2026-03-08
『話す力』『聞く力』『叱られる力』についての話
2026-03-03
自分自身の〇〇を持つ
ヴィオラ奏者・今井信子さんへのインタビュー記事を読む機会があった。
ヴィオラは日本ではバイオリンに比べて注目度の低い楽器だが、甘くふくよかな響きを聞かせてくれる弦楽器だ。その音域は人の声に近く、聴く人の心に響く音色である。
彼女はオーケストラに属さず、ソリストとして長年活躍してきた。もともとバイオリンを弾いていたが、音大時代に演奏旅行で訪ねた音楽祭(ボストンのタングルウッド)でヴィオラのソロを聴いて虜になり、バイオリンから転向したらしい。
当時の日本ではこの人といった指導者がいなかったため渡米。エール大学の大学院で学び始めたが1年で辞めてNYのジュリアード音楽院に入り直した。
その後イリノイ州の弦楽四重奏団で経験を積み、その後は欧州へ拠点を移す。そうやって、道場破りのような武者修行を行いながらヴィオラ奏者の腕を磨いてきたという。
今は自宅からネットで簡単に楽譜をダウンロードできるし、ストリーミング・サービスで聴きたい音源にいくらでもふれることができる。だが当時は、楽譜も音源も簡単には手に入らなかった時代。
そうした不便な時代を、彼女は最高だったという。
すべて自分で見つけていかなければならなかった。自分で譜面を探して、音源に頼らずに演奏をつくり上げていく。その作業は何よりも楽しかった。不便だったけれど、最高でしたね。
それは彼女にとって、想像力を働かせながら自分の音を探し求めることだった。
誰かの音源を聴くのは簡単です。でもそればかりだと、真似をするだけになってしまいますから。
ヴィオラ奏者として、今井さんはつねに自分の音を持とうとしてきた。
いまは誰もが真似することだけ上手になっている時代だ。だが音楽家でなくとも、その気持ちがあれば誰でも自分の発想を持つ、自分の表現を持つ、自分の言葉を持つことはできる。
AIにそうした大事な作業を奪われないようにしないと、と思う。
2026-02-21
顧客にとって便利なのはどっち
たまたま2つのクレジットカードの有効期限がそれぞれ近づき、切り替え用のカードが手元に送られて来た。一つは日本の銀行から、もう一つはアメリカの銀行。
これまでもそうだったが、日本のM銀行からはある日突然に「簡易書留」が来た。郵便局からの配達があった日は留守だったので、不在連絡票をもとに後日の再配達を依頼。で、指定日は受け取りのサインをするために自宅で待つことに。
ほぼ同じタイミングで、citibank(米国)から、まもなく新しいカードを発送する、発送元が記されてない真っ白の封筒で送付する、とのメールが来た。また数日後には、カードを本日発送したとのメールが来た。
翌週、その通りの封筒が届いた。入っていたカードはそのままではクレジットカードして使えない状態で。つまり、ただのプラスチックのカード。
アクティベーション(有効化)用のURLにアクセスするか、QRコードをスマホで読み込んでカード番号、ユーザーID、パスワード、口座番号を打ち込む。そうすることでクレジットカードとして使えるようになる。
これなら普通郵便でそのまま届くから、自宅で受け取りのサインをする必要はなく、セキュリティも確保されている。
有効化の手続きは2、3分ですむ。しかも、現行のカードはまだ1か月以上使えるのだから、自分の都合がいい時にやればいいだけ。
なぜ日本の銀行は受取人サインが必要とされる書留の郵便で送ってくるのだろう。それは一体誰のため?
このあたりが企業のサービス思想の違いである。
顧客の利便性の点で、どちらのやり方が優れているかは明らかだ。もし客の側が書留送付を好んでいるから、というのを理由にするなら、カード送付前にどちらを選ぶかユーザーに尋ねて選択してもらえばよい。
それだけでも顧客の満足度は確実にあがるはずなんだけどね。どうしてそれが分からないんだろう。
2026-02-20
報奨金付きの通報制度をどう見るか
茨城県は2022年から2024年の3年連続で不法就労者数が全国で最多だった。
だからどうした、と思うのだが、行政の長はそう考えないらしい。県知事はそれを不名誉と考えたのだろう。そしてその不名誉の座を返上するための対策として、不法就労の外国人に関する情報を市民から募ることで積極的な摘発につなげることを決めた。
その目的で4月に創設するのが通報者に賞金を与える「通報報奨金制度」であり、担当部署である県の外国人適正雇用推進室の職員によると、既に制度のスキームはほぼでき上がっているという。
予算が絡むことなので、議会の承認はどうなっているのか訊ねたら、今月下旬か来月あたまの議会にかけ、そのまま通ると考えているとの回答。そのとき口にはしなかったが、なるほど茨城県は自民王国だからな、と思ってしまった。
摘発された外国人労働者は、国外退去を国から命じられるかもしれない。それについてどう思うのか訊くと、少し言葉をためらった後、自分たちは通報をもとに不法労働者かどうか確認し、その後警察に身柄を渡すだけだと。
この制度、通報者に金が支払われる点が気になる。つい先日の衆院選でも、内容の正否やイデオロギーにまったく関係なく、ただ広告費目当てのアクセス数稼ぎのための切り取り動画が世の中に蔓延したことを思い出す。
