく、マーケティング史、経営史に残るものである。
 
ただ、日本で出版されている彼の名を冠した本で、その帯などに「マーケティングの神様」と書かれているものを目にすると、それはちょっと違うだろうという違和感がある。
 
今度、彼に連絡をとるとき、あなたのことがThe God of Marketingと日本で本の惹句に書かれているぞと伝えてやろうかと思っている。一体、どんな反応が返ってくるか。「私はまだ死んじゃいないよ」とでも言われそうだ。

2025-07-28

ここでも〇〇ファースト

今度の日曜日に横浜市長選の選挙がある。先日の参院選と合わせてやってくれたらよかったのだが、まあしかたない。

前回の横浜市長選時は、山下埠頭(みなとみらい地区)にカジノを含むIRを誘致するという当時の林文子市長に対する信任選挙の意味あいが強く争点が分かりやすかったが、今回はそうしたものが何もない。

4年前のその選挙ではカジノ推進派の市長は落選。そして外資系カジノ企業は大阪市に標的をシフトした。

今回の立候補者は現職を含めて6名。ただでさえ国政選挙と違って情報が限られているので配布された選挙公報に目を通してみた。

6名中2名が、〇〇ファーストを謳っている。二番煎じだ。いや、三番煎じか。講道館柔道二段だという女性は<横浜市民ファースト>を掲げ、「市民の命を守る」と訴える。元甲子園給仕、いや球児の男性は<横浜市民第一主義!>を標榜し、「市長報酬カット」をトップの抱負に掲げる。

なんだかなあ・・・盛り上がらない

2025-07-27

SNSはASN(Anti-social Newwork)

参院選から一週間が過ぎた。今回の選挙は全体を通じて実に不愉快なものだった。

各候補や政党が発する情報の扱いについて、これほど考えさせられた選挙はなかった(たぶんこれがその始まりなんだと思うが)。

 「切り取り動画」なるものが無数にネット空間に流れ、人はそれを見て心を動かされ、投票行動に反映させた。ただし、そこで流されていた圧倒的な量の、自分たちの正当性を主張するメッセージも他者を批判する内容も真偽不明のままでお構いなしだった。

コストなしで誰でもメッセージを発信できるということは、本当に危険なことだと思う。言論の統制をした方がよいと言っているのではない。ただ、自らの利益獲得のためにーーそれが投票行動であれネット広告からの収入であれーー明らかに間違った情報を拡散しようとしたものに対しては罰則が必要だろう。 

今さらながらだが、受け手の問題も大きい。「人は自分が信じたいものを信じる」生きものだから、簡単に誘導され騙される。そのための第一原則は、発信者が不明(無署名)な場合は、意識的にスルーすること。第二の原則は、内容について自分の頭で正しいかどうか考えて判断するしかない。

今回、東京選挙区で当選した皿だか竿だか知らないが、歌手を自称する女性は徴兵制の導入と日本の核武装を主張しているような人物である。

投票した人たち、特に若者たちはそれを理解しての選択なのだろうか。ならば、その女性と一緒にまずは自衛隊に入隊して訓練を受けろと言いたい。

今回の選挙戦の主な場はネットで、その主要ツールがSNS(Social Networking Service)だったわけだが、その今日的な意味はSocial(社会的)ではなくASN(Anti-social (反社会的)Newwork)にほかならなくなってしまった。

2025-07-26

グーグルによるセンサーシップ

先月、このブログの記事の多くがグーグル社によってそのインデックス登録をはずされたと書いた。

グーグル社から「バツ」を付けられたわけだが、彼らによるそうした「検閲」を確かめる目的で今回ブログサイトへ広告を掲載する設定にしてみた。

結果は想像したとおりで、広告掲載は不可だと言ってきた。

 
(クリックで拡大)

どのような審査だったのかは不明。相変わらずまったくのブラックボックスである。

おそらく、グーグルについての批判的コメントをいくつも掲載してあることが原因だろうと思っている。

というのは、以前、彼らからブログ上に広告を掲載するように推奨され、実際にネット広告を掲載していたことがあるから。

だけどその時は、広告収入といっても大した金額ではないし、またどんな種類の広告が掲載されるかコントロールできるわけではないので、ブログへの広告掲載はまもなく止めてしまった。

そうしたいきさつからも、今回の審査結果に対して僕は彼らに邪悪なものを感じる。

グーグルはそのポリシーを以下のように定めている(ChatGPTによるまとめ)。これらはすべて常識的なものばかり。このブログの記事をブロックする理由は一つも見当たらない。 

主なGoogleポリシーと違反例
1. Google 広告(旧AdWords)関連ポリシーの違反
    1-1 禁止されている商品・サービスの広告(例:偽造品、違法薬物)
    1-2 誤解を招く広告(例:虚偽の主張、不実表示)
    1-3 不正な広告行動(例:自動クリック、複数アカウントでの回避)

2. YouTubeのコミュニティガイドライン違反
    2-1 ヘイトスピーチや暴力的コンテンツの投稿
    2-2 著作権侵害(例:無断転載)
    2-3 スパムや詐欺的コンテンツの拡散
    2-4 子どもの安全に関わる違反行為

3. Google 検索に関するポリシー違反(検索スパム)
    3-1 キーワードの乱用(キーワードスタッフィング)
    3-2 クローキング(ユーザーと検索エンジンに異なる内容を表示)
    3-3 被リンクの不正操作(有料リンクやリンク交換など)

