2025年2月15日

米国は完全にイカれてきてる

オバマ政権下で駐日米国大使を務めたキャロライン・ケネディが、彼女の従兄弟であるロバート・ケネディ・ジュニアの厚生長官就任を拒否するよう訴える書簡を発表した。

ニューヨーク・タイムズ紙から

その手紙は最初にワシントン・ポスト紙に掲載されたのだが、それによると彼女はロバート・ケネディ・ジュニアの人格面にも大きな問題があることを指摘している。

「彼は若かった頃、飼っていた鷹の餌にするために、ひよこやネズミをミキサーにかけ、それを周りに見せびらかすのを楽しんでいた」と彼女は書いている。

ゲゲッ。こうしたかなりいけずな人物が米国の厚生長官に13日就任した。その男は今後、約8万人の職員と1兆ドルの予算を持つ米国保健機関のトップとして指揮を執ることになる。

他国の事ながら、一般市民のことを考えると気が重い。

2025年2月14日

「会社法人等番号」12桁と「法人番号」13桁

法務局の出張所にある法人の謄本を取りにいった。申請書類に当該法人の「会社法人等番号」を記入する欄があった。法人の登記簿に記された識別番号で12桁で構成されているものである。

先日、関連する用件で税務署に行ったおりには「法人番号」を書類に記入することを求められた。こちらは13桁で、会社法人等番号のあたまに1桁の数字が加えられたもの。

ややこしい。法務局の窓口スタッフに、この2つの数字にどういった違いがあるのか、どう使い分けているのかを尋ねてみた。

すると、会社法人等番号は法務局で使用しており、法人番号は国税庁が使用している、なぜこの2種が用いられているかは分からないので国税庁に訊ねて欲しいと。

それ以上の回答がないので、そのままそこを後にしたが、どうも釈然としない。というのは、おそらく国税庁に説明を求めたら、今度は同様に法務局に聞いて欲しいと言われるだろうと思ったから。堂々巡りだ。

法務局が設定している会社法人等番号という名称の、あほらしい無意味さ。「会社法人等」というのは、会社だけでなく他の法人も、という意味だろう。つまり、「法人」の一言で事足りる。要するに本来、会社法人等番号と法人番号という2つの呼び名の意味は同一であるにもかかわらず、管轄する省庁が違うので異なった名称を付けているわけだ。 

国は効率化を推進するためデジタル政府を目指すなどと何年か前に言っていたと思うが、役所はどこも自分たちの縄張り以外のことは知らぬ存ぜずで、われわれ国民をあいかわらず蚊帳の外に置いている。

法務局と国税庁が話し合ってこうした番号の設定の仕方を決めていれば、会社法人等番号と法人番号という似た2つの数字を使い分ける必要などなかったはずである。

2025年2月11日

さすがグーグル、恥知らず

グーグルは10日、グーグルマップを米国内で使用した場合、メキシコ湾だった地名がアメリカ湾と表示されるように変更した。

トランプの意向と大統領令を踏まえたものだが、さすがグーグル、あっさり強権になびいた。

米国民はメキシコ湾のアメリカ湾への改称についてどう考えているのかと思ってたら、ロイターの調査によると支持すると答えたのは25%で、70%は支持しないと回答していた。一般の米国人は、意外とまともである。

そういえば先週、グーグルは人種や性別に基づく採用目標の設定を撤廃するという新たな方針を社内で通達したらしい。こうした職場の多様性推進の取り止めもまた、トランプの考えを汲んだもの。

関連したニュース。NHK国際放送ではグーグルのAI自動翻訳サービスを利用して各国語の字幕作成をしており、昨日、沖縄県尖閣諸島をめぐるニュースの中国語字幕に「尖閣諸島」とすべきところを、中国が主張する尖閣諸島の名称である「釣魚島」が表示されたという。 

以前にまして、グーグル社からはさまざまな見過ごせない問題が出てきている。

2025年2月10日

充電できなくなったらもう終わり、というのはいろんな意味で止めにしたい

僕たちはバッテリーで生きている。といっても、生身の体の中にバッテリーが埋め込まれているという意味ではもちろんない。

先日、電話の子機のバッテリーがへたって交換した。フルに充電してるはずなのに、話の途中で突然回線が切れることを経験したからだ。ハンディタイプの掃除機のバッテリーも交換した。

アマゾン・キンドルが起動しなくなった。死んだのはこれで何台目だろう。たぶん5台目か6台目か?

