2025-11-09

米国内の風向きが変わってきた

米国の企業で人員の削減が本格化してきた。今年の1月から9月までの統計で約95万人、昨年同期比で5割も増した数字が報告されている。

主要な理由は2つ。まず、AIの本格的利用が進み、プログラミングなどをしていたエンジニアや一般のホワイトカラーが不要になってきたこと。

この傾向は間違いなく加速し、AIにとって変わられる職種や能力はますます拡がって行くことが予想されている。

もう一つの理由は、トランプ関税の影響である。消費関連分野の不況感によって小売りや物流関係で人員削減された数がそれぞれ3倍、2倍と増えた。

例えば、フェデックス・エクスプレスやDHLと並ぶ貨物運送会社であるUPSは先月末、4万8千人を削減した。関税の強化によって国際物流の取扱量が減少、とりわけ中国からの小包数が激減したためだ。


そして、マイクロソフトやアマゾン、シティグループといった大手IT企業、大手金融グループがAIによる効率化を睨んで人員整理しているのは、ちょうど今、トランプ関税の影響で他の分野で人減らしが行われているのをうまくカモフラージュにしているように思える。

今年の1月から9月に行われた米国のこの人減らしが第一弾だとすると、これから第二弾、第三弾と続いていくのは間違いない。

先日の米国での選挙で、ニューヨーク市長、ヴァージニア州知事、ニュージャージー州知事にそれぞれ民主党の議員が選ばれたのは、こうした米国内の雇用に関する潮流の起こりを人々が肌で感じ始めているから。

 大口を叩いてきたトランプの数々の政策も、その嘘っぱちさとその綻びが一般国民にも見えてきたことの証明だろう。 

AI解雇、AI離職に話を戻せば、これは米国内の企業だけの話ではもちろん済まない。

タカ市政権のもとで、日本企業も徐々に同じ考えに舵を切り始めるようになると僕はみている。自民党への企業献金は、そうした時のためになされているのだから。 

2025-11-02

原稿用紙60枚分、誰が読むのか

あるサプリを探して製薬会社のサイトを見ていたら、ちょうどそのサンプルパックの販売をしていた。

通常品の三分の一以下の価格。ならば、まずはそれを試しに頼もうと注文フォームに記入をはじめた。

送付先などを記入したあと、「個人情報の取扱い」についての文面へのチェックを求められる。自分では読まずに印だけつける。

次にクレジットカード情報の記入を求めてきたあとは、その会社の「ショッピング規約」だ。こちらも「読んだ」とのチェックが必要だ。

どちらも長文だ。AIを文面を読ますついでに文字数を調べて見ると、それぞれ14,500文字と9,800文字だから両方で24,300文字。400字の原稿用紙だと61枚分、A4のワード文書だと20枚くらいか。

これらをちゃんと読もうとすると大変だ。少なくとも2、30分はかかる。だから、誰も読まない。何が書いてあるか分からないまま皆「読んだ」、つまり「了解した!」と表明する。

考えてみれば、これってとても危険なこと。個人情報をどう扱われようが不満は言えず、後で文句を言っても完全に無理。

本来、消費者保護のために制定された法令に沿って企業がこうした文書を作成しているはずなのにやっていることは形だけ。運用の仕方が間違っている。 

AIにこの手の文書を代わりに読ませチェックさせると、必ず注意が必要との問題点をいくつか指摘してくる。本来は不用意に✓するべきものじゃなさそうだ。 

形式だけで実態など皆無。企業と消費者、こんなことやってちゃダメなんじゃないのかね。 

2025-11-01

日本企業はアマゾンを模範とするか、他山の石とするか

アマゾンが1万4,000人の従業員を削減すると発表した。半端な数じゃない。業績は好調なのに、なぜ今アマゾンはそうした多数の人員整理をするのか、各方面から疑問の声があがったのも当然だ。

アマゾンの作業員で思い出すのは、映画「ノマドランド」(クロエ・ジャオ監督)で描かれた巨大倉庫で働く人たちだ。様々な理由から住む家を失ったり、家族と別れて暮らすようになった人たちが、ノマドのようにバンでアメリカ大陸を流れながら生きていく姿が描かれた映画で、アマゾンの倉庫は彼らの命綱ともいえる職場だった。 
https://tatsukimura.blogspot.com/2021/04/blog-post.html

同社の社長、アンディ・ジェシーはCNNのインタビューに応え、今回の人員削減は金銭上の理由ではなく、アマゾンの企業文化のためだと説明していた。

彼によれば、アマゾンは以前よりもはるかに多くの人員を抱えるようになり、階層も増えていった。その結果、気づかないうちに(気づけよ!)実際に仕事をしている人たちの主体性が弱くなっきたからだと。
 
で、それを改めるためにに今回人員削減をするというが、それは本当だろうか。アマゾンの今四半期売上は前年同期比で10%増えて1,800億ドルに達している。

日本企業であれば、少なくともこうした好業績を上げている時期に大量の人員整理は行わない。ただし、それが企業経営として良いことなのかどうかという話はまた別だ。
 
僕は、アマゾンの経営者が言った人員削減が財務的な理由ではなく、アマゾンのカルチャーを保つためのものだという説明を信用はしていない。カルチャーという、取ってつけた理由はあっても一部だろう。

アメリカの企業の強さは、経営者がこうしたドラスティックな人員削減を臆さず行えるところにある。日本の多くの経営者は、こうはいかない。アマゾン経営者の今回の意思決定は、日本企業の温情主義ともいえる経営スタイルの是非を問いかけている。

日本の企業経営者は、アマゾンのこうした意思決定を模範とするのか、それとも他山の石とするのか。
 
もし日本企業が、一部のアメリカ企業のような強烈な競争力を身につけようとすると、今回のような意思決定をしていくこともまた必要となっていく。

2025-10-30

豊かに生きるということ

元サッカー日本代表監督の岡田武史が「私の履歴書」(日経)に昔の逸話を紹介していた。

35年前、彼はイタリアで日本の若手サッカーコーチを集めた研修に参加したことがあった。それは、現地で開催されたワールドカップに合わせて実施されたらしい。

講義の1つを担当したのが、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったACミランの監督アリゴ・サッキ。彼は講義の中で「よい指導者になりたいなら、絵を見ろ。音楽を聞け。本を読め」と話したという。岡田は最初、通訳がサッキの話を訳し間違えたのかと思ったらしいが、そうではなかったと。

サッカーだけいくら知っていても知っていてもダメで、広く奥行きのある知性と感性を持っていなければ、プレーに求められる想像力は養えないということだろう。

それで思い出したのが、漫画家・手塚治虫が赤塚不二夫にアドバイスした言葉。まだ代表作がなかった赤塚が、手塚にどうやったら漫画がうまく書けるようになるのですか、と尋ねたら、手塚は「漫画から漫画を学ばないでください」と答えた。

一流の映画、音楽、文学、芝居に触れることの大切さを説いたのである。

生命の神秘から時代物、宇宙、仏陀などあらゆる対象を描いた手塚の旺盛な創作力を支えたのは、さまざまな分野から得た豊かな教養だったに違いない。

最近、経営学者も遠方の知を探すことの大切さをビジネスマンに説いているが、それも同じ。

ただし、名作と言われる映画をたくさん観、優れた音楽に耳を傾け、文学に身を任せ、芝居の世界に浸るというのは、なにも会社の仕事をうまくやるためにではない。

目的なく、それらを自由に楽しめることこそが大切。

2025-10-29

「世界で一番美しい少年」と言われ続けた男

ルキノ・ビスコンティが1971年に撮った映画『ベニスに死す』に出演したビョルン・アンドレセンが先日、70歳で亡くなった。


ダーク・ボガード主演のその映画に彼が出演したのは15歳の時。ビスコンティにスカウトされたらしい。 

当時、彼につけられたキャッチフレーズが「世界で一番美しい少年」。ボガードが演ずるアッシェンバッハという名の老作曲家を虜にする美少年という役どころから、そう設定されたのだろう。 


それを聞いて「へぇ〜」と思ったものだ。その後、彼は明治だか森永のチョコレートのCMにも出ていたような記憶がある。

今回、彼の死を伝える報道のなかでもその「世界一美しい」はしっかり付いて回っていた。

世界一美しいかどうかなんてまったく主観の問題なのに、当時の映画関係者の誰かがつけたそのフレーズは半世紀以上も根強く残ってたわけだ。

つくづくイメージというものの粘着性の強さに驚く。一度ついたイメージは簡単には剥がせない、剥がれないのである。

彼はそのせいかどうか、その後アルコール中毒やうつ病に悩まされたらしい。年を経ていったあとも、どこへ行っても「世界で一番美しい少年」という目で見られたら、精神がどうにかなるのは分かる気がする。

2025-10-28

悩まず、考え、分類しよう

俵万智の『生きる言葉』が10万部を突破したということで、彼女が記念エッセイを『波』(新潮社)に書いていた。その中で、彼女は
本書を出版した後も、私自身、ちょいちょいクソリプに見舞われている。高校球児を応援する内容のポストをすれば「高校球児だけを特別扱いするのは、いかがなものか」と窘められ、読者の感想を引用して「ありがとう!」と言うと「上から目線ですね。ございますをつけるべき」と叱られる。一瞬シュンとなるが、こういう場合は「新種が釣れた!」と喜ぶくらいが、精神衛生上ちょうどよい。本書に出てくる分類に収まらないものが釣れたら、これからもコレクションしていきたい。

と言う。なるほど、と感心する。

しばらく前、このブログで彼女がクソリプの8つの種類を紹介していることを書いた。https://tatsukimura.blogspot.com/2025/10/sns.html
それをもとに、彼女は新しいクソリプに出会うと、新種としてコレクション(分類)に加えちゃおうというわけだ。
 
批判や中傷(この場合、クソリプ)をそのままダイレクトに感情の発露として受け取るのではなく分析的に分類するところがポイントで、その考えはとても効果的だと思う。
 
昨年、日本では小学生から高校生の自殺者が529人と過去最多にのぼった。『自殺対策白書』によれば、その最も多い原因として「学校問題」が指摘されている。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2025102400292&g=soc

自殺に追い込まれた子供たちの遺書やメモがなければ、その真の理由は完全にはわからないけど、多くは学校での人間関係やイジメが原因だっただろうという事は容易に推測できる。

子供たちよ、悩まず、考えよう。イジメを受けるのは辛い。どうして自分がいじめられるのか悩むだろう。だけど、悩まずに考える癖をつけてみて欲しい。
 
イジメにあったら、うちに帰ってからでいい、そのイジメをノートにでもササッと記録する習慣をつけよう。いじめたは誰か、いつ、どこで、どんなイジメにあったのか。また思いつく限り、彼らがなぜイジメをしたのかについても考えてみよう。
 
そして「データ」が溜まったら、それらを分類してみよう。例えば、金せびり型、ストレス発散型、勉強できないコンプレックス型、自分を強く見せたい自慢型、仲間はずれ回避型など、いろいろあるに違いない。

イジメにあったら、そのことを悩んじゃいけない、それがどのタイプに分類されるか考えることに集中するんだ。歌人の俵万智さんが書いていたように、「新種が釣れた!」(やった!)と思えるような時もあるかもしれない。

そして、そうした記録と自分ならではの分類ができたら、そのノートを持って親と先生に相談しよう。大人たちはその時、きっと君たちの味方になって助けてくれるに違いない。

2025-10-27

気をつけたいエビデンスベースと過度の一般化

図書館で手に取ったあるマーケティングの本に目を通して、「こりゃマズいな」と思った。

著者はコンサルタントを生業としている人のようだが、その論調は海外の論文の研究成果を「エビデンス」として援用することで自分の主張を次々に述べている。

興味深い記述もあるのだが、いかんせん引用元になっている研究者が偏っている。またそれらの研究は、どれも限定された状況下での調査とその結果に過ぎない。

つまり、ある特定の場所(すべて日本以外)で、特定の製品あるいはカテゴリーのみを対象として、特定の期間のみのデータを取得してそれを分析して結論づけているものだ。

社会科学の分野での学術研究なので、まあだいたいそのような制限下であることを承知の上で実施して、とにかく結論を出さなきゃ論文にできないから、仕方ないと言えば仕方ない。

だからこそ、そこに書かれていることを実務に利用しようと考えたなら注意が必要。そこでは、読み手の知恵や経験と工夫が間違いなく問われることになる。

先の経営書で気になったのは、そこだ。〇〇大学の△△教授の研究によれば、という記述を並べることで著者は自分の考えはエビデンスベース(Evidence-based)だと一貫して主張するが、明らかに過度の一般化(Over-generalization)がなされていると言わざるを得ない。

海外のスーパーマーケットの店頭でシャンプーのブランドがどのように消費者から手に取られているかというロジックと、日本国内で消費者がどのように高級車を選択、購入するに至るかというロジックの違いを思い浮かべればいいだろう。

