2020-08-27
座らない生活を始めてみた
当たり前のようにそうしてたが、長時間座ることは体によくないらしい。確かに座ってばかりいると、腹筋や背筋が緩んでくるのが分かる。
そこで立って仕事をすることにした。高さを調整できるテーブルを購入し、机の上に載せて使い始めた。僕はもともと猫背気味なので、あえて今は少し高めに設定し背筋が伸びるようにしている。
なかなかいい。ずっと同じ姿勢だと足が疲れてくるので、ときおり足踏みしたりしながら続けている。
もともと本を読むとき、家の中をぶらぶら歩きながら本を読む習慣があるので、それにも都合がいい。わざわざ「よいしょ」と立つ必要がないからだ。そのまま本を手に読書の旅に出ることができる。
今のところは、座ったままより集中できる感じが続いている。
2020-08-24
こういう日々だから、花火の音が聞きたい
やっと残暑も収まってきたのかもしれない。秋の訪れが待ち遠しい。
振り返ってみると、今年は花火とは縁のない夏だった。ほとんどの花火大会が、武漢型肺炎対策で中止になった。花火の音を聞くことがないまま終わる、侘しい夏の終わりになった。
花火には何も実用的な機能はない。ただ、ドーンと打ち上がって、大空でパーンとはじけ、パラパラパラと消えていくだけだ。
だが、夏を夏として人々の記憶に刻むその色と音は、これまでずっと日本人の夏のひとときに欠かすことができないものだった。
2020-08-23
なぜ怒らない、男性社員
ダイバーシティーと言っても、一言で言いあらわせられるものではない。種々の観点から定義できるが、最近メディアなどで取り上げられているもののひとつにジョブ型かデモグラフィ型かいう区分けがある。だがそれだって定義が曖昧で、両者の違いがはっきりしているとも言えないんだけどね。
それはさておき、日本企業のお粗末な大多数の経営者らにとってはダイバーシティもその本質を理解するには至らず、ただ人材多様性の別語としか理解されていない。それも一言で言えば、女性管理職の登用のことと受け取られている。
それはダイバーシティーが意味する表層のひとつであり、本質的な議論はそれとは別途に存在してる。だが、難しいことを言っても理解できない経営者らには、まあそうしたものとまず考えてもらうのも一法だ。そして、たとえ形式的であっても、とりあえずは女性を組織のできるだけ中心部分に送り込むことは無駄なことではないように思える。
「おれたち、<ダイバーシティー>を理解してるもんね」と言いたい経営者らは、女性社員の中からこれぞと思った(各部署から選抜させた)女性社員を対象にした管理職登用への資格取得のための特別研修を社内で実施する。
その根底にあるのは、経営者と人事部で女性社員を持ち上げてやっているという「してやってる」意識だ。選ばれて参加を促された女性たち自身は、そうした不自然な扱いに対して違和感を感じているという人が多いらしい。
聞いてみると、「なぜ女性だけの研修なのか?」と疑問を述べる。そうしたやり方では、自己肯定感が持てないと言う。そりゃそうだろうナ。その感覚は、まっとうだ。
一方で、経営者や人事部は鈍感の極地ともいえる。そうしたことにすら気がついておらず、彼女たちと会社のためという<好意的差別主義(benevolent sexism)>に染まっている。
もうひとつ、僕が不思議なのは、そのような企業で男性社員が声を上げないこと。同じ階層で女性だけが幹部登用を前提にした研修を与えられているのなら、それに対して異議を唱えるのが当たり前だろう。
だが、男声社員が会社に対してそうした場面で異議申し立てをした例を知らない。情けないとしか言いようがない。
この国では、ビジネスパーソンとしてまともな意識をもってるのは一部の女性だけのようだ。日本のほとんどの企業の経営者らはやっぱり基本のところが判っていないし、それらをロールモデルとして会社生活を過ごしている多くの男性サラリーマンも、残念だが思考停止のままだ。
2020-08-19
あの夏はどこへ
熱中症患者の数もうなぎ登りで、昨日は30人の方がなくなった。病院に救急搬送されたなかで、初診時に死亡が確認された数だ。おそらく救急車で病院に運ばれなかった人、そして搬送された人の中でもその後亡くなった方が他にもいるだろう。
だから、実際は30人の数倍の人が熱中症で一日になくなっていることが推察される。武漢型肺炎(COVID-19)で昨日亡くなった人は全国で16人だから、われわれが本当に心配しなければならないのはどっちか分からなくなる。
それにしても、以前からいわれていることではあるけど、日本はもう熱帯に属する国になった。少なくとも夏の季節はそうだ。
昨年の夏、30年前に英国の大学院で一緒だった友人がシンガポールから訪ねて来た。学会出張で東京に来たという。早稲田大学の近くのレストランで食事をしたのだが、シンガポールの天気はどう?と尋ねたら、笑って "Same, same..." と。ややあって、 "Hot, very hot, very very hot..." だって。
つまりシンガポールには四季なんかなく、暑いか、とても暑いか、ものすごく暑いかってことらしい。思わず笑ったが、このところの日本の夏もまったく同じじゃないかと思う。
子どもの頃、夕方になると井戸から水を汲み、庭に打ち水をした。熱気が蒸気としてす〜と消えていき、気持ちよい風が庭に吹くのを感じる一瞬。そのあとは縁台を出して、そこでスイカを切ったり、冷えた麦茶を飲んだり、将棋を指したり。
あの夏の日はどこへいったのだろう。
2020-08-14
ハリケーン イサイアス
NYに住む知り合いのところでは停電した。この暑さのなかでだ。おかげで日没と共に就寝、日の出と共に起床の日々が始まったと言っていた。
僕がコロンビア大学に研究員として行っていた2012年には、超スーパー級のハリケーン・サンディがNYを襲った。
