2019-03-24
ヘルメットはベトナム仕様
朝夕の通勤だけでなく、聞くところによると、夕食後は家族で1台のモーターバイクにまたがり街中を走り回ることをよく彼らはやっているらしい。どこに行くというのではない。ただのレジャー、気晴らしだという。
そうした時ハンドルを握るのは、やっぱりお父さん。後ろにお母さんが座り、その間にひとり、あるいはふたりの子供がはさまれている姿が一般的。50ccのバイクに家族4人が乗って街中を走る。端からは決して安全には見えないが、子供らはみんな父親と母親を信頼しているのだろう。眠っている子供すらいる。これが家族団らんの秘訣かもしれない。
ベトナムの若い女性はポニーテールが圧倒的に多い。流行っているのか、ただ簡単だからかしらないけど。
そのためか、ベトナムのバイク用ヘルメットの後ろの部分は、その「尻尾」がちゃんと出るようにカットされている。ベトナムだけじゃないかな。少なくとも、日本にはこんなのない。なかなかかわいい。
ホアンキエム湖の女子学生たち
日本でも昭和の時代には、英語を学ぶ学生たちがそうやって英語を使う機会をつくっていた頃があった。最近はどうなんだろう。よくは知らないが、日本ではそうした姿はもう見ることがないように思う。
今では英語を身につける方法はいくらでもある。アバター相手に英会話のトレーニングを受けるなど、ネットさえあれば英会話の練習方法は選び放題である。
だけどその一方で、ハノイの大学生たちが見せていた学びへの熱意を、日本の大学生は持っているだろうか。
10年後、世界で実際に活躍しているのは、きっと彼女たちの方だと思う。
2019-03-23
Cong Caphe コン・カフェ
スタッフ(なぜか若い女性がほとんど)はみんな迷彩色のユニフォームを身につけ、店内のむき出しのレンガの壁には懐かしのプロレタリアートをイメージしたものが飾られている。
2019-03-22
ベトナムの小学校で
アジアの少数山岳民族の村を中心に、現地に小学校や中学校を建てる活動をしている NPO団体、アジア教育友好協会(AEFA)の人たちとベトナムを訪れた。
ここは、ベトナムのトゥエンクアン省カンバオ村の小学校。子供たちがかわいらしい。まさに絵に描いたような純真な瞳に、忘れていたはるか昔の懐かしい想いが押し寄せてくるような感じだ。
子供たちがいま学んでいる校舎は、米を収納しておくために村が造った倉庫を改修したもの。設備も教材も何もかもが我々の目からは間違いなく最低限のものだったが、それでも子どもたちの学ぶ意欲の輝きは何ものにも代えがたいものに映った。
2019-03-21
2019-03-10
東日本大震災、沿岸部の工事続く
たしかに港湾部はきれいに整備され、一見したところではもう被災の傷跡のようなものは分からない。新しい建物が建てられ、あたり一面きれいだ。だが、人がいない。
浜から少し離れたところには立入禁止のロープがはられ、まだ修復されないまま被害が残された箇所もある。
南三陸町から国道45号線を気仙沼、陸前高田、大船渡方面へ進む。どこもかしこも工事が多い。津波で押しつぶされた家屋や建物があっただろう土地は整備のための工事が、そして臨海部は長大な防潮堤を築くための工事があちこちで行われているのを目にする。
昔からその土地にいる人たちの目からは、風景がどんどん変わっていっているだろう。防潮堤はいざというときの津波を防ぐとともに、人から海の景色を完全に遮断する。高い塀で守られた街は、まるで中世ヨーロッパの城壁都市を連想させる。
普段の景色が変われば、そこに住む人たちの意識も変わっていくのだろう。海の意味も、母なる海というかつての牧歌的なものから、人に牙をむく恐ろしい海へとあり方が変わったに違いない。
2019-03-07
インケン
一昨年の秋に日本の新しい隠居を考えるための研究会組織として起ち上げ、一年ほどかけて読書会を中心に、ゲストを招いての講演&討議やフィールドワークなども行った。