目くらましの「エビデンスベース」には気をつけた方がよいという例だ。

2025-10-26

高校生の「読書しない率」 69.8%

日本の小中高生は、どのくらい読書をしているかーー。東大社会科学研究所とベネッセ教育総研が調査した結果が報告されていた。その結果内容に愕然とする。

一日のうち、読書時間0分、つまりまったく読書をしないと回答した子どもたちの割合は、
小4〜6年生:47.7%
中学生:59.8%
高校生:69.8%、だった。

中学生の6割、高校生の7割は本をまったく読まないと回答しているわけだ。

同時に調査した、一日のスマホの平均利用時間は次のようになっている。

小4〜6年生:33分
中学生:1時間36分
高校生:2時間19分、だった。

10年経つと、これら中高校生が日本の社会の中核に入って来る。やはり日本という国は衰退していくのだろう。 

タカ市総理大臣は、この前の所信表明演説で日本の防衛費をGDP比2%に増額すると言った。防衛費を増やせば国を守れると考えているのかも知れないが、そうだろうか。

中高生が本を全く読まず、スマホに浸り続けている状況を早期にあらためる施策を考え実施することのほうが、国の未来の安全と発展に確実に繋がるはずだが。

2025-10-24

銀行が「その他」を使いたがる理由

三井住友銀行から「貸金庫借用に関する申告書」という文書が郵便で届く。

申告する相手先は株式会社三井住友銀行となっており、利用者が「やりません」という誓いを立てるものだ。(自社へ返信させる手紙を「〇〇宛」でなく「〇〇御中」とする感覚は不思議だ)


三井住友銀行から返信を求められている、貸金庫利用についての申請書


大手銀行で、社員が何年にもわたって複数の銀行支店の貸金庫から客の金品を盗んでいたことが発覚した。そこで現金などを預けさせないようにするという対応なのだろうが、銀行内で社員教育を始めとして、どのような具体的な再発防止策をとることにしているかについては、送付されてきた文書に何も記載がない。

不祥事が起きたのは、利用する客のせいと考えているのだろうか。 

利用者の署名を求めるその申請書の遵守事項1には、「・・・現金や、その他不正利用防止の観点からリスクが高いものは格納しません」という文言があったので、「その他」とは何を指しているのか銀行に問うてみた。

すると銀行側の回答は「現時点では外貨と違法薬物」だという。だが、外貨は現金のひとつ。また、違法薬物は遵守事項3に該当するので、すでに包括されている。

彼らが文書に書いた「その他」とは何なのかしつこく訊ねたら「今後、当行がリスクが高いと考えるものがあるかもしれませんので」との回答。

おいおい、ちょっと待てよ。それが何なのかを示さないまま、あらかじめ客に「やりません」と申告だけさせ、その具体的な内容はあとで自分たちが勝手に決定するという考えはオカシイだろ。

よくもまあ、そんないい加減で利用者無視のやり方ができるもんだ。

2025-10-22

新聞広告らしい広告

先日の新聞に掲載されてた、カラーの見開き広告である。

新聞に掲載されたBrunello Cucinelli(ブルネロ・クチネリ)の広告表現

広告主はイタリアの高級ブランド「Brunello Cucinelli(ブルネロ・クチネリ)。

広大な空間に膨大な書籍が積まれた風景の中に、男が一人立っている。彼が身につけているセーターなんかが、そのブランドの商品なんだろう。

写真の中の積まれた本、とりわけ後方の壁一面を埋め尽くす書籍は実物か、それともCGによる合成かーー。AIに確認させたところでは、光の当たり具合と影の具合からほぼ実際の写真だろうと。 

いい写真だ。

2025-10-20

運転免許証の更新

5年に一度の運転免許の更新の時期が来た。またあの「安全講習」と称するビデオを見るのだろうか。そして「安全協会」とやらへの入会の勧誘も。

それがなければ車を運転することが許されず、社会生活をする上で身分証明書となる運転免許証なので四の五の言わず更新には行く予定だ。ただ有無を言わさずレールに乗せられているようで、毎度毎度の事ながらこの更新はすっきりしない。

運転免許でふと思い出して、机の引き出しの奥を探してみると英国の運転免許証(UNITED KINGDOM DRIVING LICENCE)が出てきた。日本のようなカードではなく、緑と薄赤の紙を折り畳んだもの。

この免許証を現地で取得したのは今から34年前。なぜ今も持っているかというと、免許証として今も有効だから。記された有効期限は、僕が満70歳になる前日になっている。なんと鷹揚な取扱いだろう。 

実際に使ったことはないが、EUROPEAN COMMUNITIES Modelと書いてあるので欧州域内でもこの免許証で車を運転できそうだ。1993年以前の発行だから、EUでなくEC

英国の運転免許証 Driving Licnece

2025-10-19

教壇に立つ教師はしだいに不要になっていく

「KDDIがAI上司 実在人物を再現、販売も」という記事を見かけた。

同社が開発したのは、社内の特定の人物の考え方を身につけて再現したというAIエージェント。AIで再現された彼が部下の書いた提案書をチェックしてアドバイスを与えたり、指示を出したりするらしい。

生命保険会社が、各営業部員にAI秘書を持たせるようにした話をこの前紹介したばかり。企業の中にAI上司、AI部長、AI取締役などがすでに登場している。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/09/aiai.html
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/08/ai.html

教育の場にもまもなくAI教師が現れる事だろう。中等教育以上の場で、生徒や学生一人ずつにAIエージェントがつけば、大方の勉強は学校に行かなくても済むようになる。学ぶ者一人ひとりに合わせて最適なカリキュラムと指導を24時間いつでも提供してくれるからだ。

大学の講義なども、今のように同じ科目の担当を複数の教員が分け合ってやるようなことは不要になる。AIエージェントを元にしたAIプロフェッサーが一つあればそれで済む。

そういえば、先日、教室の一番前の列で講義を聞いている学生がPlaud Noteを使って授業を録音しているのに気づいた。

このサービスは録音した音声データを発話者別に分けて文字起こしできるだけでなく、内容を要約したり、会議であれば自動的に議事録を作成してくれたりする。

これで僕の授業をすべてデータ化しているとすれば、それをもとに僕の授業用AIを作ることは可能だ。

教室ではスクリーンに映し出された僕のアバターが代わりに講義を行い、クラスの学生たちからの質問などにもその場でAIが回答したり、アドバイスするようになるだろう。

これは楽チンだ。早くそうならないものか。ハハハ。

2025-10-17

SNSを止めればいいだけ

9月末、文化庁は「国語に関する世論調査」の結果を発表した。そのなかで、SNSが日本語に多大な影響を与えていることが示されている。

朝日新聞紙上で歌人の俵万智さんがそうした現状についてインタビューに応えていた。彼女は、「『悪い二極化』が起きている」と語る。

SNSでは、投稿でちょっと角が立つと、誰かから揚げ足を取るような「クソみたいな返信」、通称「クソリプ」が飛んでくる。場合によっては炎上する。私も色々と経験しています。そんな返信を読むたび、少し傷つく。たぶん、こうしたことで、みんな少しずつ傷ついて、防御的になっているのでしょう。
 SNSを意識した日本語の表現は、波風を立てず、人から攻撃されないような無難な言葉と、わざと過激な表現で耳目を集め、投稿や動画の視聴回数を増やそうとする言葉の「悪い二極化」が進んできていると思います。どうしてこうなってしまったのか。 

「クソリプ」と呼ばれるものについては、彼女は今年4月に出版した『生きる言葉』(新潮新書)でも詳しく取り上げている。よほど「クソリプ」は彼女のこころに棘のように刺さったのに違いない。

このことは取りも直さず、彼女が匿名の、つまり返す先の宛のない相手からの数々の言葉に「傷ついた」ことを示している。とにかく悔しかったんだろう。そして、いまも悔しいと感じているに違いない。

同書で彼女は「クソリプ」の8つの類型を紹介している。それら8つのタイポロジーは本を読んでもらうとして、僕がいささか解せないのは、彼女がそうした酷い目に遭いながら、なぜいまだSNSを続けているのかということ。

彼女はSNS(X、旧ツイッター)で短歌を発信しているらしいが、Xを使わなくても俵万智であれば少し数がまとまれば短歌雑誌でも新聞でも雑誌でも掲載してもらえるんじゃないのないのかな。違ってる?

それはそうと、彼女が先の朝日の記事の最後に書いてる「二極化」は、実際にいまぼくたちの周りで確かにそうなってきているのだろうと思っている。

そして、それら2つの方向性。つまり、読み手に最大限の注意を払って少しでも波風を立たないように超フラットな言葉遣いをした表現を心がけるするものと、敢えて炎上を承知の上で荒波を起こそうとする2つのやり方は、実際は二極化ではなく根本のところで軌を一にしたコインの表と裏。

そのコインで日々の生活を送っている限りは、コインの表か裏かどちらかを必ず相手にみせなければならない。びくびく震えながら物を言うか、あえて炎上を狙ってかき回すか。

だからこそ、いっそのことそうしたコインなど投げ捨ててしまえと言いたくなる。そんなものなくたって毎日は過ごせる。

解決法は簡単。SNSなんか止めればいいだけ。クサい臭いは元から絶つのが基本だ。そうした簡単なことが、なぜ皆できないのか。

2025年10月15日付の朝日新聞紙面。SNSが日本語に及ぼす影響と「悪い二極化」を扱う記事の見出し
朝日新聞 2025.10.15


ところで余談だが、編集者はこの本のタイトル案として『届く言葉』を考えていたところ、著者の俵が今の書名にしたという。賢明な選択だ。池上彰なら『届く言葉』にしただろうが、この本は『生きる言葉』でよかった。

2025-10-13

ダイアン・キートンと「アニー・ホール」

ダイアン・キートンが79歳で亡くなった。死因などは公表されていない。

彼女が出演した映画を最初に観たのは、中学時代に友人と行った「ゴッドファーザー」。だが、あの男の群像を描いた映画のなかに登場した女優は、誰一人ぼくの印象に残らなかった。ダイアンもそのなかのひとり。彼女の影が薄かったとかではなく、そういう映画だったからだと思う。

強烈に覚えているのは学生時代に観た「アニー・ホール」。彼女がアカデミー主演女優賞を獲得した、ウディ・アレンが監督した映画である。

この映画は面白かった。アレンとキートンが劇場の入口で開場を待っているシーンは忘れられない。当時のメディア界を一世風靡していたマーシャル・マクルーハンが本人として登場した、あのシーン。こんな演出もあるのかと、たまげた。 


彼女の出演作ですぐ思い出せるのは、「アニー・ホール」以外に「マンハッタン」「インテリア」「ミスター・グッドバーを探して」「レッズ」など、どれも学生時代に観た作品だ。 

90年代以降も彼女は多くの作品に出演し、それらはどちらかというとシリアスなものではなくロマンチック・コメディと言われる類の作品で、ぼくの個人的な印象は薄かった。

これは彼女の女優性の問題ではなく、プロデューサーなど作品の作り手側の問題だったと思っている。 

つばの大きな帽子がトレードマークだった、個性的で魅力的な女優さんだった。

 

2025-10-12

皇室関係者のデタラメ発言を嗤う

金と政治の問題となると、まずその名が出てくる萩生田という自民党の裏金政治家がいる。

今回、高市自民党総裁が裏金疑惑の中心だったその人物を自民党の幹事長代行というポストに就けたことに関して、各所から批判の声が上がっている。

それに対して、明治天皇の玄孫(やしゃご)だかなんだか知らないが、T田という男が萩生田起用を疑問視する巷の声を批判している。

T田は、萩生田光一は小選挙区(八王子市の一部)で当選しているのだからその役員起用を疑問視するのは間違っているとし、「民意の決定を侮辱し民主主義を否定する公明党や評論家には猛省を促したい」とまで語る。

猛省すべきはそっちの方ではないのか。

選挙で当選しているから(ということは、議員であれば誰もがということになるが)どんなポストに就けようがそんなの勝手じゃん、ということを言っているようだが、その考えは真っ当ではない。

選挙で当選したのは「議員になった」というだけのことで、その人物の能力や人格や高潔さを示す尺度ではないのだよ。

昨年の衆院選で私が住む神奈川7区から立候補した鈴木馨祐という自民党麻生派の候補は、小選挙区で落選した。が、比例区で復活当選し、石破首相によって法務大臣に起用された。

つまり、選挙民の民意を得られなかった人物が大臣になっているわけだ。T田が民意の尊重を振りかざし利いた風な口を叩くのであれば、鈴木の法相就任をなぜ批判しないのか。
 
言っていることに筋が通っておらず、デタラメなのである。

2025-10-06

今日は中秋の名月

朝夕やっと涼やかになり、秋の訪れを感じるようになった。



スチール写真も撮ったが、月はいつも同じだから面白くないので動画も撮ってみた。
 
夜空に雲が流れる感じに、なんだか映画館で本編上映前に見るアメリカの製作会社のオープニング映像を思い出した。あれはどこの会社のだっけ・・・ 

2025-10-05

40年間未公開。馬鹿げた日本の映画興行界

ポール・シュレイダーの「MISHIMA」(1985年製作)が、今月から日本で初公開されることになったらしい。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/20251001-OYT1T50022/

