2024年12月29日

実感のないインチ表示はやめよう

インチ表示について考えてみる。インチキ表示ではないヨ。

手持ちのEブック(電子書籍)リーダーのバッテリーがへたってきたため、新しいものを買うことを考えている(バッテリーの交換修理サービスを提供しているところもあるようだが、僕のはモデルが古いため対象外)。

本を読むとき紙かディスプレイかというと、間違いなく紙の方が好きなのだが、海外へ行っているときはそうはいかない。電子ブックはとにかく持ち運びが便利。どこの国にいても、何語の本でもすぐに手に入れられるのですごく助かっている。手放せない。

電子書籍を読むのは、iPadのようなタブレットでもいいのだけど、kindleに代表されるEインクを用いたものの方が読みやすく、デバイスも軽くていい。

ということで、1台新調することにした。メーカーは複数ある。それぞれに機能や価格もいろいろ。大きさも複数の選択肢がある。6インチ、7インチ、8インチ、10.2インチといったぐあい。

ただそうした選択の際によく分からなくて困るのが、画面の大きさについてだ。インチの数が大きければ画面サイズが大きいのは分かるが、実際に手に取ったとき、どのくらいの画面の大きさなのかピンとこない。

電子ブックリーダーだけではない。スマホもタブレットも、デジカメのモニターも、テレビもすべてその大きさを示す単位として<インチ>が使われている。本来、インチは、主に米英で用いられている度量衡法であるヤード・ポンド法の単位である。

日本ではかつで尺貫法(長さは尺、容積は升、重さは貫)を用いていたのを1921年にメートル法(メートル、キログラム)を採用し、その後、尺貫法は1959年に廃止された。

そうやって古来用いていた尺貫法を廃止し、メートル法に移行しておきながら、なぜヤード・ポンド法の「インチ」を日本人が平気で使っているのか、なんとも不可解かつ不愉快である。

そもそも1インチが何センチかなんてことを、正確に知っている日本人がどのくらいいるのかね。100人のうち3〜5人くらいかなァ。それを知ってなければ、実際の長さを理解できないはず。正解は2.54センチ。

電子ブックリーダーのディスプレイやテレビ画面のサイズを示すのにインチが使われていることに抵抗感があるもうひとつの理由は、それらは画面の対角線の長さを示しているのであって、大きさ(画面サイズ)は表していない。

つまり、アスペクト比(画面の縦横比率)が違えばインチ数が同じでも画面の大きさは異なる。このように、現状用いられている単位は本当は分かりづらい単位なのである。

テレビやスマホ、電子ブックの画面サイズをイメージしたいときにイメージしたいのは対角線の長さではなく、その画面の大きさである面積。だとしたら、別の尺度が欲しい。

ひとつの考え方は平方センチだ。例えば32インチのワイド画面(16:9)テレビは、2,816平方センチ、64インチなら11,265平方センチになる。

うーん、これも慣れないと分かりづらい。ならば、皆が使い慣れているはがき(ポストカード)のサイズ(10センチx14.8センチ=148平方センチ)を1単位にしたらどうか。たとえば32インチのワイド画面テレビは19ps(postcards)、64インチのテレビはその4倍(2x2)の76psと表す。それぞれ、はがき19枚分、76枚分の大きさ(画面の広さ)の意味である。

この方がずっと分かりやすいと思うのだが、どうだろう。


2024年12月28日

犯人の顔になぜぼかしが必要なのか

千葉県内の企業に賊が押し入って金庫などを持ち去ったというニュース。事務所内の防犯カメラに犯行の様子が映っていて、犯人が室内を物色したり、金庫を抱えて歩いている(!)映像が番組で公開されていた。

ところが、なぜか押し入った賊の顔が視聴者に分からないよう、わざわざボカシが入れてある。防犯カメラに記録された映像がオリジナル、つまり加工されたフェイクでなければそのまま使用すればいいはず。

そうすることで犯人逮捕につながるかもしれないのに、なぜ顔にボカシを入れるのだろう。犯人たちのプライバシー保護を重視してのこと? 

 
(TBSテレビ「報道特集」から)

局の視聴者センターに電話して、犯人の顔にボカシを入れる理由を訊ねたが、担当の窓口の回答は「他のテレビ局もそうしている」とか「警察署の指名手配の犯人の張り紙には顔写真が出ている」など、ピントが完全にずれている。笑うしかない。結局、顔写真を出すことで犯人逮捕にも繋がるのではないか、とのこちらのコメントに「ではそう関係者に伝えておきます」でおわり。 

ただ、こうした映像処理は、警察などの捜査当局からの指示ではなく、テレビ局自体の判断で行っていることは確認できた。

残念ながら、これが今の日本のテレビ局の実状のようだ。

2024年12月26日

検察庁の報告書

袴田巌さんの再審での無罪判決の確定を受けて行われていた、当時の捜査に関する検証結果を最高検察庁が公表した。

その報告書のなかで、最高検察庁が奇妙なことを言っているのが引っ掛かかる。犯行時の着衣として検察が有罪の根拠とした「5点の衣類」についてのことである。

例の5点の衣類

ことし9月、静岡地方裁判所は再審で無罪の判決を言い渡し、有罪の拠りどころとされてきたこれら5点の衣類について捜査機関がねつ造したと指摘した。

だが、検察側は今回の報告書でそれは「現実的にありえない」と強く否定した。

技術的にありえないとか、時間的にありえない、といった言い方は方便としては可能かも知れないが、現実に向かって「現実的にありえない」とはどういう意味か、日本語の理解に苦しむ。

このところ検察庁内での不祥事が続いているが、ひょっとするとこうした不適切な日本語(言葉)をおかしいとも感じなくなっている感覚がそのベースにあるのかもしれない。

いや、それだけではない。捏造を認めたら、次はそれを誰が指示したかを世間から問われることになるのを怖れ、組織防衛のために嘘を承知で突っぱねていると考えるのが妥当か。

それにしても警察が袴田さんを容疑者として逮捕したのが1966年のこと。彼が死刑判決を受け、その後冤罪が明らかになり、無罪判決が確定するまでに58年がかかっている。

さすがにそこまで時間をかけてもらっては困るが、もう少しじっくり本気で検証をすべきだろう。自分たちのやった誤りはこれでさっさと幕引きとするつもりなのだろうが、国民の信頼はそれでは回復しない。

2024年12月20日

一人当たりGDPから考える

今年の年初、日本が名目GDPでドイツに抜かれたというニュースがあった。日本は4兆2106億ドル、ドイツは4兆4561億ドルだった。

それは意外なことではなく、というのも、日本の人口は減少傾向にあると言えどまだ1億2400万人もいる一方、ドイツの人口は8400万人で日本の3分の2。ずっと以前から、一人当たりのGDPではドイツは日本を越えている。

その一人当たりGDPで、一昨年に日本は韓国を下回った。さらに、今年は台湾を下回ったとの試算が出た。推計では、韓国や台湾との差は、これから年を追うごとに開いていくと見られている。ちなみに日本の2024年の実質経済成長率は、アジア・太平洋地域の18ヵ国のなかで唯一マイナス成長になる見通しである。

こうしたわが国の労働生産性の低さについて、ある種の識者と言われる連中は日本が取るべき対応としてDXの推進とリスキリングをあげる。それで問題が解決すると思っているのが実に愚かに見える。

考え方や発想、戦略的な思考を大胆に変えることなく、ただ人の手をデジタルに変えてもたかが知れている。すぐにその生産性向上の効果は逓減していく。

また、リスキリングと彼らが呼ぶものも同様。そもそもリスキングとは何なのかが不明なまま言及されている。リ・スキリングで具体的に何を学び直すのかが語られないまま、イメージだけでもっともらしく吹聴されているのが不思議でならない。

大切なことは、誰が、何を、どういう目的で、どう学び、どういった成果に結びつけるかを明確にしてからスタートしなければならないことであるのは明らかなのに。

まるでアスリートに対して、スポーツ選手なんだからとにかく体力を鍛えよ、と言っているようなもの。スポーツ選手と言ってもマラソンランナーなのか、卓球の選手なのか、ウェイト・リフティングの選手なのか、それぞれトレーニングの内容はすべて個々に異なるはず。

バカの一つ覚えで、何かあればすぐリスキリングが重要と口走るみっともなさに、いい加減辟易する。

日本経済の歯車がギシギシと軋み、やがてかみ合わなくなってきたその原因はどこにあるのだろう。経済の歯車はかみ合わずうまく廻らないだけでなく、安倍政権以来の巨額な国債の発行で借金だけが積み上がっており、やがては首が回らなくなる。

植田日銀総裁は、昨日の金融政策決定会合後に「利上げの判断に至るまでには、もう1ノッチほしい」と語ったらしいが、そもそも歯車がかみ合っていないなかで1ノッチを気にする方がおかしい。責任回避の煮え切らなさがうかがえる。


このランキングを見ると、残念ながら日本人は決してもう豊かな国民ではないなと思うとともに、海外からの旅行者(インバウンド)を受け入れることはできても、自分たちは海外に以前のように遊びに行けなくなっている状況も納得がいく。

2024年12月15日

3日かけてセーターを売りに来る

冬を控えてセーターを何枚か取り出した。これは、ペルーに行った折にクスコの町で買ったもの。

時期が8月だったので防寒など考えることなくペルーに出かけたのだが、現地は標高3400メートルの地。朝夕の冷え込みを甘く見ていた。

マルカパタという村に住む女性がベイビーアルパカの毛で編んだセーターは、なめらかな肌触りでとっても温かい。彼女は編み上がると歩いて3日かけてクスコの町へやってくるのだという。その距離は165キロだから、確かにそれくらいはかかる(東京から栃木県の那須あたりまでに匹敵する)。道中は3,000メートルを超える峠道である。 

マルタパカークスコ

マルタパカの村

マルタパカの村

僕は旅先で土産物を買うという習慣がない。理由は、旅をするときは荷物は最小限にしておきたいということと、土産物を選んで決めるというのが得意でなく、そして時間がもったいないと考えているからだ。

でもお土産ではなく、旅に必要なものを現地で調達することはよくあるし、それらは衣料品や小物、薬まで、旅から帰っても十二分に活用している。手に取るたびに旅の思い出が蘇り、懐かしい気持ちにしてくれる。

2024年12月14日

シリアとライスプディングと豊島美術館

親子2代にわたる独裁政権によって国民に対する圧政が続いていたシリアのアサド政権が崩壊した。

アサド政権に抗する反政府活動は長年続いていたが、今回はシリア解放機構(HTS)率いる反政府勢力が一気にダマスカスに入城、政府省庁や刑務所、国営放送局などを陥落させた。

長年の願いだったのだろう、市民らが心からアサド政権の終焉を喜んでいる映像が伝わって来た。ここでも前大統領の像が市民によって引き倒され、人々が喝采と雄叫びを上げていたのが印象的である。

後ろ盾だったロシアがウクライナの戦線に軍事力を注力せざるを得なかった状況を捉え、電光石火の10日間の攻防で首都を制圧したわけだ。

アサド政権の元でのシリア経済は悲惨な状況だった。かつて日産60万バレルを超えていた石油の生産は設備の老朽化などのせいで20分の1の3万バレルまで落ち込んでいた。代わりに外貨を稼ぐ手立てとなっていたのが麻薬の製造といった始末だった。 

シリアの人たちと親しく付き合っていた時があった。1980年代前半、浜松町の竹芝桟橋近くのマンションに住んでいたとき、一時、同じマンションにシリア人が10人ほど暮らしていたのである。

ある日、建物の管理人室の前で何やら揉めている様子があり、たまたま通りがかって通訳のようなことをしてやったのが、彼らと知り合ったきっかけだった。それから、彼らが日本で暮らすうえでのちょっとしたことを求められてアドバイスするようになった。

彼らは田町のNEC本社で長期研修を受けるために来日していた、シリアから派遣された通信関係のエンジニアたちだった。日本語はおろか英語もままならない人たちもなかにいて、人ごとながら日本にいる間は仕事の面でも生活の面でもさぞ大変だったと思う。

ある週末のこと、部屋のドアをノックする音に扉を開けてみると、スカーフ(ヒジャブ)を被ったシリアの女性がふたり。たいていは相手に助けを求めるような何か困ったような顔をして現れるのだが、その日はなぜかニコニコしている。で、自分たちの部屋まで一緒に来てくれという。

彼女らについていくと、そこではシリア人たちが車座になって座っていた。研修が終わる日が近づいているのだという。そうした気持のゆとりも手伝ってか、僕にこれまでのお礼を言いたいというので招いてくれたのだ。

そこで彼らにライスプディングを饗された。といっても、その時はそれが何かまったく分からなかった。目の前に出された大皿には白いかたまりがこんもり盛り付けられていて、それを好きなだけ自分の皿に掬って食べるよう勧められた。

