2025-09-05

「AI秘書」が「AI部長」になる時

つい先日、職場におけるAIエージェントの登場について書いたら、早速そのとおりの記事が現れた。 

生命保険会社の明治安田が、社員にAIエージェントを使えるようにするという新聞記事。見出しは、「明治安田「AI秘書」5万人」「指示待たず営業提案や助言」とある。

営業職の社員が持って帰ってきた客の面談データを元に、「AI秘書」が客の好みに合わせたイベントの案内文を作成したり、保険の提案書をまとめてくれるのだ。

日経 2025.9.5


便利この上ない。だが、ちょっと待てよ。

今後その会社では、営業マンがお客さん個人についてのデータ、例えば趣味や健康状態などをAIに伝えると、AIエージェントが自律的に効果的な営業アプローチを考え、同時に適切な保険の提案書を作成して持たせてくれるというのは、何か変じゃないか。

それだけ聞いて感じるのは、仕事を実際に仕切っているのはAIエージェントであって営業職の社員じゃないってこと。営業マンたちがやるのは、ただの御用聞きの仕事だ。 

つまり「AI秘書」は、実際は「AI課長」「AI部長」で、人はその小間使いをやることになる。

明治安田生命の経営者はそれを分かっていながらも正直にそうとは言えないから「AI秘書」と呼んでいるのである。

その先に何があるかというと、提案書をAIが作成していることくらい客にもすぐ分かるので、やがての「人抜き」がされるようになる。

つまり、顧客が保険会社のAIエージェントと直接やり取りして、最も気に入る生命保険の提案を受けるのが一般的になるはずだ。

結果、明治安田生命の場合では現在3万7千人いる営業職の多くは不要となる。 

これが経営者の狙いだろう。なんせ圧倒的な費用削減が実現できるのだから。

社員は自分にも秘書が付いた、などと喜んでいる場合ではないのである。 

2025-09-03

名前が大切なのは分かるけど

書留の郵便を受け取る際の出来事。名前の本人確認ができないという理由で「郵便物を渡せない」と郵便配達のおにいさんに執拗に言い張られてしまったことがある。 

三井住友系の金融機関がカードを送ってきたのだが、その登録名を姓名ともにカタカナにしてあったので、郵便物の宛先もカタカナ表記になっていた。

僕の名前は名字も漢字も読み方はひとつだ。確かに「達也」は「タツナリ」と読むことも可能だが、そう読む達也さんにあったことはない。

ところが書留を持って来た日本郵便の社員は、封書の宛名と同様のカタカナ名が表記された身分証明書がないとそれを渡せないことになっているというではないか。

免許証もパスポートも示したが「名前のカタカナ表記がないのでダメ」だと言う。お手上げである。パスポートにはアルファベットで名前が表記されているので、それをカナにすれば照合できると言っても聞かない。

いつまで経っても埒があかず、最終的に彼から手渡された携帯電話で郵便局の彼の上司と怒鳴り合いをした挙げ句、やっと封筒を手渡された。ホントばかばかしく、ほとほと疲れてしまった。

なぜそんな事を思い出したかというと、昨年5月施行の改正戸籍法で戸籍名へのフリガナの表記基準が変更なったという記事を目にしたから。この場合の変更というのは、読み方に制限をかけるという変更である。

名前には親などの思いが込められているだけに扱いが一筋縄ではいかないことは理解できるが、なかにはどうやっても読めない名前の「読み」がある。そうした名前の漢字と読みのアンマッチングも名付け親にしてみれば子供の大切な個性の一つなのかも知れないが、そうした名前を付けられた方はそれを感謝するだろうか。

いつも間違って名前を呼ばれる、あるいは読めないので一度では呼ばれない、などの社会生活上の戸惑いに一生煩わされることになる。 

2024年に生まれた男の子に付けられた名前で最も多かったのが「陽翔」らしい。ただ、この名前(漢字)の読み方はとっても複雑。

ハルト
ヒナト
ハルカ
ヒナタ
ヒロト
アキト
ハルヒ
ヒュウガ
ヒビト
ヤマト
ヒカル
という11種の読み方、つまり11種の名前があるというからビックリ。親(名付け親)が何を考えてのことかは推測するしかないが、正確には名前(呼び名、呼ばれ名)がどうというより、「陽」「翔」の漢字を使いたかったわけだな、これは。

