2015年4月18日

ひとり出版社は、強くてしなやかだ。

きょうのゲストは、『あしたから出版社』(晶文社)の著者で、夏葉社という出版社を経営している島田潤一郎さん。6年ほど前に出版社を立ち上げ、いまも編集から書店対応、営業まですべて自分一人で担当されている。


彼の語り口は静か。そして朴訥とした語り口の中に、本への愛情がこもっている。


彼が出版社を立ち上げたきっかけの一つは、転職に失敗し続けたこと。50社に履歴書を送ってもすべて選考に落ち続けてしまった苦い経験。

もうひとつは、親しかった従兄弟を亡くし、悲しみを抱えていた時に出会った一編の詩。それを本にして、子どもの頃から親のように面倒を見てくれたおじさんとおばさんの心の痛みを少しで和らげることができたら、との想いからだとか。

年間8万点を超える新刊書が発行されている日本の出版事情のなかで、出版社を続けていくのは大変な事。だけど、彼の発想はたとえ初版3000部の本でも、10年かけて少しずつ売っていけばいいじゃないかというもの。

売れそうだから売るのではなく、自分が売りたい、人に読んでもらいたい本を作って売っていくという基本姿勢を守るのは大変そうだけど、これからも健闘を祈りたい。

今朝の一曲は、ボズ・スキャッグスで "We're All Alone" 。


2015年4月11日

旅行の醍醐味は、いかに気持ちよく、普段と違う金の使い方をするかだ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続き『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』の著者、デービッド・アトキンソンさん。


彼は、ソロモンブラザーズやゴールドマンサックスなどで金融アナリストとして活躍された後、国宝や重要文化財の補修を手がけている小西美術工藝社の社長に転身したという方で、日本語は日本人以上に流暢だ。


日本への海外からの2014年の渡航者は、年間1300万人ほど。2013年が1000万人ほどだったので、ずいぶん急に増えた印象である。下のA)には世界各国・地域への外国人訪問者数のランキングが掲載されていて、それによれば日本は33番目らしい(2012年度)。

A) http://www.nippon.com/ja/features/h00046/
B) http://www.jnto.go.jp/jpn/reference/tourism_data/visitor_trends/index.html

9番目にロシアが入っているのが、ちょっと意外だったりする。それに、オーストラリアが入っていないのはなぜだろう?

もとのデータは入出国管理上の数字だろうから、例えば隣国への出稼ぎ労働者が出たり入ったりするのも毎時カウントされているのかもしれない。それに国によって集計の取り方はそれぞれだろうから、こうした統計は、まあ参考程度にながめておいた方がよい。

つまりこれをもって、日本はどこそこに負けているからなんとかしなければとか(余計な予算をつけてヘンなキャンペーンを組んだりとか)、そうした表面的な考えに踊らされないようにすることが大切だと思う。

海外からの観光客は大切にしつつ、どうやって少しでもたくさん(そして気持ち良く)お金を使ってもらうかを戦略的に考え、仕掛けていかなくちゃいけない。

団体ツアーで東京へやって来た海外旅行者が、一泊数千円のビジネスホテルに泊まり、買い物はディスカウント・ストアとドラッグ・ストア、あと秋葉原の家電量販店、銀座に観光バスで乗り込んできたかと思うと、ウインドウショッピングだけして、昼食に牛丼屋に並ぶような現状は困りものである。

今朝の一曲は、エルトン・ジョンの "Rocket Man (I Think It's Going to Be a Long, Long Time)"。1972年のアルバム Honky Chateau から。


2015年3月30日

京都のさくら

駆け足で京都の桜を見に行ってきた。散策したのは、京都市内の中心部から南西にある大原野と呼ばれている地域。

花の寺として知られる勝持寺から正法寺、大原野神社などを回ったが、どこもまだ桜は蕾のまま。やはり東京とは一週間ほどは遅いようす。

そうしたなかで西迎寺のしだれ桜だけは見事な姿を見せていた。他に訪問客もいない小さな小さな寺だったけど、地元の人が教えてくれただけあって、本当の穴場だった。



2015年3月22日

人の働き方とリーダーシップ

昨日の番組「木村達也 ビジネスの森」は、前伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎さんにゲストに来ていただいた。対談のもとになったのは、丹羽さんが書いた『負けてたまるか! リーダーのための仕事論』(朝日新書)。