新聞では今回の初公開が三島の生誕100年の年だからとか、人を小馬鹿にした説明がされているが、なんだそれは。
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/mishima.html

もしそんなことで初公開するのだったら、さっさと日本でも公開すればよかったわけでね、東宝が怠慢こいてただけじゃないのかね。 

1985年製作の映画『MISHIMA』日本初公開の報道を参照中に撮影したスクリーンショット

お願いだから、働かないでくれ

自民党の新総裁になった高市があいさつで「働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります」と発言した。

お前さん、今までよっぽど働かなかったんだなと、思わず突っ込みを入れてしまいたくなるが、新総裁になったからといって急変するのもどうかと思うよ。

たぶんこのまま新首相指名を受けるのだろうが、彼女にはぜひこれまで通り働かないでいて欲しいと願っている。

物事をよくするために必要なことは、能力のある人が正しい選択をして、それを実現するためにハードワークすることだ。 

逆に、最も悲惨な結果を招くのは能力のない人物が間違った選択をして、それを全力で推し進めていってしまうことである。その結果、当然ながら破綻を招くことになる。

名門と言われてきた企業が凋落するのは、だいたいこのケースである。
https://tatsukimura.blogspot.com/2017/11/blog-post_19.html

お願いだから、働かないで、頑張らないで。日本のために。

2025-09-28

リン・シュンロンの新作

所用で瀬戸内海の豊島を訪ねた。午後、三輪バイクのTUKTUKを港でレンタルして島内を少し廻る。

島の南側にある甲生(こう)の漁港をたずねたら、そこにアート作品の新作があった。

瀬戸内国際芸術祭の開催地の豊島でみつけた197体の像

台湾出身のアーティスト、リン・シュンロンによる「国境を越えて・祈り(Beyond the Border - Prayer)と題した作品だ。

197体の子どもの像が海のすぐ近くに並んで立っているもので、今年の夏に展示を始めたばかりらしい。
https://www.koebi.jp/news/report/entry-4174.html

197体は世界197国・地域をそれぞれ象徴し、それぞれの像の胸にはこの島からそれぞれの国の首都までの距離が、背中にはその都市の座標(緯度経度)が印字されていて、個々の像はそれらの国が位置する方角を向いている。

アートの島、豊島に新たに展示されたリン・シュンロンの作品 


この静かな島の、静かな漁港に、もの言わぬ200体近くの子どもたちが夕刻近くの西日を浴びながら、両手を胸の前で組みじっと佇んでいるさまは、世界の各地で引き起こされているさまざまな不条理と惨劇を悲しむとともに、その終わりを祈っているかのように見えた。 

2025-09-27

モグリを追い出し、ますます管理が進む大学に未来は作れるか

新学期が始まるのに際して大学の事務所から「授業実施に向けたご案内」と称する文書が送られて来た(実際のところは、パスワード保護された大学サイトのページだが)。

その中に聴講禁止の項目があった。曰く「大学全体のルールとして、履修登録をせずに授業に参加すること(聴講)は禁止されております」。

これまでも聴講の学生を認めちゃダメよと言われてきたが、それはビジネススクールというちょっと他の学部や研究科と違う性格があるからだと思っていたが、大学全体のルールだったとはね。

自分が大学生の頃はニセ学生なんてのは珍しくなかった。自身も友人に誘われ、他学部や他大学の授業にモグリで参加したことも多々あった。

同様に他の大学の学生が早稲田の授業にモグリで参加していたのだから、行ったり来たりでまったく自由なものだった。

それが、いつからか大学全体のルールとして禁止されていたとはーー。その理由は何だろう。そうした学生が教室に存在することで授業の妨げになるのなら別だが、一般的にモグリで授業に参加している学生は一般の学生以上に真剣に取り組んでいるので、むしろ歓迎のはずだと思うのだけど。

推測するに、教師側の理由ではなく(もしそうであれば、それらの学生を教室から追い出せばいいだけ)、正規の履修学生が大学側に苦情を言ったからじゃないかという気がする。

「自分たちは授業料を払っているのに、非正規の学生はそれを払っていないのは不公平だ」とか何とか。

それに対して大学当局が反応して、個々の実状などにお構いなしにモグリ(聴講)を不可にした、というのが実際の話のような気がする。

だけど、もしそうだったらどうなんだろう・・・。大学は本来のところ、もっと大らかでいい加減でいいんじゃないのか。

知りたい、学びたい、議論したいという学生が方々から集まり、同じ時間を共有することで刺激が生まれ、互いに影響を与えながら新たな知と関係が生まれてくるというものだ。

いろんな類の学生が教室にいた方が、絶対にオモシロイ。新しい発想を生む活力は、本当はそうしたところからしか生まれないんだけどね。

知の創造の場として日本の大学が弱体化している一要因だ。 

2025-09-26

相変わらずひとを馬鹿にしたMicrosoftのやり方に怒る

Skype(Microsoft)から「クレジットは7日後に無効になります」とのメールが届く。例によって返信不可のメールで。
 



クレジット残高をアクティブにする方法が記されているので、一応それを行おうとすると「Skypeは廃止されました」というメッセージが出て意味をなさない。

 


お手上げである。大した金額ではないが、金額の大小の問題ではないと思う。

一方的にそれまで提供していたサービスを廃止し、そのサービスを利用するためのクレジット、つまりデポジットをそのまま吸い上げるという、マイクロソフトらしい利用者を見下した乱暴でけしからん態度。

自社の都合でサービスを廃止するのだから、事前に受け取っていた金額は顧客が何も言わなくても一旦返却するのが筋だろう。それをかすめ取ってまで利益を上げたいのか、マイクロソフトという企業は。

世の中では、これを詐欺と呼ぶ。 

私はスカイプをこれまで13年間使ってきた。その利用者に対し、よくこのようなやり方がとれるものだ。

2025-09-24

なぜ大屋根の保存が「レガシー」なのか?

関西の複数の大学人がそろって「万博会場の大屋根(リング)をできるだけ多く保存すべきだ」とする意見書を万博協会、大阪府、大阪市に提出した。

提出したのは大阪大学、近畿大学、大阪公立大学、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学という関西の主だった大学の総長ないし学長、あるいは理事長である。

理由は、リング(大屋根)は万博のレガシーであり極めて貴重な文化的・歴史的な価値があるからと言っているが、よく分からない。

あの建造物の文化的な価値とは何なのか?  具体的に何がどう文化的なのかまったく不明だ。まして、歴史的な価値があるかどうかなど、なぜ分かるのか。ぼくには理解がむずかしい。

彼ら関西の大学人によると、解体すると「文化的損失として後生に大きな禍根を残す」らしいが、何が彼らをしてそう言わせているのだろう。

7つの大学のトップが揃っていきなり「意見書」を提出するという重々しさはどう考えてもヘン。裏には何があるのかナ。 

岡本太郎による<太陽の塔>は残してくれてよかったと思っている。あれは、ただの建造物ではなく、 確実にあの時代(高度成長期の60〜70年代)の日本の空気を今に残すモニュメントになっているから。

しかし、いま開催中の万博の大屋根と言われている建造物はどうか? 太陽の塔とはまったく意味が異なっていると思う。

それにしても、ある種の人たちは何かというと「レガシー」という言葉を振り回したがるみたいだ。そうした人たちに共通するのは、どうもアタマの中味がすでにレガシー(時代遅れ)だということやな。 

2025-09-21

やっと開花

2か月ほど前に手に入れた赤以外(黄色とピンク)のハイビスカス。ずっと蕾のままだったのが、お彼岸を迎えていまごろ開花した❗️

今年の猛暑が理由で咲くに咲けなかったのかもしれない。

2025-09-20

人をつくづく馬鹿にした説明をする日本の外相

日本政府は、パレスチナの国家承認をしないことを決定した。

https://www.47news.jp/13178329.html  

ギョロ目の岩屋外相が19日の記者会見でそれを語った際、理由として述べた「承認によりイスラエルが態度を硬化させ、パレスチナ自治区ガザ情勢の好転にはつながらないと判断した」は明らかにロジックがおかしくはないか。

彼が記者会見で言わんとしていることが、もし、日本政府はパレスチナ自治区ガザ情勢の好転を望んでいる→そのためには、イスラエルが態度を硬化させるのは好ましくない→そのためには、パレスチナを国家として認めないことが好ましい、だとしたら、ギョロ目に訊ねたい。

日本政府がマジにパレスチナ情勢を好転させること(好転という表現が曖昧だが)を狙いにパレスチナを国家として承認しないのであれば、22日の国連総会でパレスチナを国家として承認することを明らかにしているフランスや英国、オーストラリア、カナダなどの国に対しても国会承認すべきではないと日本は働きかけるべきだ。

また、既にパレスチナを国家として承認している世界147国に向けても承認取り消しを求めるのか、ニッポンは。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/09/blog-post_13.html

ギョロ目は、「パレスチナ側はしっかりとした統治体制を構築する必要がある」とも記者会見で強調したらしいが、冷静に考えれば、連日激しい空爆を受けて街中が瓦礫に埋まり、日々餓死者が出ているような状況で今それができるわけがないことくらい誰にだって分かるはず。

そうした状況を早期に変えるためにもパレスチナを国家として承認することで国際社会がイスラエルに圧力を加え、これ以上の悲惨な攻撃を止めさせなければならないはずなのに。

親分(米国)に言われるまま追従を続けるのでは主権国家とはとても呼べない。同盟国といった関係ではなく、これではまさに51番目の州である。

日本の外交は根底から世界の信頼を失うことになった。 

2025-09-19

企業がやりたいこと、顧客がやらされたくないこと

中国地方のある地を訪ねることになったのだが、そこは地方ゆえ現地の交通機関がままならない。そこで、移動のための足としてレンタルバイクの店が駅前にあるのを知り、予約することにした。

サイトで日にちと利用時間を入れて予約しようとすると、クレジット・カード情報の入力を求められた。料金全額先払いらしい。気が進まなかったが、そのとおりカード情報を送ったら、支払い完了と予約完了のメールが届いた。

翌日、その会社からメールが来て、指定のサイト上から運転免許証の画像を送付せよと言ってきた。事前にその手続きをしない場合は、レンタルバイクの利用ができないと書いてある。

そうした条件を設けているのであれば、客に利用代金を支払わせる前にそのことを案内すべき。

免許証の画像情報を、信頼に足らない企業に渡すのも気が引けるので放っておいたら、同様の内容のメールがまた来た。またしてもnoreply@XXXXXのメールアドレスから送られてきている。

記されているURLを試しにクリックすると、今度はいきなり会員登録のページが現れた! まず、名前などの個人情報を記入させて自社サービスの「会員」にしたいらしい。こっちは現地でその日に数時間レンタルで使うだけなのだが。

こうした顧客対応の手法は、まったく的外れであると思う。こんな不愉快なやり方で客に会員登録させたって、その企業に対しての満足感もロイヤルティも感じるわけがない。むしろ逆なのは明らか。

電話番号を調べ、免許証の事前送付に関して問い合わせたら、システム上そうなっているので仕方ないと言う。が、そのシステムとやらを導入したのは、お前たちだろうと。

不安感は払拭できるはずがなく、その企業にPマーク認証は取得しているのか問うたら、「何ですか、それは?」と訊かれてしまった。 

この会社だけの特殊な例ではない。近年は、顧客の個人情報管理も含めてこの手の野放図なビジネスが横行している。

顧客の気持ちをまったく無視した、不出来な顧客管理システムを作っているIT屋がいるのだろうが、結局、何も価値を創造していない。そうしたシステム会社も、そのシステムを採用する会社もお粗末すぎる。

2025-09-14

高畑勲と手考足思

麻布台ヒルズギャラリーで開催されている「高畑勲展」では、彼が60年近く携わってきたアニメーションを中心とする、ほぼすべての作品についての軌跡を見ることができる。

作品の完成に至る途中の圧倒的な数のスケッチ、コンテ、アイデアメモなどだが、とりわけなかでも印象に残っているのは、映画「火垂るの墓」の脚本作成のための高畑のノートだ。

野坂昭如の原作本を全文コピーしたものを数セット用意し、場面、時間、人物にマーキングしたうえで時系列ごとに分けてノートに切り貼りしている。そして、その余白には彼が映画で描こうとしている各シーンの状況説明や台詞、カメラワークなどが書き込まれている。