4. Google Play 開発者ポリシー違反
    4-1 マルウェアを含むアプリの配信
    4-2 ユーザーデータの不正な収集・送信
    4-3 無断で課金する仕組み

5. Googleアカウントの不正使用
    5-1 なりすましや偽名での登録
    5-2 不正アクセスの試み
    5-3 スパムメールの大量送信 

ネットの世界ですべてを自分の手でコントロールできると思っているグーグルは、自分たちを「神の座」に座っている存在と考えているのだろう。 

2025-07-24

渋谷陽一が亡くなった

2年前に脳出血で倒れ、その後リハビリを行っていたらしい。享年74歳。

渋谷が音楽評論家としてデビューしたのは、彼が19歳のとき。最初のレコード評は、グランド・ファンク・レイルロードの『サバイバル』についてだった。

その翌年に『rockin' on』を岩谷宏や橘川幸夫らと創刊している。確かまだ明治学院大の学生だったと思うけど。彼の論評スタンスは結構過激で、歯に衣着せずと言うか好き嫌いがはっきりしていたように思う。それが彼のロックへの向き合い方だった。

『ロッキング・オン』が誕生した頃の話は、橘川幸夫の『ロッキング・オンの時代』(晶文社)に詳しい。70年代のカウンターカルチャーの時代の空気が伝わってきて面白い。高度経済成長する時代を背景にした、懐かしく、思い切りのいい時代だった。 

個人的には、当時『ロッキング・オン』の渋谷陽一と『ニューミュージック・マガジン』の中村とうようがロック、ポップス、ブラック・ミュージックへの案内人だった。

渋谷は雑誌『ロッキング・オン』や『CUT』などを創刊したユニークな編集者であり、優れた音楽評論家であるとともに、リスナーを魅了するラジオDJだった。

雑誌メディアからスタートした渋谷は、僕にとっては「書く人」より「話す人」として記憶に残っている。NHKの『若いこだま』のラジオDJを彼が始めたとき僕は中学3年で、毎週ラジオに耳を傾けていたのを覚えている。NHK-FM『サウンドストリート』『ミュージックスクエア』など彼が英米のロックを紹介する番組も聴いていた。

僕が後年、FMラジオ局でラジオDJをやったのは、こうした番組をやっていた渋谷陽一とFM東京(現Tokyo FM)で「気まぐれ飛行船」をやっていた片岡義男の二人からの影響が大きい。

80年代前半、知り合いの勤める外資系広告代理店に「渋谷です」と言ってよく電話がかかってくるという話を聞いたことがある。彼女の職場の同僚が渋谷のガールフレンドらしくて、彼からの電話をよく取り次いだらしい。メールなんかなかった40年前のことである。

 

ちなみにGrand Funk Railroadは現在もバンド活動を続けている。まさにサバイバルだ。 

GFRの1974年のライブ。なぜか3人とも裸だ

 

2025-07-20

家電量販店の店頭掲示

友人が、都内の家電量販店で目にしたという店内ポスターの写真を送ってくれた。各フロアのレジに掲げられているらしい。

(クリックで拡大)

「STOP!  カスタマーハラスメント」の下には、「みなさまに気持ちよく過ごしていただくために」と書いてある。それにしては、まるで子どもに行儀を教えるかのように客に作法を説く。


掲示されたメッセージの受け取り方は人それぞれだろうが、ぼくは一読して嫌だなと感じてしまった。

上記のようなことを言わなきゃならないってことは、自分たちの客がそうしたレベルであるってことを言っているようなもの。そして、客にこのような言い方をする店側もまた、そうしたレベルであることを表している。 

ポスターの下の方に国土交通省、経済産業省、消費者庁、厚生労働省、法務省、警察庁、農林水産省の7省庁の名前をずらりと並べている。お上の名前で来店客を威圧しようというわけだ。

この家電量販店チェーンは、それほど悪質顧客に悩まされ続けているのかネ。

彼らが「カスハラ」と呼ぶものが年間どのくらいの件数発生してるのか、その会社の本社に問い合わせてみたら、「回答は拒否します」と言われた。その理由を問うたら、「それも拒否します」と返ってきた。

店頭の店員たちに気を遣ってやることはもちろん重要。だが、顧客も大切だという基本をこの企業は忘れているんじゃないか。

2025-07-18

相手は疑う、自分たちは信用してもらうしかない、とは

しばらく前、家族用のケータイの機種変更をKDDIで行った。料金プランは変えてない。

その後に郵送されてきた文書で料金プランの継続は確認済みだったのだが、先日届いた通話料の請求内訳を見るとなぜか料金プランが変更になっていた。

問い合わせたところ、相手は詳細を確認をして後日連絡するということで電話を切った。

本日知らない番号から着信があり、たまたま出たらKDDIだという。相手が私の名前を確認した後、私に生年月日を言え、という。

目的を尋ねたら「本人確認のため」。相手が言うには、本人になりすました第三者の指示で料金プランなどが変更されないようにするためだとか。だが、これはどう考えても失礼だし、おかしい。

電話をかけてきたあなたたちは自分が本当にKDDIの人間であることを先に証明すべきだろう、と言ったら黙ってしまった。で、信用してもらうしかないと。

だったら電話してきておきながら、相手に生年月日など言わせるなよと腹が立った。 

相手は疑ってかかる、だが自分のことはただ信用しろ、というのが彼らの考え。顧客を馬鹿にしてないか。

電話をかけてきた女性はその辺のことは分かっているようす。だが、そうしろと言われてやっている。こうした手続きをつくり、現場に押し付けている管理側の人間に問題がある。