https://tatsukimura.blogspot.com/search?q=%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%B3
彼女によると、今回のハリケーンはそれほどでもないらしいが、このところ何年かに一度はハリケーンのためNYは停電になっているという。
間違いなくこれも異常気象のひとつ。だが、そうした異常がしだいに異常でなくなってきている。
鳥と間近に空を飛ぶ感覚
クリスチャンと息子のトマが、北極圏に近い場所から越冬地までカリガネたちを率いて軽飛行機で「飛ぶ」。 実話ではスウェーデンからドイツの越冬地までだったのが、フランス映画だからか、この物語のなかではノルウェーからフランスまで鳥たちを誘導しながら飛ぶ話になっている。
童話の「ニルスのふしぎな旅」を連想させる。実際、鳥たちの中で一匹だけ種類の違うカモの名前は、その童話にも出てきたアッカという名前がつけられている。
とにかくよく調教された鳥たちとの飛行シーンが素晴らしい。調教されたというより、鳥たちが彼らを親と思って一緒に飛んでいるのだろうけど。野鳥と一緒に空を飛んでいる気分になれるだけでも、今のこの時期に見る価値はあった。
ところで本編とは関係ないが、映画の主人公のトマはフランスの中学生。グランド・ジャーニーは、その彼が過ごす5週間のバカンス中の出来事だ。5週間のバカンス!だぞ。
そして彼は、その5週間を母親が離婚した父親とその間一緒に過ごすために、母親とその今の恋人にネットもまともに入らないようなところに連れてこられた。
日本の単独親権の考え方のもとでは、子供のこうした過ごし方はまずあり得ない。
この国で少子化がいつまで経っても解決の方向に向かわない理由の1つだ。
2020-08-10
PSJの論文を投稿
7月最終週で大学の授業がすべて終了し(そう、今期はすべてZoomを使ってのオンライン授業だった)、その翌日からは投稿論文を書いていた。
F・ライクヘルドらが提唱しているNPS(Net Promoter Score)の問題点を修正した日本版NPSともいえるPSJ(Promoter Score Japan)に関するものである。
これまで海外の学会で一部を紹介してきたテーマだが、年初からの武漢肺炎の影響でまったく海外出張に出られなくなってしまったので、今年はしかたなく国内学会へ参加することにした。
PSJ®は、日本の消費者を対象にした顧客推奨度を測定するための独自の新たな指標だ。
早稲田大学マーケティング戦略研究所と僕でその商標を持っている。論文は締め切りまであまり時間がなくていささか忙しかったが、今日で一段落といったところ。
このあとは、ペンディングにしてしまっている前期授業の成績評価を早く終わらせなければ。
2020-08-05
学生らと打ち上げ
呑み会といっても例によってZoom上のことだけど、今のところはこれもしょうがない。授業ではできなかった話をしたり、学生らと少しプライベートに関する話もできたのがよかった。こうした機会がないと、やはり人間同士の距離感が縮まっていかない感じがするからさ。
2時間ほど酒を飲みながら(学生たちはあまり飲んでなかったみたいだけど)多岐にわたるあれやこれやの話をし、最後に記念写真(↓)を撮って終了。なかなか、おもしろかったよ!
彼らが画面上で指で示しているのは、「K」のマーク、らしい。
2020-07-31
前期授業が終了
4月の時はどうなるかと思ったが、意外と教師も学生も世の中の状況が分かっているだけに強い違和感はなく、やり方に前向きに慣れようと努力し、協調的な雰囲気がいつの間にかできていた。
パソコンの画面からだと発言や質問もやりづらかろうというのは、こちらの勝手な思い込みに終わった感じだ。チャットの書き込みで質問を投げてきたり、システム上の挙手反応で質問の意思を示したりするのは学生にはストレスがなくていいのかもしれない。
画面上に並ぶ学生たちには、お互いに妙な序列を感じていなかったようだ。教室という場と違って体の大きさや声の大きさ、身なりや持ち物といった付随する情報がない分、学生たちがフラットな雰囲気のなかで自由に発言できる空間だったのだろう。
2020-07-24
人気のないキャンパスは寂しいね
2020-07-19
副業だからといって、人の足下を見すぎている
サラリーマンは月曜から金曜日、朝から夕方までオフィスで働くもの、というのが日本社会の基本だったのがあっという間にリモートワークに取って替わられつつある。まだ少数ではあるが、リモートで働くことを基本にするところも出てきた。
そうした流れを汲むように、ヤフーが副業で働く人材を募集し始めた。戦略人材として100名。他社の正社員でありながら副業でヤフーで能力を発揮してくれる人を求む、というわけである。
試みは大変面白いと評価できる。だが、新たな事業プランや企画を立案する「アドバイザー職」としてオンラインで働き、給料が月5万円というのは求めている能力の割には安すぎるんじゃないかね。桁がひとつ違うだろう。
2020-07-11
グーグル漬けから抜け出すために始めたこと
対象はネット企業、とりわけグーグルに渡っている個人のさまざまな情報だ。
検索はgoogle、メールはGメール、地図はgoogleマップ、ファイルの共有はgoogleドライブ、写真の保存はgoogleフォト、予定の管理はgoogleカレンダー、動画の共有や閲覧はYouTube、ブラウザーはChrome・・・と自分が何者で、どこでいつ何をしているかがグーグルに丸裸になっている。
グーグルに蓄積される個人の情報は日々積み重なっていく。使い勝手が良く、しかも無料なので負担やストレスをあまり感じることなく、当たり前のものとして使っているが、これって自分を売り渡していることだと思うようになった。
しかも、どれも無料だからわれわれ利用者はグーグルがサービスの変更やその廃止を決めても不平を申し立てられない、考えてみればとても危ういサービスなのだ。