高畑勲の手書きのノート
 

野坂の原作にはなかった「死んだ兄妹が物語を見つめている」という映画での二重構造は、高畑がこのノートを作りながら構想していくなかから生まれた。

「手考足思」という河井寛次郎の言葉があるが、高畑の仕事はまさにそうだ。作品を作るに際しては画で考え、文字で考えるのはもちろん、可能な限りその舞台となる地を内外を問わず訪ねて、その地の歴史や人物に関することなどを渉猟することで企画書をまとめていった。

高畑のこのノートを見ることができただけでも、出かけた甲斐がある。「ものをつくるということ」を、あらためて考えさせられた。 

2025-09-13

日本が独立した主権国家であるということ

国連加盟国193ヵ国のうち147ヵ国が、パレスチナを国家として承認している。

また非人道的攻撃を続けるイスラエルへの圧力を目的に、新たにフランスや英国、オーストラリア、カナダなどが今月の国連総会での国家承認を準備している。

一方で米国は日本に対して「パレスチナ国家承認は情勢を悪化させる」「日本が国家承認すれば、日米関係に重大な影響がでる」などとして承認しないよう圧力を加えている。

国連総会は今月22日、ニューヨークの国連本部で行われる。石破政権が決断できるかどうかだ。 

東京新聞 2025. 9. 13
 
昨年12月、トランプ大統領が「カナダは米国の51番目の州になるべきだ」と発言したとき、他国の事ながら実に嫌な気分になった。

今回、日本政府が米国の圧力を受け、いつもように腰砕けになり、パレスチナの国家承認を見送れば、名実ともに日本は主権国家ではなく米国の属国、あるいはその一部(51番目の州)となる。

終わりが決まった石破政権がどう踏ん張れるか。これまでの政権と同じく米国の尻を舐めるのか、それともパレスチナ人の命を救うために当たり前の人道的国際協調行動をとるのか、その意思決定に注目している。 

2025-09-10

議事録は誰が何のために作成するか

大学3年の時、学生の身分のままある企業の正社員になった。それから20年間にわたって日英米の複数の企業に勤め、その後フリーランスのコンサルタントなどをやった後に学界に移り25年が過ぎようとしている。

大学という世界にすっかり慣れているはずだが、今だに面食らうことがある。その一つが会議の議事録だ。

新型コロナ以来、すべての会議はリモートで行われている。事前に議題と基礎資料が送付され、それにそってZOOMで行われるので対面でやっていた以前よりずっと会議の進行が早くなった。

会議内容は事務局によって全部収録がなされているので、本来であれば議事録などあっという間に作成できるはずなのだが、実際はそうではない。

場合によっては会議からひと月近くたって議事録のドラフトが送られてきたりする。

しかも、そこに記載された内容はこれ以上ないほど削られた、ほとんど議題一覧と変わらぬような代物である。まるで空腹の猫にしゃぶり尽くされた魚の骨のようだ。

ほんとうは何も記さない白紙文書をして「議事録」にしたいと思っているのだろうと思ってしまう。明文化した記録を残したくない考えが底にある。

半年ほど前から仕事で、文字起こしを自動でやってくれるボイスレコーダーを使っている。会話を文字に起こしてくれるだけでなく、AIが録音データから議事録も作成してくれる。その精度は、気になったところをちょちょっと手直しすれば問題ないくらいの高レベルだ。 

あるとき、友人たちとAIによる議事録作成についての話になった。そこにいた人たちの共通の認識として、誰もが会社に入って初めの頃は会議での発言など期待されることなどなく、ただひたすら会議室の後ろの方で記録を取らされていたとーー。

そして、会議が終わってからが仕事の本番。どれだけ早く、そして正確に会議の議事録をまとめあげられるか上司から求められた。

そうやって下積み仕事として議事録作りをすることで、結果として自分たちの仕事の具体的な内容、仕事全体の進め方、参加者それぞれの立場や考え方など多くのことを学び、身につけていったという点で僕たちの意見は一致した。

生成AIが登場してきたことで、そうした若いときならではの貴重なトレーニングを積む機会がなくなったことを考えると、今の若い連中は可哀相だと思う。

2025-09-08

3年ぶりの皆既月食

9月8日の未明、というか深夜に南西の空に3年ぶりの皆既月食がみられた。太陽と月の間に地球が入って月が欠ける現象である。

予定では部分食が始まるのが午前1時27分、皆既月食の始まりは2時半。今回は、満月が地球の影の中の中心からわずかに南側を通る深い皆既月食であり、皆既が1時間半近く続くすばらしい月食だったのだが、いかんせん時間帯が悪すぎた。

食分が0.53である2時まではなんとか起きていたのだが、結局赤銅色の皆既月食は見ずに寝てしまった。残念。次回の皆既月食を楽しみにしよう。

ベランダに三脚を持ち出し、カメラを向けてみた。 

午前1時(満月)
 
午前2時(食分0.53)

2025-09-06

「バード ここから羽ばたく」

主人公は12歳の少女ベイリー(先日観たラッセ・ハルストレムの映画の主人公犬と同じ名前だ)。舞台は特定できないが、海が近くにあるイングランドのとある町。

彼女の父親は、今は離婚した女性との間に彼が14歳の時にベイリーをつくった。お気楽な不良上がりで定職にも就いていない。元の母親は幼子を抱えながら、これまたクズの男と暮らしている。

登場人物全員が金がなく、教育も受けておらず、感情の赴くまま荒れた日常をただ過ごしているように見える。そこにバードと名乗る奇妙な男が現れ、ベイリーは彼の親探しを手伝うようになる。

今の英国の一面を描いた社会派リアリズムの映画かと思って見ていたら、終盤になって一気に寓話の世界へストーリーが展開し驚いたが、それはそれで12歳という「これから何でもあり」のベイリーの未来を反映してるようだった。

映画には鳥はもちろん、馬や犬、猫、魚などの生き物が出てくる。どれも無垢な自然を象徴しているようだ。そして明日を思い煩わずに「今」を生きている存在として描かれている。

映画を見終わって劇場を出たあと、頭の中でずっとジョン・レノンの「フリー・アズ・ア・バード」が鳴っていたのはなぜだろう。


2025-09-05

「AI秘書」が「AI部長」になる時

つい先日、職場におけるAIエージェントの登場について書いたら、早速そのとおりの記事が現れた。 

生命保険会社の明治安田が、社員にAIエージェントを使えるようにするという新聞記事。見出しは、「明治安田「AI秘書」5万人」「指示待たず営業提案や助言」とある。

営業職の社員が持って帰ってきた客の面談データを元に、「AI秘書」が客の好みに合わせたイベントの案内文を作成したり、保険の提案書をまとめてくれるのだ。

日経 2025.9.5


便利この上ない。だが、ちょっと待てよ。

今後その会社では、営業マンがお客さん個人についてのデータ、例えば趣味や健康状態などをAIに伝えると、AIエージェントが自律的に効果的な営業アプローチを考え、同時に適切な保険の提案書を作成して持たせてくれるというのは、何か変じゃないか。

それだけ聞いて感じるのは、仕事を実際に仕切っているのはAIエージェントであって営業職の社員じゃないってこと。営業マンたちがやるのは、ただの御用聞きの仕事だ。 

つまり「AI秘書」は、実際は「AI課長」「AI部長」で、人間はその小間使いをやることになる。

明治安田生命の経営者はそれを分かっていながらも正直にそうとは言えないから「AI秘書」と呼んでいるのである。

その先に何があるかというと、提案書をAIが作成していることくらい客にもすぐ分かるので、やがて「人抜き」がなされるようになる。

つまり、顧客が保険会社のAIエージェントと直接やり取りすることで、最も気に入る生命保険の提案を受けるようになるのが一般的になるはずだ。

結果、明治安田生命の場合では現在3万7千人いる営業職の多くは不要となる。 

これが経営者の狙いだろう。なんせ圧倒的な費用削減が実現できるのだから。

社員は自分にも秘書が付いた、などと喜んでいる場合ではないのである。 

2025-09-03

名前が大切なのは分かるが

書留郵便を受け取る際、名前の本人確認ができないから「郵便物を渡せない」と配達員に執拗に言い張られてしまった。 

三井住友系の金融機関がカードを送ってきたのだが、その登録名を姓名ともにカタカナにしてあったので、郵便物の宛先もカタカナ表記になっていた。

僕の名前は名字も漢字も読み方はひとつだ。確かに「達也」は「タツナリ」と読むことも可能だが、そう読む達也さんにあったことはない。

ところが書留を持って来た日本郵便の社員は、封書の宛名と同様のカタカナ名が表記された身分証明書がないとそれを渡せないことになっているというではないか。

運転免許証もパスポートも示したが「名前のカタカナ表記がないのでダメ」だと言う。お手上げである。パスポートにはアルファベットで名前が表記されているので、それをカナにすれば照合できると言っても聞かない。

いつまで経っても埒があかず、最終的に彼から手渡された携帯電話で郵便局の彼の上司と怒鳴り合いをした挙げ句、やっと封筒を手渡された。ホントばかばかしく、ほとほと疲れてしまった。

なぜそんな事を思い出したかというと、昨年5月施行の改正戸籍法で戸籍名へのフリガナの表記基準が変更になったという記事を目にしたから。この場合の変更というのは、読み方に制限をかけるという変更である。

名前には親などの思いが込められているだけに扱いが一筋縄ではいかないことは理解できるが、なかにはどうやっても読めない名前の「読み」がある。そうした名前の漢字と読みのアンマッチングも名付け親にしてみれば子供の大切な個性の一つなのかも知れないが、そうした名前を付けられた方はそれを感謝するだろうか。

いつも間違って名前を呼ばれる、あるいは読めないので一度では呼ばれない、などの社会生活上の戸惑いに一生煩わされることになる。 

2024年に生まれた男の子に付けられた名前で最も多かったのが「陽翔」らしい。ただ、この名前(漢字)の読み方はとっても複雑。

ハルト
ヒナト
ハルカ
ヒナタ
ヒロト
アキト
ハルヒ
ヒュウガ
ヒビト
ヤマト
ヒカル
という11種の読み方、つまり11種の名前があるというからビックリ。親(名付け親)が何を考えてのことかは推測するしかないが、正確には名前(呼び名、呼ばれ名)がどうというより、「陽」「翔」の漢字を使いたかったわけだな、これは。

名前は大切である。その人にとっての欠かせない重要なブランド要素であることは間違いない。だが、期待されるとおりに読まれない、呼ばれないではそもそも名前としてきちんと機能していないとも考えられる。

名前の重要性と個別性を承知の上で言うが、名前とは結局は記号なのだ。記号として役立たなくては意味をなさない。

例えば太郎や次郎など、たとえ名前が平凡で古風だからといって、その子が凡人になるかということとはまったく無関係。名付け親はよくよく考えた方がいいと思う。

2025-09-01

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか

経済産業省が発表した試算によると、今から15年後の2040年に「AIなどの活用を担う」人材が498万人必要となり、そのうち326万人が不足するらしい。

だが、その498万人という具体的な数字の内訳は分からない。この場合、分からないというのは、いくら調べても出てこないってこと。それこそ生成AIに徹底的に探索させたが見つからない。つまりは、経産省が元々それについて発表していないのだ。

中味を発表せずに、そうした数字だけを示す意味があるのかどうか首を傾げる。塊としての498万人という数字は、産業連関表などを用いて産業構造の今後の変化を予測して編み出したものらしい。

15年後に産業構造がどう変化しているかを過去のデータをもとにどこまで推定できるかだ。それこそ今から15年前に、生成AIの登場と社会への浸透が急速に進む現在の姿を予測した人がいたか。いやしないよな。

頼るものが他にないのかもしれないが、役人が産業連関表で未来の社会を予測して政策を立案するのはもう止めにした方がいい。もっともらしく聞こえるだけで、当たりはしないのだから。そんなこと、自分たちも分かっているはずなのに続けている。

「AIを活用できる」人の育成が急務だとの考えは文科省も同様に指摘しているようだが、ここでもAIを活用するとは何なのかははっきりしない。またしても役人がよく分かってないのだ。 

思い出すのは、いまから30年前。ウィンドウズ95が発売され、爆発的に売れた。そしてパソコンのブームが到来した頃のこと。当時はパソコンを使える、具体的にはワープロソフトで文書作成ができるとか、スプレッドシートで計算ができるといったことが、ビジネスマンの特殊技能として通用した。

いま、あなたはどんなスキルがあるかと聞かれて、パソコンが使えますと言ってもお話にならないが、当時はそれが通用した。現在、そのパソコンに当たるのがAIなんだろう。

パソコンができる、が技能として認められていた時期は間もなく過ぎ去り、それはただのツールでしかないことを社会が理解していった。

今の時代のAIは30年前のパソコンと同じと考えた方がよいように思う。肝心なことはそれを活用できるかどうかといったテクニカルなことではなく、どれだけオリジナルな発想をアウトプットできるかどうかなのである。

