2025-08-12

ほんとうの「日本人ファースト」

徒歩5分ほどのところにあるホテルの前からバスに乗れば、羽田空港まで直通で40分。海外路線を扱う第3ターミナルへは空港内をバスが少しぐるぐる回るので時間がかかるが、それでもプラス15分くらい。いずれにせよ自宅を出て1時間もあればたどり着ける。

その利便性から成田空港はほとんど利用しなくなって久しい。そんな羽田空港だが、そこから離陸するフライトの飛行ルートをいつも不思議に思っていた。

飛行機が関東周辺から抜け出すにあたって妙なかたちで旋回していたり、急上昇したり、それは上空の気流などの関係かと思っていたのだけど、実はそうではなかった。

在日米軍の特権的地位を定めた「日米地位協定」によって、米軍横田基地が管制する空域は、日本の飛行機は立ち入ることができないことになっているからだ。 

米軍が航空管制を行っているエリア

そのため、われわれが乗る飛行機もそのエリアを避けて飛ぶ。日本の空なのに。日本という国の主権は日本国にあるはずなのに、おかしな話だ。

「日本人ファースト」を主張する政治家たちは、難民申請者や日本で学ぶ留学生たち、海外からの旅行者を目の敵にする前に、この不平等な協定をなぜ問題視しないのか。

飛行エリアだけじゃない。日本に駐留する米軍兵士の数は6万人、その家族(扶養者)が3.5万人、合計約10万人に日本国内でかずかずの特権が与えられている。こうした、誰が見ても明らかな「アメリカ人ファースト」が日本国内でまかり通っている。 

政治家が知らないはずがない(知らなかったら勉強してくれ)。

これは一つの例。何とかしてみろよ、参政党。

ちなみに、羽田から飛び立ったJL123便が御巣鷹山に墜落してから今日で40年。

2025-08-11

ハルシネーションを楽しんでいたのだが

Chat GPT-5がリリースされたということで、chatgpt.comにアクセスしてみたら

GPT-5 のご紹介

という文字が画面に現れた。そして「ChatGPT のモデルに思考能力が組み込まれ、これまでで最もスマートで、速く、便利になりました。いつでも最適な回答が得られます」とある。
 
ネット上の評では、5になってさらに深い思考に基づいた回答が得られるようになり、ハルシネーションの程度を抑えられるようになった、と書かれている。
 
技術的なことはよく分からないし興味もさほどないが、なるほど使ってみて思うのは、こちらの質問の意図を推測してその答えを探しているような感じがすることである。進化シテルーという実感だ。
 
4oや4.5と比べて推論能力や文脈理解力が上がっていると説明されると、なるほどそうかもと思ってしまうし、ハルシネーションも減少したように感じるのだ。
 
ハルシネーションとは、人工知能によって生成された、虚偽または誤解を招く情報を事実かのように提示する応答のこと。
 
実は、それを結構楽しんでいたところがあった。例えば生成AIにある人物について訊ねてみると、内容はそれなりにまとまっているのだが、顔写真がまったくの別人だったりして笑えた。
 
ハルシネーションの可能性があるから、もっともらしく(自信満々に)画面に現れる内容でも常に少し引いた目で読んでいた。
 
またハルシネーションがあるから、学生が書いたものなどを読んでもすぐにそれ(AI)と気がつくという意味で「便利」だった。 
 
生成AIというのは、こちらが知らない森羅万象の情報や知識を屈指して、推論を働かせながらもっともらしい文章を自信満々に書いて寄こしてくるが、肝心なところを勘違いして嘘をついてる<とっぽい野郎>だったのが、間違うことのない<クールないけ好かない奴>になっていくとしたら、少し残念だ。 
 
生成AIはもっともらしく見せていて、その実、間違うことがあるから人間が介在している。これが間違うことなどないスーパーな存在になったら、人間はそこにどう介在すればいいのか。
 
その時には、われわれは自分のアタマで考えたり判断する必要がなくなっているのだろう。15年後くらいには、世の中の半分ほどの人たちはAIに従属するようになっているかもしれない。
 
AGIやASIという言葉を目にする機会も増えた。それぞれ汎用人工知能(人工汎用知能が正しいと思うが)と人工超知能と言われているもので、ChatGPT-5でもまだAGIに至っていないし、ASIはその遙か先の存在らしい。
 
そうそう、あまり急がないで、ゆっくり進化していって欲しい。
 
誰か地球を止めてくれ、僕はゆっくり眠りたい・・・ 

2025-08-10

どうした、青木

ジャーナリストの青木理がTBS「サンデーモーニング」に出演した際に、約10カ月ぶりにテレビの番組に出演したと語った。

昨年の9月に配信されたYouTube番組での発言をきっかけに、地上波テレビ番組の出演を自粛していたらしい。

彼はYouTube上の番組で津田大介と対談した際、津田から「人々はなぜ自民党に入れ続けるのか?」という講演を予定していることを告げられるとこう言った。「よくこんなテーマで・・・。ひとことで終わりそうじゃない? 『劣等民族』だからって」と。

すると、それに対してSNS上で批判が相次いだ。青木はその後、その発言について謝罪、撤回し、さらに地上波テレビ番組への出演を当面、自粛する考えを表明していたというのだ。

彼が言った「劣等民族」の民族というのは国民を意味してのことだろう。用語センスがいいとは思わないが、この発言の何が問題なのか。特定の誰かを貶めているわけではなく、ただひとつの考えを示しているだけだ。

そもそもこうした発言に目くじら立てる方がどうかしている。青木はそれが分かっていながらネット上でのそうした顔のない批判にひるんでしまった。ジャーナリストとして情けない。

彼がそのとき「謝罪」したのは、一体、誰に向けて謝罪したのか。私たち1億2千万人の国民に向けてか。そうではないとすると、SNS上で批判してきた顔なしたちに対して「スンマセンでした」と素直に頭を垂れたということになる。 

ジャーナリストの矜恃というものはないのかネ。ジャーナリストならジャーナリストらしく、しゃんと背筋を伸ばせよ。日本を遠く離れたガザでは今もジャーナリストたちが命をかけ、地獄を目の当たりにしながら日々の惨状をレポートし続けている。そうした事を知らないはずはないだろう。 
https://www.nytimes.com/video/world/middleeast/100000010333360/israel-gaza-journalists-killed.html

それにしてもラジオ番組には毎週出ていながら、なぜ地上波テレビは別なのか。そこもまったく理解できない。

数少ないまともな日本人ジャーナリストの一人だと思っていたのだが、ガッカリしてしまった。 

2025-08-09

言葉にならぬガザの現状

今年の4月時点、すでにガザへの爆撃による被害は「広島へ投下された原爆6発分」と専門家によって分析されている。言葉を失う。

2025-08-06

その後の新幹線の喫煙ルームは何に使うのか?

新幹線は昨年の3月、他の交通機関に遅れること10年?くらいか、やっと完全禁煙になった。

ところが新幹線の車両には、不思議なことに今も「喫煙室」が備えられている。


訪日外国人旅行者がこの数年で格段に増加し、新幹線のなかで大型のスーツケースの置き場所に困っている乗客をいつも目にする。他国に比べて日本の高速鉄道(新幹線)には、荷物用のスペースが圧倒的に足らないのである。

「喫煙室」は、写真のような貼り紙をした上で鍵がかけられ開けられなくしているが、みんなが困っているのだからその部屋を荷物置き場として乗客に開放すればいいのに。

そんなことを考えていたら、車掌がたまたま通りかかったので、なぜ喫煙室を乗客の荷物置き場として利用させないのか問うたが、納得いく答えが返ってこない。

サービス業として顧客の利便性をもっと考えた方がいい、海外からの旅行者を中心に多くの乗客が困っているのだとこちらが話はじめたら、「ちょっと用事がありますので・・・」と言って逃げてしまった。 

2025-08-05

「利用規約は」生成AIに読ませる

インターネット上で、有料無料問わず各種サービスを利用しようとすると、必ずと言っていいほど「利用規約」だの「プライバシーポリシー」や「個人情報の取扱い」といった長々とした文章を読まされる。

金融機関のサイトはなおさらで、各種規約を読んで「読みました」というチェックを付けないと先に一歩も進めない。消費者保護の観点もあるのだろうが、やり方は明らかに現実離れしている。

先日、ある情報サイトを利用するに際して相手から提示された「利用規約」を、自分で読むのは億劫なので生成AIに読ませ、注意点を指摘するように言った。すると、こんなコメントが出てきた。

ーーーーー
 
✅ 注意が必要な条項とポイント
1. 利用規約の一方的変更(第3条)
•    リスク:🌑🌑🌑は利用者の事前承諾なく、いつでも規約を変更可能です。
•    注意点:不利益な変更については告知義務がありますが、利用を継続することで自動的に同意したとみなされる点は留意が必要です。
 
2. 会員登録の取消・強制退会(第5条・第8条)
•    リスク:🌑🌑🌑が「不適切」と判断した場合、会員登録を拒否・抹消可能です。
•    特に強い条文:理由の詳細を通知する義務がなく、損害に対する責任も負わないと明記。
 
3. 免責条項の強さ(第16条)
•    リスク:🌑🌑🌑の責任は「故意または重過失がある場合」かつ「直接かつ通常の損害」に限られ、逸失利益・機会損失は対象外です。
•    実質的な意味:ほとんどのケースで損害補償を受けるのは困難。
 
4. クレジットカードに関する責任(第22条4項)
•    リスク:クレジットカードのトラブルは「カード会社との間で解決」とされ、🌑🌑🌑は一切関与しないと明記。
•    注意点:不正利用・二重請求などが発生した場合も、🌑🌑🌑は対応しない可能性あり。
 
5. 返品・交換の条件が限定的(第24条)
•    リスク:
o    外装や広告物の破損では返品不可
o    申請期間は到着から8日以内
•    注意点:商品本体に明確な欠陥がある場合以外、返品が認められない可能性が高い。
 
6. 会員ID・パスワードの利用責任(第10条)
•    リスク:IDやパスワードが第三者に不正利用されても、利用者側の責任となる。
•    実質的影響:盗用されても自己責任になるため、管理を厳重に。
 
7. サービスの終了・変更に関する免責(第14条・第15条)
•    リスク:サービスが予告なく終了・変更されても損害補償なし。
•    影響例:講座やデジタル商品などが予告なしに停止される可能性。
 
✅ 総合コメント
この利用規約は、🌑🌑🌑側に広範な裁量権・免責権限が与えられており、利用者側の保護がやや弱い構成になっています。一般的なEC規約と同様の範囲内ではあるものの、
•       返品条件の限定
•       会員抹消・強制退会の広範な裁量
•       免責条項の強さ
などにおいて、ユーザーは特に慎重になるべきです。

ーーーーー

とても参考になる。自分で無味乾燥な利用規約など読むのはご免だが、これなら読まずとも注意すべきポイントを知ることができる。

それにしても、他の「利用規約」もいくつか生成AIにチェックさせたのだが、ほとんどはこの通り、自分たちの利益を最大化するとともに責任範囲を最小化したものばかりだった。

知らぬは利用者ばかり、である。

2025-08-04

日本の企業にもAI役員が登場

キリンホールディングスが、経営戦略会議にAIが生成した仮想役員を導入するという。

過去の議事録や外部情報を基に、マーケティングや法務など各分野を専門とする12の「人格」が論点提示や情報提供を担うのだとか。 

その目的は経験や直感だけによらず、客観データを基にした迅速な経営判断を手助けするためだとしており、その発想はなかなか結構である。

それらAI役員は、マイクロソフトやグーグルが提供するモデルを基盤にキリンHDが独自に開発したもので、過去10年間分の取締役会と経営戦略会議の議事録を記憶させたという、

なかなか面白い試みで、これまでになかった戦略が出てくるかもしれない。ただ一つ気になるのは、なぜ過去の取締役会や経営戦略会議の議事録をAI役員に取り込んだのか。

果たしてそうすることが、より高度な戦略立案や意思決定への示唆に役に立つのか。むしろ逆効果にならないか。

これまでの経営者たちによる議論や意思決定プロセス、組織内の習慣性癖といったものは一切教えず、純粋に客観的な市場データや顧客に関するデータ、財務データなどから取るべき最適な戦略の策定や意思決定案を考えさせるべきではないのかね。

個人も組織も、間違った思考パターンで猛烈に学習し続けることほど危険なことはない。

私が以前、ある上場企業から社外取締役の就任を依頼されたとき、まず最初にやったことは、その会社の会議室にこもって過去10年間分の取締役会議事録にすべて目を通すことだった。

その目的は、そこに記されている「過去」を理解した上でそれをフォローするのではなく、逆にその会社の経営上の癖を知ることで、そうしたものに自分が組みせずに取締役として適切な意思決定をするためだった。

今回のキリンHDのAI役員たちも、過去の取締役会や経営戦略会議の議事録の内容をそのような狙いで理解し、今後の新たな方向性作りに生かしてくれると良いのだろうが、果たしてそこまでAIが気を利かせてくれるものなのかどうか、私には定かでない。

現在キリンHDには12名の取締役(こちらは人間の)がいるけど、その数は5年後には半分に減っているのだろう。

ところで、「人格」を与えられる12のAIは会議の場で何と呼ばれるのだろう。まさかキリン1号、キリン2号・・・とか。「南極1号」か!