グーグル社が保持している我々の情報はgoogle takeoutというツールを使ってデータのアーカイブをダウンロードして確認するできるらしい(まだやったことはないが)。そして「マイ・アクティビティ(myactivity.google.com)」にアクセスして、個人で「広告」の履歴を削除することはできる。
しかし、ユーザーが削除したデータがグーグルのサーバーから消去されるか、それとも匿名化された状態でグーグル内に保持されるかは、グーグル社の方針によって決まるという。
つまり、いったんグーグルにわたった個人の情報は、現時点ではどうやっても彼らの手元に残り、加工され、売り渡されると考えた方が良さそうだ。
そこで僕は、武漢肺炎禍でパソコンの画面に向かう時間が増えた中、自分なりのチャレンジを始めた。以下のような変更だ。
★検索は、google → DuckDuckGo(全然問題ない)
★メールは、Gメール → Fastmail(快適)
https://ref.fm/u24279104
★地図は、googleマップ → Appleマップ(問題なし)
★フィル共有は、googleドライブ → dropbox、evernote、その他いろいろ
★写真のクラウド保存は、googleフォト → Amazonフォト(遜色なし)
★予定の管理は、googleカレンダー → Fastmailカレンダー(問題ない)
★動画の共有は、YouTube → Vimeo(これから)
★ブラウザーは、以前からFirefoxとSafari
一番悩んだのがメールだ。これまであまりにGメールに慣れすぎているし、データの蓄積も半端ではない。だが、最終的に選択したFastmailはとてもいい。使い勝手もいいし、信頼できる。有料だが、そこはサービスを受けるものとして当然と考えることにしている。
https://ref.fm/u24279104
そうそう、いまだ移行をどうしたらよいか決めかねているのが、グーグルが運営しているこのBloggerだ。1,000を越えるこれまでのブログ記事をそのまま写真ともども問題なく移行できる先をどうしようか。
2020-07-09
個人情報の漏洩に合う
JICAの国際プロジェクトを引き受けたときの相手側の実働部隊がそこで、謝金もそこから支払われた。
振込先の僕の銀行口座や住所、電話番号などが外部に情報漏洩したことが確認されたと連絡があった。該当の銀行に連絡し、不審な入出金(入金はないだろうが)やアクセスがないかを確認してもらったところだ。
併せて、そのセンターには、僕に関する情報はすべてデータベースから消すように依頼した。彼らがセキュリティの専門会社に調査させたところ、不正アクセスは海外のサーバーからだったと聞かされた。
まさか自分が情報漏洩の対象になるなど考えていなかったが、それこそが勝手な思い込みだった。
2020-07-08
吉日と言われても
2020-07-06
様式美、とは言わないが
将棋の世界で何が起こったか。オンラインで将棋を行うことは技術的には何ら問題はない。既にずいぶん以前からアマチュアたちは、ネット上で対局を楽しんできた。
だが、この時期に及んでもオンラインでの公式戦は行われていない。その理由は、伝統文化の様式美が重視されているからと聞いた。
へ〜え、と唸った。これをどう考えるか。オンラインでも簡単にできるのだから、そうすればいいじゃないか、というのは一法。きちんと対戦両者が将棋盤をはさんで向き合うという「型」、すなわち様式美が公式戦の対戦をそうであると形作っているというのも一法。
今日、この4月からの新学期で初めて学生と直接会った。研究室で、大学院生に修士論文の指導を行った。時間をおいて2人。将棋の対戦と同じで、Zoomでも可能。だが、やはり直接会って話していると話題の拡がりが画面上とは違うことに気づく。
こちらは様式美というほどたいそうなものじゃないが、ネット上とは異なる実感を久しぶりに充分に感じられたのが収穫だった。
2020-07-05
Black Lives Matter
それに対してあるジャーナリストなどは、その日本語が黒人差別の事実を矮小化していると批判している。何を批判しているのだろう。「黒人の命が大切だ」と言いたいようだが、これまでの歴史と人種の問題を契機に起こってきた数々を考えれば「黒人の命も大切だ」と表現するのがもっとも適切に僕には思える。
そういえば、マイケル・ムーアが制作し、2018年に公開した映画『華氏119』にも黒人らがBlack Lives Matterと権利の主張を掲げて行進しているシーン(下の写真)があった。一瞬だけど。
![]() |
| 『華氏119から』 |
2020-07-03
あじさいの藤森神社
2020-07-02
千本ゑんま堂
午後7時から風祭りという特別祈願会に参加した。梶の葉に願い事を書き、それを祈祷いただいたのち、お堂に貼られた紐に吊して願をかける。これは七夕の時に願いごとを書く短冊の原型である。吊された梶の葉は時間が経つにつれて願いごとを書いた葉の表が丸まり、自然と他には見られないようになる。
2020-06-29
光をなくしたアップル
昨日、新しいMacBook Airが届いたーー。これまで使っていたのは2013年版のMacBook Pro。自宅と研究室で同じ機種を使ってきた。だから、新しい機種はいくぶんキーボードのタッチなどに違和感を感じなくもない。しかし、そうしたことは次第に慣れるのだろう。
新しいだけあって起動が早いのがいい。
ただ、光るリンゴマークがないのに気がついた。それまで使ってきた機種は、電源を入れるとリンゴのマークがディスプレイの光を使って白く光った。
使っている時、そのリンゴマークの光は利用者には見えず、また当然ながら性能にはまったく関係ない。ただのデコレーションである。
しかし、それこそがアップルの証明だったのに、なんとも残念な気持ちだ。Airでは、2018年のモデルからトップのリングマークが光らなくなっていたらしい。