モーターなどの動作部品は仕込まれてないので、使えなくなるほとんどの理由はバッテリーだ。これまでずっとそうだった。リチウム電池が入っているんだろうけど、こちらは交換不能だから。

どうして交換できないのだろう。バッテリーが交換できなきゃ捨てるしかない。新品購入の費用だけでなく、環境面でも不満だ。

そんなことを考えていたら、スマートウォッチのバッテリーも弱ってきて、日中、気がつくと画面が消えているということがある。何とかしなくては。というか、これもバッテリーの交換が出来るわけではないので、処分するしかない。嗚呼、なんとかならないものか。

強欲な米国企業の買い換え促進策とはいえ、いい加減にしてほしいね。

以前使っていたことのあるシャープ製の携帯電話は、太陽光で充電ができた。クラムシェル(折りたたみ)式のもので、その蓋の部分に太陽光を電気に変えるシートが組み込まれていた。

キンドルは本体(画面)の裏面をつかってそうすべきだ。あるいは、純正をうたうカバーに太陽光シートを貼って本体が充電できるようにしてもらいたい。

身の回りのものの多くがバッテリーで動くようになっている。乾電池の交換ですめば楽でいいのだがそうではない。そのため、場合によってはモバイル・バッテリーとケーブルをバッグに入れて持ち歩かねばならなくなっている。

そして、本体のバッテリーがダメになれば、交換(買い換え)だ。こんなこと、いつまで続けされられるんだろう。そろそろ発想を変えてもいいんじゃないか。

2025年2月8日

「ファスト&スロー」

ホンダと日産が経営統合に向けての基本合意に達したとする報道を目にしたのは昨年12月半ばのこと。両社は、同年の3月から統合について検討をしていたという。

統合のやり方は、両社で持ち株会社を設立するかたちになりそうだと。そこへの三菱自動車の合流も俎上にのっていた。

ところが三菱自動車がそうした統合話から降りたと思ったら、ホンダと日産の統合の協議もいきなり破談になってしまった。ホンダが日産の子会社化を言い出したのに対して、日産の経営陣が反発して基本合意書を破棄することにしたらしい。

ここで気になるのは時間の流れだ。ホンダの三部社長は会見時、話の端々に「スピード」という言葉を発していた。その一つは中国や米国の新興自動車メーカーの驚くほどのスピード感のある経営であり、もう一つは日産側の意思決定のスピード感のなさである。 

ホンダは、日産と一緒に経営のテーブルを囲むようになったら、とんでもなくスローな会社になってしまうと危惧したのではないだろうか。 

認知心理学者でノーベル経済学賞受賞者のD・カーネマンは、『ファスト&スロー』でシステム1とシステム2という2つの思考モードについて述べている。システム1は直感によるすばやい意思決定につながるもの。一方、システム2は時間をかけて行う知的活動をともなう合理的判断である。

ホンダの社長が会見でぼやいていたように、日産側の統合に向けてのプランニングはずいぶんスローだった(システム2の利用)。ところが、ホンダが日産を子会社化するという案を出した後の、今回の日産・内田社長の「受け入れられない」という経営統合破棄にいたる決定は実にクイック(ファスト)だった(システム1の利用)。

日産の経営陣は、子会社になった場合の日産自動車の5年後、10年後の姿について情報を多角的に集め、検討、熟慮したのだろうか。

ただホンダに対しての<オレたちを馬鹿にするな!>というプライドへの感情的こだわりが、内田社長の「ノー」の背景にあったように思えた。

それって経営か? 