料金プランが勝手に変わった原因はまだ分からない。 

2025-07-16

アメリカには今、スーパーヒーローが必要なんだろう

今日のニューヨーク・タイムスが歴代のスーパーマン6人を取り上げ、それらを詳細に比較した記事を掲載していた。

なんで? という印象だが、アメリカ人は今、こうしたスーパー・ヒーローをどこかで求めているからかもしれない。

などと思ってしまうのは考えすぎかもしれないが、自分のことを「キング」だと勘違いしているアメリカ一の、いや世界一の権力者でならず者がいるからね。 

僕が個人的に好きなのは、何と言っても映画の第1作目から4作目まで(1978ー87年)スーパーマンを演じたクリストファー・リーブである(写真左上)。 なんというか端正でハンサム、優男(やさおとこ)で女性にもてそうだ。

力強さはもちろんだが、知性も表現できた。それは役作りによるスーパーマン(クラーク・ケント)のキャラクターというより、リーブがそうした人だったのだろうと思う。経歴を見ると、彼はコーネル大を卒業した後、ジュリアードでも学んでいる。 

後年、乗馬中に落馬して脊髄を損傷。以降、障がい者として車椅子の生活を続けながら映画監督などを行った。自ら車椅子の主人公を演じたりもした。リーブは、エミー賞やグラミー賞まで受賞している多彩な人だった。

NYTで「原型」と評されたクリストファー・リーブのスーパーマン

2025-07-13

観天望気

このブログのタイトルに関してときどき質問を受ける。 

あらためて辞書で確認したら、観天望気とは「雲や風や空の色などを目で観察して,経験的に天気を予想すること」とあった。まあ、ざっとそんな感じか。

辞書の定義を少しだけ修正すると、観察するのは必ずしも目だけとは限らない。風や湿度や気圧の変化は視覚でなく体で感じて、その変化からこれからどうなるか推理を働かせる。

そうやって知識と経験と体の感覚すべてを使って天気を読むのは簡単ではないが面白い。

観天望気の技術を身につけたのは学生時代。何日も山に入っていると、先の天気がどうなるか分からない。しかも山の天気はただでさえ変わりやすい。安全に山行を続けるためには翌日、翌々日の天気がどうなるか正確に予見することがとても重要になる。

だから夜10時になると、テントの中でポケットラジオから聞こえてくる気象通報をもとに天気図用紙に日本各地の気圧、風向、風力、気温を書き込み天気図を描き、翌日以降の天気を自分で予測する。

天気の流れを知るためには、高気圧と低気圧の位置を知ることが大切だ。また等圧線のかたちも重要な情報になる。

陽が沈む夕暮れ前にはテントの外で空を眺めて雲の高さや空の色、風の具合も確かめておくことを忘れない。そうやって目に映る雲の状態のほかに、体で感じる気温、湿度、風から天気を読む。

実際に観天望気で分かるのは、せいぜい明日は一日雨に降られずにすみそうだ、とか、午後からは一雨来そうだというレベルだが、それでも貴重な情報であることには変わりない。

今、手元のスマホにウェザーニュースのアプリが入っている。無料版ながらアプリの「レーダー」でこれからの天気の変化が時刻ごとにピンポイントで分かる。

とても便利だが、気をつけなければとも思う。こうしたお天気アプリに慣れてしまうと、自分で空を見て天気を読む勘を失ってしまう。

それはクルマを運転するときに毎度ナビを使っているといつまで経っても道を覚えず、方向感覚や距離感覚が鈍っていくのと同じだ。

万一、そうした高度な技術ツールが使えなくなったとき、自分の体一つでどれだけ状況に対応できるかが人間に欠かせない力だと信じている。 

だから、このブログのタイトルは観天望気。周りの表層的な言説に左右されず、自分の感覚を頼りに社会という天気の先を読む。 

2025-07-12

ジェノサイドで儲ける世界的企業

未だに止まないイスラエルによるパレスチナへの攻撃。そのなかには病院や学校、子どもまで標的にした明らかに国際法に違反した攻撃が多い。食料の配給場所に集まった住民に向けてのイスラエル兵士による発砲まで行われている。

国連のフランチェスカ・アルバネーゼ特別報告者が、イスラエルによるパレスチナへの攻撃を可能にしている各種技術や情報の提供元を報告書で明らかにした。

2025年7月1日付の報告書「From economy of occupation to economy of genocide(占領の経済からジェノサイドの経済へ)」である。

そのなかで名指しされている主な企業の名前をあげる。多くは米国の企業だ。

🌑 軍需・防衛関連:
    Lockheed Martin
    Boeing
    General Dynamics
    Leonardo
    Oshkosh Corporation

🌑 重機・建設機器:
    Caterpillar

🌑 テクノロジー&クラウド:
    Microsoft
    Alphabet Inc.(Google)
    Amazon
    IBM
    Palantir Technologies
    HD Hyundai

🌑 航空宇宙・部品:
    Israel Aerospace Industries (IAI) 

🌑 金融・資産運用:
    Allianz(PIMCO)
    Barclays
    BlackRock
    BNP Paribas
    Pimco
    Vanguard

🌑 ロジスティクス:
    Maersk

🌑 コンサルティング:
    Boston Consulting Group

🌑 エネルギー:
    Chevron

🌑 航空・誘導兵器関連:
    Honeywell

米国の主要な軍需・防衛企業が登場するのは予想どおりだが、アマゾンやグーグル、マイクロソフトまでもかと・・・。ボストンなんたらというコンサル会社の名前も見える。報告書の中、日本企業ではファナックの名前が挙げられている。

https://www.theguardian.com/world/2025/jul/03/global-firms-profiting-israel-genocide-gaza-united-nations-rapporteur

https://www.reuters.com/business/aerospace-defense/lucrative-business-deals-help-sustain-israels-gaza-campaign-un-expert-says-2025-07-01/

https://www.bbc.com/news/articles/cx2039xpv87o

https://www.nytimes.com/2025/07/10/us/politics/gaza-francesca-albanese-sanctions.html?searchResultPosition=1