隠居というと、古典落語に出てくる横丁のご隠居さんのような存在を連想するかもしれない。しかし、これからの時代にはそれとは様相がまったく異なる新しい隠居の姿があるのではとの個人的な思いが背景にあった。
今後日本人(とりわけ60歳以降)がどのように個人として生き、また社会と関わっていくことができるか、そうしたことを半分真剣に、半分面白がりながら「人生100年時代」(ほんまかいな?)と言われる時代性の中で考えて議論した。
その研究会のメンバーの1人だった藤原智美さんが出された『この先をどう生きるか』(文藝春秋)は、定年前後世代に向けてのそうしたテーマへのひとつの答え、提言である。
2019-03-06
『早稲田乞食』第190号
サークル幹事長の交替を大学に届けるための書類やら前年度の活動報告書を大学に提出するにあたり、僕の署名と印鑑が必要だったためだ。
新幹事長は文学部の2年生(この4月から3年生)で、なかなか利発そう。うまくサークルをまとめて引っ張っていってくれそうだ。ただ、部員がこのところあまり増えていないとか。そこがちょっと心配。
いまどき手書きのミニコミ誌なんて、世間的には流行らないのだろう。化石のようなもの。超アナクロもいいところだ。だけど、だからこそ41年の歴史を誇るワセコジ(『早稲田乞食』)の火を絶やさないよう現部員たちには頑張って欲しい。
彼らが研究室に置いていった最新号をめくっていると、そのなかに僕を描いたイラストを見つけた(23頁)。本人に何の断りもなく・・・。アンビリーバブル!! ま、いいか。
2019-03-04
アメリカという国が持つ問題と希望
最初、観る者は自分がどちら側なのか想いを巡らす。冴えない日々の仕事をこなしているだけで決して輝くような将来があるわけではないが、賑やかな家族と友人関係に恵まれたイタリア系白人か、それとも豊かな教養を持ち、世間から尊敬を集めるだけでなくカーネギーホールの高層部に住居を構えるほどの富も持つ孤高の黒人か。
旅の途中、とりわけ車の中での二人のやりとりは、どちらもが欠けた部分を抱えて生きていることを伝えてくれる。
映画は、その裏にある社会の複雑な関係性をエピソードを重ねることで重層的に伝えようとしている。差別と偏見への直接的な怒りというより、それを正視しつつ笑い飛ばすユーモアが底辺にある。
ツアーからニューヨークに戻ったあと、トニーの家をクリスマスに訪ねたシャーリーに、彼女がそっと「あなたが手紙を書いていたのよね」とささやき抱き合うラストシーンは、クリスマスらしい温かい気持ちを観る者に届けてくれる。
2019-02-22
今日は猫の日である
2019-02-21
全584ページのマニュアル
われわれは、そうした資金をもとを研究を行い、学会で発表を行い、論文を作成する。研究資金を与えられるのはもちろん有り難い話ではあるが、その使い方がなかなか複雑で厄介である。
僕の場合、現在は昨年度から3年間にわたる研究助成金を受けている。今年はその2年目にあたり、大学を通じて初年度の総括と次年度の研究請求金額の届けが求めれてきた。
初めてのことではないのでだいたいのことは分かっているつもりではあるが、その申請継続手続きのための資料として大学から送られてきた操作マニュアル(研究者向け手引き)は、なんと全584ページにわたる。年々複雑化している。これでは電話帳である。だれも読まない。
だいたい、こんなものを人に読ませようといういう文科省は、研究者に果たして本来の研究をさせたがっているのか、それともただ(彼らが考えるところの)問題のない手続きを最優先でやらせたいと考えているかのか。
2019-02-13
ジャンボはまだ飛んでいた
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日本到着後に撮影 |
今回、フランクフルトで乗り継いだルフトハンザ機は、その747だった。まだ飛んでいたのかと、ちょっとビックリした。
日本航空も全日空も、もうジャンボは飛ばしていない。燃費の悪さなどの性能、使い勝手で後続機に先を越されてしまったからである。だけど、世界の旅行ブームを牽引してきたのは、間違いなくこのジャンボだった。エアバスA380が就航するまで、もっとも座席数の多い機材だった。