初めて食したライスプディングはとても甘く、さらにミルクの匂いのする米粒の食感に最初戸惑ったのを覚えている。

シリアのニュースを見る度、竹芝桟橋近くのマンションの小さな一室で車座になっていたシリアの人たちの顔を思い出す。

そして、瀬戸内海の豊島に帰郷した折、近くの豊島美術館まで朝の散歩に行ったときには、あのこんもりと大皿に盛られたライスプディングを思い出すのである。

豊島美術館

2024年12月8日

銀行のいい加減な調査を問う

三菱UFJ銀行の社員が、顧客が契約している貸金庫から4年半にわたって金品をちょろまかしていた。

発覚したのは、貸金庫を利用していた客が何かおかしい、変だぞと気づいて指摘したことからだったらしい。


銀行側は、被害件数は約60人十数億円と説明している。と同時に「すべての支店の緊急点検を実施。2支店のほかに被害は確認されなかった」としているが、腑に落ちない。

被害者の数がはっきりしていないような杜撰な社内調査であるにもかかわらず、「ほかに被害は確認されなかった」とは人を馬鹿にした説明である。

いったいどうやって点検したのか。盗みの被害がなかったかどうかを完全に把握するためには、貸金庫の利用者すべてに中身を各自で点検してもらう必要があるはず。銀行預金の口座情報と違って、貸金庫の中に何が入っているかは利用者本人しか分からない。

三菱UFJ銀行はそれをやったのか、やってないのではないか。にもかかわらず、早々とほかに被害は確認されていないなんて公表して、とにかく火を早く消したいのだろうが、言っていることの筋が通っていない。

その銀行員は4年半も盗みを気づかれずにやってたんだから、他のボックス(貸金庫)からも札を抜き取ってた可能性は充分考えられるだけでなく、他にも同様の輩がいてもおかしくない。

また、10億円(!)をこえる大金が盗まれておきながら、その犯人の名前を公表しないのはなぜなのか? 自分たちは日本を代表する大銀行で、その大銀行からその社員は懲戒解雇されたのだからもうお仕置きは済んでいるとでも考えているのだろうか。

世間の常識からはずれた特権意識である。

2024年12月7日

学者と夫の距離

住んでいたマンションの火災で、政治学者の猪口孝氏とその家族の方が亡くなったという報があった。

彼のパートナーは同じく政治学者で現参議院議員の猪口邦子氏で、世間では彼女の方がよく知られた存在かもしれない。

仲の良い夫婦で、夫の孝氏はさまざまな面で妻の邦子をサポートしていたと聞く。それは大変結構なことだと思うのだが、報道された記事のなかにどうにも理解し難いところがあった。

それは、彼が政治家である妻を支援するなかで、しばしば周囲に「どうしたら邦子は総理大臣になれるでしょうか」と尋ねていたという点である。

邦子自身が一政治家として、総理大臣になりたいというのはあるだろう。しかしだ、一国の宰相にはそれなりの器というものが必要である。それが彼女にあるか。多くの人から好かれるキャラクターの持ち主のようではあるが、彼女の言動にはどこか浮世離れしたところがある。

孝氏は、その業績から日本を代表する国際的な政治学者であることに間違いはない。僕が首を傾げてしまうのは、政治についてこれまで何十年も研究してきたその専門家が、他でもない猪口邦子を「日本の総理大臣に」と願うに至る発想である。

そこにあるのは、親バカならぬ夫バカの個人的な感情のみ。その思いの前に、学者としての客観的な判断力が完全に失われてしまっている。

だが、それは猪口孝氏だけが特殊だったというわけではなく、机の上だけで学んできた専門家たちに往々にして見られる一つの特性かもしれないけどね。

2024年12月3日

石岡瑛子 I デザイン

最近の広告は面白くない。形だけ整えているだけで、表現としては死んでいるも同然。

まだ作り手の中には意欲を持ち、ビジネスの手段としての広告と表現物としての広告のせめぎ合いを買って出る志のある人もいるはず。しかし、企業(広告主)のなかからそうした度量と知性のある人間がいつの間にか消えてしまったようだ。

スマホのちっぽけな画面のなかですべてを満足させられてしまっているうちに、思考も視野も拡がりをなくしてしまったというのもある。

つまんねーなー、と思っていた矢先、石岡瑛子(1938-2012)の回顧展(石岡瑛子 I デザイン)が兵庫県立美術館で開催されているのを知り、なんとか会期の最終日に三宮の県立美術館へ足を運んだ。

彼女はグラフィック・デザイナー、アート・ディレクター、衣装デザイナー、プロダクション・デザイナーと、広告だけでなく書籍や雑誌の装丁、商品のパッケージデザイン、映画や舞台の衣装、同じく映画や舞台の舞台美術全般にわたる、アートに関しての幅広い実に多種多様な仕事をしている。
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/mishima.html

そうした膨大な仕事量を沸き立つような熱量で精緻にかつ大胆に仕上げているクオリティの高さには目を見張る。

今回の展示品は60年代から80年代の広告と出版に関するものが多かった。さすがにパルコの一連の広告に添えられたコピーは今ではすっかり古くさいが、石岡のアート・ディレクションは今でも刺激的だ。






2024年11月27日

気球で成層圏に行ける

風船から大型気球へ。そしてゴンドラから気密性キャビンへ。だけどやっている基本は同じ。

7年前にラジオ番組でインタビューした岩谷圭介さんが、テレビ番組に取り上げられていた。


ぼくはその後の彼の動向をまったく知らなかったのだけど、彼はその仕事を着実に発展させ、いまはベンチャー企業の経営者としてやっぱり宇宙を目指していることを知って嬉しくなった。

2017年に話をうかがったとき、彼は風船にカメラを載せて1万メートルの高度から宇宙の写真を撮っていると言っていたのが、いまはキャビンに人が乗り込み、2万メートルの高さまで飛ぶ。

静的浮力を持つヘリウムを使って空に向かう気球は、基本的には無音のはず。世界には宇宙観光の実現を目指すロケット・ベンチャーがいくつもあるが、無音の気球を使って宇宙へ上がっていく岩谷さんのプロジェクトが宇宙の神秘性をもっとも高めてくれるのは間違いない。楽しみである。

「木村達也 ビジネスの森」ゲスト 岩谷圭介さん<前編> 

2024年11月26日

斎藤的なるもの

斎藤元彦氏が兵庫県知事に再選したとき、兵庫県庁の職員は県民からずいぶん嫌われているんだろうということは容易に察しがついた。

県職員への不信や反感が、斎藤支援に向かった。つまり斎藤への投票のベースにあったのは、敵(県庁職員)の敵(斎藤)は味方、というシンプルな感覚であり、兵庫県の有権者にとって政策論争がどうだなんて、ほとんど関心がなかったと推測せざるを得ない。そして、それが彼らの民意だった。

と思ってたら、PR会社の女社長が出てきた。突然の登場だ。これで世間がまた騒ぎ始めた。斎藤は「彼女はボランティアだった」なんて白々しいこと言っているようだが、辻褄が合っていない。

斎藤の主張は「公職選挙法違反となるような事実はないと認識している」だ。知事選の前に県職員に対して行った所業の是非を問われた際に彼が使った論法とおなじだ。

PR会社の女社長Oはサイトの内容を削除したり加工して問題がなかったようにつくろいながら、姿はまったく見せない。コミュニケーションに関わる仕事をしているにもかかわらずだ。

いまは斎藤陣営から様々な懐柔策を持ち込まれているのだろう。SNSへの書き込み内容を嘘だったと証言する代わりに、「ほとぼりが冷めたら県からの仕事をしっかり用意するからさ」とか。で、O社長は、その路線にのった発言を持って姿を見せるような気がする。あとは、警察と検察がそれにどう対応するかだ。

いつまで続くのか、斎藤劇場。公僕の親玉としてちゃんと仕事しなきゃだめなんじゃないのかね。


それにしても、このところあちこちでこうした「斎藤的なるもの」が跋扈しているのが気になる。

2024年11月25日

Customer Harassment は、本来は「顧客への嫌がらせ」

誰が言い始めたのか、顧客による店頭での迷惑行為(言動)が「カスハラ」と呼ばれるようになった。カスタマーハラスメントを縮めた新語である。

その後、「カスハラ」が市民権を徐々に持ち始めると、企業は店頭での客から店員への暴言や嫌がらせだけでなく、店あるいは企業が迷惑だと考える客による行為を「カスハラ」と呼ぶようになった。例えば、コンビニの店頭に若者たちが集団でたむろしている状態やゴミの投げ捨てなどである。

そうした行為を「カスハラ」と呼ぶことで注意を喚起して止めさせようという考えである。迷惑だと思うのであれば、自らが相手に対峙して注意をすればいい。それができないから、「カスハラ」の社会的話題に乗じて圧力をかけて自分らにとっての問題を解決しようとしている。

今年の10月、英国のFinancial Times は東京都がハラスメント防止の条例を発布したのを記事にしているが、そこでは下記のように、顧客からの迷惑行為は customer nastiness、日本のカスタマーハラスメントは "kasu-hara" と表記されている。 

Officials in the Japanese capital are drawing up guidelines to accompany the new ordinance, which was passed by the metropolitan assembly last week to tackle customer nastiness known by the abbreviation "kasu-hara".

日本で用いられているような意味で「カスタマーハラスメント」が用いられている例は、海外では極めてまれ。つまり、これもまたガラパゴス現象のひとつと言える。

同様に、学術論文に customer harassment という言葉が登場するのも、ごくわずか。そのなかのひとつ、P. Kotlerと並ぶマーケティング界の泰斗であるJ. N. Sheth が、2001年の彼の論文のなかでcustomer harassment という言葉を用いていた。

それは、その頃台頭していたEメールをツールとしたマーケティング手法に関しての内容で、企業から顧客に向けて発信される大量のセールス・メールをcustomer harassment、つまり顧客にとっての迷惑行為と表現したものだ。

「カスハラ」はコスパやタイパと同様、日本ならではの用語法なのである。

2024年11月24日

谷川俊太郎のすがすかしさ

谷川俊太郎さんは、1982年に芸術選奨文部大臣賞に選ばれたが、辞退した。彼は民間からの賞はたくさん受けているけど、国家からの褒章は何も受けていない。

日本芸術院会員にも推されたけど、それも辞退した。そんなことを誰にも話さず、相談もせず、まるで通りがかったスーパーの試食コーナーでソーセージか何か勧められ「ぼくはいいよ」と断るように。たぶんね。

谷川さんのすがすがしさは、そうした決して国家に依らない、自由ですっと立っている姿にあった。

国や都や県や、そうした「お上」から褒章めいたものを目の前にぶら下げられると、それだけで嬉嬉として尻尾をふる人が多いけど。

2024年11月22日

アルバイト、これも立派な経験だ

最近よく耳にする言葉に「闇バイト」がある。不法アルバイトといった意味か。

行われているのは、数万円から数十万円を奪うがために民家に押し入り、人を傷つけたり、時に殺したりしているネット上で告知されている「アルバイト」である。

なんてバカな行為、なんて愚かな奴ら。金額の問題じゃない。奪う金額が10億円だったら理にかなっているというようなことではない。奥にいる薄汚い悪い奴らに乗せられ、ただの兵隊としてやってはいけないことを命がけでやらされている、間違いなくどうしようもないアホな連中。

犯行後に捕まったある若者は、「税金の滞納額が数十万円になっていると言われた」ことから、割のいいバイトを探したところ、X(旧ツイッター)で一晩15万円というアルバイトを見つけて応募したと言う。

このマヌケが。何の才能もない若者が一晩で15万円稼げるアルバイトなんてのは、体と精神をボロボロにされる身を売る仕事か、犯罪の手下しかないだろう。他に何がある?