コネクタを本体に差し込むわけではないので、充電コードを足か何かに引っかけてしまった際にもすぐに外れ、本体には何も損傷を与えないように考えられていた。こうしたユーザー思いのところがアップルらしかったのだけど。
もうひとつ、細かいことだが、MagSageコネクタからUSB-Cタイプの充電コネクタに変わってから、そこにあったちっちゃなLEDのランプがなくなってしまった。充電時は橙で、充電完了時は緑で点灯していた。
どれもノートブックの性能そのものには関係しない。しかし、だからといって無駄というものではなかった。どれもが、すこぶる「アップルらしさ」を象徴する「デザイン」だったのだ。
20年以上にわたってアップル製品のデザインとソフトウェア部門の責任者を務めていたアイブの目が行き届かなくなっていた、あるいは彼がその現場から退いていたということじゃないかな。
2020-06-21
花の名は「ハナノナ」で
裏の土手にいろんな野草が咲き乱れているのがしばらく前から気になっていて、それらの名前を知りたくて、ネットで「野草図鑑」を買おうと探しているうちに、花の名前をAIが教えてくれるアプリがあることを知った。
さっそくApp Storeで探してみると、従来の図鑑を電子本にしたものとスマホで撮影するとデータベースから検索して名前やその他の情報を示してくれるものがあった。
利便性から言えば後者で、なかでも千葉工業大学が開発した「ハナノナ」というアプリは優れものである。それに無料なのがありがたい。
使い方は実に簡単、アプリを起ち上げ、そのままスマホで植物の写真を撮るだけ。瞬時に、その写真に花の名前を表示してくれる。データベースをもとにしたこうした限的的なAIの使い方こそ、AIが一番役に立つ側面である。
散歩の楽しみが倍になった。
2020-06-13
川に放り込め
この銅像のモデルはコルストンというイギリス人。17世紀に奴隷売買の商売で巨万の富を貯えた人物である。
20世紀が始まろうとする頃、誰かがこの人物の偉業を称えて彼の銅像を町の真ん中に建てたらしい。そして、100年以上も街の象徴の一つとして市民に仰ぎ見られていた。
世の中にあまたの職業があるが、そのなかで間違いなくサイテーなのが奴隷商人である。銅像撤去を求める市民の声は以前からあったらしいが、それでも「コルストン偉い!」とする連中がこれまで撤去を許さなかったのだ。
こうした人物の銅像は皆で川へ投げ捨てるか、あるいはその悪行を誰もが忘れないようにそこに置いておいて、みんなが腐ったトマトを投げつける的にするのが正しい。
2020-06-10
H型ジョブとO型ジョブ
テレワークで仕事が進むと判断した企業の中には、オフィスを早々に解約し始めたところも出てきている。
COVID-19以前も在宅勤務が一部で認められていた企業はあったが、それは特殊な例だった。だが今回、企業などは否応なくオフィス出勤を禁じざるを得なくなり、社員が在宅でも仕事ができるように仕組みや環境を整えたら結構できてしまった、というのが実感だろう。
テレワークのメリットは大きい。通勤そのものが不要になるので、時間、コスト、疲労とストレス軽減の点で社員と企業の双方にプラス面が大きい。
これから職種を選びながらだが、やがて事務的な仕事のほとんどは自宅でネット環境の元で行うことが一般的になっていくだろう。
ただ考えなければならないのは、世の中になかったようなクリエイティブなものを創り出すような仕事は、やはりそれなりの連中が集まり対面で集中的にやらなければダメだということ。
自宅勤務だけで問題なくできる比較的ルーチン化された仕事を、僕はH(ホーム)型ジョブと名付けている。
それに対するのが、選ばれたメンバーが集合し新たな創造を目指して密な空気の中でやることが求められるO(オフィス)型ジョブである。もちろん実際の場所はオフィスに限らない。集まって集中的に仕事ができる場所という意味である。
今後のホワイトカラーの仕事を考えた場合、純粋なO型ジョブ、H型ジョブ、その中間的なH/O型ジョブという構成になるだろう。
2020-06-09
「僕はラジオ」
世界の各地で「Black lives matter」のプラカードが高く掲げられている。日本でも大阪でデモがあったと聞いている。
昨日、アマゾンのプライムビデオでたまたま「僕はラジオ(原題は Radio)」を見た。2003年に製作されたアメリカ映画だ。
知的な障害がある黒人の少年が主人公で、彼と高校のフットボール部のコーチ、そしてその家族や高校生たち、町の人たちとの交流と関係を描いた実話に基づいた映画だ。
あまり期待せずに見始めたが引き込まれてしまった。登場人物はステレオタイプ化されているが、誰もがどこにでもいそうな普通のアメリカ人に思える。フットボールコーチのエド・ハリスがいい。
黒人差別への凄まじい怒りが世界中で吹き出ている時だからこそ、この映画は他の人にも見て欲しい。
2020-06-07
50日ぶりの電車乗車
駅でSuicaの使用履歴を調べたら、電車に乗るのは50日前に使用して以来のことだった。
4月の利用履歴は、これ1回だけ。外出自粛から緊急事態宣言発令、そして解除。その間、何回か大学の研究室に機材や資料を取りにいってはいるが、車で行ったのを思い出した。
これほど移動しなかったのは、自分の一生でも初めてのことだと思う。そして移動しなくても日常生活が送れ、仕事もこなせ、むしろ空いた時間のゆとりを楽しめることを知った。 移動しなくてもよいというのは、実は楽だ。
かつて狩猟・採集で移動しながら生きていた人々が農耕・牧畜を行う技術を身につけ、土地を見つけた結果定住するようになった。一旦動かなくなった人たちは、狩猟生活には戻らない。
それと同様とまでは行かないだろうが、人々の移動性は以前に比べ低くなっていくに違いない。今回の新型コロナウイルス感染が引き金だが、インターネットが我々の日常を変えたことがもちろんその背景にある。
2020-06-04
うちのアレクサは中国人だったのか?