2025-08-03

上條恒彦さん

人の心をふるわせる声というものがあり、僕にとってのそうした声の持ち主の一人が先日なくなった上條恒彦さんだった。

彼は歌手からスタートし、舞台の役者やテレビの俳優としても活躍した。スタジオジブリの劇場用アニメなどで声優もつとめていた。

初めて聴いた彼の歌は『出発(たびだち)の歌』(1971年)で、だがそのレコード(17センチのドーナツ盤)はどこかにやってしまったらしく探してみたけど見つからない。 

『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』(1972年)が見つかり、ひさしぶりにレコードプレーヤーに載せてみた。この歌唱もスバらしい。

上條の歌唱はもちろんのこと、和田夏十が書いた歌詞もまたいい。あの時代の空気の一つを見事にすくい取っている。


2025-08-02

裸足で全力疾走する女

近所を散歩していたら、道の反対側を向こうから上半身はだかの男が疾走してきた。

このあたりは鶴見川土手が近いせいか、ランニングやジョギングをしている人たちと出会うのは日常のこと。だが、その男は白いシャツを手に、上半身はだかで全速力で走っている。というか、逃げていた。

何ごとかと思ってたら、「誰かそのひとを捕まえて〜」と叫びながら、その男を追う女性が現れた。彼女も全速力で駆けている。

続いて小学校高学年くらいの男の子が現れた。彼女を、そしてその先の半裸の男を一生懸命に追っている。その女性と少年は、裸足のままだ。

現場の状況が掴めず、しばし呆然としてしまったのだが、これは普通じゃないなと思い近くの警察署の番号を調べ電話をかけようとしていたら、その女性と少年がこちらへ戻って来た。男に追いつけなかったらしい。裸足が見るからに痛々しい。話を聞くと、逃げた男との間でいざこざがあったようだ。

電話に出た警察の人間に起こっていることを説明し、われわれ3人がいる場所を伝えたのだが要領を得ない。警察署からは車で1、2分ほどの距離。警察署の建物の前からどう進んだらよいか詳細に道案内をしたにもかかわらず、うまく伝わらない。

そこに配属されたばかりなのかも知れないが、それにしてもだ。警察署の建物の中に閉じこもってばかりで、周囲の地理的状況すら頭に入っていないのだろう。

その後、なんとか警察官にその二人の保護を任せて帰宅後、警察署から携帯に電話が入った。あらためてこちらの名前や住所を教えてほしいというのだが、その際、生年月日を訊いてきた。

何のためにそれが必要か訊ねたら「念のため」だとか。訳が分からない。だから代わりに星座を教えてやった。 

2025-08-01

本から遠くへ離れてしまった日本の子どもたち

全国学力テストと呼ばれる全国学力・学習状況調査の2025年度の結果が公表された。調査対象は国内の小学6年生と中学3年生の全員で、国語、算数・数学、理科の科目について実施されたものである。

それによると、各教科で記述式の問題の正答率が過去の調査時より低く、自らの考えを根拠を示して書く力に課題があることが浮き彫りとなったとされている。

またこの調査と同時に行われた、小学6年生と中学3年生の読書実態についてのアンケート調査では、小学6年生の3割近く、中学3年生の4割以上がまったく本を読まない(読書時間ゼロ)と回答していて、その割合は前回、前々回より増加している。


理由は複数考えられるが、そのひとつは子どもたちが本の代わりにスマホを手にして、多くの時間をそれに費やしていることがあると考えられる。 

ヨーロッパやオーストラリアを中心に、子どものSNSへのアクセスを規制する法制度が成立する動きが出てきた。規制対象となる年齢は国によって多少異なるが、だいたい16歳未満が多い。

オーストラリアでは16歳未満のYouTubeのアカウント作成も禁止されることになり、動画をアップしたりコメントを書いたり、また一部の動画閲覧ができなくなる。 

こうした規制の考え方は正しいと思っている。まともな大人は、国を問わずこうした考え方をするものだ。これからの問題は、どのように実効性のある規制を実現するかだが、技術を用いたスマートな方法論が早急に確立されることを期待する。もちろん、日本でも同様に子どもたちのSNS規制が望まれる。

SNSへの「浸かりっきり」がイジメや暴力的行為を助長しているのは明らかだし、これ以上日本の子どもたちの学力が落ち続けないうちに、国が早めに手を打つ必要性が明らかになっている。 

2025-07-31

KDDIによる契約改ざん

3日前、KDDIから電話があった。それは、前回「確認してご連絡します」と彼らが言ってから10日が過ぎてのこと。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/07/blog-post_18.html

契約している料金プランが、知らぬ間に勝手に変更されていたことへの説明のための電話だ。

結論から言えば、そこでKDDIは契約内容(料金プラン)を自分たちが勝手に変更したことを認めた。 

そもそも今回のやり取りは、料金プランそのままで携帯電話を新たにKDDIで買い換えたことからだった。ところが、その契約を締結したのちにKDDIの社内都合で現行の料金プランを継続できないことが判明したと言う。

そのため、請求内容の内訳の数字を操作し、トータルの金額を以前と同じに調整することで発覚することを隠蔽していた。 

本来は契約者に対して契約内容変更の許可を得る必要があるはず。にもかかわらずKDDIはダマテンでやり、それを認めている。

違法ですよ、とのこちらの指摘を受けて、本日KDDIから「ご契約内容のご案内」なる文書が郵送されてきた。

そこには当初の(本来の)契約内容が書かれていた。今回、辻褄を合わせるために修正したものを送ってきたのだ。ただし、「お客様にご契約いただきました内容についてご案内いたしますので、内容のご確認をお願い致します」とだけ書かれ、自分たちの契約改ざんに対する釈明も謝罪の一言もない。

しかも、「ご契約の内容」を明記した文書の受付日は、バックデイトの日付が印字されていた。自分たちがやったマズイことは活字にはせず、しれっと覆い隠してなかったことにする手口である。

通信会社のやり口ってのは、そもそもこんなもんなのかね。あきれた遵法精神の企業である。今回たまたまバレただけで、どこも似たようなインチキをやっていると思った方がよい。

契約担当の社員ですら、自社の料金プランが複雑すぎてどうなっているのかキャッチアップできていないという面もありそうだ。

880トンの道程へ1グラム

東京電力福島第一原子力発電所の爆発後処理は、あの3.11から14年以上過ぎてもまだデブリの取り出しが始まっていない。

国の専門機関「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」は、2030年代初頭と見ていた取り出し開始時期が2037年以降になると明らかにした。

よく読むと、開始できるまでにこれから12年から15年かかるから、ということ。つまり、開始できる時期が2037年〜2040年頃だと言っているわけさ。

だが、こんな説明は眉唾だと言っておく。

なぜなら、現時点で実際に取り出しに成功したのは1グラム(正確には0.9グラム)。一方、取り除かなければならない原発内のデブリの量は880トン(1〜3号機)と推定されている。

あるペースで既に取り出し作業が続けられているのならば、「このペースで取り出し作業が行われれば・・・」という話にもなろうが、まだどうやって取り組んでいいのかすら分からない状態。

そもそも、このデブリは高放射線、高温、その形状も位置も不明で、取り出し作業は世界でも前例がない超難関作業と言われている。だから周囲のあらゆるもの、人はもちろん、水の処理や環境にも細心の注意と配慮が求められる。 

さらには、取り出した880トンもの高放射線デブリをどこに保管するのか、どこでどうやって最終処分するのか、まだ何も決まっていない。保管場所すら決定できないのに、取り出しに一所懸命になってどうするのか。 

これが現状だ。12年〜15年経てば取り出し作業を開始できると言われても、その根拠が見えない状態でそんな話を信用できるわけがない。

責任者の定年が12年後に控えているから、というのがこの数字の背景にあるんじゃないかと疑いたくもなる。 

2025-07-30

「現役」とは、「人生」とは

日経新聞の社会面に「生涯現役『人生2倍楽しむ』」の大きな文字が躍る。

2025年7月28日、31面

記事には、市役所の職員を定年退職後に弁護士の資格を取得し、現在は法律事務所に所属して相続問題を主に手がけている男性が取り上げられている。 

セカンド・キャリアのひとつの例として紹介されているわけで、役所関連の何とか協会なんてのに天下り再就職するのでなく、自らの意思で獲得した新しい職に打ち込むその人の姿はすばらしいと思う。

一方、この記事から「現役」とは何か、また、この場合の「人生」とは何かということを考えさせられてしまった。

この記事を書いた人は、社会の中で職に就いている人たちだけが「現役」であり、そうした職に従事することが「人生」だと考えているように思う。

だが世の中には病気のため、あるいは重い障害を抱えているためにずっと職に就かず、または就けないまま過ごしている人たちもたくさんいる。ヤングケアラーと呼ばれる、家族の介護のために仕事に就けないでいる人たちもいることだろう。

さらには専業主婦(主夫)たちもまた、この記事の視点からは「現役」からはずれたものとみなされ、一生「人生を楽しむ」状況とは無縁の存在と定義される。

こうした記事が掲載された根底には、「現役」というのは組織で働くなど、社会との関わりのなかで生産活動に従事することだとする固定観念が横たわっている。

病床にある人たちも、障害が理由で職に就けない人たちも、また専業主婦らもそれぞれの意味で「現役」であり、各人の「人生」は確実にあるはずなのに。

そうした当たり前の視点を忘れている。 

やはりグーグルの仕業

昨日書いたテーマパークに関する口コミに関する件、ネット上の無数の「?」に押されたのか、グーグルが自分たちが「やった」と明らかにした。


「ポリシー違反」とかで、「実際の体験に基づかない不適当な投稿」だったからとしているが、実際に客が行ったかどうやったら分かるというのか。

具体的な投稿例すら示しもせず、不適切な「検閲」を裏でやるのは実に卑怯である。

2025-07-29

ここでも不可解なグーグルの検閲行為

つい先日、グーグルがネット空間上で行っている不可思議な操作についてここに書いたが、似た話はやはりあるもので、GoogleMapでもほぼ同様なことが行われていた。

今回はオープンしたばかりのテーマパークという話題の対象だったので、世間に知られるようになった。


https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2507/28/news100.html 

コトラー、94歳

今でもたまにメールのやり取りをすることがあるP・コトラーさんから「そろそろ雑事は切り捨てて、やりたいことだけに集中したい」というメールがあったのはいつのことだったろうか。

彼は1931年生まれ、8年目に亡くなった僕の父親と2つ違い。もうずいぶん長いこと会っていないが、かなりの高齢者であることは間違いない。
 
そんな彼がやっとKotler Impactとの縁を切ったようだ。良かったと思う。その中心として「営業」に猛進していた彼の弟が数年前に亡くなり、経営の中心が別の人に移ったのが契機になったのだろう。
 

彼の名前は今でも『コトラーのマーケティング5.0』といったタイトルの本の共著者として見かけるが、それは名義貸しで実質的な執筆はしていないはず。本を売らんがための、出版社によるコトラーブランドの「販促利用」だ。
 
共著ではないコトラーによる最近10年間の本(単著)は、Confronting Capitalism (2015)、Democracy in Decline (2016)、My Adventures in Marketing (2017)、Advancing the Common Good (2019)、My Life as a Humanist (2022) の5冊。
 
タイトルにMarketingとあるのは2017年のMy Adventures in Marketingだけで、しかもこの本はマーケティングに関して書かれたものではなく彼の自叙伝である。
 
すでに10年前から、彼の関心は近年の資本主義や民主主義のあり方、社会の中での共通善(Common Good)といったより大きなテーマに移っていた。https://4pkotler.medium.com/
 
今もFather of Modern Marketing(近代マーケティングの父)と呼ばれることがあるが、それは彼がかつてSelling(販売)の一手段としてしか考えられていなかったマーケティングを、組織の重要な経営機能の一つとして体系的にまとめあげたからだ。
 
その意味で彼の功績は大きく、マーケティング史、経営史に残るものである。
 
ただ、日本で出版されている彼の名を冠した本で、その帯などに「マーケティングの神様」と書かれているものを目にすると、それはちょっと違うだろうという違和感がある。
 
今度、彼に連絡をとるとき、あなたのことがThe God of Marketingと日本で本の惹句に書かれているぞと伝えてやろうかと思っている。一体、どんな反応が返ってくるか。「私はまだ死んじゃいないよ」とでも言われそうだ。

2025-07-28

ここでも〇〇ファースト

今度の日曜日に横浜市長選の選挙がある。先日の参院選と合わせてやってくれたらよかったのだが、まあしかたない。

前回の横浜市長選時は、山下埠頭(みなとみらい地区)にカジノを含むIRを誘致するという当時の林文子市長に対する信任選挙の意味あいが強く争点が分かりやすかったが、今回はそうしたものが何もない。