彼は伊藤忠商事では、社長に就任すると当時およそ4000億円あった不良債権を一括処理することで翌年度の決算で史上最高益を計上したことで知られている経営者である。実に、思い切りがよいのである。こうしたことは、できる、できないということより、やるか、やらないかという問題だから。

番組での発言も非常に歯切れがいい。明快だ。


日本の企業内で働く人の4割近くが、非正規社員と呼ばれる雇用形態で仕事をしている。丹羽さんは、そのことを危惧している。企業の社内での教育というテーマから、正規と非正規という雇用のことに話が移っていった。

番組内で話された際のその理由としては、企業としてはいつ辞めるかわからない社員に時間を金をかけて教育はできない、そのために社員の能力を高める機会を逸して長期的にその企業は競争力を失っていくという点をあげられた。

だから経営者は、安易なコスト削減の一法としての社員の非正規化は止めるべきだと指摘する。

たまたま今朝の日経新聞「日曜に考える」欄で、丹羽さんと政策研究大学院の太田弘子氏が、同様のテーマで対談をしている。そこで丹羽さんは、雇用と報酬の安定を考えて、経営者は非正規社員の9割くらいを正規社員化すべきだと述べている。

一方、太田氏は非正規を問題とは捉えていない。彼女によれば「非正規そのものが問題ではない。正規との格差があまりにも大きくて、いったん非正規になると正規になる道がなくなってしまうのが問題だ」となる。

これは一見まともな解釈に聞こえるが、明らかに現状を無視している。僕には先の彼女の発言は「貧困そのものが問題ではない。金持ちとの格差があまりにも大きくて、いったん貧困になると金持ちになる道がなくなってしまうのが問題だ」と読めてしまう。どうも新自由主義的立場からは、非正規社員が正規社員になれないのも、貧困者が富裕層になれないのも「自己責任だから」となる。

 丹羽さんの「なんで非正規にするのか。給料が安いからか」という発言に、太田氏は「そうではない。短時間だけ働きたいという人がいるからだ。派遣を望む人もいる」と返している。これも理屈がおかしい。

子育てや介護、その他種々の理由で短時間だけ働きたいという人はいる。あえて派遣が自分に相応しいという人もいる。しかし、そのことと非正規社員か正規社員かという問題は、別の問題だ。

彼女は短時間だけ働きたい人たち、派遣で働きたい人たち=非正規を望んでる、と考えているようだけど、そうではないと思う。そうした人たちだって、多くは正社員を望んでいるはずだ。短時間だけ働く正社員だってあり得るし、派遣元に正社員として雇用され、派遣先で働くという働き方だってあり得るのである。そもそも「正規社員」の理解の仕方が一面的なのだ。

いずれにせよ、脱時間給制度とか残業ゼロ法案とか、そうしたことは働く個人と企業との間で決定されることであって、政府が規制をすることではないように思えてならない。こんなことまで手取足取りやられなければならないほど、日本の経営者も働く人たちも愚かではないはずだが。

今朝の一曲は、ブルース・スプリングスティーンの Born in the USA から"No Surrender"。


2015年3月14日

ホームレスをファーマーに

今日の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5 朝8時15分から)も先週に引き続き『ホームレス農園』の著者、小島希世子さんに来ていただいた。彼女の活動の一つが、2008年頃から「ホームレスをファーマーに」を合い言葉に開始した家庭菜園塾だ。


彼女は当初、ひょんなことからホームレスやニート、生活支援受給者といったこの管理社会のレールから外れてしまった人たちと人手不足の農家をつなぐことになり、そうして土の上で繰り広げられる静かなドラマを見ることになった。

それは、作物を育てることで生きるエネルギーを取り戻していく人たちの姿。一粒の種から芽が出て、幹が育ち、やがて実を実らせることを自分の手で体験することで「人は自分の中に変化を感じるようになる」らしい。もう一度がんばろうという意欲が生まれてくるのだ。

