2011年6月11日
原発だけでなかった情報操作
この調査レポート(JCER Discussion Paper No. 130)では、過去の長期収益率としてこれまで日本証券経済研究所が集計・公表してきたものは計算過程に課題があったことが指摘されている。配当込み東証株価指数(TOPIX)を使って計算し直すと、過去58年間の投資収益率は従来推計を2.8%下回る9.1%にとどまり、1986年以降に投資を始めた場合、株の購入年が2002年、03年、09年だった場合を除いて、配当を含めても元本割れになっていることが明らかになった。
つまり、ほとんどみんな損してたということだ。一般投資家はなおさらのことだろう。株式投資は短期的な値動きの変動は大きくても、銘柄を分散し長期に保有すれば資産形成につながりやすいと言われている。 しかしそれは、「売り手」側にとっての都合のよい「神話」だったわけだ。
2011年6月10日
文章の誕生感
「最初にもらったメールが、画面に浮かんだときの印象をぼくは生涯忘れないだろう。メールを、おそるおそる開けた。するとどこから湧いたのか。すぅーっと先方の文字があらわれる。静かである。声がない。音もない。時もない。文章というものが生まれた瞬間に立ち会うような気分だった。 古代の空気を感じた。ことばはこのようにして、この世にあらわれたのだと思った。この世から消えるのだと思った」
それまでFaxで原稿をやりとりしていた彼にすれば、静かに言葉が生まれたと感じたのも分かる気がする。そして消えていくのだろう。
これが書かれたのはちょうど10年前、2001年のこと。
2011年6月9日
学生との飲み会
帰り際、学生たちから花束をもらった。混雑している終電間近の電車に花束を持って乗り込む気分は悪くない。持って帰ってどうしたかって? もちろんビアジョッキに移し替えたよ。
2011年6月4日
つるむと何故かっこ悪いのだろう
ポルシェが数珠つなぎで山道のつづれ織りを降りていく様は異様だ。富士山を望める絶景のロケーションにもかかわらず、彼らが見ているのは直前を走る車と後続車だけだろう。何のために走っているのか。
ポルシェはすばらしい車だが、つるんで走っているのは本当にカッコ悪い。周りに目を向けず、仲間うちだけに意識を向けていてカッコ悪いのは、もちろん車だけじゃないが。
自転車は車だ
エコの点で自転車に今以上の視線が集まるのは必至だ。しかも環境問題だけでなく、個人の健康やライフスタイルの観点からもその方向性は間違いない。コストや扱いやすさも魅力だ。
しかし、いまは自転車に乗るということが多くの人にとって「歩行」の代替となっていて、そのため自転車が歩道を平気で走り、車道の右側を走り、横断歩道を斜めに突っ切る。夜間の無灯火は自分が大丈夫だからというだけのワガママな理由あるいは怠慢であり、取り締まるべき対象だ。
数年前、英国のオックスフォードに住んでいた時、 街中で多くの自転車を見た。大学街ということで若者が多いせいもあるが、日本でいうママチャリはほとんどなく、スピードの出るスポーツバイクが多かった。ヘルメットをかぶり、乗り手は反射シートが貼られたジャケットを身につけ、かなりの速度で走る。その位置づけは車なのだ。
都心でも近距離移動に優れた点が多い自転車がもっと注目されていい。と同時に、そのためのレーンの設置やルールの早急な整備が必要だ。
2011年5月22日
Inside Jobという「仕事」
映画「Inside Job」は、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した作品。
限度を知らない金銭欲。「ウォールストリート」のゴードン・ゲッコーも真っ青な強欲ぶり。考えたこともないような単位の金額が次々と紹介される。リーマン・ショック前後で金融界のお歴々に支払われた報酬である。映画を観ながら最初は頭のなかで日本円に換算して驚いたり呆れたりしていたが、そのうち馬鹿馬鹿しくなって計算をやめていた。