そうしたことは、普通のアルバイトをやった経験があればサルでもわかるはず。自分の「相場」を否が応でも知らされるから。それを知っておくことは、人としてとても大切なことなんだよ。

深沢七郎が、以前、こんなことを書いていたね。

質屋へ行ったことがないなんて人は、ダメ。アルバイトをやらないなんて人は、ダメ。1日働いて、いくらってこと知ったら、三島由紀夫、ハラ切らないよ。

昔に書かれたものだから、質屋なんてのが出てきている。ボンボン生まれで金の苦労を知らなかった三島を揶揄した言い方になっているが、当を得ている。

Tシャツにジャケットは似合わない

先日なくなった谷川俊太郎さんは、いつもTシャツ姿だった。自宅でくつろぐ姿はもちろん、講演会などでも同様。Tシャツ以外ではスタンドカラーのシャツ、あるいはハイネック。ぼくは、彼がワイシャツのような普通の襟の付いたシャツを着ているのは見たことがない。


どういった考えがあったのかは知らない。聞いたことも、読んだことがないから。ただ、谷川さんにはTシャツがよく似合っていた。彼のその存在のあり方そのものだった。

ところでTシャツと云えばいつからだろうか、ジャケットの下に直接Tシャツを着る人たちが現れた。圧倒的に若い男性が多いように思う。あるいは、若さを気取っているそれほど若くない男たちも。

とりわけ、起業家を自称する男たちやネット系ビジネスの経営者たちは、まるで決まったようにジャケットの下はTシャツのインナーである。しかも足下を見るとストレートチップの革靴だったりして。スタイルというものがまるでないみっともなさである。

Tシャツの持つカジュアルさを若さを示す記号として使い、その一方でジャケットを着てビジネスマンとしての「きちんとさ」も年配者相手に示さなきゃという、どうにも中途半端な折衷思考だ。

何を着ようが人の勝手なんだけどね。ただ、ぼくには彼らの首すじあたりが汗臭く、昔から不潔に見えてしかたない。

スティーブ・ジョブズは黒のTシャツかタートルネック(スタンドカラー)が決まりだったが、決してその上にジャケットを羽織るなんてダサい着方はしなかった。

2024年11月21日

不適切にもほどがある

ドラマのタイトルではないが、不適切というか不適格というか、ここまでやるかとその振り切った姿勢に驚いた。ドナルド・トランプ次期米大統領の次期政権人事案である。

個々の人物について私自身は詳細に知るところではないが、報道されている内容(起こした事件)などだけでも明らかにどうかと思う。


アメリカはどうなっちゃうのか。この調子でいくとかの国で現れるのは、第一次大戦後のドイツで拡がったアナーキズムに違いない。それは、確実な秩序崩壊である。

2024年11月20日

谷川俊太郎さんが亡くなった


先週、谷川俊太郎さんが亡くなった。92歳。ひとは生まれ、ひとは死ぬ。いつかはと思っていたが、いつかはと思っていたが。5年ほど前、横浜で彼が話をするのを聞いたのが最後になった。

 
谷川俊太郎&武満徹「死んだ男の残したものは」

2024年11月14日

嘘つきは、警察チョー幹部の始まり

毎日新聞によるスクープ。11月13日朝刊 

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大川原化工機事件 警察庁幹部「やるな」 消えた警視庁の検証アンケート

 化学機械メーカー「大川原化工機」(横浜市)の社長らの起訴が取り消された冤罪(えんざい)事件で、警視庁公安部外事1課が起訴取り消し後の2021年8月、捜査の問題点を検証するアンケートを捜査員に実施していたことが判明した。だが、アンケートの存在を知った警察庁幹部に外事1課長(当時、以下同じ)が叱責され、課長は「回答は廃棄した」とこの幹部に報告したという。捜査員にも回答は共有されず、アンケートが生かされることはなかった。
 大川原化工機の社長ら3人は20年3月、軍事転用可能な装置を不正輸出したとして、外為法違反容疑で逮捕、起訴された。しかし、東京地検は初公判4日前の21年7月30日、起訴内容に疑義が生じたとして起訴を取り消した。
 複数の捜査関係者によると、起訴取り消しを受けて、21年1月に着任した外事1課長が検証作業に着手した。当初は会議形式で意見を出し合おうとしたが、捜査を問題視していた一部の捜査員が「記録に残らないのはよくない」と反発。文書として残るアンケートで行うことになった。
 アンケートは起訴取り消しの翌月、事件を手掛けた公安部外事1課5係の捜査員(他部署に異動した人も含む)を対象に行われた。毎日新聞は関係者からこのアンケートを入手した。質問部分はA4判2ページ。冒頭で「未来志向型の検証」とうたい、「今回検証した結果が将来の我々の捜査に寄与できるよう、“今後の捜査のあり方はどうあるべきか”について、思いの丈を述べていただきたい」と記されている。
 質問は5項目あり、立件に不利な「消極証拠」が存在したのか▽(輸出規制を担当する)経済産業省や地検との関係はどうだったのか--などについて尋ねるものだった。こうした質問は、捜査を指揮した5係長の後任が作成したという。
 無記名式で回答を求めたところ複数の捜査員が「(警察官の懲罰を担当する)監察で調査すべきだ」と記した。大川原化工機の製品が輸出規制品に該当するとした公安部の法解釈に経産省が否定的だったことや、輸出規制品との判断根拠になった公安部の温度実験に不備があったことなど、捜査の問題点を詳細に記した捜査員もいたという。
 ところが関係者によると、このアンケートの存在を知った警察庁外事情報部長(当時、以下同じ)が「何をやってるんだ」「そんなことはやるな」と外事1課長を叱責したという。結果が外部に出る可能性を懸念したとみられる。
 外事情報部長は外事1課長の直属の上司ではないが、全国の外事事件を監督する立場にある。さらにこの部長は、社長らが逮捕された際は警視庁公安部長を務めていた。外事1課長はこの叱責後、回答を廃棄したと部長に伝えた。現在、外事1課にアンケートは残されていないという。
 その後に警察を退職した外事情報部長は取材に対し、アンケートや叱責について「時間がたっており、私の記憶には残っていない」と述べた。
 警視庁は取材に、大川原化工機側が起こした国家賠償請求訴訟が続いているとして「お答えを差し控える」とした。
(11月13日東京版朝刊1面)

・・・だとさ。

公安部外事1課は自分たちの捜査の問題点がどこにあったのか検証するため、アンケートを捜査員に対して行った。自らの問題点を反省するためにそれが必要だと考えたわけだ。

それに対し、大川原化工機の社長らを逮捕した際に警視庁公安部長を務めていた外事情報部長がイチャモンをつけ、アンケートを廃棄させた。それによって、せっかくの貴重な反省と学習の機会が握りつぶされた。

警察庁外事情報部長はその後、警察大学校の校長になった(その後まもなく退職)。

わずか3年前の事件にもかかわらず、その元警察庁幹部は自分の行為を「記憶には残っていない」って。なんという鉄面皮ぶり。20万人を越える全国の現場警察官たちが苦笑いしている。 

この冤罪事件では、無罪だった大川原化工機の人がひとり、勾留中に必要な治療を受けられず亡くなっている。それでも反省を拒む警察官僚というのは何なのだ。

2024年11月1日

カミソリの切れ味

東京電力の社長・会長をつとめた勝俣恒久氏が84歳で亡くなった。社内で「カミソリ」や「天皇」と呼ばれていた人物だ。

カミソリと人が例えられるとき、そこにはいくつかの含意がある。頭がものすごく切れる、経営者として容赦なく人を切る(クビにする)、ものごとの判断基準が極めて合理的(情をはさまない)などだ。

さてこの経営者はどの意味で「カミソリ」と言われていたのか。

彼はフクシマ第1原発の事故の責任を問われた2018年の公判において、「知りません」「記憶にありません」「技術的なことは分かりません」と繰り返した。確かに冷たく、人を寄せ付けない鋭利さがあった。

そのように裁判では「技術的なことは分からない」と言い逃れを続けたが、原発事故が起こる7年前、東電の地域住民モニターだった町議の女性から「原発の非常用発電機を地上に移して欲しい。大津波に襲われるから」と訴えられたとき、「コストがかかりすぎるから無理。あなたは専門家でないし、考えすぎだ」と一蹴した。

まるで自分は技術が分かっている専門家であるかのような、上から人を見下した態度である。

非常用発電機を地上に移すことをしなかったため、2011年3月、発電機が水没して電源喪失→注水・除熱機能の喪失→格納容器の損傷→水素爆発→メルトダウンが発生した。そして、電源の喪失は、照明、通信、監視・計測のための手段も完全に奪った。

フクシマの原発事故が<天災>ではなく、東京電力の経営者による<人災>とされる所以である。

勝俣は従業員3万8000人を擁する東電グループの頂点にあり、まさに「天皇」として長きにわたって君臨してきた。東電のような役所根性が根深い企業では、彼のような人物に対して社葬を行って社会的に弔うのが通例だが、新聞発表によると「葬儀は家族で行った」「お別れの会は予定していない」。

世の中には「カミソリ」と称されて内心喜びを感じるタイプの人間と、その真逆の反応を示すタイプがある。写真で見る限りこの男は、明らかに前者だ。

鋭利すぎて、人としての感情も関係性も最後はすべて切り刻んでしまったようだ。

2024年10月19日

V字回復という欺瞞

企業経営について議論をしていると「V字回復」という言葉がときおり登場する。V字回復は、辞書によると「一時は落ち込んだ業績や相場などが、V字形に一気に回復すること」とある。

巷でV字回復した例としてしばしば挙げられるいくつかの企業名がある。

    日本マクドナルド
    日本航空
    良品計画
    日産自動車
    マツダ
    森永製菓
    ジャパネットたかた
    ゼンショー
    パナソニックホールディングス
    ユー・エス・ジェイ、などだ。

だが、上記の企業において落ち込む一方だった売上のトレンドが上向きに変わったあと、それらの企業の業績が今現在どうなっているが気になる。

一時的に売上あるいは利益を好転させるのは難しいことではない。例えば安売りを集中的に行えば通常売上額は上がる。しかし利益が一緒にあがるとは限らないだけでなく、店頭での価格が低位で固定されるリスクもある。また人件費や研究開発費、マーケティング費を削ればその分の利益が増すが、中長期的な競争力を自ら削ぐことにつながる。

だからこそ、重要なことはV字回復そのものではなく、根幹のところで競争力を組織が身につけることだという方向へ議論は進む。

V字回復した企業において、気がつけばまた売上や利益が下降線をたどっているという例は少なくない。というか、回復したからといってそのまま半永久的に右肩上がりを続けられると思う方がおかしい。

典型例の一つが、6年前にカルロス・ゴーンが去ったあとの日産だろう。ゴーンは、倒産寸前で青息吐息だった日産に着任するや、生産工場を3つ閉鎖するなど大胆なコスト削減をおこなって見事「V字回復」を遂げた。たしかに一時的には。だが問題は、カンフル剤の効果が切れてくるその後だ。

後継の経営者たちがとった戦略は大きく狙いが外れ、その結果はいまや死に体の同社を見ればあきらか。「V字回復」がもたらす誤謬である。

立って読むか、座って読むか

地中海にあるマルタ島で行ったレストランのトイレ。

男性用と女性用がふつうに並んで設置されている

よく見ると、扉のピクトグラムに新聞らしきものを持った人物が描かれている。

なかなか難しい姿勢だ

こちらは問題なし


トイレの中では新聞にちゃんと目を通せ、というメッセージかね。

2024年10月14日

AIコピーライター登場

電通が、明日からラジオCMの制作費を半額にするというサービスを始める。ChatGPTをベースにしたAIに、過去のラジオCMのコピーを一万件ほど学習させることで広告コピーを書かせる。

すでにオフィスの中で、AIが会議や打合せの議事録をまとめたり、プレゼン資料をつくったり、企画案を練ったりしている時代、そのうち広告会社のクリエーターの9割は世の中から消えていくと思っていたら、やはりその通りになってきた。

それにしても、コピーをAIに書かせるというだけで制作費が一気に半額になるとは、どういうことだ。もともと制作費をどれだけ上乗せして広告主に請求していたのか、ということになる。

いずれコピーだけでなく、ナレーションもAIが、広告にかぶせるBGM制作もAIが、SE(効果音)もAIが、そして編集やダビングもすべてAIがやってくれるはず。ラジオCMはテレビCMと違い、基本的にロケなど必要ないのでAI向きなのだ。

となれば、広告会社にCM制作を発注する必要などなくなる。それなりのスキルとセンスがある社員がいれば、広告主が社内でささっとつくれる。

今回の新サービスには、それが分かってて一刻も早く手を打たなければという代理店側の思わくが見える。

2024年10月13日

政治家は目と口だ

政治家は「目」と「口」だと思っている。

人として何を考えているか、政策立案能力はあるか、倫理観はあるか、リーダーシップはあるか、などなど、国民の視点で判断基準とするものは数多いが、いかんせんそうしたものは外から見えづらい。

だが、テレビやネットの画面上に映る彼らの「顔」は一目瞭然だ。そのなかで一番相手を引きつけるのは、間違いなく目。目にどれだけ力があるか、目が光っているか、誠実さを映し出しているか、それとも常に何かを隠している目か、われわれはほぼ直感的に理解する。

そして、現総理大臣のように目が死んでいる場合、つまりそこから多くのことを感じられない場合、われわれの目は彼らの口に向く。真実を語っている口か、情熱をもって相手に思いを伝えようとしている口か、人間としての清潔感を表している口か。

石破首相の場合、目が死んでいる。そして口元が不潔。どうする。

2024年10月9日

試合終了のゴングは鳴ってるはずだ

いわゆる袴田事件で、最高検が控訴をあきらめた。事件が起こって58年、容疑者とされた袴田巌さんに死刑判決が出て44年が経っている。その間、彼は日々、次の朝には死刑執行が下されるのではないかという恐怖のなかにいた(はずだ)。

