2025-11-09

米国内の風向きが変わってきた

米国の企業で人員の削減が本格化してきた。今年の1月から9月までの統計で約95万人、昨年同期比で5割も増した数字が報告されている。

主要な理由は2つ。まず、AIの本格的利用が進み、プログラミングなどをしていたエンジニアや一般のホワイトカラーが不要になってきたこと。

この傾向は間違いなく加速し、AIにとって変わられる職種や能力はますます拡がって行くことが予想されている。

もう一つの理由は、トランプ関税の影響である。消費関連分野の不況感によって小売りや物流関係で人員削減された数がそれぞれ3倍、2倍と増えた。

例えば、フェデックス・エクスプレスやDHLと並ぶ貨物運送会社であるUPSは先月末、4万8千人を削減した。関税の強化によって国際物流の取扱量が減少、とりわけ中国からの小包数が激減したためだ。


そして、マイクロソフトやアマゾン、シティグループといった大手IT企業、大手金融グループがAIによる効率化を睨んで人員整理しているのは、ちょうど今、トランプ関税の影響で他の分野で人減らしが行われているのをうまくカモフラージュにしているように思える。

今年の1月から9月に行われた米国のこの人減らしが第一弾だとすると、これから第二弾、第三弾と続いていくのは間違いない。

先日の米国での選挙で、ニューヨーク市長、ヴァージニア州知事、ニュージャージー州知事にそれぞれ民主党の議員が選ばれたのは、こうした米国内の雇用に関する潮流の起こりを人々が肌で感じ始めているから。

 大口を叩いてきたトランプの数々の政策も、その嘘っぱちさとその綻びが一般国民にも見えてきたことの証明だろう。 

AI解雇、AI離職に話を戻せば、これは米国内の企業だけの話ではもちろん済まない。

タカ市政権のもとで、日本企業も徐々に同じ考えに舵を切り始めるようになると僕はみている。自民党への企業献金は、そうした時のためになされているのだから。 

2025-11-02

原稿用紙60枚分、誰が読むのか

あるサプリを探して製薬会社のサイトを見ていたら、ちょうどそのサンプルパックの販売をしていた。

通常品の三分の一以下の価格。ならば、まずはそれを試しに頼もうと注文フォームに記入をはじめた。

送付先などを記入したあと、「個人情報の取扱い」についての文面へのチェックを求められる。自分では読まずに印だけつける。

次にクレジットカード情報の記入を求めてきたあとは、その会社の「ショッピング規約」だ。こちらも「読んだ」とのチェックが必要だ。

どちらも長文だ。AIを文面を読ますついでに文字数を調べて見ると、それぞれ14,500文字と9,800文字だから両方で24,300文字。400字の原稿用紙だと61枚分、A4のワード文書だと20枚くらいか。

これらをちゃんと読もうとすると大変だ。少なくとも2、30分はかかる。だから、誰も読まない。何が書いてあるか分からないまま皆「読んだ」、つまり「了解した!」と表明する。

考えてみれば、これってとても危険なこと。個人情報をどう扱われようが不満は言えず、後で文句を言っても完全に無理。

本来、消費者保護のために制定された法令に沿って企業がこうした文書を作成しているはずなのにやっていることは形だけ。運用の仕方が間違っている。 

AIにこの手の文書を代わりに読ませチェックさせると、必ず注意が必要との問題点をいくつか指摘してくる。本来は不用意に✓するべきものじゃなさそうだ。 

形式だけで実態など皆無。企業と消費者、こんなことやってちゃダメなんじゃないのかね。 

2025-11-01

日本企業はアマゾンを模範とするか、他山の石とするか

アマゾンが1万4,000人の従業員を削減すると発表した。半端な数じゃない。業績は好調なのに、なぜ今アマゾンはそうした多数の人員整理をするのか、各方面から疑問の声があがったのも当然だ。

アマゾンの作業員で思い出すのは、映画「ノマドランド」(クロエ・ジャオ監督)で描かれた巨大倉庫で働く人たちだ。様々な理由から住む家を失ったり、家族と別れて暮らすようになった人たちが、ノマドのようにバンでアメリカ大陸を流れながら生きていく姿が描かれた映画で、アマゾンの倉庫は彼らの命綱ともいえる職場だった。 
https://tatsukimura.blogspot.com/2021/04/blog-post.html

同社の社長、アンディ・ジェシーはCNNのインタビューに応え、今回の人員削減は金銭上の理由ではなく、アマゾンの企業文化のためだと説明していた。

彼によれば、アマゾンは以前よりもはるかに多くの人員を抱えるようになり、階層も増えていった。その結果、気づかないうちに(気づけよ!)実際に仕事をしている人たちの主体性が弱くなっきたからだと。
 