彼女が藤沢でやっている農園を訪ねたことがある。藤沢は彼女が大学時代を過ごした場所。そうしたこともあり、協力してくれる農家さんと知り合うことができ畑を借りているらしい。決して大きな農園ではないが、そこでは何人もの人たちがたくさんの種類の作物の育成に取り組んでいる。

彼女の活動は草の根的である。運営母体は株式会社組織にしてはあるが、失礼ながら個人商店の域をでない感じだ。規模感は、ない。それでも、今の彼女は規模の拡大を睨まず、自分がやるべきとをコツコツと続けている。

一つの大きな農園運営組織にするのが目標ではなく、自分の活動に共感してくれた人たちが増え、いろんなところに同様の「農園」がポツポツと出てきてくれることが願いらしい。それが、やがては日本全体を変えることにつながるという発想は、実にその通りだと思う。

彼女と話していると、それが決して「ユートピア的」と笑うようなものではない気がするから不思議だ。うまく言えないんだけど、小島さんはなんていうか、不思議な雰囲気を全体から発している方だった。

今朝の一曲は、フォリナーで Waiting for a Girl Like You。


2015年3月8日

大学8年生では、まだもの足りないのか

先週の半ば、「大学、在籍年数を延長 再生実行会議が提言へ 8年超も可能に」の見出しの新聞記事を読んだ。政府の私的諮問機関である教育再生実行会議が、大学の在籍期間の上限延長を提言に入れることを決めたという報道である。

背景および理由として示されているのは、日本では下図のように入学者に占める25才以上の割合が他国比べて低い状況にあり、社会人や子育て中の女性を大学に取り組むことでこの数値を上げられるとの意図がある。そして、そのためには8年間では「仕事や子育てとの両立を想定すると短い」というのが先の実行会議の委員の意見らしい。

日経3月3日朝刊より

大学に通う社会人や子育て中の女性から、在籍可能期間の上限が8年間では短すぎるという不満が多くでているのか。今どき日本の大学生で、在籍が上限の8年を超えたために除籍処分になるケースなど、僕はほとんど聞いたことがない。

4年生大学の在籍可能期間が現在の8年間からさらに延長できたとして、それを理由に新たに大学の門をくぐろうと考える社会人や女性がどれくらいいるのだろう??

教育実行会議の委員たちが考えたのは、「日本では他国に比べて25歳以上の入学者が少ない」→「どうしたら数値を上げられるか」→「社会人や女性を大学に取り込めばいい」→「仕事や子育て中で大変だろうから、卒業までの時間的余裕を与えてやればどうだ」→「全国的に(政策的に)在籍期間を延ばせば実現可能」という思考プロセスなのだろうけど、だとしたらスタート地点から間違っている。

そもそも8年間の上限というのは、大学が内部の規定で決めていること。各大学が在学生の状況からそれが短すぎると判断したら、自分たちで改めればそれで済むことである。

2015年3月7日

「農」はこれからのキーワードである

今朝のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」の番組ゲストは、『ホームレス農園』(河出書房新社)の著者・小島希世子さん。


彼女は、神奈川県の藤沢と自分の出身地である熊本をベースに、「農」に関する取り組みをしている。その根本は、かなりシンプルだ。彼女曰く、「おいしい野菜をみんなに食べてもらうこと」「自分の手で野菜を作ること」そして「野菜作りを通じてさまざまな学びを得ること」である。

そのため農薬も化学肥料も使わない野菜やお米を熊本の提携農家で生産してもらい、ネットを通じて販売している。 また、彼女たちは体験農園を運営し、野菜作りの技術に関して講習を定期的に行いながら収穫までサポートする。

さらに興味深いのは、ホームレスの支援団体と協力し、仕事をもとめている人たちと農地はあるが人手がなくて放棄地になっている畑をつなぐことも行っている。正しくは、その対象にはホームレスに限らず、生活支援受給者やニートといった生活困窮者が含まれている。

