2012-11-10

コロンブスのリビングルーム訪問

コロンバスサークルで開催中の「Discovering Columbus」のイベントを観てきた。

チケットを手に、入場の列に並んだ時はまだ空は明るかったのが、寒風の中で45分ほど待たされている間に、すっかり日が暮れてしまった。

しつらえられた「リビングルーム」は、美術館であるようで、また普通の居間のようでもあり。訪れた観客はその中間的な空間の居心地の中でソファに横たわり、コロンブス像と記念写真を撮り、しばらく時間を過ごした後、「地上」に降りていく。

Tatzu Nishi(西野達)がどういうきっかけでこうしたアートを考えついたのか分からないが、「物を観る視点を変える」ことの見事な具象化であり、その成功した一般性に感心させられる。

このコロンブス像は、地上21メートルの高さにあり、普段はそれをしたから見上げるしかない。でも今回、そのコロンブスと同じリビングルームで過ごせるわけだ。

ということで、至近距離でコロンブスさんのお顔をじっくり、ゆっくり拝見したわけだが、僕にはなにも感慨のようなものが沸いてこなかった。

アメリカ人にとっては、彼はアメリカ大陸を「発見」した大英雄なんだろう。が、見方を変えれば、発見される前からそこにあった土地を、後にアメリカン・ネイティブとか、その前はインディアンと名付けた人たちから力で奪うことになったきっかけを作った人物である。

どこが偉いのか。僕には、奇妙な帽子をかぶったいけ好かない野郎にしか見えなかったけど。

東の方角を向いて建つコロンブス像
地上20メートルほどのところにある「コロンブスのリビングルーム」

http://collabcubed.com/2012/09/20/discovering-columbus-follow-up/

コニーアイランドへ

地下鉄Fラインでブルックリンへ行く用事があったついでに、そのあとコニーアイランドまで足を伸ばしてみた。ここはFラインの終点。先日のハリケーン・サンディの被害地の一つである。

ざっと見たところでは、街中は目立った被害はないようにうかがえたが、遊園地や水族館、それにほとんどの商店は営業をしていない。そして、人通りもない。いつ回復できるのだろうか。

どこもシャッターが閉まった、遊園地向かいの商店街
交差点でレストランのチラシを配るニワトリも寂しそうだった

2012-11-09

ニューヨークに雪

NYでは、11月7日の午後からみぞれ交じりの雨が雪に変わった。はや冬の訪れだろうか。

今朝のコロンビア大学のキャンパス。



2012-11-07

オバマが再選

米国大統領選でオバマ大統領が再選を果たした。


日本経済のためには、ロムニーの方が(短期的には)好ましかったのかもしれない。彼が大統領に選ばれれば、オバマ政権と違って強いドルを求め、保護主義的な政策も変更しただろう。そうすれば、円高傾向は反転するし、日本企業はその製品の競争力をもっと米国市場で発揮できるようになったかもしれない。

しかし、そうした事とは別に、世界最大のパワーを持つ米国の大統領は、人格者であって欲しいと思う。その意味で、オバマは相応しい人物であると思っている。

米国に暮らしていることもあって、選挙権があるわけでもないのにかなり意識的に両候補の発言に何ヵ月も耳を傾けてきたつもりだ。その結果、自分なりに見えたこと。オバマの誠実さ、ロムニーの胡散臭さ。

長い、長いキャンペーン期間だった。米国大統領の4年の任期の最終年は、ほとんど選挙活動に没頭しているのではないかとすら思えるほどだ。

それにしてもオバマもロムニーも演説が上手い。もともとうまいのだろうけど、厳しい選挙活動で鍛えられ、否が応でも上手くなるのだろう。


大学設置不認可問題で

日本で、田中文部科学大臣の発言が話題になっているようだ。3大学の新設申請を認めないとした発言である。ネットで新聞記事を読んだだけだが、考えさせられる点が多い。いくつか整理しておきたいと思う。今朝がた読んだ記事は、以下の2つである。
真紀子氏は「知らなさすぎる」 …設置審委員(記事A)

 「新しい仕組みを始めたい」――。
 3大学の来春開校が不認可とされた問題で、6日、田中文部科学相は不認可の正当性を強調しつつ、大学設置の新たな基準で「再審査」を行うことを表明した。
 「見直し」方針が決まった諮問機関の大学設置・学校法人審議会(設置審)の委員の1人は「田中大臣は設置審について知らな過ぎる。設置審には大学関係者以外の委員もいるが、審議の内容があまりに専門的なため、ほとんど発言できていないのが現状」と指摘。そのうえで、「大学の質の低下や数の問題は国の規制緩和が招いたこと。個々の大学についての審議の内容の見直しをしても、その根もとの部分が変わらなければ意味がないと思う」と話した。
(2012年11月6日20時21分  読売新聞)
文科省「不認可処分でない」 ...3大学『詭弁だ』(記事B)

 秋田公立美術大(秋田市)など3大学の新設が不認可とされた問題で、文部科学省の前川喜平官房長は6日になって、「(現在も3大学の)不認可の処分はしていない」という説明を始めた。
 田中文科相は同日、3大学を事実上、再審査する方針を表明したが、不認可処分が決定された後では、処分取り消しの行政訴訟の対象になるうえ、正式な審査では申請書類の再提出が必要になり時間がかかることを考慮したとみられる。だが、「不認可」「再審査」と翻弄された3大学は強く反発している。
 前川官房長は同日の田中文科相の記者会見の後、補足説明を行った。この中で、2日に同省高等教育局長が3大学に不認可を伝えたことについて、「大学側には認可できないとは伝えたが、不認可処分をするとは伝えていない」と弁明した。
 また、今月2日に報道陣に不認可と説明した担当課長が、「大臣の不認可決定は今日。あくまでも大臣の政策的な判断で、不認可という結論」と述べていたことについて、前川官房長は「事実とは違った。訂正して謝罪したい」と述べた。不認可処分の大臣決裁も済んでいないとした。
 これに対し、3大学側は「文科省から電話で『不認可である』と説明があった」「詭弁(きべん)だ」と反発した。
(2012年11月6日21時51分  読売新聞)
Aの記事から見てみよう。見出しは「真紀子氏は『知らなさすぎる』」である。これは、大学の設置審議会の委員の発言として紹介されている。1ヵ月前に文部科学大臣に任命された人が大学の設置審議会についてよく知らなかったわけだが、これって批判に値することだろうか。そんなことまで詳しく知らないのは当たり前。

また、この委員は「設置審には大学関係者以外の委員もいるが、審議の内容があまりに専門的なため、ほとんど発言できていないのが現状」と述べているようだが、これってありかな? つまりは、審議の内容は専門性が高いため大学関係者である一部の委員のみにしか理解できないようになっている、と云うわけだ。設置審ってそんなに複雑で難解なことをやっているの? 委員が何名いるか知らないが、大学関係者以外の委員には分かるような説明すらなされないままになっているとしたら、そちらの方が問題である。