で、それを改めるためにに今回人員削減をするというが、それは本当だろうか。アマゾンの今四半期売上は前年同期比で10%増えて1,800億ドルに達している。

日本企業であれば、少なくともこうした好業績を上げている時期に大量の人員整理は行わない。ただし、それが企業経営として良いことなのかどうかという話はまた別だ。
 
僕は、アマゾンの経営者が言った人員削減が財務的な理由ではなく、アマゾンのカルチャーを保つためのものだという説明を信用はしていない。カルチャーという、取ってつけた理由はあっても一部だろう。

アメリカの企業の強さは、経営者がこうしたドラスティックな人員削減を臆さず行えるところにある。日本の多くの経営者は、こうはいかない。アマゾン経営者の今回の意思決定は、日本企業の温情主義ともいえる経営スタイルの是非を問いかけている。

日本の企業経営者は、アマゾンのこうした意思決定を模範とするのか、それとも他山の石とするのか。
 
もし日本企業が、一部のアメリカ企業のような強烈な競争力を身につけようとすると、今回のような意思決定をしていくこともまた必要となっていく。

2025-10-30

豊かに生きるということ

元サッカー日本代表監督の岡田武史が「私の履歴書」(日経)に昔の逸話を紹介していた。

35年前、彼はイタリアで日本の若手サッカーコーチを集めた研修に参加したことがあった。それは、現地で開催されたワールドカップに合わせて実施されたらしい。

講義の1つを担当したのが、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったACミランの監督アリゴ・サッキ。彼は講義の中で「よい指導者になりたいなら、絵を見ろ。音楽を聞け。本を読め」と話したという。岡田は最初、通訳がサッキの話を訳し間違えたのかと思ったらしいが、そうではなかったと。

サッカーだけいくら知っていても知っていてもダメで、広く奥行きのある知性と感性を持っていなければ、プレーに求められる想像力は養えないということだろう。

それで思い出したのが、漫画家・手塚治虫が赤塚不二夫にアドバイスした言葉。まだ代表作がなかった赤塚が、手塚にどうやったら漫画がうまく書けるようになるのですか、と尋ねたら、手塚は「漫画から漫画を学ばないでください」と答えた。

一流の映画、音楽、文学、芝居に触れることの大切さを説いたのである。

生命の神秘から時代物、宇宙、仏陀などあらゆる対象を描いた手塚の旺盛な創作力を支えたのは、さまざまな分野から得た豊かな教養だったに違いない。

最近、経営学者も遠方の知を探すことの大切さをビジネスマンに説いているが、それも同じ。

ただし、名作と言われる映画をたくさん観、優れた音楽に耳を傾け、文学に身を任せ、芝居の世界に浸るというのは、なにも会社の仕事をうまくやるためにではない。

目的なく、それらを自由に楽しめることこそが大切。

2025-10-29

「世界で一番美しい少年」と言われ続けた男

ルキノ・ビスコンティが1971年に撮った映画『ベニスに死す』に出演したビョルン・アンドレセンが先日、70歳で亡くなった。


ダーク・ボガード主演のその映画に彼が出演したのは15歳の時。ビスコンティにスカウトされたらしい。 

当時、彼につけられたキャッチフレーズが「世界で一番美しい少年」。ボガードが演ずるアッシェンバッハという名の老作曲家を虜にする美少年という役どころから、そう設定されたのだろう。 


それを聞いて「へぇ〜」と思ったものだ。その後、彼は明治だか森永のチョコレートのCMにも出ていたような記憶がある。

今回、彼の死を伝える報道のなかでもその「世界一美しい」はしっかり付いて回っていた。

世界一美しいかどうかなんてまったく主観の問題なのに、当時の映画関係者の誰かがつけたそのフレーズは半世紀以上も根強く残ってたわけだ。

つくづくイメージというものの粘着性の強さに驚く。一度ついたイメージは簡単には剥がせない、剥がれないのである。

彼はそのせいかどうか、その後アルコール中毒やうつ病に悩まされたらしい。年を経ていったあとも、どこへ行っても「世界で一番美しい少年」という目で見られたら、精神がどうにかなるのは分かる気がする。

2025-10-28

悩まず、考え、分類しよう

俵万智の『生きる言葉』が10万部を突破したということで、彼女が記念エッセイを『波』(新潮社)に書いていた。その中で、彼女は
本書を出版した後も、私自身、ちょいちょいクソリプに見舞われている。高校球児を応援する内容のポストをすれば「高校球児だけを特別扱いするのは、いかがなものか」と窘められ、読者の感想を引用して「ありがとう!」と言うと「上から目線ですね。ございますをつけるべき」と叱られる。一瞬シュンとなるが、こういう場合は「新種が釣れた!」と喜ぶくらいが、精神衛生上ちょうどよい。本書に出てくる分類に収まらないものが釣れたら、これからもコレクションしていきたい。

と言う。なるほど、と感心する。

しばらく前、このブログで彼女がクソリプの8つの種類を紹介していることを書いた。https://tatsukimura.blogspot.com/2025/10/sns.html
それをもとに、彼女は新しいクソリプに出会うと、新種としてコレクション(分類)に加えちゃおうというわけだ。
 