彼女は同書の中で、「こだわって作るほど儲からない、農家の現実」を書いている。お米などの農作物は、いくらこだわって手間暇かけて作っても消費者へ届ける前の流通段階(農協や卸、各種の小売店)で「キロいくら」で計算される。そのため、収入を得るためにはとにかく大量生産しようとするインセンティブが働き、どうしても肥料や農薬をたくさん田畑にまくことになる。結果、味や安全性を犠牲にしてしまう。

頑張っていいものを作っても、不特定多数の生産者の作物と一緒にされて流通に流されるために、その努力が正当に評価されない。最終消費者から「おいしかった」の一言も聞くことがない。作ってる野菜などが穫れすぎた場合、出荷せずに廃棄処分することで生産調整しなければ儲けがマイナスになってしまう。つくづく農業は大変な仕事だと思う。

しかし、流れは少しずつだけど変わってきているように思う。消費者だって、ただ安ければ歓迎というお客ばかりではない。農薬や肥料を使用せず、種も遺伝子操作されていない「自然な」農作物を味わいたいと考える人たちが確実に増えて来ている。それに応えるための仕組みは、まだまだ部分的だけど。


スタジオで話をしていて思ったのは、彼女は本当に畑が好きだということ。例えば、どんないやな事があっても、畑に出て仕事をしているとすっきりと忘れてしまうとか。それは、土や作物は裏切らないということを知っているから。手をかければかけるほど、それだけ土は返してくれる。だから、社会の通常ルートから外れてしまった人たちのための就農支援プログラムを考え、彼らを会社や施設ではなく田んぼや畑に連れてきたのは正解である。

今朝の一曲は、カーペンターズ「遠い思い出」。原題は、Those Good Old Dreams。彼らが1981年にリリースしたアルバム、Made in America に収められている。



2015年3月5日

ニッポンのBGMは尺八か

マイクロソフトの共同創業者で現在はフィランソロピスト(日本語では慈善家か)のポール・アレンが、ツイッターに海中の戦艦武蔵の写真を投稿し、そのニュースはたちまち世界をかけた。

戦艦武蔵は、1944年10月にフィリピンのレイテ島攻撃に向かう途中で攻撃に遭い撃沈した。

武蔵に盛り込まれた技術の高さに惹かれたポール・アレンとそのチームが、沈没した戦艦武蔵を発見するまでになんと8年間をかけて調査をしたというから驚きである。

彼の個人資産は、ファーブス誌によると175億ドル。日本円で2兆1000億円。こうしたプロジェクトは、日本では国家的な取り組みになる。しかし米国では、とてつもない金持ちが個人の金で取り組む。かの国の超超スーパーリッチの存在の是非ついては、もちろん議論もあるが、ただし米国の活力の源が彼らによって支えられていることは確かである。

翻って、日本の金持ちはどうだろう。

ところで、こうした日本の「昔」に関係するニュースの映像でバックに流れるのは、たいてい尺八である。これ、なんとかならないのだろうか。
http://edition.cnn.com/2015/03/03/intl_world/paul-allen-japanese-battleship-musashi/ 

そういえば、映画「ラストサムライ」でも日本の田舎のシーンが登場する際、そこでかぶされていた音楽はやはり尺八だった。

クラシックやジャズ、ロックではおかしい気がするし、かといって民謡というのもちょっと。となると、やっぱり尺八や篠笛になってしまうのだろうか。

2015年2月28日

知的天国・ニッポン

今週の「木村達也 ビジネスの森」(FM NACK5)も先週に引き続きフリーライターの永江朗さんをゲストにお招きした。


彼の『「本が売れない」というけれど』(ポプラ新書)によれば、決して日本人は本離れをしているわけではない。新刊書の刊行点数はむしろ増えている。ただし、新刊書の売上自体は長年にわたって減少傾向にある。


これは、人々が本を公共の図書館で借りたり、ブックオフなどの中古本を買って読んでいるということである。そして、新刊書一点あたりの販売部数が減っているという事実である。確かに、ヒットした本が出ると、あからさまにその二番煎じ、三番煎じを狙った本が店頭に並ぶ。