もうひとつ気になったのは、記事上でこの委員の名前が明らかにされていないこと。これは報道するメディア側の問題。ひょっとしたら書かれている内容自体が事実ではないかもしれない点を読者は考えておく必要がある。

Bの記事。対象となった大学が述べているとおり、この官房長の言っていることは、詭弁である。

ところで、自民党の安倍総裁が「既に決めたことをこんな形で急に変更するのは間違っている」と批判したそうだが、この指摘は的を射ていない。学校教育法では、
・大学設置の認可権者は、文部科学大臣(第4条)
・認可の際に、文部科学大臣が大学設置・法人審議会に諮問する(第95条)
と定められており、「答申どおり決定」というのはこれまでの慣例に過ぎない。過去30年間にわたって答申が覆されたことは一度もないと報道されているけど、そちらの方がよほどおかしい。認可権者たる大臣が自らの判断で答申を覆すことは、制度上は間違っているわけではない。

推測だが、田中文科相はこうした手続き論だけで物事が決められてきた現状そのものが不満だったのかもしれない。

これを契機に、委員会のメンバーですらその一部の人しか内容を理解できない(ように仕組みが作られている)審議の在り方を根本的に見直すべきである。

新聞やテレビなどのメディアは一斉に彼女へのバッシングを始めたようだが、この機に根本的に考え直さなければならない多くの重要な点を掘り下げて欲しい。

2012-11-05

We shoot you.

被災地の常か、災害そのものが去った後、この機に乗じて略奪や窃盗を働こうとする輩が現れてくる。

ハリケーンの強風と押し寄せる高波の影響でもっとも被害が大きかった地域の一つであるロング・アイランドでも、住民が無防備になった自分たちの家や財産を守ろうと必死になっている。

下の写真では、砂に埋もれて動かなくなった車のボディに、”LOOT, WE SHOOT(略奪する者は、撃つ)"と書かれている。


2012-11-04

市長のリーダーシップについて

こちらに来てから気になっていたのだが、米国人は(他の地域はよく知らないからニューヨーカーは、という方が正確だが)有事の際には心を一つにして協力しあうことが自然にできているように思う。

ハリケーン・サンディ後の状況に関しては、頻繁に市長のブルームバーグが自らメディアに登場して、直接現場から話しかけている。手にした原稿を読むだけといったどこかの国の役人とは、まったく違うリーダーシップと説得力を感じさせる。それを支える優れたスタッフもたくさんいるのだろう。

彼は、現状がどのように回復されているか説明をした後には、必ずそれに携わっている関係者、例えばニューヨーク交通局や電力会社、警察、消防、病院、防衛関係、各種ボランティアへの最大限の謝辞を忘れない。

そうしたことが、市民の行政担当者への信頼と尊敬の気持ちを醸成しているように感じる。そして、市民から信頼されていると実感できているからこそ、職員たちは骨身を惜しまず仕事に携わる。日本ではとっくに失われてしまった、幸せな関係である。

日本でも最近は女性や若い人が市の首長に就くことが増えているが、彼らが何か新しい政策を打ち出すたび、年配の(つまり年寄りの)市議会議長やその周りの連中が「聞いていない」とか言って反対することが多い。

その街に長年住み、長く議員をやっているだけで(だから既得権で固まっている)、自分がエライと思っているようなそうした連中を選挙で選んだ市民は、もっと情報を集め、よく考えた方がよい。

2012-11-03

ニューヨークシティマラソン

ハリケーンの影響で、今日もセントラルパークは閉鎖されたままである。

夕方、93丁目のセントラルパークへの入口で「Park Closed」の表示を眺めていたら、犬の散歩で通りかかった女性から「明日にはオープンになるみたいよ」と教えられた。

明後日のニューヨークシティマラソンはどうなるか知ってるか尋ねたら、開催される予定だと聞かされた。彼女のご主人もランナーとして参加すると言っていた。

 
ニューヨークシティマラソンは、参加者3万7千人の世界最大級のマラソンである。世界中からの参加希望者は、その限定数をはるかに上まわる。だから、アマチュアが参加するためには他のマラソン大会の運営にボランティアとして協力して出場資格を得るためのポイントを獲得する必要があるなど、この大会で走ることは簡単ではない。もちろん、ランナーとしての優れた記録を持っていればそれでいいのだが、アマチュアランナーはなかなかそうはいかない。

今朝、米国人の友人と電話で話した時、彼も予定通り行われるにちがいないと言っていた。というのも、翌週の日曜日は別のマラソン大会が予定されているので、ニューヨークシティマラソンといえども延期できないだろうと。

ニューヨーク市長はよく開催を決めたなと感心したのだけど、夜のニュースを見ていたら開催は中止されることになったと報道された。やはりハリケーンによる倒木などで荒れたコースの修復が間に合わなかったのだろう。それはそれで、難しい決断をしたと思う。世界中が注目する大イベントだから。

そんなニュースを見た後、チャンネルを変えるとNBCでハリケーンの被災者への募金を募るチャリティ・コンサートを放映していた。ロックフェラープラザにあるNBCスタジオからの生中継である。出演は、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーンとEストリートバンド、スティング、エアロスミスのスティーブン・タイラー(ギターのジョー・ペリーも)、ジョン・ボン・ジョヴィなど。

ビリー・ジョエルの弾き語りの後ろで、ブルース・スプリングスティーンとエアロスミスのスティーブン・タイラーがバック・グラウンド・ボーカルを努めていた。

最後はスプリングスティーンとEストリートバンドだったが、番組が終わる予定の9時を過ぎても曲が終わらずどうするのかと思っていたら、NBCは9時2分まで番組を延長して最後まで演奏を放送した。

全収益は食糧支援や避難所などの救援活動を行なっている米赤十字社に寄付される。



2012-11-02

停電が続く

今回のハリケーン・サンディは、ニューヨークのライフラインをずたずたにした。

今も63万世帯に電気が供給されていない。クイーンズやニュージャージーに住む知り合いだけでなく、金融街で知られるウォール街に住む友人のアパートでも電気と水が止まったままだ。しかも、マンハッタン内のホテルに避難しようにもどのホテルもいっぱいで部屋が取れないという。

マンハッタンの北側に位置する住宅地に住む知り合いのところも、ずっと停電が続いているようである。ハリケーンによる倒木で電線が切れたのだろう。

テレビのニュースで、電力会社のコン・エジソンが停電している地域に氷とドライアイスを配っているのを見た。冷蔵庫内の食品が腐るのを防ぐためである。

タイムズスクエア(42丁目)以北は地下鉄が走り始めた。バスの運行も再開している。今日、バスでミッドタウンまで行ったのだが、すべて無料で運行している。帰りの地下鉄も無料だった。地下鉄やバスを運行しているNY交通局のせいで交通手段が止まってしまった訳でもないのだが。