小遣い稼ぎでそうしたことを平気でやる連中は、今度は外国人と見れば、彼らがどのような人物なのか確認もせず、報奨金目当てで通報するかもしれない。
またそうでなくてもこのような制度ができることで、人々は自分の周りにいる外国人に対して彼らをひょっとしたら不法就労者ではないかという目で見るようになり、日本人と外国の人たちとの間の亀裂がさらに大きくなっていくことが危惧される。
茨城県内の不法就労者は農業分野を中心にした労働者が多いという。その根本のところが何なのかを考え、問題を解決することの方が重要なのではないか。
不法就労者を雇用している農業分野の雇用主たちは、ただ安い労働力が使えるという理由でそうした外国人を雇ってるのかもしれないが、一方で農業を営んでいく上での働き手そのものが逼迫し、彼らで埋めなければ立ち行かなくなっている現状があるのかもしれない。
その場合、農業分野に従事する不法就労者と呼ばれる労働者をただそこから排除するのが適正な措置なのかどうか疑問がある。
そもそも不法就労に従事する外国人は、入国管理局によって入管難民法違反とされ退去強制手続き等が取られた人たちである。だから、まともに働こうにも働けないのだ。糊口を凌ぐためにはそれが不法と知りながらも、働ける口があるならばそれに頼るしかなくなる。
茨城県の大井川知事による今回の決定は、昨今の移民排斥に向かう政治の流れに乗ったものだろうが、本来は人権の問題も含め、これから日本がどうやって国内にいる外国の人たちと関係を築いていくのかを考えることが先のように思われてならない。
2026-02-19
首相が女性から支持される理由
日経などが実施した世論調査で、高市内閣は69%と高支持率を示した。
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| 日経本紙2月18日 |
石破、岸田と比較するのもなんだかなという感じではあるが、若い人たち、とりわけ女性からの人気(支持)が高いというのには、いささか首を傾げてしまう。
ましてやタカ市首相が使っているアクセサリーやバッグを彼女にあやかって使いたがる「サナ活」だとか、訳が分からない。
現首相を支持する女性たちに文句を言う筋合いはないが、本当にそれでいいのかと心配になる。選択的夫婦別称制度すら認めようとしないタカ市を、彼女らはどうして支持できるのだろうかと。
首相は、裁量労働制の適用幅を拡大し、国民が働いて、働いて、働いて、働く日本を目指しているようだが、それで一番割を食うのは高度な専門性をもたないアナタたちかもしれないんだよ。
首相を支持し、同じブランドのバッグやアクセサリーを手にして喜んでいる若い彼女たちは、職場での自分の労働環境がそれでどう変わるか不安を持たないのだろうか。
さらには自分の夫、また将来的には子どもが戦場へ送られるような状況になっても構わないと覚悟しているのだろうか。
支持する理由を考えてみたのだが、ひょっとしたらタカ市を支持する若い女性らは、首相官邸で彼女がまわりの男性たち、しかも年上のおじさんたちの上に立ち、引き連れている姿にシンプルに力強さと憧れを感じているのではないか。
それは普段、彼女たちが職場などで年上の男たちから納得がいかない形で頭を押さえつけられるなどして鬱憤がたまっていて、タカ市のそうした「強い」姿を見てスッキリするとことがあるんじゃないかと。
単純だけど、そんなところが女性初の首相が若い女性から支持を集めている理由ではないかと思えてしまうのだ。
2026-02-18
あまりに劇的な
今朝の新聞の一面に掲載された、共同通信が配信した一枚。
前日のショート・プログラムでの思いも寄らぬミスからのフリー。そこで見せた圧巻の出来のペアスケーティングだった。
昨日、テレビでその見事な演技と結果を繰り返し見せられていたにもかかわらず、紙面のこの写真にはグッときてしまった。
すばらしくドラマチックな、ドラマ以上に感動的な一葉である。作ろうと思っても作れないシーンを切り取っている。
2026-02-17
追悼。ロバート・デュバル、フレデリック・ワイズマン
ロバート・デュバルとフレデリック・ワイズマンの訃報を聞いたのは、ほとんど同じタイミングだった。
R・デュバルは、役者として派手さはないが、善人でも悪人でも、小人物から大いなる権威者まで自由に演じることができた米国人俳優で、名脇役と言われるひとりだった。彼が出演した最も早い時期の映画は「アラバマ物語(To Kill a Mockingbird)」 のBoo役。役柄、台詞はなく、本棚にあるそのDVDのパッケージを見てみたが、クレジットはなかった。
英国のマイケル・ケインと並ぶ、自由にそのキャラクターや色を自由に演じられる役者の中の役者というのが僕の評価である。地方の劇団出身で、舞台からテレビや映画に確約の場を拡げたのもマイケル・ケインと似ていた。これまでの彼の映画出演作を数えようとしたのだけど、多すぎて止めた。2022年に最後の映画出演をしている。享年、95歳。