現在、時価総額で日産はホンダのわずか5分の1、トヨタの30分の1である。合理性でなく感情による判断を優先し、自動車会社であるにもかかわらずクルマを売れる経営ができていない今の同社の経営陣に、企業を再生する能力があるとは思えない。

今の経営陣のもとではこのまま潰れるか、どこかに買収されるしか道はないだろう。

2025年2月7日

彼の自殺から7年が過ぎた

近畿財務局の元職員だった赤木俊夫さんか自らの命を絶ったのは、2018年3月だった。

妻の雅子さんは、その死の理由を知りたいという思いで、ずっと財務省に関連文書の公開を求めてきた。例の森友学園への安倍元首相による国有地の格安払い下げについての件だ。

赤木俊夫さんは、土地売却に関しての関連文書14件について上司から「改ざん」を指示された。不正行為に悩み、そのことに端を発して彼はうつ病を発症し自死した。

その不正を指示した当時の佐川宣寿という財務省理財局長は、国有地の売却について森友学園側との価格交渉を否定、さらに記録は「廃棄されている」と国会の場で答弁した。

ちょっと待てよ。そうした記録は財務省の所有物ではない。役所の文書はすべて、われわれ国民のものなのだよ。勝手なことをするなよ(まあ実際は破棄せず残っていたのだが)。 

雅子さんが求めてきた文書公開に対して、国は開示はしないと決定した。国のその決定について、当然彼女はそれを取り消すように求めていた。そして今回、赤木さんの公開せよとの訴えを認めた大阪高裁の判決にたいして、国は上告を断念した。

石破総理がそれを決めた。

強い使命感、責任感を持って仕事に当たった方が自ら命を絶たれたことは本当に重い。判決を真摯に受けとめるべきだと考えた。

と取材で語ったらしい。

英断のように評価する向きもあるが、ぼくはまったくそうは思わない。英断どころか、こんな当たり前の決定をなぜ今まで出来なかったのか。情けないこと極まりない。

これ以上世間からの風当たりが強くなったらたまらん、との不人気首相の思いがあった。

加藤財務大臣は、検察にいったん提出した文書は財務省に戻ってきていると語った。佐川は国会の場で文書は廃棄されているとしゃあしゃあと答弁したが、大臣はそれらの存在を認めたのである。

赤木さんだけではない、国民全員を財務省の元官僚は愚弄したことになる。佐川のような男がその後、国税庁長官に任命されていたと知れば知るほど、確定申告のための煩わしい書類作成がバカバカしくなる。

前置きが長くなったが、今回書きたいのは別の点にある。

先に引用した石破総理の発言「強い使命感、責任感を持って仕事に当たった方が自ら命を・・・」だ。その通りだが、赤木さんの自殺という悲しい出来事は、彼が自分の公僕としての本来あるべ職務を理解し、かつしっかりした責任感をもっていた人物だったからこそでもある。

つまり、安倍やその妻、また文書中に記された政治家たちを忖度した佐川が書類14件の改ざんを指示された職員がもし赤木さんでなかったら、「改ざん文書」の存在すら世間が知ることはなかった。

上司から言われたことをただ黙って「処理」しているだけの職員の仕事(仕業)は、これまでも、またこれからも一切おもてに出て来ない。彼らに都合のいいように改ざんされていようが、いまいが。

そして、それが役所内の文書のほぼ全部だ。赤木さんの死がそれを教えてくれている。

今後のことを見据えれば、いま私たちが考えなければいけないのはそこにある。

2025年2月3日

別冊とは如何に

学会のため、今回はシンガポール経由でマレーシアに行くことに。シンガポールまでは日本航空で、そこからシンガポール航空に乗り継ぐ予定だ。

シンガポールの空港でターミナル間の移動をする必要があり、荷物も含めてそのままスルーで行けるのかどうか確認しておこうとシンガポール航空に電話したら、おそらく問題ないが、最初のチェックインがJALなのでそちらに確認してくれと言われた。

なるほどと思い、連絡した。こうした問合せは日々よくある類のものだと思うのだが、電話にでた予約スタッフは即答ができず、繰り返し「少々お待ちください」とこちらを待たせたあと、「先ほどのベッサツでの乗り継ぎの件ですが・・・」と話し始めた。