早口の中国語で、電話か何かでしゃべっているような感じの口調だった。何をしゃべっているのかは分からないまま、それが30秒ほど続いた。何だったのか。
いずれにせよ、これからは家で電話するときやZoomするとき、アレクサやグーグル・ホームのマイクは切ることにした方が良さそうだ。
2020-06-02
フェイスブックの本性はどこに
ジョージ・フロイドという名の黒人男性が、5月25日に米国ミネアポリス近郊の地で警官から暴行を受けて死亡した。暴行が死因であることは、医師が確認している。
すぐさま全米で「Black lives matter(黒人の命だって大切だ)」というプラカードを掲げた多くの米国人が各地でストに入った。その速さと勢いは凄まじいもので、1960年代の公民権運動を思い起こさせるほどだという。
そうした抗議活動が広がるなか、米国のトランプ大統領がよりによって「略奪が始まると銃撃も始まる」とフェイスブックに書き込んだ。これは、1960年代の人種間対立が深刻化したとき、警察幹部が口にした言い回しらしい。これが火に油を注いだ。
トランプによって同じ書き込みがされたツイッターは、その書き込みが暴力を賛美しているとして掲載時に注記を加えた。
一方でフェイスブックはトランプのメッセージを容認し、CEOのザッカーバーグはFOXテレビやフェイスブックを通じて「表現の自由を尊重する。書き込みをそのままにする」と表明した。
フェイスブック社では社員も含めて抗議が起こり、社員の一部が仕事を拒否する「バーチャルスト」に突入した。フェイスブック社にもそうしたまともな神経を持った社員がいたということだ。
といっても、あのザッカーバーグが率いるフェイスブックという企業ほど油断も隙もない悪辣企業はないことに変わりはない。
2020-06-01
税務署らしくない不始末
提出先の税務署は自宅から自転車で5分の距離。昨年は、申告書類一式を封筒に入れ神奈川税務署を訪ねたのだがすぐには受け付けてくれず、「列に並んで」と言われ、ただ書類を渡すだけだと思ったのに他の申告者と同じ列で1時間近く待たされた。
郵便で送るのと一緒だから置いて行かせてくれと頼んだが、中身を担当が確認した上で受け取るので列に並べという。郵便や宅配便で送られてくれば、そのまま受け取るのにヘンだ。
列に並んでいた他の人たちは、多くが申告内容の相談だったり、その場で書類を作って提出しようという人たちだった。申告書類を提出するだけだからと言ったにもかかわらずこの扱いにほとほと呆れ、今年はわざわざ税務署より遠い郵便局まで足を運び、簡易書留で書類を送った。
今年、3月下旬にその税務署の職員から修正が必要がある旨の文書が送られてきたが、緊急事態宣言が解けるまで放っておいた。
そこでの相手の言い分は、医療費支出の証明書が付いてないから提出せよというもの。長年やっているこの申告で、今さら手続きを間違えるはずはないという自信がある。既に提出はなされているはずだと主張して、彼らに税務署内の倉庫を探せたら、やっぱり税務署内の別の場所に保管されていた。
彼らに「お前らが探せ」と主張せず、相手の言う通りにこちらがその書類を自宅内で探していたらどうなっていたか。「ある」ものなら時間をかけて探せば見つかるが、「ない」ものをいくら時間をかけて探しても見つかるはずはない。
そうした自滅プロセスへ入って行かなくて、つくづくよかったと安堵した。
僕に書類の不備を指摘し、既に提出済みの書類の提出を求めてきていた神奈川税務署の職員は、今年の3月31日付で定年退職していた。
退職を一年以内に控えた職員に、こうした現場の仕事をさせるべきではないな。仕事が荒れる。モラルハザードが起きる。今回は、その典型例である。
新型コロナウイルスの残滓
感染防止という面から不安はある。どこにウイルスが潜んでいるのか、誰にも分からないから。
だが、心理面ではそろそろ限界に近い頃で、その面では誰もがほっとしているんだろうと思う。これからバック・トゥー・ノーマルと言われているが、社会全体が以前の状態にうまく戻っていけたらいい。第2波が来なければと願っている。
人は、喉元過ぎればなんとかで、すぐ忘れてしまう生き物。自分もだから、この2ヵ月の記憶が残るカタチを残そうと考えている。
これを機に坊主頭にしようかとか、車をスポーツカーに買い換えようかとか(なんで?)考えたが、髪の毛はすぐ伸びるし、車も車庫に入れたままでほとんど乗らないから止めにして、家の中を以前とははっきりと印象が違うカタチでものを減らすことで変えようと思う。自分自身が、後にあれは(第一次)新型コロナウイルス感染の時だったなと思い起こせるように。
自分が忘れないようにということに加えて、ものを減らしておきたいとの考えもある。今回の感染被害者の実際の例だが、その人は発熱して3日後に入院。検査でコロナウイルス陽性と判明。すぐに隔離。誰にも会えないまま17日間治療後、死亡。死体は即刻焼却。翌日に骨壺が家族に届けられた。
あっという間のことで、残された人たちは言葉にならなかったことだろう。こうしたことが、実際に起こりうる。
感染し、症状が進むと肺の中にガラスの破片を吸い込んだような凄まじい痛みがあるという。その痛みに襲われ、家族とも対面できないままやがて息絶えるなんて、地雷を踏んで吹っ飛ぶより悲しい。
もしものこと、万一のことを考えて、身辺は軽くしておいた方がいいように思っている。
2020-05-31
グローバルと言うほど、グローバルから遠ざかる
そうした用語自体が間違っているわけではない。それらをよく使う人たちが、大抵はヘンなのだ。
経験的に言えば、これからはグローバルな視点でビジネスを考えていかなければいけない、などという連中にかぎってグローバルのグの字もその経験にも頭にもない連中が圧倒的に多い。
同様に、イノベーションという言葉を金科玉条のごとく振りかざす経営者や経営学者に限って、まったく創造性のかけらもない。これだけは断言できる。