天文学的とはこうしたことか。世界はそれでも回っていると、まるで宇宙の果てとは言わなくても、お月様かどこかの世界の出来事のような印象である。自分とはまったくリアリティのかけらすら重ならない。
コロンビアビジネススクールの学長へのインタビューが白眉だ。インタビューを受けている途中で、彼はこんなインタビューだとは聞いていなかったと不快感をあらわにする。しかしカメラの回っている前でインタビュアー(監督のリチャード・ファーガソン)を罵倒するわけにいかず、「あと3分だけだ」と相手に告げて、何とか収拾を計らおうとする。そうした対応も含めて彼の本意やパーソナリティが映像で露わになっていく。
どのようにインタビューを申し込み、許可を得たのか実に知りたいところだが、そこが企業秘密なのだろう。インタビュー対象者には気の毒な気がするが、本当の事を対象者から聞き出すには、多少(かなり?)荒っぽくやることも必要。もともと、ジャーナリストとはそうした姿勢で情報収集ができる連中のはず。記者クラブで尻を温めているだけの今時の記者には無理だろうが。
一方、元FRB議長のグリーンスパンなど多くのキーパーソンがインタビューを受けることを拒否。誰がインタビューの申し入れを断ったかは映画の中で明らかにされている。無言のその事実が、それはそれで確実に何かを語っている。
それにしても米国は素晴らしい国でありながら、どうして中枢にいる連中はこれほど邪悪なのだろう。
2011年5月21日
ナタリーポートマンの「ブラックスワン」
大役を獲得したバレリーナが、その役柄と自分の間に横たわる溝をいかに埋めてくか、自分の発見と格闘、成長と破滅が描かれていた。ポートマンは多くのバレエシーンを吹き替えなしで演じたらしい。その踊りそのものについてはコメントできないが、筋肉の付き方など体つきはいかにもバレエダンサーだった。
人物に密着するためだろうが、ハンドカメラが多用されていた。こうした映像は苦手だ。
2011年5月15日
2011年5月14日
世界経済フォーラム
今回のテーマは、Mastering Quality Growthだとか。開催地の大連には足を運んだことはないし、成田からは大した距離ではなさそうだ。
2011年5月2日
現代詩作家
ところで、彼は詩人ではなく現代詩作家と名乗っていることが、ちょっと気になった。彼の「現代の詩人は観念的、概念的な言葉によりかかり、現実に向き合う言葉の鍛錬ができていない。だから類型的で単純、平板な言葉になる」との発言と関係があるのか・・・。
2011年5月1日
島キッチン
運営しているのは、島の人たちと島外から手伝いに来ている若い人たち。この建物は、建築家の安部良氏の設計で、英国の建築誌から賞を受賞したらしい。
http://shimakitchen.com/
2011年4月26日
田中好子が残したもの
帰りの電車の中で、知り合いのある大学の教授と偶然一緒になった。その大学は新学期が連休明けからだそうだ。その結果、例年と比べて授業が3回分短くなると言っていた。回数をこなせばいいというわけではないが、どうしてこうしたことを大学がやっているのか、当事者たちはもっと考えた方がよさそうだ。
ところで、昨日のスーちゃんのメッセージにはまいった。昨夜、ラジオを聞きながら仕事をしていたら、突然彼女が残した肉声のメッセージが流れてきて、思わず聞き入った。かすれた声、絞り出すような発声の仕方、時折躊躇したような話し方。震災で亡くなった人たちに想いを寄せ、自分が死んだ後も人の役に立ちたいときっぱりと語る。これほど見事な「残された言葉」を僕は知らない。一度聞いただけだけど、あれからずっと耳から離れない。
2011年4月15日
桜の通り抜け
夕方からは学生時代の仲間たち4名と食事をすることになっているのだが、さすがにまだ時間が早い。コーヒーを飲み一息ついた後、大阪造幣局にある「桜の通り抜け」といわれる桜の名所を訪ねてみた。
人だかりのために一方通行の制限が成されている桜並木で、造幣局南門(天満橋側)から北門(桜宮橋側)まで560メートルほど。川沿いのなかなか気持ちのいいところだった。