日本の本は、海外と比較するともともと安い(と僕は思っている)。しかも最近では、ネット上の「青空文庫」などを利用すれば、著作権が切れた本を無料で読むことができる。 永江さんは、そうした日本の国内状況を「知的天国」状態と呼ぶ。

それはありがたいこと。だけど、「知」がいつでもタダで手に入ると考えるのはマズイ。読みたい本が読みたい時に読めるようになった分、書き手に対しての「応援」を忘れてはいけない気がする。つまり気に入った本は、お金を払って買うということ。あるいは最初図書館で借りたとしても、それが本当にいい本だと思ったら、自分で買って友人にプレゼントするとか。

ちょっと大げさかもしれないけど「知」の創作者に対する敬意を忘れてはいけないと思っている。それは思いや気持だけではなく、やっぱり対価を払うことにつながっている。

今朝の一曲は、ゾンビーズで Time of the Season。


2015年2月11日

コロンボの街で

JICAの仕事でスリランカへ。スリランカ航空の直行便で成田空港からコロンボ空港まで9時間あまり。時差は、3時間半。

僕にとっては、スリランカで連想するのは紅茶とアーサー・C・クラークくらい。 キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の原作者として知られるクラークは、1956年から亡くなる2008年まで50年以上をスリランカで暮らした(彼が移住した当時、この国はセイロンと呼ばれていた)。

そのクラークが、なぜそれほどスリランカ(コロンボ)に惹かれたのかを考えながらこの街で過ごしている。

ほんの数日の滞在で「この国は・・・」などというのはおこがましいが、あえて印象を言えば、アジアにしては、またインドのすぐお隣にしては(勝手に想像していたよりはるかに)インパクトがない。それを退屈ととるか平穏ととるかは、その人次第である。

ここ連日、夕方になるとシャワーのような雨が降る。初日、ペターという市場や屋台のような商店が連なる雑踏のエリアを歩いていたとき、突然ザザザッと来た。その時は雨具はなく、その辺の商店の軒先を借り、雲が流れていくのをながめながらしばらくじっと雨宿りをするしかなかった。アジアの気候である。

ペタ−(Pettah)の人混み

街中のバス・ターミナル

インド洋に沿って走る鉄道路線
埋め立て開発が進むコロンボ市内フォートエリア
オランダ植民地時代に建てられた病院跡。現在はショッピングエリアになっている。

2015年2月7日

合理的なのに愚か、それとも合理的だから愚か?

今週の「木村達也 ビジネスの森」は、ゲストとしてルディー和子さんに来ていただいた。取り上げた本は、『合理的なのに愚かな戦略』。


彼女が指摘するところの「合理的」というのは、本来なかなか曲者である。学歴も高く、知識も経験も豊富で優秀なはずの大企業の経営者が、なぜ間違った戦略を実行し失敗してしまうのか。

それは一言で言えば、これまで経てきた成功経験やプライドを守るために、無意識のうちに種々の認知バイアスの罠にはまっているからだ。

加えて、多様性の欠けた環境の中で仕事を長年続けていることで、思考パターンが硬直化していること。顧客のことを「アタマ」で理解しているつもりでも「ハラ」で分かっていないこと。(とりわけ大企業の場合は)予想されるリスクを過剰に評価し、現状維持を好むこと(損失回避性)などが要因としてあげられる。

失敗を犯してしまうのは、人の常・・・。分かってはいても、なかなか一筋縄ではいかないから厄介だ。

イギリス経験論を代表する思想家であるヒュームは、理性と感情の関係を考察し「理性は感情の奴隷である」という有名な言葉を残した。理性に基づく合理的な意思決定と思われるものも、実はそのもとには感情による行動の決定があるというのだ。行動経済学の嚆矢ともいえる。

人がものごとを決定する根本は理性か感情のどちらかではなく、多くの場合、実際のところは感情が決定する。そして、理性はその後付けの理由を組み立てているのではないか。つまり理性が先行するのではなく、理性の役割は「後始末」なんじゃないかというのが僕の考えだ。今日のルディーさんとの話から、そんなことを思った。