何をやろうかという意思と評価はつねに人間側にあるべきもの。どうやるかは、やりたければAIの助けを借りてやればいいだけの話だ。 

話を戻すと、2040年、「AI活用人材」が国内で300万人不足するなどありえないと考えている。情報処理全般は、そのころには間違いなく意思決定も含めてAIがまかなっているはず。ここで言う情報処理全般とは、仕事そのものである。

最後まで人の手に残されるのは、包丁やハサミ、メスを扱う仕事、つまり調理、理容、外科手術といったものだ。それとスポーツ競技と芸術活動(の一部)、建設現場、そして第一次産業である。

まもなくAIは、エージェントとして自律的に考えて仕事をするようになる。それらを指揮するのは一部の人間と、そのアシスタントとなるマスターAIエージェントだ。 

そう考えれば300万人が不足するどころか、数百万人の労働者が仕事をなくしていくことになる。

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか、いずれかの選択を迫られる時代に私たちはまもなく向かう。

私がいる大学の現場も、AIとロボットであらかた事足りるようになるのだろうな。  

2025-08-29

フジの50億円損害賠償請求

タレントだった中居正広を巡る性暴力一連の問題で、フジテレビは同社の前社長と元専務だった二人対し計50億円の損害賠償を求めて提訴した。

50億円の根拠は、今年6月末までに被った損害額の総額が約453億円だったことにあるとしている。そうであれば、損害賠償請求額は今後のさらなる影響を加味して500億円ほどにしなくては理屈が立たない。

個人として支払えるかどうかではない。彼ら経営者は、経営責任を問われ損害賠償請求されたときに備えて専用の保険(役員賠償責任保険)に加入しているはずである。しかも、掛け金は企業持ちで。

見方によれば「マッチポンプ」みたいな感じだけどね。いや、もう経営者ではないから役員賠償責任保険の対象にはならないか。

すでにフジの親会社であるフジ・メディア・ホールディングスに対しては旧現経営陣に対して230億円あまりの賠償を求める株主代表訴訟が起こされている。一方、フジテレビに対しては株主代表訴訟が起こされないので、会社が原告となって提訴したのかね。

経営責任という観点から言えば、訴えの理由が「適切な対応を怠ったこと」なら、他の役員の責任も問われるべきだろう。そのあたりが釈然としない。

フジの件については、以前にも書いたかもしれないが、辣腕の番組プロデューサーだったことと組織の経営者としての能力は別だということ。そんな当たり前の考えが、この会社にはなかった。

言葉を換えれば、そうした当たり前の経営常識すらなくても、日本のテレビ局は成り立っているという事実に驚く。しかも上場企業ときている。

これもまた、新規参入がない規制業種の典型的腐敗の一例である。 

2025-08-28

企業の本音は利用規約に表れる

新幹線予約の際に用いている「エクスプレス予約」「スマートEX」のサービスを変更するというメールがそれぞれ届いた。日常的に利用している関係上、メールに一応目を通す。

これまで使えたカード(EX-ICカード)を使えなくするというだけでなく、改札の際に自動改札機から発行されていた「利用票(座席の案内)」の発行をやめるといったことが記されていた。

前者はプラスチックカードの発行を今後中止するということ、後者は機器からの印字して発行してた6x8センチほどの紙(カード)をなくすことでのコストカットである。

実に発想がセコイ。利用者の利便性などお構いなしである。それらのメールは例によって「本メールは送信専用アドレスからの送信のため、そのまま返信されないようお願いいたします」だ。

残念ながら新幹線はそれしかないので、こちらが否が応でもそれに合わせて適応するしかない。念のために現在のそれら2つの登録がどうなっているか確認しようとしたら、サイトにまず「会員規約等の変更」画面が出た。

で、そこに記された3つの文書、会員規約、特約、同意条項を<読んだ>として <同意>しないとログインができない仕掛けにしてある。 


試しに、そのなかの一つの規約とやらを生成AIに読ませて内容確認をやらせてみた。各条項についての利用者側のリスクと注意事項が表示される。以下は、そのまとめの部分。


例えばネットの通信上のトラブルがあっても何があっても責任はすべて「利用者」、規約等に変更が加えられてもJR東海はそれを自社HPに載せるだけでOK、など徹底的に一方的な契約内容。

サイトではそうした規約や同意事項に「同意」しない限り、利用者が自分の登録内容すら見ることができないようにしてある。

まともな競争に晒されているまともな企業なら、ここまではやらない。そうしたところに、この企業の黒い裏の顔が見えている。 

2025-08-25

ネットは嘘の世界だから

勝手なところから勝手なメールが日々送られてくる。

そのなかでも不愉快なのが、「このメールは送信専用アドレスからお送りしています。ご返信いただいても回答はできませんので、あらかじめご了承ください。」 なんて文末で言いながら、自分たちの言いたいこと(セールス・メッセージ)だけ書き連ねているメールだ。

そうしたメールが増えていっているように感じる。実に不愉快な世の中。すべて迷惑メールに放り込んでいる。

それと同時に、なんでんもかんでも「会員登録」を求め、その際に氏名、住所、電話番号、メールアドレス、生年月日、職業等々を「*必須事項」として記入させるサイトがあまた増えているのも気に入らない。何のためにそれらに回答させるのか分からないし、説明もない。

顧客の個人情報を集めておけば、そのうち何か自分たちの役に立つかもしれないと考えている。あるいは、売れば金になるとでも考えているのだろうが、そうした企業は頭が悪くて厭になる。

正直に「申告」する人も中にはいるのだろうが、多くはそうじゃない。ぼくはそういう時は自分のプロフィールについてはデタラメしか書かないし、友人たちに聞いてもばか正直に書く人は一人もいなかった。これが現実。

ならば、そうしたつまらないことさっさと止めればいいのに、と思う。あまりに浅薄な連中が絶えない。それがネットの世界。 

2025-08-24

LION/ライオン 25年目のただいま

「スラムドッグ$ビリオネア」や「ニューズルーム」(HBO)のデブ・パテルが主演した映画「LION/ライオン 25年目のただいま」の始まりは1986年のインドの小さな村である。

それはいまから40年ほど前だが、それにしても当時の日本とは比較にならないほどの貧しさのなかで人々が生きていたのが描かれている。

兄の仕事を手伝うために鉄道駅に向かった5歳のサミーが、ひょんな事から回送の長距離列車によってコルカタ(カルカッタ)に運ばれてしまう。帰りたいと思っても、彼は自分が生まれ育った村の正しい名前すら知らない。

やがてオーストラリアの夫婦のもとに養子として迎えられ、豊かな愛情の元で25年の日々を過ごす。だが、もちろん彼の心の中には分かれたインドの村の母親と兄がいた。

鉄道駅の近くに給水塔が建っていたとか、町の裏には母親が石運びとして働いていた岩山があったなどの数少ない断片的な記憶をもとに、Google Earthで自分の生地を探り当てて訪ね返るという話である。

ひょんな出来事で家族から離れてしまった彼だが、映画で描かれているその後の人生は極めて恵まれた幸せなものと言っていいものだ。

ただ心のなかでくすぶっているのは、インドでまだ生きているだろう母親と兄の消息。映画の終盤、彼はネット上の地図で見つけた村を訪ね、いまもそこで彼の帰りを待っていた母親と25年ぶりに感動的な再会を果たす。

ストーリーが美しすぎるが、これは実話をもとにした話が映画化されたものらしい。描かれた人物にはおそらく演出上のフィクションも含まれているはずだが、とにかくGoogle Earthで彼が育ったインドの村を探し出したという点は本当の事なのだろし、そのテクノロジーに感嘆した。

養母役のニコール・キッドマンがいい。 

 
(後記)なぜこの映画が気になったのか、分かった。この映画のしばらく前に観た「火垂るの墓」の少年・清太とサミーを頭の中で重ねていた。清太は14歳、サミーは13歳でほぼ同じ年齢だ。共に雑踏の中(それぞれ神戸とコルカタ)にひとりぼっちで放り出され、清太は誰からも救いの手を差し伸べられることなく駅の構内で餓死する。一方、サミーはコルカタで見知らぬ人によって救助されて生き延びるだけでなく、その後、生家の母親と再開を果たす。時代も場所も違うとは云え、これら二人の少年の運命の差の大きさとその理由を考えさてしまった。
 

2025-08-23

サービス・デザインの研究会

サービス・デザインについての研究会を大学で開催した。

某大手金融機関の関連総研でリサーチをしてるI君からの問題提起のプレゼンテーションと、最近ある金融機関の窓口でとんでもない経験をしたというSさんの報告をもとに、現状と課題について議論が進んだ。

ひとつのフォーカスは、日本の金融機関におけるAI/ロボットの導入と活用だったのだが、米国などの他国の状況に比べてあまりにも日本の状況が立ち後れていることをあらためて確認した。

立ち後れの理由は、日本の大手金融機関の経営者の頭の古さと金融庁の指導の的外れさにあるようだ。そしてどちらも、一朝一夕にはこの地では改善される見込みはない。

ということは、世界の主だった諸国に後塵を拝するのは必至で、いつものようにギリギリになって「このままじゃイカン」と足を前にやっと踏み出すようになるのだろう。 

2025-08-19

報道がつくる外国人忌避のバイアス

元法政大学総長の田中優子さんが、こんなことを書いていた。

7月28日、29日の複数の新聞で、佐賀県の殺人事件を報道する際の見出しに、容疑者の外国籍が記載されていた。容疑者を報道する時になぜ国籍を見出しにつけるのか? 参院選後とりわけ気になった。国籍を見出しにつけるルールがあるなら、日本人も書くべきではないだろうか。

確かにその通り。

まだ犯人と確定しているわけでもないのに、容疑者が外国籍の場合だけ、その国籍を見出しにするのはどうなんだろう。これは、いわゆるアンコンシャス・バイアスの典型である。

以下は、田中さんが「複数の新聞」と書いてあった7月28日掲載の見出しである。

朝日
「佐賀の強盗殺人 容疑者逮捕、否認 技能実習で寮生活 ベトナム国籍」

 毎日
「強盗殺人:外国籍の20代逮捕へ 佐賀・2人殺傷 娘に複数の傷 」 

読売
「伊万里強殺 容疑で逮捕 佐賀県警 ベトナム国籍の24歳男」

産経
「佐賀の母娘死傷 強殺疑い ベトナム人逮捕 技能実習生 寮のナイフに血痕」

日経
「佐賀の母娘死傷、ベトナム人実習生逮捕 強盗殺人疑い」 

気をつけないと、こうした報道記事を目にするなかでわれわれの心にも「また外国人が」とか「外国人だから」といった謂われない偏見が生まれてくる。

2025-08-17

米国人統治者のプラグマティズム

トランプ大統領が先月、ノルウェーのストルテンベルグ財務相と電話で話した際に、関税率の話と併せてノーベル平和賞の受賞を望んでいる話したそうだ。これもトランプ流の「ディール」なんだろう。

彼がノーベル平和賞の受賞に強い意欲を示しているのはよく知られた話だが、今月12日には米国ホワイトハウスがSNSでイスラエルやカンボジアなど7か国の名前とともに「世界がトランプ氏のノーベル平和賞の受賞を求めている。トランプ氏は平和の大統領だ」と投稿しているというからその厚かましさに鼻白んでしまう。

今回のウクライナとロシア間の停戦協議の設定も、そのためのデモンストレーションに見える。トランプが真にウクライナ国民に共感や同情の念を持っているわけではないだろう。あくまで自己利益しか頭にない。

米国の為政者のそうした自己利益優先主義というか自己利益専有主義で思い起こされるのが、太平洋戦争終結後の日本国憲法制定時に見せたダグラス・マッカーサーの態度である。

早大名誉教授で評論家だった加藤典洋氏は、なぜ日本国憲法が今のようなかたちになったのか、『9条入門』でその第1条と第9条の関係に着目して興味深い考察をしている。

終戦の年の6月末時点、米国内での世論調査(ギャラップによる)に見る日本の天皇の処遇は厳しいものだった。
・処刑を求める=33%
・裁判にかける・終身刑・追放=37%
・不問に付す・傀儡として利用する=7%

当然、GHQが日本を占領統治するに際してそうした米国内の世論は無視できないものだった。

しかも、日本国憲法を制定する権限を持つ11ヵ国からなる極東諮問委員会のなか、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続に反対していた。

それら11ヵ国は、東京裁判と呼ばれた極東国際軍事裁判の判事選任の権限を有していた。つまり、その委員会主導で戦後の日本国憲法が制定された場合、天皇制が廃止される可能性があった。

ところが、現在の日本国憲法第1条にみるように、そうはならなかったのはGHQによるウルトラCがあったから。

GHQには法理上の日本国憲法の制定権はなかったにもかかわらず、彼らが極東諮問委員会や連合国、米国国務省の裏をかいて電光石火の勢いで憲法草案を起草し纏め上げた。そして、「日本国民の自由に表明せる意志に従い」日本政府が作成した案であるという建前論をごり押しして制定化してしまった。