同じ日、映画監督のF・ワイズマンが亡くなったニュースが届いた。半世紀以上にわたってドキュメンタリー映画を制作してきた比類なき映画制作者で監督だった。ドキュメンタリーでありながら、その映画にはインタビューもナレーションも挟まず、淡々と映像をつなぎ紡いでいくことでその実体を観るものに伝えた。
彼が作品の舞台として選んだのは、公共図書館、美術館、ボクシングジム、市庁舎、州議会、公立高校、大学、病院、刑務所、食肉加工工場、裁判所などであり、彼の問題意識はそうした場あるいは組織の持つ制度や権力の構造といったものだった。
https://tatsukimura.blogspot.com/2022/01/blog-post_73.html
https://tatsukimura.blogspot.com/2019/06/blog-post_26.html
2023年製作の「至福のレストラン 三つ星トロワグロ」が最後の作品。紛れもないドキュメンタリー映像製作の巨匠だった。96歳。
2026-02-13
顔
先日、アメリカのICEがなぜああした暴徒と何ら変わらぬ残虐行為を行うのかについて、顔を知られないで「やりたいようにやれる」からだと書いた。本性が露出されることへのためらいをなくすのがこうした匿名性だ。
SNS上などに飛び交う雑多な書き込みの多くは匿名であり、その根っこはそれとたいしてたがわない。言いたいことをただ言うだけで、それが正確かどうかとか、理屈に合っているかどうか、根拠があるかどうかなんてことは、端から気にしない。
人は面が割れず、自分が誰かを他人に知られない状況では別の人間になれるんだろう。いや、別の人間というより、ジキル博士とハイド氏のハイド性という方が相応しい。
そうした側面は理性に抑えられているのが通常なのだが、一旦人に顔を知られない匿名でとなると、一昨年行われた兵庫県知事選でも今回タカ市自民党が歴史的な対象を収めた衆院選でもそうだったように、SNS上では理性が瞬間の感情に追いやられる。
このことは社会にとってのある種の暴力だとも考えられる。
一方、こうした無名性、匿名性もあるのだなと今日の日経新聞「私の履歴書」を読んで感じた。写真家の大石芳野さんが2002年にアフガニスタンへ取材で入った時のことを書いていた。
米国で同時多発テロが発生した翌年のこと。アフガニスタンは、それ以前にソ連の軍事侵攻や内戦、米軍の爆撃など度重なる戦禍で街が破壊されていた。そしてタリバン政権のもとで、女性たちは教育を受けることもできず、まともに働くこともできなかった。
大石さんは「・・・この国では頼る人がいなければ(女性たちは)物乞いになるしかない。こちらが外国人と見ると寄ってきてチャドリ(全身を覆う衣服)の裾から手を出してくる女性が多くいた」そして「顔を隠しているからこんな屈辱に耐えられるのです」と書く。
顔を隠す衣服が屈辱に耐え、生きていくための悲惨なシェルターの一つにもなっているのである。
彼女たちは理不尽この上ない状況の中で自分を守るために、その時、屈辱に自分を殺されないために、自らの人格をその瞬間消し去るため、顔を隠さざるを得ないのだろう。
もちろん、同じ「顔を隠す」ことでもこれらふたつは、まったく異なる行為である。
2026-01-27
殺したいから殺す、殴りたいから殴る
米中西部のミネソタ州ミネアポリスで、また市民が当局の職員によって殺された。2人目の犠牲者だ。
殺されたのは、病院でICUの看護師をしていた37歳の男性。トランプ政権が送り込んだ移民・税関執行局(*)(ICE:Immigration and Customs Enforcement)の職員によって路上で射殺された。
当局は、「銃を持った人物が職員に近づき攻撃しようとしてきたから」と職員の発砲を正当化しているが、映像はそうは示していない。組織防衛のための明らかな嘘である。だから、誰もが怒っている。
殺された男性は6人の政府職員に押さえつけれて、10発の弾丸を撃ち込まれて死んだ。合点がいかないのは、いまだにその6人の名前が表に出てこないこと。メディアはそれを知ろうとしているはずだが、当局が明らかにしないのだろう。
市民を叩き潰した当局職員らは、自分の名前や身元が分からないようにしている。ヘルメットを被り、目出帽で顔を覆い、あるいはサングラスをかけて自分が誰か知られないようにしている。
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| ICEの職員たち |
ネット上か路上かを問わず、匿名性が人から理性をいっそう剥ぎ取る。
自分が誰なのか仲間以外には分からない状態で、銃などの武器を持たせるから愚か者はさらに暴力的になる。人は金槌を手にすると釘を探す、というやつだ。
攻撃用装備で身を固め、覆面で顔を隠し、当局職員という歪んだ安心感と間違った自負心を胸にした馬鹿たちは誰でもいいから殺したいから殺す、殴りたいから殴るという分かりやすい行動を衝動的にとった。
その結果、まったく殺される理由のない一般市民が政府職員に撃ち殺されることになった。
アメリカ市民も、これでさすがに堪忍袋の緒が切れつつあるようだ。