えっ、なに? あなたの所属している部署の名称が今度「グローバル・イノベーション推進部」に変更されたって? 困ったね。
2020-05-30
来た、アベノマスク
ありがたいような、どうでもいいような。たまたまエレベータで一緒になった犬の散歩帰りのご近所さんと、お互いが手にしたアベノマスクを見て苦笑いである。
このマスク、ガーゼに厚みがあってしっかりしているが、なぜかすごく小さい。これじゃ飛沫がもれもれだろうに。
誰かが、テレビに映る安倍晋三のマスク姿を見て「小学校の給食当番みたいだ」と言ってたが、確かにサイズや形がその通りだなと納得する。
2020-05-29
思考の積み重ねと展開性
本を読み、それについて語ることは、その人のものの考え方、生き方、人との関わり方が実に反映されると思う。
どういった理解の仕方や感じ方が正しいとか正しくないとか、そうしたものはなく、捉えるべきものはそれが自分が考え、思い当たったものとどれだけ違うかだけ。そしてそれはなぜかと思いを巡らせ、互いに質問し、議論する。
他者の考えを聞いていて、それまでの己の思考が裏切られ、新しい光が差してくる。そしてまた、自分の思考が新たな展開とともに深まっていく。
とりわけ、これまで研究会で取り上げてきたニーチェやスピノザ、パスカルなどとの関連が語られると、はっとさせられる。
2020-05-27
企業に所属するか、参加するか
JR東日本の元社長だった松田昌士氏が亡くなった。84歳。彼は1993年から2000年まで7年間、同社の社長だった人物。
報道によると、同氏のお別れの会の連絡先はJR東日本(東日本旅客鉄道株式会社)の総務部・法務戦略部となっている。
社長を辞めて20年が経っている。故人の業績を称えてということだろうが、違和感が強い。
日本人の就職は所属(あるいは従属)だ。それは就社と言い換えられる。一方、欧米では所属するのではなく謂わば参加であって、組織とのより対等で柔軟な関係が見られる。だから、組織のために命を捧げるなどまずあり得ない(あるとすると軍隊くらいだ)。
冷静に考えれば、そうした対等な関係が当たり前だとわかるはず。だとすると、20年前に社長をやっていた人物が亡くなった会を、その人が元いた会社が執り行うのはどう考えても奇妙と云わざるを得ない。
そこにあるのは、組織と人に染みついた「会社社会・日本」の姿である。
誰が「ニップン」に入社したいだろうか
その会社が、製粉事業以外にも事業を拡大し、総合食品会社を目指すことを目的に社名を4月1日から変更するという。その新社名は、ニップン。日本製粉からとったニップン(日粉)である。
これからその名前で、どうやって新入社員を集めるつもりだろうか。自分が新卒大学生だったら「ニップン」という名と響きの会社には入りたくないナ。
社名変更という大切な意思決定をする前に、調査のひとつもやったのだろうか。たいして金も時間もかかりはしない。
2020-05-26
匿名でものを言うのは、カッコ悪いぞ
2020-05-22
これを犬と言うな
新型コロナウイルスの感染拡大防止のために人々が適切な距離を保っているかをチェックするためらしい。
それはいいが、これが犬か!? ロボット犬と言われているようだが、犬好きとしては絶対に納得できない。
4本足で移動し、大きさが大型犬程度だからか? 不気味だ。
2020-05-18
IoTは、犬・オブ・シングスだとか
やっとアイボと家電製品の連携が進み始めたらしい。いつまでも、ただガシャガシャ歩く音がうるさいただの犬型ロボットじゃしょうがない。
アイボは飼い主の声もよく聞き分けられるし、自分で充電もする。アプリで飼い主がどこにいたって様子を確かめる事ができるのだから、留守中に何か仕事(お手伝い)ができるようになってくれないかと思っていた。
ただ報道によると、いま考えられている構想はテレビや掃除機ロボット、電子レンジ(!)との連携らしい。なんかまだまだみたいだ。
2020-05-17
放送大学はどこへいく
最初はどうなるかと思ったところもあったが、何とかなってる。確かに相手が社会人大学院生だから、というのはある。
学部の1年生(18歳)の授業を担当している先生などは、いろいろ苦労が多いという話を聞く。授業の中身をどう伝えるかという以前に、学生によってはネット環境が整っていなくて遠隔のクラスになかなか参加できないとか。
教員もほとんどが自宅からだから、相手の状況を手に取るように分かるわけではなく、そうした授業以前の問題の解決に時間と労力を取られている。
セキュリティの問題が取り沙汰されたりはしたが、Zoomがほぼ一般的なツールとして利用されているようだ。懸念はメンバー以外が紛れ込むことことで情報が漏洩するリスクがあるというのだったが、もともと所詮は大学の授業だ。秘密などない。まあ、あるとすれば、学生の個人情報(誰々は勉強ができない、とか)くらい。
遠隔教育といえば、日本では放送大学がすぐ頭に浮かぶ。それが設立されたのは1981年だから、40年の歴史がある。
しかし不思議なことに、今回日本中の大学教育機関がキャンパスを閉じ、遠隔授業の実施を迫られたとき、僕が知る限りではどこからも放送大学を手本にしようといった考えはみじんもなかった。
40年の遠隔教育の歴史があるのであれば、本来はそこが日本の司令塔として様々なノウハウを各機関に提供するのが道理なのだが。放送大学には実質的なノウハウや教育の技術は何もないのを皆が見て取っているということか。
2020-05-11
9月入学が始まるかもしれない
その断ち切れない一例が、学校への4月入学、3月卒業、企業への一括採用による4月入社などだ。そこでは真の合理性はほとんど考慮されていない。
毎年、2月や3月になると、大雪の中を長靴を履き、顔一杯にマフラーを巻いた受験生が受験場である大学に向かう様子がニュースで流れる。電車などの交通機関の遅延で受験に間に合わなかった高校生の話なども。