僕が BA(ブリティッシュ・エアウェイズ)で働いていた時に日英間を飛んでいたのもすべてこのボーイング747だった。90年前後のバブルの頃は、そのファースト・クラスやビジネス・クラスから席が埋まっていったのが嘘のように思い出される。
だから、フランクフルトから日本へ向かう便がジャンボだと知ったときは、懐かしい友に会ったような気になった。
だけど、久しぶりに乗って感じたのは、残念ながらその友はもう時代遅れだということ。最新鋭の機材に比べて、なんといってもキャビンの静粛性に欠けている。実にうるさいのだ。またキャビンの座席の配置も最近のものに比べて工夫がなく、乗客にはとっては快適さにも欠けている。
たくさんの客を積めるので飛行機会社にとっては今も使い出があるのだろうけど、やはりもう引退させたほうがいいというのが正直な感想である。
2019-02-11
川のある風景
一方、川の南側のガイアと呼ばれる地区の斜面はあまり日当たりが良くないので、ワインの醸造所や倉庫が多く並んでいる。温度があまり変わらないから、それがきっと好都合だったわけだ。
リスボンは、テージョ川(Rio Tejo)によって南北に分かれていた。リスボンもここポルトも川があるから港があり、人や物が船で運ばれ、その結果経済が発達し、新しい文化や考えが外から入ってきていたのだろう。
ポルトの下町で
「うまいもんだね〜」と下から声をかけたたら、おばさん、手を振って応えてくれた。
2019-02-09
2019-02-08
ヨーロッパの西の果て
ここからは目前には大海が広がっているだけ。15世紀から16世紀、ヴァスコ・ダ・ガマをはじめとするポルトガルの航海士たちが世界の海に出かけていったのは、この海の向こうに何があるのか知りたかったから。
レガレイラ宮殿の井戸
リスボンから車で西へ45分ほど。シントラという街にあるレガレイラ宮殿の起伏に富んだ敷地の中に、Initiation well と呼ばれる井戸がある。実際は水をためるための井戸ではなく、らせん状に人が上り下りすることができる縦穴である。
人は神に近づこうと高みを目指して塔を築いてきたが、この井戸は「逆さの塔 (inverted tower)」と呼ばれている。人間の何か奥深くを探るために地中深く掘り続けられたものかもしれない。
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見下ろす |
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見上げる |
底まで降りていくと、今度は横に何本か横穴が延びていて、泉に突き当たった。
しばらく穴に潜ったままでいると、胎内回帰ではないが、なにか不思議な感覚を覚えた。
敷地に住みついているノラ。手を出したら、ひっかいた |
2019-02-06
鮨が握れば、どこでも生きていける
写真はミュンヘン空港で見かけたレストランの鮨である。マグロとえび、サーモンが2貫ずつ、あと巻物が2種類だけ。
これが24.5ユーロである。日本円にして3000円以上する。マグロもサーモンもエビも干からびている。
日本人で英語が多少できて鮨が握ることができれば、少なくとも都市ならば世界中どこででも仕事にありつける。日本にいて、これからの社会でAI(人工知能)と競争しながら職を得るより、若者にとってはよっぽど可能性のある生き方だと思うけど、どうだろう。
2019-02-05
最悪、無駄なセキュリティチェック
それはまだいいのだけど、身体チェック用のゲートをくぐった後に、係から「靴を脱いでください」と言われ、?と思いつつも、確かにアメリカなど海外の空港では靴を脱がされるのを思い出し、靴を脱ぐ。彼女は僕が脱いだその靴を手に身体チェックゲートの向こう側に行き、X線検査装置を通した。
構造上、靴に金属など何か反応するものが組み込まれているのか気になり、参考までに何が反応したのか尋ねてみた。「何もありません」との回答。なぜ靴を脱がせて、わざわざ検査装置を通したのか問うたら、今度は申し訳なさそうに「ランダムにやっているんです」と。