2025-07-11

あなたはどこまで「ファースト」か

今回の参院選で気になる動きの一つが「日本人ファースト」といった排外的な考えを前面に打ち出した党の台頭と、それを支援しようとする有権者たちである。

どの政党を支持するかは、それぞれの有権者の自由。ただ、「日本人ファースト」という考えを支持している人たちには、自分が「ファースト」として本当に処遇される側にいられると思っているのか問うてみたい。

「オレたち」と「アイツら」を二分することで人々の帰属意識をくすぐり、集団の傘の元へ引き寄せるやりかたは為政者による人心をつかむための常套手段である。

万が一、そうした考えに沿って日本にいる外国人を排斥したあと、何が起こるか考えた方がいいと思う。きっと次に起こるのは「エリート・ファースト」「富裕層ファースト」「既得権者ファースト」、つまるところは「権力者側の身内ファースト」だ。

「日本人ファースト」を政策とする政治家がやりたいことは、決して日本人すべて(1億2千万人の人口)をファーストな存在として取り扱うことでなく(そもそも不可能)、対立の構図をつくり人々を煽ることで自分たちに目を向けさせたいだけ。

外国人排斥に気持ちよさを感じるような人たちは、「日本人ファースト」で自分がファーストな扱いを受けられると思って歓迎しているのだろうが、次はそうした連中に向かってブーメランの先は向かっていく。 

2025-07-09

“調査によると「日経新聞」を信用していない日本人が8割を超えた”

昨日の日経新聞のある記事に「都内では薬剤師の7割がカスハラにあったことがあるとの調査がある」という記述があった。

「調査」と書いてあるだけで具体的な調査名が示されていなかったので、それは何の調査なのか新聞社に問うてみた。

それに対しての同社からの返信。

お尋ねの件ですが、読者の皆様にお伝えできるのは記事に書かれていることが全てでございます。お問い合わせされてきた方にだけ、記事に書かれていない詳しい内容や情報などを特別にお伝えすることは、できないことになっております。 

もし『週刊文春』が(別に文春でなくても他の週刊誌でも新聞でも構わないのだが)記事の中で「ある調査によると、日本経済新聞の記事の信憑性に疑問をもっている日本人が8割を超えている」と書いたら、日経側はどう反応するか。

フツーに考えれば、彼らはその記事を掲載した雑誌社や新聞社に対して「その調査とは何なのか明らかにせよ」と求めるだろう。

それは至極当然のこと。というか、もしそのまま放置するようなら新聞社であることをやめた方がいい。であれば、なぜ先のような回答を読者に寄こして平気なのか。

「・・・との調査がある」という場合、それがどのようなサーベイなのか明らかにするのは報道機関としての基本的な責務である。それがなければ、「調査によれば・・・である」とした勝手な記事がいくらでも書けることになる。 

「お問い合わせされてきた方にだけ、記事に書かれていない詳しい内容や情報などを特別にお伝えすることは、できないことになっております」というなら、自社サイトに読者からの質問とそれへの回答を掲載すればいい。

記事に対しての無責任さ。そして、読者を見下した新聞社のどうしようもない対応である。

2025-07-06

「なんでそうなるの」

今朝の日経新聞、その一面トップ記事に首を傾げた。

企業の経営計画を取り上げ、「数年単位の中期より10年以上の長期目線で経営に取り組む企業の方が、 利益の伸び率が大きいことが分かった」と書くのだがーー。

記事の書き手は、根拠として2024年にあずさ監査法人が行ったという調査をあげている。その調査結果では日本企業を将来の計画への時間軸の長さで区分けし、1年、3年、6年と答えた企業より10年以上としている企業の方が業績(過去5年間の営業利益の平均伸び率)が良かった(前者が18%、後者が52%)と述べている。示されているのは相関関係である。

だが記事は、10年あるいはそれ以上の長期的目標を設定する方が企業は高い業績をあげられると結論づける。目標を中期ではなく長期的に持つことによって、長期的な人材教育や投資が可能になるからだと説明しているが、理屈が通っていない。 

これって、因果関係の説明が逆転してるのではないか。データの範囲内で解釈を試みるなら、幸いにして過去5年間の業績(営業利益の伸び率)が好調だったからこそ、長期的な目標設定をすることが可能な経営状態にあるというのが実態ではないのか。

そしてそれほど儲かっていない企業は、まずは3カ年程度の収益目標をたて、それをどうきちんと実現させるかに注力せざるを得ないのが実状だろう。

そもそも、それこそ10年以上前から10年超の長期計画を目標にしてきた企業と、従来の中期を目標にしてきた双方の企業群の業績を10年間遡って比較してみなければ記事が言っていることは証明できないはず。だが、そうした検証は行っていない。

記事を書いた人物は、経営者には長期的な視点こそが重要であり、長期的に人材教育を施し長期的な視点で将来へ投資する企業こそが成功する、と言いたいようだ。彼(女)はファクトではなく、自分がそう思う(思いたい)ことを書いている。そして、最近では中期経営計画は廃止する企業が出始めているとしている。