今年7月に検事総長になった畝本直美は、袴田さんの無罪を言い渡した再審判決を「多くの問題を含む承服できないもの」「強い不満を抱かざるを得ず、控訴すべき内容だ」という異例の談話を出した。

初の女性検事総長として内部に向けて強いところを見せたかったのだろうが、客観的に見れば事実関係を理解していないとしか思えない。自分たちの権威を守らんがために往生際の悪いおかしな言い訳を繰り出すのはためにならないという事が分からないのだろうか。目が組織の内側にしか向いていない。

58年前の事件発生後、袴田さんは突如逮捕された。当時の捜査記録には「ボクサーくずれの被疑者を検挙し、県警の威信を高揚した」と記されている。なんたる職業的偏見か。

また捜査記録によると、犯行時間帯に現場付近を27人と120台の車両が通っていて、無灯火で走った車や止まっていた車2台もあったが、すべて究明されないまま警察は容疑者を袴田さんに絞り、袴田さんが犯行に及んだ動機を金目当てとした。なぜなら、袴田さんが怨嗟をもとに被害者家族4人を殺害する動機が見つからなかったからだ。

しかし、被害者宅で貴金属などの入ったタンスなどに物色跡はなく、多額の貯金通帳は手つかずのままだった。警察側が考えた犯行動機は一貫性を欠いていた。やがて、捜査機関が捏造したとされる衣類5点が、事件から1年以上もたって味噌だるから発見される。

繰り返すが、今回、検事総長は既に無罪判決を受けている袴田さんを今も犯人視し、判決を「承服できない」「強い不満」と述べた。どの面下げてそんなことが言えるのだろうか。試合終了のゴングが鳴ったあとも、ジャブを打ってきている。検察庁は有罪立証の判断の誤りを自ら率直に認め、袴田さんにきちんと謝罪すべきだろう。

畝本は女性初の検事総長を逆手に取られ、組織内の男たちから追い込まれたのかもしれず、そうすると確信犯はその男の検事らとなるが、まあどっちもどっちだ。いずれにせよ、定年を数年後に迎える彼女は、検事総長として社会正義や国民理解なんかより今自分がいる組織の中で「仲よく」やっていくことの方が大切と考えたわけだ。

https://www.kensatsu.go.jp/kenjisouchou/

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(付)

検事総長の談話は次の通り(全文)(令和6年10月8日)

○結論
 検察は、袴田巖さんを被告人とする令和6年9月26日付け静岡地方裁判所の判決に対し、控訴しないこととしました。

○令和5年の東京高裁決定を踏まえた対応
 本件について再審開始を決定した令和5年3月の東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えましたが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらない以上、特別抗告を行うことは相当ではないと判断しました。他方、改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり、にもかかわらず4名もの尊い命が犠牲となった重大事犯につき、立証活動を行わないことは、検察の責務を放棄することになりかねないとの判断の下、静岡地裁における再審公判では、有罪立証を行うこととしました。そして、袴田さんが相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも配意し、迅速な訴訟遂行に努めるとともに、客観性の高い証拠を中心に据え、主張立証を尽くしてまいりました。

○静岡地裁判決に対する評価
 本判決では、いわゆる「5点の衣類」として発見された白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型が袴田さんのものと一致するか、袴田さんは事件当時鉄紺色のズボンを着用することができたかといった多くの争点について、弁護人の主張が排斥されています。
 しかしながら、1年以上みそ漬けにされた着衣の血痕の赤みは消失するか、との争点について、多くの科学者による「『赤み』が必ず消失することは科学的に説明できない」という見解やその根拠に十分な検討を加えないまま、醸造について専門性のない科学者の一見解に依拠し、「5点の衣類を1号タンク内で1年以上みそ漬けした場合には、その血痕は赤みを失って黒褐色化するものと認められる。」と断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ません。
 加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「5点の衣類」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません。

○控訴の要否
 このように、本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。しかしながら、再審請求審における司法判断が区々になったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。

○所感と今後の方針
 先にも述べたとおり、袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております。
 最高検察庁としては、本件の再審請求手続がこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております。

以上

2024年10月7日

こんな人権説がまかり通っていいのか

元文部官僚の前川喜平氏が、石破茂が唱える日本国民にとっての人権説を書いていて、その内容に驚かされる。


人権というものは、人が人であることによって与えられているものだと思っていたのだが、新しい総理大臣はそう考えてはいないようだ。国家権力の意に沿わない者は国民としての義務を果たしていないと判断し、そこに人権はないとする。
 
そんな考えの人物が国家の最高意思決定者に就いてしまった、なんという危うさ。

2024年10月5日

NHKはカスハラを勘違いしている

東京都議会で、カスタマーハラスメント(カスハラ)の防止に向けた条例が全会一致で可決したというNHKのニュース。freeeという都内にあるネット企業の顧客からその会社の窓口にかかってきた電話の録音が番組内で紹介されていた。

その乱暴な話し方の方に意識が向いてしまうので、音声を消してみた。通話の内容は画面に表示されているとおりだ。

NHKの画面作成担当が何を思ったのか、ご丁寧に文字を躍らせるような演出をしているのが余計だが、この客が言っている内容そのものが果たしてハラスメントにあたるものだろうか。

ぼくには、彼が相手(企業の担当者)を傷つける暴言を吐いたり、彼(女)のプライバシーを犯すことをしているとは思えないのだ。彼は、ただとにかく腹を立てて、猛烈に怒ってどなっているだけだ。いささか常軌を逸しているが。

私が気になったのは、電話で強烈な苦情を言っているこの客がなぜこれほどまでに怒っているだろうということ。ここまで彼に強い怒り引き起こした原因が必ずあるはず。それを知りたいのだが、何も説明はなし。番組内で客の音声を流し、これはカスハラだ、と決めつけているだけ。報道としては片手落ちで明らかに配慮に欠けている。

先の都条例では、カスハラを「顧客から就業者に対し、業務に関して行われる著しい迷惑行為であって、就業環境を害するもの」と定義している。

また現在では、一般的な定義として、カスハラとは「顧客や取引先が立場を利用して店員や公務員に暴力をふるったり、理不尽な要求をしたりする迷惑行為」とされている。

例えば店員に土下座による謝罪を求めるなどは、明らかに就業環境を害する迷惑行為といえる。だが、このfreee社への電話で男が言っている内容は、そうしたものとは異なる。

この男性キャスターは、客からの通話の音声を紹介したあと、「こうしたカスタマーハラスメント、いわゆるカスハラを防ぐ全国初の・・・」と、さも当然のように言ってるが、自分の頭ではものを考えていない典型だ。

東京都は議会での制定を受け、本年度中に対策を盛り込んだ指針を示すとしているが、さてどんな指針が役人から提示されるのか。また、それを社会はどう受け取るのか、興味があるところだ。

そもそも暴力や暴行はハラスメントではなく、違法行為。それが誰からであろうが、警察にすぐに通報すればいい。スタッフが我慢する必要も、また我慢させられる必要もない。

また理不尽な要求に対しては「ノー」とはっきり言うことだ。ここにもハラスメントの入る余地はもともとないはずである。

僕自身は、カスハラ(Customer Harassment) という 、日本独特の概念がこれほど一般化するところに現在のこの国のオカシサを強く感じるとともに、日本企業が提供するサービスの品質が全体的に明らかに低下していることが一方で気になっている。

先日、あるカード会社が送って寄こしたサービス改定の文書に不明な点があり、問合せをした。電話番号をその企業のサイトで探したが、なかなか見つからない(見つからないようにしているとしか思えない)。やっと見つけて電話したら「ただいま電話が大変混み合っており・・・」で通じない。

何度もかけ直してやっと通じたら、「本人確認」とやらで、姓名、本人かどうか、生年月日、住所、引き落とし先の銀行名と支店名を言えと言われた。確認したかったのは彼らが送ってきた文書に印刷された文言についてであって私個人の取引内容とはまったく関係がないのだが。

しかたなく「名前は・・・、住所は・・・」とすべて答えてゲートキーパーは越えたものの、こちらが求める回答を出せる担当にはたどり着けない。なんとももどかしい。やっとそれらしい部署に電話が回っても、担当者が席を外しているので後でかけ直させるといわれ半日以上待つも一向に折り返しがないままその日が終わってしまったーー。 

自分たちが客に送った手紙の内容について問われ、容易に回答ができない。これをお粗末といわずして何という。

文書の発送日を9月吉日とするものどうかと思う。結婚式の招待状じゃないんだからさ。 日付を書けよ。

2024年10月4日

社員の幸福は何がもたらすのか

2023年3月期から、日本の上場企業は有価証券報告書への人的資本に関する数値の開示が義務づけられた。

その背景の一つには、幸福度の高い従業員はそうではない者たちに比べて創造性や生産性が大幅に高く、欠勤率や離職率が低いというデータがあるようだ。

そこで、企業の経営者は社員の幸福度を高めるようにしなくていけない・・・・と。幸福度が上がる → 創造性と生産性が高まり、欠勤率と離職率が下がる。という図式か。

だがちょっと待った。何をもって「幸福」と感じるかは、人によって千差万別だし、人の気持ちは移ろいやすく、その時々で何に幸福と感じるかは状況次第で変わる。

給料やボーナスの額か、休みの日数か、信頼できる上司か、良好な職場の人間関係か、与えられている役割か、企業の将来性への展望か、オフィス環境か、などその要因はいくつもある。真面目に考えれば、抽象度の高い「幸福」を経営者が満たすのは不可能といえる。

経営者が取り組むべき対象は、社員の創造性や生産性だ。経営者は社員の「幸福」を考える前に、そこで働く人たちが創造性を振るえて効率的に仕事を進められていると感じられる環境をつくることが先決なのではないか。

そうすれば、社員の幸福感はそのひとつの「結果」として現れてくる。

大切なのは、従業員の幸福感だとかウェルビーイングだとか、つかみ所のないフワフワした抽象概念を目標としないことである。

2024年10月2日

せいぜい頑張ってくれ、石破君よ

先週末の自民党総裁選、一瞬、高市早苗がトップになりそうな風向きで、「よしよし」と期待していたのだが、最終的には彼女は敗れてしまった。

彼女が自民党総裁になれば、安倍派の流れを継ぐ彼女は裏金問題や旧統一教会の問題で野党から集中砲火を受けることは必至で、結果として高市自民党政権は崩壊するのは間違いなかった。だから、リザード高市が自民党総裁選で負けたのは実に残念。

と思っていたのだが、買いかぶっていたようだ。総理大臣になった石破茂は思っていたほど頑強な人物ではないことがすぐ明らかになった。組閣の内容しかり、あっという間に衆院解散で総選挙など、その自信のなさ不甲斐なさを国民に露呈している。

「納得と共感の内閣」だとか。中学校の生徒会か?

これなら石破も高市と大差はない。せいぜい頑張ってくれよ、石破君。どうせ遠からず引きずり下ろされるんだろうから。

それにしても、石破が日本の総理大臣になったというのに、爆笑問題の太田の本音のコメントが聞こえてこないのはなぜだろう。

2024年9月30日

よかったね、袴田さん

26日に静岡地裁で、いわゆる袴田事件の無罪判決が出た。そもそもの事件は58年前に起こったものだ。58年前!