つまり、ランダムに客に靴を脱がせて、「靴もちゃんと調べてるんだかんね」と周りの客に示すためのデモンストレーションだった。何だかなあ・・・という感じ。
今回の乗り継ぎ先のミュンヘンの空港では、セーターまで脱がされた。必要ないだろうに。係の男声の命令口調に、一瞬むっとする。命令するのに慣れていて、人と接しているという感覚が麻痺している。
X線検査では、手荷物の中の金属製の携帯用箸が引っかかった。以前、ニューヨークのJFK空港ではハーモニカがX線検査で引っかかった。ハーモニカケースを指さされ、これは何だと問われ、「ハーモニカだよ。一曲聴かせてやろうか」といったら厭そうな顔をされた。
乗客の安全のために手荷物検査をするのは必要なことだけど、人の気持ちを思いっきり不愉快にしていることを当局は考えるべきだ。必要なことは必要なこととして、だけどもう少し旅人の気持ちを考えたやり方があるはず。危険物を持ち込ませないようにするためだろうが、威圧するだけが能ではないと思う。やっている方も機械のようだと、仕事が楽しくないだろうに。
2019-01-29
カツ丼、カレー南蛮の三朝庵が閉店していた
実は、この店の前、というか正確にはこの店がある交差点は週に何度も通っていた。が、気づかなかった。もともと営業時間が限られていたこともあり、店が閉まっていても、今の時間は「休憩時間」なんだろうと勝手に想像していた。ところが、実は昨年の7月31日に閉店していたとは。
112年の歴史を持ち、カツ丼やカレー南蛮の発祥の店として知られていた。確かに僕自身、ほんのたまにしか入らなかったが、いつも店はがらがらに空いていたのが今となっては思い起こされる。
降ろされたシャッターに貼られた紙には、スタッフの高齢化や人手不足が理由とあるけど、それが理由なら学生バイトでも使って続けられたはず。個人的な感想をいえば、数年前から店が死んでいた。
早稲田大学創設者の大隈家の御用達だとか、明治39年創業とか、カレー南蛮を初めてメニューに入れた店とか、きら星のような「歴史」に彩られてはいるが、そうした物語(ストーリー)に頼り切り、肝心の料理や店の掃除にはすっかり気が回っていなかったように思う。
最高の立地と最高の物語を持ち、しかも最高の利益率を誇る蕎麦屋という事業形態を生かせなかったのは、経営の不在としかいいようが無い。残念である。
2019-01-21
そろそろポイントカードからおさらばした方がよさそうだ
6700万人とは圧倒的な数。日本全国民の半分以上にのぼる。 ただしこの数字はのべ数で、実際には使われていないものも多いだろうから、実数は2000万人くらいだろう。ただ、それだってすごい数といえる。
今回明らかになったのは、利用者の名前や住所、電話番号だけでなく、商品購入履歴も警察に流れていたということ。映画のDVDなどをレンタルしている場合は、そのレンタル記録(レンタル日、店舗名、レンタルした商品名)まで提供されていた。これは、その人の趣味や嗜好性が丸裸にされることを意味する。
報道によれば、「Tポイントの会員規約」には当局への情報提供は明記されていなかった、としている。しかしいずれにせよ、ポイントカードの会員規約など一般の人はほとんど読まない。
つまり、今回は規約になかったのに・・・ということで問題視されることになったが、規約にそうしたことが記されていたとしたら、運営会社のCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)は利用者に対して何を憚ることなく、会員情報を提供していたのだろう。
何も知らない、気づかないのはポイントカード利用者本人だけということになる。
世の中にポイントカードがあふれている。良くて1%、あるいは 0.5% 相当のポイントを貯めるために個人情報を売り渡し、財布をカードで膨らませ続けるのは、いい加減やめにした方が良さそうだ。