しかしそれは、未来を確実に予見できればの話。今後10年先に市場がどうなっているか、顧客がどこにいるか、主要な競争相手がどこか、さらには世界経済はどうなっているかなど、そうした種々のことが明確に分かっていれば超長期目標でやればよい。

だが、常識的に考えればそれはムリ。もしできるのなら、どうやって予見するのか教えて欲しい。超能力でもあるのか、あるいはAIが教えてくれるとでもいうのか。 

書き手の思い込みと誤った推論をもとにした典型的な記事である。

2025-07-01

Amazonから Appleへ切り換え

音楽のストリーミングサービスをAmazon Music Unlimited(AMU)からApple Musicに代えた。

AMUはアレクサでも使えてまあまあだった。だが、iPhoneとiPadでは最後まで使えなかった。

海外に住んでいたとき、現地のアマゾンのアカウントをつくり書籍やアプリを購入していた。そのため今もアマゾンのアカウントが2つあり、それらが影響し合ってiPhoneやiPadでAMUが使えなくなっているというのがアマゾン側の説明。

それが本当かどうかは、残念ながら自分では調べようもない。ぼくの問題解決のためにアマゾンではエンジニアのチームが日夜解決方法を探っている、という返答を受け取ってから1年以上経つが、その後の連絡はなし。

残る解決法は、アカウントの一つを削除することらしい。だが、そうすればそのアカウント名で購入したアプリや書籍など一切が使えなくなってしまう。

ならばと、AMUを止めてApple Musicに切り替えることにした。

つい先日、ジェフ・ベゾスはヴェネツィアで結婚式を挙げたらしい。オーバーツーリズムを理由に多くの地元住民が反対の声を上げるなか、72億円の費用を投じて6月27日から3日続く結婚祝賀行事を行ったとか。

ユーザーが手元のデバイスから音楽を聴けないで不自由しているなんて些末なこと、彼にはまったく関心はない。

われわれにできることは、まずは顧客であることを止めることなのである。 

2025-06-30

今夜も電話をかける

海外小説の出版を事業の中心とする早川書房、その社長による「私の履歴書」の最終回は次のようなくだりで終わっていた。

買おうかどうか思案している本の版権はいくつもある。さて、今夜はどの出版社、どのエージェントに電話をかけようか。 

やはりそうなのだな、と思った。電話なのだ。

メールでも要件のやり取りはできる。しかし、相手の声を聞き、こちらも肉声で応える、いきなり要件に入るのではなく、ときには相手への気遣いやちょっとした気の利いたスモールトークで雰囲気をつくって、それからビジネスの話に入る。タイパが信条、などと言っている向きには理解できないだろう。 

これは手間がかかる、もったいぶったやり取りかもしれない。しかも、電話で話しあったことはメールなどで必ず確認しているはずだ。 

だけど、やっぱり電話するんだな。相手の住んでいる国の時刻を頭の片隅におきながら。

彼らが扱っている本という商材の特性もあるし、出版業という製造業やITなどとは違った肌合いのビジネスという背景もあるだろう。

ただ単に性能や特性、価格をもとにその場限りの売買を決めるではない、相手の顔を思い浮かべながら最終的に決めるというやり方。こうしたビジネスを今もやっている業界があるということに、なんだかほっとする。 

2025-06-28

ブログ記事の品質は誰が判断するのか

ブログを書き始めたのは2009年から。思ったことを勝手に書き綴ってきたが、どうもこれまで書いたブログ記事の多くがGoogleで配信されていないことが判った。


Google上でのインデックス未登録とされたものが多数あり、さらにひと月ほど前にその数が一気に急増していた。

なぜそれまで登録されていた記事まで未登録にされたのか理由は不明だ。手がかりを知ろうとそのグーグルで検索してみると、説明が記されたページにブログ記事の品質に関する記述が現れた。 


ページの品質が十分に高くなければいけません、だって!? 

だが、「品質」についての定義もその基準の説明もなく、やってることは相変わらずブラックボックス。

これまでグーグルという企業に対する不審と不信についてもこのブログで取り上げてきた。それが理由かもしれない、と思っている。

いま使っているこのbloggerというサービスだが、グーグルが運営していると知らずに使い始めてしまった経緯がある。他のブログサービスへの移行もできるが、それには手間がかかるし、どうしようかなと。 

2025-06-21

問題の本質は、マスクでなくマスキング(隠蔽)にある

安倍政権が2020年に全国に配布した「アベノマスク」に関し、業者との契約過程が不明だとしてそれを明らかにするよう神戸学院大の上脇教授が求めた裁判が、原告側勝訴で確定した。

業者との契約過程を記した文書の不開示決定の大半が取り消され、国に賠償金の支払いを命じた大阪地裁の判決に対して国は期限までに控訴しなかった。

地裁の判決はというと、マスクを調達する業者との記録が文書1枚、電子メール1通すら作成されないまま事業が行われたとは考えがたいとしたものだった。

今後、われわれが注意を向けるべき点は、彼らが「ない」と言っていたはずのどんな文書が出てくるかということにまして、原告側の開示要求に対して国が一貫して「記録は一切ない」と突き放したウソの回答をしていたことにある。

裁判に訴えた原告だけではない、すべての国民をなめていないか。 

日本全国の5,600万世帯へ配布するマスクの調達と発送を、コロナ時において業者と文書1枚、メール1通かわさないで(すべてを口頭だけで!)手続きするなど、小学生が考えてもオカシイのはあきらか。

そうなんだけど、国側はこともあろうか裁判の場でもそう言い放った。なぜか。その理由は簡単で、役人はこれまでも市民からの問合せに対して「そうした記録はない」と突き放して、それで済ませていたからである。

