この日は、街中がアイルランド共和国のナショナルカラーである緑色に染まる。アイリッシュ系の文化と宗教観がアメリカでしっかり継承され根付いているのを痛感する。
街角のあちこちに警官が動員されていたが特に騒ぎもなく、賑やかな歓声が夕方まで続いていた。
午後、この5月にコロンビア大学のビジネススクールを修了する予定のK君とお茶をした。2年間で11万ドルという授業料のことやら何やら、ビジネススクールのこと、そしてこちらでの生活について話を聞かせてもらった。
いまコロンビア・ビジネススクールには日本人がとても少ない。2年生に5人、1年生には2人しかいない。人口で日本の4割程度の韓国からの留学生は30人ほど、中国からも同じくらいの数の留学生が来ているらしい。台湾からも結構な数の留学生が来ている。実際、別の機会に大学のスタッフからも日本人学生が減少している現状を懸念しているという話を聞かされた。
円が対ドルで少し安くなってきたとはいえ、まだ80円台そこそこである。中長期のトレンドのなかでは間違いなく円高だ。日本人が外国(特に米国)に行って勉強するのに、またとないチャンスだと思うのだが。
先のK君、最初は英語で苦労したというけど、いまは英語でのディスカッションもこなし、MBA修了後はグローバルな環境で仕事をしたいと熱く語っていた。
いろんなところで語られているが、確かに日本の若者が外国に出て行かなくなったことを痛感する。自分にとっての心地よい空間から離れるのが怖いのだろうか。
だが、実際は案ずるより産むが易しなのである。特に若けりゃ、基本的な能力と折れない意欲があれば、たいていの道は切り開いて行けるというものだ。
いろんな課題を抱えながらも、将来の自分と日本のあるべき姿を見据えながら厳しい勉強を続けている彼のような日本人がもっと増えてくれるといいな、と思いながら夕刻のキャンパスで彼と分かれた。
今週の月曜日から金曜日までは、Spring Holidays でビジネススクールは休みである。前週がFirst Final Exam の期間だったので、学生たちにはつかの間の休息期間だ。
大学はその分静かで、コロンビア大学の図書室でもゆったりスペースをとって調べものなどできるのがありがたい。ただこの間は、17時になったら早々と追い出されてしまう。
リンカーン・センター内にあるAvery Fisher Hall で、モダン・ベートーヴェンという催しが開かれている。
今日は交響曲第2番と第7番、それとストラビンスキーのピアノ協奏曲(ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ)が演目だった。ピアノはピーター・ゼルキン。大ピアニスト、ルドルフ・ゼルキンの息子である。
この音楽ホールに来たのは初めて。雰囲気も音響効果もすぐれた実にいいホールだ。
ニューヨークへ来た。早稲田大学で教えるようになってからもアメリカは出張で時折来ているが、ニューヨークは15年ぶりくらいだ。懐かしい。
僕にとってこの時期のNYといえば、ロックフェラーセンターのアイスリンク。その近くにある銀行に口座開設のため訪れたついでに寄ってみた。ここは昔と変わってない。
2011年度の自動車販売台数でGMが世界一に返り咲いた。複数の新聞では、その記事に寄り添うかのように、トヨタ車の急加速問題がシロと確定したという囲み記事が掲載されている。