2011年4月13日
馬鹿の一つ覚えは、ほどほどに
たいへん興味深い。著者が云うところの思考停止とは、上から与えられた(押し付けられた)法令や規則、規範・倫理を、自分の頭で考えることなく、つまりはその時々の状況に関わらずただ盲目的に従うことによって、組織が取り返しのつかないような大きな失敗を起こしている状況である。
郷原は、「遵守」という姿勢そのものからの脱却の必要性を強く説く。必要なことは自らが自分の頭で考えることによって「ルールを作り」「ルールを活かし」「ルールを改める」ことだと主張する。
ルールを作るに際しては、それがすでに明文化されている法令・規則、社内規定と整合性がとれない場合、それらの上位規定に本当に妥当性があるのかと問題の指摘を行えと述べている。確かに組織の中ではルール・イズ・ルール、と押し通す必要のある場合もあるが、そうではない場合も多々ある。
ただそう決められているから、というだけで、社会の実状と適合していない法令・規則、社内規定を守り続けるのは、結局危険きわまりないのである。そこに気づき、意識をつねに向け、与えられたルールを単純に遵守するのではなく、ルールを作り、活かし、変えていく活動によって、「思考が停止した組織」が「思考する組織」に変わるという指摘には同感である。
2011年4月8日
多様性を生かした経営
この結果を紹介した日経新聞と日経ビジネスの両方の記事のなかに、それぞれダイバーシティー・マネジメントという言葉が出てくる。メディアでしばしば目にするけど、どういう意味だろう。辞書によると「ダイバーシティ」は「多様性」とある。しかし、ダイバーシティ・マネジメントという言葉からの一般的な認識は、女性の雇用比率や管理職比率の改善と理解されはいないか。
先日、ある製薬会社が毎年発行している「CSR報告書」についての第三者意見を求められた。そのなかでは、女性管理職比率が対前年でアップしたとの数値が紹介されていて、ダイバーシティ・マネジメントへの取り組みを積極的に推進してます、と記されていた。
ところが、対前年比でその企業の障害者雇用数も比率も低下していた。実はその数値はCSR報告書には記されておらず、昨年のCSR報告書に記載されていた障害者雇用比率と全従業員数から計算して分かったことだ。う〜ん。これでダイバーシティ・マネジメントへ前向きに取り組んでいると主張しても無理がある。意図したものか、そうでないかは別としても、ダイバーシティが女性雇用やその活用に矮小化されてしまっている・・・。
企業やメディアは「ダイバーシティ・マネジメント」という呼び名は止めて、「多様性を生かした経営」と普通に呼ぶようにした方がいいと思うが、どうだろう。
2011年4月5日
英国王のスピーチ
目当てで行った映画館が、東日本大震災のために休館になっていた。扉が閉ざされた入り口に若い男性スタッフが2人、前売りチケットの払い戻しをしていた。
状況を尋ねたら、行政から開館を指し控えるように指導されていて、との回答。地震で会場内がどんな状態になっているのか分からないが、いずれにせよ完全休館させられているわけで、経営は大変そうだ。
しかたがないので、近くの劇場でやっていた「英国王のスピーチ」を観る。第2次大戦当時の英国国王(ジョージⅥ世)が主人公の実話を元にした映画だ。幼少の時から吃音で苦労してきた王子が、兄が王位継承権を放棄したために期せずして国王の地位に就く。
彼は、ドイツに対して宣戦布告した国の王として、ラジオで全国民に強く団結を訴えるスピーチを行わねばならない。さて、うまくできるのか・・・。主人公を演じたコリン・ファースやオーストラリア人の言語聴覚士役のジェフリー・ラッシュ(「シャイン」の主人公だ!)など役者たちも上手いが、演出も上手い。観ていて、はらはらどきどき。
見終わってJRの駅へ。なんだかさっき観た映画の雰囲気を思い出す。駅構内の明かりが半分ほど落とされているせいだった。節電のための対応なんだろうけど、ずっとこれでいいと思った。
2011年4月1日