ベッサツ? 話を聞いているうちに、他の航空会社のチケットのことを言っているのだと分かった。別冊のことらしい。

昔の航空券は、複写用のカーボン用紙が何枚も挟まれた複数枚綴りの小さな冊子のようだった。それを指して、自社便でない別のチケットということで<別冊>とこの航空会社は言っているのかと。だが、そんな航空券を使っていたのは、ずいぶん昔のこと。

顧客からの一般的な質問にも答えられない、たぶんまだ新人の社員が、別冊などという社内あるいは業界のジャーゴン(符牒)を客に対して当たり前のように使うとは、何だかやっていることがちぐはぐ。

それも含め、客の顔も姿も見えないと顧客への対応がこんなにもぞんざいで、かつ気を抜いた応対になるという見本だったナ。近年のサービスのすがたを象徴している。

2025年2月1日

おじさん、生きてろよ

1月28日、埼玉県八潮市の県道が陥没し、道のまんなかに穴ができた。

トラックを運転していた男性(74歳)は、道路を左にカーブした先にあったその穴に突っこんでしまった。だってそんなもんあるとは思わないもんなァ。

(TBSテレビから)

それからまもなく100時間が経とうとしている。丸4日が過ぎているにもかかわらず、彼の安否さえ分からないらしい。一体どうなっているんだ。報道では「懸命な作業が続けられており・・・」と型どおりの原稿をレポーターが読んでいるだけで、実にイライラさせられる。 

穴が周囲に拡がっていくのを恐れ、離れた場所から土木工事によってスロープをこしらえ、それができた後、重機で穴の中に入って行って・・・というプランらしいが、運転席にいるはずのおじさん一人を救い出す他のプランは考えられないのか。

二次被害を起こさないためとか、救助隊員の安全を確保してから本格的な捜索をとか、聞いていてまどろこしくてどうも仕方ない。事故対応への初動の判断と行動が遅いから、穴が時間とともにこんなに拡大したというのもあるんじゃないか。

事故発生時の現場のビデオ映像をみると、トラックが落ちたときはまだその荷台が地面の上に出ているくらいの状況だった。

時間が経つにつれて穴が拡がり、周辺が崩落し、水が流れ込んできた。それらは予想できたこと。寸暇を惜しんで、とにかく穴に落ちたトラックから運転者を引っ張りだすことに集中してれば、今のような、やれ低気圧が近づいてきて天気がどうの、水の流入量がどうの、積み重なった瓦礫の量がどうのといった消防庁の言い訳ばかり聞かされる事態にはならなかった。

本気でおじさんを救い出そう、助けようという気持ちがレスキュー隊にないように見える。それより救助隊員に何かあったら、今時だから自分がどう責任を問われるか分からない、という消防庁幹部たちの心の声が聞こえてくるようだ。

穴に落ちたのがトラック運転手のおじさん(74歳)じゃなく、もしそれが「乗用車を運転していた八潮市内に住む主婦A子さん(35歳)と娘のB子さん(10歳)、息子のC君(7歳)の3人家族」だったら。あるいは、「ポルシェを運転していたタレントの中居正広氏」だったら。

レスキュー隊の対応もメディアの報道もまったく違っているはずだ。違う? 

理不尽である。穴に落ちたおじさんには何の瑕疵もないのに。気の毒でしょうがない。

おじさん生きてろよ、と、祈る。

2025年1月30日

なぜ日本を飛び出さないのか

ネット上で見つけたある記事で、世界各地でのソフトウェアエンジニアの給料(ボーナス含む)が紹介されていた(出所は、https://www.levels.fyi/2024/)。

それによると、本年1月時点でのデータが示す世界各地でのソフトウェアエンジニアの年間報酬は、
サンフランシスコ地域 約4200万円
シアトル地域 約3800万円
ニューヨーク市地域 約3000万円
サンディエゴ地域 約2900万円
ポートランド地域 2800万円、である。

日本はというと、上記トップのサンフランシスコの3分の1ほどらしい。それでも1400万円だから、国内ではそれなりの高給取りの部類といえる。

だからなのか、少なくとも僕の周りではそうしたソフトウェアエンジニアたちが海外に飛び立ったという話は聞かない。

もちろん給料が高くても住む場所として安全ではなかったり、健康な生活が送りづらい環境であれば踏みとどまるのは当然。だが、上記の米国の各地がそれほどまで治安が悪く、住んでいるだけで健康を害してしまう土地かといえば、決してそうではない。