今日の一曲は、スウィング・アウト・シスターの Here and Now を選んだ。


2015年1月31日

都市で生きるか、地方で生きるか


今朝のFM NACK5「木村達也 ビジネスの森」は、先週に引き続き『地方消滅』(中公新書)を出版された、元総務大臣で現在は日本創成会議座長の増田寛也さんを番組ゲストにお招きした。


増田さんら日本創成会議のメンバーは、東京一極集中を是正し地方を活性化するための施策として、東名阪の3大圏を除いた人口20万人以上の61都市を「地方中枢拠点都市」とする構想を打ち出している。それらを各地域ブロックの拠点とし、若い人たちに働く場を提供していくための機能を持たせるという発想である。

だが、そうした「上から」の施策だけで継続的な人の移動や定着ができるはずはない。多くの若い人たちが、自分の価値観をもとに大都市以外の場での生活を選び、そこで楽しみながら長く生きていける環境をどうつくるか。その環境には、社会インフラや職場だけではなく、周囲の人々の意識も含まれるだろう。

Uターンはもちろん、IターンやJターンと云われている形で地方都市に向かう人たちを迎え入れ、自然な形で支援の手をさしのべる雰囲気が大切な気がする。これもまた、多様性への理解がカギになる。

地方を消滅させないためではなく、地方で生きる方が楽しく豊かだから、という状況が作られていかなければ。 

今朝の一曲は、ジョン・デンバーのTake Me Home, Country Roads。



2015年1月20日

ロビン・ウィリアムズのナレーション

先日のブログでも書いた『嫌われる勇気』をきっかけに、昨年亡くなったロビン・ウィリアムズについて少し調べていたら、彼がナレーションをしている『いまを生きる』を連想させる Apple iPad Air の90秒のCMを見つけた。

http://business.time.com/2014/01/13/apples-latest-ad-is-probably-going-to-give-you-chills/

素晴らしい!

2015年1月18日

38年ぶりの声

日曜日の午後、突然(電話はいつも突然だ)、高校時代の同級生から電話がかかってきた。

地元で暮らす彼女と話すのは、高校卒業以来はじめてのこと。何年か前まで年賀状をやりとしていたので、その年賀状に印刷してあった僕の電話番号をとっておいてくれたのだろう。

懐かしい岡山弁のその声は、古い木造校舎の端っこにあった部室で放課後にとりとめのない話をしていたときとあまり変わっていないように感じた。声の印象って、歳に関係なく変わらないものなんだ! 彼女からは、いまは4人の子どもたちも巣立ち、やっと少し肩の荷がおりたというような話を聞いた。

来年の正月、高校の同窓会を同期全体でやるから来てね、というのが電話の用件。来年、卒業後39年になる。誰が言い出したのか知らないが、初めての同窓会だ。彼女と話をしているうちに、すっかり忘れていた当時のことや同級生、先生たちの顔が浮かんでくるから不思議なものだ。

僕が通ったのは田舎の県立高校だったが、当時一学年450人、9クラスで、ひとクラス50人だったのを思い出した。教室の前から後ろまでぎっしり生徒の机が並んでいた教室の風景が頭をかすめる。いつも教室は汗臭かった。

いまの「高校」も汗臭いのだろうか・・・

2015年1月17日

今を生きろ

今朝の「木村達也 ビジネスの森」のゲストは、先週に引き続き『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)の著者・岸見一郎さん。


今を真剣に、そして他者貢献を忘れることなく、全力で生きることこそが大切と、アドラーの考え方をベースに岸見先生はおっしゃる。

深刻に生きるのではない、真剣に生きる。人生はゲームだ、その時を楽しめ、失敗しても命まで取られることはない。

アドラーは、人生をエネルゲイア的に「今をいきろ」と唱える。エネルゲイアはキーネシスと対でアリストテレスによって提唱された「運動」についての考え。キーネシスとは、目的地に最短距離でたどり着くことを目的とした運動。一方、エネルゲイアの方は、いま行っていること自体に価値を見いだす運動。