批判や中傷(この場合、クソリプ)をそのままダイレクトに感情の発露として受け取るのではなく分析的に分類するところがポイントで、その考えはとても効果的だと思う。
 
昨年、日本では小学生から高校生の自殺者が529人と過去最多にのぼった。『自殺対策白書』によれば、その最も多い原因として「学校問題」が指摘されている。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2025102400292&g=soc

自殺に追い込まれた子供たちの遺書やメモがなければ、その真の理由は完全にはわからないけど、多くは学校での人間関係やイジメが原因だっただろうという事は容易に推測できる。

子供たちよ、悩まず、考えよう。イジメを受けるのは辛い。どうして自分がいじめられるのか悩むだろう。だけど、悩まずに考える癖をつけてみて欲しい。
 
イジメにあったら、うちに帰ってからでいい、そのイジメをノートにでもササッと記録する習慣をつけよう。いじめたは誰か、いつ、どこで、どんなイジメにあったのか。また思いつく限り、彼らがなぜイジメをしたのかについても考えてみよう。
 
そして「データ」が溜まったら、それらを分類してみよう。例えば、金せびり型、ストレス発散型、勉強できないコンプレックス型、自分を強く見せたい自慢型、仲間はずれ回避型など、いろいろあるに違いない。

イジメにあったら、そのことを悩んじゃいけない、それがどのタイプに分類されるか考えることに集中するんだ。歌人の俵万智さんが書いていたように、「新種が釣れた!」(やった!)と思えるような時もあるかもしれない。

そして、そうした記録と自分ならではの分類ができたら、そのノートを持って親と先生に相談しよう。大人たちはその時、きっと君たちの味方になって助けてくれるに違いない。

2025-10-27

気をつけたいエビデンスベースと過度の一般化

図書館で手に取ったあるマーケティングの本に目を通して、「こりゃマズいな」と思った。

著者はコンサルタントを生業としている人のようだが、その論調は海外の論文の研究成果を「エビデンス」として援用することで自分の主張を次々に述べている。

興味深い記述もあるのだが、いかんせん引用元になっている研究者が偏っている。またそれらの研究は、どれも限定された状況下での調査とその結果に過ぎない。

つまり、ある特定の場所(すべて日本以外)で、特定の製品あるいはカテゴリーのみを対象として、特定の期間のみのデータを取得してそれを分析して結論づけているものだ。

社会科学の分野での学術研究なので、まあだいたいそのような制限下であることを承知の上で実施して、とにかく結論を出さなきゃ論文にできないから、仕方ないと言えば仕方ない。

だからこそ、そこに書かれていることを実務に利用しようと考えたなら注意が必要。そこでは、読み手の知恵や経験と工夫が間違いなく問われることになる。

先の経営書で気になったのは、そこだ。〇〇大学の△△教授の研究によれば、という記述を並べることで著者は自分の考えはエビデンスベース(Evidence-based)だと一貫して主張するが、明らかに過度の一般化(Over-generalization)がなされていると言わざるを得ない。

海外のスーパーマーケットの店頭でシャンプーのブランドがどのように消費者から手に取られているかというロジックと、日本国内で消費者がどのように高級車を選択、購入するに至るかというロジックの違いを思い浮かべればいいだろう。

目くらましの「エビデンスベース」には気をつけた方がよいという例だ。

2025-10-26

高校生の「読書しない率」 69.8%

日本の小中高生は、どのくらい読書をしているかーー。東大社会科学研究所とベネッセ教育総研が調査した結果が報告されていた。その結果内容に愕然とする。

一日のうち、読書時間0分、つまりまったく読書をしないと回答した子どもたちの割合は、
小4〜6年生:47.7%
中学生:59.8%
高校生:69.8%、だった。

中学生の6割、高校生の7割は本をまったく読まないと回答しているわけだ。

同時に調査した、一日のスマホの平均利用時間は次のようになっている。

小4〜6年生:33分
中学生:1時間36分
高校生:2時間19分、だった。

10年経つと、これら中高校生が日本の社会の中核に入って来る。やはり日本という国は衰退していくのだろう。 

タカ市総理大臣は、この前の所信表明演説で日本の防衛費をGDP比2%に増額すると言った。防衛費を増やせば国を守れると考えているのかも知れないが、そうだろうか。

中高生が本を全く読まず、スマホに浸り続けている状況を早期にあらためる施策を考え実施することのほうが、国の未来の安全と発展に確実に繋がるはずだが。

2025-10-24

銀行が「その他」を使いたがる理由

三井住友銀行から「貸金庫借用に関する申告書」という文書が郵便で届く。

申告する相手先は株式会社三井住友銀行となっており、利用者が「やりません」という誓いを立てるものだ。(自社へ返信させる手紙を「〇〇宛」でなく「〇〇御中」とする感覚は不思議だ)


三井住友銀行から返信を求められている、貸金庫利用についての申請書


大手銀行で、社員が何年にもわたって複数の銀行支店の貸金庫から客の金品を盗んでいたことが発覚した。そこで現金などを預けさせないようにするという対応なのだろうが、銀行内で社員教育を始めとして、どのような具体的な再発防止策をとることにしているかについては、送付されてきた文書に何も記載がない。