2012-10-31

ビルの明かりが消えた街

ハリケーン・サンディが過ぎ去った後の街は、妙に静かで、それでも朝から少しずつ人々が街に出始めたようだ。

日曜日の夕方から全面運行停止になったニューヨークの地下鉄は、今もまったく動いていない。路線の確認作業やシステムの復旧に時間がかかっているのだろうが、日本と比べると随分のんびりした感じを受ける。東京ですべての地下鉄が全線区で何日にもわたって運行中止したなど聞いたことはない。

閉鎖されたままの地下鉄

アパートの屋上からマンハッタンのダウンタウンを眺めた。いつもなら明かりが灯っている高層ビル群に今日は色がない。街が沈んでいる。

真ん中に写っている尖塔がエンパイアステート・ビル

2012-10-30

コロンブスもハリケーンでお休み

59丁目のコロンバスサークルで行われているDiscovering Columbus の今日のチケットを入手していたが、ハリケーンでイベントは中止に。また、チケットの取り直しである。

http://www.publicartfund.org/view/exhibitions/5495_discovering_columbus

写真は、nytimes.comのサイトから

会社も学校も臨時休業

ハリケーンが近づいているなか、知り合いとお昼を食べに出た。

最初のぞいたダイナーは客が入口まで並んでいて入れなかった。夫婦や家族連れの客が多い。月曜日だがハリケーンで地下鉄やバスが止まり、勤め先も学校も休みになったからだろう。彼らはちょっとしたピクニック気分を感じている風に見えた。

写真は、別の店に行く途中に見かけたコンビニの店先に積まれたミネラルウォーター。ずいぶん大量に仕入れたものである。


2012-10-29

若松孝二監督、76歳で逝く

17日に亡くなった若松監督の追悼記事が28日付けのニューヨーク・タイムズに掲載された。


Sandy is coming

大型のハリケーン、サンディが米国の東海岸を直撃する予定だ。報道ではSuper Stormと表現されているほどの超大型で、ゆっくりとした速度のハリケーンだ。強風と高波の被害が予想されている。

今回のこのハリケーン、最初に知ったのは金曜日の午後のこと。ブルックリンの知り合いのスタジオからの帰りに地下鉄に入った時だ。すでに、日曜の夕方からニューヨークの地下鉄が運行中止になるという貼り紙がしてあった。

まだNYではその気配もなかった時から、そうした準備が進んでいたわけである。2005年に米国内に大きな被害をもたらしたハリケーン・カトリーナからの教訓があるのだろう。沿岸エリアを中心に高波の影響を受けそうな地域の人々には避難命令が出されている。

今日の午後7時には地下鉄、バス、鉄道などの交通が順次運行を止めた。もちろんフライトはすべてキャンセルされた。明日は学校は休校、病院は急患を除いて患者を受け入れないとしている。人の流れが急減し、街は静かなものだ。マンハッタン内にあるコロンビア大学、ニューヨーク大学は早くからすべての授業を休講するとの知らせを出した。

今日、停電に備えてロウソクを近くの雑貨屋に買いに行った。普段は閑散としている店内で今日は下の写真のように長い列ができていた。


ロウソクの入った袋をぶら下げたまま、近くの食品スーパーを覗きに行ったら、そこも普段とはまったく違う様相だった。通路を通ることすら難しいほどの混雑だった。僕もせっかくなので牛乳と果物を少し買って列に並んだが、レジを通るまで30分以上かかった。

クイーンズに住む友人からの今朝の電話では、その地区のスーパーマーケットでは水、パン、牛乳、オレンジジュースの棚が空っぽになっていたと聞いたのだが、マンハッタンはそうでもないみたいだ。それらのどの商品もまだ棚に、十分とはいえないまでも残っている。徒歩での生活圏に多数の店舗があるマンハッタン地区と、そうではないクイーンズ地区の違いだろう。

2012-10-27

MUJI のデザイン

MUJI は、世界中でデザインに敏感な人たちによく知られた「ブランド」である。

今日、ミッドタウンにあるジャパン・ソサエティで、無印良品を運営する(株)良品計画の金井社長の講演会があった。

飄々とした人で、人を食ってるわけではないのだろうが、「自分は正直で、ピュアな人間だ」と述べ、司会者の米国人からピュアの意味を質問されると「ピュアは、ピュアだよ〜」と返したのは傑作だった。聴衆のなかの日本人には受けたが、米国人にはどう受け取られたかは分からない。

無印良品が、「これがいい(This is what I want)」ではなく、「これでいい(This will do)」という一つの思想性を製品づくりの骨子にしたところはまことに秀逸で、西洋流の発想からは出てこないところが外国の人たちに逆に新鮮なのだろう。

金井社長の口からは、「アンチテーゼ」(Antithesis:反対命題)という、なんだか懐かしい言葉も聞かれた。現代の消費文化への対抗概念ということなのだろう。その一つとして No name という考え方をあげた。野球のボールにはデザイナー名が付いていない、包丁も誰がデザインしたのか分からない。そうした商品(もの)とデザインの在り方のことである。

確かにそうしたものは僕たちの周りに今もたくさんあり、それらから僕たちは大きな恩恵を得ている。そうした商品はもちろんあってもいい。だけど、デザインには署名性が必要なときもある。そのことで優れたデザインが生まれることがあるから。また、優れたデザインについては、その開発者の名を残すことは大切ではないだろうか。聴診器や注射器だって、それぞれ発明・開発者の名前が歴史に残っている。

ただし、開発者(デザイナー、アーティスト)の名前が刻まれているだけで、5ドルのものが2000ドルになるのは疑問だけど。
http://tatsukimura.blogspot.com/2012/10/2000.html

会場には、デザイン関係の会社の人たちが多くやって来ていた。


2012-10-26

コンサルティング102

ビジネススクールで Consulting 102という授業に参加させてもらった。米国の大学ではすべての科目に3桁の番号が付けられていて、それで基本科目なのか応用(発展)科目なのか位置づけが分かるようになっている。101は最も初歩の科目だ。科目名そのものに102と付けたのは「基本の次だよ」というメッセージだが、しゃれっ気がある。

担当教員は、元ブーズアレン&ハミルトンのニューヨーク事務所でシニアVPをしていたコンサルタント。90分x2コマの連続授業で、前半は彼のレクチャー、後半はブーズアレンのCEOがゲストとして講義した。後半の内容は、ほとんど自社のPRのようなものだった。

その夜、コロンビア・ビジネススクールの学生と飲んでる時に聞いたのは、ビジネススクールの学生たちが好むのはビジネスの生の実態を紹介してくれる、(正規教授ではなく)外部の経営者やコンサルタントが客員の立場で教えているものだということ。実務を離れてフルタイムの学生をやっている彼らは、理論よりも現場の話の方に引かれるのだろう。