なぜかという理由について、加藤はマッカーサーが日本を占領統治するに際して天皇制を利用することで、占領にかかるコストと時間を劇的に削減できると考えたからだと分析する。

マッカーサーは1948年の大統領選への共和党からの出馬を狙っていた。そのために、連合国軍最高司令官として速やかに占領を完了したという統治者の実績がなんとしても欲しかった。

そして、天皇制を存続させることへの諸国からの危惧や批判を抑えるために第1条とバーターで第9条2項を作った、というのが加藤の見立てである。


つまり、日本という国の将来のこととか、世界の安定・平和とか、そうした本来あるべき統治哲学やモラルなどではなく、自分が大統領の地位へ近づくための手段として彼は日本国憲法を利用したわけだ。

人や社会への情を持たず、経済性などの(自己にとっての)合理性だけで判断する、これが米国流為政者のプラグマティズムなのだろう。 

トランプもそうしたマッカーサーと同じ系譜にあると考えれば分かりやすい。

ウクライナへ侵攻し、今も多くの人命を奪っている殺略者であるプーチンをアラスカの空港にレッドカーペットを敷いて迎えたのも、彼の狙いを考えれば納得がいく。 

ちなみにマッカーサーは、大統領選で大勝するだろうという当時の米国内の下馬評に反して1948年4月の予備選の場で敗れ、消えていった。

2025-08-16

渋滞高速道路上の快感ホルモン

年末年始とお盆の時期の毎年変わらぬ高速道路風景がこれである。


休みを取って移動する時期をその前でも後でも一週間ずらせば、写真の左側<下り>のようにスイスイ行けること間違いないのに・・・。

人間(日本人)の習慣の粘着性はすごいなと感心するとともに、不思議でならない。

こうした渋滞や混雑によって生じるストレスが、人に快感を感じさせる脳内ホルモンを発生させているに違いない。たぶんね。

2025-08-15

国会議員の「みんなで〇〇〇〇する会」

終戦の日の15日、自民党の閣僚をはじめ、参政党、日本保守党の党首らが靖国神社に参拝した。

例大祭と終戦の日に靖国に行こうという超党派の議員連盟では約50人が一斉参拝した。その議員連盟、名称を「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という。

1981年に結成された団体らしいが、なぜ「みんなで」なんだろうナ。シンプルに「靖国神社に参拝する国会議員の会」でもいいはずなのに。 

なんてこと考えてたら、ふと思い出したのだが、たしか『ツービートのわッ毒ガスだ』(KKベストセラーズ)が出版されたのがその前年の1980年。ビートたけしの大ヒットギャグ「赤信号、みんなで渡ればこわくない」が紹介されている本である。


日本人なら誰もが知るこのフレーズは、実用日本語表現事典によれば「禁止されていることも、集団でならば心理的な抵抗もなく実施してしまえる、といった意味合いの表現」と説明されている。

なるほどね。その「集団でならば」のところを国会議員たちは40年以上にわたって継承しているってわけだ。

そろそろ「自立できない国会議員の会」に改名した方がいいんじゃないか。 

2025-08-14

市長の実績が意味するもの

郵便受けに今月初旬に行われた横浜市長選の投票開票の結果数値を記したチラシが入っていた。

裏面には当選した現市長の「実績」というのが書いてあり、曰わく、

・小児医療費の無償化
・待機児童ゼロ
・中学校全員給食の実施
・学童保育での昼食提供

どれも子どもたちの成長を支援する策で、結構なことではある。が、これが市長の実績かと言われると、大いに疑問がある。

どれも金を使えば実現できるばかり。これらの政策を実現するために必要な資金を市長が追加的にどこかから生み出したなら市長の実績と言っても構わないが、だがそうではなく、予算の使い道を変えただけなら、その実績は市長のそれではなくわれわれ納税者のものということにならないか。

これでは市民としてどっちらけだ。他人の褌みたいなことを実績として標榜するなどせず、もっと力を果たせよと言いたい。

2025-08-12

ほんとうの「日本人ファースト」を

徒歩5分ほどのところにあるホテルの前からバスに乗れば、羽田空港まで直通で40分。海外路線を扱う第3ターミナルへは空港内をバスが少しぐるぐる回るので時間がかかるが、それでもプラス15分くらい。いずれにせよ自宅を出て1時間もあればたどり着ける。

その利便性から成田空港はほとんど利用しなくなって久しい。そんな羽田空港だが、そこから離陸するフライトの飛行ルートをいつも不思議に思っていた。

飛行機が関東周辺から抜け出すにあたって妙なかたちで旋回していたり、急上昇したり、それは関東平野上空の気流の関係かなと思っていたのだけど、実はそうではなかった。

在日米軍の特権的地位を定めた「日米地位協定」によって、米軍横田基地が管制する空域は、日本の飛行機は立ち入ることができないことになっているからだ。 

米軍が航空管制を行っているエリア


そのため、われわれが乗る飛行機もそのエリアを避けて飛ぶ。日本の空なのに。日本という国の主権は日本国にあるはずなのに、おかしな話だ。日本のど真ん中の空から日本が完全に弾き出されている。 

「日本人ファースト」を主張する政治家たちは、難民申請者や日本で学ぶ留学生たち、海外からの旅行者を目の敵にする前に、なぜこの不平等な協定を問題視しないのか。

飛行エリアだけじゃない。日本に駐留する米軍兵士の数は6万人、その家族(扶養者)が3.5万人、合計約10万人に日本国内でかずかずの特権が与えられている。こうした、誰が見ても明らかな「アメリカ人ファースト」が日本国内でまかり通っている。 

政治家が知らないはずがない(知らなかったら勉強してくれ)。これは一つの例。

政治家だったら何とかしてみろよ、参政党。

2025-08-11

ハルシネーションを楽しんでいたのだが

Chat GPT-5がリリースされたということで、chatgpt.comにアクセスしてみたら

GPT-5 のご紹介

という文字が画面に現れた。そして「ChatGPT のモデルに思考能力が組み込まれ、これまでで最もスマートで、速く、便利になりました。いつでも最適な回答が得られます」とある。
 
ネット上の評では、5になってさらに深い思考に基づいた回答が得られるようになり、ハルシネーションの程度を抑えられるようになった、と書かれている。
 
技術的なことはよく分からないし興味もさほどないが、なるほど使ってみて思うのは、こちらの質問の意図を推測してその答えを探しているような感じがすることである。進化シテルーという実感だ。
 
4oや4.5と比べて推論能力や文脈理解力が上がっていると説明されると、なるほどそうかもと思ってしまうし、ハルシネーションも減少したように感じるのだ。
 
ハルシネーションとは、人工知能によって生成された、虚偽または誤解を招く情報を事実かのように提示する応答のこと。
 
実は、それを結構楽しんでいたところがあった。例えば生成AIにある人物について訊ねてみると、内容はそれなりにまとまっているのだが、顔写真がまったくの別人だったりして笑えた。
 
ハルシネーションの可能性があるから、もっともらしく(自信満々に)画面に現れる内容でも常に少し引いた目で読んでいた。
 
またハルシネーションがあるから、学生が書いたものなどを読んでもすぐにそれ(AI)と気がつくという意味で「便利」だった。 
 
生成AIというのは、こちらが知らない森羅万象の情報や知識を屈指して、推論を働かせながらもっともらしい文章を自信満々に書いて寄こしてくるが、肝心なところを勘違いして嘘をついてる<とっぽい野郎>だったのが、間違うことのない<クールないけ好かない奴>になっていくとしたら、少し残念だ。 
 
生成AIはもっともらしく見せていて、その実、間違うことがあるから人間が介在している。これが間違うことなどないスーパーな存在になったら、人間はそこにどう介在すればいいのか。
 
その時には、われわれは自分のアタマで考えたり判断する必要がなくなっているのだろう。15年後くらいには、世の中の半分ほどの人たちはAIに従属するようになっているかもしれない。
 
AGIやASIという言葉を目にする機会も増えた。それぞれ汎用人工知能(人工汎用知能が正しいと思うが)と人工超知能と言われているもので、ChatGPT-5でもまだAGIに至っていないし、ASIはその遙か先の存在らしい。
 
そうそう、あまり急がないで、ゆっくり進化していって欲しい。
 
誰か地球を止めてくれ、僕はゆっくり眠りたい・・・ 

2025-08-10

どうした、青木

ジャーナリストの青木理がTBS「サンデーモーニング」に出演した際に、約10カ月ぶりにテレビの番組に出演したと語った。

昨年の9月に配信されたYouTube番組での発言をきっかけに、地上波テレビ番組の出演を自粛していたらしい。

彼はYouTube上の番組で津田大介と対談した際、津田から「人々はなぜ自民党に入れ続けるのか?」という講演を予定していることを告げられるとこう言った。「よくこんなテーマで・・・。ひとことで終わりそうじゃない? 『劣等民族』だからって」と。

すると、それに対してSNS上で批判が相次いだ。青木はその後、その発言について謝罪、撤回し、さらに地上波テレビ番組への出演を当面、自粛する考えを表明していたというのだ。

彼が言った「劣等民族」の民族というのは国民を意味してのことだろう。用語センスがいいとは思わないが、この発言の何が問題なのか。特定の誰かを貶めているわけではなく、ただひとつの考えを示しているだけだ。

そもそもこうした発言に目くじら立てる方がどうかしている。青木はそれが分かっていながらネット上でのそうした顔のない批判にひるんでしまった。こんなことで自粛してどうするのか。ジャーナリストとして情けない。

彼がそのとき「謝罪」したのは、一体、誰に向けて謝罪したのか。私たち1億2千万人の国民に向けてか。そうではないとすると、SNS上で批判してきた顔なしたちに対して「スンマセンでした」と素直に頭を垂れたということになる。 

ジャーナリストの矜恃というものはないのかネ。ジャーナリストならジャーナリストらしく、しゃんと背筋を伸ばせよ。

日本を遠く離れたガザでは今もジャーナリストたちが文字通り命を賭し、地獄を目の当たりにしながら日々の惨状をレポートし続けている。これまでにガザで180人以上のジャーナリストが殺害されている事を知らないはずはないだろう。


それにしてもラジオ番組には毎週出ていながら、なぜ地上波テレビは別なのか。そこも理解できない。

数少ないまともな日本人ジャーナリストの一人だと思っていたのだが、ガッカリしてしまった。 

2025-08-09

言葉にならぬガザの現状

今年の4月時点、すでにガザへの爆撃による被害は「広島へ投下された原爆6発分」と専門家によって分析されている。言葉を失う。

2025-08-06

その後の新幹線の喫煙ルームは何に使うのか?

新幹線は昨年の3月、他の交通機関に遅れること10年?くらいか、やっと完全禁煙になった。

ところが新幹線の車両には、不思議なことに今も「喫煙室」が備えられている。


訪日外国人旅行者がこの数年で格段に増加し、新幹線のなかで大型のスーツケースの置き場所に困っている乗客をいつも目にする。他国に比べて日本の高速鉄道(新幹線)には、荷物用のスペースが圧倒的に足らないのである。

「喫煙室」は、写真のような貼り紙をした上で鍵がかけられ開けられなくしているが、みんなが困っているのだからその部屋を荷物置き場として乗客に開放すればいいのに。

そんなことを考えていたら、車掌がたまたま通りかかったので、なぜ喫煙室を乗客の荷物置き場として利用させないのか問うたが、納得いく答えが返ってこない。

サービス業として顧客の利便性をもっと考えた方がいい、海外からの旅行者を中心に多くの乗客が困っているのだとこちらが話はじめたら、「ちょっと用事がありますので・・・」と言って逃げてしまった。 

2025-08-05

「利用規約」は生成AIにチェックさせよう

インターネット上で、有料無料問わず各種サービスを利用しようとすると、必ずと言っていいほど「利用規約」だの「プライバシーポリシー」や「個人情報の取扱い」といった長々とした文章を読まされる。

金融機関のサイトはなおさらで、各種規約を読んで「読みました」というチェックを付けないと先に一歩も進めない。消費者保護の観点もあるのだろうが、やり方は明らかに現実離れしている。

先日、ある情報サイトを利用するに際して相手から提示された「利用規約」を、自分で読むのは億劫なので生成AIに読ませ、注意点を指摘するように言った。すると、こんなコメントが出てきた。

ーーーーー
 
✅ 注意が必要な条項とポイント
1. 利用規約の一方的変更(第3条)
•    リスク:🌑🌑🌑は利用者の事前承諾なく、いつでも規約を変更可能です。
•    注意点:不利益な変更については告知義務がありますが、利用を継続することで自動的に同意したとみなされる点は留意が必要です。
 
2. 会員登録の取消・強制退会(第5条・第8条)
•    リスク:🌑🌑🌑が「不適切」と判断した場合、会員登録を拒否・抹消可能です。
•    特に強い条文:理由の詳細を通知する義務がなく、損害に対する責任も負わないと明記。
 