(*) 日本のメディアは、ICEを米移民・税関捜査局と訳しているけど、ICEのやっていることはinvestigation(捜査)ではなく文字通りenforcement(執行) なんだから、捜査局と訳すのは明らかに間違い。日本の新聞社もテレビ局もなぜ気づかないのだろう。それとも意図的に言い換えているのか。
2026-01-25
35年間、社員が客に詐欺行為をしていた生保企業が「NPS」では第1位
プルデンシャル生命の社員による不正行為が明らかになった。
1991年からということで、35年前から行われ続けていたというから、なんともはやだ。詐欺手口によってこれまで31億円以上の金を社員たちは顧客からくすねていた。
もうひとつ驚くのは、米国のベイン&カンパニー社が作ったNPS(Net Promoter Score)を測定尺度として用いた推奨度調査(NTTコムオンラインによる業界別ランキング)で、そのプルデンシャル生命が生保部門で国内第1位の評価だったこと。
どういった調査がおこなわれていたのだろうかね。
データの収集法が間違っていたのか。そもそも日本人を対象とした測定法としてNPSには欠陥があることが、ただ露呈したかたちか。
2026-01-24
中古マンションに1億円払うなら
東京都内の中古マンションの平均価格が1億円を超えたという。23区では1億2千万円が平均相場らしい。
確かに都内の生活は便利なんだろう。僕も独身時代は都内に住んでいた。地方から出てきて8年間で新宿区、中野区、港区、目黒区に移り住んだ。
その後、都内から神奈川県へ転居したが通勤が少し遠くなったくらいで、不満を感じたことはない。
今日、ニューヨーク・タイムスの不動産欄にスコットランドの売り物件が出ていた。値段は57万ドル。150円で換算すると8,550万円。寝室が6つ、トイレが4つある。
こんな感じだ。
場所は入り江を見下ろす高台にある。
日本からはちょいと遠いが、静かに人間らしく暮らせそうな気がする。
2026-01-23
マグと花束
昨日で授業がすべて終わった。今後、教壇に立つ予定はない。
午後4時45分に最後の授業が終わったあと、学生から写真撮影の提案があってみんなで写真を撮った。
その際、学生たちから早稲田グッズのコーヒーマグをプレゼントされた。「先生はコーヒーがお好きなようでしたから」と。授業の合間に、ぼくがコーヒーをよく飲んでたのを見ていたみたい。
この3月でぼくが退職することや、その授業が最後のクラスだという話は一切したことがなかったのだけど、学生たちはなぜかそのことを知っていて驚いた。
教室から研究室に戻り一息ついていたら、今度は前の学期の授業で教えた学生たちが何人かやって来て、お疲れさまでしたと花束を手渡してくれた。そこでもみんなで写真を撮った。
思いがけない訪問と贈りものの授業最終日だった。
写真左のマグは、ぼくは大学グッズを自分用に買うことはないので唯一のものになった。
2026-01-22
奈良地裁裁判長の思考を問う
安倍元首相狙撃犯の裁判で判決がでた。
奈良地裁の田中伸一裁判長が述べた判決内容は、不可解な点が多い。判決の妥当性についてはここでは議論しないが、その判断の元となった理由には首を傾げる点が多々ある。
裁判長は「多数の聴衆がいる現場で、殺意を持って、複数の銃弾を発射した悪意性や危険性の高さは他の事件と比べても著しい」として検察の求刑通りに無期懲役を言い渡したが、多数の聴衆が居合わせたことが判決結果にどう関係するのか?
安倍元首相は、聴衆のなかにいたのではない。聴衆とは離れて立ち、演説をしていたのだ。
また殺害のために一発でなく複数の銃弾を発射したことが、どう判決結果に関係するのか?
さらに、背後から銃撃したことをもって単純に「卑劣で極めて悪質だ」と言うが、前から撃っていれば判決結果は変わったのか?
加えて、「実験結果などから被告が使った手製のパイプ銃の威力は拳銃と同程度だったと認定した」らしいが、被告が作った銃がモノとしての出来が良くなかったら判決結果にどう影響したというのか? あるいは銃(もどき)でなく、刃物や弓矢など他の道具を用いていれば判決は変わったのか?
仮の話だが、被告が安倍元首相が「人気のない」早朝ジョギングの最中に、「出来の良くない」手製銃で、しかし「一発」で「前から狙って」殺していたら・・・・・・判決はどう変わっていたというのか。
この裁判長は殺害という犯罪の結果事実にまして、その現場での状況や使用道具の出来不出来などを判決結果に採用している。
だがその一方で、被告が旧統一教会による宗教的虐待の明らかな被害者であり、長年にわたり極めて過酷かつ不条理な状況に置かれていた事実を判断に用いなかったのはなぜなのか?
裁判長の判決にいたる考察は、殺害が当日「どのように」行われたかに終始していて、被告が「なぜ」そうした犯行に至ったのかという経緯を無視している。
さらに、判決理由のなかには「殺害を正当化できるような落ち度が安倍氏には見当たらない」とあるが、殺害された方に落ち度があるかどうかが殺人事件の判決内容に関係するのか? そもそも「殺害を正当化できるような(被害者の)落ち度」というのは一体何なのか?
理解できないことばかりだ。
おれの頭が悪すぎるのか、それともこの裁判長の思考経路が歪んでいるのか。どっちだろう?