不祥事が起きたのは、利用する客のせいと考えているのだろうか。 

利用者の署名を求めるその申請書の遵守事項1には、「・・・現金や、その他不正利用防止の観点からリスクが高いものは格納しません」という文言があったので、「その他」とは何を指しているのか銀行に問うてみた。

すると銀行側の回答は「現時点では外貨と違法薬物」だという。だが、外貨は現金のひとつ。また、違法薬物は遵守事項3に該当するので、すでに包括されている。

彼らが文書に書いた「その他」とは何なのかしつこく訊ねたら「今後、当行がリスクが高いと考えるものがあるかもしれませんので」との回答。

おいおい、ちょっと待てよ。それが何なのかを示さないまま、あらかじめ客に「やりません」と申告だけさせ、その具体的な内容はあとで自分たちが勝手に決定するという考えはオカシイだろ。

よくもまあ、そんないい加減で利用者無視のやり方ができるもんだ。

2025-10-22

新聞広告らしい広告

先日の新聞に掲載されてた、カラーの見開き広告である。

新聞に掲載されたBrunello Cucinelli(ブルネロ・クチネリ)の広告表現

広告主はイタリアの高級ブランド「Brunello Cucinelli(ブルネロ・クチネリ)。

広大な空間に膨大な書籍が積まれた風景の中に、男が一人立っている。彼が身につけているセーターなんかが、そのブランドの商品なんだろう。

写真の中の積まれた本、とりわけ後方の壁一面を埋め尽くす書籍は実物か、それともCGによる合成かーー。AIに確認させたところでは、光の当たり具合と影の具合からほぼ実際の写真だろうと。 

いい写真だ。

2025-10-20

運転免許証の更新

5年に一度の運転免許の更新の時期が来た。またあの「安全講習」と称するビデオを見るのだろうか。そして「安全協会」とやらへの入会の勧誘も。

それがなければ車を運転することが許されず、社会生活をする上で身分証明書となる運転免許証なので四の五の言わず更新には行く予定だ。ただ有無を言わさずレールに乗せられているようで、毎度毎度の事ながらこの更新はすっきりしない。

運転免許でふと思い出して、机の引き出しの奥を探してみると英国の運転免許証(UNITED KINGDOM DRIVING LICENCE)が出てきた。日本のようなカードではなく、緑と薄赤の紙を折り畳んだもの。

この免許証を現地で取得したのは今から34年前。なぜ今も持っているかというと、免許証として今も有効だから。記された有効期限は、僕が満70歳になる前日になっている。なんと鷹揚な取扱いだろう。 

実際に使ったことはないが、EUROPEAN COMMUNITIES Modelと書いてあるので欧州域内でもこの免許証で車を運転できそうだ。1993年以前の発行だから、EUでなくEC

英国の運転免許証 Driving Licnece

2025-10-19

教壇に立つ教師はしだいに不要になっていく

「KDDIがAI上司 実在人物を再現、販売も」という記事を見かけた。

同社が開発したのは、社内の特定の人物の考え方を身につけて再現したというAIエージェント。AIで再現された彼が部下の書いた提案書をチェックしてアドバイスを与えたり、指示を出したりするらしい。

生命保険会社が、各営業部員にAI秘書を持たせるようにした話をこの前紹介したばかり。企業の中にAI上司、AI部長、AI取締役などがすでに登場している。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/09/aiai.html
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/08/ai.html

教育の場にもまもなくAI教師が現れる事だろう。中等教育以上の場で、生徒や学生一人ずつにAIエージェントがつけば、大方の勉強は学校に行かなくても済むようになる。学ぶ者一人ひとりに合わせて最適なカリキュラムと指導を24時間いつでも提供してくれるからだ。

大学の講義なども、今のように同じ科目の担当を複数の教員が分け合ってやるようなことは不要になる。AIエージェントを元にしたAIプロフェッサーが一つあればそれで済む。

そういえば、先日、教室の一番前の列で講義を聞いている学生がPlaud Noteを使って授業を録音しているのに気づいた。

このサービスは録音した音声データを発話者別に分けて文字起こしできるだけでなく、内容を要約したり、会議であれば自動的に議事録を作成してくれたりする。

これで僕の授業をすべてデータ化しているとすれば、それをもとに僕の授業用AIを作ることは可能だ。

教室ではスクリーンに映し出された僕のアバターが代わりに講義を行い、クラスの学生たちからの質問などにもその場でAIが回答したり、アドバイスするようになるだろう。

これは楽チンだ。早くそうならないものか。ハハハ。

2025-10-17

SNSを止めればいいだけ

9月末、文化庁は「国語に関する世論調査」の結果を発表した。そのなかで、SNSが日本語に多大な影響を与えていることが示されている。

朝日新聞紙上で歌人の俵万智さんがそうした現状についてインタビューに応えていた。彼女は、「『悪い二極化』が起きている」と語る。

SNSでは、投稿でちょっと角が立つと、誰かから揚げ足を取るような「クソみたいな返信」、通称「クソリプ」が飛んでくる。場合によっては炎上する。私も色々と経験しています。そんな返信を読むたび、少し傷つく。たぶん、こうしたことで、みんな少しずつ傷ついて、防御的になっているのでしょう。
 SNSを意識した日本語の表現は、波風を立てず、人から攻撃されないような無難な言葉と、わざと過激な表現で耳目を集め、投稿や動画の視聴回数を増やそうとする言葉の「悪い二極化」が進んできていると思います。どうしてこうなってしまったのか。 