3. 免責条項の強さ(第16条)
•    リスク:🌑🌑🌑の責任は「故意または重過失がある場合」かつ「直接かつ通常の損害」に限られ、逸失利益・機会損失は対象外です。
•    実質的な意味:ほとんどのケースで損害補償を受けるのは困難。
 
4. クレジットカードに関する責任(第22条4項)
•    リスク:クレジットカードのトラブルは「カード会社との間で解決」とされ、🌑🌑🌑は一切関与しないと明記。
•    注意点:不正利用・二重請求などが発生した場合も、🌑🌑🌑は対応しない可能性あり。
 
5. 返品・交換の条件が限定的(第24条)
•    リスク:
o    外装や広告物の破損では返品不可
o    申請期間は到着から8日以内
•    注意点:商品本体に明確な欠陥がある場合以外、返品が認められない可能性が高い。
 
6. 会員ID・パスワードの利用責任(第10条)
•    リスク:IDやパスワードが第三者に不正利用されても、利用者側の責任となる。
•    実質的影響:盗用されても自己責任になるため、管理を厳重に。
 
7. サービスの終了・変更に関する免責(第14条・第15条)
•    リスク:サービスが予告なく終了・変更されても損害補償なし。
•    影響例:講座やデジタル商品などが予告なしに停止される可能性。
 
✅ 総合コメント
この利用規約は、🌑🌑🌑側に広範な裁量権・免責権限が与えられており、利用者側の保護がやや弱い構成になっています。一般的なEC規約と同様の範囲内ではあるものの、
•       返品条件の限定
•       会員抹消・強制退会の広範な裁量
•       免責条項の強さ
などにおいて、ユーザーは特に慎重になるべきです。

ーーーーー

とても参考になる。自分で無味乾燥な利用規約など読むのはご免だが、これなら読まずとも注意すべきポイントを知ることができる。

それにしても、他の「利用規約」もいくつか生成AIにチェックさせたのだが、ほとんどはこの通り、自分たちの利益を最大化するとともに責任範囲を最小化したものばかりだった。

知らぬは利用者ばかり、である。

2025-08-04

日本の企業にもAI役員が登場

キリンホールディングスが、経営戦略会議にAIが生成した仮想役員を導入するという。

過去の議事録や外部情報を基に、マーケティングや法務など各分野を専門とする12の「人格」が論点提示や情報提供を担うのだとか。 

その目的は経験や直感だけによらず、客観データを基にした迅速な経営判断を手助けするためだとしており、その発想はなかなか結構である。

それらAI役員は、マイクロソフトやグーグルが提供するモデルを基盤にキリンHDが独自に開発したもので、過去10年間分の取締役会と経営戦略会議の議事録を記憶させたという、

なかなか面白い試みで、これまでになかった戦略が出てくるかもしれない。ただ一つ気になるのは、なぜ過去の取締役会や経営戦略会議の議事録をAI役員に取り込んだのか。

果たしてそうすることが、より高度な戦略立案や意思決定への示唆に役に立つのか。むしろ逆効果にならないか。

これまでの経営者たちによる議論や意思決定プロセス、組織内の習慣性癖といったものは一切教えず、純粋に客観的な市場データや顧客に関するデータ、財務データなどから取るべき最適な戦略の策定や意思決定案を考えさせるべきではないのかね。

個人も組織も、間違った思考パターンで猛烈に学習し続けることほど危険なことはない。

私が以前、ある上場企業から社外取締役の就任を依頼されたとき、まず最初にやったことは、その会社の会議室にこもって過去10年間分の取締役会議事録にすべて目を通すことだった。

その目的は、そこに記されている「過去」を理解した上でそれをフォローするのではなく、逆にその会社の経営上の癖を知ることで、そうしたものに自分が組みせずに取締役として適切な意思決定をするためだった。

今回のキリンHDのAI役員たちも、過去の取締役会や経営戦略会議の議事録の内容をそのような狙いで理解し、今後の新たな方向性作りに生かしてくれると良いのだろうが、果たしてそこまでAIが気を利かせてくれるものなのかどうか、私には定かでない。

現在キリンHDには12名の取締役(こちらは人間の)がいるけど、その数は5年後には半分に減っているのだろう。

ところで、「人格」を与えられる12のAIは会議の場で何と呼ばれるのだろう。まさかキリン1号、キリン2号・・・とか。「南極1号」か!

2025-08-03

上條恒彦さん

人の心をふるわせる声というものがあり、僕にとってのそうした声の持ち主の一人が先日なくなった上條恒彦さんだった。

彼は歌手からスタートし、舞台の役者やテレビの俳優としても活躍した。スタジオジブリの劇場用アニメなどで声優もつとめていた。

初めて聴いた彼の歌は『出発(たびだち)の歌』(1971年)で、だがそのレコード(17センチのドーナツ盤)はどこかにやってしまったらしく探してみたけど見つからない。 

『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』(1972年)が見つかり、ひさしぶりにレコードプレーヤーに載せてみた。この歌唱もスバらしい。

上條の歌唱はもちろんのこと、和田夏十が書いた歌詞もまたいい。あの時代の空気の一つを見事にすくい取っている。


2025-08-02

裸足で全力疾走する女

散歩の途中、道の反対側を向こうから上半身はだかの男が疾走してきた場に出くわした。

このあたりは鶴見川土手が近いせいか、ランニングやジョギングをしている人たちと出会うのは日常のこと。だが、その男は白のシャツを手に、上半身はだかで全速力で走っている。というか、逃げていた。

何ごとかと思ってたら、「誰かそのひとを捕まえて〜」と叫びながら、その男を追う女性が現れた。彼女も全速力で駆けている。

続いて小学校高学年くらいの男の子が現れた。彼女を、そしてその先の半裸の男を一生懸命に追っている。その女性と少年は裸足である。

現場の状況が掴めずしばし呆然としてしまったのだが、これは普通じゃないなと思い近くの警察署の番号を調べ、電話をかけようとしていたら、その女性と少年がこちらへ戻って来た。男に追いつけなかったらしい。裸足が見るからに痛々しい。彼女から話を聞くと、逃げた男との間でいざこざがあったようだ。

電話に出た警察の人に起こっていることを説明し、われわれ3人がいる場所を伝えたのだが要領を得ない。警察署からは車で1、2分ほどの距離。警察署の建物の前からどう進んだらよいか詳細に道案内をしたにもかかわらず、うまく伝わらない。

そこに配属されたばかりなのかも知れないが、それにしてもだ。警察署の建物の中に閉じこもってばかりで、周囲の地理的状況すら頭に入っていないのだろう。

その後、なんとか警察官にその二人の保護を任せて帰宅後、その警察署から携帯に電話が入った。あらためてこちらの名前や住所を教えてほしいというのだが、その際、生年月日を訊いてきた。

何のためにそれが必要か訊ねたら「念のため」だとか。訳が分からない。だから代わりに干支と星座を教えてやった。 

2025-08-01

本から遠くへ離れてしまった日本の子どもたち

全国学力テストと呼ばれる全国学力・学習状況調査の2025年度の結果が公表された。調査対象は国内の小学6年生と中学3年生の全員で、国語、算数・数学、理科の科目について実施されたものである。

それによると、各教科で記述式の問題の正答率が過去の調査時より低く、自らの考えを根拠を示して書く力に課題があることが浮き彫りとなったとされている。

またこの調査と同時に行われた、小学6年生と中学3年生の読書実態についてのアンケート調査では、小学6年生の3割近く、中学3年生の4割以上がまったく本を読まない(読書時間ゼロ)と回答していて、その割合は前回、前々回より増加している。


理由は複数考えられるが、そのひとつは子どもたちが本の代わりにスマホを手にして、多くの時間をそれに費やしていることがあると考えられる。 

ヨーロッパやオーストラリアを中心に、子どものSNSへのアクセスを規制する法制度が成立する動きが出てきた。規制対象となる年齢は国によって多少異なるが、だいたい16歳未満が多い。

オーストラリアでは16歳未満のYouTubeのアカウント作成も禁止されることになり、動画をアップしたりコメントを書いたり、また一部の動画閲覧ができなくなる。 

こうした規制の考え方は正しいと思っている。まともな大人は、国を問わずこうした考え方をするものだ。これからの問題は、どのように実効性のある規制を実現するかだが、技術を用いたスマートな方法論が早急に確立されることを期待する。もちろん、日本でも同様に子どもたちのSNS規制が望まれる。

SNSへの「浸かりっきり」がイジメや暴力的行為を助長しているのは明らかだし、これ以上日本の子どもたちの学力が落ち続けないうちに、国が早めに手を打つ必要性が明らかになっている。 

2025-07-31

KDDIによる契約改ざん

3日前、KDDIから電話があった。それは、前回「確認してご連絡します」と彼らが言ってから10日が過ぎてのこと。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/07/blog-post_18.html

契約している料金プランが、知らぬ間に勝手に変更されていたことへの説明のための電話だ。

結論から言えば、そこでKDDIは契約内容(料金プラン)を自分たちが勝手に変更したことを認めた。 

そもそも今回のやり取りは、料金プランそのままで携帯電話を新たにKDDIで買い換えたことからだった。ところが、その契約を締結したのちにKDDIの社内都合で現行の料金プランを継続できないことが判明したと言う。

そのため、請求内容の内訳の数字を操作し、トータルの金額を以前と同じに調整することで発覚することを隠蔽していた。 

本来は契約者に対して契約内容変更の許可を得る必要があるはず。にもかかわらずKDDIはダマテンでやり、それを認めている。

違法ですよ、とのこちらの指摘を受けて、本日KDDIから「ご契約内容のご案内」なる文書が郵送されてきた。

そこには当初の(本来の)契約内容が書かれていた。今回、辻褄を合わせるために修正したものを送ってきたのだ。ただし、「お客様にご契約いただきました内容についてご案内いたしますので、内容のご確認をお願い致します」とだけ書かれ、自分たちの契約改ざんに対する釈明も謝罪の一言もない。

しかも、「ご契約の内容」を明記した文書の受付日は、バックデイトの日付が印字されていた。自分たちがやったマズイことは活字にはせず、しれっと覆い隠してなかったことにする手口である。

通信会社のやり口ってのは、そもそもこんなもんなのかね。あきれた遵法精神の企業である。今回たまたまバレただけで、どこも似たようなインチキをやっていると思った方がよい。

契約担当の社員ですら、自社の料金プランが複雑すぎてどうなっているのかキャッチアップできていないという面もありそうだ。

880トンの道程へ1グラム

東京電力福島第一原子力発電所の爆発後処理は、あの3.11から14年以上過ぎてもまだデブリの取り出しが始まっていない。

国の専門機関「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」は、2030年代初頭と見ていた取り出し開始時期が2037年以降になると明らかにした。

よく読むと、開始できるまでにこれから12年から15年かかるから、ということ。つまり、開始できる時期が2037年〜2040年頃だと言っているわけさ。

だが、こんな説明は眉唾だと言っておく。

なぜなら、現時点で実際に取り出しに成功したのは1グラム(正確には0.9グラム)。一方、取り除かなければならない原発内のデブリの量は880トン(1〜3号機)と推定されている。

あるペースで既に取り出し作業が続けられているのならば、「このペースで取り出し作業が行われれば・・・」という話にもなろうが、まだどうやって取り組んでいいのかすら分からない状態。

そもそも、このデブリは高放射線、高温、その形状も位置も不明で、取り出し作業は世界でも前例がない超難関作業と言われている。だから周囲のあらゆるもの、人はもちろん、水の処理や環境にも細心の注意と配慮が求められる。 

さらには、取り出した880トンもの高放射線デブリをどこに保管するのか、どこでどうやって最終処分するのか、まだ何も決まっていない。保管場所すら決定できないのに、取り出しに一所懸命になってどうするのか。 

これが現状だ。12年〜15年経てば取り出し作業を開始できると言われても、その根拠が見えない状態でそんな話を信用できるわけがない。

責任者の定年が12年後に控えているから、というのがこの数字の背景にあるんじゃないかと疑いたくもなる。 

2025-07-30

「現役」とは、「人生」とは

日経新聞の社会面に「生涯現役『人生2倍楽しむ』」の大きな文字が躍る。

2025年7月28日、31面

記事には、市役所の職員を定年退職後に弁護士の資格を取得し、現在は法律事務所に所属して相続問題を主に手がけている男性が取り上げられている。 

セカンド・キャリアのひとつの例として紹介されているわけで、役所関連の何とか協会なんてのに天下り再就職するのでなく、自らの意思で獲得した新しい職に打ち込むその人の姿はすばらしいと思う。