またその時期は、例年インフルエンザの流行時期とも重なる。それまで一所懸命準備してきて、インフルエンザや風邪に罹患して目的の大学の入試が受けられなかった若者も多数発生する。
本当に時期が良くないとおもう。学期の始まりを9月にすることで、そのあたりは大いに改善できるはずだ。
9月入試の考えに対しては、全国の多くの教育委員会が反対している。混乱を招くとか、社会全体の仕組み中で考えるべきだとか、もっともらしい事をいっているようだが、要は変化を好んでいないだけだ。 変化に対応するのが億劫なのである。おじさん、おばさんらは。
9月入試に関して、ある新聞社が世論調査を行った記事を目にした。 9月への移行への賛成は56%、反対は32%。ただ、重要なのは若い人ほど賛成への意向が強かったということである。
18〜39歳では、賛成=66%、反対=28%
40〜59歳では、賛成=59%、反対=32%
60歳以上では、賛成=50%、反対=35%
それぞれのグループの標本数は分からないが、もしそれぞれの標本数が同数であるとしたら18〜59歳での賛成者率は63%、反対は30%でダブルスコア以上になる。
60歳以上の意見などは、ただ参考程度にするだけで十分だろう。
コロナ禍で生徒たちが学校に行けない特殊な状況下での調査結果であるが、9月へ入学時期を移行するメリット、デメリットを整理し、移行するなら早々に実行した方がよい。
2020-05-10
配信解除からみる顧客志向度
授業はZoomでやっている。個人的なコミュニケーションはメールである。トラフィックが増え、種々のやり取りを整理しておいた方が良さそうに思い、これまで放置していた広告メールを処理することにした。
広告だけでなく、いろんな企業から勝手に届くメールも当然含めてのことである。一度会って名刺交換をしただけで、ずっと毎週個人のメールニュースを送ってくる自称コンサルタントも結構いる。
不要な受信メールを一気に減らそうと考え、迷惑メールのフィルタ強度を上げ、勝手にメールニュースを送付してくる企業のものはオプトアウトすることにした。今では日本企業のものでも、「配信解除」や「unsubscribe」のボタンを押すことでメールの配信を止めることができる。
ただ、なかにはそのために登録IDとパスワードでログインすることを求め、その後も面倒臭い手続きをわれわれに要求するところもある。そうすることで現受信者の解除手続きを減らす目的だろう。相手がメールを読もうが読むまいが関係なく、広告掲載料金のために送付先数をなんとか保っていたい企業だ。
そうした考えが、結局のところどんな感情を相手にもたらすのか、そしてどう彼らのビジネスに跳ね返ってくるかをどうして考えないのだろう。
2020-04-25
パスカル『パンセ』から
多くの時間を家の中で過ごし、感染者拡大の数字の移り変わりを見聞きし、いつの間にかそうした目先の情報へ意識が振り回されていると感じているときに、こうした古典をじっくり読み、深く議論をするのは極めて良質な浄化であるように感じた。
『パンセ』は924(編纂によって異なる) の断章からなる一冊だが、そのなかにこうした一節があった。
われわれは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方に置いた後、安心して絶壁の方へ向かって走っているのである。(断章183)この本が出版されたのは17世紀のこと。 だがこれって、今の状況と変わらない。
恐怖と不安
ひとつは、自分が感染者になってしまうのではという恐怖感。もう一つは、すでに自分がもう感染者になっていて、そのため知らず知らずに周りを感染させてしまうのではという不安感である。
前者は意識してコントロールできる。外出を最小限にひかえる、人との距離を確保しておくなど。だけど、後者は厄介だ。すでに感染しているかどうかは、熱が出るとか、嗅覚に問題があるとか何らかの身体的な症状が発症するまで分からない。
その不安感を払拭するのは検査して確認するより他ない。にもかかわらず、検査が容易に受けられない。この国では。
すでに機動的に大規模検査を実施済みの他国に比べて、医療行政の問題が大きいように思う。何かやる際に、やけに慎重なのだ。役人は、やったことがないことをやって何か問題が発生すると責任を問われちゃうと思い、すぐ自己保身のブレーキが働くから。
役人、あるいは「官」という人間たちにとっては、国民の命より責任回避の方がよっぽど大切。だからわれわれの命などはいつも置いてけぼり。3・11の対応も、先の大戦での終結までの過程もそうだった。
行政は国民の顔色をうかがいつつも、全身やけどした患者に一枚一枚バンドエイドでも貼るかような対応しかしていない。効果的ではないし、それらは「ありがたい国からの施し」に見えて、実はすべて国民がかかえなければならない負債(将来の税)として積み上がる。
2020-04-11
人口単位あたりの新型コロナ死亡者数
見ているうちに、多いのか少ないのか、分からなくなってきた。自分が住んでいる町内の話ではなく、国家レベルだったり、あるいは全世界でという話だからである。
仮にだが、日本国内で100人が亡くなったとすると、それは人口比では100万分の1以下である。統計的には誤差の範囲である。もちろん人一人の命はそれぞれかけがえのないものであることは分かっているが、その数値のインパクトをどう捉えるかは冷静になった方がいい。
下記のグラフの元は、札幌医科大学が公表している人口あたりの新型コロナウイルス死亡者数の国別の推移を示したグラフである。https://web.sapmed.ac.jp/canmol/coronavirus/death.html
縦軸に対数を取り、その変化がとても分かりやすく見て取れる。イタリア、フランス、英国が圧倒的に死亡者比率が多い。イタリアは国民3,300人に1人がこのウイルスで亡くなっている。日本は15万人に1人だから、その差の大きさに驚く。
また注目したいのは、その伸びの変化率である。ヨーロッパ諸国を中心にその伸びは大きく、また似通っている。 そうした中で、日本と韓国だけが相対的に緩やかになっている。