蹴破ってしまえ
印象的だったワンシーン。主演の二人は困難を乗り越えて一緒に暮らすようになる。結婚初夜の場面、ちょっとした夫婦げんかでジョン・ウィンがモーリン・オハラに寝室から締め出される場面がある。彼はどうしたか。迷うことなく、ドアを蹴破って入っていった。 これこそがジョン・ウェインだ。
福島第一原発の現場では、自衛隊や消防による事態回避のための放水作業など命がけの対応が日々行われている。どころがだ。昨日発売のある週刊誌の記事によると、そうした現場の彼らにはゆっくりと体を休める場も与えられていないという。休息と仮眠のための場所は、「Jヴィレッジ」という東電が管理する施設だが、彼らはそこのレストランの床や通路に簡易毛布を敷き雑魚寝を強いられているとレポートされていた。264名が収容できるという部屋が先客によって埋まっているからではない。
以下、その雑誌からの引用になるが、東電幹部は「原発の危機が収束すれば、また使う予定になっています。ですから、たとえ過酷な戦いをしてらっしゃる自衛隊の方々とはいえ、汚く荒らされるのは何とか避けたく・・・・・・」と語ったらしい。そして実際、その施設にある客室、研修室、会議室は、自衛隊員や消防隊員が入らないように施錠されたらしい。
なんということだ・・・。あまりに非人道的すぎはしないか。そうだ、原発と戦う彼らが履いているのは、他に類を見ないほど頑丈なワークブーツだろう。鍵の掛けられた客室のドアなど、それで蹴破ってしまえ。遠慮はいらない。
2011年3月27日
ゼミOB会
例年にない趣向として、今年は2部構成になっていた。4時から大学で勉強会を2時間ほど開催。博報堂の三宅君とトレンドマイクロの坂本君がそれぞれ発表をしてくれ、他の参加者を交えて質疑応答を行った。その後は、高田馬場の店でいつものように宴会を。集まってくれたメンバーはいずれも元気。京都からこのために鬼頭君が駆けつけてくれた。現役生も何名か参加。これからもみんなには学生時代のつながりを大切にして欲しいと思う。
東日本の震災の影響で自国に一時帰国していた元留学生が何人かいて、彼らが参加できなかったのが残念だった。
2011年3月25日
卒業おめでとう
卒業式がないのは、寂しいものだ。4月早々に予定されていた入学式も中止になった。こちらも新入生たちには残念に思う。だが入学式は仮になくても、すぐに新学期は始まり、新しい仲間や先生たちに囲まれて賑やかな大学生活の一歩が始まる。
一方で卒業式は、大切な区切りだ。僕は早稲田大学を30年前の春に卒業した。その4年前の入学式は行かなかった。行く気がしなかったからだ。既に東京に上京していたから、行こうと思えば行けたはずなのに。卒業式は行った。その日は雨が降っていた。傘を差したまま学生時代の仲間たちと大隈講堂の前で写真を撮った。大学とはお別れだ、このいつも一緒だった仲間とも当分は離ればなれになる。そうした思いから卒業式に向かったように思う。
交通事情や計画停電、起こるかもしれない大規模な余震といったことから大学は卒業式を取りやめたが、正しい判断だったのかどうか。学位記はそれぞれの学部や研究科で、それぞれのやり方で卒業生・修了生に渡されたようだ。事務所で職員から「おめでとうございます」のお祝いの言葉とともに手渡された所もあれば、校歌が流れる教室で壇上に登った職員たちから一人ひとり手渡されるところもあった。推測だが、大学が全学で卒業式を中止した(ということは、やってはいけない)ためになされた工夫だろう。学生へ向ける職員の思いに頭が下がる。
一歩校舎から出ると、羽織袴姿の女子学生もあちらこちらで目にする。グループでお互いに写真を取り合ったり、抱き合ったり、その時ばかりはいつもの卒業式当日のようだった。
今日は、晴れやかな天気のいい日だった。
2011年3月24日
成功は失敗の始まり
この研究会は、マーケティングの失敗を研究するための産学共同の研究会である。今回テーマとして取り上げたのは、ガリバーとして君臨していた企業がそれまでの成功体験からある種の呪縛に陥り、焦った末に取るべきでなかった戦略を次々に実行してしまったケース。