それが彼らの常套手段であり、突き放された市民側は「記録はない」と言われて引き下がるしかなかったから。いくら「それはおかしい。あるはずだ」と主張しても、役人側が「ないものはない」と譲らなければ、市民側はそれ以上は手の出しようがないからである。

これが役人の手口。強弁を続けてしらばっくれれば、やがて相手が引っ込むと思っている。だが、裁判ではそうはいかなかった。当たり前だけどね。 

役人にとっての常識が、いかに市民にとって非常識かが浮き彫りになったひとつの例だ。

だいたい、市民からの情報公開請求に対して役所がさっさと応えればすむものであって、裁判で争うようなものじゃないと思うんだが。 

2025-06-17

「世界の果てからこんにちは Ⅰ」

早稲田大学の南門通りにある早稲田小劇場どらま館がリニューアル10周年を迎えた。そして、もともとその地に芝居小屋「早稲田小劇場」を構えていた鈴木忠志がSCOT(Suzuki Company of Toga)を利賀に立ち上げてから50年目。

その節目の年ということで、早稲田小劇場どらま館で「世界の果てからこんにちはⅠ」の映像上映会が行われた。

早稲田小劇場どらま館

今回の記録映像は2023年の利賀での同作品の上演風景。ステージの後ろに広い池が配置され、そのさらに背面には利賀の山なみが控える円形劇場である。むかし演劇際(利賀フェスティバル)を現地に観に行った夏のことを思い出す。

「世界の果てからこんにちは Ⅰ」

昨年暮れは帰国していた折に「世界の果てからこんにちはⅢ」を都内の劇場で観る機会があった。が、鈴木演出の芝居は室内ではなく、利賀の屋外劇場で観るのがやはり一番と再認識した。 

2025-06-12

ブライアン・ウィルソンが亡くなった

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが82歳でなくなった。

薬物中毒に苦しんだり、精神を病んだり、彼の人生は大変な苦痛の波に何度も襲われていた。死去する前は認知症を患っていたらしい。

ただ3年前に公開された映画「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」の中の彼には、そうした印象はまだ見受けられなかったのだけど。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/08/blog-post_21.html  

間違いなく不世出のミュージシャンだった。これから世界中の多くのミュージシャンからトリビュートが寄せられることだろう。 

ところでビーチ・ボーイズというバンド名は、彼らが自分たちで付けたものではなく、レコード会社が勝手に命名したもの。彼らにはもともと別のバンド名があったが、レコード会社によって製作されたレコード盤には見たこともない名前が印刷されていた。そのときメンバーは全員驚いたが、すでに遅かった。

ビーチ・ボーイズの、というか、ブライアン・ウィルソンの曲にはサーフィンをテーマにした曲もあるけど、バラード調の曲にもすばらしいものがたくさんある。


2025-06-10

岡山県と香川県の間には何があるか

今年、3年おきに開催される瀬戸内国際芸術祭の第6回目となる催しが香川県の直島を中心に開催されている。
https://setouchi-artfest.jp/

直島にはいまでは世界中から現代アートのファンが訪れる。アメリカ、フランス、イギリス、オランダ、トルコ、ニュージーランド、韓国、中国、香港、タイ、スペイン、モロッコなどなど、僕が現地で知り合った人たちだけでもその国籍は数えきれないくらい。

先日、NHKの看板番組のひとつがその島を取り上げた。番組の冒頭、現地を訪れた同局のキャスターである有馬嘉男は「直島は、岡山県と香川県の間にある島です」と紹介した。

んっ? 直島はまぎれもなく香川県の島。そもそも、岡山県と香川県の間には島などない。何かあるとしたら(目には見えない)県境のラインだけだ。

まあ、よくある言い間違いといえばそうなのだが、その番組は生放送ではなく、収録したものを編集して制作した50分のゴールデンタイムの全国放送番組である。

放送前には何人ものNHKの人間が試写を見ているはずなのに、どうしてこうした日本語の初歩的な誤用に誰も気づかないのだろうか。

ところで、この番組では瀬戸内海の島々が「アートによって甦った」というテーマを据えていたが、かつて瀬戸内海が公害に汚染されていたという死んだ魚の映像がとってつけたものだった。

死んだ魚たちが岸辺の波間に漂う映像だったが、クレジットが何もなかったのでその撮影年と場所を問うてみた。すると、1970年に水島コンビナート付近で撮影された映像だという。55年前のものだ。

瀬戸内国際芸術祭の第1回が開催されたのは2010年。40年間にわたり瀬戸内海が腐った海であったわけではないし、それほど長きにわたって酷い風評被害を受け続けたわけでもない。

番組内容にはそれ以外にもおかしな点がいくつかあり、今回の番組の製作・著作だったNHK岡山局に話を聞こうと連絡したところ、「担当ディレクターは現在休暇をとってヨーロッパに行っており、1か月以上先にならないと帰ってこず、それまで連絡はとれません」と言われた。

失笑するしかない。 

2025-06-08

同質性メンバーが生む集団思考が招く失敗

東京電力の旧経営陣で、今回株主らから裁判で責任を問われた被告について調べたら、実に似通った4人組だった。

元会長・勝俣恒久(故人)
元社長・清水正孝
元副社長・武黒一郎
元副社長・武藤栄

これら4人はいずれも年配の日本人男性。東電への入社は4人のうち3人(勝俣、清水、武黒)が1960年代、1人が70年代前半。概ね同世代である。出身校は4人のうち3人(勝俣、武黒、武藤)が東京大学、1人が慶応大学。それぞれが上記の役職に就いたのは3人(勝俣、清水、武黒)が2008年、1人が2010年。4人とも新卒入社で東電一筋のキャリア。