ただ気を付けねばならないのは、現場の事はその現場にいなければ本当の事は分からないということ。教室の中で、もう終わってしまったこと(その大半は「珍しく」大成功した話)を、さらに話し手のフィルターを通して聞いても学習効果には限界がある。そこから多くを学ぶ学生も中にはいるが、たいていはテレビの番組かYouTubeで何か見たというくらいのものしか残らない。

実際、教室(レクチャーシアター)の最上段からクラスを眺めていると、学生がどうしているかよく分かるのだけど、ノートを取っている学生はごくごく少数である。ノートを取る必要がないと思っているのか、すべてを記憶する自信があるのか、面倒くさいのか、ただその習慣がないのか。いずれにせよ、日本の学生とはこの点は、ずいずん異なる(日本の教室でもノートをまったく取らない学生は結構いる)。

研究者である専任教授は必修科目で基本的な理論や考え方を教え、一方で選択科目では外部の実務家講師が学生と実際のコンサルティング・プロジェクトに取り組むような授業も多いと聞いた。教える方には、優秀な学生を見つけて自分の会社に誘いたいという意図がある。

現在、コロンビア・ビジネススクールの修了生の約7割は、投資銀行かコンサル会社に就職している。ニューヨークという場所の特徴もあるのだろうが、高い授業料を回収するために手っ取り早く稼げるこの2業種に人気があるというのもある。その結果(それとも原因?)、これらに関連する科目で外部講師が多いようだ。

2012-10-25

Columbia University Green Market

グリーン・マーケットというと、毎週月・水・金・土曜日にユニオンスクエアで開かれる青空市場が有名だけど、ニューヨークの街を歩いているとそれ以外にもいろいろ出くわすことがある。

今日は大学のキャンパスを出たところで、Columbia University Green Market が開かれていた。

野菜や果物、各種のジュース、お菓子やケーキなどが並んでいて、その時ちょっとおなかがすいていたことも手伝い、アップルケーキとキャロットケーキを手に家に帰った。






2012-10-24

5ドルと2000ドルの関係

今朝は少し時間があったので、近くのダイナーで朝食を取ることにした。注文したフレンチトーストが運ばれてくるまで、コーヒーをすすりながら新聞に目を通していたら、店の親父が「この近くに住んでいるのか?」と話しかけてきた。「そうだ」と答える。今度は「日本人か?」と尋ねてきた。また「そうだ」と答えながら、吹き出しそうになった。

実はこの店で、この親父とまったく同じやり取りをするのは、これで3回目なのだ。まあ仕方がない。毎日何十人、日によっては何百人もの客が食事をしに来る店だ。そして、店のオーナーらしき彼は、来客となるべく親しくしようとしているのが分かるから。

ところがこれまでと違うのは、今度はいきなり隣の席に座っていた客が話しかけてきたことだ。それまで携帯電話でずっと話をしていたのに、電話を切るやいなや「おれは日本に行ったことがある」としゃべり始めた。

ブルックリンで画廊を経営している人物で、なんでも京都に友人がいて、来週にまた訪ねる予定だそうだ。その際にお土産として持って行くつもりの絵があると言って彼が鞄から取り出したのは、B4サイズ程度の画用紙に鉛筆で書いた線画である。

思わぬ事にぽかーんとしてると、そのおっさん、「ウォーホルだ」と言う。値段は2000ドル。絵の値段は門外漢には分からないから、「へえ〜」とか言いながら相変わらずぽかーんとしてたら、絵の右下に記されたアンディ・ウォーホル(とおぼしき)サインを指さしながら、30年前に5ドルで買ったと教えてくれた。

その絵はどう見ても10秒か20秒で描いたイタズラ書きに近いものにしか見えなかった。5ドルで手に入れたその絵が、今は2000ドル。右下のサインがあればこそだ。

マーケティングの仕事には、そうした「サイン」をどうやって作るかと云う面もあるなあとやって来たフレンチトーストをほおばりながら考えていた。

彼にその絵の写真を撮らせてくれと頼んだが、断られた。

2012-10-23

「税制のグリーン化」?

総務相の諮問機関である地方財政審議会が、経済産業省などが廃止を求める自動車取得税について廃止は不適当と主張する意見書を提出した。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20121022/k10015923961000.html

自動車を購入する際にかかる自動車取得税には、元来から消費税との二重課税になっているという批判がある。

2011年度の日本国内のクルマの総販売台数は421万台で、対前年度比で15%減少している。同様に総登録車台数は、17%の減少である。自動車業界などが自動車取得税の廃止を求めているのは当然だろう。

地方財政審議会から提出された意見書は「課税の根拠が異なることから、消費税との『二重課税』という指摘は当たらず、税制のグリーン化にも逆行するものであり、新たな関連税制の姿を示すことなく廃止することは不適当だ」として廃止に反対しているのだが、それが本当の理由なのか。それとも、それが地方自治体の貴重な(ということは徴収しやすい)財源だからなのか。後者が本当の理由で、前者のねじ曲がった理屈は建前の理由に見える。そもそも地方財政審議会は広く税制について考える集団ではなく、「地方財政」についての審議会だ。

ところで、理由内でキーワード的に使われている「税制のグリーン化」という言葉に首をかしげてしまった。税を課すことでクルマの販売を抑止することができ、それが地球環境にプラスに働く・・・ということを指しているのだろうか。

クルマの走行距離を抑制するためにガソリン税を操作するのならわかるけど。車の販売を抑える政策(つまり車の生産を抑える政策)がグリーン化(地球環境保護)のために必要なら、国内海外問わず、また自動車と言わずすべての製造業の活動を抑制しなければ理屈に合わないが、日本は本当にそれでいいのか。

また「新たな関連税制の姿を示すことなく廃止することは不適当だ」という主張の論理的整合性が分からない。当初から財源確保ありきの発想自体が貧困というものだろう。

世の中は変わってきているのだから、税に対する考え方も変えて行かなければ。ただ取れるところから取るではお粗末だ。前例主義的で硬直化している。

前例主義と言えば、日本の大学も負けていない。僕はこの春から米国にいるのだけど、まったく学内の動きが分からないのは帰国後の仕事に差し支えると考え、最小限の情報を得ておくために会議資料をこちらに送ってくれるように以前頼んだことがある。

その当時の事務長が下した結論は、「これまで慣例的にそうしたことはしていないから、送らない」というものだった。前例に倣って決めればよいのであれば、管理職は必要ない。

そうした組織では過去のことを知っているかどうかが管理職に問われる能力になってしまい、本来の能力や熱意があっても、若い連中や外部から新しくやって来た人たちは仕事がしずらい雰囲気と環境ができあがる。変革を謳うのなら、まずはそうした前例主義の発想を根本的に変えなければいけないと思うのだが、どうだろう。

