2026-01-22

司法の思考様式を問う

安倍元首相狙撃犯の裁判で判決がでた。

奈良地裁の田中伸一裁判長が述べた判決内容は、不思議に満ちている。結果の妥当性についてはここでは議論しないが、その元となった理由には首を傾げる点が多々ある。

裁判長は「多数の聴衆がいる現場で、殺意を持って、複数の銃弾を発射した悪意性や危険性の高さは他の事件と比べても著しい」として検察の求刑通りに無期懲役を言い渡したが、多数の聴衆が居合わせたことが判決結果にどうして関係するのか。

安倍元首相は、聴衆のなかにいたのではない。聴衆とは離れて立ち、演説をしていたのだ。

また殺害のために一発でなく複数の銃弾を発射したことが、どうして判決結果に関係するのか分からない。

さらに、背後から銃撃したことをもって「卑劣で極めて悪質だ」と語ったが、前から撃てば判決結果は変わったわけか。

加えて、「実験結果などから被告が使った手製のパイプ銃の威力は拳銃と同程度だったと認定した」と言うが、被告が作った銃のモノとしての出来が良くなかったら判決結果にどう影響したというのか。あるいは銃(もどき)でなく、刃物や弓矢など他の道具を用いていれば判決は変わったのか。

仮のはなしだが、被告が安倍元首相がまだ夜も明けきらぬ人気のない早朝ジョギングの最中、出来の良くない手製銃で、しかし一発で前から狙って銃殺していたら・・・・・・判決はどう変わっていたというのか。

裁判長は殺害という犯罪の結果事実にまして、その際の現場での状況や使用道具の出来不出来などを判決結果に採用した。その一方で、被告が旧統一教会による宗教的虐待の明らかな被害者であり、長年にわたり極めて過酷かつ不条理な状況に置かれていた事実を判断に用いなかったのはなぜか。

判決にいたる考察は、殺害が当日「どのように」行われたかに終始してしまい、被告が「なぜ」そうした犯行に至ったのかという経緯がほとんど無視されている。

もう一つ。判決理由のなかには「殺害を正当化できるような落ち度が安倍氏には見当たらない」とあるが、殺害された方に落ち度があるかどうかが殺人事件の判決内容に関係するのか。そもそも「殺害を正当化できるような(被害者の)落ち度」というのは一体何なのか。

理解できないことばかりだ。

おれの頭が悪すぎるのか、裁判長の思考が歪んでいるのか、さてどっちだ。