当時の検察の違法な自白強要と証拠捏造により東京拘置所に収監された。死刑囚としての収監期間は2014年3月までの47年7ヵ月に及んだ。

今回の判決に対する検察による控訴の期限は10月10日。事件当時の違法取り調べや捏造された証拠である衣服について、検察が自説を説得力を持って証明することはもう不可能だ。ただ、検察側が腐ったプライドを拭いきれず控訴する可能性はまだ残っている。

「袴田巌さんを救う市民の会」から送られて来た手紙には東京高検検事長宛の「請願書」の葉書が同封されていた。万が一の、これ以上の検察の愚かな判断を起こさせないためのせめてもの最後の一押しである。

袴田さんは現在88歳、支え続けてきた姉のひで子さんは91歳になった。無罪を勝ち取るというシンプルな目的のために毎日を生きてきた、彼らの苦悩は常人にとって容易には想像すらできない。袴田巌さんは、日本の「ハリケーン」だ。

2024年9月23日

映画「本日公休」

台湾映画「本日公休」の主人公は、台中の街で40年にわたり常連客の髪を切ってきた理髪店の女店主。自分に技術を教えてくれ、かつては一緒に店を切り盛りしていた夫はなくなり、一人で店をやっている。

3人の子供たちはそれなりに独立したが、まだいずれも地に足が付いていない感じだ。

娘からこんな時代遅れの店はやめた方がいいと言われても、彼女はいつもの常連客の頭にいつものようにハサミを入れる。変わっていく台湾の社会。世界のどこにでもあるジェネレーション・ギャップ。だけど、台中の街の風景には、「いつもの」暮らしと人間関係が染みついていて、それが実によく似合っているように思える。

彼女は、毎月離れた街から髪を切りに来てくれていた古くからの馴染みの客が床に伏していることを知り、めったに運転しない古い車でその町へ向かう・・・。

やっとのことでたどり着いたその家で、会いたかった古くの客である老人は息を引き取っていた。彼女は横たわる彼の髪を切り、整え、ヒゲをあたり、最後の理髪を行う。

彼女は、いつもの店で、いつもの客といつものように語らいながら、いつものように髪を切る。そのことで相手を知り、関係を自然と作るなかで自分の仕事や生きている意味を感じていたのだろう。自分がどこで生きているのか、自分は誰か、何をすべきかもよく分かって生きている。

本作では、それが決して頑迷さということではなく、ただゆるぎない一人の生き方として自然なものとして描かれていた。そこはかとないペーソスを秘めた佳作である。

2024年9月18日

社外取締役は、お勉強の手段か

シリアルで知られる日本ケロッグの社長である井上ゆかり氏が、彼女の経営者仲間の交友関係を新聞で紹介していた。

そこで、知り合いの女性経営者であるみずほフィナンシャルグループ取締役会議長の小林いずみ氏から「勉強になるから」と、ある企業の社外取締役を勧められ、引き受けたといったことが書かれていた。

よく平気でこうしたことを公言できると思う。株主らは、彼女の「お勉強」のために社外取締役報酬を支払っているのではない。株主軽視と経営軽視もはなはだしい。しかも、そのことに自分で気づいていない。

また、みずほフィナンシャルグループ取締役会議長の小林も社外取締役の仕事を舐めてはいないか。 

「お勉強」なんだから、井上が社外取締役を務めている企業は、彼女に社外取締役の報酬を払うのではなく代わりに授業料を取ればいい。

海外のファンド、もの言う株主らから、日本企業は女性の取締役比率をもっと上げるべきだという声が寄せられている状況は知っている。だが、単なる数合わせでは何にもならないどころか、明らかに害だ。

真剣に頑張っている女性社外取締役の人たちにとってもいい迷惑だ。

2024年9月17日

社員の解雇規制より、採用時の差別規制を徹底せよ

自民党総裁選の候補が、企業による社員の解雇規制の緩和を口にし、さまざまな意見が飛び交っている。

その口火を切った感じの小泉進次郎は、解雇規制の見直しによって流動性が高まる、そして労働市場が活性化する、生産性が高まると述べる。しかし、これは画餅に過ぎない。

解雇された労働力が、それを求める成長産業に流入してマッチングが果たされ、働く者も雇用する企業もプラスの効果を得られる、と考えているのだろうが大きな間違いだ。そんなデータはないし、確証もない。

ただし、組合側が主張するように、働く者が解雇されないことで「不安を感じず、思いっきり働ける」というのも嘘だ。不安があった方が、人はしっかり働く。安易な職の安定は停滞にしかつながらない。つまり、思いっきり働くのではなく、働くふりだけ上手くなる方向に進む。

さらには、そうした「安定」というのは、正社員にとっての特権でしかない。たまたま、そう、たまたま入社の仕方が正社員と違ったがために非正規として雇用された人は、いくら能力と実際の成果が優れていても正社員に見劣りする待遇しか与えられていない。これはおかしい。

同じ組織で同じ職につく正社員のAさんと非正規のBさんがいて、Bさんの方がAさんより明らかに優れていた場合、経営者はどう処遇を整えるべきか。可能性として考えられるのは、①AさんをBさんと同じ非正規に格下げする、②BさんもAさんと同じ正社員に登用する、③Aさんを非正規に、Bさんを正社員にする、の3案。

①は社内のモラルに影響を与える。②を実施できればそれにこしたことはないが、人件費が増す。③はそれなりにフェアだと思う。

ぼくは解雇規制は緩和したほうがいいと思う。その代わり、企業などは採用で人を区別してはならないというルールを徹底すること。新卒一括採用をデファクトにするのではなく、より柔軟に人をその能力に合わせて採用することが必須だ。

実際、人材採用に優れた企業は、新卒であろうが中途入社であろうが、能力に合わせて人を処遇している。当たり前のこと。

就職氷河期と言われた2001年、その年の新卒者の就職率はわずか57%だった。そのために、いまだに非正規の職でしか仕事を続けられない人が多いなどという不合理があってはいけない。

合理的に説明のできない正規 / 非正規の区別は、働く人を貶めている。そうした悪弊をすみやかに徹底的に組織からなくすこと。日本の組織の生産性を上げるためには、それが最優先されるべき方策である。

2024年9月14日

リーダーの資質

10日夜、米国のフィラデルフィアで大統領選のテレビ討論会が開催された。米ABCのキャスターの質問に答える形で90分間、カマラ・ハリスとドナルド・トランプが意見を戦わせた。


手元に用意することができるのは、何も書かれていないメモ用紙とボールペン、それとミネラルウォーターだけ。その場で投げかけられる質問に対して、何にも頼らずすべて自分で答える。誰かが書いた原稿を読むだけの日本の政治家とは大違いである。

アメリカの大統領にハリスがなるにせよトランプがなるにせよ、日本の総理大臣はその大統領と高度な交渉をこなさなければならない。だが、どう見てもその日本側のカウンターパートとして相応しい人物が総裁選候補には見当たらない。

アメリカ大統領だけではない、プーチンや習近平とも交渉にあたらなければならないのだが、自民党総裁候補のどの顔もそれら首脳と交渉の場でやり取りをしている姿がイメージできない。

今日、日本記者クラブでそれら候補者が会見に出席し、抱負のようなものを語っていたがどの候補者も具体性がなく、さっぱり理解できなかった。

経済について語った候補が何人もいて、それぞれ「経済成長」、「経済再生」、「所得倍増」といったキーワードを振りまいていたが、どう実現するのか何も語らずじまい。

しかも経済政策について語るのであれば、これまでの「アホノミクス(安倍)」や「新しい資本主義(岸田)」についてまずは総括、反省すべきだろう。

それらについての言及がいっさいなく、ただ経済成長を目指しますとかいっても、当然ながらまるで説得力を感じない。反省だけなら猿でもできる、というが、それすらできない候補ではいかにも心許ない日本のリーダー選出である。

2024年9月13日

演歌歌手がソウルを歌ったらすごかった

ふと聞こえてきたアレサ・フランクリンの "Think"。だが、アレサじゃない。アレサに似たドライブ感・・・。

なんとそれは、日本の演歌歌手の島津亜矢だった。びっくり。彼女が Aya Shimazuの名で出したアルバム「Aya's Soul Searchin' - Aretha Franklin -」からだった。


さっそくアルバムを聴いてみたところ、「Think」「Respect」「A Natural Woman」などアレサの初期の曲が中心に組まれていた。いやあ、ほんとに驚いた。着物姿しか思い浮かばない演歌歌手がこれほどソウルフルな歌を聞かせてくれるとは。

だが考えてみれば、演歌は日本のソウル。それを長年唄ってきているのだから、ソウルを愛する歌心と歌唱技術があれば、確かに唄いこなせるわな。

それにしてもお見事。

https://tatsukimura.blogspot.com/2021/11/blog-post_13.html

2024年9月10日

大手銀行の対応について思うこと

高速道路を走っているトラックに狙いを付け、その車がパーキングエリアに入ったところで「飛び石で高級車が傷ついた」とか 「ボルトが飛んできて当たった」 などと運転手に言いがかりをつける。

そして、彼らの運転免許証をスマホで撮影しては、それを使ってクレジットカードを偽造することを続けていた3人組が捕まったというニュース。

トンデモナイ連中がいたものである。

この事件を受け、警察はむやみに顔写真や住所の入った身分証明書の撮影に応じないように注意を促しているらしい。

それで思い出したのが、先日の三井住友銀行新横浜支店でのできごと。

口座開設のために訪店し、店内の案内係に用件を告げたところ、身分を証明できるものがあるか聞かれたので免許証を出した。「そこに座ってお待ちください」と言われ、しばらく待たされた。

手渡した免許証が気になり、近くにいた行員に免許証を返すように言ったら、「いま奥でコピーを取っていますのでお待ちください」と。 

本人にコピーをとって構わないかと確認することもなく、人の免許証を勝手に複写していたのである。

その支店においてはそれ以外にも首を捻らないではいられないおかしな対応がいくつもあった。近頃の銀行の支店では、こんなことを平然とやってるのかね。

気になって支店長宛にこの件について親展で手紙を送ったが、知らんぷりである。

2024年9月9日

日本の社員のエンゲージメント・レベル

米ギャラップが今年の初めに発表した「State of the Global Workplace Report」は、日本の情けない現状を示している。https://www.gallup.com/workplace/349484/state-of-the-global-workplace-report.aspx?thank-you-report-form=1

社員の組織に対するエンゲージメントを測定する国際調査で、日本は世界125ヵ国中の最下位(イタリアと並んで)だった。エンゲージメントを持っているとする社員の比率は5%。トップである34%の米国と比較すると、その差の大きさに驚く。

この背景には、安倍政権が打ち出した「働き方改革」が影響していると思っている。有給休暇をしっかり取ろうとか、早く帰ろうとか、会社を出たら仕事のメールは見ないようにしようとか、まるで企業で働く大人を子ども扱いして、結果、社員をスポイルした。

休暇を取るなと言ってるのではない。必要であれば、遠慮なく取ることだ。ただし、自分で考えて行動すること。従業員が自由にやればよいことで、人から言われて決めるようなことではない。

政府が箸の上げ下ろしまで監視して注意勧告することで、それまで自然に生まれていた社員と会社の「大人の関係」が薄れてきた。

休め、休め、と言われて、社員にとって、会社はできれば行かなくても済む場所であってほしいところになった。そうした場にエンゲージメントを持てという方が無理というものだろう。

それぞれにとっての働き方を各自が考え、必要に応じたものに変えていく。企業はそれを理解し、支援する。そうした意味での真の働き方改革は必要だ。しかし、それが政府の政策として「働き改革」と括弧に入れられてしまうと、本質から外れた役所の紙の上のアイデアに堕する。

働き方改革関連法案が2019年4月より施行された背景には、日本企業の生産性の低さ(G7のなかで最低)への懸念があったが、施行から5年以上が過ぎた今も生産性の低さは変わっていない。そして、生産性だけでなく、エンゲージメントも日本は世界の最低レベルになった。

本当にやるべき事は何だったのか、振り返ってもいいじゃないのか。

ただこの調査、英語を日本語に直した質問票をもとに調査が行われたはずだが、その際に「エンゲージメント」をどう日本語にしたのかが気になるところはある。

2024年9月5日

パンドラの箱が開いた

『サピエンス全史』が日本でも多くに人に読まれたユヴァル・ノア・ハラリの新作は、Nexus: A Brief History of Information Networks From the Stone Age to AI 。Nexusとは、結びつきとか関係の意味。

ランダムハウスから9月10日の出版予定になっているが、米国の新聞にその一部が掲載されていた。

In the early days of the internet and social media, tech enthusiasts promised they would spread truth, topple tyrants and ensure the universal triumph of liberty. So far, they seem to have had the opposite effect. We now have the most sophisticated information technology in history, but we are losing the ability to talk with each other, and even more so the ability to listen.
人間同士で話し合う能力を失いつつあり、ネット上のボットをまるで自分の友人や恋人のように感じて「つき合って」いる人たちがすでに世の中には少なからずいるらしい。

その本では、2021年にウィンザー城に侵入してエリザベス女王を暗殺しようとした若者が、彼のガールフレンドであり、指南役のチャットボットからその指示を受けていたことや、2022年に当時グーグルのエンジニアだった男性が、自分が開発したチャットボットが意識を持っており、電源を切られることを死と感じて恐れていると主張し、そのボットを守ろうとした末に会社から解雇されたことが紹介されている。

驚きだ。人間の心情を理解し、推測し、自己の生存を守るために人間を騙すことすらおこなうAIが誕生していることが明らかになっている。

AIはただ賢い(計算が速い)だけでなく、すでに人間のふりをして「そこに存在しようとする」ことを覚えてしまったらしい。

それを阻止するためにはどうしたらよいのか。アルゴリズムで解決できるのか。いやそれは難しそうだ。アルゴリズムが人の心理を誰よりも学習し、自ら各種のコンテンツを作成して人間を欺くことができるようになっている時点で、それを人間がアルゴリズムで解決するのは無理というものである。

ではどうしたらよいかといえば、現状では分からない。人間のこころのポケットに、いつの間にか忍びこむ悪魔が登場したともいえる。

ハラリは、ボットが人間のふりをする行為は禁止されるべきだと警告を発する。そして、大手テクノロジー企業やリバタリアン(自由至上主義者)が、そのような措置は言論の自由を侵害すると不満を言うなら、言論の自由はボットではなく人間に与えられるべき人権であることを彼らに思い出させるべきだと主張する。