「クソリプ」と呼ばれるものについては、彼女は今年4月に出版した『生きる言葉』(新潮新書)でも詳しく取り上げている。よほど「クソリプ」は彼女のこころに棘のように刺さったのに違いない。

このことは取りも直さず、彼女が匿名の、つまり返す先の宛のない相手からの数々の言葉に「傷ついた」ことを示している。とにかく悔しかったんだろう。そして、いまも悔しいと感じているに違いない。

同書で彼女は「クソリプ」の8つの類型を紹介している。それら8つのタイポロジーは本を読んでもらうとして、僕がいささか解せないのは、彼女がそうした酷い目に遭いながら、なぜいまだSNSを続けているのかということ。

彼女はSNS(X、旧ツイッター)で短歌を発信しているらしいが、Xを使わなくても俵万智であれば少し数がまとまれば短歌雑誌でも新聞でも雑誌でも掲載してもらえるんじゃないのないのかな。違ってる?

それはそうと、彼女が先の朝日の記事の最後に書いてる「二極化」は、実際にいまぼくたちの周りで確かにそうなってきているのだろうと思っている。

そして、それら2つの方向性。つまり、読み手に最大限の注意を払って少しでも波風を立たないように超フラットな言葉遣いをした表現を心がけるするものと、敢えて炎上を承知の上で荒波を起こそうとする2つのやり方は、実際は二極化ではなく根本のところで軌を一にしたコインの表と裏。

そのコインで日々の生活を送っている限りは、コインの表か裏かどちらかを必ず相手にみせなければならない。びくびく震えながら物を言うか、あえて炎上を狙ってかき回すか。

だからこそ、いっそのことそうしたコインなど投げ捨ててしまえと言いたくなる。そんなものなくたって毎日は過ごせる。

解決法は簡単。SNSなんか止めればいいだけ。クサい臭いは元から絶つのが基本だ。そうした簡単なことが、なぜ皆できないのか。

2025年10月15日付の朝日新聞紙面。SNSが日本語に及ぼす影響と「悪い二極化」を扱う記事の見出し
朝日新聞 2025.10.15


ところで余談だが、編集者はこの本のタイトル案として『届く言葉』を考えていたところ、著者の俵が今の書名にしたという。賢明な選択だ。池上彰なら『届く言葉』にしただろうが、この本は『生きる言葉』でよかった。

2025-10-13

ダイアン・キートンと「アニー・ホール」

ダイアン・キートンが79歳で亡くなった。死因などは公表されていない。

彼女が出演した映画を最初に観たのは、中学時代に友人と行った「ゴッドファーザー」。だが、あの男の群像を描いた映画のなかに登場した女優は、誰一人ぼくの印象に残らなかった。ダイアンもそのなかのひとり。彼女の影が薄かったとかではなく、そういう映画だったからだと思う。

強烈に覚えているのは学生時代に観た「アニー・ホール」。彼女がアカデミー主演女優賞を獲得した、ウディ・アレンが監督した映画である。

この映画は面白かった。アレンとキートンが劇場の入口で開場を待っているシーンは忘れられない。当時のメディア界を一世風靡していたマーシャル・マクルーハンが本人として登場した、あのシーン。こんな演出もあるのかと、たまげた。 


彼女の出演作ですぐ思い出せるのは、「アニー・ホール」以外に「マンハッタン」「インテリア」「ミスター・グッドバーを探して」「レッズ」など、どれも学生時代に観た作品だ。 

90年代以降も彼女は多くの作品に出演し、それらはどちらかというとシリアスなものではなくロマンチック・コメディと言われる類の作品で、ぼくの個人的な印象は薄かった。

これは彼女の女優性の問題ではなく、プロデューサーなど作品の作り手側の問題だったと思っている。 

つばの大きな帽子がトレードマークだった、個性的で魅力的な女優さんだった。

 

2025-10-12

皇室関係者のデタラメ発言を嗤う

金と政治の問題となると、まずその名が出てくる萩生田という自民党の裏金政治家がいる。

今回、高市自民党総裁が裏金疑惑の中心だったその人物を自民党の幹事長代行というポストに就けたことに関して、各所から批判の声が上がっている。

それに対して、明治天皇の玄孫(やしゃご)だかなんだか知らないが、T田という男が萩生田起用を疑問視する巷の声を批判している。

T田は、萩生田光一は小選挙区(八王子市の一部)で当選しているのだからその役員起用を疑問視するのは間違っているとし、「民意の決定を侮辱し民主主義を否定する公明党や評論家には猛省を促したい」とまで語る。