名前は大切である。その人にとっての欠かせない重要なブランド要素であることは間違いない。だが、期待されるとおりに読まれない、呼ばれないではそもそも名前としてきちんと機能していないとも考えられる。

名前の重要性と個別性を承知の上で言うが、名前とは結局は記号なのだ。記号として役立たなくては意味をなさない。

例えば太郎や次郎など、たとえ名前が平凡で古風だからといって、その子が凡人になるかということとはまったく無関係。名付け親はよくよく考えた方がいいと思う。

2025-09-01

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか

経済産業省が発表した試算によると、今から15年後の2040年に「AIなどの活用を担う」人材が498万人必要となり、そのうち326万人が不足するらしい。

だが、その498万人という具体的な数字の内訳は分からない。この場合、分からないというのは、いくら調べても出てこないってこと。それこそ生成AIに徹底的に探索させたが見つからない。つまりは、経産省が元々それについて発表していないのだ。

中味を発表せずに、そうした数字だけを示す意味があるのかどうか首を傾げる。塊としての498万人という数字は、産業連関表などを用いて産業構造の今後の変化を予測して編み出したものらしい。

15年後に産業構造がどう変化しているかを過去のデータをもとにどこまで推定できるかだ。それこそ今から15年前に、生成AIの登場と社会への浸透が急速に進む2025年の姿を予測していいた人がいたか。いやしないよな。

頼るものが他にないのかもしれないが、役人が産業連関表で未来の社会を予測して政策を立案するのはもう止めにした方がいい。もっともらしく聞こえるだけで、当たりはしないのだから。そんなこと、自分たちも分かっているはずなのに続けている。

「AIを活用できる」人の育成が急務だとの考えは文科省も同様に指摘しているようだが、ここでもAIを活用するとは何なのかははっきりしない。またしても役人がよく分かってないのだ。 

思い出すのは、いまから30年前。ウィンドウズ95が発売され、爆発的に売れた。そしてパソコンのブームが到来した頃のこと。当時はパソコンを使える、具体的にはワープロソフトで文書作成ができるとか、スプレッドシートで計算ができるといったことが、ビジネスマンの特殊技能として通用した。

いま、あなたはどんなスキルがあるかと聞かれて、パソコンが使えますと言ってもお話にならないが、当時はそれが通用した。現在、そのパソコンに当たるのがAIなんだろう。

パソコンができる、が技能として認められていた時期は間もなく過ぎ去り、それはただのツールでしかないことを社会が理解していった。

今の時代のAIは30年前のパソコンと同じと考えた方がよいように思う。肝心なことはそれを活用できるかどうかといったテクニカルなことではなく、どれだけオリジナルな発想をアウトプットできるかどうかなのである。

何をやろうかという意思と評価はつねに人間側にあるべきもの。どうやるかは、やりたければAIの助けを借りてやればいいだけの話だ。 

話を戻すと、2040年、「AI活用人材」が国内で300万人不足するなどありえないと考えている。情報処理全般は、そのころには間違いなく意思決定も含めてAIがまかなっているはず。ここで言う情報処理全般とは、仕事そのものである。

人の手に残されるのは、包丁やハサミ、メスを扱う仕事、つまり調理、理容、外科手術といったものだ。それとスポーツ競技と芸術活動(の一部)と第一次産業である。

まもなくAIは、エージェントとして自律的に考えて仕事をするようになる。それらを指揮するのは一部の人間と、そのアシスタントとなるマスターAIエージェントだ。 

そう考えれば300万人が不足するどころか、数百万人の労働者が仕事をなくしていくことになる。そのとき人々は、否が応でも価値観の転換を求められる。 

AIを使うか、AIとともに働くか、AIに働かされるか、いずれかの選択を迫られる時代に私たちはまもなく向かう。

私がいる大学の現場も、AIとロボットであらかた事足りるようになるのだろうな。  

2025-08-29

フジの50億円損害賠償請求

タレントだった中居正広を巡る性暴力一連の問題で、フジテレビは同社の前社長と元専務だった二人対し計50億円の損害賠償を求めて提訴した。

50億円の根拠は、今年6月末までに被った損害額の総額が約453億円だったことにあるとしている。そうであれば、損害賠償請求額は今後のさらなる影響を加味して500億円ほどにしなくては理屈が立たない。