問題はすでに顕在化しているが、解決への道筋は遠そうだ。なにより一番難しいのは、ロシアや中国、北朝鮮を含めた全世界で徹底したルール作りができない限り、有効的措置にはならない点である。

2024年8月31日

コンタクトサービス(株)という詐欺会社

地方に住む老親のもとに、「NTT西日本コンタクトサービス株式会社の岡本」と名乗る男から電話があった。

電話料金が安くなるので回線契約を変更しないかというセールスである。電話にでた母親が、今使っているインターネットのプロバイダーが変わると困ると言うと、プロバイダーが変わっても同じメールアドレスを使い続けられるから大丈夫と説明した。ただし、プロバイダーはビッグローブに変更になると言った。

帰省時にこのことをたまたま知り、おかしいと感じて調べてみるとNTT西日本コンタクトサービス株式会社なんて会社は存在していなかった。営業電話をかけてきたその男が残した電話番号で所在を調べると、札幌市西区にあるコンタクトサービス株式会社という会社で、コールセンターの経営やプロバイダーの取り次ぎ代行業務をやっていることが分かった。

NTT西日本の回線営業の仕事を受けているんだろう。 さらにビッグローブに連絡し、コンタクトサービス(株)について取引関係を訊いてみると、彼らの販売代理店であることも分かった。

腹立たしいのは、自社の名前に「NTT西日本」を勝手に付けて名乗っていること。そのやり口で地方に住む老人を安心させ、そしてだまして回線契約を結ばせる手口をこの会社は取っている。

その会社に電話して状況を説明し、経営者につなぐように言ったら、電話に出た窓口の女はそれを拒み、「岡本から折り返しさせます」とぬかした。ソイツと話しても泥棒に「お前泥棒したか?」と聞くようなもので詮無いだろう。

こうしたセールスのやり方は、準詐欺罪にあたる。違反したときの罰則は、詐欺罪と同じく懲役10年以内だ。

消費者庁に連絡した。今後も同様の報告があれば、何らかの行政処分がとられるはずである。

セコい手口で田舎の年寄りをだまそうとするんじゃないよ、馬鹿タレどもが。

2024年8月29日

生成AIの快感

各地の小中高校では夏休みが終わり、今週あたりから新学期が始まっている。

今年は読書感想文などの夏休みの宿題に、生成AIを用いたものが昨年にまして見受けられるとか。

ほとんどの子どもたちより生成AIの方が(少なくとも見かけの)出来映えが優った読書感想文を書くことができる。

しかも、それをAIで見抜くことは、現時点では極めて難しい。見抜けるのは、普段のその生徒のことをよく知っている担任の先生だけだという。つまり、チェックのためにシステムは使えないということだ。

利用されたのは、読書感想文だけではないだろう。それ以外の宿題や課題にも生成AIによって「解答」されたものが、いまごろ先生の手元に山と積まれているに違いない。

今後の学校教育はどうなっていくのか気になる。文部科学省は昨年の夏、小中高校での生成AIの活用に向けた指針を公表し、生成AIが小中高生の学習に役立つ面があることを強調している。

その上で、成果物に不正行為が含まれることがある点を注意するように教育現場に求めている。

これって、ありなのか。生成AIは生徒の学習に有益であると<気の利いてそうな> ことを言いつのりつつ、その運用の責任を現場の先生に丸投げした。

例えばだが、一旦、読書感想文を生成AIに代わりに作ってもらった生徒は、もう自分の手ではそれを書かなくなることは容易に想像できる。「とても便利だけど、使い方に注意するように」などと文科省が言おうが、一度その味を覚えたら手放せなくなるのが人間の常だ。

覚醒剤を渡しておいて、「使い方に注意するように」って言ったって、一度使って気持ちよくなっちまったらいくら頭で分かっていたってもう止められないだろう。それと同じ。注意して使うようにとか理屈を言っても無理なんだから。

一旦味をしめたら止められないのは、小中高生だけではないのも明らか。こうして人は「自分で考える」という行為を急速に手放していっている。

2024年8月28日

日本のビジネススクールは、どこへ行くのか

「週刊ダイヤモンド」の特集記事の一つが、「MBAが中高年に大人気!」。

新型コロナの頃から国内MBAの状況のビミョーさを感じていたが、ここまできているとは。

学ぶに遅すぎることはない、というのは事実だが、40や50を過ぎた人たちが会社の仕事と併行してビジネススクールに通い始めたからといってビジネスの分野でリーダーにはなれないだろう。

20年以上仕事をやっていれば、日々のなかから既に多くを学んでいるはず。自分の仕事を通じて直接学んでいないとしても、少なくとも自分に何が足りないのかくらいは分かっているはずだ。

それすら分かっていないとすれば、ビジネスリーダーはおろか、ビジネスマンとしての基本能力に問題があると言わざるを得ない。

何を知るべきかが分かっていれば、それについて自分で学べばよいのである。いい歳をして、人任せに「教えてもらおう」という段階でリーダー資質にも、基本的な素養にも欠けている。

日本の中高年はどこへ行こうとしているのか。そして日本のビジネススクールはどうなるのか。

2024年8月19日

ドロン、死去

アラン・ドロンが亡くなった。88歳。不世出の俳優だった。

味わいのある二枚目だった。ただ見てくれがいいというのではなく、陰りと深みを感じさせる演技を見せてくれた。

ヴィスコンティの「山猫」や「若者のすべて」など多くの代表作がある。もちろん1960年の「太陽がいっぱい」は、まぎれもない一つの金字塔だ。 

その彼が、NHKの番組でこんなことを語ったことがある。「老いるということは 船が難破するようなものだ。波に翻弄されつつ徐々に沈んでいく」。

前段の「老いるとは・・・」は、仏大統領だったド・ゴールが言った言葉。だが、それを引用し、加えて「波に翻弄されつつ・・・」と語らせたのはドロンの感性である。

一つの時代が終わったように感じる。

彼の死をラスト・サムライと評した仏の各紙

サンゴの白化

地球温暖化が世界各地で海水温の上昇にも影響を及ぼしている。下記の地球で赤いサンゴのエリアは温暖化の影響を受けていることを示している(ニューヨーク・タイムズ・デジタルから)。

サンゴが白くなっても、必ずしも死んでいるわけではない。また、サンゴ礁が永遠になくなるわけでもない。専門家は、もし状況が改善されれば、サンゴはこの白化を生き延びることができると述べている。つまり、サンゴ礁は立ち直る可能性をまだ持っているということだ。

しかし、世界の温暖化が進むにつれ、これらの白化は定期的な白化へと変わりつつあり、そうなると軽度の白化は重度の白化になり重大なダメージを与えるようになる。

だから、放っておけない。

2024年8月18日

アメリカ大統領選の世論調査

アメリカ大統領選の世論調査が発表された。

カマラ・ハリスとドナルド・トランプは、その支持率で接戦を演じている。が、トレンドとしては、トランプが横ばいで停滞しているのに対してハリスが追い上げているのが分かる。

よその国の事ながら、どうなるのかとても気になる。直接投票で自分の国の大統領を自分たちで選べるのが羨ましい。

日本では、岸田首相が今度の自民党総裁選に手を上げないと表明したあと、「待ってました」とばかり、代わり映えのしない顔、顔がぞろぞろ候補者として出てきた。

これらのなかの誰かが日本の首相になるのだろうが、党員ではないので何の影響力ももたず、ただ「ああそうかいな」と傍観するのみである。

議院内閣制を採用するのであれば、例えば英国で労働党と保守党で何年かおきに政権交代が行われるような状態でなければ健全な政治システムとは言えない。その意味で、日本は明らかに専制主義国家である。

国民がまだしっかりしているから廻っているけど、自民党政権は知恵も倫理観もない世襲議員の巣窟となり、あらゆる面で世界の変化についていくことができておらず、徐々に徐々にこの国は死んでいっているように思う。

2024年8月17日

衣料と靴の耐用年数

リサイクル素材を積極的に用いるなど、衣料廃棄物の問題に取り組んでいるという英国のアパレルブランドが発表したデータによると、人が生涯で必要とするシャツは23枚、ズボンは22本、ジャケットは13点、靴は63足だとか。

これらの数字は、それぞれの耐用年数に基づいている。それらは、シャツは2.74年、ズボンは2.81年、ジャケットは4.58年、そして靴は1年とされている。

つまり、人が生涯に渡って衣料や靴を利用する年月は63年間と考えられているわけだ。

毎日同じシャツを(飽きずに)着て、2.74年たったら新しいものに交換する。靴も同様、毎日同じ靴を(嫌がらずに)はき続け、耐用年数に達する1年後に新しい靴に換える。実際は、世の中にそんな着方、履き方をする人はいないと思うけど。

そもそも、先のシャツや靴などの耐用年数は、どうやって編み出したのだろう。その5倍近く使い続けている僕は、物持ちが良すぎるのかね。

2024年8月3日

記者たちは、全員暑さボケなのか

経済同友会代表理事の新浪氏が会見を行った。その会見の最後、「質問が出ると思って待っていたが、出ないので私からどうしても申し上げたい」と切り出し、死者まで出た小林製薬が引き起こした健康被害とその経営責任について考えを述べた。

今回の不祥事を受けて、同製薬会社の小林会長と小林社長は辞任はしたが、その後、月額200万円の報酬で特別顧問に就いていた。

それに対し、新浪氏は「ここまでくると、ガバナンスの質を上げないと話にならない。社外取締役の責任は大きい」と同製薬会社の体制を強く批判したらしい。

それにしても驚くのは、会見に出席していた記者たちは、誰も小林製薬の経営責任の取り方について質問すらしなかったという体たらくである。

記者たちは全員、暑さでノー味噌が溶けていたか。それとも寝ていたか。

2024年8月2日

ライドシェア、出動せよ!?

毎日暑い。記録的な猛暑が続くが、国土交通省が気温が35度を超えた場合に、ライドシェアの稼働台数の増加を「認める」らしい。これまで雨が降った日に同様に出動台数増加を「認める」措置を取っていた。

国交省の役人というのは、自分たちを何様だと思っているのだろう。

雨が降ったら、とか、気温が35度を超したらお前ら「出勤」していいぞと言われて、ライドシェアのドライバーたちが「ありがたや、ありがたや」と喜んで車に乗り込んで街に営業に出て行くと思っているのだろうか。

外国で利用したライドシェアのドライバーたちは、誰もがその働き方を選んだ理由として、自分が「働きたいときに、働きたいだけ、働きたいエリアで働けるのがいい」と話してくれた。一言で言うなら、自由裁量度が高いことがその仕事に就くカギなのである。

政策をタクシー会社に絡め取られてしまい、ライドシェアが名ばかりのものとして「認可」されたところが日本らしい。聞くところによると、日本ではライドシェアの売上の3割から5割がタクシー会社に抜かれるらしい。

本来、ライドシェアそのものは<運輸ビジネス>ではない。移動手段を求めている人(客)とそれを提供できる人をマッチングさせる<ITを用いた仕組み>のことである。

それを、日本の政府は、ライドシェア=運輸業と勘違いしている。だから国土交通省が所管となり、タクシー会社と同列にその業務を考えるという根本的な間違いを犯している。

結果、利便性を得るはずだった利用客もドライバーも、国の誤った政策によって置き去りにされている。

なぜ日本ではいつもこうなっちゃうんだろう・・・。

2024年7月27日

トランプ自爆

トランプが選んだ副大統領候補のヴァンス上院議員が、民主党のハリス大統領候補らを「Childless Cat Ladies(子供いない惨めなおばさんたち)」 と呼び、蔑む発言をしていたことが米国で話題になっている。

この事実は、大統領候補のトランプにとって間違いなく致命傷になるだろう。懐刀となるだろうと期待して選んだ候補によって自爆してしまった感じだ。

これで秋の米大統領選へ向けての流れが、また一気に変わった感じがする。

日本でも子供のいない女性のことを「生産性が低い人間」と蔑んで表現した自民党議員がいたが、コレもそれと同じ穴のムジナだ。

国を問わず、そうしたことを口にするどうしようもない人間はどこにでもいるということだ。

2024年7月26日

ペヤングと岡山弁

先日の昼食時、近くの駅ビルのエレベータに乗ったら、そこに女子高生が4人いた。そのなかの2人は、エレベータの中でペヤングの焼きそばを食べていた。ただ手にしていたのではない。割り箸片手に、焼きそば麺をががががっと啜り込んでいた。

ちょっとビックリしたね。しかも、その一人が手にして食ってたのはペヤングの「超大盛りサイズ」。

なんだコイツらと思い、最初、彼女たちの存在を頭から消して無視していたが、なぜかその様子が可笑しくなって、その少女らに「うめえか?」と訊いたら、声を揃えて「うまい!」。