全米科学アカデミーは、2009年から2010年にかけて発生したとされた電子制御システムが原因とする予期せぬ急加速問題についてシステムの問題はなかったと結論づけた。つまり、それに先だって報告された、ドライバーがアクセルとブレーキを踏み間違えたという米運輸省の調査結果をアカデミーが認めたわけで、一貫して電子スロットルに欠陥はないと主張していたトヨタの主張が正しかったことが証明されたわけである。
この問題発生時、トヨタの対応のまずさは確かにあった。しかし、ドライバーによるアクセルとブレーキの踏み間違いから派生した事故を、ここまでメーカーがなぜ問われなければならなかったのか。
米国で公聴会が開かれていた時期、僕は大学からの派遣で米国に滞在していた。日々、現地のニュース報道のトップはトヨタ問題一色だった。テレビでは豊田章二社長がなぶり者にされている場面が繰り返し繰り返し放映された。
そもそもこの一連のでき事の背景にあったのは、事故や電子制御システムといったテクニカルな問題だけではなく、経済問題が大きかった。トヨタはそれに翻弄され、もてあそばれて、米自動車メーカーと米国民のうっぷん晴らしの対象にされてしまった。
| ナチュラル・バイアグラ? |
UAEのドバイで開催された国際学会の会場で、ドイツ人の研究者2人とランチを同席することになった。
世間話として、自然と欧州危機の方に話が進む。その危機を救うためにはドイツとフランスの協調が不可欠と言われているが、ドイツ人はフランス人をどう思っているのか彼らに質問してみた。
二人はニヤニヤしているばかりで、言葉を発しない。察せよ、ということか。
ところで、メルケル首相とサルコジ大統領が2人で立ち話をしているシーンをニュースでしばしば見るが、そうした時はどの言語を使っているのだろう。
二人によると、メルケルは英語もフランス語もできない。そして、サルコジはドイツ語ができないらしい。ということは・・・?
Yahoo! Japanのニュース・トピックスに、日本国内の現在のSNS利用者数が4,289万人という調査結果が載っていた。
日本の人口が約1億2800人だから、赤ん坊など含めたすべての日本人の3人に1人がやっている! という計算になる。本当だろうか。
その数字を発表したICT総研という会社のサイトを読むと「国内の3大SNSと言われるモバゲー(運営会社DeNA)、グリー、ミクシィはそれぞれ2,500万〜3,000万件以上の登録者を保有しており、これら3社だけで約9,000万件近い登録者数となる」とある。
主要3社のそれぞれの登録者数が2500万〜3000万人とずいぶん大雑把なわりに、合計の利用者数が4,289万人と一万人単位まで出ているのが不思議だ。
データ好きとしては当然ながら、年代や性別、居住地域の偏りも知りたいところ。65歳以上が日本人口に占める割合は約23%だが、その年代の何割がSNSをやっているんだろう? 15歳未満(全体の13%)ではどうか?
アンケート調査をもとにした集計とあったので、調査元にその調査概要を教えてくれるようにメールしてみた。
返答は「なぜ知りたいのか?何が知りたいのか?が分かりかねるので、どの情報を提供すべきか判断に困るのですが、調査概要について、無償で公開している情報は、弊社ホームページに公開しているもののみです。詳細の情報については、有料で販売しているレポートに記載しておりますので、ご検討いただければと思います」とのこと。