もう一つ特筆すべきなのは中国だ。世界で最も早く新型コロナウイルスによる死者を出してきたが、3月5日時点でイタリアがその死亡者数を抜いた。中国のそれはというと、それ以降ほとんど数値はフラットのまま。これをどう考えるかだが、個人的にはあの国らしく正直に数字を公表していないのが理由だと考えている。
日本においても注意を怠ることなく、少しでも早く終息の方向に持っていく必要があるのは言を俟たない。しかし、毎年インフルエンザだけで3,000人以上が亡くっていることを考え合わせれば、いまの騒ぎというか、国民の不安の度合いは度を超していると言えなくはないか。
2020-04-04
C.D.Cが一転、マスクを推奨
わざわざ cloth masks(布マスク)とうたっているところを見ると、どんなマスクでもいいからしたほうがいい、という感染が急拡大する切羽詰まった米国内での状況がうかがい知れる。
2020-04-01
一律自粛は思考停止である
そうしたことをよしとして、「きちんと守る」のがまるで知性のある大人の振る舞いのように語れているが、そうだろうか。ただ正体のないものに過剰におびえ、合理的な判断を放棄して周りの意見に流されているだけはないだろうか。
もちろん感染の拡大は防がなくてはならない。しかしそのことは、まるで無人島に一人で暮らすことがそのための理想的な方法であるというような発想とは異なる。無駄なこと、過剰な対応をしても無意味だからだ。
感染を怖れてマスクやトイレットペーパーを大量に買い込んだ人たちがいるが、思考停止の典型だろう。WHOや米国CDCは、マスクは感染予防にほとんど無意味だと発表している。そりゃそうだろう、一般のドラッグストアで売っているガーゼのマスクでウイルスが防げるかどうかは、見ればわかるはず。
自分が感染者の場合、他に飛沫を撒き散らすのを防ぐには役立つ。マスクを大量に買い占めた人たちは、自分が感染したときに他人にうつさないようにするのに備えてか。見上げた根性だが、もし感染したらマスクして出歩かないで入院治療してくれ。
熱のある人は出歩かない、熱のある人には近づかない、手洗いやうがいは励行する、あとは万一の時に備えて免疫力が落ちないように食生活や睡眠に気を付ける。持病や重篤な疾患を抱えてる人は別として、そのうえでなるべく普段の生活を取り戻すようにすることが大切だと思う。
昨夕、市内の映画館に出かけた。電車はがらがら。それでもいちおう人が少ない車両を選んで乗車して。
2011年の東電福島第1原子力発電所事故を描いた「Fukushima(フクシマ)50」を上映するシネマコンプレックスの一劇場、131席のところ、観客は最初から最後まで僕ひとりだった。これなら感染しようもない。
2020-03-31
複業を始めるチャンスだ
社会人学生らに今の働き方を訊ねたら、その多くがテレワークに移行してることが分かった。
なかには入館証を電子的にロックされて、出社したくても事前に上司の許可を取らないと会社に入れないケースも。
ひょんなことから始まった本格的な働き方改革である。世の中が一変したように見える。人の働き方だけじゃない。電車も新幹線も空いている。レストランも映画館もデパートも空いている。一方、宅配便の仕事をしている人は忙しくて大変そうだ。
テレワークを始めた人は、この機会に複業を考えてみるといい。これまで毎日費やしていた往復の通勤時間や無駄な会議に奪われていた時間が自分に戻って来たのだから。
それを有効に使って新しいことにチャレンジすることを本気で考えてみてはどうだろう。
2020-03-27
君はRBGを知っているか
憲法の前文は崇高で、国民の一人として自信と誇りを感じさせる。が、と同時に、今の政治家や官僚が明らかに憲法に反した多くのことを行っていることに気づく。憲法が平気でないがしろにされている日本は、不思議な国だ。
急に日本国憲法を読もうと思い立ったきっかけは、ルース・ベイダー・ギンズバーグを描いたドキュメンタリー「RGB 最強の85才」を観たから。彼女は米国の法律の専門家として70年代から性差別にかかわる数々の訴訟にかかわり、米国という国を平等な社会に向けて変えてきた一人だ。
RBGと頭文字で呼ばれて若者たちから愛され、いまやロックスターなみのアイコンになってる85歳のおばあちゃん。カッコいいね。
2020-03-26
横のものを縦にする
2020-03-23
一年遅れで考える
目は半眼に閉じ、聞こえてくるものは右から左に流してしまい、その中で自分の心の奥底に引っかかったものだけを取り入れて過ごしていったほうがいいんじゃないかと思ったりする。
2020-03-22
山中先生による新型コロナウイルス情報の発信サイト
iPS細胞研究所長の山中先生が、新型コロナウイルスについての情報発信サイトを個人でオープンした。
https://www.covid19-yamanaka.com/
書かれていることはとても分かりやすく、世の中に流布している情報をエビデンスがあるものか、そうでないものかに分けて説明してくれている。
例えば、「暖かくなると終息する」という話はエビデンスのない情報、つまり単なる与太話ってこと。テレビの番組で感染の専門家と紹介されていた研究者がそう話していたけど、信じるに足るものじゃなかったのが分かっただけでもよかった。
少なくとも賀来満夫というトンデモナイ「日本の感染症対策の第一人者」の話が、さも専門家の分析として国中に流れている現状を修正してくれそうだ。
https://tatsukimura.blogspot.com/search?q=%E8%BF%B7%E6%83%91%E5%8D%83%E4%B8%87
まだワクチンは開発されてなく、効果の証明された治療薬も見つかっておらず、山中先生は今回のことを1年は続く可能性のある長いマラソンと語っている。
心してかかる必要がありそうだ。