これだけでも、彼らが極めてホモソーシャルな集団であることが分かる。そうした同質性の高いグループは、一般的に米国の社会心理学者 A・ジャニスがいうところの集団思考に陥りやすい。そして、集団思考という思考停止の結果、組織は失敗する。

ホモソーシャルなだけではない。4人の中には明確な上下関係(入社年度)があり、そのなかで各自が保身のために生きていた。 

そのような集団では合理的かつ独自の判断は求められない。既存の秩序とルールを決して乱さないこと、全体の流れから逸れないこと、そのために「変化」を起こさないことが最良の生存戦略になる。

目は組織の内部にしか向いておらず、自分たちの事業が兼ね備えているはずのリスク、たとえそれが人々の命にかかわることであっても「本気で」考えることなど及びもつかない現状維持バイアスで脳みその大半が埋め尽くされたサラリーマン経営者たち。 

このことは当時の東電だけではなく、多くの日本の大企業が今も同じである。 

2025-06-07

原発を東京に

東電旧経営陣の責任を問う株主代表訴訟の判決で、東京高裁はかつての経営者4人に対し13兆円強の賠償を命じた東京地裁の1審判決を完全に翻し、無実とした。 

ポイントは、津波を予見できたか否かの判断であり、その元となった国が行った地震予測の長期評価をどう扱うかだった。

東日本大震災の9年前に国の機関が公表した地震予測「長期評価」では、三陸沖から房総に至る地域でマグニチュード8.2級の大地震が発生する可能性があると言及されていた。

そして、地震が起こった場合、福島第1原発は最大16メートルの高さの津波に襲われると東電は計算していた。実際に東日本大震災が起こる3年前、2008年のことだ。

しかし、東電の当時の経営者らは対応策を施さなかった。なぜか? 「そんなもん、めったなことじゃ起こるはずない」という希望的観測だ。あるいは「自分が在任中に起こらなきゃ構わない」といった経営者の考えがなかったと言えるか。

国の機関による地震予測に対応する対策を東電がとっていれば、最悪の事態は防げたのが今になれば残念でならない。

結果、2011年に大地震と大津波が発生し、冷却水を取るために海岸沿いに設置された福島の原発が爆発したのである。

事故の発生リスクを知っていながら策をとらなかった。これは明らかに経営ミスであり、それゆえに1審の東京地裁はその責任を認めた。

ところが、東京高裁は一転無実とした。地震発生の長期評価の信頼性が不十分だと結論づけたからである。裁判官は科学者でもないのに。

地震発生について、その規模やタイミングを完璧に予測することはできない。当時も今も、おそらく将来的にもそうだろう。

だが、それは当時のトップレベルの専門家がまとめた見解だった。無視していいことにはならない。無視するのであれば、そもそも国の機関によるそうした報告書自体がまったく無意味ということだ。

高裁の木納敏和裁判長は、評価委員会の結果を信頼できないものであって、対応を取らなかった東電の経営者が言った「巨大津波は想定外だった」という言い訳を丸呑みしたわけだ。

ちなみに、東電の勝俣は原発事故の7年前、東電の地域住民モニターだった町議の女性から「原発の非常用発電機を地上に移して欲しい。大津波に襲われるから」と訴えられたとき、「コストがかかりすぎるから無理」と回答していた。津波が想定外だった、なんての噓っぱちで、金がかかるからやんないとはっきり明言していたじゃないか。 

リスクといっても、もしそれが発生した場合、企業の売上が減少するとかの話ではない。万一それが発生した場合、多くの人命が失われ、その地域も国全体も長年にわたって被災し続けることは分かっていたはずだ。にもかかわらず、4人の経営者はリスクを看過した。 

世界を震撼させた東電福島第1原発の爆発事故からまだ14年しかたっていないのに、国は「原発回帰」に舵を切った。今回の東京高裁の判決は、まさにそれを忖度し支持するものである。 


そもそも、原子力発電がかかえるリスクを電力会社の経営者が知らないはずはない。だからこそ、原発は電力需要が最大の東京ではなく地方の福島や新潟、大阪ではなく福井や石川に置かれている。

私たちも原発のリスクを過小評価しすぎ。たとえそのことを分かっていても、すぐ忘れるし。理性的に考え続けるのはたいへんなのだ。 

2025-05-31

中国繁体字が表示される理由

アマゾン・キンドルで本を読んでいるとき、指先でスクリーンをなぞり特定の箇所にマークを付けることができる。紙の本で横線を引いたり、アンダーラインを引く感覚だ。 

それらはアマゾンのサーバー内に記録され、あとで呼び出して読んだり、一覧をメールに添付して送ることができる。マーキングするだけでなく、メモを付けておくこともできて便利だ。
 
キンドルで本を読み終え、自分がハイライトしたものをメールで送って一覧を開いたところ、なんか変だ。文が日本語の句読法に沿ってなく、中国語の繁体字の表記の仕方(横書きの場合、句読点が下になく、中空に浮かんでいる)になっている。漢字の書体も日本のものとは違う。
 