調査結果をリリースするのであれば、最低でも調査対象者や調査期間など基本的な調査概要は公表すべきだと思うのだけどね。それらを隠しちゃいけないよ。
米国に1年間滞在する予定でビザの申請をオンラインで行った。多くの個人情報の記入を求められ、いささか疲れた。
そのなか、Security and Background: Part 3に、次のような質問があった。
Q. Are you a member or representative of a terrorist organization?
A. Yes No
Yesにマークをつけたらどうなるか、ちょっと気をそそられたが、ここは真面目に答えておいた。アメリカの入管ってオモシロい。
中小河川や農業用水路を利用した小規模水力発電が注目され始めている。水力発電は、その発電量の変動が天候に左右されやすい太陽光や風力発電より少なく安定している。
水車を回して発電する小規模水力発電に利用可能とされる場所は、日本全国に約2万カ所も。発電時に二酸化炭素を排出しない再生可能エネルギーとして注目されているが、初期導入コストや工事費の高さが障壁になっている。
近くで見つけた超超小規模水力発電。プラスチックのカップを使った水車が小川の流れで回ると、上の橋桁に設置されたカッパの目玉が光る。それだけのことで、もちろん実用性はないが、こうした簡単な仕組みで電気が作れることを通りがかりの人は知ることができる。なによも見ていて楽しい。
東京電力福島第1原子力発電所所長の吉田氏が初めてマスコミの取材に応じた。3月11日からの一週間について尋ねられ「次がどうなるか私にも想像できない中、できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと『もう死ぬだろう』と思ったことが数度あった」と語っている。それはそうだろうなと、素人ながら納得する。
地震後に1号機が水素爆発してからの東電本社の経営者の責任回避、自己保身は万死に値するが、そのなかで最悪の事態をなんとか避けられたのは彼のような現場の優れたリーダーとそのチームがいたお陰だ。
現場を知らず、現場を知ろうともせず、東京の本社で組織の内側だけを見て毎日過ごしているネクタイ族の経営幹部とは大違いだ。
年を取るにつれて、飲み屋にしてもなんにしても、立ち寄るところが次第に限定されてくる。馴染みの心地よさが優先されると云うわけだ。
そうした場所ではメニューなども分かっているから、何を頼んだらいいか迷うことはなく、その点でも楽だ。気がついたら、そうした店は自分以外の客もそうした「楽さ」を求める常連で占められていることに気づく。
マーケティングにおいて「パラダイム」といういささか大仰な言い方がされることがある。マーケティングの「取引パラダイム(transaction pradigm)」から「関係性パラダイム(relationship paradigm)」への転換というのがその代表例だ。
取引パラダイムというのは、経済学でいうところの「交換」をマーケティング上の目的とする考え方である。すなわち、財(商品やサービス)と通貨の交換をいかに実現させるか、そのための役割、機能としてマーケティングがあるという発想。
一方、関係性パラダイムと呼ばれているものは、法人、個人を問わず対象とする顧客との関係構築、維持、強化を通じて長期的、反復的な取引を実現するなかで顧客価値を高めていくという考えである。
これら2つは教科書ではなぜか対比的に紹介され、まるで「天動説」から「地動説」への転換のように、「取引」から「関係」への転換がさもありうるべき「真理」のように語られる。
本当にそうだろうか。僕の考えでは、マーケティングの目的はいずれにせよ取引の実現に他ならない。京都の祇園のお茶屋さんのように一見(いちげん)さんお断り、馴染み客だけでもっている店もあれば、繁華街のファストフード店や観光地の土産物屋のように通りすがりの客がほとんどの店もある。
それを規定するのは、立地や店の位置づけなど店のタイプだ。決してどちらが商売として優れているというものでもない。
つまり、取引パラダイムか関係性パラダイムかという、学者が勝手に名付けた二項対立的な考え方は正しくない。
実際は「単なる取引(英語にすると simple transaction)」か「関係性を考慮した取引(relational transaction)」かという違いがあるだけだ。
台湾鉄道のローカル線、平渓線(ピンシーシエン)沿線を一日乗車券を手に訪ね歩く。
この沿線には、炭鉱跡が各地に残っている。最終地の菁桐(チントン)駅の近くにある「碳場咖啡(Coal Coffee)」という店には中国語でミルクティーという名の犬がいて、僕のような一人客の相手をしてくれる。
北杜夫さんが24日亡くなった。84歳。小学生の時、北さんにファンレターのようなものを書いて送ったことがある。すると、間もなく彼から返事が来た。僕は驚き、子ども心になんて律儀な人なのだろうと思った。そうした記憶は、人の考えや行動の底の部分で影響を与えている。合掌
2009年に亡くなった福田繁雄さんの回顧展が、現在、川崎市民ミュージアムで開催されている。
グラフィック作品はもちろん、代表的な立体作品や柏木博さんによるインタビューの映像なども観ることができる大回顧展に相応しい展示がされていた。
ちょっとものの見方や発想を変えるだけで、そこに新鮮な感動が生まれる。でも僕たち凡人には、どれも見せられて初めて気づくユニークさだ。当たり前だが、観るのと創るのとでは、大違い。