むしろ、日本の会社に勤めていたらいくら頑張っても届かないレベルの給与を手にでき、また日本とは違ったエキサイティングな生活を送れるかもしれない。

もし僕が腕に自信のあるソフトウェアエンジニアで団塊ジュニアより下の世代なら、さっさと渡米を考える。理由? それを考えない手はないからだ。

また、アメリカじゃなく欧州へという道もある。

チューリヒ 2800万円
ケンブリッジ 2100万円
ベルン 2100万円
ローザンヌ 2000万円
ロンドン 2000万円、である。

報酬は米国企業ほどではないが、いずれにせよ日本よりずっと高い。加えて、国内にいては得ることができない経験を積むこともできるはず。

こうした新天地へ行こうとしない方がおかしいくらいだと思うんだけどね。

2025年1月29日

エポケー

先日、フジテレビによる記者会見があった。夕方4時から翌日の2時過ぎまでつづくマラソン会見だったようだ。

第1回目の、報道機関としてのテレビ局が行った会見とは思えない記者会見への批判があったからか、今回は途中で打ち切らずに延々と行われたが、当然ながら長ければよいというものではない。

経営陣の明解さを欠いた発言内容もさることながら、記者たちの説教口調の質問内容にも閉口した。まるで自分のことを取り調べを行う警察か検察と勘違いしているかのような。

その根拠となったのが週刊文春が報道した、フジテレビ社員Aが中居正広による性加害に関与したという特集記事だ。それをもとに、鬼の首を取ったかのような記者らの質問が続いた。

だが、その週刊文春は3回にわたって続けた特集記事のなかで、社員Aの関与のあり方について訂正していた。だがそのことは、記者会見では誰も取り上げなかった。記者側もフジ側もよく知らなかったわけ。

情報の中身の真相のほどは別として、あの場にいた連中は手にできるはずの情報に目を通していなかった。

なんとなく世の中でそうなっている、SNSで多くの人がそう言っているというだけで、あたかもそれが既成事実であるかのように捉えて論を展開する。

一言で言うならば、みんな早とちりなのである。自分で調べたり、考えて納得するのではなく、SNS上でそう言われているからそうに違いないと勝手に決めつけている。

文春が社員Aの関与についての記事を訂正していたと知るやいなや、それまで「フジテレビ、悪」と言っていた多くが今度は「文春、悪」の流れに移った。その変貌というか寝返りは実にすばやい。

兵庫県議だった男性が自死した件。NHKから国民を守る党の党首である立花が、その男性が警察から出頭を命じられているとかなんとか、まったく事実無根の情報をSNSで発信し、それに多くが反応してさらに情報を拡散させた。だけならともかく、県議や彼の家族を執拗に攻撃し、追い込んだ。

立花が県議の男性について言いつのった批判が真実であるならば、それに同意してSNS上で同様の批判が拡がるということはあるだろう。それは表現の自由でもある。だが、警察が異例の発表をしたように、立花の言はまったくのデタラメだった。

しかし多くの人が、そうした流言の類について自分で詳しく知る努力もせず、内容の真偽に関して何も考えることなくただ反射的に反応し、攻撃的な行動をとるに至った。

兵庫県知事選に関わる一連の不始末不祥事の根幹の一点はそこにあるように思う。

即座に反応しないこと。まずはそれを心がけるしかない。古代ギリシャの哲学者ピュロンが提唱したエポケー(判断停止)である。各種情報も含め、外からの刺激に対して深く考えることなく反応したり、判断するのは危険なことだと知ることが大切だ。

SNSをめぐる現在の未成熟な社会環境のなかでは、われわれは思考停止に陥ることをつねに注意しながら、一時的に判断停止する、あるいは留保することを学ばなければならない。