で思い出したのが、先日たまたま見た、「新宿野戦病院」という新宿歌舞伎町の病院を舞台にしたフジの番組である。

その番組の中で、主人公の小池栄子がちょっとアクセントのズレた岡山弁をしゃべっている。「ぼっけえ」「ぼっこう」「でえれえ」「もんげえ」といった岡山弁だが、どれも「すごく(very)」「ものすごい」を意味する表現だ。「でえれえ でえこん てえてえて」は、岡山弁で、大きな大根を炊いておいて、の意味だということを小池が番組中で言っていた。

確かにそうなんだけど、ストーリーと直接の関係がなく、そうした一発芸的な台詞に苦笑した。

半世紀近く前に岡山を出て以来すっかり東京の言葉でやって来たが、記憶の奥底に干からびて残ってた澱のようなものが反応した。

脚本の宮藤官九郎は、生まれも育ちも岡山とは関係ないはずだが、今回、主人公に岡山弁を話させているのは何故なのか、岡山生まれとしては少し気になる。 

番組の中、小池はペヤングのファンである。

三谷幸喜がニール・サイモンやビリー・ワイルダーを連想させるエスプリの利いた(正統派的)台詞で笑わせるのに対して、宮藤官九郎はペヤングと岡山弁である。

笑いへの持っていき方が違う。しかもエッジが立っている。

2024年7月15日

バーニー・サンダースもありか

13日の演説中にトランプ米前大統領が銃撃を受けたことについて、上院議員のバーニー・サンダースがCNNでコメントを述べていた。

その話しぶりは実に矍鑠としたものだった。サンダースはバイデンとほぼ同年代だ。

スピーチの最中に重要なこと、例えば他国の大統領の名前などを言い間違えるなど、その認知能力の衰えが感じられるバイデン現大統領より、サンダースの方が大統領候補によっぽど相応しいように思えた。

 
若者層に人気があるし、無党派層も取り込めるんじゃないか。何と言っても、今回の銃撃で草の根アメリカの「スーパーヒーロー」になっちゃったトランプには、よほどの人物じゃないと立ち向かえない。

欧米のメディアを見ると、熱心なトランプ支持者はトランパー(Trumper)と呼ばれている。 それに yをつけてtrumpery になると、見かけ倒し、がらくた、 ろくでなし、たわごと、といった意味になる。

2024年7月8日

魔法のような90フィート

野球にはほとんど興味がない。が、ドジャーズの大谷翔平選手の活躍は、ついつい気になる。彼の人並みはずれた能力だけでなく、あの個性は魅力的だ。

昨日のブルワーズ戦で、大谷選手は今季20個目の盗塁を決めた。彼は足が速いことに加えて、自分がピッチャーだから投球フォームから盗塁のチャンスをつかむのも上手いんだろう。

盗塁する大谷選手(7月7日)、AP通信

盗塁って見ていて面白い。バックネット裏からのカメラ・アングルだと、手前に送球するキャッチャーと打席のバッター、画面なかほどにピッチャーが、そして画面奥(画面上方)に右から左に全力で疾走する一塁ランナー、 ランナーが向かう先にボールを捕球する体勢で構える2塁手。この構図はとても絵になる。

大谷の場合、先に書いたように足が速いしスタートも上手いから首尾よく盗塁成功となることが多いけど、多くはきわどいタイミングでセーフだったり、アウトだったりする。

野球のベース間の距離って上手く設計できていると思う。調べたら、その長さは90フィート(27メートル43センチ)。もしこれが91フィート、あるいは89フィートだったらどうだったろう。

わずか30センチほどの違いだけど、野球の面白さが大きく変わっていたんじゃないかと思う。誰が決めたんだろう、90フィート。

昨日の東京都知事選挙で小池知事が3選を果たした。ホームランとか、でかいヒットを打ったわけでなく、たくさんの盗塁(48億円かけたプロジェクション・マッピングなど)をかさねて点を稼いで勝ったという印象だった。

2024年7月7日

どこまで気温は上がるのか

今日、静岡で気温が40度になったらしい。死者とかでてなければよいが。

今さらながらであるが、この気温の上昇、そしれその大元となる地球の温暖化は何とかならないものだろうか。

1850年以降の全地球の平均気温をグラフにしたものが以下のものだ。1970年ごろから急激な上昇が見られ、2010年ごろからはそれに一層拍車がかかっている。


温暖化の原因はいくつも挙げられるが、その主要なもののひとつが化石燃料による発電である。下図は、電力を何によって生み出しているかを示したグラフだ。


中国が電力供給のために大量の化石燃料を燃やし続けていることが分かる。インドは、総量は中国の約4分の1だが、中国同様の増加トレンドにあるのが心配だ。

日本でこれまで記録された最も高い気温は41.1度。静岡県の浜松市(2020年8月17日)と埼玉県の熊谷市(2018年7月23日)である。

今日はまだ7月7日。梅雨は明けていない。今夏、最高気温を記録するのだろうか。 

2024年7月4日

僕がGメールをやめた理由

2020年に、プライベートのメールアドレスをgmailからfastmailに変更した。fastmailの運営会社は1999年に設立されたオーストラリア企業である。(米国企業でないところが肝心)

変更の理由は、gmailは無料で良くできた便利なツールだが、プライバシーの点で大いに懸念があるから。いや、懸念があるどころか、すべて覗かれ、彼らに利用されているのが実状。気づかれないように実に巧妙にやられちゃってる。

プライバシーについては、個人が気にするかどうか。ぼく自身はgmailを使っていたとき、自分のメールが常に覗かれ、記録されている感覚があって気持ちが悪かった。

最初、そうした気持ちの問題でfastmailを使い始めてみたのだけど、特に最近便利だと思うのがfastmailのMasked Emailのサービスである。

これはいわば、覆面アドレスである。日常、各種のサイトへの登録時にメールアドレスの記入を求められる。だが、よほど信頼できるもの以外は、Masked Emailのアドレスで登録する。

fastmailは、それをいくつでも使える。すごく簡単。また不要になったら、すぐ抹消できる。運営母体がセキュリティを最優先している企業だからだろう。

fastmailは、gmailやYahooメールのようなフリーのサービスではない。どうでもいいやり取りは、そうしたフリーメールを使えばいい。ただ、個人的なプライバシーが少しでも含まれるコミュニケーションは、信頼できるシステムを使った方が安心できる。

タダほど高いものはない、というのは揺るぎない真理だからね

2024年7月1日

広報担当の秘書官→差別発言→局長に昇格 これが役所の常識か!

先月26日の新聞記事である。

この人物、記事にあるように性的少数者について「見るのも嫌だ」と記者団に語ったという岸田政権の広報担当だった官僚。

それが今度、経産省の通商政策局長に昇格した。なかなかのポジションである。

経産省は、その「昇格」の理由を説明する責任があると思う。そうでなければ、新卒者の役人離れはますます加速するだろう。こんな職場には、まともな神経を持った学生が就職したくなくなるのは当然だ。

そんな当たり前のことが、長年にわたり内々だけで固まっている組織の人間には分からなくなっている。

2024年6月29日

米大統領選テレビ討論

昨日、日本時間で朝10時から行われたバイデン=トランプのテレビ討論を見た。

僕は米国人ではないが、当然関心はある。どちらが、あるいは誰が米国大統領になるかは、世界全体に大きな影響を及ぼす。(いまだ地球温暖化を否定するトランプがなったら大変だ。)

82歳のバイデンと79歳のトランプの論戦は、想像以上にお粗末でガッカリものだった。トランプは論点をずらし、答えるべきものに答えようとしない。今さらながら不誠実でウソに塗り固められた人物であることが浮かび上がる。

かたやバイデンは認知能力の衰えた、癇癪持ちの年寄りの醜い姿を晒していた。

アメリカ大統領という、いまでも世界で最強のパワーを持つポジションの人物を選ぶというのに、まるで田舎の村長をどちらにするかのような低内容の討論に終始していた。それにしてもヒドイ討論会で、選択に悩む米国の有権者も多いことだろう。

討論後のCNNの調査では、トランプが「勝った」とするのが67%、バイデンは33%だった。議論内容のファクトチェックが済んでいない段階で、数多くのウソを自信満々に述べたトランプを米国の有権者が何を評価したのか分からないが、これが米国の大統領選テレビ討論なのである。

すべてを左右するのは「印象」だ。マクルーハンの時代から何も変わっていない。これは考えてみれば、怖ろしいことである。

今回の討論会の後、アーロン・ソーキンが制作した「The West Wing」(Warner Bros.)を何本か見返した。そこで大統領を演じたマーティン・シーンのような大統領候補であったなら「完璧」だったのだろうが、それは望むべくもない。

今朝のニューヨーク・タイムズで、トーマス・フリードマンがバイデン陣営に対して大統領選から退くべきだという意見を述べていた。アメリカのため、世界のため、そしてバイデンと彼の家族、スタッフのためにその決断が求められているのだと。同感である。

カマラ・ハリスへの候補者スイッチがうまく行くかどうか。

The New York Times

2024年6月27日

本読みについて

本読みについて書いたら、コメントが送られて来た。

そのなかに、小学校でやっている始業時間前の「朝読」(朝の読書)と似てるという意見があった。朝に行う、時間を区切って行う、読みたい本を読む、集中して読む。なるほど、似たようなものかもしれない。

ほかに、20分といえども朝の忙しい時間帯には難しいという意見も何人からか。

そうした人は、こうしてみればどうだろう。出かける時にはバッグに必ず本を1、2冊入れるという、これもいたって簡単なこと。

で、通勤や移動で電車に乗ったときには、すぐに本を取り出す。ポイントは、意味もなくスマホを取り出し、いじったりしないこと。

これだけで本読みの時間は確実に確保できるはず。

むかし、帰りの電車の中でのこと、読み始めた本が面白かったので目的の駅についても下車せずにそのまま読み続けたことがあった。残りのページ数の半分を読み終えたところでいったん下車し、それから反対方面の電車に乗って帰宅した。

電車の中は読書に向いている。

2024年6月24日

泥棒猫

背中に載せるなら、海老天丼。これなら許せる。どこかの軍隊のような、人殺しのための機関銃なんか見たくもないからね。

香港出身のイラストレーター、黒山キャシー・ラムのThief Cat 

2024年6月22日

問い:あなたは自分自身に満足していますか?

もし上記の問いが自分に投げかけられたとしたら、どう答えるだろうかーー。

日本の13〜29歳に対して、日本政府がその質問を投げかけた。こども家庭庁のサイトによれば、質問の対象者は約1,000人、調査はインターネットで実施されたとある。

13歳と29歳とでは16歳の違いだが、同じ16歳の差でも63歳〜79歳のレンジ(範囲)とは明らかに違う。調査では集団を2つに分けた方がよかった。また、13歳を相手にネットを利用して歪みがない正確なデータが取れたかどうかはあやしい。が、まあそれらはここでは置いておこう。

「あなたは自分自身に満足しているか」との問いに、肯定的(「そう思う」+「どちらかといえばそう思う」)に答えた日本の若者の割合が57.4%で、同時に調査した米国やドイツ、フランス、スウェーデンより低かったと『こども白書』で指摘されている。

こども家庭庁のサイトから


ただ、ちょっと待てよ。そもそもこの設問は適切なのか。自己肯定感や自尊感情といったものの測定を狙ったのだろうが、普段われわれ大人ですら「自分自身に満足しているかどうか」なんて考えることは稀だ。問われた中学生や高校生が、この問いをどう受け取ったかが気になるところである。

勉強でもスポーツでも音楽でも、それが何であれ、自分がもっと上達したいと思って目標を設定して頑張っている若者ほど、きっと今の自分に満足はしていないはず。だけど、これは彼らに自尊心が欠如していることとは別だ。

むしろ、「自分自身に満足している」とあっけらかんと答えることができる<自己満>な人に対して、僕はそれが大人であろうが子どもであろうが、違和感を感じてしまう。

データは『こども白書 2024年版』に記載されているのだが、その白書に目を通してみると「主観的ウェルビーング」などという訳の分からぬ定義不明の用語が使われていて困ったものである。

2024年6月18日

条例改正では解決しない

渋谷区が路上での飲酒を禁止する条例を強化する改正案が成立した。これまでは10月末のハロウィーンと年末年始に限って禁止していた路上飲酒が、通年で禁止されることになった。といっても、夕方6時から朝の4時までの時間制限付きだ。

条例改正に至った理由として、渋谷区は路上飲酒者のマナーの悪さをあげている。具体的に指摘されているのは、ゴミのポイ捨て、騒音、通行妨害らしい。そしてそれらの対象者の8割近くは外国人観光客である。

渋谷区はこのままではいけない、と思い、条例を改正したのだろうが、これで変わることは、そうした路上での迷惑行為を行っている外国人に対して、区が契約している警備会社の警備員が「条例違反しているから止めなさい」と言えるようになることだけだ。ただし罰則はないので、本質的な抑止力にはなりえない。