猛省すべきはそっちの方ではないのか。

選挙で当選しているから(ということは、議員であれば誰もがということになるが)どんなポストに就けようがそんなの勝手じゃん、ということを言っているようだが、その考えは真っ当ではない。

選挙で当選したのは「議員になった」というだけのことで、その人物の能力や人格や高潔さを示す尺度ではないのだよ。

昨年の衆院選で私が住む神奈川7区から立候補した鈴木馨祐という自民党麻生派の候補は、小選挙区で落選した。が、比例区で復活当選し、石破首相によって法務大臣に起用された。

つまり、選挙民の民意を得られなかった人物が大臣になっているわけだ。T田が民意の尊重を振りかざし利いた風な口を叩くのであれば、鈴木の法相就任をなぜ批判しないのか。
 
言っていることに筋が通っておらず、デタラメなのである。

2025-10-06

今日は中秋の名月

朝夕やっと涼やかになり、秋の訪れを感じるようになった。



スチール写真も撮ったが、月はいつも同じだから面白くないので動画も撮ってみた。
 
夜空に雲が流れる感じに、なんだか映画館で本編上映前に見るアメリカの製作会社のオープニング映像を思い出した。あれはどこの会社のだっけ・・・ 

2025-10-05

40年間未公開。馬鹿げた日本の映画興行界

ポール・シュレイダーの「MISHIMA」(1985年製作)が、今月から日本で初公開されることになったらしい。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/cinema/20251001-OYT1T50022/

新聞では今回の初公開が三島の生誕100年の年だからとか、人を小馬鹿にした説明がされているが、なんだそれは。
https://tatsukimura.blogspot.com/2012/07/mishima.html

もしそんなことで初公開するのだったら、さっさと日本でも公開すればよかったわけでね、東宝が怠慢こいてただけじゃないのかね。 

1985年製作の映画『MISHIMA』日本初公開の報道を参照中に撮影したスクリーンショット

お願いだから、働かないでくれ

自民党の新総裁になった高市があいさつで「働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります」と発言した。

お前さん、今までよっぽど働かなかったんだなと、思わず突っ込みを入れてしまいたくなるが、新総裁になったからといって急変するのもどうかと思うよ。

たぶんこのまま新首相指名を受けるのだろうが、彼女にはぜひこれまで通り働かないでいて欲しいと願っている。

物事をよくするために必要なことは、能力のある人が正しい選択をして、それを実現するためにハードワークすることだ。 

逆に、最も悲惨な結果を招くのは能力のない人物が間違った選択をして、それを全力で推し進めていってしまうことである。その結果、当然ながら破綻を招くことになる。

名門と言われてきた企業が凋落するのは、だいたいこのケースである。
https://tatsukimura.blogspot.com/2017/11/blog-post_19.html

お願いだから、働かないで、頑張らないで。日本のために。

2025-09-28

リン・シュンロンの新作

所用で瀬戸内海の豊島を訪ねた。午後、三輪バイクのTUKTUKを港でレンタルして島内を少し廻る。

島の南側にある甲生(こう)の漁港をたずねたら、そこにアート作品の新作があった。

瀬戸内国際芸術祭の開催地の豊島でみつけた197体の像

台湾出身のアーティスト、リン・シュンロンによる「国境を越えて・祈り(Beyond the Border - Prayer)と題した作品だ。

197体の子どもの像が海のすぐ近くに並んで立っているもので、今年の夏に展示を始めたばかりらしい。
https://www.koebi.jp/news/report/entry-4174.html

197体は世界197国・地域をそれぞれ象徴し、それぞれの像の胸にはこの島からそれぞれの国の首都までの距離が、背中にはその都市の座標(緯度経度)が印字されていて、個々の像はそれらの国が位置する方角を向いている。

アートの島、豊島に新たに展示されたリン・シュンロンの作品 


この静かな島の、静かな漁港に、もの言わぬ200体近くの子どもたちが夕刻近くの西日を浴びながら、両手を胸の前で組みじっと佇んでいるさまは、世界の各地で引き起こされているさまざまな不条理と惨劇を悲しむとともに、その終わりを祈っているかのように見えた。 

2025-09-27

モグリを追い出し、ますます管理が進む大学に未来は作れるか

新学期が始まるのに際して大学の事務所から「授業実施に向けたご案内」と称する文書が送られて来た(実際のところは、パスワード保護された大学サイトのページだが)。

その中に聴講禁止の項目があった。曰く「大学全体のルールとして、履修登録をせずに授業に参加すること(聴講)は禁止されております」。

これまでも聴講の学生を認めちゃダメよと言われてきたが、それはビジネススクールというちょっと他の学部や研究科と違う性格があるからだと思っていたが、大学全体のルールだったとはね。