2025年1月25日

CM

最近の日本のメディアの話題は「フジテレビ、中居正広、CM見合わせ」の三題噺に尽きるようだけど、その内容はといえば呆れるのを通り越して悲しくなるほどだ。

人の容姿の美醜を語るのは本望ではないのだが、メディアで紹介されるフジテレビの社長Mの下卑た顔つきだけはいただけない。バラエティ番組の分野で長年にわたって仕事をしてきたらしいが、あれほど知性の欠片もない顔つきの人物がいて、しかも社長だとは。

この局は報道機関としての看板を下げて、バラエティのコンテンツ提供企業に徹した方がいい。当然社名もフジテレビジョンからフジバラエティテレビに社名を変更するのが筋だ。

口直しに昨年制作されたフランクフルト・アルゲマイナー(独紙)のCMを。

Frunkfurter Allgemeine ZeitungのCM

2025年1月18日

生成AIの説明能力

生成AIが仕事に急速に取り入れられていて、会議の議事録をまとめたり、販売データをもとにした報告用の資料などを作ってくれたりする。

AIは文章でも図表でも、たじろぐことも戸惑うこともなくあっという間に作成する。全能感を思わせるそのアウトプットのスピードにオフィスで働く人たちは感心し、手放せなくなる。

ただし、生成AIの回答にときおりギョッとさせられることも多い。たとえばデータの解釈だ。

見せかけの相関のなかには、いろいろと笑わせてくれるものがある。下記のグラフでは、2000年から2009年におけるマーガリンの一人当たり消費量と米国メイン州の離婚率のトレンドが相関係数0.99という強い関係にあることが示されている。

その理由を生成AIに説明させると、以下のように解釈する。

おそらく、マーガリンの使用量が減るにつれて、人間関係もギクシャクしなくなったのだろう。人工的なスプレッドがないため、カップルがお互いにバターを塗り合うことがなくなり、全体的な夫婦喧嘩の減少につながったのかもしれない。バターでないことが信じられない現実、それは夫婦関係の成功の秘訣なのだ。あるいは、マーガリンの消費量が減るにつれて、全体的なヌルヌル状態も減り、パートナーが結婚生活をうまくコントロールできないと感じるケースが減ったということも考えられる。

おもしろい。米国メイン州の夫婦はケンカをすると相手にバターを塗りつけようとするらしい。新説である(意味不明のところがあるが)。

ここまで解釈がぶっ飛んでいると、さすがに小学生でも変だと気づくけど、そうじゃないAI作成の文章で専門家でも見紛うものがネット上を中心にいくらでもある。人が書いたのものか、AIが書いたのものか、多くの場合、その判別がつかなくなっている。

結局、今のところは説明の内容をどう判断するかは人の知識と経験、常識に頼るしかない。

それこそ何でもAIに代わりに考えさせていると、ヒトの頭脳はあっという間に判断能力を失い、機械に乗っ取られてしまいそうだ。 

ついでに、生成AIに上記の説明に沿った画像を作成するよう命じたら、こんなのが出てきた。笑える。州の90パーセントが森林だというメイン州の雰囲気は確かに良く出てるかも。

バター版

マーガリン版

2025年1月17日

「30年以内に80%程度」という表現のわかりずらさ

これまで、「30年以内に70〜80%」と言っていた南海トラフ地震の発生確率を、政府の地震調査委員会が「30年以内に80%程度」と変更した。

この変更から我々が感じることは、以前よりさらに地震が来る確率が高くなったということだろう。この変更は、新しいデータをもとに検討しなおした結果らしいが、どういったデータをどのように分析すればそうした数字が出てくるのか公表されていない。

「30年以内に80%程度」とは、あした南海トラフで大地震が起こることと、30年経っても何も起こっていないことの両者を含んでいる。これって、どれだけ意味があるのか?