企業はこうしたデータが消費者行動理解につなげられると想定してるのだろうが、この程度のものでどんなインサイトが得られるというのか大いに疑問だ。
2019-01-14
「恐怖の報酬」
「恐怖の報酬」はウィリアム・フリードキンが1977年に監督した作品。1953年に製作された作品のリメイクである。現在、都内では1館だけ(新宿シネマート)で上映されている。
当時公開されたのは、30分ほど配給会社の手によってカットされた<短縮版>だったそうで、今回、<オリジナル完全版>を謳う作品が日本を含むいくつかの国でリバイバル上映されている。
ストーリーはシンプルと言えば、シンプル。見どころは戦慄的な状況のなかで生き抜く4人の非情な男たちの生と死といったところなのだろうが、僕にとっては美術デザインと音楽である。
この映画を世界に知らしめた最も印象的なシーンは、ニトログリセリンを運ぶトラックが密林の中の吊り橋を渡るところだろう。よくもまだこんなオンボロトラックが走っていると感心させられるのだが、それにも増して、そのフロントグリル周りがまるで怪物の顔なのである。
その怪物が唸りを上げ、ときに咆哮しながら奥地の道なき道を這い進んでいくシーンに引き込まれる。
クルマがこれほど怪物に見えたのは、スピルバーグの監督としての出世作といわれる「激突!」で執拗に主人公の車を追い詰める大型トレーラー以来だ。
音楽は、タンジェリン・ドリーム。ドイツ出身の当時プログレッシブ・ロックといわれたバンドの一つである。今聞けば、プログレッシブどころか妙な懐かしさを感じさせる電子音楽なのだが、それが画面のおどろおどろしさと相まって心に残る。
2019-01-03
セルジオ&セルゲイ
主人公の一人セルジオは、ロシアの大学院でマルクス主義哲学を専攻して学位を得て、いまは母国の大学で教鞭を執っているエリート共産主義者。だが時は1991年。ベルリンの壁が崩れ、社会主義陣営の崩壊の波の中で深刻な経済危機に見舞われているキューバでの暮らしは困難を極めている。
そんな彼の趣味はアマチュア無線である。ニューヨークに住む無線仲間から、本国では報道されない政府にとっての不都合な情報を得ては、将来の行く末を案じている。番組冒頭では、モールス信号で通信をしていた! その後、NYの無線仲間から機器をプレゼントしてもらって、やっと声で通信ができるようになった。
もう一人の主人公であるセルゲイは、母国の宇宙ステーションに滞在中にソ連が崩壊したため、帰還が無期限で延長されてしまったソ連の宇宙飛行士。地球から何百キロと離れた宇宙でひとり、どうしようもなく日々の決まり切った活動を続ける彼は、ある種腹立ち紛れに無線で地球に語りかける。
そこでこのふたりが電波の上で出会って、交信をするというわけだ。その後、このふたりがそれぞれ置かれた悲惨な状況をどう生き抜いているかは映画を観てのことだが、どんな時も投げやりにならず、ユーモアを忘れない考え方はすてきだ。
かつてロシアに留学し、マルクス主義哲学で学位を取ったエリート大学教授が、社会主義の崩壊の波のなかで一気に傍流に押し流されていく様子。宇宙にいる間に母国のソ連が崩壊し、帰るに帰れなくなった宇宙飛行士。そのふたりが、実にローテクなアマチュア無線でつながるというアイデア。皮肉と諧謔が込められていて、どれも気に入った。
セルゲイにはモデルがいる。実際に帰還無期限延長を命じられたのロシアの宇宙飛行士である。ただ名前はセルゲイではない。映画では、典型的なソ連人(ロシア人)の名前としてセルゲイと呼ばれ、同様にセルジオは典型的なキューバ人の名前だ。
スピルバーグが監督し、トム・ハンクスが主演した「ターミナル」という映画があった。確かクラコウジアという架空の国だが、その国からアメリカにやって来た男の物語だった。故国が突然政変で消滅し、パスポートが無効になったために到着した空港(ニューヨークのJ・F・ケネディ空港)から外へ出られなくなった彼とそのターミナル内で働く従業員たちの交流を描いていた。