個人として支払えるかどうかではない。彼ら経営者は、経営責任を問われ損害賠償請求されたときに備えて専用の保険(役員賠償責任保険)に加入しているはずである。しかも、掛け金は企業持ちで。

見方によれば「マッチポンプ」みたいな感じだけどね。いや、もう経営者ではないから役員賠償責任保険の対象にはならないか。

すでにフジの親会社であるフジ・メディア・ホールディングスに対しては旧現経営陣に対して230億円あまりの賠償を求める株主代表訴訟が起こされている。一方、フジテレビに対しては株主代表訴訟が起こされないので、会社が原告となって提訴したのかね。

経営責任という観点から言えば、訴えの理由が「適切な対応を怠ったこと」なら、他の役員の責任も問われるべきだろう。そのあたりが釈然としない。

フジの件については、以前にも書いたかもしれないが、辣腕の番組プロデューサーだったことと組織の経営者としての能力は別だということ。そんな当たり前の考えが、この会社にはなかった。

言葉を換えれば、そうした当たり前の経営常識すらなくても、日本のテレビ局は成り立っているという事実に驚く。しかも上場企業ときている。

これもまた、新規参入がない規制業種の典型的腐敗の一例である。 

2025-08-28

企業の本音は利用規約に表れる

新幹線予約の際に用いている「エクスプレス予約」「スマートEX」のサービスを変更するというメールがそれぞれ届いた。日常的に利用している関係上、メールに一応目を通す。

これまで使えたカード(EX-ICカード)を使えなくするというだけでなく、改札の際に自動改札機から発行されていた「利用票(座席の案内)」の発行をやめるといったことが記されていた。

前者はプラスチックカードの発行を今後中止するということ、後者は機器からの印字して発行してた6x8センチほどの紙(カード)をなくすことでのコストカットである。

実に発想がセコイ。利用者の利便性などお構いなしである。それらのメールは例によって「本メールは送信専用アドレスからの送信のため、そのまま返信されないようお願いいたします」だ。

残念ながら新幹線はそれしかないので、こちらが否が応でもそれに合わせて適応するしかない。念のために現在のそれら2つの登録がどうなっているか確認しようとしたら、サイトにまず「会員規約等の変更」画面が出た。

で、そこに記された3つの文書、会員規約、特約、同意条項を<読んだ>として <同意>しないとログインができない仕掛けにしてある。 


試しに、そのなかの一つの規約とやらを生成AIに読ませて内容確認をやらせてみた。各条項についての利用者側のリスクと注意事項が表示される。以下は、そのまとめの部分。


例えばネットの通信上のトラブルがあっても何があっても責任はすべて「利用者」、規約等に変更が加えられてもJR東海はそれを自社HPに載せるだけでOK、など徹底的に一方的な契約内容。

サイトではそうした規約や同意事項に「同意」しない限り、利用者が自分の登録内容すら見ることができないようにしてある。

まともな競争に晒されているまともな企業なら、ここまではやらない。そうしたところに、この企業の黒い裏の顔が見えている。 

2025-08-25

ネットは嘘の世界だから

勝手なところから勝手なメールが日々送られてくる。

そのなかでも不愉快なのが、「このメールは送信専用アドレスからお送りしています。ご返信いただいても回答はできませんので、あらかじめご了承ください。」 なんて文末で言いながら、自分たちの言いたいこと(セールス・メッセージ)だけ書き連ねているメールだ。

そうしたメールが増えていっているように感じる。実に不愉快な世の中。すべて迷惑メールに放り込んでいる。

それと同時に、なんでんもかんでも「会員登録」を求め、その際に氏名、住所、電話番号、メールアドレス、生年月日、職業等々を「*必須事項」として記入させるサイトがあまた増えているのも気に入らない。何のためにそれらに回答させるのか分からないし、説明もない。