自分が大学生の頃はニセ学生なんてのは珍しくなかった。自身も友人に誘われ、他学部や他大学の授業にモグリで参加したことも多々あった。

同様に他の大学の学生が早稲田の授業にモグリで参加していたのだから、行ったり来たりでまったく自由なものだった。

それが、いつからか大学全体のルールとして禁止されていたとはーー。その理由は何だろう。そうした学生が教室に存在することで授業の妨げになるのなら別だが、一般的にモグリで授業に参加している学生は一般の学生以上に真剣に取り組んでいるので、むしろ歓迎のはずだと思うのだけど。

推測するに、教師側の理由ではなく(もしそうであれば、それらの学生を教室から追い出せばいいだけ)、正規の履修学生が大学側に苦情を言ったからじゃないかという気がする。

「自分たちは授業料を払っているのに、非正規の学生はそれを払っていないのは不公平だ」とか何とか。

それに対して大学当局が反応して、個々の実状などにお構いなしにモグリ(聴講)を不可にした、というのが実際の話のような気がする。

だけど、もしそうだったらどうなんだろう・・・。大学は本来のところ、もっと大らかでいい加減でいいんじゃないのか。

知りたい、学びたい、議論したいという学生が方々から集まり、同じ時間を共有することで刺激が生まれ、互いに影響を与えながら新たな知と関係が生まれてくるというものだ。

いろんな類の学生が教室にいた方が、絶対にオモシロイ。新しい発想を生む活力は、本当はそうしたところからしか生まれないんだけどね。

知の創造の場として日本の大学が弱体化している一要因だ。 

2025-09-26

相変わらずひとを馬鹿にしたMicrosoftのやり方に怒る

Skype(Microsoft)から「クレジットは7日後に無効になります」とのメールが届く。例によって返信不可のメールで。
 



クレジット残高をアクティブにする方法が記されているので、一応それを行おうとすると「Skypeは廃止されました」というメッセージが出て意味をなさない。

 


お手上げである。大した金額ではないが、金額の大小の問題ではないと思う。

一方的にそれまで提供していたサービスを廃止し、そのサービスを利用するためのクレジット、つまりデポジットをそのまま吸い上げるという、マイクロソフトらしい利用者を見下した乱暴でけしからん態度。

自社の都合でサービスを廃止するのだから、事前に受け取っていた金額は顧客が何も言わなくても一旦返却するのが筋だろう。それをかすめ取ってまで利益を上げたいのか、マイクロソフトという企業は。

世の中では、これを詐欺と呼ぶ。 

私はスカイプをこれまで13年間使ってきた。その利用者に対し、よくこのようなやり方がとれるものだ。

2025-09-24

なぜ大屋根の保存が「レガシー」なのか?

関西の複数の大学人がそろって「万博会場の大屋根(リング)をできるだけ多く保存すべきだ」とする意見書を万博協会、大阪府、大阪市に提出した。

提出したのは大阪大学、近畿大学、大阪公立大学、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学という関西の主だった大学の総長ないし学長、あるいは理事長である。

理由は、リング(大屋根)は万博のレガシーであり極めて貴重な文化的・歴史的な価値があるからと言っているが、よく分からない。

あの建造物の文化的な価値とは何なのか?  具体的に何がどう文化的なのかまったく不明だ。まして、歴史的な価値があるかどうかなど、なぜ分かるのか。ぼくには理解がむずかしい。

彼ら関西の大学人によると、解体すると「文化的損失として後生に大きな禍根を残す」らしいが、何が彼らをしてそう言わせているのだろう。

7つの大学のトップが揃っていきなり「意見書」を提出するという重々しさはどう考えてもヘン。裏には何があるのかナ。 

岡本太郎による<太陽の塔>は残してくれてよかったと思っている。あれは、ただの建造物ではなく、 確実にあの時代(高度成長期の60〜70年代)の日本の空気を今に残すモニュメントになっているから。

しかし、いま開催中の万博の大屋根と言われている建造物はどうか? 太陽の塔とはまったく意味が異なっていると思う。

それにしても、ある種の人たちは何かというと「レガシー」という言葉を振り回したがるみたいだ。そうした人たちに共通するのは、どうもアタマの中味がすでにレガシー(時代遅れ)だということやな。 

2025-09-21

やっと開花

2か月ほど前に手に入れた赤以外(黄色とピンク)のハイビスカス。ずっと蕾のままだったのが、お彼岸を迎えていまごろ開花した❗️

今年の猛暑が理由で咲くに咲けなかったのかもしれない。

2025-09-20

人をつくづく馬鹿にした説明をする日本の外相

日本政府は、パレスチナの国家承認をしないことを決定した。

https://www.47news.jp/13178329.html  

ギョロ目の岩屋外相が19日の記者会見でそれを語った際、理由として述べた「承認によりイスラエルが態度を硬化させ、パレスチナ自治区ガザ情勢の好転にはつながらないと判断した」は明らかにロジックがおかしくはないか。