2026-01-21
世代論あそび
日本人は人を類型化したり、そのラベルを貼るのが好きだ。
本来、人は一人ひとり異なっていて当然だが、類型化して示されるとなんだかそう見えてくるから不思議だ。
自分のアタマでその人となりを判断するより、単純化されたタイポロジーを当てはめると考えなくてするから楽なのである。
X世代、Y世代、Z世代まできて後がなくなったと思ったら、今度はα(アルファ)世代だとか。
日経新聞が特集を組み、その世代を取り上げている。同紙は記事でこうぶち上げる。「α(アルファ)世代とは2010年〜2024年頃に生まれた世代を指し、Z世代の次に続く「未来の世代」として注目されており、幼い頃からスマホやAIに触れるデジタルネイティブであり、タイムパフォーマンス(タイパ)や社会課題への関心が高いのが特徴です」と。
その集団の構成員の年齢は現在1歳から16歳。つまり、1歳の幼児から高校生までを一緒くたに語っているのだが、1歳児がSNSで何か発信しているというのだろうか。(そしてそれを記者たちは読んでいるのかね。)
さらに同紙は「 α(アルファ)世代は人工知能(AI)などテクノロジーを使いこなし、将来のイノベーション(革新)を起こす主役として期待されている」と書く。
そうだろうか。何度も言うが、1歳から16歳の幼児〜高校初年度生がAIをどう使いこなしているのか。「将来のイノベーション(革新)を起こす主役として期待されている」って、誰が期待しているのか。
気分と思い込みだけで、あまり勝手に筆を走らせちゃいけない。
そうした子どもたちはAIを使いこなすのではなく、残念ながらそのほとんどはAIに使われる運命にあると考えている。
現在すでにある年齢以上にあって、日々生成AIを仕事や研究、あるいはプライベートで使っている人たちは、それがいかに未完全なものかを分かっている。問いへの回答などは一見もっともらしいが、そこには間違いや偏った記述が散見されるのを実感しているからだ。
だから、われわれは「AIもまだまだだなあ〜」と知りつつ、一方でその日進月歩の進化に驚くことができている。
だが10年後、いや5年後には、AIは生身の人間と見分けがつかない洗練された知性を備えた存在として少年少女たちに対応するようになっている。それも圧倒的な知識を備えた存在だ。
人間の中学生が、彼らよりはるかに知能が優れたAIをどうして「使いこなせる」というのか。蒸気機関や電気、コンピュータ、インターネットといった分かりやすい道具的技術の延長上にAIを捉えてはいけない。
AIネイティブだからこそ、逆におよそほとんどの若年者は赤子の手を捻られるがごとくAIに「使いこなされて」しまうわけだ。
堺屋太一は、月刊『現代』に1976年から連載した「団塊の世代」のなかで1947〜49年生まれの人々を一つの世代と考え、そこから日本の世代論は始まった。
それは、年齢で云えば当時30歳前後の人たちだった。年間260万人を越える人口のボリュームゾーンだったこともあり、社会のそれぞれの分野である一定以上のプレゼンスを見せていた。
だから堺屋は、戦後間もなく生まれた「戦争を知らない」新しい世代の集団が社会に与えている影響力に着目したのである。
まだ自我も確立されていない幼児や少年少女を何とか世代などと括って、分かったような定義づけをしてはいけない。
単純化の罠の典型例だ。
2026-01-20
2026-01-16
トランプ化する世界
日本の報道番組で、いま見るべきものはTBS「報道特集」とNHK「国際報道」くらいしかないと思っている。以前は、といっても何十年も前になるが、平日夜のベルト番組でもチャンネルを合わせていたニュース番組があったが、いまそうしたものはない。
いきおい外国のニュース番組を求めるようになり、CNNとBBC World Newsを切替えながら見ることが多くなった。
だがどちらにチャンネルを合わせても、出てくるのは米国のトランプのニュースばかりだ。つくづくどうなっているのかと思ってしまう。世界の各地では、日々それ以外にもさまざまなできごとが起こっているはずなのに。
今の世界は、もうほぼ完全にトランプ化してしまったようだ。
あの『マクドナルド化する社会(原題 McDonaldizaion of Society)』をジョージ・リッツアが書いたのが1993年。
誰かが『トランプ化する世界(Trumpization of World)』を書くときだろう。
2026-01-09
丹羽宇一郎さんとロマン・ロラン
伊藤忠商事社長、その後会長を経て駐中国大使を務めた丹羽宇一郎さんが亡くなった。
丹羽さんといえば、僕にとっては『ジャン・クリストフ』なのである。パーソナリティをつとめていたラジオ番組にゲストとして来ていただいた際、番組の中でこの本を読まない手はないと薦められた。50年ぶりに読み返した話を聞かせてくれたのだ。彼は、名古屋で本屋の息子として育った。
歯切れがよく、正義感と向こうっ気の強い方だった。番組の最後、自分の心に忠実に生きる大切さを話してくれた。日本の大手企業の経営トップでこんな方、いまはもう見当たらない。
2026-01-03
本屋もコンビニも同じ、ってことか
駅の近くにあるK書店をのぞく。雑誌、文芸、旅行・紀行の各コーナーを中心に店内を見て回る。
いつもはもっと閑散としているのだけど、今日はどういうわけか家族連れがやたらと多い。それも家族全員で、といった感じの集団がいくつも店内にいて、子供が騒がしい。なかには3世代の家族もいる。