4年前のその選挙ではカジノ推進派の市長は落選。そして外資系カジノ企業は大阪市に標的をシフトした。

今回の立候補者は現職を含めて6名。ただでさえ国政選挙と違って情報が限られているので配布された選挙公報に目を通してみた。

6名中2名が、〇〇ファーストを謳っている。二番煎じだ。いや、三番煎じか。講道館柔道二段だという女性は<横浜市民ファースト>を掲げ、「市民の命を守る」と訴える。元甲子園給仕、いや球児の男性は<横浜市民第一主義!>を標榜し、「市長報酬カット」をトップの抱負に掲げる。

なんだかなあ・・・盛り上がらない

2025-07-27

SNSはASN(Anti-social Newwork)

参院選から一週間が過ぎた。今回の選挙は全体を通じて実に不愉快なものだった。

各候補や政党が発する情報の扱いについて、これほど考えさせられた選挙はなかった(たぶんこれがその始まりなんだと思うが)。

 「切り取り動画」なるものが無数にネット空間に流れ、人はそれを見て心を動かされ、投票行動に反映させた。ただし、そこで流されていた圧倒的な量の、自分たちの正当性を主張するメッセージも他者を批判する内容も真偽不明のままでお構いなしだった。

コストなしで誰でもメッセージを発信できるということは、本当に危険なことだと思う。言論の統制をした方がよいと言っているのではない。ただ、自らの利益獲得のためにーーそれが投票行動であれネット広告からの収入であれーー明らかに間違った情報を拡散しようとしたものに対しては罰則が必要だろう。 

今さらながらだが、受け手の問題も大きい。「人は自分が信じたいものを信じる」生きものだから、簡単に誘導され騙される。そのための第一原則は、発信者が不明(無署名)な場合は、意識的にスルーすること。第二の原則は、内容について自分の頭で正しいかどうか考えて判断するしかない。

今回、東京選挙区で当選した皿だか竿だか知らないが、歌手を自称する女性は徴兵制の導入と日本の核武装を主張しているような人物である。

投票した人たち、特に若者たちはそれを理解しての選択なのだろうか。ならば、その女性と一緒にまずは自衛隊に入隊して訓練を受けろと言いたい。

今回の選挙戦の主な場はネットで、その主要ツールがSNS(Social Networking Service)だったわけだが、その今日的な意味はSocial(社会的)ではなくASN(Anti-social (反社会的)Newwork)にほかならなくなってしまった。

2025-07-26

グーグルによるセンサーシップ

先月、このブログの記事の多くがグーグル社によってそのインデックス登録をはずされたと書いた。

グーグル社から「バツ」を付けられたわけだが、彼らによるそうした「検閲」を確かめる目的で今回ブログサイトへ広告を掲載する設定にしてみた。

結果は想像したとおりで、広告掲載は不可だと言ってきた。

 
(クリックで拡大)

どのような審査だったのかは不明。相変わらずまったくのブラックボックスである。

おそらく、グーグルについての批判的コメントをいくつも掲載してあることが原因だろうと思っている。

というのは、以前、彼らからブログ上に広告を掲載するように推奨され、実際にネット広告を掲載していたことがあるから。

だけどその時は、広告収入といっても大した金額ではないし、またどんな種類の広告が掲載されるかコントロールできるわけではないので、ブログへの広告掲載はまもなく止めてしまった。

そうしたいきさつからも、今回の審査結果に対して僕は彼らに邪悪なものを感じる。

グーグルはそのポリシーを以下のように定めている(ChatGPTによるまとめ)。これらはすべて常識的なものばかり。このブログの記事をブロックする理由は一つも見当たらない。 

主なGoogleポリシーと違反例
1. Google 広告(旧AdWords)関連ポリシーの違反
    1-1 禁止されている商品・サービスの広告(例:偽造品、違法薬物)
    1-2 誤解を招く広告(例:虚偽の主張、不実表示)
    1-3 不正な広告行動(例:自動クリック、複数アカウントでの回避)

2. YouTubeのコミュニティガイドライン違反
    2-1 ヘイトスピーチや暴力的コンテンツの投稿
    2-2 著作権侵害(例:無断転載)
    2-3 スパムや詐欺的コンテンツの拡散
    2-4 子どもの安全に関わる違反行為

3. Google 検索に関するポリシー違反(検索スパム)
    3-1 キーワードの乱用(キーワードスタッフィング)
    3-2 クローキング(ユーザーと検索エンジンに異なる内容を表示)
    3-3 被リンクの不正操作(有料リンクやリンク交換など)

4. Google Play 開発者ポリシー違反
    4-1 マルウェアを含むアプリの配信
    4-2 ユーザーデータの不正な収集・送信
    4-3 無断で課金する仕組み

5. Googleアカウントの不正使用
    5-1 なりすましや偽名での登録
    5-2 不正アクセスの試み
    5-3 スパムメールの大量送信 

ネットの世界ですべてを自分の手でコントロールできると思っているグーグルは、自分たちを「神の座」に座っている存在と考えているのだろう。 

2025-07-24

渋谷陽一が亡くなった

2年前に脳出血で倒れ、その後リハビリを行っていたらしい。享年74歳。

渋谷が音楽評論家としてデビューしたのは、彼が19歳のとき。最初のレコード評は、グランド・ファンク・レイルロードの『サバイバル』についてだった。

その翌年に『rockin' on』を岩谷宏や橘川幸夫らと創刊している。確かまだ明治学院大の学生だったと思うけど。彼の論評スタンスは結構過激で、歯に衣着せずと言うか好き嫌いがはっきりしていたように思う。それが彼のロックへの向き合い方だった。

『ロッキング・オン』が誕生した頃の話は、橘川幸夫の『ロッキング・オンの時代』(晶文社)に詳しい。70年代のカウンターカルチャーの時代の空気が伝わってきて面白い。高度経済成長する時代を背景にした、懐かしく、思い切りのいい時代だった。 

個人的には、当時『ロッキング・オン』の渋谷陽一と『ニューミュージック・マガジン』の中村とうようがロック、ポップス、ブラック・ミュージックへの案内人だった。

渋谷は雑誌『ロッキング・オン』や『CUT』などを創刊したユニークな編集者であり、優れた音楽評論家であるとともに、リスナーを魅了するラジオDJだった。

雑誌メディアからスタートした渋谷は、僕にとっては「書く人」より「話す人」として記憶に残っている。NHKの『若いこだま』のラジオDJを彼が始めたとき僕は中学3年で、毎週ラジオに耳を傾けていたのを覚えている。NHK-FM『サウンドストリート』『ミュージックスクエア』など彼が英米のロックを紹介する番組も聴いていた。

僕が後年、FMラジオ局でラジオDJをやったのは、こうした番組をやっていた渋谷陽一とFM東京(現Tokyo FM)で「気まぐれ飛行船」をやっていた片岡義男の二人からの影響が大きい。

80年代前半、知り合いの勤める外資系広告代理店に「渋谷です」と言ってよく電話がかかってくるという話を聞いたことがある。彼女の職場の同僚が渋谷のガールフレンドらしくて、彼からの電話をよく取り次いだらしい。メールなんかなかった40年前のことである。

 

ちなみにGrand Funk Railroadは現在もバンド活動を続けている。まさにサバイバルだ。 

GFRの1974年のライブ。なぜか3人とも裸だ

 

2025-07-20

家電量販店の店頭掲示

友人が、都内の家電量販店で目にしたという店内ポスターの写真を送ってくれた。各フロアのレジに掲げられているらしい。

(クリックで拡大)

「STOP!  カスタマーハラスメント」の下には、「みなさまに気持ちよく過ごしていただくために」と書いてある。それにしては、まるで子どもに行儀を教えるかのように客に作法を説く。


掲示されたメッセージの受け取り方は人それぞれだろうが、ぼくは一読して嫌だなと感じてしまった。

上記のようなことを言わなきゃならないってことは、自分たちの客がそうしたレベルであるってことを言っているようなもの。そして、客にこのような言い方をする店側もまた、そうしたレベルであることを表している。 

ポスターの下の方に国土交通省、経済産業省、消費者庁、厚生労働省、法務省、警察庁、農林水産省の7省庁の名前をずらりと並べている。お上の名前で来店客を威圧しようというわけだ。

この家電量販店チェーンは、それほど悪質顧客に悩まされ続けているのかネ。

彼らが「カスハラ」と呼ぶものが年間どのくらいの件数発生してるのか、その会社の本社に問い合わせてみたら、「回答は拒否します」と言われた。その理由を問うたら、「それも拒否します」と返ってきた。

店頭の店員たちに気を遣ってやることはもちろん重要。だが、顧客も大切だという基本をこの企業は忘れているんじゃないか。

2025-07-18

相手は疑う、自分たちは信用してもらうしかない、とは

しばらく前、家族用のケータイの機種変更をKDDIで行った。料金プランは変えてない。

その後に郵送されてきた文書で料金プランの継続は確認済みだったのだが、先日届いた通話料の請求内訳を見るとなぜか料金プランが変更になっていた。

問い合わせたところ、相手は詳細を確認をして後日連絡するということで電話を切った。

本日知らない番号から着信があり、たまたま出たらKDDIだという。相手が私の名前を確認した後、私に生年月日を言え、という。

目的を尋ねたら「本人確認のため」。相手が言うには、本人になりすました第三者の指示で料金プランなどが変更されないようにするためだとか。だが、これはどう考えても失礼だし、おかしい。

電話をかけてきたあなたたちは自分が本当にKDDIの人間であることを先に証明すべきだろう、と言ったら黙ってしまった。で、信用してもらうしかないと。

だったら電話してきておきながら、相手に生年月日など言わせるなよと腹が立った。 

相手は疑ってかかる、だが自分のことはただ信用しろ、というのが彼らの考え。顧客を馬鹿にしてないか。

電話をかけてきた女性はその辺のことは分かっているようす。だが、そうしろと言われてやっている。こうした手続きをつくり、現場に押し付けている管理側の人間に問題がある。

料金プランが勝手に変わった原因はまだ分からない。 

2025-07-16

アメリカには今、スーパーヒーローが必要なんだろう

今日のニューヨーク・タイムスが歴代のスーパーマン6人を取り上げ、それらを詳細に比較した記事を掲載していた。

なんで? という印象だが、アメリカ人は今、こうしたスーパー・ヒーローをどこかで求めているからかもしれない。

などと思ってしまうのは考えすぎかもしれないが、自分のことを「キング」だと勘違いしているアメリカ一の、いや世界一の権力者でならず者がいるからね。 

僕が個人的に好きなのは、何と言っても映画の第1作目から4作目まで(1978ー87年)スーパーマンを演じたクリストファー・リーブである(写真左上)。 なんというか端正でハンサム、優男(やさおとこ)で女性にもてそうだ。

力強さはもちろんだが、知性も表現できた。それは役作りによるスーパーマン(クラーク・ケント)のキャラクターというより、リーブがそうした人だったのだろうと思う。経歴を見ると、彼はコーネル大を卒業した後、ジュリアードでも学んでいる。 

後年、乗馬中に落馬して脊髄を損傷。以降、障がい者として車椅子の生活を続けながら映画監督などを行った。自ら車椅子の主人公を演じたりもした。リーブは、エミー賞やグラミー賞まで受賞している多彩な人だった。

NYTで「原型」と評されたクリストファー・リーブのスーパーマン

2025-07-13

観天望気

このブログのタイトルに関してときどき質問を受ける。 

あらためて辞書で確認したら、観天望気とは「雲や風や空の色などを目で観察して,経験的に天気を予想すること」とあった。まあ、ざっとそんな感じか。

辞書の定義を少しだけ修正すると、観察するのは必ずしも目だけとは限らない。風や湿度や気圧の変化は視覚でなく体で感じて、その変化からこれからどうなるか推理を働かせる。

そうやって知識と経験と体の感覚すべてを使って天気を読むのは簡単ではないが面白い。

観天望気の技術を身につけたのは学生時代。何日も山に入っていると、先の天気がどうなるか分からない。しかも山の天気はただでさえ変わりやすい。安全に山行を続けるためには翌日、翌々日の天気がどうなるか正確に予見することがとても重要になる。

だから夜10時になると、テントの中でポケットラジオから聞こえてくる気象通報をもとに天気図用紙に日本各地の気圧、風向、風力、気温を書き込み天気図を描き、翌日以降の天気を自分で予測する。

天気の流れを知るためには、高気圧と低気圧の位置を知ることが大切だ。また等圧線のかたちも重要な情報になる。

陽が沈む夕暮れ前にはテントの外で空を眺めて雲の高さや空の色、風の具合も確かめておくことを忘れない。そうやって目に映る雲の状態のほかに、体で感じる気温、湿度、風から天気を読む。