彼が記者会見で言わんとしていることが、もし、日本政府はパレスチナ自治区ガザ情勢の好転を望んでいる→そのためには、イスラエルが態度を硬化させるのは好ましくない→そのためには、パレスチナを国家として認めないことが好ましい、だとしたら、ギョロ目に訊ねたい。

日本政府がマジにパレスチナ情勢を好転させること(好転という表現が曖昧だが)を狙いにパレスチナを国家として承認しないのであれば、22日の国連総会でパレスチナを国家として承認することを明らかにしているフランスや英国、オーストラリア、カナダなどの国に対しても国会承認すべきではないと日本は働きかけるべきだ。

また、既にパレスチナを国家として承認している世界147国に向けても承認取り消しを求めるのか、ニッポンは。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/09/blog-post_13.html

ギョロ目は、「パレスチナ側はしっかりとした統治体制を構築する必要がある」とも記者会見で強調したらしいが、冷静に考えれば、連日激しい空爆を受けて街中が瓦礫に埋まり、日々餓死者が出ているような状況で今それができるわけがないことくらい誰にだって分かるはず。

そうした状況を早期に変えるためにもパレスチナを国家として承認することで国際社会がイスラエルに圧力を加え、これ以上の悲惨な攻撃を止めさせなければならないはずなのに。

親分(米国)に言われるまま追従を続けるのでは主権国家とはとても呼べない。同盟国といった関係ではなく、これではまさに51番目の州である。

日本の外交は根底から世界の信頼を失うことになった。 

2025-09-19

企業がやりたいこと、顧客がやらされたくないこと

中国地方のある地を訪ねることになったのだが、そこは地方ゆえ現地の交通機関がままならない。そこで、移動のための足としてレンタルバイクの店が駅前にあるのを知り、予約することにした。

サイトで日にちと利用時間を入れて予約しようとすると、クレジット・カード情報の入力を求められた。料金全額先払いらしい。気が進まなかったが、そのとおりカード情報を送ったら、支払い完了と予約完了のメールが届いた。

翌日、その会社からメールが来て、指定のサイト上から運転免許証の画像を送付せよと言ってきた。事前にその手続きをしない場合は、レンタルバイクの利用ができないと書いてある。

そうした条件を設けているのであれば、客に利用代金を支払わせる前にそのことを案内すべき。

免許証の画像情報を、信頼に足らない企業に渡すのも気が引けるので放っておいたら、同様の内容のメールがまた来た。またしてもnoreply@XXXXXのメールアドレスから送られてきている。

記されているURLを試しにクリックすると、今度はいきなり会員登録のページが現れた! まず、名前などの個人情報を記入させて自社サービスの「会員」にしたいらしい。こっちは現地でその日に数時間レンタルで使うだけなのだが。

こうした顧客対応の手法は、まったく的外れであると思う。こんな不愉快なやり方で客に会員登録させたって、その企業に対しての満足感もロイヤルティも感じるわけがない。むしろ逆なのは明らか。

電話番号を調べ、免許証の事前送付に関して問い合わせたら、システム上そうなっているので仕方ないと言う。が、そのシステムとやらを導入したのは、お前たちだろうと。

不安感は払拭できるはずがなく、その企業にPマーク認証は取得しているのか問うたら、「何ですか、それは?」と訊かれてしまった。 

この会社だけの特殊な例ではない。近年は、顧客の個人情報管理も含めてこの手の野放図なビジネスが横行している。

顧客の気持ちをまったく無視した、不出来な顧客管理システムを作っているIT屋がいるのだろうが、結局、何も価値を創造していない。そうしたシステム会社も、そのシステムを採用する会社もお粗末すぎる。

2025-09-14

高畑勲と手考足思

麻布台ヒルズギャラリーで開催されている「高畑勲展」では、彼が60年近く携わってきたアニメーションを中心とする、ほぼすべての作品についての軌跡を見ることができる。

作品の完成に至る途中の圧倒的な数のスケッチ、コンテ、アイデアメモなどだが、とりわけなかでも印象に残っているのは、映画「火垂るの墓」の脚本作成のための高畑のノートだ。

野坂昭如の原作本を全文コピーしたものを数セット用意し、場面、時間、人物にマーキングしたうえで時系列ごとに分けてノートに切り貼りしている。そして、その余白には彼が映画で描こうとしている各シーンの状況説明や台詞、カメラワークなどが書き込まれている。

高畑勲の手書きのノート
 

野坂の原作にはなかった「死んだ兄妹が物語を見つめている」という映画での二重構造は、高畑がこのノートを作りながら構想していくなかから生まれた。

「手考足思」という河井寛次郎の言葉があるが、高畑の仕事はまさにそうだ。作品を作るに際しては画で考え、文字で考えるのはもちろん、可能な限りその舞台となる地を内外を問わず訪ねて、その地の歴史や人物に関することなどを渉猟することで企画書をまとめていった。

高畑のこのノートを見ることができただけでも、出かけた甲斐がある。「ものをつくるということ」を、あらためて考えさせられた。