どの家族もこの本屋に書籍や雑誌を目当てに来たのではなく、ただ「外」に出たついでに寄っただけのようで何を探すというわけでなく、ひたすら店内で騒いでいる。これも今の日本の正月の一つの風景なのか。
そうした集団を避けて本を何冊か選び、レジに向かう。カウンターの端の方で本の整理をしている馴染みの店員と目が合い、お互い軽く会釈をする。
レジの所には初めて見る学生らしい店員が「見習い」の札を胸につけて立っている。アルバイトなんだろう。
支払いを済ませた際、その若者が「レシートはいりますか?」と聞いてきた。?と瞬時、とまどう。
これまで書店でレシートがいるかどうかを尋ねられた経験が一度もなかったからだ。思わず「当たり前だろう」と憮然と答えてしまったが、それまで働いていたコンビニのレジでの習慣でやってるのだなと、後で思った。
アルバイトでレジ打ちをしている男にとっては、古代ギリシャの哲人が著した書簡集もコンビニ弁当も変わらないってことなんだな、きっと。
2025-12-29
機械が客に「はい」「いいえ」を迫る無作法さ
遠方に住む家族の家のインターネットが繋がらなくなった。
対応を求めて、プロバイダーのサービスデスクに電話をかけたという。が、機械応答で「はい」「いいえ」の選択肢だけを次々尋ねられ、その挙げ句、最終的に問題はまったく解決しないどころか、人間と一言も話すこともなく最後は「問題は解決されましたでしょうか。はい、いいえでお答え下さい」と言われ、「いいえ」と答えて、電話が切れたらしい。
試しに僕の方でもそこに電話をかけてみた。なるほど聞いたとおりだ。「はい、か、いいえ、でお答えください」とシステムの機械音声が何度も何度も続く。
問題の切り分けの設計がお粗末で、単線的なフローしか組まれていない。顧客のことなど真面目に考えておらず、ヘルプデスクが一応あるという言い訳のためのものとしか思えない。
しかもやり取りは、機械に子供扱いされているような感じで実に厭な気分だった。不愉快極まりない。我慢できず、途中で呪いの言葉を吐き、電話を切る。
この会社(プロバイダー)に人間による対応を求める場合は、別途、有料オプションを契約しなければならないらしい。なんてこった。
人件費削減を狙っているのだろうが、こうした無神経なサービス対応を契約者に強いるのは何とかならないのだろうか。
2025-12-28
ラ・ベル・フェロニエール
来年9月9日から国立新美術館で開催される「ルーブル美術館展 ルネサンス」に、ダ・ヴィンチの「ラ・ベル・フェロニエール」が展示される。
日本初公開ということもあり、各誌の表紙を飾っている。
ぼくはこれも楽しみだけど、同じ国立新美術館でその前に開催されるピカソ meets ポール・スミスの方が興味深い。
相変わらずのマイクロソフト社の体質
Macをスリープ状態にしておいたはずなのに、再始動しようとした時にマシンの躯体が過熱しているときがある。その原因は、勝手にMicrosoft Updateが起動してしまっていることにある。
以前はそうした動きはなかったのだが、それ自体をupdateしてしまってから日常的に発生するようになった。つまり、Microsoftがそのようにプログラムしたということだ。
他に同じ症状に困惑している人の例はないかと調べたら、たくさん出てきた。主な問題点として以下のようなものがある。。
- アップデートによる不具合の発生:
更新プログラムの適用後、PCが起動しなくなる、動作が不安定になる、特定の周辺機器(SSDなど)やアプリケーションが認識されなくなる、といった深刻な問題が頻繁に報告されています。これらの不具合は業務の中断やデータ損失のリスクを伴います。 - 強制的な適用と再起動:
ユーザーの意向に関わらず自動的にアップデートが開始され、作業中のPCが長時間利用できなくなることがあります。特に重要な作業中に再起動を求められたり、勝手に再起動されたりする点が大きなストレスとなっています。 - アップデートにかかる時間の長さ:
機能アップデートなどの大規模な更新には長い時間がかかり、その間PCが使えなくなることで生産性が損なわれるという不満があります。 - 不具合発生時の対応:
Microsoftが不具合を認識し、修正プログラムを提供するまでに時間がかかる場合があり、その間のユーザーサポートに不満の声が上がることがあります。 - 古いPCでの互換性の問題:
新しいアップデートが古いハードウェアのシステム要件を満たさず、互換性の問題を引き起こすケースがあります
調べたところでは、以前のMicrosoft AutoUpdateは勝手に起動しないように設定を変えることができた。
ところが、最新の(先日、不注意にもそれにアップデイトしてしまった。しまった!) バージョンではその設定をマイクロソフトがなくした。
相変わらず利用者のことなど念頭にない。
2025-12-26
旅館が提供するサービス価値とは何か
予想していたとおり、星野リゾート運営の高額旅館が営業を停止することになった。
これは、彼らが全国に展開しようとしている旅館の大分にあるプロパティでのはなしだ。
1人あたりの一泊料金を、税込みか税抜きか知らないが最低で5万5千円に設定している。海が見えるわけでもなく、歴史的な建物というわけでもなく、ただ山の中に設けた旅館がこうした価格をいつまでも客にまともだと思わせておくことは到底無理だった。