「30年以内に80%程度」と言っている地震学者たちは、30年後にはもういないんだろう。たとえ生きていても、もう研究の表側から消えている。30年後、地震も何も起こらず、彼らが見つかり引っ張り出されることがあったとしても、「20%の確率で起こらないことを示している」と言えばそれで済む。

30年以内の発生確率を数字で言うのだったら、一緒に10年以内、5年以内、1年以内の発生確率も言ってみろと思う。科学的な視点からは、30年先の未来を予測するより、この先1年を予測する方がずっと容易なはずだ。

それをやらないのであれば、そもそも具体的な準備に役立つわけでもなく、また検証しようもない確率をさも科学的な衣を着せて発表するのはやめた方がよい。

こんなことやって、研究予算や防災予算を獲得している連中だけが納得し、ほくそ笑んでいるような気がする。

地震はいつ起きても不思議ではない。だから、常に、そう常にだ、起きたときのことを考えて備えておく。結局は、これしかない。

2025年1月15日

女性は金塊がお好き

日本のある新聞社のウェブサイトに並んだ2つの記事。

並べて載せているのは偶然か意図したものか分からないが、どちらも女性による犯罪事件で、「金塊」にまつわるものだ。

ついマリリン・モンローが主演した、ハワード・ホークス監督の古いハリウッド映画を思い出した。

『紳士は金髪がお好き』
 
それにしても、ビットコインなど暗号資産(仮想通貨)の時代に実物の金塊とは! あのズシリとした重さと眩しい輝きに(ある種の)女は惹かれるのかね。片や20キロ、もう一方は10キロときた。

2025年1月10日

スポットワークという働き方

明日の午前中だけとか、お昼過ぎから午後の遅い時間までといったちょっとしたスキマ時間(空き時間)を使って仕事をするのをスポットワークと呼ぶらしい。

要はスマホのアプリを使ってのマッチング・サービスというだけで、昔から学生が授業のない時間をバイトに費やしていたのと何ら違いはない。が、どうもバイトするのは今は学生だけではないそうで、定職をもつ30代から40代がその働き手というパターンである。そこは変わった。

リモートワークで会社に行く必要がないので、うまくやり繰りして時間をつくり、数時間だけ働いて小銭を稼いでいる、というイメージだ。仕事は物流、飲食、小売りなどの業界が多い。

どこも人手が足りていない世の中らしいので、こうした働き手も企業や店側にとってはありがたいわけだ。 

ただし、「スポットワークがお試しとなり、適職にたどり着く手段にもなりうる」とか「個人が仕事との向き合い方を再考し、組み立て直す糸口にもスポットワークはなる」といった一部の識者の考えには僕は同意しない。

空いた夕方の2時間を時間給でもって近くの飲食店で働いたのがきっかけでその道に目覚めました、っていうのがあってももちろん構わない。だが、ふつう仕事ってそんなもんじゃないだろうと思う。

そんなことより個人的には、飲食店でメニューについて訊ねてもまともに答えられなかったり、小売店で商品の棚の場所を聞いても何も案内できない店員が最近増えたと感じるのは、彼らがスポットワーカーだからなのか・・・と、そっちの方が気になる。

そもそも、そのスポットワークをやりたくてやっているのなら別だが、本来なら企業の中堅である30代〜40代のサラリーマンが技能も経験も不要だからという理由でスキマバイトをやっているのは残念なこと。

空いている時間があったら、ちゃんとした本を読む、思索を深めるなど自分の内面を磨き、高めることに時間とエネルギーを投資した方が、目先の小遣い稼ぎをやるより結局ははるかに大きなリターンが得られるのは間違いないのだから。

こうした投資についての基本的な考えを持っているかどうかが、人生の質を左右する。

2025年1月7日

年賀状は続く

日本郵便によると、今年の元旦の年賀状の枚数が昨年比で34パーセント減、3年前と比べて半数以下になったらしい。

ここ数年、毎年「今年で年賀状じまいします」という年賀状が増えた。面倒くさくなるんだろうな。そうやって、届く枚数も減っている。

それに呼応してこちらから出す年賀状の枚数も少なくなる。もうずいぶん前からだが、年賀状は手書きだ。表面の宛名書きも手書きだ。以前は年賀状ソフトで宛名を印刷していたけど、手書きしてもたいして時間がかかるわけじゃないから。

もう50年近く、年賀状だけでつながっている友人がいる。彼は、小中学校での同級生だった。高校は別の学校に進んだが、夏休みなんかは皆で集まって一緒に遊んでいた。

彼に会った最後の記憶は、彼が18になりすぐ免許をとったというので、彼の運転する車に小中学校時代の同級生たちと乗り込み、免許とり立ての危なっかしい運転で山道をぶっ飛ばしたこと。ガードレールもない田舎の山道で、死ぬかと思った。