2012-10-22

カンダハール

昨日、カナダのモントランブランからNYに帰ってきた。戻ってからも頭の片隅に引っかかっていることがいくつかあるのだけど、その一つが「カンダハール」だ。

今回、旅先に持って行った一冊が藤原新也の『空から恥が降る』だ。その中に、カンダハールの話が出てくる。そこは、彼が若いとき訪れた、まだソ連から蹂躙される前のアフガニスタンの南の都である。

そこで彼は、病み上がりの上に空腹で弱っていたところを地元の農民に助けられ、その際、スイカのように大きなメロンを切り分けたものでもてなされた。そのことで文字通り生き返ったように元気になった彼は、その時のことをこう回顧している。

「長い人生の中のたった数十分の出来事だった。しかしその一瞬の邂逅は私の身体の記憶に深く刻み込まれた」

彼が9/11以降も一貫してアフガニスタン側に立ちコメントを述べてきたのは、この経験があったからだろう。

その日、そんな話を読み終えた後、モントランブランの村を歩いていると、ある一帯の家の住居表示がすべてKandaharなのに気付いた。そう、そこはカンダハールという地区なのだ。もちろん偶然なのだが。



2012-10-21

モントリオールのゾンビ

バスで一昨日と同じルートを逆にたどり、モントリオールへ戻って来た。

車中で、年配の日本人夫婦と出会った。モントランブランに一週間滞在していたそうだ。これからモントリオールへ戻り、その後トロントまで鉄道で移動した後、カナダ中央部のウィニペグへ飛行機で飛び、そこからは2泊3日の鉄道の旅を楽しみながらバンクーバーへ向かい、そこから日本に戻るとのこと。約1ヵ月の旅だと話していた。

2年前にご主人が仕事をリタイアして、それから計画を練っていたという。無事楽しい旅を続けられるよう言葉を交わし、モントリオールのバスターミナルで分かれた。日本にもこうした活動的でいい感じの年配のカップルが増えるといい。

外国で見かける日本人観光客というと、どういうわけだか中年女性の団体が多い。どのおばさんも同じような身なり格好をして、固まって歩いているので目立ち、すぐ分かる。最近は中国人のグループも多い。

南米のペルーで出会った日本人は、30代のカップルが多かった。ペルーは、中年のおばさんグループにはとっては「ロマンチック」じゃない場所なんだろう。

モントリオールに到着してから、僕はニューヨークへのフライトまでまだ時間があるので街の中をぶらつくことにした。途中で見かけた理髪店で髪を切ってもらった後(ずいぶん短く切られた)、アートセンター近くの公園で何やら騒がしい気配がするのでそちらの方へ向かう。

Montreal Zombie Walk という催しで、ゾンビのメークをした連中があちこちをうろついている。彼らは一般のゾンビファン(?)なのか、それとも役者が依頼されて演じているのか。何を狙った企画なのか確認せずじまいだったので趣旨はよく分からない。


まだ学生っぽいカップル。結構なりきっていた。
こちらもカップルで参加。どこで特殊メイクしたんだろう。
迫力満点のジェイソン。

アメリカン航空の飛行機は、左手にマンハッタン島を見下ろしながらロングアイルランド方面へ侵入していく。そこからゆっくりと左旋回した後、ジョン・F・ケネディ空港に到着した。着陸寸前、機体が何度か左右に大きく揺れた。左右どちらかの主翼の先端が滑走路にぶつかったのではないかと思ったが、なんとか無事着陸した。通路を挟んだ他の客と思わず顔を見合わせる。

ここからクイーンズのジャマイカ駅まで、いつものようにエア・トレインに5ドル払って乗車。カボチャを持った3人の男女(男2人、女1人)が乗っていた。僕と男の間の席に置かれたカボチャがあまりにも見事なので、それは作り物かと聞いたら、本物だと言う。他の2人が持っているカボチャも本物で、カボチャはスペイン産に限るなどと嬉しそうに話す。

ジャマイカ駅で6ドル25セント払ってロングアイルランド鉄道のチケットを買い、マンハッタンまで。そのホームでさっきのカボチャ・トリオとまた一緒になったので、Take care of your pumpkins!と乗り込む際に声をかける。

ところで、日本のカボチャはパンプキンとは種が異なる。こちらではそれをsquashという。飲み物かスポーツみないな名前だ。 

ペン・ステーションで地下鉄に乗り換え、アッパーウエストサイドのアパートに到着。建物に入ると、エントランスにハロウィーンの新しいディスプレイが。カボチャのお化けだ。



2012-10-20

Oh My Deer

天気予報によると、モントランブラン地域は雨だとか。朝食をとりながら、さて今日一日どうしようかと考える。

空を見上げると曇ってはいるけど、すぐには降らないし、降っても大雨にはならないのが分かる。しかし、山頂(トレンブラン山)までのケーブルカーは営業していない。風が強かったり、天候不順の時には運行しないと表示してあるが、今日はなぜ運行しないのだろう。もうシーズンが終わってしまってるのか。

しかたないので、トレッキングルートを歩くことにした。山の中は落葉に埋もれてルートが分かりづらくなっているので、ルートから逸れないように慎重に進む。

聞こえるのは耳元で鳴る風の音、こずえがそよぐ音、枯葉が足下を舞う音だけ。4時間ほど山道を歩いて麓の村に戻ってきたが、その間誰とも会うことはなかった。最高の思索の時間である。途中で出会ったのは、野生の鹿だけだった。



2012-10-19

紅葉を探してカナダへ

2週間ほど前、僕が大学を出て最初に就職した会社の先輩から、栂池高原と八方尾根の紅葉の写真が送られてきた。今年の紅葉が最高潮の時期に訪れたらしい。日本の秋をどうぞ、という心遣いである。目にも鮮やな日本の風景だった。

それに触発された訳ではないが、近場でどこか紅葉がきれいなところ考えたあげく、カナダのモントランブラン(Mont-Tremblant)を訪ねることに。

今日、ニューヨークからカナダにやって来た。本当は先週あたりの予定だったのだが、大学の用事で一週間ほど遅らせた旅になった。

到着したモントリオール空港の入国審査場は、がらんとしていた。窓口も2つ開いているだけだ(先々週の月曜日は米国がコロンバス・デーで祝日だったため、その週末はずいぶん大勢の米国人が訪れたらしい)。

窓口の担当官から「目的は?」と問われ、短く「観光」と答える。彼女が入国記録のハンコをどこに押そうかパスポートをめくっている間、「これからモントランブランに行くんだけど、もう紅葉は終わりだっていう話も聞いていて・・・」と言うと、彼女はパスポートを僕に返しながらこう言った。「モントランブランに行くのね。とてもいいところよ。そうね、山の上の方はもう散ってしまってるんじゃないかしら」。

一瞬、僕の顔が曇ったのを見て取ったのか、彼女はこう続けた。「紅葉は散ってしまってるかもしれないけど、その分たくさんモミジが下に積もっている。私は落葉の匂いが好きなの。だから、その上を散歩するのが大好き」。日本の入国管理官で、海外からの旅行者にこんな気の利いた対応ができる人がいるか。頭の良さような20代後半のメガネ美人である。

モントリオールの空港から市内へ。そこからは、目的地のモントランブランまでバスだ。ローカル線のバスで、いろいろ回り道をしながら進む。地元の人たちが途中で次々降りていき、やがて乗客は僕だけに。そして約3時間半、最終地で下車した。

2012-10-18

フランスからのアクセス

このブログへのアクセスは、日本からが一番多い(日本語で書いているから当然だろうね)。次に米国。その後は日によるのだけど、ある日はロシア(なんで?)、ウクライナ(どうして?)、香港、台湾、豪州、英国、ドイツといった順番だったのが、フランスに関することを書いたら、一気にそこからのアクセスが増えた。フランス人も最近では日本語を解するのか?