一方、この記事から「現役」とは何か、また、この場合の「人生」とは何かということを考えさせられてしまった。

この記事を書いた人は、社会の中で職に就いている人たちだけが「現役」であり、そうした職に従事することが「人生」だと考えているように思う。

だが世の中には病気のため、あるいは重い障害を抱えているためにずっと職に就かず、または就けないまま過ごしている人たちもたくさんいる。ヤングケアラーと呼ばれる、家族の介護のために仕事に就けないでいる人たちもいることだろう。

さらには専業主婦(主夫)たちもまた、この記事の視点からは「現役」からはずれたものとみなされ、一生「人生を楽しむ」状況とは無縁の存在と定義される。

こうした記事が掲載された根底には、「現役」というのは組織で働くなど、社会との関わりのなかで生産活動に従事することだとする固定観念が横たわっている。

病床にある人たちも、障害が理由で職に就けない人たちも、また専業主婦らもそれぞれの意味で「現役」であり、各人の「人生」は確実にあるはずなのに。

そうした当たり前の視点を忘れている。 

やはりグーグルの仕業

昨日書いたテーマパークに関する口コミに関する件、ネット上の無数の「?」に押されたのか、グーグルが自分たちが「やった」と明らかにした。


「ポリシー違反」とかで、「実際の体験に基づかない不適当な投稿」だったからとしているが、実際に客が行ったかどうやったら分かるというのか。

具体的な投稿例すら示しもせず、不適切な「検閲」を裏でやるのは実に卑怯である。

2025-07-29

ここでも不可解なグーグルの検閲行為

つい先日、グーグルがネット空間上で行っている不可思議な操作についてここに書いたが、似た話はやはりあるもので、GoogleMapでもほぼ同様なことが行われていた。

今回はオープンしたばかりのテーマパークという話題の対象だったので、世間に知られるようになった。


https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2507/28/news100.html 

コトラー、94歳

今でもたまにメールのやり取りをすることがあるP・コトラーさんから「そろそろ雑事は切り捨てて、やりたいことだけに集中したい」というメールがあったのはいつのことだったろうか。

彼は1931年生まれ、8年目に亡くなった僕の父親と2つ違い。もうずいぶん長いこと会っていないが、かなりの高齢者であることは間違いない。
 
そんな彼がやっとKotler Impactとの縁を切ったようだ。良かったと思う。その中心として「営業」に猛進していた彼の弟が数年前に亡くなり、経営の中心が別の人に移ったのが契機になったのだろう。
 

彼の名前は今でも『コトラーのマーケティング5.0』といったタイトルの本の共著者として見かけるが、それは名義貸しで実質的な執筆はしていないはず。本を売らんがための、出版社によるコトラーブランドの「販促利用」だ。
 
共著ではないコトラーによる最近10年間の本(単著)は、Confronting Capitalism (2015)、Democracy in Decline (2016)、My Adventures in Marketing (2017)、Advancing the Common Good (2019)、My Life as a Humanist (2022) の5冊。
 
タイトルにMarketingとあるのは2017年のMy Adventures in Marketingだけで、しかもこの本はマーケティングに関して書かれたものではなく彼の自叙伝である。
 
すでに10年前から、彼の関心は近年の資本主義や民主主義のあり方、社会の中での共通善(Common Good)といったより大きなテーマに移っていた。https://4pkotler.medium.com/
 
今もFather of Modern Marketing(近代マーケティングの父)と呼ばれることがあるが、それは彼がかつてSelling(販売)の一手段としてしか考えられていなかったマーケティングを、組織の重要な経営機能の一つとして体系的にまとめあげたからだ。
 
その意味で彼の功績は大きく、マーケティング史、経営史に残るものである。
 
ただ、日本で出版されている彼の名を冠した本で、その帯などに「マーケティングの神様」と書かれているものを目にすると、それはちょっと違うだろうという違和感がある。
 
今度、彼に連絡をとるとき、あなたのことがThe God of Marketingと日本で本の惹句に書かれているぞと伝えてやろうかと思っている。一体、どんな反応が返ってくるか。「私はまだ死んじゃいないよ」とでも言われそうだ。

2025-07-28

ここでも〇〇ファースト

今度の日曜日に横浜市長選の選挙がある。先日の参院選と合わせてやってくれたらよかったのだが、まあしかたない。

前回の横浜市長選時は、山下埠頭(みなとみらい地区)にカジノを含むIRを誘致するという当時の林文子市長に対する信任選挙の意味あいが強く争点が分かりやすかったが、今回はそうしたものが何もない。

4年前のその選挙ではカジノ推進派の市長は落選。そして外資系カジノ企業は大阪市に標的をシフトした。

今回の立候補者は現職を含めて6名。ただでさえ国政選挙と違って情報が限られているので配布された選挙公報に目を通してみた。

6名中2名が、〇〇ファーストを謳っている。二番煎じだ。いや、三番煎じか。講道館柔道二段だという女性は<横浜市民ファースト>を掲げ、「市民の命を守る」と訴える。元甲子園給仕、いや球児の男性は<横浜市民第一主義!>を標榜し、「市長報酬カット」をトップの抱負に掲げる。

なんだかなあ・・・盛り上がらない

2025-07-27

SNSはASN(Anti-social Newwork)

参院選から一週間が過ぎた。今回の選挙は全体を通じて実に不愉快なものだった。

各候補や政党が発する情報の扱いについて、これほど考えさせられた選挙はなかった(たぶんこれがその始まりなんだと思うが)。

 「切り取り動画」なるものが無数にネット空間に流れ、人はそれを見て心を動かされ、投票行動に反映させた。ただし、そこで流されていた圧倒的な量の、自分たちの正当性を主張するメッセージも他者を批判する内容も真偽不明のままでお構いなしだった。

コストなしで誰でもメッセージを発信できるということは、本当に危険なことだと思う。言論の統制をした方がよいと言っているのではない。ただ、自らの利益獲得のためにーーそれが投票行動であれネット広告からの収入であれーー明らかに間違った情報を拡散しようとしたものに対しては罰則が必要だろう。 

今さらながらだが、受け手の問題も大きい。「人は自分が信じたいものを信じる」生きものだから、簡単に誘導され騙される。そのための第一原則は、発信者が不明(無署名)な場合は、意識的にスルーすること。第二の原則は、内容について自分の頭で正しいかどうか考えて判断するしかない。

今回、東京選挙区で当選した皿だか竿だか知らないが、歌手を自称する女性は徴兵制の導入と日本の核武装を主張しているような人物である。

投票した人たち、特に若者たちはそれを理解しての選択なのだろうか。ならば、その女性と一緒にまずは自衛隊に入隊して訓練を受けろと言いたい。

今回の選挙戦の主な場はネットで、その主要ツールがSNS(Social Networking Service)だったわけだが、その今日的な意味はSocial(社会的)ではなくASN(Anti-social (反社会的)Newwork)にほかならなくなってしまった。

2025-07-26

グーグルによるセンサーシップ

先月、このブログの記事の多くがグーグル社によってそのインデックス登録をはずされたと書いた。

グーグル社から「バツ」を付けられたわけだが、彼らによるそうした「検閲」を確かめる目的で今回ブログサイトへ広告を掲載する設定にしてみた。

結果は想像したとおりで、広告掲載は不可だと言ってきた。

 
(クリックで拡大)

どのような審査だったのかは不明。相変わらずまったくのブラックボックスである。

おそらく、グーグルについての批判的コメントをいくつも掲載してあることが原因だろうと思っている。

というのは、以前、彼らからブログ上に広告を掲載するように推奨され、実際にネット広告を掲載していたことがあるから。

だけどその時は、広告収入といっても大した金額ではないし、またどんな種類の広告が掲載されるかコントロールできるわけではないので、ブログへの広告掲載はまもなく止めてしまった。

そうしたいきさつからも、今回の審査結果に対して僕は彼らに邪悪なものを感じる。

グーグルはそのポリシーを以下のように定めている(ChatGPTによるまとめ)。これらはすべて常識的なものばかり。このブログの記事をブロックする理由は一つも見当たらない。 

主なGoogleポリシーと違反例
1. Google 広告(旧AdWords)関連ポリシーの違反
    1-1 禁止されている商品・サービスの広告(例:偽造品、違法薬物)
    1-2 誤解を招く広告(例:虚偽の主張、不実表示)
    1-3 不正な広告行動(例:自動クリック、複数アカウントでの回避)

2. YouTubeのコミュニティガイドライン違反
    2-1 ヘイトスピーチや暴力的コンテンツの投稿
    2-2 著作権侵害(例:無断転載)
    2-3 スパムや詐欺的コンテンツの拡散
    2-4 子どもの安全に関わる違反行為

3. Google 検索に関するポリシー違反(検索スパム)
    3-1 キーワードの乱用(キーワードスタッフィング)
    3-2 クローキング(ユーザーと検索エンジンに異なる内容を表示)
    3-3 被リンクの不正操作(有料リンクやリンク交換など)

4. Google Play 開発者ポリシー違反
    4-1 マルウェアを含むアプリの配信
    4-2 ユーザーデータの不正な収集・送信
    4-3 無断で課金する仕組み

5. Googleアカウントの不正使用
    5-1 なりすましや偽名での登録
    5-2 不正アクセスの試み
    5-3 スパムメールの大量送信 

ネットの世界ですべてを自分の手でコントロールできると思っているグーグルは、自分たちを「神の座」に座っている存在と考えているのだろう。 

2025-07-24

渋谷陽一が亡くなった

2年前に脳出血で倒れ、その後リハビリを行っていたらしい。享年74歳。

渋谷が音楽評論家としてデビューしたのは、彼が19歳のとき。最初のレコード評は、グランド・ファンク・レイルロードの『サバイバル』についてだった。

その翌年に『rockin' on』を岩谷宏や橘川幸夫らと創刊している。確かまだ明治学院大の学生だったと思うけど。彼の論評スタンスは結構過激で、歯に衣着せずと言うか好き嫌いがはっきりしていたように思う。それが彼のロックへの向き合い方だった。

『ロッキング・オン』が誕生した頃の話は、橘川幸夫の『ロッキング・オンの時代』(晶文社)に詳しい。70年代のカウンターカルチャーの時代の空気が伝わってきて面白い。高度経済成長する時代を背景にした、懐かしく、思い切りのいい時代だった。 

個人的には、当時『ロッキング・オン』の渋谷陽一と『ニューミュージック・マガジン』の中村とうようがロック、ポップス、ブラック・ミュージックへの案内人だった。

渋谷は雑誌『ロッキング・オン』や『CUT』などを創刊したユニークな編集者であり、優れた音楽評論家であるとともに、リスナーを魅了するラジオDJだった。

雑誌メディアからスタートした渋谷は、僕にとっては「書く人」より「話す人」として記憶に残っている。NHKの『若いこだま』のラジオDJを彼が始めたとき僕は中学3年で、毎週ラジオに耳を傾けていたのを覚えている。NHK-FM『サウンドストリート』『ミュージックスクエア』など彼が英米のロックを紹介する番組も聴いていた。

僕が後年、FMラジオ局でラジオDJをやったのは、こうした番組をやっていた渋谷陽一とFM東京(現Tokyo FM)で「気まぐれ飛行船」をやっていた片岡義男の二人からの影響が大きい。

80年代前半、知り合いの勤める外資系広告代理店に「渋谷です」と言ってよく電話がかかってくるという話を聞いたことがある。彼女の職場の同僚が渋谷のガールフレンドらしくて、彼からの電話をよく取り次いだらしい。メールなんかなかった40年前のことである。

 

ちなみにGrand Funk Railroadは現在もバンド活動を続けている。まさにサバイバルだ。 

GFRの1974年のライブ。なぜか3人とも裸だ

 

2025-07-20

家電量販店の店頭掲示

友人が、都内の家電量販店で目にしたという店内ポスターの写真を送ってくれた。各フロアのレジに掲げられているらしい。

(クリックで拡大)

「STOP!  カスタマーハラスメント」の下には、「みなさまに気持ちよく過ごしていただくために」と書いてある。それにしては、まるで子どもに行儀を教えるかのように客に作法を説く。


掲示されたメッセージの受け取り方は人それぞれだろうが、ぼくは一読して嫌だなと感じてしまった。

上記のようなことを言わなきゃならないってことは、自分たちの客がそうしたレベルであるってことを言っているようなもの。そして、客にこのような言い方をする店側もまた、そうしたレベルであることを表している。 

ポスターの下の方に国土交通省、経済産業省、消費者庁、厚生労働省、法務省、警察庁、農林水産省の7省庁の名前をずらりと並べている。お上の名前で来店客を威圧しようというわけだ。

この家電量販店チェーンは、それほど悪質顧客に悩まされ続けているのかネ。

彼らが「カスハラ」と呼ぶものが年間どのくらいの件数発生してるのか、その会社の本社に問い合わせてみたら、「回答は拒否します」と言われた。その理由を問うたら、「それも拒否します」と返ってきた。

店頭の店員たちに気を遣ってやることはもちろん重要。だが、顧客も大切だという基本をこの企業は忘れているんじゃないか。