前者は、アウトプットや結果が重視されるような活動があげられるのだろう。効率性が優先される。後者では、プロセスそのものに力点が置かれる。効率性は関係なく、その瞬間に充実感を感じられるかどうかだけが意味を持つ。

う〜ん、確かにぼくたちが日々行っている行為(運動)も、エネルゲイア的なものとキーネシス的なものがある。アドラーはそうしたもののなかで、キーネシス的な発想、つまり物事にスタート地点とゴールが設定されているという見方をよしとしない。「今」がすべてなのである。

だから、岸見先生曰く「(いつ死んでも)道半ばということはない。真剣に生きている限りは」。


「いまを生きる」でふと思い出したのは、昨年夏になくなったロビン・ウィリアムズが主演した映画「いまを生きる」だ。ピーター・ウィアーが監督した1989年の作品。原題は Dead Poets Society だが、ロビン・ウィリアムズが演ずる教師のキーティングが劇中で発することば「Carpe Diem」(ラテン語)の日本語訳が邦題に用いられている。 この邦題は悪くない。


今朝の番組で流した一曲は、オリビア・ニュートン・ジョンの「そよ風の誘惑」。


2015年1月3日

インドは、いろんな意味ですごい

今朝の「木村達也 ビジネスの森」は、先週に引き続き、ゲストに『すごいインド』(新潮新書)の著者・サンジーヴ・スィンハさんをお招きした。


先週は、「カレー」というのがインドの言葉にはない、というあまりに身近な話題で盛り上がってしまったが、今日は日本とインドの違いをもう少し深いところで(カレーももちろん深いけど)話を聞くことができた。 

人口も国の広さも日本の10倍あるインド。凄まじい可能性を感じさせるのは、そうした「大きさ」にもまして、国民の平均年齢が20代という「若さ」だ。

確かにインドは国民の間の格差は大きいし、貧困に窮する人たちの数も多い。そして水道や電気、ガス、鉄道、道路、学校といった僕たち日本人にとっては当たり前のインフラの整備もまだまだである。

しかし、スィンハさんから聞くインドは活力と情熱に溢れたこれからの国のイメージだ。英語を話せる人口は多く、数学や哲学など抽象的な概念を扱うことに長けた人々は、ITにも強い。日本人よりずっとグローバル人としての可能性を持っている。

安定と成熟と秩序の日本、カオスと活力と多様性のインド。今こそ2つの国は、本気で連携を組む時だろう。


今朝の一曲は、ブロンディの「ハート・オブ・グラス」。


2015年1月2日

違う回路を持つということ

先月の話になってしまったが、ある有名なニュースキャスターが自分が担当している番組ではない他のテレビ番組に出演し、自分はいつも新聞6紙(朝・毎・読・東京・日経・産経)に目を通していると話していた。毎朝、折り込みチラシを抜くだけでも大変なのだと客を上手に笑わせながら語っていたのは、天性の喋り手だからだろう。

ニュース番組のキャスターとして新聞6紙を購読しているというのは本当だろう。毎朝のことで、それなりにたいへんな苦労だと思う。その一方で気になったのは、なぜ日本の新聞ばかりなのかということ。上記6紙には確かに論調の違いはあるが、世界のジャーナリズムのなかではその振れ幅は大きくはない。

彼が目を通す新聞のなかにアメリカ、ヨーロッパ、他のアジアの国、あるいは中東の新聞が一紙でもあれば、彼の番組はもっと自由さを増し、面白いものになっているのだろうと思う。

ひとと違うアウトプットを出すためには、ひとと違うインプットを心がける必要がある。インプットが同じでも、ひととは異なるプロセス(視点)で情報を処理できれば独自のアウトプットが出せるが、インプットそのものがひとと異なればさらに独自性を高めることが可能になる。