2012-10-17

悪趣味とはこういうことを言う

日本のメディアでも話題になっているらしいけど、フランスの国営放送がサッカー日本代表GK川島選手についての畸形の合成写真をバラエティ番組の中で映し、司会者が「福島(の原発事故)の影響だろう」とコメントしたという。その時、スタジオ内では笑いと拍手が起こったそうだ。

これを「フランス流のエスプリ」と言われてはたまらない。単なる無知と悪趣味である。

2012-10-16

ハロウィーンの飾り付け

アパートに帰ったら、玄関の一部にハロウィーンの飾り付けがしてあった。


日本人には、不思議な感じである。

2012-10-14

グレン・キャンベル、ラスト・ツアー

グレン・キャンベルのコンサートを観に行った。

昨年、自分がアルツハイマー型認知症を煩っていることを公表し、その後これが最後だというスタジオ録音アルバムを制作した。いま、完全引退へ向かうためツアー(The Goodbye Tour)を行っている。ニューヨークは、今日のカーネギーホールでの一公演だけだ。

きら星のような楽曲。優れたギタープレイ。そして、思っていた心配を吹き飛ばすようなしっかりした歌声が聞けた。ただ、バックバンドのメンバーによる前座演奏が長く、彼がステージに立ったのは1時間ほどだった。

彼が活躍した中心的な時期は、ほぼビートルズと重なっている。その時期、カントリー&ポップスのシンガーとしてアメリカの音楽界を引っ張ってきた。

2012-10-10

Who is Yoko?


Imagine all the people living life in peace.

昨日のニューヨーク・タイムズ紙に掲載されていた全面広告。ジョン・レノンのイマジンの歌詞の一節と"Love, Yoko"のクレジットが記されている。

シリアやアフガニスタンなどの地では、今も数多くの人たちが戦いで死んでいる。

Simplicityのお手本のような広告だけど、広告主の表記が Yoko だけだなんて。
 
こちらでファーストネームだけで通じる日本人女性は、おそらく彼女とMidori(五嶋みどり)だけだろう。男性は、イチロー。他に誰かいたかな・・・。

2012-10-07

マスコミとジャーナリズムのあいだ

米国で「マスコミ」という言葉を目にすることはない。本来の英語ではないから当然だが、その元になったマス・コミュニケーションという言葉すら、こちらで日常的に見聞きすることはあまりない。

日本で使われているマスコミにあたるのは、こちらではジャーナリズム、ジャーナリスト、ニューズ・レポート、メディア、ニューズ・メディア、あるいはプレスという言葉だ。一方、日本ではあまり目にしない言葉がジャーナリズムであり、ジャーナリストも芸能レポーターも一緒くたで「マスコミ」と呼ばれているのが日本の現状である。

米国にはジャーナリズムを専門に教える大学や大学院のコースがたくさんある。日本ではどうだ。ほとんどない。そうしたコースを修了したからといって優れたジャーナリストになれるわけではないが、日本のようにジャーナリズムに関しての基本的な知識やトレーニングすら踏んでいない者しかおらず、すべてメディアや通信社に就職してからのOJTというのはどうだろう。

結果、日本には「ジャーナリズム」も「ジャーナリスト」も不在で、それゆえミソもクソも「マスコミ」で一括りである。「マスコミ」と呼ぶ際に、その意図している対象を明確にして適切な用語を使うことからしか日本人の意識は変わらない。意図が先にあって言葉が選ばれているのではなく、不用意に(無意識に習慣的に)言葉を使うことから意図が曖昧なまま放置されている例だ。

2012-10-04

Harvard Club

今日は、44丁目にある Harvard Club of New Yorkで早稲田大学ニューヨーク事務所主催の講演会があり、そこで少しスピーチをさせてもらった。ここはハーバード大学の関係者およびその同伴者のみが利用できる「倶楽部」だ。

今回はマーケティングの話ではなく、日本のマクロ経済の状況、とりわけメディアからのそれらの報道をわれわれがどう受け取るか、その認識の仕方について僕なりの提言をさせてもらった。

聴衆がどのように受け取ってくれるか少し心配していたのだが、講演会後の懇親会の席でニューヨーク在住の日本人の方から「あそこまでストレートに日本経済について日本人のあるべき受け取り方を話してくれた講演を初めて聞いた」といったコメントがあり、こちらが意図したことがだいたい聴衆に伝わっていたようでほっとした。

懇親会後は、関係者とハーバード・クラブのメインダイニングで食事をした。ネクタイをしていなかった僕は、レストランの入口で呼び止められネクタイを渡された。たまたま今日はジーンズじゃなかったからいいものの、ジーンズでの入店は認められていないとか。そうした格式高さが、いかにもという感じでそれらしい。

2012-10-01

ヘルメットなし走行は危険か

以前も書いた通り、ニューヨーカーは自転車が好きだ。先日紹介したブルックリン・ブリッジもそうだが、セントラルパークやリバーサイド・パークなどでも自転車道がよく整備されていて、天気のよい休日などは多くのサイクリスト(こっちではバイカーと呼ぶ)が走りを楽しんでいる。

米国では自転車に乗る際のヘルメット着用は法律で定められたものではないが、なかば強制的な雰囲気がある。ヘルメットを被らず自転車に乗っている者を、安全意識や責任感にかけた人物とみなすところがある。喫煙者を見る目と共通しているかもしれない。

自転車を楽しむ人の多さは、自転車先進国とも言えるヨーロッパの各都市でも同様だ。ただ、自転車に乗る時にヘルメットをかぶるかどうかは両者でかなり異なっている。ヨーロッパでは、子どもへのヘルメットの着用は求められているが、大人はほとんど被らない。ヨーロッパの都市で、自動車の利用を減らすための方法としてバイク・シェアが普及している理由の一つは、ヘルメットの着用といった面倒なことが求められていないことにある。