高校を卒業し、彼は地元の電力会社に就職し、僕は大学に行くため東京へ出た。それきり会っていない。48年前のことである。

お互いまだ生きているが、もう昔の面影といったものはないかもしれない。けれど、年賀状のやり取りだけは今も続いている。会っても顔が分からないかもしれないし、会うこと自体ないかもしれないからこそ、年に一度の年賀状がお互いに必要な気がする。

顔は分からなくても、彼の筆跡は分かる。

2025年1月4日

今ではおっさんは僕の方だった

毎年、年の初めに書斎のスチール・キャビネットのなかを整理する。使うことがなくなり、奥に追いやられたままのバーティカル・フォルダを取り出し、新たなテーマ・フォルダと入れかえるためである。

今年引っ張り出したフォルダの中から、古い名簿が出てきた。それは、僕が20代半ばだから40年くらい前のものだ。当時勤めていた広告代理店が社員に配ったものである。

そこには約1300人ほどの社員の顔写真と名前が印刷されている。掲載されているのはそれだけで、所属も役職も勤務地もない。それが人数分、名前の五十音順に並んで印刷された冊子になっている。

完全に忘れていた。ページをめくると、懐かしい、40年ぶりの顔が並んでいる。僕は30歳でその会社を辞めて転職したのだけど、社会人としての基礎をそこで教えてもらった。

当時、「あのおっさん」と思っていた人たちが、今見るとみな若い。今の自分の方がはるかに歳を取っているのだから当然なんだが。

そこに収められている半分とは行かなくても、三分の一くらいの人はもういないんじゃないかとふと思ったりして。

写っているのはみんな、履歴書か免許証に載せるような正面からの真面目なショット。そのなかで1人だけ、1300人のなかでたった1人だけ45度くらいの角度から顔だけこちらに向けている写真があった。ほかでもない、自分だった。

ページをめくっていると、どこかで会ったような顔が目に止まった。自分がその会社にいたときには出会ってない人のはずだけど。

優しそうな目元が、昨年10月に亡くなった漫画家の楳図かずお(本名 楳図一雄)さんによく似ている。名前も一文字違いだ。


ネットで調べたら、弟さんだった。ただそれだけなんだけどね。

2025年1月2日

正月早々からブラックジョークか

元旦の日本経済新聞、特集ページ「ニッポン2025」のリードである。

2050年は働けるまで働く「生涯現役」が常識となる。医療技術の進展により、健康で長生きする高齢者が増える。人工知能(AI)活用で、自分の能力が活かせる職場が摩擦なく見つかる。定年による労働市場からの一斉のリタイヤは過去のものとなり、誰もが能力と意欲に応じて、溌剌と社会に貢献する未来が訪れる。

「溌剌と社会に貢献」に、正月早々アホかと苦笑いしてしまった。どういった根拠でこんな荒唐無稽で、かつ身も蓋もない<未来>を勝手に決めつけるのか。

またその記事中に、こんな記述がある。

内閣府によると、60歳以上の6割が70歳までかそれ以降も働きたいとの意向を持つ。うち2割は「働けるうちはいつまでも」働きたいと考えている。三菱総研の試算では、働くシニアが増えることで2050年の税収は現状よりも5.3兆円の押し上げ効果が見込める。

人間を、企業が売上を上げるための単なる生産手段、かつ税を支払い続けるための国の奴隷と考えてる。

正月早々から読者を実に憂鬱にさせるブラックジョークだ。 

近くに市の合同庁舎がある。その1階はハローワークになっていて、そこのロビーには求人票が貼り出されている。定年退職をした高齢者が就ける仕事内容は、ビルの清掃、工事現場の交通整理員、マンションの管理員、食品会社(コンビニ弁当工場)での夜間作業、倉庫での宅配用荷物整理、スーパーの品出し業務など。選択肢は限られている。

「溌剌と社会に貢献する未来」だとか書いた新聞記者は、一度、ハローワークで現実を見た方がいい。頭の中で勝手なことを想像しているだけだから、こんな記事になる。