こちらも自分の意思に関係なく、政治の大きな流れの中で翻弄される個人の不幸と悲哀テーマにしながら、それでも国籍や民族にとらわれず個人と個人が意思を通じさせることで生まれる交流を温かく描いていた。
モチーフは似ているが、どちらもその目の付け所がいい。
2019-01-02
今年の年始は奈良で
2018-12-31
落成した興福寺中金堂
中央の釈迦如来像は別として、コンクリートの台の上に無造作(にしか見えない)に配置された何体かの菩薩像。展示の仕方とライティングのお粗末さが相まって、キッチュな感じしかしなかったのが残念。取り合えず落成しました、といったところか。
一方、その後で訪ねた新薬師寺はさすが。小さな寺ではあるが、本堂内部の雰囲気といい、ぐるりと輪を描いて配置された十二神将といい、見事だった。
こちらはデビューして55年
神奈川県内では、そこと川崎市アートセンターアルテリオ映像館の2館でしか上映していない。もっとも、都内でも有楽町、渋谷、池袋でそれぞれ1館で上映されているだけだ。
映画館の最寄りの地下鉄駅を降り、改札を出たところにある駅周辺地図の前に行くと70歳くらいの中年男性が3人ほど立っていたのでどいてくれるように頼んだら、「ジャック&ベティですか?」と聞かれた。なんでそこに行こうとしているのが分かったんだ? 自分たちも仲間が到着したらこれから行くのだとか。
クラプトンについては、ウィキペディアでは以下のような紹介がされている。
イングランド出身のミュージシャン、シンガーソングライター。 「スローハンド」と呼ばれるギターの名手として知られ、ソングライティングも優れた世界的なアーティスト。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジと並ぶ世界3大ロック・ギタリストの一人とされている。 『ロックの殿堂』を3度受賞。現在73歳。デビューして55年になる。
実の母親から捨てられ、孤独で屈折した少年時代にブルースに出会い、衝撃を受ける。その大きなきっかけは、B.B. キングの音楽だった。映画の冒頭で、クラプトンがカメラに向かって「もしまだブルースのことをよく知らなければ、私自身の出発点となったこのアルバムを探して聴いてほしい」と語りかける。2015年に亡くなったB.B.キングの死を悼む言葉である。そして映画は、ステージ上のB.B.キングが、そのステージの袖に立っているクラプトンへ向けて敬愛の言葉を語るシーンで終わる。
しかし、なぜブルースがまだ少年だったクラプトンの心を捉えたのか。彼はその理由を語らない。ただ見るものには、複雑な少年時代の家庭環境や学校での鬱屈した日々が背景にあったのだろうと想像させる。
1991年、彼は当時4歳だった愛息を亡くす。ニューヨークの53階のアパートの窓からの転落死である。失意の底にたたき落とされた彼だが、音楽がその痛みを和らげた。
映画の最後のナレーションだったと思うが、少年時代にブルースに出会い、ブルースに心奪われてギタリストの道に進まなかったら、彼は労働者階級の一人として祖父と同じレンガ職人か、父親と同じタイル職人になっていたかもしれないと語られていた。
ブルースに出会わなかったらどうなっていたかなんて誰にもわからない。ただ、心に強く響いたものを自らに引きつけ、成功するかどうかなんて考えずに没頭することしか偉大になる道はないことは確かだ。
そういえば今月は、音楽に関係のある映画として他に「アリー スター誕生」と「ボヘミアン・ラプソディー」を観たが、いずれも上出来の作品だった。
こちらはフィクションではあるが、愛する者の死を経験し、それを乗り越えることでアーティストとして成長していくというのは、レディ・ガガが主演して製作された4度目のリメイク版「スター誕生」の重要なモチーフでもある。
また死といえば、「ボヘミアン・ラプソディー」は、エイズが原因で1991年に亡くなったフレディ・マーキュリーと彼のバンド、クイーンの物語。
フレディを演じた主演のラミ・マレックが、好演している。入念に施されたメイクもあるのだろうが、フレディがそこにいるような感覚になった。最後、ライブエイドのステージングには興奮した。