人それぞれ好き好きだろうが、そもそも旅館という宿泊形態は京都などで長い歴史を持ち、独特の風格を感じさせるようなところ以外、続いていくとは思えない。
夕食時、テーブルいっぱいに並べられるお造りや煮物や焼き物・・・、それらを何時間もかけて食べるのは時間の無駄としか思えないのだ。かつて日本全体が貧しかった頃、旅先の旅館に泊まること自体が極めて非日常的な「ハレ」だったから客も喜んだが、いまでは日本のどこでも美味しいものが日常的に食べられる。
しかも、旅館側の都合で食事の時間が大方決められてしまう。日常を離れてのんびりするために来たというのに、その拘束感は実に不愉快だ。
そうした意味で、旅館の夕食は明らかに過去の遺物といえる。そのことを理解しようとせず、豪勢な料理をドーンと出せば客が驚き喜ぶと思い、それで高額な金額を請求できると考えているのは今やお粗末な勘違いである。
| 自慢の露天風呂だそうだが・・・ |
旅館は、やがて小中学校の修学旅行での宿泊場所以外の役割を失っていくのだろう。
2025-12-20
記事の取り消し
水曜日に新聞に掲載されたばかりの、共同通信が配信した以下の記事を取り消すとの「おわび」告知が新聞紙上に出されていた。
どうみても微妙だナ。
カギ括弧部分には3つのセンテンスが含まれていて、二つ目(自民党ベテラン議員は・・・と漏らす)と三つ目(・・・との見方もある)はともに伝聞であり、断定的な言い回しはされていない。
一番目のセンテンスもNHK次期会長に決まった人物と政界有力者の人間関係の有る無しを示しただけの内容。
これらをすべて新聞社が取り消すとは、いったい何が起こったのか。
名前が登場しているのは、当のNHK次期会長、菅、麻生、高市の4人。誰がどう考え、どう圧力をかけたのか。だいたい想像はつくが。
2025-12-13
しーちゃんのこと
ふた月ほど前のある日、近くでノラの猫と、のちにその飼い主になる若い女性と知り合った。
鶴見川水系の一つである鳥山川沿いの道を自転車で走っていたとき、橋のたもとで女性がしゃがみ込んで猫を撫でているのが目に入った。
この近くにはノラたちが何匹かいて、地域の猫好きの人たちによって世話をしてもらっているので猫たちもそれなりに人に慣れているのだ。
きょうも通りすがりの猫好きの人がそうした猫の一匹を愛でてやっているのだろうと思って通り過ぎたが、何か雰囲気が違った。気になって自転車を止め、通り過ぎた場所へ戻った。
彼女にどうかしたのか訊ねると、猫が怪我をしているという。見てみると、鼻の先がない。鼻がぽっくりとえぐれているのである。しかも、からだ全体はガリガリで極度に衰弱し、ほとんど動かない。これはただ事じゃない。
彼女は、前日もこのニャンと同じ場所で会っていて、その時から具合が悪そうだったのが気になってこの日も様子を見に来たのだという。
ノラ猫をどう面倒みるかは難しい。行動を起こせばその結果があり、相手が生き物だけに行動には責任がともなう。
ちょっとした逡巡はあったが、その場に放置すれば翌日にはこの猫はおそらく死んでいるだろうと思ったので、動物病院にそのOさんとで連れて行くことにした。歩いて10分ほどのところに、新しく開業した動物病院があることを思い出したから。
プール帰りの僕のリュックにはバスタオルが入っていたので、ニャンをそれで包んで病院に持ち込む。まったくの初診、しかも持ち込んだのがノラなので受付の女性から訝られるが、そこは押し切る。
そうして獣医に観てもらったが、怪我の具合と全身の衰弱がひどすぎるのでその病院では対応しきれないと言われ、妙蓮寺駅にある治療体制の整った大型の動物病院の名を紹介される。
突然ノラを持ち込んでもまたそこでも受付で時間を取られると思ったので、その場でその動物病院に電話をかけ、途中で目の前にいる獣医師にスマホを渡して獣医師間で状況をできる限り詳しく伝えてもらった。
タクシーをつかまえ、妙蓮寺駅近くのF動物病院へ向かった。そこで数時間かけ念入りに検査をしてもらう。免疫異常、胆嚢種、リンパ種、腎臓肥大、肝臓異常、その他覚え切れないほどの症状を伝えられる。鼻先がもがれて軟骨が完全になくなっているのは、原因がはっきり分からない。外的な力による損傷なのか、体内の感染症からなのか。
特に問題だったのが、赤血球数の減少がはげしかったこと。極度の貧血状態にあり、先生に勧められて輸血をしてもらい、そのまま入院。歳は4歳から10歳くらいの間だろうと言われた。その年齢の幅の広さが、これまで生きのびてきた環境の過酷さを物語っている。
僕が川っぷちで会ったOさんは、そうしたなかで旦那さんと連絡を取り、保護猫としてのちに「しーちゃん」と呼ばれるその猫を受け入れる覚悟を決めた。
そのまま数日間入院し、退院。Oさんらに大切に面倒をみてもらい、少しずつだけど体重も増えてきた。そうして彼女からときどきしーちゃんの写メがスマホに届く。
あるとき、彼女からまた手術をすることになったという連絡がきた。栄養状態が改善して全身の体毛が伸びてきたのだけど、シッポだけまったく毛が伸びないので動物病院で診てもらったらシッポが壊死していると言われたのだ。
原因は、シッポの根元に輪ゴムかタコ糸のようなものできつく縛られていた跡があったことから、そのせいでシッポが壊死していたのだろうと。骨には異常がなかったので、それまでのレントゲン検査では気がつかなかった。
