あれから8年、宮城県の南三陸町を訪ねた。その海沿いをめぐる。
たしかに港湾部はきれいに整備され、一見したところではもう被災の傷跡のようなものは分からない。新しい建物が建てられ、あたり一面きれいだ。だが、人がいない。
浜から少し離れたところには立入禁止のロープがはられ、まだ修復されないまま被害が残された箇所もある。
南三陸町から国道45号線を気仙沼、陸前高田、大船渡方面へ進む。どこもかしこも工事が多い。津波で押しつぶされた家屋や建物があっただろう土地は整備のための工事が、そして臨海部は長大な防潮堤を築くための工事があちこちで行われているのを目にする。
昔からその土地にいる人たちの目からは、風景がどんどん変わっていっているだろう。防潮堤はいざというときの津波を防ぐとともに、人から海の景色を完全に遮断する。高い塀で守られた街は、まるで中世ヨーロッパの城壁都市を連想させる。
普段の景色が変われば、そこに住む人たちの意識も変わっていくのだろう。海の意味も、母なる海というかつての牧歌的なものから、人に牙をむく恐ろしい海へとあり方が変わったに違いない。