行政は、公的な規制を設定すれば問題が解決すると思っているのかもしれないが、人の行動や行為は日本人外国人問わずそれほど簡単に変わりはしない。

そもそもゴミのポイ捨てと路上飲酒に、どういう関連があると考えているのだろう。ゴミのポイ捨ての理由は単純だ。酒を飲むからではない。ゴミを捨てたくても、ゴミ箱がないからだ。渋谷に限らず、日本の街を歩いていたら、誰でも感じるはずだ。また駅におかれているゴミ箱も少ない。

行政や電鉄会社が、ゴミ箱がなければゴミは客にそれぞれ持ち帰ってもらえる、と考えてゴミ箱を撤去しておいて、ゴミのポイ捨てを嘆くのはお門違いだ。

海外からの渡航者から、ゴミを捨てるところがないのでバッグに入れて宿泊先のホテルまで持ち帰っているけど愉快なことではないとよく聞かされる。回収のコストがかかっても、必要なゴミ箱は公的なスペースに設置しなくてはいけない。

路上でグループで騒ぐとか通行妨害を行うかどうかは、その連中とその場所の持っている雰囲気次第だ。渋谷という所が、そもそもハロウィーンにかこつけて(その本来の宗教的意味も知らずに)羽目を外して大騒ぎできる場所だと認識されてしまっているのが根本にある。

一方、都内の他の観光地、浅草や銀座などで路上飲酒による問題を聞かないのはそれが理由だ。

渋谷は、すでにそうしたイメージの街になってしまっている。街自体が、文化も歴史も感じさせないからだろう。区議会が今ごろ条例を変えてみたところで、それで問題が解決するといった類のものではない。

2024年6月17日

盲導犬を入店拒否するとは

日本盲導犬協会が盲導犬を利用する視覚障害者を対象にした調査の結果、視覚障害者が盲導犬を伴っての受け入れ拒否をいろいろな場で受けていることが分かった。 

いちばん多いのが飲食店。調査に回答した視覚障害者の半数以上が、盲導犬を伴って入店しようとしたときに入店を拒否された経験があるという。

以前、全盲の方に話をうかがう機会があったのだが、彼が今の奥さんと結婚前にデートしたとき、盲導犬を連れてある全国チェーンのカフェに入ろうとしたら入店を断られてしまったという。真冬のことだったが、仕方ないので屋外のテーブルでコーヒーを二人(と一匹)で飲むことになり悲しい気持ちになったと語っていた。

また調査では、電車やタクシーといった交通機関の利用の際にも、盲導犬を理由にその利用を拒否された人が多いことが分かった。電車を運行する電鉄会社が盲導犬を拒否するのは言語道断だし、タクシーの運転手がそんな対応をしているのにも首をひねってしまう。

日本でライドシェアが地域限定かつ時間限定的ではあるが少しずつスタートしたようだが、しかしそれらは諸外国のライドシェアとは全く異なり、既存のタクシー運営会社が運営を行うというのが日本での展開のされ方である。

その際の理由として挙げられるのは、タクシー会社のドライバーはきちんとした研修を受けており、プロのドライバーとしてその運転技術においてもサービスにおいても優れているから、といったことが言われているが、盲導犬を伴う視覚障害者を拒否して何がプロのドライバーかと思ってしまう。

またそれ以外、盲導犬の受け入れ拒否にあった場として宿泊施設や医療機関といったものがあげられていた。

罰則を設けるのが一つの策だが、それ以前にサービス機関で従事する人たちに正しい知識を持ってもらう必要がある。社会のなかで学ばないのであれば、学校教育でしっかり教えることが肝心なんだろう。

2024年6月11日

ステルス・マーケティングは、マーケティングではない

都内大田区にある医療法人が、「景品表示法が禁じるステマ広告を行ったとして消費者庁から行政処分を受けた」という報道があった。

自分たちの病院についての高評価の口コミを、一件550円で誘引していた。具体的には、インフルエンザ接種料金を550円分割り引くから、グーグルマップで★5つ付けてね、というやり方。わずか550円に引かれて、269人が星5の評価をしていた。都合、費用は147,950円か。

ただ、ここではその病院や書き込みを商売とするインフレンサーなる職については置いておく。 

問題は、ステルス・マーケティングという言葉。新聞の見出しでは縮められてステマと表現されている。気持ち悪くて、背中が痒くなりそう。

この言葉、決して新語ではない。たとえば、日本経済新聞でその用語が使われはじめたのは2012年のこと。ところが、それ以来ずっと紙面に使っておきながら、先週6月8日の紙面では用語解説まで載せていた。

日経新聞  2024.6.8

「ステルス・マーケティング」だの「ステマ」だの言っても一般の読者が理解しているわけではないからだろう。しかも厄介なことに、なんとなくマーケティングの正規の一つの手法のように勘違いしてしまっている。

シンプルに「やらせ」と日本語で言えば済むものを、なぜ横文字を使いたがるのだろうか。

そういえば、「リスキリング」も同じ。それを取り上げた記事では、その言葉の後にわざわざカッコで(学び直し)が付け足されている。ならば、最初から「学び直し」で済む。つまらない横文字を使う必要はない。

ステマだ、リスキリングだ、インフルエンサーだ、プラットフォーマーだとか、いったいどこの国の人間なんだと思ってしまう。

2024年6月9日

またもや顧客を無視したグーグルのやり方

グーグルからメールが来た。

Google Domainsで私が取得(購入)したインターネット・ドメインが、他社に管理が移管されたという。利用者(所有者)に対して何の事前連絡や説明もなくだ。

移管先の企業はどうせ子会社なんだろうが、自分たちの都合で勝手に物事をすすめ、金を支払っている利用者をゴミだと思っている。

・・・かと思いきや、いま調べて見ると企業としての親子関係での移管ではなく、金銭譲渡のようだ。グーグルのサイト上には以下のように、Squarespace社がグーグルの「顧客アカウントを買収した」とある。

https://domains.google/intl/ja_jp/から
 
つまり、グーグルは我々の「顧客アカウント」を転がして金を儲けているわけだ。こうしたやり方に対しての法律上、倫理上の問題はないのかね。

2024年6月4日

日本型ライドシェアという歪んだシステム

「日本型ライドシェア」と呼ばれる中途半端な制度がスタートしたが、その設計には基本的な問題がある。
 
この制度では、ドライバーはタクシー会社に雇用されるかたちで働くようになる。で、ガソリン代はドライバー持ちで、ドライバーの取り分は売り上げの約7割。つまり、上がりの約3割はタクシー会社が取る(配車アプリの提供企業にもいくらか流れるはず)。
 
タクシー会社がドライバーを「雇用」することで、彼らにはドライバーとしての研修等が施され、運用管理がなされるので乗客の安全性が確保されるからというのがタクシー会社が売上の3割を吸い取る理由になっている。
 
だが、タクシードライバーが基本的な接客の仕方を身につけるために必ずしもタクシー会社から研修を受ける必要があるのか。ないと思う。またドライバーがタクシー会社に雇用されていることと、安全が確保されることの関係性も薄い。
 
事故が起こった際の保証なんて話もあるのだろうが、それはタクシー会社であろうが個人であろうが、実際に事故が発生した際の処理を担当するのは保険会社である。
 
「日本型」という歪んだ制度のために、タクシー会社に「雇用」されるライドシェア・ドライバーには働き方の自由裁量度がなくなる。ライドシェアというシステムの根幹をなすものがなくなってしまう。
 
明らかに、こうした「日本型」ライドシェアはタクシー業界に配慮しすぎた制度だと云える。この「日本型」を強く主張しているのが、日本交通をはじめとするタクシー会社と国交省、自民党の「タクシー・ハイヤー議員連盟」(なんだそれ?)という政治家らしい。
 
そうした連中のせいで、UberやGrabといった海外で利用者が拡大している(つまり、顧客にとって便利な)ライドシェアでは当然のこととして行われているビジネスモデルの根幹が歪められている。
 
他国でのライドシェアのドライバーは自分の都合に合わせ、自分の裁量で働けるが、日本ではそうならない。そのせいで、現状ですでにライドシェア・ドライバーの確保が難しくなっているらしい。
 
こうしたやり方が続けば、一応かたちだけスタートした日本におけるライドシェアは機能しなくなり消えてしまうだろう。そして、それこそが日本のタクシー業界が期待しているところである。
 
一方、もし現行のやり方で利用者が拡大し、さらにそれにつれてドライバーの確保も可能となった場合、タクシー業者が売上の3割の上前をかすめ取るというやり方が「日本の実態に即している」とタクシー会社や一部の政治家は主張することになるのだろう。
 
つまり、この出来損ないの日本型ライドシェアの制度がうまく行こうが行くまいが、タクシー業界は損をしないという設計になっている。その傍らで不利益を被るのが利用者とライドシェアの仕事を希望しているドライバーたちである。
 
現在、ライドシェアが認められてるのは、東京23区などでは平日午前7〜10時、金曜と土曜の午後4〜7時台に限られている。
 
が、国土交通省は、雨が降った時や電車の遅延が発生した時には、ライドシェアを行える時間帯、運行エリアと運行台数を広げるよう検討するという。 
 
仕事ができるのは平日は朝7時からの3時間、金土は夕方4時からの3時間だけど縛っておきながら、雨が降ったら「出動せよ」と言ってるわけだ。
 
ライドシェアが無人の自働運転車ならともかく、人が「仕事」としてやるということを考えれば、あまりにもライドシェア・ドライバーを馬鹿にしてはいないか。 
 
 「嫌ならやらなきゃいい」という国交省とタクシー業界の裏の狙いが見え見えである。

2024年5月29日

史上、もっとも醜悪な兵器

中国軍が軍事演習の場に「ロボット犬」を導入したという報道。これがその写真だ。


四本足歩行のロボットの上部に機関銃が据え付けられている。なんて醜く、おぞましい。

兵器に美しさや優雅さを求める気は毛頭ないが、それにしてもこれは酷すぎる。

メディアは「ロボット犬」と表現しているが、これのどこがワンコなんだ。頭がないじゃないか。耳も鼻もない。尻尾もないぞ。

四本足で移動し、大きさが近いからと言って、それだけでこんなグロテスクなものを犬と呼ぶな。 

機関銃でなく、もっとでかい対戦車ロケットランチャーを背中に乗せた大型の四本足歩行のロボットが登場したら、今度はそれをロボット馬とでも呼ぶのかね。

2024年5月21日

非実力派宣言

俵万智『サラダ記念日』を読み直した。1987年の初版本である。みずみずしさに心が浮き立つよう。80年代の青春である。

ついでに近くにあった筒井康隆『薬菜飯店』(新潮文庫)のなかに収められた「カラダ記念日」も併せて再読。こちらもケッサクである。

そうやって、短歌っていいなあ〜、おもしろいなあ〜(筒井のパロディが短歌かどうかは別として)、としみじみ思っていた矢先だったので、ふとテレビで「NHK短歌」にチャンネルを合わせたところ・・・。

番組の司会は尾崎世界観とかいう若いミュージシャンで、ゲストが中村壱太郎という歌舞伎役者(わたしはどちらもよく知らない)。その番組の冒頭、尾崎が中村を「ゲストの中村壱太郎さんは、上方歌舞伎を継承する実力派女形として活躍されています」と紹介。

言葉尻を取るつもりはないが、わざわざ「実力派〇〇」と紹介する理由はなんだろう。実力派という「派」があるのかね。実力派があれば、非実力派ってのもあるのか。つまり、中村某を実力派女形と言うなら非実力派女形の役者もいるってことになるけど、それは誰なの?

1989年の森高千里のアルバム「非実力派宣言」を思い出した。森高のラディカルさと気持ちよさにこのミュージシャンは果たして対抗できるかナ。

2024年5月20日

60年前、「天国にいちばん近い島」だった南の島

先週、南太平洋にあるフランス領ニューカレドニアで、選挙制度をめぐって暴動が起きた。

背景には、政府に対する先住民の長年の不満や南太平洋で影響力を高める中国の存在があるとされている。

暴動で空港は閉鎖され、夜間外出禁止令が出された。フランス政府は「緊急事態宣言」を発令したと言うからただ事ではない。 

このニュース、日本で報道されるときには決まって「あの、天国にいちばん近い国であるニューカレドニアで・・・」と語られている。

『天国にいちばん近い島』は、作家の森村桂がニューカレドニアを旅したときの経験をもとに書いた旅行記で1966年に出版されている。1980年代、原田知世主演で同名の映画が公開されたが、内容は別ものである。 

200万部を超えるベストセラーになった森村の本で「ニューカレドニア」という島を知った日本人は多かったはずだが、いまだにニューカレドニアをメディアが語るときに「天国にいちばん近い島」と形容するとは。

一度付いてしまったイメージというのは、時間が経っても引き剥がせないものである。

それにしても、この本のタイトルの副題は「地球の先っぽにある土人島での物語」とある。土人の島ときたもんだ。今なら無理だろう。まさに時代を感じる。

jal.co.jpのサイトから