そして、壊死したシッポを切断することに。赤血球数がまだ回復していないので、切断手術後には強度の貧血を再発した。いやはやニャンとも大変である。
シッポが切断され、手術のためにお尻のまわりの毛をすっかり刈り取られたしーちゃんの写真が送られてきたときは、なんとも言えない気持になった。
輪ゴムだかタコ糸だか分からないが、誰が何のためにそんな悪さをしたのか、強い怒りが沸く。
振り返って思うのは、もしこの猫が人間に強い警戒感を持っていて人に近づくことなどなかったら、このような酷い目に遭わされることはなかったんじゃないかということ。
ただ一方で、人懐っこくなければ、あの日、彼女と僕に動物病院に連れて行かれることもなく、その後、保護猫として引き取られることもなかったのだが。
ノラの一生は厳しく、複雑だ。とにかく少しずつでも元気になって、何とか生き続けて欲しいと願っている。
2025-12-11
ホームに降りたら、熱い一杯のコーヒー
新横浜駅の新幹線ホームに、スターバックスの店が登場した。
今日立ち寄ったとき、店のスタッフと話してみると、「新幹線ホームのスターバックスは世界初なんですよ」と言われてちょっとびっくり。
帰宅して少し調べて見ると、ネット上のニュースでは「日本発」となっている。ただ、「新幹線」は日本にしかないから日本発は世界初と言ったのも嘘ではないかな。
この「Brewed to Go」と名づけられた店は、下りホームにしかない。新幹線の停車時間にコーヒーを買うのは無理だから、利用できる客は新横浜から新大阪など西へ向かう乗客と僕のように東京から乗ってこの駅で降りる客だけ。
商売を考えたら、ホームはホームでも東京駅に設置した方が確実に儲かる。ただ、客が多すぎて混雑してオペレーションが難しくなる。その点、新横浜駅の乗降客は東京駅とは比較にならないから、パイロット店としては好ましいのかもしれない。
新横浜駅は駅ビル内にスタバが2階と3階の2店入っているので、そこへ行けばいいだけなんだけど、ホームで降りてすぐ熱い一杯のコーヒーというのも今のところ悪くない。
2025-12-10
SNSを使用禁止にしたらいい
オーストラリアでは明日から16歳未満のSNS利用が禁止される。大変結構なことだと思う。これは、かの国では大人たちが子供たちのことを真剣に考えている証拠だ。
禁止対象となるのはインスタグラム、フェイスブック、スレッズ、スナップチャット、ユーチューブ、ティックトック、キック、レディット、ツイッチ、X(旧ツイッター)の10のプラットフォームである。
登録時の年齢を偽ったりするなど抜け穴もあるようだが、いずれにしても多くの子供たちがSNSを使わなくなることで救われるはずだ。
そして、オーストラリア以外に同様の措置を検討している国もニュージーランドや欧州のなかから次々出てきている。
ボクは、日本ではSNSを完全に使えなくしてしまえばいいと思っている。つまり、年齢を問わずだ。自分がSNSと呼ばれるものをやっていないからというのもあるが、SNSをやって得られるプラス面と、そのことで個人や社会が被っているマイナス面を考えたとき、はるかにマイナスの方が大きいと考えるから。
若い人たちのなかには、SNSが使えなくなると友達とのやりとりができなくなると心配する人たちがいるが、以前はもともとSNSなんてなかった。連絡が必要な時は、普通に電話をした。それでいいじゃないか。なんなら手紙を書いたっていいんだよ。Eメールもあるし。
もし国民すべてにおいてが無理であれば、まずは未成年のSNS利用を禁止すればいい。オーストラリアや他の国が16歳未満と言うのであれば、日本では20歳未満というのが妥当なところだろう。
まずは1年やってみて、どうなるか見てみればいい。最初は不便だとかなんだとか不満も多いだろうが、どうせすぐに慣れてしまうはず。
自分だけSNSが使えなくなると友人間のやりとりで除け者にされ、たちまち阻害感を抱いてしまうような若い人たちも、周りも一斉に使えなくなればそんな心配をする必要もない。
SNSを運営する企業は、そうした規制に対して「言論の自由を犯すものだ」などとやけに大げさな言い方で反発してるようだが、ただ彼らの商売のネタが一つ無くなるだけの話で説得力はない。
オーストラリアのアルバニージー首相は、「これは、『もうたくさんだ』というオーストラリアの意思表示だ」と述べる。また「オーストラリアが世界をリードしてきたほかの偉大な改革とともに、これが受け入れられるだろうと、私は考えている」とも。
赤信号みんなで渡れば怖くないんじゃないが、日本でもSNSなんてみんなでやめてしまえばよいのだ。それが、ささやかながら今の日本を少しでも明るくする方法のひとつであることは間違いない。
2025-12-09
The 67 Most Stylish People of 2025
ニューヨーク・タイムズが、The 67 Most Stylish People of 2025を発表。映画スターやラッパー、ロックスターなど多士済々で、スポーツ界からは数少ないなかでドジャーズの大谷翔平が選ばれているのが嬉しい。メキシコの大統領、クラウディア・シェインバウムも選ばれてた。
そのなかで、僕が一番気に入ったのがこの彼だ。これは、ニューヨークのメトロポリタン美術館のガラでの風景。すげえ笑える。