あるデータによると、土地が平らで、道がよく整備されており、気候に恵まれたメルボルンではバイク・シェアの利用者は日に150人。一方、坂道が多く、舗装されていない道が多い、しかも寒いダブリンでは日に5000人がバイク・シェアを利用している。メルボルンはヘルメット着用が義務づけられていて、ダブリンはそれがない。

ヘルメットを被って自転車に乗るべきかどうか、シドニーのある大学の教授が数学モデルを使って調べたらしい。彼は「もしヘルメットを被って自転車に乗るというのなら、われわれは階段を上り下りする時や風呂に入る時にもそうすべきだ。なぜなら、そうした時に怪我をする確率の方がもっと高いからだ」と述べている。

レースに出場する場合やクルマの脇をすり抜けながら走らなければならない場合は別だろうが、自転車道を普通のスピードで走る時には、ヘルメットは被っても被らなくても大差はなさそうである。

周りのみんながヘルメットを被っているから、あるいはそうしないと危険に違いないから、というような先入観だけで行っていることは僕たちの周りには他にもありそうだ。たいして意味がないことを思い切って止めてしまうことで、何かが変わるということがある。

ところで、ニューヨークでも来年から自転車1万台をつかったバイク・シェアのプログラムが実行に移される。市長のブルームバーグは、ヘルメット着用を義務とすべきとする条例の制定要求を却下した。そうした条例によって自転車が危険な乗り物と認識され、利用する人が減少すると考えたからだ。現実的な判断である。

2012-09-30

自らが最悪の敵

先日のテレビ番組「サタデー・ナイト・ライブ」でのジョークを追ったかのような記事が、ニューヨーク・タイムズに掲載されていた。

大統領選に関する内容である。ミット・ロムニーは各地で失言を披露するとともに、大統領候補者らしからぬ昔の発言がメディアによって暴露されている。

例えば、Mother Jones Magazineは、1985年にロムニーがベイン・キャピタルのミッションとして「起業したばかりの企業ならびに既存企業に対して投資を行い、実質的な経営権を握ったうえで、願わくば5年から8年後にはそれらから利益を充分に絞り取る」ことだとプレゼンしているビデオをウェブ上に掲載した。それを見る限り、彼(ら)は、投資家の方は向いていても、そうした彼らのやり方の過程で職を失う人たちや地域のステークホルダーのことなど一顧だにしていないようだ。

ニューヨーク・タイムズはロムニーについて、"Romney is his own worst enemy." と書くとともにこう続けている。
In fact, the more Romney talks, the more damage he does to himself.  Romney's only hope is that Obama slips up, makes a gaffe or some never-before known fact emerges that speaks negatively of the president's character. 
今後の両者のディベイトが楽しみだ。とりわけ、さっそく来週火曜日の夜に行われる討論会がどうなるか見物である。

歩いて5時間の村のカーディガン

朝夕寒くなってきた。今朝、扇風機を物入れにしまった。そして、外出用に先月ペルーのクスコで買ったアルパカのカーディガンを用意した。

クスコは、標高3400メートルの町である。だから、昼間は汗ばむほどでも、夜明け前や夜は肌寒さを感じた。そして僕は夏のニューヨークから来たため、防寒具は何も持って来なかった。

クスコに到着した翌日、セーターか何かを1枚買おうと町に出た。町の中心部のある広場に面した店で、シンプルなデザインのカーディガンを見つけた。ベイビー・アルパカの毛が100%使われている保証書がついている。値段もそれなりなので、値切り交渉に入ったけどなかなかまけてくれない。

シャキシャキした若い女性の店員さんが言うには、地元の女性と子どもを支援するためにフェアトレードを行っているのでまけないとのこと。確かにそうしたパンフレットも置いてある。Consortia Trinidad Enriquez という団体だ。

誰が作っているのか尋ねたら、近くの村に住む子どもを持つ女性にセーター編みの技術指導をし、できた製品を買い取っているとか。村の名前はマルカパタ(Marcapata)だという。場所はどこかと聞いたら、「ここから歩いて5時間ほどのところよ」と返ってきた。

セーターやカーディガンを編んでいるお母さんたちは、編み上がると片道5時間の道を歩いてクスコに持ってきているのである。日帰りだろうか、それとも店に買ってもらった代金の一部で町に一泊していくのだろうか、などと考えながらそれでも値引き交渉を続け、最後には彼女から "You are terrible!(あなたって、サイテー!)" と言われ、"Everybody says so.(みんなそう言ってる)" と応えながらも少しばかりまけてもらって購入したカーディガンだ。これからしばらくお世話になろう。

付いていた商品タグ

2012-09-29

「ハーモニカおじさん」は90歳になった

60丁目のコロンバス・サークルにあるJazz at Lincoln Center内のRose Theaterでトゥーツ・シールマンスのコンサートがあった。「Toots Thielemans: Celebrating 90 Years」のタイトル通り、彼の90歳を祝う意味も込めたイベントだ。


歳のせいかさすがに勢いはなくなりフルトーンでは吹かなくなってしまったけど、それでもいい音色を聞かせてくれた。それに、彼くらいになるともうハーモニカの演奏が上手いとか下手とかではなく、僕たちが聞きたいのはトゥーツおじさんならではの独特の叙情性なのだ。

『真夜中のカウボーイ』や『シンデレラ・リバティ』といった60年代末から70年代のアメリカ映画で彼のハーモニカを知った。それからずいぶん長い年月が過ぎたが、ここニューヨークで初めて彼の生演奏を聴くことができた。感慨、深し。

ゲストの一人としてピアノのハービー・ハンコックが登場。その彼ももう71歳!

2012-09-28

The Lie Factory

9月24日付けのThe New Yorker 誌に、"The Lie Factory: How Politics Became a Business"と題する記事が掲載されていた。アメリカでは1933年に政治キャンペーンを扱うPR会社が初めて誕生し、ニクソンやアイゼンハワーなどの米国大統領だけでなく州知事などの選挙に結果的に大きな影響力を及ぼしてきた。それは今も延々と(さらに強化、洗練されながら)続いている。

その対象は、選挙だけではない。アメリカが公的な健康保険の制度を築くのをA.M.A. (American Medical Association; 米国医師会)の依頼により様々な手段を講じて阻止し、そのことは現在も米国民の問題として残されている。

この記事でThe Lie Factoryと指摘されているCampaings, Inc. というコンサルティング会社を設立したのはWhittaker & Baxterの2人である。彼らの大衆の理解は実に研ぎ澄まされている。人間の心理を正確に理解している。

「投票者は基本的に怠け者である。本来的に、私たちが何を伝えようとしているのかを<努力して>理解することには関心がないのである」とか「理屈を理解するにはそれなりの知識と理解度、それに集中することが求められる。だが印象を与えるのは容易だ」といった本記事で見受けられる数々の彼らのコメントは残念ながら正鵠を得ている。そうした「理論」とともに、彼らはクライアントが用意した多額のメディア費用をベースにアメリカの大衆をいともたやすく誘導し続けてきた。