議論を交わすなかで出てきた、そもそも失敗をどう定義するかという提起からのディスカッションに刺激を受ける。
2011年3月21日
これはないだろう、アエラさん
3月19日に発売された「アエラ」だ。中身の記事は「原発が爆発した」「最悪なら『チェルノブイリ』」「被爆したらどうしたらいい?」「『放射能疎開』が始まった」などと、これでもかと云ったくらいインパクト十分。報道の自由を持ち出すまでもなく、どういった記事を書こうが勝手だし、それを求める読者もいていい。ただ、僕は気分が少し悪くなった。
アエラという雑誌、そこに書かれている記事のクオリティについて語るのはここでは止めておこう。今回も野田秀樹が連載している「ひつまぶし」というコラムだけが救いだった。そのタイトルは「東京よ、冷静になれ」。一部を引用しよう。
「私はなにもこのたびの、原発事故を庇おうとか、そういう思いで言っているのではない。ただあまりにも冷静さを欠く報道の在り方、安易に恐怖心をあおるだけのその姿勢。そしてそれに踊らされる人びとのあり様。それらが、この未曽有の大震災を、ただ悪い方向にだけ導くものだと申し上げたい」
あのちゃらんぽらんな(いや、本当のところは知りませんぜ)野田の主張はすこぶる正しい。
アエラ編集長による「キャッチコピー力の極意5ヵ条」というのがあるらしい。
http://www.henshusha.jp/2010/08/11/promo-word-1/
週刊誌の見出しはスペースに制限があるので字数を短くするとか、なるべく漢字は使わずひらがな・カタカナにする、といったものが極意とは笑ったが、その5つ目に挙げられている「見出しを決めてから走り出す」はいかがなものだろう。これは一歩間違えば、郵政不正事件で大阪地検特捜部がやってしまった(以前から常態化していたらしいが)事実解明の名の下での、結論、つまり落としどころが先にありきのでっち上げに繋がる。予定調和的に話をまとめるのではなく、予断を許さず取材によって事実関係を集めて本当の姿をつかみ、それを報道するのがジャーナリズムの仕事ではないのか。
また気になったのは「放射が出た(漏洩した)」ではなく「放射能がくる」という表現である。どこに来るのだ。誰の所に来るのだ。書き手の意識は、放射能が福島第一原発から漏洩した事実にも増して、(おそらくは自分がいる)東京へ来ることが問題と捉えているのではないだろうか。
2011年3月14日
スーパー店頭で
被災後の不安心理なのだろうが、なぜトイレット・ペーパーか。1973年のオイルショック時にも同様の騒ぎが店頭であった。まだネットもない時代だったが、こうした風評が大阪からあっという間に東京へも流れた。実際は、そうしたものは家庭内の在庫になっただけだった。なぜかこうした噂は大阪発が多い。口割け女なんてのも大阪が発信元だった。友人が大阪の仕事相手と電話で話していたら、新宿で放射能が検出されたらしいが避難しなくて大丈夫かと聞かれたらしい。
トイレットペーパーが完売になっているスーパーマーケットで、小さな子供がお母さんに「人間は地震があるとウンチがたくさん出るようになるの」と尋ねたらしい。この問いは正しい。自分で考えることもなく、根拠のない妄想だけで行動する大人より、小さな子の方が賢い。
マーケティングの研究者の中には、店頭のPOSデータの分析を熱心にやっている人たちがいる。地震後にどこで何がどのように売り切れていったか、震災時の消費者心理の一端を知るためにもぜひデータを分析し、結果を発表して欲しい。
2011年3月5日
結婚おめでとう
ゼミ生の中尾さんの結婚披露パーティが、12時から神宮前のライブハウスであった。午前中に大学であった入試面接をすばやく終えて駆けつける。
会場はたくさんの若い男女で賑わっていて、たぶん僕が最高齢者の一人か。新婦はベーシスト、新郎はギタリストである。写真はステージで息のあった演奏を見せるふたり。
2011年3月2日