グーグルでキーワード検索して得られる情報はみんな同じようなもの。だから学生たちのレポートは、どれも似たり寄ったりのものばかりになる。

学生たちには、自分なりのこだわりのようなものをベースに、周りとは違う情報ソースの回路を持ってみることを勧めたい。


2014年12月25日

首相は「強い経済取り戻す」と言うが。

昨夜、第3次安倍内閣が発足した。

昨日のブログで経産省の施策に関することを書いたが、今回再任された経済産業省の大臣は、その資金管理団体がSMバーの支払いを政治活動費で処理したという人物。

SMバーで遊ぼうが何しようが勝手だが、それは自分のポケットマネーで支払ってほしいものだ。 交際費の名目で会計帳簿になんか載せるから、海外での報道で日本人が世界から変態視されることになる。

http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/22/sm-bar-yoichi-miyazawa_n_6032802.html
 

2014年12月24日

軽なら100万円で買える。

トヨタ自動車が、12月15日から新型燃料自動車のMIRAIを発売を開始した。水素を燃料として用い、走行中に取り入れる空気と反応させることで発電し、モーターの力で走る。排出ガスはまったくないという。

水素を燃料とすることから、環境への負荷がとても低いと報道されている。燃料ステーションでの3分間の圧縮水素充填で650キロ走行可能という利便性も魅力的だ。

ふと、このクルマに触ってみたくなり、トヨタのディーラー本社へ電話した。最寄りのどこのディーラーにあるか確認するためである。電話に出た若い男性は、ちょっと困ったような感じで、まだどこのディーラーの店頭にもなく、またいつ来るかも分からないと冷たく告げた。だから、今はカタログだけで販売をしていると。クルマの実物は、お台場にあるメガウェブというショールームにしかないらしい。

てっきり販売店に展示車両くらいあると思っていたのが、そうではなかったわけだ。しかも、いま注文を受け付けても、納車まで3年ほどかかるという。だが、それでもすでに受注をいくつも受けていると教えてくれた。「それらのお客さんは、そのお台場にあるショールームで実車を確認したのだろうか」との質問には、おそらくほとんどの人はマスメディアやネット上の情報だけで申込をしてくれた方だとの答え。

値段は安くない。発注をした彼らは、いわゆる富裕層であることは間違いなく、またE.M. ロジャーズが Diffusion of Innovations で述べたイノベーター層(革新的採用者)の典型である。

ところでこのクルマ、メーカー希望小売価格が720万円程度なのだけど、あれやこれやで225万円ほどが値引き(優遇)されている。その内の202万円は、経済産業省主導による補助金である。

これらの補助金は、言うまでもなく税金からである。このクルマは確かに先進的で、国としては経済政策の一環として世界に先駈けて普及させたい考えなのだろうが、補助金が必要なのだろうか。

価格弾力性という考えがある。価格の変動によって、どれくらい需要が変動するかを示した数値であるが、この場合の価格弾力性はどうだろうか。僕は決して高くないと思っている。つまり、200万の補助金があるという理由で、追加的に購入を決める人はそれほど多くはない。200万円値引きしても、まだ500万円。クルマ1台にこの金額がポンと払えるのは高額所得者で、なおかつ珍し物の新し物ずき。700万円であっても構わない人たちである。そして、そうした連中は、それなりの数存在している。

それなのに経産省は、なぜ1台あたり200万円もの税金を投入するのか。

東日本大震災の被災地には、日々の生活に必要な軽自動車すら手に入れられない人だってたくさんいるに違いない。そっちはどうするのか。え? 担当省庁が違うからって?

2014年12月17日

首都圏でナンバー2の聴取率を獲得

今日、NACK5のプロデューサーから聴取率調査のレポートをもらった。

うれしいことに、僕がやっている「木村達也 ビジネスの森」(毎週土曜日朝8:15から)は、東京、神奈川、千葉、埼玉のエリアの個人聴取率調査でTBSに次いで第2位(20〜34歳の男女:M1&F1層)だった。しかも、わずか0.1ポイントの差の2位である。

今回の調査は、首都圏のラジオ局9局(TBS、文化放送、ニッポン放送、Inter FM、Tokyo FM、J-Wave、bayfm、NACK5、FMヨコハマ)を対象に行われたもの。

自分が関わっている番組が思いのほか多くのリスナーの耳にとまっているというのは、とても励みになる。