実際に観天望気で分かるのは、せいぜい明日は一日雨に降られずにすみそうだ、とか、午後からは一雨来そうだというレベルだが、それでも貴重な情報であることには変わりない。

今、手元のスマホにウェザーニュースのアプリが入っている。無料版ながらアプリの「レーダー」でこれからの天気の変化が時刻ごとにピンポイントで分かる。

とても便利だが、気をつけなければとも思う。こうしたお天気アプリに慣れてしまうと、自分で空を見て天気を読む勘を失ってしまう。

それはクルマを運転するときに毎度ナビを使っているといつまで経っても道を覚えず、方向感覚や距離感覚が鈍っていくのと同じだ。

万一、そうした高度な技術ツールが使えなくなったとき、自分の体一つでどれだけ状況に対応できるかが人間に欠かせない力だと信じている。 

だから、このブログのタイトルは観天望気。周りの表層的な言説に左右されず、自分の感覚を頼りに社会という天気の先を読む。 

2025-07-12

ジェノサイドで儲ける世界的企業

未だに止まないイスラエルによるパレスチナへの攻撃。そのなかには病院や学校、子どもまで標的にした明らかに国際法に違反した攻撃が多い。食料の配給場所に集まった住民に向けてのイスラエル兵士による発砲まで行われている。

国連のフランチェスカ・アルバネーゼ特別報告者が、イスラエルによるパレスチナへの攻撃を可能にしている各種技術や情報の提供元を報告書で明らかにした。

2025年7月1日付の報告書「From economy of occupation to economy of genocide(占領の経済からジェノサイドの経済へ)」である。

そのなかで名指しされている主な企業の名前をあげる。多くは米国の企業だ。

🌑 軍需・防衛関連:
    Lockheed Martin
    Boeing
    General Dynamics
    Leonardo
    Oshkosh Corporation

🌑 重機・建設機器:
    Caterpillar

🌑 テクノロジー&クラウド:
    Microsoft
    Alphabet Inc.(Google)
    Amazon
    IBM
    Palantir Technologies
    HD Hyundai

🌑 航空宇宙・部品:
    Israel Aerospace Industries (IAI) 

🌑 金融・資産運用:
    Allianz(PIMCO)
    Barclays
    BlackRock
    BNP Paribas
    Pimco
    Vanguard

🌑 ロジスティクス:
    Maersk

🌑 コンサルティング:
    Boston Consulting Group

🌑 エネルギー:
    Chevron

🌑 航空・誘導兵器関連:
    Honeywell

米国の主要な軍需・防衛企業が登場するのは予想どおりだが、アマゾンやグーグル、マイクロソフトまでもかと・・・。ボストンなんたらというコンサル会社の名前も見える。報告書の中、日本企業ではファナックの名前が挙げられている。

https://www.theguardian.com/world/2025/jul/03/global-firms-profiting-israel-genocide-gaza-united-nations-rapporteur

https://www.reuters.com/business/aerospace-defense/lucrative-business-deals-help-sustain-israels-gaza-campaign-un-expert-says-2025-07-01/

https://www.bbc.com/news/articles/cx2039xpv87o

https://www.nytimes.com/2025/07/10/us/politics/gaza-francesca-albanese-sanctions.html?searchResultPosition=1

2025-07-11

あなたはどこまで「ファースト」か

今回の参院選で気になる動きの一つが「日本人ファースト」といった排外的な考えを前面に打ち出した党の台頭と、それを支援しようとする有権者たちである。

どの政党を支持するかは、それぞれの有権者の自由。ただ、「日本人ファースト」という考えを支持している人たちには、自分が「ファースト」として本当に処遇される側にいられると思っているのか問うてみたい。

「オレたち」と「アイツら」を二分することで人々の帰属意識をくすぐり、集団の傘の元へ引き寄せるやりかたは為政者による人心をつかむための常套手段である。

万が一、そうした考えに沿って日本にいる外国人を排斥したあと、何が起こるか考えた方がいいと思う。きっと次に起こるのは「エリート・ファースト」「富裕層ファースト」「既得権者ファースト」、つまるところは「権力者側の身内ファースト」だ。

「日本人ファースト」を政策とする政治家がやりたいことは、決して日本人すべて(1億2千万人の人口)をファーストな存在として取り扱うことでなく(そもそも不可能)、対立の構図をつくり人々を煽ることで自分たちに目を向けさせたいだけ。

外国人排斥に気持ちよさを感じるような人たちは、「日本人ファースト」で自分がファーストな扱いを受けられると思って歓迎しているのだろうが、次はそうした連中に向かってブーメランの先は向かっていく。 

2025-07-09

“調査によると「日経新聞」を信用していない若者が8割を超えた”

昨日の日経新聞のある記事に「都内では薬剤師の7割がカスハラにあったことがあるとの調査がある」という記述があった。

「調査」と書いてあるだけで具体的な調査名が示されていなかったので、それは何の調査なのか新聞社に問うてみた。

それに対して、同社カスタマーセンターから返信が届いた。

お尋ねの件ですが、読者の皆様にお伝えできるのは記事に書かれていることが全てでございます。お問い合わせされてきた方にだけ、記事に書かれていない詳しい内容や情報などを特別にお伝えすることは、できないことになっております。 

もし『週刊文春』が(別に文春でなくても他の週刊誌でも新聞でも構わないのだが)記事の中で「ある調査によると、日本経済新聞の記事の信憑性に疑問をもっている若いビジネスマンは8割を超えている」と書いたら、日経側はどう反応するか。

フツーに考えれば、彼らはその記事を掲載した雑誌社や新聞社に対して「その調査とは何なのか明らかにせよ」と求めるだろう。

それは至極当然のこと。というか、もしそのまま放置するようなら新聞社であることをやめた方がいい。であれば、なぜ先のような回答を読者に寄こして平気なのか。

「・・・との調査がある」という場合、それがどのようなサーベイなのか明らかにするのは報道機関としての基本的な責務である。それがなければ、「調査によれば・・・である」とした勝手な記事がいくらでも書けることになる。 

「お問い合わせされてきた方にだけ、記事に書かれていない詳しい内容や情報などを特別にお伝えすることは、できないことになっております」というなら、自社サイトに読者からの質問とそれへの回答を掲載すればいい。

記事に対しての無責任さ。そして、読者を見下したお粗末な新聞社の対応である。

2025-07-06

「なんでそうなるの」

今朝の日経新聞、その一面トップ記事に首を傾げた。

企業の経営計画を取り上げ、「数年単位の中期より10年以上の長期目線で経営に取り組む企業の方が、 利益の伸び率が大きいことが分かった」と書くのだがーー。

記事の書き手は、根拠として2024年にあずさ監査法人が行ったという調査をあげている。その調査結果では日本企業を将来の計画への時間軸の長さで区分けし、1年、3年、6年と答えた企業より10年以上としている企業の方が業績(過去5年間の営業利益の平均伸び率)が良かった(前者が18%、後者が52%)と述べている。示されているのは相関関係である。

だが記事は、10年あるいはそれ以上の長期的目標を設定する方が企業は高い業績をあげられると結論づける。目標を中期ではなく長期的に持つことによって、長期的な人材教育や投資が可能になるからだと説明しているが、理屈が通っていない。 

これって、因果関係の説明が逆転してるのではないか。データの範囲内で解釈を試みるなら、幸いにして過去5年間の業績(営業利益の伸び率)が好調だったからこそ、長期的な目標設定をすることが可能な経営状態にあるというのが実態ではないのか。

そしてそれほど儲かっていない企業は、まずは3カ年程度の収益目標をたて、それをどうきちんと実現させるかに注力せざるを得ないのが実状だろう。

そもそも、それこそ10年以上前から10年超の長期計画を目標にしてきた企業と、従来の中期を目標にしてきた双方の企業群の業績を10年間遡って比較してみなければ記事が言っていることは証明できないはず。だが、そうした検証は行っていない。

記事を書いた人物は、経営者には長期的な視点こそが重要であり、長期的に人材教育を施し長期的な視点で将来へ投資する企業こそが成功する、と言いたいようだ。彼(女)はファクトではなく、自分がそう思う(思いたい)ことを書いている。そして、最近では中期経営計画は廃止する企業が出始めているとしている。

しかしそれは、未来を確実に予見できればの話。今後10年先に市場がどうなっているか、顧客がどこにいるか、主要な競争相手がどこか、さらには世界経済はどうなっているかなど、そうした種々のことが明確に分かっていれば超長期目標でやればよい。

だが、常識的に考えればそれはムリ。もしできるのなら、どうやって予見するのか教えて欲しい。超能力でもあるのか、あるいはAIが教えてくれるとでもいうのか。 

書き手の思い込みと誤った推論をもとにした典型的な記事である。

2025-07-02

ルノワール

映画「ルノワール」の主人公は11歳の少女。時は1980年代後半。主な登場人物はその少女フキ(変わった名前だ)とその母と父。

父親(リリー・フランキー)は闘病中で入院している。医師から余命宣告は受けていないが、入院先の出す薬を自分で調べて自分がガンだと知っていて、死ぬ覚悟はもう気持ちのなかでほぼできている。母親(石田ひかり)は仕事と家事、それにフキの世話に追われて神経が尖っている。

そうした家族環境の中での少女のある夏が、いくつかのエピソードをパズルのように組み合わせながら展開していく。

ぼくには11歳の少女の気持ちを想像することや、彼女の周りに起こるだろう日々の出来事を思い浮かべることはたやすいことではないけど、それにしても映画の中で起こる事件のような出来事はまるでスペインのファンタジー映画を観ているような印象だった。

そんななか、一つだけ日本的というか土着感を感じたのは、入院している父親が病院を抜け出して自宅のアパートに帰り、寝室の扉を開けると、そこに女物の喪服が衣紋掛けに駆けられていたシーン。

ゾッとするとともに、これってあるかな〜? えっ? なに? あるんだ。

早川千絵監督の「PLAN 75」はテーマがストレートで、いかにも(良くも悪くも)新人監督のメジャーデビュー作といったものだったが、「ルノワール」は難しい。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/08/blog-post_17.html 

11歳だという少女の気持ちの変化や波打つ感情を、もう推測できなくなっているからかもしれない。 

2025-07-01

Amazonから Appleへ切り換え

音楽のストリーミングサービスをAmazon Music Unlimited(AMU)からApple Musicに代えた。

AMUはアレクサでも使えてまあまあだった。だが、iPhoneとiPadでは最後まで使えなかった。

海外に住んでいたとき、現地のアマゾンのアカウントをつくり書籍やアプリを購入していた。そのため今もアマゾンのアカウントが2つあり、それらが影響し合ってiPhoneやiPadでAMUが使えなくなっているというのがアマゾン側の説明。

それが本当かどうかは、残念ながら自分では調べようもない。ぼくの問題解決のためにアマゾンではエンジニアのチームが日夜解決方法を探っている、という返答を受け取ってから1年以上経つが、その後の連絡はなし。

残る解決法は、アカウントの一つを削除することらしい。だが、そうすればそのアカウント名で購入したアプリや書籍など一切が使えなくなってしまう。

ならばと、AMUを止めてApple Musicに切り替えることにした。

つい先日、ジェフ・ベゾスはヴェネツィアで結婚式を挙げたらしい。オーバーツーリズムを理由に多くの地元住民が反対の声を上げるなか、72億円の費用を投じて6月27日から3日続く結婚祝賀行事を行ったとか。

ユーザーが手元のデバイスから音楽を聴けないで不自由しているなんて些末なこと、彼にはまったく関心はない。

われわれにできることは、まずは顧客であることを止めることなのである。 

2025-06-30

今夜も電話をかける

海外小説の出版を事業の中心とする早川書房、その社長による「私の履歴書」の最終回は次のようなくだりで終わっていた。

買おうかどうか思案している本の版権はいくつもある。さて、今夜はどの出版社、どのエージェントに電話をかけようか。 

やはりそうなのだな、と思った。電話なのだ。

メールでも要件のやり取りはできる。しかし、相手の声を聞き、こちらも肉声で応える、いきなり要件に入るのではなく、ときには相手への気遣いやちょっとした気の利いたスモールトークで雰囲気をつくって、それからビジネスの話に入る。タイパが信条、などと言っている向きには理解できないだろう。 

これは手間がかかる、もったいぶったやり取りかもしれない。しかも、電話で話しあったことはメールなどで必ず確認しているはずだ。 

だけど、やっぱり電話するんだな。相手の住んでいる国の時刻を頭の片隅におきながら。

彼らが扱っている本という商材の特性もあるし、出版業という製造業やITなどとは違った肌合いのビジネスという背景もあるだろう。

ただ単に性能や特性、価格をもとにその場限りの売買を決めるではない、相手の顔を思い浮かべながら最終的に決めるというやり方。こうしたビジネスを今もやっている業界があるということに、なんだかほっとする。 

2025-06-28

ブログ記事の品質は誰が判断するのか

ブログを書き始めたのは2009年から。思ったことを勝手に書き綴ってきたが、どうもこれまで書いたブログ記事の多くがGoogleで配信されていないことが判った。


Google上でのインデックス未登録とされたものが多数あり、さらにひと月ほど前にその数が一気に急増していた。

なぜそれまで登録されていた記事まで未登録にされたのか理由は不明だ。手がかりを知ろうとそのグーグルで検索してみると、説明が記されたページにブログ記事の品質に関する記述が現れた。 


ページの品質が十分に高くなければいけません、だって!? 