戦争博物館(War Remnants Museum)へ
「ベトコン兵はどこにもいないが、どこにもいる」とベトナム戦争当時の政府高官が語ったそうだが、密林に隠れて執拗なゲリラ活動を続ける相手に対してとったアメリカ政府の発想は「彼らは密林の中に潜んでいる。であれば、密林そのものを無くしてしまえ」だった。 そして森を枯死させるため、恐ろしいほどの枯れ葉剤を空中から散布し続けた。入っていたのはオレンジ色のドラム缶だったことで、その枯れ葉剤は「エージェント・オレンジ」と呼ばれ、なかには大量のダイオキシンが含まれていた。その影響として、いまなお多くの被害を人びとに残している。
ここには、沢田教一や一ノ瀬泰造など日本人報道カメラマンの写真も多く展示されていた。
2011年3月1日
アンコールトム
崩れ、転がった巨石の上を裸足の子供たちが駆けまわっていた。蝉のけたたましさのなかに子供たちの軽やかな笑い声が流れ、つかの間気分が安らぐ。
2011年2月28日
アンコールワットの遺跡
ホテルでしばらく休んだ後、アンコールワットの遺跡を巡る。11世紀の後半に築かれた石造建造物である。その規模と精緻な設計に驚愕する。
2011年2月27日
2011年2月26日
2011年2月23日
IMセミナーを開催
セミナーのあとは、同じ会場で懇親会。こちらの方も思った以上の方が参加され、多くの企業の方々から相談を受ける。個々の実例を聞くことは、僕の方でも勉強になる。
http://www.nikkei-r.co.jp/topics/news/2011/01/post-49.html
2011年2月21日
Version 2.368.....
そうした彼の"change"は、オバマ2.0と呼ばれてるらしい。ネットの進化を表現したウェブ2.0からの連想である。そうであれば、次の転換は「3.0」と呼ばれるようになるのか・・・。
だが大方の場合、ものごとの変化はそう単純ではない。言い換えれば、階段状にストンと一段上がったり下がったりするのではなく、無段階かつ連続的に変化しているのが実状だ。クルマのギアを1速から2速、3速とシフトチェンジして行くのとは違う。
マーケティング3.0というのもある。無段階で連続的な現実をよく知らないまま、第三者的な単眼の観察から後付け的に考えられたコンセプトの一つ。「売る」ための表現上のものなのだろうが、ものごとをあまり単純化し過ぎるとその本質を見失うのはどの世界でも同じだ。
マーケティングの進化の仕方は、突然の大変革(revolution)によるものではない。それは漸進的変化(evolution)である。
2011年2月4日
お札の山
支払いは、しめて20万スム(Cym)ほど。日本円で1万円強。ただ、ここでは最も高額の紙幣が1000スムだから、皆の財布からお金を集めると全部で紙幣が250〜300枚ほどになる。慣れないと数えるのも大変である。
2011年2月3日
2011年2月1日
ウズベキスタン
この国は1991年までソビエト連邦の一部だった。そのため、建物など旧ソ連時代を感じさせるものが多く残っている。片道3車線という広い道路も当時の名残だろう。
街全体の印象は、途上国とは思えないほどきれいに整っている感じ。裏を返せば、政府によるさまざまな統制が強くきいているといことだろう。
下の写真はウズベキスタン料理の一つ。名前は忘れた。
2011年1月31日
投資外国人
出国審査窓口に、外交官、クルーなどと並んで投資外国人の表示がある。英語表記は、まさにInvestorsである。いくら投資すれば、一般人とは別ゲートですんなり出国審査が受けられるのだろう。
2011年1月30日
宝塚歌劇観劇
芝居も衣装も何もかも、すべてが過剰。でもそれこそが、タカラヅカなのであろう。僕には(当たり前だが)まったくの別世界。ここまで徹底してやられると文句も出ない。
宝塚には花組や月組、雪組と行った6つのグループがあり、それぞれが全く異なったユニットとして活動している。AKB48の原型の一つはここだ。
2011年1月27日
人生万歳!