顧客の個人情報を集めておけば、そのうち何か自分たちの役に立つかもしれないと考えている。あるいは、売れば金になるとでも考えているのだろうが、そうした企業は頭が悪くて厭になる。

正直に「申告」する人も中にはいるのだろうが、多くはそうじゃない。ぼくはそういう時は自分のプロフィールについてはデタラメしか書かないし、友人たちに聞いてもばか正直に書く人は一人もいなかった。これが現実。

ならば、そうしたつまらないことさっさと止めればいいのに、と思う。あまりに浅薄な連中が絶えない。それがネットの世界。 

2025-08-24

LION/ライオン 25年目のただいま

「スラムドッグ$ビリオネア」や「ニューズルーム」(HBO)のデブ・パテルが主演した映画「LION/ライオン 25年目のただいま」の始まりは1986年のインドの小さな村である。

それはいまから40年ほど前だが、それにしても当時の日本とは比較にならないほどの貧しさのなかで人々が生きていたのが描かれている。

兄の仕事を手伝うために鉄道駅に向かった5歳のサミーが、ひょんな事から回送の長距離列車によってコルカタ(カルカッタ)に運ばれてしまう。帰りたいと思っても、彼は自分が生まれ育った村の正しい名前すら知らない。

やがてオーストラリアの夫婦のもとに養子として迎えられ、豊かな愛情の元で25年の日々を過ごす。だが、もちろん彼の心の中には分かれたインドの村の母親と兄がいた。

鉄道駅の近くに給水塔が建っていたとか、町の裏には母親が石運びとして働いていた岩山があったなどの数少ない断片的な記憶をもとに、Google Earthで自分の生地を探り当てて訪ね返るという話である。

ひょんな出来事で家族から離れてしまった彼だが、映画で描かれているその後の人生は極めて恵まれた幸せなものと言っていいものだ。

ただ心のなかでくすぶっているのは、インドでまだ生きているだろう母親と兄の消息。映画の終盤、彼はネット上の地図で見つけた村を訪ね、いまもそこで彼の帰りを待っていた母親と25年ぶりに感動的な再会を果たす。

ストーリーが美しすぎるが、これは実話をもとにした話が映画化されたものらしい。描かれた人物にはおそらく演出上のフィクションも含まれているはずだが、とにかくGoogle Earthで彼が育ったインドの村を探し出したという点は本当の事なのだろし、そのテクノロジーに感嘆した。

養母役のニコール・キッドマンがいい。 

 
(後記)なぜこの映画が気になったのか、分かった。この映画のしばらく前に観た「火垂るの墓」の少年・清太とサミーを頭の中で重ねていた。清太は14歳、サミーは13歳でほぼ同じ年齢だ。共に雑踏の中(それぞれ神戸とコルカタ)にひとりぼっちで放り出され、清太は誰からも救いの手を差し伸べられることなく駅の構内で餓死する。一方、サミーはコルカタで見知らぬ人によって救助されて生き延びるだけでなく、その後、生家の母親と再開を果たす。時代も場所も違うとは云え、これら二人の少年の運命の差の大きさとその理由を考えさせられた。
 

2025-08-23

サービス・デザインの研究会

大学でOBOGを交えたサービス・デザインについての研究会を開催した。

某大手金融機関の関連総研でリサーチをしてるI君からの問題提起のプレゼンテーションと、最近ある金融機関の窓口でとんでもない経験をしたというSさんの報告をもとに、現状と課題について議論が進んだ。

ひとつのフォーカスは、日本の金融機関におけるAI/ロボットの導入と活用だったのだが、米国などの他国の状況に比べてあまりにも日本の状況が立ち後れていることをあらためて確認した。

立ち後れの理由は、日本の大手金融機関の経営者の頭の古さと金融庁の指導の的外れさにあるようだ。そしてどちらも、一朝一夕にはこの地では改善される見込みはない。

ということは、世界の主だった諸国に後塵を拝するのは必至で、いつものようにギリギリになって「このままじゃイカン」と足を前にやっと踏み出すようになるのだろう。 

2025-08-19

報道がつくる外国人忌避のバイアス

元法政大学総長の田中優子さんが、こんなことを書いていた。

7月28日、29日の複数の新聞で、佐賀県の殺人事件を報道する際の見出しに、容疑者の外国籍が記載されていた。容疑者を報道する時になぜ国籍を見出しにつけるのか? 参院選後とりわけ気になった。国籍を見出しにつけるルールがあるなら、日本人も書くべきではないだろうか。