だが、「品質」についての定義もその基準の説明もなく、やってることは相変わらずブラックボックス。

これまでグーグルという企業に対する不審と不信についてもこのブログで取り上げてきた。それが理由かもしれない、と思っている。

いま使っているこのbloggerというサービスだが、グーグルが運営していると知らずに使い始めてしまった経緯がある。他のブログサービスへの移行もできるが、それには手間がかかるし、どうしようかなと。 

2025-06-21

問題の本質は、マスクでなくマスキング(隠蔽)にある

安倍政権が2020年に全国に配布した「アベノマスク」に関し、業者との契約過程が不明だとしてそれを明らかにするよう神戸学院大の上脇教授が求めた裁判が、原告側勝訴で確定した。

業者との契約過程を記した文書の不開示決定の大半が取り消され、国に賠償金の支払いを命じた大阪地裁の判決に対して国は期限までに控訴しなかった。

地裁の判決はというと、マスクを調達する業者との記録が文書1枚、電子メール1通すら作成されないまま事業が行われたとは考えがたいとしたものだった。

今後、われわれが注意を向けるべき点は、彼らが「ない」と言っていたはずのどんな文書が出てくるかということにまして、原告側の開示要求に対して国が一貫して「記録は一切ない」と突き放したウソの回答をしていたことにある。

裁判に訴えた原告だけではない、すべての国民をなめていないか。 

日本全国の5,600万世帯へ配布するマスクの調達と発送を、コロナ時において業者と文書1枚、メール1通かわさないで(すべてを口頭だけで!)手続きするなど、小学生が考えてもオカシイのはあきらか。

そうなんだけど、国側はこともあろうか裁判の場でもそう言い放った。なぜか。その理由は簡単で、役人はこれまでも市民からの問合せに対して「そうした記録はない」と突き放して、それで済ませていたからである。

それが彼らの常套手段であり、突き放された市民側は「記録はない」と言われて引き下がるしかなかったから。いくら「それはおかしい。あるはずだ」と主張しても、役人側が「ないものはない」と譲らなければ、市民側はそれ以上は手の出しようがないからである。

これが役人の手口。強弁を続けてしらばっくれれば、やがて相手が引っ込むと思っている。だが、裁判ではそうはいかなかった。当たり前だけどね。 

役人にとっての常識が、いかに市民にとって非常識かが浮き彫りになったひとつの例だ。

だいたい、市民からの情報公開請求に対して役所がさっさと応えればすむものであって、裁判で争うようなものじゃないと思うんだが。 

2025-06-17

「世界の果てからこんにちは Ⅰ」

早稲田大学の南門通りにある早稲田小劇場どらま館がリニューアル10周年を迎えた。そして、もともとその地に芝居小屋「早稲田小劇場」を構えていた鈴木忠志がSCOT(Suzuki Company of Toga)を利賀に立ち上げてから50年目。

その節目の年ということで、早稲田小劇場どらま館で「世界の果てからこんにちはⅠ」の映像上映会が行われた。

早稲田小劇場どらま館

今回の記録映像は2023年の利賀での同作品の上演風景。ステージの後ろに広い池が配置され、そのさらに背面には利賀の山なみが控える円形劇場である。むかし演劇際(利賀フェスティバル)を現地に観に行った夏のことを思い出す。

「世界の果てからこんにちは Ⅰ」

昨年暮れは帰国していた折に「世界の果てからこんにちはⅢ」を都内の劇場で観る機会があった。が、鈴木演出の芝居は室内ではなく、利賀の屋外劇場で観るのがやはり一番と再認識した。 

2025-06-14

Anselm Kiefer + 京都二条城

昨年日本で公開された「アンゼルム 傷ついた世界の芸術家」は、戦後ドイツを代表する芸術家であるアンゼルム・キーファーを主人公とした、ヴィム・ヴェンダース監督によるドキュメンタリー映画だった。

1945年、第二次大戦のさなか、実家が爆撃された日に生まれたという。今年80歳になるこの芸術家を僕はその映画を観るまで知らなかった。

この映画で一番印象に残っているのは、パリの郊外にあるという彼のアトリエ。まるでジャンボ・ジェット機の格納庫を思わせるような巨大な空間におびただしい数の作品が収納されいて、キーファーがそのなかを自転車で悠然と動き回るシーンがおもしろかった。

ヴィム・ヴェンダースが製作した映画ということもあり、以降、キーファーにも興味を持っていたところ、京都の二条城で彼の展覧会が開催されていることを知った。

 
二の丸御殿台所を舞台にした会場に足を踏み入れて、まず最初に目に飛び込んできたのは、彼の代表作の一つである「ラー」と名付けられた例の翼だ。

二条城の空間に不思議とマッチしている

ほぼ想像していた通りの大きさに嬉しくなる。今回、展覧会に足を運んだのは彼の作品の実際の大きさとそれぞれの作品の質感を確かめたかったから。

だが、それ以外の作品はといえば、個々のものはそれぞれ興味深かったのだけど、残念ながら展示作品の点数が限られていて、その少ない点数を「二条城」という別の作品で補っている展覧会という感じだ。 

ところで今回、展示を見るために二条城のかつて台所だった建物の中に靴を脱いで上がるのだ、展示作品を見ていた連れが会場スタッフに声を掛けられた。

ストッキングと裸足はダメで、スリッパを履いてくれという。チケットを購入したホームページの注意事項にはそうした文言はなかったと返したら、先ほどチケット窓口でそう伝えてあるはずだと。

チケット窓口に並んだのは僕だから、ストッキングのことなんか言われても当然ながら知った事じゃない。右から左だ。 

これは、建物のなかでは帽子を取ってくれ、というような事とは違う。ストッキングがダメなら靴下を履いてくるように事前にサイトで注意を促しておくべきだが、そうしたことがなされてなかった。

結局、建物からいったん外に出て、別に設えられた売店でスリッパを買わされることになった。

これはやり方が間違っている。万が一、ストッキングの女性に対してスリッパを履くことを求めるのであれば運営側が用意したものをそこで差し出すべきである。主催者の極めてお粗末な運営をうかがわせた。 

展覧会のあとは、キーファーの作品からふと連想した銀閣寺を訪ねた。断続的に雨が降り続いていたがそのためか思ったほど人はおらず、広い境内のなかをゆっくり回ることができたのが良かった。

雨に濡れた緑のなかの観音殿(銀閣)

2025-06-12

ブライアン・ウィルソンが亡くなった

ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが82歳でなくなった。

薬物中毒に苦しんだり、精神を病んだり、彼の人生は大変な苦痛の波に何度も襲われていた。死去する前は認知症を患っていたらしい。

ただ3年前に公開された映画「ブライアン・ウィルソン 約束の旅路」の中の彼には、そうした印象はまだ見受けられなかったのだけど。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/08/blog-post_21.html  

間違いなく不世出のミュージシャンだった。これから世界中の多くのミュージシャンからトリビュートが寄せられることだろう。 

ところでビーチ・ボーイズというバンド名は、彼らが自分たちで付けたものではなく、レコード会社が勝手に命名したもの。彼らにはもともと別のバンド名があったが、レコード会社によって製作されたレコード盤には見たこともない名前が印刷されていた。そのときメンバーは全員驚いたが、すでに遅かった。

ビーチ・ボーイズの、というか、ブライアン・ウィルソンの曲にはサーフィンをテーマにした曲もあるけど、バラード調の曲にもすばらしいものがたくさんある。


2025-06-10

岡山県と香川県の間には何があるか

今年、3年おきに開催される瀬戸内国際芸術祭の第6回目となる催しが香川県の直島を中心に開催されている。
https://setouchi-artfest.jp/

直島にはいまでは世界中から現代アートのファンが訪れる。アメリカ、フランス、イギリス、オランダ、トルコ、ニュージーランド、韓国、中国、香港、タイ、スペイン、モロッコなどなど、僕が現地で知り合った人たちだけでもその国籍は数えきれないくらい。

先日、NHKの看板番組のひとつがその島を取り上げた。番組の冒頭、現地を訪れた同局のキャスターである有馬嘉男は「直島は、岡山県と香川県の間にある島です」と紹介した。

んっ? 直島はまぎれもなく香川県の島。そもそも、岡山県と香川県の間には島などない。何かあるとしたら(目には見えない)県境のラインだけだ。

まあ、よくある言い間違いといえばそうなのだが、その番組は生放送ではなく、収録したものを編集して制作した50分のゴールデンタイムの全国放送番組である。

放送前には何人ものNHKの人間が試写を見ているはずなのに、どうしてこうした日本語の初歩的な誤用に誰も気づかないのだろうか。

ところで、この番組では瀬戸内海の島々が「アートによって甦った」というテーマを据えていたが、かつて瀬戸内海が公害に汚染されていたという死んだ魚の映像がとってつけたものだった。

死んだ魚たちが岸辺の波間に漂う映像だったが、クレジットが何もなかったのでその撮影年と場所を問うてみた。すると、1970年に水島コンビナート付近で撮影された映像だという。55年前のものだ。

瀬戸内国際芸術祭の第1回が開催されたのは2010年。40年間にわたり瀬戸内海が腐った海であったわけではないし、それほど長きにわたって酷い風評被害を受け続けたわけでもない。

番組内容にはそれ以外にもおかしな点がいくつかあり、今回の番組の製作・著作だったNHK岡山局に話を聞こうと連絡したところ、「担当ディレクターは現在休暇をとってヨーロッパに行っており、1か月以上先にならないと帰ってこず、それまで連絡はとれません」と言われた。

失笑するしかない。 

2025-06-08

同質性メンバーが生む集団思考が招く失敗

東京電力の旧経営陣で、今回株主らから裁判で責任を問われた被告について調べたら、実に似通った4人組だった。

元会長・勝俣恒久(故人)
元社長・清水正孝
元副社長・武黒一郎
元副社長・武藤栄

これら4人はいずれも年配の日本人男性。東電への入社は4人のうち3人(勝俣、清水、武黒)が1960年代、1人が70年代前半。概ね同世代である。出身校は4人のうち3人(勝俣、武黒、武藤)が東京大学、1人が慶応大学。それぞれが上記の役職に就いたのは3人(勝俣、清水、武黒)が2008年、1人が2010年。4人とも新卒入社で東電一筋のキャリア。

これだけでも、彼らが極めてホモソーシャルな集団であることが分かる。そうした同質性の高いグループは、一般的に米国の社会心理学者 A・ジャニスがいうところの集団思考に陥りやすい。そして、集団思考という思考停止の結果、組織は失敗する。

ホモソーシャルなだけではない。4人の中には明確な上下関係(入社年度)があり、そのなかで各自が保身のために生きていた。 

そのような集団では合理的かつ独自の判断は求められない。既存の秩序とルールを決して乱さないこと、全体の流れから逸れないこと、そのために「変化」を起こさないことが最良の生存戦略になる。

目は組織の内部にしか向いておらず、自分たちの事業が兼ね備えているはずのリスク、たとえそれが人々の命にかかわることであっても「本気で」考えることなど及びもつかない現状維持バイアスで脳みその大半が埋め尽くされたサラリーマン経営者たち。 

このことは当時の東電だけではなく、多くの日本の大企業が今も同じである。 

2025-06-07

原発を東京に

東電旧経営陣の責任を問う株主代表訴訟の判決で、東京高裁はかつての経営者4人に対し13兆円強の賠償を命じた東京地裁の1審判決を完全に翻し、無実とした。 

ポイントは、津波を予見できたか否かの判断であり、その元となった国が行った地震予測の長期評価をどう扱うかだった。

東日本大震災の9年前に国の機関が公表した地震予測「長期評価」では、三陸沖から房総に至る地域でマグニチュード8.2級の大地震が発生する可能性があると言及されていた。

そして、地震が起こった場合、福島第1原発は最16メートルの高さの津波に襲われると東電は計算していた。実際に東日本大震災が起こる3年前、2008年のことだ。

しかし、東電の当時の経営者らは対応策を施さなかった。なぜか? 「そんなもん、めったなことじゃ起こるはずない」という希望的観測だ。あるいは「自分が在任中に起こらなきゃ構わない」といった経営者の考えがなかったと言えるか。