自分がどんな本を読み、その本のどういった箇所にしるしをつけたかなんてことは個人情報であり、思想信条にも関すること。
 
なのにそれらが外国のサーバーに記録されてしまっているというのは気分がいいものではない。
 
利用者の不安を除くためにも、アマゾンはそのあたりの説明をすべきだろう。 

2025-05-28

政治や行政にたかる心根は日本人共通か

関西のあるテレビ局が緊急調査と称して神戸・元町で県民100人に「兵庫県知事は辞任すべきかどうか」についてインタビューした。

結果は「続投すべき」が37人で「辞任すべき」が63人だった。調査結果と言っても統計的な意味はない。

だから、こんな意見もあるのか、といった参考程度にしかすべきではなのだが、その中にちょっと気になったものがあった。

20代だという兵庫県立大学の卒業生が、「(斎藤知事は)続投すべきで、僕らの世代からしたら若者への支援が充実していると感じる。自分らが直で受けた授業料の無償化が大きかったので、特に辞任っていう意見はない」とコメントしていた。

僕はこれを聞いて、実に厭な気持ちになった。

授業料を無償化してくれたことを理由に斎藤は辞任する必要はないと言っているが、これって国からの補助金を受け取っている農家がそれを理由に自民党の議員を支持するのと何ら変わらない。

政治にたかる心根は地方の高齢者だけでなく、20代の若者も同じなのだと改めて知った。

2025-05-27

事実か、認識か

内部告発をした元県民局長(昨年7月に自殺)の私的情報を元総務部長を通じて外部へ漏洩させた指示は、斎藤兵庫県知事(および元副知事)による可能性が高いと結論づけた調査報告書を第三者委員会が発表した。

それに対して、当事者の鉄面皮斎藤は「私としては、あらためて漏洩に関する指示はしていないという認識に変わりない」と語った。


どこまでもずる賢いなあ〜と感心する。「指示はしていない」と明言するのではなく、「指示はしていないという認識」についてしか語らない。

「指示はしていない」と言い切ったら、あとでウソがばれたときに言い訳ができない。だから、斎藤はあくまで「事実」ではなく「認識」にこだわり続ける。

つまり、これは「指示をした」という事実があることを含んでいるととれるのだが。

その時が来たら、この御仁、今度は「認識は事実に及ばず」とでも言い始めるのだろうか。 

◉ 認識(にんしき):人間が何かを知覚し、理解し、判断する心の動き。つまり「主観的な理解」
◉ 事実(じじつ):人間の認識とは無関係に実際に起きている現象や状態。つまり「客観的な現実」

今回、漏洩させたと証言を変えた元総務部長は「職責として正当業務を行ったに過ぎない」と述べているが、それもまた納得できるものではない。

彼の言の変遷は事態の流れを読んで計算した結果なのだろうが、個人のプライバシーに関わる情報の漏洩はどうやっても違法なわけで、私は上(知事)から言われたからやっただけです、では済まされない。

上から言われようが、やっちゃいけないことはしなきゃいい。

この総務部長は自分が停職処分に処せられたことに対し、「審査請求及び執行停止の申し立てを行い、正当性を主張したい」ともコメントしたという。正当性という言葉に首をかしげる。

元部長さん、そうした手続きも結構だが、まずは社会の常識を頭にたたき込むことだ。

兵庫県庁から退職する職員が増えているとの報道があった。一般的に、県庁職員や市役所職員ほど定年まで辞めることがないサラリーマンはいないのだから、こうした状況はよくよくのことなんだろう。

上が逆ロールモデルばかりの組織では、そこにいては自分も腐っていってしまうと考えるのは無理もない。つくづく残念な組織である。

2025-05-24

DXのお手本

「誰がどこからいくらもらっているかが分からないと、是非も評価できない」と、議論の前提を提供することを目的に、一人の民間人が政治家の収支報告書のデータベースを構築した。https://political-finance-database.com/

政治家の名前を入れるだけで、受け取った企業献金の支払い元や金額などが分かる。企業名からの検索もできるし、寿司とか商品券といったキーワード検索も可能。一覧表で見ることができる。

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現状、国の対応はどうなっているか。報告書自体はネットで公開されてはいるが、紙をPDFにしてあるだけなので一覧性がない。これは調べる方からすると手間がかかり過ぎて致命的。

また、議員による報告書の提出先は、総務省と都道府県の選管に分かれているため、それぞれのサイトから探さなければならない。しかも、議員が複数の政治団体を持っている場合(そうしたケースが多い)、関係の団体名を調べるのだけでも大変である。

つまり形式的には政治家は報告書を提出し、それはサイト上で見ることはできるが、それらは利用価値が低く(というか、それを狙ったものとしか思えなくて)機能しているとは言いがたい。

それらへの不満や強い改善要求をもとに昨年末の政治資金規正法改正で、国もやっと2027年から報告書のデータベース化をすることが決まった。ただし、データベース化に取りかかるのが27年中だとすると、国民がそれを使えるのはもっと先ということになる。

今回、西田さんという人がデータベースを作成した。これならジャーナリストや研究者などはもちろん、一般の人たちも簡単に政治資金収支の内容を知ることができる。政治の議論が高まり、監視の目が強まると同時に本来あるべき政治に少しでも近づいていけるかもしれない。

以前ほど耳にすることはなくなったが、DX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉が盛んにささやかれた時期が合った。デジタルならではの特性を利用して効率性を急速に高めたり、問題解決に進むための考えだ。

DXというのであれば、これこそがそのお手本だ。

ただ、データベース構築に当たっては、もとのデータが紙(PDF)なのでそれを専用のOCRで読み込んで作成している。国や自治体は、さっさと議員の報告書の提出を紙ではなく、デジタルによるものにすべきだ。

なぜ今も政治家に紙で提出させているのか。デジタル庁は足下のそうした状況を当然知っていながら、見て見ぬふりをしてきた。政治家のご都合主義。