確かにその通り。

まだ犯人と確定しているわけでもないのに、容疑者が外国籍の場合だけ、その国籍を見出しにするのはどうなんだろう。これは、いわゆるアンコンシャス・バイアスの典型である。

以下は、田中さんが「複数の新聞」と書いてあった7月28日掲載の見出しである。

朝日
「佐賀の強盗殺人 容疑者逮捕、否認 技能実習で寮生活 ベトナム国籍」

 毎日
「強盗殺人:外国籍の20代逮捕へ 佐賀・2人殺傷 娘に複数の傷 」 

読売
「伊万里強殺 容疑で逮捕 佐賀県警 ベトナム国籍の24歳男」

産経
「佐賀の母娘死傷 強殺疑い ベトナム人逮捕 技能実習生 寮のナイフに血痕」

日経
「佐賀の母娘死傷、ベトナム人実習生逮捕 強盗殺人疑い」 

気をつけないと、こうした報道記事を目にするなかでわれわれの心にも「また外国人が」とか「外国人だから」といった謂われない偏見が生まれてくる。

2025-08-17

米国人統治者のプラグマティズム

トランプ大統領が先月、ノルウェーのストルテンベルグ財務相と電話で話した際に、関税率の話と併せてノーベル平和賞の受賞を望んでいる話したそうだ。これもトランプ流の「ディール」なんだろう。

彼がノーベル平和賞の受賞に強い意欲を示しているのはよく知られた話だが、今月12日には米国ホワイトハウスがSNSでイスラエルやカンボジアなど7か国の名前とともに「世界がトランプ氏のノーベル平和賞の受賞を求めている。トランプ氏は平和の大統領だ」と投稿しているというからその厚かましさに鼻白んでしまう。

今回のウクライナとロシア間の停戦協議の設定も、そのためのデモンストレーションに見える。トランプが真にウクライナ国民に共感や同情の念を持っているわけではないだろう。あくまで自己利益しか頭にない。

米国の為政者のそうした自己利益優先主義というか自己利益専有主義で思い起こされるのが、太平洋戦争終結後の日本国憲法制定時に見せたダグラス・マッカーサーの態度である。

早大名誉教授で評論家だった加藤典洋氏は、なぜ日本国憲法が今のようなかたちになったのか、『9条入門』でその第1条と第9条の関係に着目して興味深い考察をしている。

終戦の年の6月末時点、米国内での世論調査(ギャラップによる)に見る日本の天皇の処遇は厳しいものだった。
・処刑を求める=33%
・裁判にかける・終身刑・追放=37%
・不問に付す・傀儡として利用する=7%

当然、GHQが日本を占領統治するに際してそうした米国内の世論は無視できないものだった。

しかも、日本国憲法を制定する権限を持つ11ヵ国からなる極東諮問委員会のなか、ソ連、オーストラリア、ニュージーランド、フィリピンが天皇制の存続に反対していた。

それら11ヵ国は、東京裁判と呼ばれた極東国際軍事裁判の判事選任の権限を有していた。つまり、その委員会主導で戦後の日本国憲法が制定された場合、天皇制が廃止される可能性があった。

ところが、現在の日本国憲法第1条にみるように、そうはならなかったのはGHQによるウルトラCがあったから。

GHQには法理上の日本国憲法の制定権はなかったにもかかわらず、彼らが極東諮問委員会や連合国、米国国務省の裏をかいて電光石火の勢いで憲法草案を起草し纏め上げた。そして、「日本国民の自由に表明せる意志に従い」日本政府が作成した案であるという建前論をごり押しして制定化してしまった。

なぜかという理由について、加藤はマッカーサーが日本を占領統治するに際して天皇制を利用することで、占領にかかるコストと時間を劇的に削減できると考えたからだと分析する。

マッカーサーは1948年の大統領選への共和党からの出馬を狙っていた。そのために、連合国軍最高司令官として速やかに占領を完了したという統治者の実績がなんとしても欲しかった。