記事では、選挙におけるコンサルタントの役割に関しても触れている。「コンサルタントは選挙キャンペーンを張るだけではない。彼らが政治を仕切るのだ」と述べ、ミット・ロムニーがウォールストリート・ジャーナルの編集委員からどうやって閣僚を選ぶのかと質問された際、「たぶんそうしたことはマッキンゼーにやらせる」と答えたと紹介している。

『戦争広告代理店』(講談社)という、NHK記者が書いたドキュメンタリー本があった。つくづくアメリカという国におけるメディアの強力な(強力過ぎる)影響力の是非と国民の、それらからの情報操作に対するリテラシーのレベルについて考えさせられた。

2012-09-25

バラク・オバマの秘密兵器

こちらでは米国大統領選の報道が日増しに増してきている。その中で、相変わらず続くミット・ロムニーの失言に失笑させられる。失言というより、「低所得者層などは相手にする価値がない」といった、ポロッと漏らしてしまった本音をメディアで批判されているのであるが。

先日のサタデー・ナイト・ライブ(NBC)でも揶揄されていた。失言の多さをから、「バラク・オバマのシークレット・ウェポン、それはミット・ロムニーだ」というギャグは傑作だった。

2012-09-24

自転車にやさしい街

夏のあいだ、暑くてなかなか出かける気にならなかったブルックリン・ブリッジへ出かけた。この橋は3階建てで、その最上階が歩行者と自転車用の通路になっている。下の写真のように、さほど広くない通路をセンターラインで仲良く二分している。


ニューヨーカーは自転車が好きだ。地下鉄でも自転車をよく見る。


そういえば僕が高校生の時、アート・ガーファンクルが日本に一人で観光にやって来て、東京と京都と回っていったらしいのだけど、東京で山手線に自転車を持ち込もうとして改札で駅員に制止されたらしい。そんな話を雑誌で読んで、高校で同級生たちと「ガーファンクル、バカだなあ〜」などと笑いあったことを思い出した。

でも、コロンビア大学の学生だったガーファンクルには、自転車を電車に載っけて移動するのは普通のことだったのだろうと今になって分かった。確かに自転車もスーツケースなどの荷物と同様と考えれば、担いで運べるのであれば構わないんじゃないか。

日本でそういったことを言うと、混んでいる電車で周りに迷惑だとか危険だとか反論が出るんだろうね。まずは、自転車を持ち込める車両をいくつか指定して実験してみてはどうだろう。

2012-09-23

ビルマかミャンマーか

たまたまチャンネルを合わせたC-SPAN(Cable-Satellite Public Affairs Network)でアウンサン・スーチーさんを見た。先週の火曜日に米国平和研究所とアジア・ソサエティが主催した会の模様である。

ヒラリー・クリントンからの紹介の後、1時間ほど米国とビルマの関係を中心にビルマの置かれている状況について、静かに、しかし力強く話をした。語るべきものを持った人の言葉の強さとはこういうものかと痛感する。

この際の放送内容は以下のサイトで見ることができる。
http://www.c-span.org/Events/Burmese-Opposition-Leader-Speaks-on-US-Myanmar-Relations/10737434181/

彼女は自分の国をミャンマーではなく、ビルマと表現する。1989年6月に軍事政権が対外向けの英語国名をBurmaからMyanmarに変えた。彼女ら強く民主化を求める人たちはいまもミャンマーとは自国を呼ばない。

米国のメディアは、Myanmar (Burma) と表記するところとMyanmar と表記するところがある。英国のBBCはいまもBurma と表記している。しかし、日本のメディアは軒並み「ミャンマー」表記だけである(日本政府はフランス政府と並んで、もっとも早く軍事政権による英語国名変更を受け入れた)。

2012-09-22

ニューヨークはゆっくりと秋へ

研究室の引っ越しのため日本に一時帰国した後、学会出張でポーランドを訪ね、パリ経由でニューヨークに帰ってきた。NYは日本に比べればもう秋だが、ポーランドに比べればまだ夏だ。

それでも、日中は半袖でも平気だけど、夜になると長袖が欲しくなる。9月も下旬に入り、確実に秋が近づいてきている。店のショーウインドウにはハロウィーンを連想させるカボチャが飾られていた。


2012-09-21

クールジャパン、狂うジャパン

日曜日の午後、ポーランドの首都ワルシャワの目抜き通りともいえる新世界通りから王宮広場を目指してを歩いていたら、オスッという子どもたちの元気な声が聞こえてきた。

空手を習っている少年たちの演武だ。空手着には「極真会」とある。そして、師範だけでなく、子どもたちの空手着にもそれぞれ片仮名で名前が書いてある。

ヤァッ、という掛け声で少年が板割りをするたび、観客から拍手が起こる。


下はクラクフ市内で見つけた生徒募集の貼り紙。

ポーランドは日本との縁が強いらしく、こうした武道が盛んなのはその影響かもしれない。

武道に何を求めるかは人それぞれだろうが、理屈抜きに武道はカッコいい。

経済産業省は、アニメや漫画、幼稚なファッションや風俗をクールジャパンと称して輸出促進のテコにしようとしているようだが、それより武道を海外に広める手立てを考えてはどうだ。空手や柔道の方がよっぽどクールだ。そして日本理解にも役立つ。

2012-09-19

クラクフのユダヤ人地区を歩く

クラクフの中心から徒歩で2、30分のところにカジミエシュ(Kazimierz)といわれる地区がある。ここは1335年にクラクフとは別の町として作られた。

15世紀以降多くのユダヤ人が住みつき、ユダヤ人街となった。シナゴーグ(ユダヤ教会)が多くある。このエリアは、スピルバーグが監督した『シンドラーのリスト』のロケ地として使われたらしい。一番上の写真は、ポーランド最古のユダヤ教会であるスタラ・シナゴーグ(Synagoga Stara)。





2012-09-18

インターシティでクラクフへ

ワルシャワから南へ300キロほど、インターシティ(鉄道)でクラクフへ。クラクフは、11世紀中頃から16世紀の終わりまで約550年間にわたりポーランド王国の首都として栄えた都。ポーランドでは、首都のワルシャワが東京とすれば、クラクフは京都にたとえられる。


市内のセント・ピーター&ポール教会で夜8時からコンサートがあった。入場料60ズウォティ払って入る。演目はバッハ、ブラームス、ヴィバルディなど。チェンバロの響きは教会の建物の残響にとてもマッチしている。


2012-09-17

ワルシャワへ

ポズナンの学会で報告を終え、ワルシャワに戻ってきた。市内を少し散策する。ポーランドと言えば、ショパン、キューリー婦人、そしてコペルニクス。

ポーランド科学アカデミーの前に立つコペルニクス像。

ホテルからの市内駅周辺の眺め。