僕の記憶では、アメリカ映画の佳作を中心に、全体的に上品かつ上質な映画を選んで上映していた印象がある。思い返せば、ウディ・アレンの作品が多かったような。だからか、最後の上映作品もウディ・アレンが監督した「人生万歳!」だった。
劇場が一つ閉まるからといって、映画が観られなくなるわけではない。映画を上映する数多くのコンプレックスもできているし、自宅ではオンデマンドやレンタルなどで、ほとんどあらゆるタイトルを観ることができる。だが、なんというのか、ノスタルジーなんだろうなあ。自分が身を沈めて映画に触れた劇場の空間がなくなるというのは、ちょっと寂しい感じだ。
2011年1月19日
『小さなチーム、大きな仕事』
2011年1月12日
学生からの間違いメール
僕のと似たメールアドレスを持つ早稲田大学の先生にあてたものと思われる間違いメールが来た。送信元は、ある大学の4年生。早稲田のその先生が非常勤で教えに行っているところの学生だろう。
そこには、自分は4年生で卒業を控えていること、その先生の授業の単位が心配なこと、そしてそのため授業を何回欠席しているか回数を連絡してほしいと書いてあった。
教員は学生たちに講義の中で、欠席がある回数以上だと単位を認めないと話したのかもしれない。今回の学生はそれを心配して自分の欠席回数を知りたいのだろうが、大学4年生にもなって飽きれた物言いである。
これまでの欠席の回数を講義担当の教員に教えろということは、あと何回なら欠席しても平気か知らせろと言っているようにも聞こえる。自分のことがモニターできていない、すぐに人に依存する典型的な今時の大学生の体質がよく出ている。
こうした場合、僕だったら「君はもう既にアウトだ」とまずは返答してやるのだが。
2011年1月3日
路上の鴉
見下ろすかたちで、一匹のカラスが電線の上からずっと泣き続けている。その泣き方は、仲間の死を悼んで泣き続けているようにしか思えない。カラスにはそうした感情があるのだろうか。
2011年1月2日
全国大学ラグビー選手権
今年の早稲田は強い。ディフェンスがいい。素早く、思い切りの良いタックルが次々繰り出される。体重差で劣る早稲田が明治チームを封じるには、ボールを持った相手選手を早く倒すこと。そして、縦横なパス回しで展開し、機を見て縦に突っ込む。非常に戦略が明快。しかも早稲田の選手たちは、バックスだけでなく誰もが走れる。それを徹底して前後半の80分続けられたのは、練習の積み重ねだろう。結果は、74対10で圧勝だった。
競技場を後にし、駅に向かう途中、絵画館の前に差し掛かった時にだれかが「絵画館って、中に入ったことある?」。誰も中に入ったことがない。建物は重厚で立派。都心の一等地に建つ。だが、なかにどのような展示物があるのか、僕たちは誰も知らなかった。