国の機関による地震予測に対応する対策を東電がとっていれば、最悪の事態は防げたのが今になれば残念でならない。

結果、2011年に大地震と大津波が発生し、冷却水を取るために海岸沿いに設置された福島の原発が爆発したのである。

事故の発生リスクを知っていながら策をとらなかった。これは明らかに経営ミスであり、それゆえに1審の東京地裁はその責任を認めた。

ところが、東京高裁は一転無実とした。地震発生の長期評価の信頼性が不十分だと結論づけたからである。裁判官は科学者でもないのに。

地震発生について、その規模やタイミングを完璧に予測することはできない。当時も今も、おそらく将来的にもそうだろう。

だが、それは当時のトップレベルの専門家がまとめた見解だった。無視していいことにはならない。無視するのであれば、そもそも国の機関によるそうした報告書自体がまったく無意味ということだ。

高裁の木納敏和裁判長は、評価委員会の結果を信頼できないものであって、対応を取らなかった東電の経営者が言った「巨大津波は想定外だった」という言い訳を丸呑みしたわけだ。

ちなみに、東電の勝俣は原発事故の7年前、東電の地域住民モニターだった町議の女性から「原発の非常用発電機を地上に移して欲しい。大津波に襲われるから」と訴えられたとき、「コストがかかりすぎるから無理」と回答していた。津波が想定外だった、なんての噓っぱちで、金がかかるからやんないとはっきり明言していたじゃないか。 

リスクといっても、もしそれが発生した場合、企業の売上が減少するとかの話ではない。万一それが発生した場合、多くの人命が失われ、その地域も国全体も長年にわたって被災し続けることは分かっていたはずだ。にもかかわらず、4人の経営者はリスクを看過した。 

世界を震撼させた東電福島第1原発の爆発事故からまだ14年しかたっていないのに、国は「原発回帰」に舵を切った。今回の東京高裁の判決は、まさにそれを忖度し支持するものである。 


そもそも、原子力発電がかかえるリスクを電力会社の経営者が知らないはずはない。だからこそ、原発は電力需要が最大の東京ではなく地方の福島や新潟、大阪ではなく福井や石川に置かれている。

私たちも原発のリスクを過小評価しすぎ。たとえそのことを分かっていても、すぐ忘れるし。理性的に考え続けるのはたいへんなのだ。 

2025-05-31

中国繁体字が表示される理由

アマゾン・キンドルで本を読んでいるとき、指先でスクリーンをなぞり特定の箇所にマークを付けることができる。紙の本で横線を引いたり、アンダーラインを引く感覚だ。 

それらはアマゾンのサーバー内に記録され、あとで呼び出して読んだり、一覧をメールに添付して送ることができる。マーキングするだけでなく、メモを付けておくこともできて便利だ。
 
キンドルで本を読み終え、自分がハイライトしたものをメールで送って一覧を開いたところ、なんか変だ。文が日本語の句読法に沿ってなく、中国語の繁体字の表記の仕方(横書きの場合、句読点が下になく、中空に浮かんでいる)になっている。漢字の書体も日本のものとは違う。
 

自分がどんな本を読み、その本のどういった箇所にしるしをつけたかなんてことは個人情報であり、思想信条にも関すること。
 
なのにそれらが外国のサーバーに記録されてしまっているというのは気分がいいものではない。
 
利用者の不安を除くためにも、アマゾンはそのあたりの説明をすべきだろう。 

2025-05-28

政治や行政にたかる心根は日本人共通か

関西のあるテレビ局が緊急調査と称して神戸・元町で県民100人に「兵庫県知事は辞任すべきかどうか」についてインタビューした。

結果は「続投すべき」が37人で「辞任すべき」が63人だった。調査結果と言っても統計的な意味はない。

だから、こんな意見もあるのか、といった参考程度にしかすべきではなのだが、その中にちょっと気になったものがあった。

20代だという兵庫県立大学の卒業生が、「(斎藤知事は)続投すべきで、僕らの世代からしたら若者への支援が充実していると感じる。自分らが直で受けた授業料の無償化が大きかったので、特に辞任っていう意見はない」とコメントしていた。

僕はこれを聞いて、実に厭な気持ちになった。

授業料を無償化してくれたことを理由に斎藤は辞任する必要はないと言っているが、これって国からの補助金を受け取っている農家がそれを理由に自民党の議員を支持するのと何ら変わらない。

政治にたかる心根は地方の高齢者だけでなく、20代の若者も同じなのだと改めて知った。

2025-05-27

事実か、認識か

内部告発をした元県民局長(昨年7月に自殺)の私的情報を元総務部長を通じて外部へ漏洩させた指示は、斎藤兵庫県知事(および元副知事)による可能性が高いと結論づけた調査報告書を第三者委員会が発表した。

それに対して、当事者の鉄面皮斎藤は「私としては、あらためて漏洩に関する指示はしていないという認識に変わりない」と語った。


どこまでもずる賢いなあ〜と感心する。「指示はしていない」と明言するのではなく、「指示はしていないという認識」についてしか語らない。

「指示はしていない」と言い切ったら、あとでウソがばれたときに言い訳ができない。だから、斎藤はあくまで「事実」ではなく「認識」にこだわり続ける。

つまり、これは「指示をした」という事実があることを含んでいるととれるのだが。

その時が来たら、この御仁、今度は「認識は事実に及ばず」とでも言い始めるのだろうか。 

◉ 認識(にんしき):人間が何かを知覚し、理解し、判断する心の動き。つまり「主観的な理解」
◉ 事実(じじつ):人間の認識とは無関係に実際に起きている現象や状態。つまり「客観的な現実」

今回、漏洩させたと証言を変えた元総務部長は「職責として正当業務を行ったに過ぎない」と述べているが、それもまた納得できるものではない。

彼の言の変遷は事態の流れを読んで計算した結果なのだろうが、個人のプライバシーに関わる情報の漏洩はどうやっても違法なわけで、私は上(知事)から言われたからやっただけです、では済まされない。

上から言われようが、やっちゃいけないことはしなきゃいい。

この総務部長は自分が停職処分に処せられたことに対し、「審査請求及び執行停止の申し立てを行い、正当性を主張したい」ともコメントしたという。正当性という言葉に首をかしげる。

元部長さん、そうした手続きも結構だが、まずは社会の常識を頭にたたき込むことだ。

兵庫県庁から退職する職員が増えているとの報道があった。一般的に、県庁職員や市役所職員ほど定年まで辞めることがないサラリーマンはいないのだから、こうした状況はよくよくのことなんだろう。

上が逆ロールモデルばかりの組織では、そこにいては自分も腐っていってしまうと考えるのは無理もない。つくづく残念な組織である。

2025-05-24

DXのお手本

「誰がどこからいくらもらっているかが分からないと、是非も評価できない」と、議論の前提を提供することを目的に、一人の民間人が政治家の収支報告書のデータベースを構築した。https://political-finance-database.com/

政治家の名前を入れるだけで、受け取った企業献金の支払い元や金額などが分かる。企業名からの検索もできるし、寿司とか商品券といったキーワード検索も可能。一覧表で見ることができる。

クリックで拡大
 
現状、国の対応はどうなっているか。報告書自体はネットで公開されてはいるが、紙をPDFにしてあるだけなので一覧性がない。これは調べる方からすると手間がかかり過ぎて致命的。

また、議員による報告書の提出先は、総務省と都道府県の選管に分かれているため、それぞれのサイトから探さなければならない。しかも、議員が複数の政治団体を持っている場合(そうしたケースが多い)、関係の団体名を調べるのだけでも大変である。

つまり形式的には政治家は報告書を提出し、それはサイト上で見ることはできるが、それらは利用価値が低く(というか、それを狙ったものとしか思えなくて)機能しているとは言いがたい。

それらへの不満や強い改善要求をもとに昨年末の政治資金規正法改正で、国もやっと2027年から報告書のデータベース化をすることが決まった。ただし、データベース化に取りかかるのが27年中だとすると、国民がそれを使えるのはもっと先ということになる。

今回、西田さんという人がデータベースを作成した。これならジャーナリストや研究者などはもちろん、一般の人たちも簡単に政治資金収支の内容を知ることができる。政治の議論が高まり、監視の目が強まると同時に本来あるべき政治に少しでも近づいていけるかもしれない。

以前ほど耳にすることはなくなったが、DX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉が盛んにささやかれた時期が合った。デジタルならではの特性を利用して効率性を急速に高めたり、問題解決に進むための考えだ。

DXというのであれば、これこそがそのお手本だ。

ただ、データベース構築に当たっては、もとのデータが紙(PDF)なのでそれを専用のOCRで読み込んで作成している。国や自治体は、さっさと議員の報告書の提出を紙ではなく、デジタルによるものにすべきだ。

なぜ今も政治家に紙で提出させているのか。デジタル庁は足下のそうした状況を当然知っていながら、見て見ぬふりをしてきた。政治家のご都合主義。

2025-05-23

地方自治と二元代表性について考える

ポレポレ東中野で「能登デモクラシー」を観て、自分が生まれ育ったちいさな町を思い出していた。高校を卒業してすぐそこを出てしまったので、実際にその町の行政や議会の中味が分かっていたわけではないが、なぜか「似てる」と感じたのである。

住んでた人たちの考え方や雰囲気が共通していた。典型的な地方の保守的な田舎町。役所の人間がなぜか分からないが偉そうにしていた。高校生から見ても理不尽なことが多く、不愉快だった。

今年のはじめ、ある新聞で同郷の漫画家の一条ゆかりが、その町についてこう書いていた。

この場所から逃げ出したいと思っていた。噂好きで、人と違うことをする人間を嫌う。何かについて「女だからダメ」と言う。そんな人の多い田舎が大嫌いだった。 

彼女は僕より10歳ほど上だが、これを紙面で読んだとき、古い地元の仲間に会ったような気がした。

「能登デモクラシー」の舞台である穴水町は人口約7千人の小さな町。高齢化だけでなく、その高齢者の数も年々減少している。消滅が想定される町のひとつだ。

そんな町で、いや、そんな町だからか、代々の町長らは自分の利益のためのやりたい放題。 にもかかわらず、町議会の監視機能がまったく働いてない。行政と議会のあいだには惰性と忖度の関係しかない。

だが、それはこの町特有のものではない。僕の生まれた町も、あの町も、日本のどの町も似たようなものだ。その意味で、映画で描かれている穴水町は「日本の縮図」という言葉がぴったりくる。 

カメラが捉えるのは、地元の80歳の男性とその家族。「このままでは町がなくなる」「何もしなければ、何も変わらない」と語り、手書きの新聞を発行しながら町の未来に警鐘を鳴らす。少しずつ理解者がふえてくるのが救いである。

この映画の監督は、地方局である石川テレビのディレクター。彼が、もとは地上波の番組として制作したものがベースになっている。

地方にあるメディアの矜恃というか、意地のようなものを感じる。今では多くの地方メディアがその存在感をなくしているなか、まだまだ頑張っているメディア人がいることが分かり少し嬉しい。 

2025-05-22

米歌(こめうた)

 

清水ミチコ、さすが。才能と発言力で権力者を笑いのめしてこそ、本当の芸人。

2025-05-21

「コメを買ったことがない」 じゃあ、何を買ったことがあるのか

江藤拓農林水産大臣が政治資金パーティーでの演説のなかで「(私は)コメを買ったことがない。支援者がくれる。売るほどある」と調子放いて、結果、更迭された。

このおっさん、頭の悪さは一流だが、それにしても65歳になるまでどういう生き方をしてきたのだろう。

首相官邸のホームページに彼の紹介が載っていた。なんといっても大臣だからね。

おっさん、24歳で大学を卒業し、それから2年半後、衆議院議員である父親の秘書になっている。その間、なにをしてたんだろう。

今回の農水大臣の交替を、れいわ新選組の山本太郎が「マヌケな大臣が辞任しても、次のマヌケが大臣になるだけ」とコメントしていたがそうなった。

コメントと言えば、国民民主党の玉木ンタマ代表は、石破総理の脳薄い、いや農水大臣交代の決定を「判断が遅い印象は否めない」と評したが、おととい記者団に答えた話とずいぶん違う。

そのときは江藤大臣の進退問題に関して問われ、「辞めるような話ではない」と玉金玉は語っていた。

どっちやねん。

確固たる自説を持たず、その時その時で周りを見て言うことを変える嘘くささとご都合主義がこの男の本性のようだ。

2025-05-17

アメリカと中国はどちらか大きいか

本を読んでいたら、そのなかに米国と中国は国土の広さがほぼ同じだとあった。米国は日本なんかに比べて巨大な国土の国だとは思っていたが、まさか中国と同じくらい大きいとは思わなかった。

だが、調べたら確かにそうだった。


国土面積で比較すると米国の方が大きい! ただし、陸地だけの面積では中国の方がいくらかでかい。いずれにしても、どちらも巨大だ。

米国の人口は中国の4分の1以下。広大な国土に比べれば人口は少ない。豊富な自然資源もあり、豊かでいられるわけである。この国への移民を望む人々が多いのは当然だ。

そして世界最大の国土面積を持つのが、ロシア。米国の1.7倍である(日本の45倍)。ウクライナに手を出して、さらなる領土拡大なんかする必要性がまったくどこにあるのか。

2025-05-16

映画「リー・ミラー」

ケイト・ウィンスレットが『タイタニック』で世界的に知られたのは、彼女が22歳の時。それから27年。

映画の冒頭、雑誌「ヴォーグ」の元モデル、カバーガールとして一世を風靡し、その後「撮られる側」から「撮る側」に移った写真家リー・ミラーに扮するウィンスレットが、胸をはだけた姿で知り合いたちと寛ぐ姿が映る。

『タイタニック』で見せた裸体に比べれば、スタイルはかなり変わった。仕方のないことだ。それより、49歳とは思えないいい形の胸を惜しげなく晒すところに、彼女の覚悟のようなものを感じた。ウィンスレットは8年かけて、リー・ミラーについてリサーチしたという。


ミラーは従軍カメラマンとして第二次世界大戦の欧州戦線に赴き、数々のセンセーショナルな写真をものにした。大胆不敵な発想と行動。直情径行な性格でありながら、周囲への、特に虐げられる者への共感の眼差しを持つ複雑さ。とても魅力的だ。 

ヒトラーが自殺し、終戦が間近になった頃、彼女はナチス強制収容所で目を覆わんばかりのホロコーストの悲惨な姿をカメラに収める。しかし、その多くは世の中には出なかった。インターネットなどない時代だ。編集者の判断で新聞や雑誌に写真が掲載されなければ、それらを人々が目にすることはない。

世の中が求めたのは、戦争の終わりと連合軍側が勝利したことを人々に伝える「希望に満ちた」写真や報道だったわけだ。それに強く苛立つミラー。

彼女はかつて、モデルやセレブリティとして輝くような光の中で生きていた。だからこそか、写真家となった彼女を引きつけたのは、人や世界の影の部分だった。

劇中、彼女が使っていたローライフレックスのカメラが気になった。カメラを顔の前に構えるのではなく、腰のレベルで構えて上からファインダーを覗いてピントやアングルを決める。そのあとは、被写体と普通に顔を合わせたままシャッターを押せるのがいい。

 
ナレーション:ケイト・ウィンスレット

2025-05-13

AIでもう十分

家族に持たせていたauのケータイがなくなった。紛失した時の状況から考えて回収は不能。新機を買うことにした。料金プランを継続するためには4Gのガラケーしか選択肢はなかったが、それで十分だと考えた。 

近くのauショップに行ったら、ネットで購入した方が2万円以上安いと言われ、それではとウェブで検索し手続きをしようとしたのだが、契約者である私が既にKDDIのユーザーではないことでネットで手続きが完了できない。

そこで、オンラインショップのスタッフの個別対応を申し込む。パソコン上に表示された一番早い空き時間でさえ2日後だった。スタッフ不足なのか。しかたなくその時間枠を予約し、当日は送付されてきたアクセス先URLで接続。

そこからその会社とのやり取りが始まったのだが、いやはや散々な目に遭った。KDDI指定のネット回線は途切れ途切れで(そもそも通信会社がなぜ顧客とのやり取りにわざわざネット回線を利用するのか分からない)、会話は埒があかない。

こちらの問いへの回答が一貫しておらず、突っこむとその場しのぎのテキトー 回答を寄こして逃げを打つ。挙げ句の果て、対応方法が分からないのか「今回のケースの場合、auショップ店頭でのお手続きとなります」とのたまった(別の担当者に替わってもらったら、オンラインで契約できた)。

いま思い出すだけでも腹が立つので思い出したくもないくらいだ。時間を浪費させられただけのそうした対応の相手をさせられ、つくづく考えさせられた。

詳細は措くが、それらの背景にある根本原因は主に3つ。まず、顧客対応プロセスの基本的設計がまずい。それに関連し、オペレーターの知識や技能が決定的に不足している。苦し紛れの誤案内が続く。そして組織内の連携というものがないうえに、他箇所にたらい回ししたがる無責任体質。

考えられる対応策はまず2つ。経営者の中にしっかりしたCCEO(Chief Customer Experience Office 最高顧客経験責任者)をおくこと。そしてやる気のないオペレーターに代わって顧客対応をまかなうAIを導入することである。

パソコン画面右下にしばしば出てくるオモチャのようなチャットボットでは駄目だが、ちゃんとした生成AIなら問題ない。AIに顧客の相手をさせた方が、顧客の立場からしてはるかに望ましい。

手続きの対応だから、決まっていることをその範囲で正確にやってくれればいい。記憶と計算ができればよいのだ。オペレーターの人間としての特性や裁量など必要なく、すべてアルゴリズムで処理できてしまう。しかも24時間利用可能なので、2日先の予約といったことも不要になる。

企業は人を採用する必要がなければ、教育することも勤怠管理もなんにも必要ない。経験的価値の提供が求められるような一部の分野を除いて、電話オペレーターによる顧客対応がじきに世の中からなくなっていくことは間違いないだろう。

2025-05-09

デザイン変更の目的

出張のためにフライトを予約する必要があり、JALのウェブサイトで席の検索を始めた。が、なかなか画面が切り替わらない。ネットワークのせいか。

仕方なく電話で確認しようと思い、JALカードを取り出した。電話を片手にカードの裏面を見たが・・・ない。予約センターの電話番号が記載されていない。以前のものにはあったはずだが。

それじゃあと、予約センターの番号を教えてもらうため、そこにあった株式会社JALカードの番号に電話した。自動応答メッセージの指示に沿って、カード番号16桁などを入力させられる。何ために必要なのか?と疑問に思いつつ。

電話に出たJALカードの社員に先ほど疑問に感じた件、つまりカードから予約センターの電話番号をなくした理由を訊いてみた。すると、カードのデザイン変更に伴ってはずしたという。

(株)JALカードという会社は、予約のための電話番号がない方がカードとして優れていると判断したようだ。その方がデザイン的に好ましいと考えているのだろうか。とっても不思議。

ANAカードを取り出し、見てみた。裏面には航空券予約のための0570で始まるものと03で始まる2つの電話番号がフツーに記されていた。そりゃそうだろうな。

2025-05-08

Skypeがサービスを廃止

海外にいるとき、電話はSkypeを使っていた。使い始めて13年になる。それが、今週の初めサービスが廃止されてしまった。

ネット環境さえあれば、どこにいても世界中の電話番号に簡単に電話をかけることができた。外国にいるときは常にWi-Fiルーターを携帯しているので、海外でも何のストレスもなかった。相手がスマホの電話帳に登録されてなくても、また特定の通信アプリの利用者でなくても構わない。そうした制限が何もなく使えたので便利だった。

通話料金は確か1分あたり2セントとか3セントで、ほとんどタダみたいな額。残高(Skypeクレジット)がなくなれば自動的にクレジットカードからチャージされていた。

海外を旅してまわるとき、ホテルや航空会社、レストラン、美術館などへその場その場で電話できたのはスカイプ電話があってのことだった。 

またスカイプは発信元の電話番号を自由に設定することができたのが便利だったのだが、世界中で日本ともう1ヵ国だけがそれができなかった。国の通信に関する法律がそれを認めなかったのが理由。日本の総務省!

僕の場合、米国にいたときに現地で契約したので、現地で使っていたケータイ電話と同じ番号を発信元番号に設定していた。1-646-xxxxxxといったものだ。日本に帰ってきてからもそれは変わらなかったので、日本国内でどこへ電話しても米国の電話番号が発信者番号として通知されていた。

これはこれで使い方によってはメリットがあった。

だが、それも終了。馴染んだサービスが次々となくなっていくのは残念である。代わりになる通信手段を探さなければ。

2025-05-07

人を不用意に脅迫者呼ばわりしてはいけない

毎月、「かながわ県のたより」と題する県からの月報が配布される。普段そうしたものを読むことなどないのだが、GW中に古新聞をかたづけるついでにめくってみたらある記事が目に付いた。


その号の特集は「STOP! カスハラ!!  かながわ宣言」。カスハラ(カスタマーハラスメント)はいけない、止めようという趣旨だが、目を通していて、あれっ!と思ったのは、そこで紹介されていたカスハラの事例だ。

さて、これのどこが<脅迫>なのだろう? わざわざ赤字で印刷されているところが<脅迫>にあたる、つまりカスハラだと指摘しているのだろうか。

何を「インターネットで流す」と言っているのかがはっきりしなければ、判断はつかない。その日の電車が遅延したこと、そのため接続先の最終便に間に合わなくてタクシーを使ったこと、その後、タクシー代を電鉄会社に請求したが「負担できない」と相手の会社から言われたこと。

これらは事実であり、そのことを誰に話そうが、ネットで書こうが問題はない。プライバシーの侵害や中傷誹謗ではない。もちろん<脅迫>などと言われる筋合いはない。

「ネットに流す」と言われるだけでビビり、そのことを「脅迫」と受け取り、「カスハラ」だと騒ぐのは馬鹿げてる。

そうしたビビり企業は、何かやましいことがあるからと見られてしまうものだ。 

もしネット上の内容が事実に反していればそれを指摘し、毅然と訂正を求めればいい。内容が中傷や誹謗であれば法的措置を執る。それらは面倒だけど、いまの社会的環境の下では避けられないコストだ。

「社長もよく知ってるぞ」というこの客の発言を<脅迫>だと断じるのもどうなのか。この場合、電鉄会社が自分たちの判断が適切だと思うのであれば、そのことを会社の社長であろうが誰であろうが伝えられたって構わないだろうに。

全般的に言って、顧客からのこうした要求をスグに<脅迫>とか、<カスハラ>と決めつけたがる精神構造の方が大いに問題だ。このようなやり方で客を安易に<脅迫者>と呼ぶのは、人権上の問題すらある。

これでは、顧客と企業の良好な関係性構築など望むべくもない。

タクシー代の支払いは拒否されてしかるべきだが、電車の遅延による乗客の損害(タクシー代など)は免責されていることをきちんと説明はしたのだろうか(鉄道事業法だか鉄道営業法に定められているはず)。「タクシー代は負担できない」とただ繰り返すだけでは相手は納得せず、顧客対応としては明らかにお粗末だ。

同紙(かながわ県のたより)で県知事の黒岩裕治氏(あのバナナ黒岩だ)が、県庁内の4割がカスハラの被害にあっていると書いていた。それ、誰がどうやってそれを測定したのか? 職員が「被害を受けた」というケースを個々に調べて客観的に判断したのか。しちゃいないだろう、アンケートへの回答数をもとに言っているだけに違いない。

意図的かどうか分からないが、同紙はカスハラを特集テーマにしていながら、カスハラの定義が紙面のどこにも示されていない。

ネットで調べたたら、神奈川県は県庁サイト上でカスハラを次のように定義していた。それは、「県民等からの言動のうち、業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたものであって、職員の就業環境が害されるもの」。
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/bd4/20250319.html

きわめて抽象度が高い。

参考まで東京都と厚労省のカスハラ定義を見てみる。

東京都の定義

「カスタマーハラスメントとは、①顧客等から就業者に対し、② その業務に関して行われる著しい迷惑行為であって、③就業環境を害するものをいう」

これら①から③までのすべての要素をみたすものがカスタマーハラスメント(東京都カスタマー・ハラスメント防止条例)(令和6年発令)

②について:
著しい迷惑行為とは、「暴行、脅迫その他の違法な行為又は正当な理由がない過度な要求、暴言その他の不当な行為をいう」と規定している。
③について:
「就業環境を害する」とは、顧客等による著しい迷惑行為により、人格又は尊厳を侵害されるなど、就業者が身体的又は精神的に苦痛を与えられ、就業環境が不快なものと なったため、就業者が業務を遂行する上で看過できない程度の支障が生じることをいう。 

具体例として挙げられているカスハラ行為例:
    ・暴言・暴力・威嚇行為
    ・土下座の強要や人格否定的な発言
    ・長時間の拘束や同内容の繰り返し要求
    ・社会通念を逸脱した過剰なサービス要求
    ・SNS等での誹謗中傷による従業員の精神的圧迫

厚労省の定義

厚生労働省は、「カスタマーハラスメントを明確に定義することはできません」としたうえで「顧客からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの」がカスタマーハラスメントと考えられるとしている。

いずれの定義に照らし合わせても、神奈川県庁が指摘した先の乗客の例は、脅迫やカスハラには該当しないことが分かる。

神奈川県の知事室は、県内442万世帯にこうした問題のある記事を掲載した「県のたより」を配布し、県民を「牽制」しているつもりなのだろうが、これは大いなる税金のムダ使いとしか思えない。

そういえば、こんなことがあった。2023年10月、東京23区のある区で区立小学校の改築計画を巡って区役所が地域住民に対して説明会を開いた。その際、住民からの質問や要望が途切れることなく出て、会議がずいぶん長引いた。後日、そのことを区の幹部が「カスハラ」とほのめかす発言をした。

役所は、とにかく「自分たちが迷惑」と感じたことはカスハラにしてしまいたいようだ。

2025-05-06

何を学ぶか、どう学ぶか

「リスキリング」という、最近メディアでときおり目にする意味曖昧な用語についてビジネスマン(この場合、女性も含む)に訊いてみた。問いは、

「リスキリング」に関心はありますか、ありませんか? 関心をお持ちの場合は、どういったリスキリングに取り組みたいと思っていますか?

である。 

回答者100人の中で「関心がある」と答えたのは約1割。残り9割は「関心はない」だった。後者の方が多いだろうと推測していたが、これほど差が大きいとは思ってなかった。

「関心がある」とする人たちが、では何に取り組みたいと思っているかと言えば、「語学」、「英語」(これも語学だが)、「プログラミング」 、「投資」、「お金に関係すること」、「資格取得」、「専門知識」、「新しい知識」、「業務に関係すること」、「楽器」。

どう捉えるかだが、これらの中でビジネスマンのスキルに関するものは、語学とプログラミングくらいで、あとは漠然と「何か学ばなくちゃ」という自分の中の問題意識や趣味に近いものだ。 

これが現状のよう。

2025-05-03

さて日本人は、どこまで無感覚でいられるか

5月2日付のロンドン発の記事だが、アイルランドのデータ監視機関であるデータ保護委員会(DPC)は、欧州連合(EU)の一般データ保護規則(GDPR)に違反したとしてTikTokに5億3,000万ユーロ(約870億円)の罰金を科した。
https://www.theguardian.com/technology/2025/may/02/tiktok-fined-530m-for-failing-to-protect-user-data-from-chinese-state

この罰金はEUがGDPRを施行してから最大級の金額と言われている。

なぜアイルランドかというと、ダブリンに本拠地を置くDPCが欧州経済領域(EEA:EU加盟27カ国に加え、アイスランド、リヒテンシュタイン、ノルウェーを含む)におけるTikTokの規制を担っているからであり、今回、TikTokがユーザーの個人データを不適切に中国に移転していたと判断したのだ。

TikTokは「中国政府から欧州ユーザーのデータ提供要求を受けたことはなく、提供したこともない」と主張しているが、アイルランド当局によればTikTokは最近になって一部データが中国国内のサーバーに保存されていたことを認めている。

EUがGDPR(General Data Protection Regulation)を施行したのは2018年5月だから、すでに7年前になる。EU域内のすべての個人に対するデータ保護とプライバシーの強化を目的としたもので、規制内容は日本はもちろん、米国などよりはるかに厳しい。

GDPRが適用されているEU域内ですらこうなのだから、データ保護やプライバシー規制について法規制対策が現況に追いついていないわが国ではどうなのか。

TikTok利用者のデータは、ほぼ間違いなく中国に流れているとみていいだろう。そんなこと自分は気にしない、という向きは勝手だが。

2025-04-28

貼り紙


街でこんな貼り紙を見つけたが、誰に向かって言ってるのだろう。散歩途中の犬か、飼い主か。あるいはそれ以外の誰かか。糞が廃棄物処理法の対象とは知らなかった。警察が実際に取り締まることはないだろうが。 

2025-04-26

顧客が強い不満を感じたサービスは何か

「あなたが強い不満を感じたサービス経験にはどういったことがありますか? 具体的な経験を教えてください」

というアンケートを行った。

回答者のなかでもっとも多かったサービスは病院(11%)だった。治療や検査の中身についてのコメントはなく、「予約を取っていたにもかかわらず待たされた」「後から来た人が先に診察を受けた」といった待合室での順番待ちに関することがほとんど。医療機関が患者(顧客)満足度を上げるポイントの一つはここにありそうだ。

次に多かったのは小売り(9%)、続いて飲食店(8%)。どちらも提供物(商品や品揃え、出された料理)についての不満のコメントはなく、レジスタッフの対応や店内での接客態度に強い不満感を示している。

続いて銀行(7%)。こちらも窓口での接客対応(長時間待たされる)や最近多くの銀行が始めた予約システムへ強い不満が出ている。宅配業者を挙げたのは6%。配達された時間が指定したのと違っていた、置き場所が指定の場所と異なっていた、など。

携帯通信業者は5%。料金プランとショップでの接客に関しての不満。JRも5%。駅内のスタッフの応対態度に関するものとみどりの窓口の縮小が指摘されている。 

病院、小売り、飲食店、宅配業者、携帯通信業者は顧客接点でのサービス提供内容が標準化されていない点で問題が発生している。銀行とJRはそれに加えて、企業側の一方的なサービス提供の変更が一部の顧客に受け入れられていないことを示している。

顧客の意識や行動は、企業が思っている以上に変化は緩やかである。企業側が狙った単純なコストカットや効率化は、彼らが予想している以上のハレーションを顧客に起こしているようだ。

指導に足る専門性があるのかな

文部科学省は、私立大学の再編を目的に100校に対して「経営指導」を強化するという。現時点で対象としていたのは42校だった。

文科省が設置した「2040年を見据えて社会とともに歩む私立大学の在り方検討会議」とやらが提案したプランはこうだ。


不思議でしょうがないのは、文科省が大学に対して指導・助言を与えて、改善しない場合は大学を罰する(大学の規模縮小や撤退)という発想だ。

どうも自分たちが行う指導・助言は絶対的に「正しい」ものであるという前提でいるようだが、なぜそう思えるのか。逆に、上図内の「3〜5年間かけて指導・助言」の中身が現実離れしたトンチンカンなものだったために(そちらの方が大いにあり得る)状況のさらなる悪化を招いた、という場合はいったい誰が責任をとるのか。

これは、十分に考えられること。文科省の官僚は単なる役人で、大学での教育の専門家でも研究の専門家でもないのだ。

農林水産省の役人は、漁師にむかって上手な漁の仕方を指南したりはしないだろう。林業従事者に植林の仕方を教えたりしないし、農家に田んぼの耕し方を助言したりしない。自分たちは政策の立案・実施が仕事であって、現場のスペシャリストでないことを知っているから。

だが文科省の役人は、自分たちを教育の専門家だと思って平気で口だしする。そうした勘違いはどこから来るのだろう。たまたま自分たちが学校で勉強ができたという経験からか。それとも天下り先の確保か。

「大阪IR(カジノ)、行きたいですか?」

「万博会場の隣接地で5年後に開業が予定されているカジノに行ってみたいですか? 行ってみたくないですか? その理由も聞かせてください」

というアンケート調査を一般社団法人サービス総合研究所が行った。対象エリアは全国で、回答者の性別や年齢などの制限はなし。

結果は、行ってみたいと思わない95%、行ってみたい5%だった。

行ってみたいと思わない理由は、「カジノに興味がない」が圧倒的だった。他には「ギャンブルはきらい」「胴元に(賭けで)勝てるわけないのが分かっているから」「博打ごとは怖い」など。

行ってみたい理由は、「一度のぞいてみたい」「関西地域に住んでいるから」「カジノを経験してみたい」など。

5%のカジノ肯定者も決してレジャーとして認めているわけではなく、好奇心から一度くらいは、といった感じである。

国や大阪府は今からでも遅くない。カジノを中心に据えたIRの建設計画を根本から再検討するのが賢明な策である。

2025-04-25

カリフォルニア v. 日本

今朝のBBCの報道によれば、カリフォルニア州の2024年の経済規模(名目GDP)が4兆1000億円(米国全体の14%)で、日本の同時期の4兆200億円を抜いた。
https://www.bbc.com/news/articles/cly80zlk1lyo

カリフォルニアは国ではないが、GDPの順位で米国、中国、ドイツ、加州、日本となった。

カリフォルニア州の人口は3900万人だから、日本のおよそ三分の一。この数字だけを見るならば、日本人の生産性はカリフォルニア州民の三分の一しかないことになる。

その衰退ぶりに、わが国はすっかり世界から置いてけぼりをくい、経済の面で注目されることも急激に少なくなった。日本はこのままどこまで凋落を続けるのか。

経済的な退潮であれば、人口減少や国民の老齢化という現実に即して、それは致し方ない面もあろう。ただ、そうした日本において、「経済波及効果」なんて嘘まみれの用語をかざしてカジノを作ろうという関西の一部政治家の脳天気ぶりにはつくづく呆れ果てるしかない。

巨額の税金使って建設・運営する予定なんだろうけど、ちょっとはマシなあたまの使い方はできないのか。

2025-04-24

桟橋の提灯


ジョージタウン(マレーシア・ペナン島)

入り江に向かって突き出た桟橋にかかった5つの赤い提灯。日本の鳥居のようなものだろうか。

桟橋の先には、マラッカ海峡の静かな海がひろがっていた。

2025-04-22

蔦重ならば平源か

俳優の山口崇さんが亡くなった。山口さんと言えば平賀源内である。安田顕扮する源内も悪くないが、やはり山口さんである。

ところで、「べらぼう」のなかで蔦屋重三郎は蔦重(つたじゅう)と呼ばれているが、であれば、平賀源内は平源(ひらげん)であろう。






凝集度というか、密度が濃くてやけに重そうな雲。

2025-04-20

「経済効果」の数字は目くらまし

4月13日、大阪で万博が始まった。その2日後、4月15日付の日経新聞で「万博、経済効果3兆円 訪日客が消費押し上げ」という見出しの記事があった。

そこでは、えらく景気がいい話が踊っていた。関西万博は予想来場者数が2800万人(おかしな予想はよそうよ)で経済効果が2.9兆円。来場者一人あたりにすると、10万4千円となる。経済産業省が作った数字である。

20年の前の愛知万博は、来場者一人当たり12万7千円と試算している。こちらは博覧会協会自体が作った数字。博覧会協会によれば、広域のインフラ整備なども含めれば、その経済効果は7.7兆円に上ったと試算しているので、来場一人当たり35万円の経済効果だとか。

その記事のなか、大阪府のアルバイトとパートの平均時給が東京を上回る伸び率を示しているので「すでに効果が出始めている」としているが、それは経済効果というより、ただの短期的な需給逼迫だろう。

また4月5日の同紙でも関西万博の経済効果についての記事が掲載されていた。そこでは経産省が産業連関表を用いて推定した、大阪・関西万博の経済効果2.9兆円の内訳を示していた。


それらは(1)建設費用(2)運営・イベントにかかる費用(3)来場者が支出する支払う費用である。万博の成否がことさら来場客数の多寡にかかっているように報道されているが、(3)の来場者が支払う金額より(1)と(2)を足した方が大きいのに注目しておく必要がある。

しかも万博はまだ開幕したばかりだ。(3)の数字はあくまで「こうなったらいいなあ」という希望的観測値と考えるべきなのだが、それにもまして国民の視点からはヘンだと思ってしまうのが、土地の取得やパビリオンや各種会場内の施設・設備の建設にかかる費用、各種の運営費用が「経済効果」とされていることだ。

つまり、それらの費用がかさめばかさむほど、「経済効果」の数字は大きくなる。 

例えば今回の万博の会場建設費は、当初予算では1250億円だった。それが途中で1850億円に修正され、最終的に2350億円と言われている。増加した建設費の補填をどこが負担するか、どう按分するかまだはっきりしていないが、われわれ国民の税金がそこに投入されるのは明らかだ。

そうした杜撰な予算作成もふくめ、費用が増せば増すほど、「経済効果」の数字は大きくなるなんて、そんなアホな、であろう。だが計算上はそうなのだ。

そもそも産業連関表が誤って用いられているのではないかーー。以前スタンフォード大で教えていて、今は東大の教授を務める経済学者の星岳雄さんは、先の記事の3日前の4月2日に同紙上で「経済波及効果の計算 産業連関表の誤用やめよ」と指摘している。

大阪・関西万博がもうすぐ開幕する。その経済波及効果は2兆円とも3兆円とも計算されているが、そのような大きな効果は実現しないだろう。計算の前提となる入場者数の予想などが外れるからではない。経済波及効果の計算方法そのものが間違っているからだ。
(中略)産業連関表を使った経済波及効果の計算は意味がない。さらに計算から導かれたありもしない経済効果が政策を正当化するように使われれば有害ですらある。様々な省庁で政策の経済波及効果を計算することが増えているようだが、無意味な計算はやめるべきである。政策がその政策目的を達成するために効果的かどうかの分析に集中すべきだ。(29面)

万博のような立地型建設物主導イベントは、土建屋に支払う費用が増せば増すほど「経済効果」があがると計算され、しかも全体を通じて「効果」にしか目が行っていない。

今回のように、大阪での万博会場建設のために建設資材も人手もそちらに取られてしまったため、地震被災地の能登地域の災害復旧に人も物も回らなくなってしまった「負の効果」のようなものは完全にネグられているのも気になるところだ。

今回の万博開催にとどまらず、先のオリンピックや日本各地での地域開発、インバウンド推進計画などの理由付けとして語られる「期待される経済効果」は、行政によるムダ使いを誤魔化すための言い訳である。 

「経済効果」という耳障りのよい言葉に惑わされず、数字の実態とその背景にある国や政党、特定団体の思わくにしっかり目を向ける必要がある。