そして、天皇制を存続させることへの諸国からの危惧や批判を抑えるために第1条とバーターで第9条2項を作った、というのが加藤の見立てである。


つまり、日本という国の将来のこととか、世界の安定・平和とか、そうした本来あるべき統治哲学やモラルなどではなく、自分が大統領の地位へ近づくための手段として彼は日本国憲法を利用したわけだ。

人や社会への情を持たず、経済性などの(自己にとっての)合理性だけで判断する、これが米国流為政者のプラグマティズムなのだろう。 

トランプもそうしたマッカーサーと同じ系譜にあると考えれば分かりやすい。

ウクライナへ侵攻し、今も多くの人命を奪っている殺略者であるプーチンをアラスカの空港にレッドカーペットを敷いて迎えたのも、彼の狙いを考えれば納得がいく。 

ちなみにマッカーサーは、大統領選で大勝するだろうという当時の米国内の下馬評に反して1948年4月の予備選の場で敗れ、消えていった。

2025-08-16

渋滞高速道路上の快感ホルモン

年末年始とお盆の時期の毎年変わらぬ高速道路風景がこれである。


休みを取って移動する時期をその前でも後でも一週間ずらせば、写真の左側<下り>のようにスイスイ行けること間違いないのに・・・。

人間(日本人)の習慣の粘着性はすごいなと感心するとともに、不思議でならない。

こうした渋滞や混雑によって生じるストレスが、人に快感を感じさせる脳内ホルモンを発生させているに違いない。たぶんね。

2025-08-15

国会議員の「みんなで〇〇〇〇する会」

終戦の日の15日、自民党の閣僚をはじめ、参政党、日本保守党の党首らが靖国神社に参拝した。

例大祭と終戦の日に靖国に行こうという超党派の議員連盟では約50人が一斉参拝した。その議員連盟、名称を「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という。

1981年に結成された団体らしいが、なぜ「みんなで」なんだろうナ。シンプルに「靖国神社に参拝する国会議員の会」でもいいはずなのに。 

なんてこと考えてたら、ふと思い出したのだが、たしか『ツービートのわッ毒ガスだ』(KKベストセラーズ)が出版されたのがその前年の1980年。ビートたけしの大ヒットギャグ「赤信号、みんなで渡ればこわくない」が紹介されている本である。


日本人なら誰もが知るこのフレーズは、実用日本語表現事典によれば「禁止されていることも、集団でならば心理的な抵抗もなく実施してしまえる、といった意味合いの表現」と説明されている。

なるほどね。その「集団でならば」のところを国会議員たちは40年以上にわたって継承しているってわけだ。

そろそろ「自立できない国会議員の会」に改名した方がいいんじゃないか。 

2025-08-14

市長の実績が意味するもの

郵便受けに今月初旬に行われた横浜市長選の投票開票の結果数値を記したチラシが入っていた。

裏面には当選した現市長の「実績」というのが書いてあり、曰わく、

・小児医療費の無償化
・待機児童ゼロ
・中学校全員給食の実施
・学童保育での昼食提供

どれも子どもたちの成長を支援する策で、結構なことではある。が、これが市長の実績かと言われると、大いに疑問がある。

どれも金を使えば実現できるばかり。これらの政策を実現するために必要な資金を市長が追加的にどこかから生み出したなら市長の実績と言っても構わないが、だがそうではなく、予算の使い道を変えただけなら、その実績は市長のそれではなくわれわれ納税者のものということにならないか。

これでは市民としてどっちらけだ。他人の褌みたいなことを実績として標榜するなどせず、もっと力を果たせよと言いたい。

2025-08-12

ほんとうの「日本人ファースト」を

徒歩5分ほどのところにあるホテルの前からバスに乗れば、羽田空港まで直通で40分。海外路線を扱う第3ターミナルへは空港内をバスが少しぐるぐる回るので時間がかかるが、それでもプラス15分くらい。いずれにせよ自宅を出て1時間もあればたどり着ける。

その利便性から成田空港はほとんど利用しなくなって久しい。そんな羽田空港だが、そこから離陸するフライトの飛行ルートをいつも不思議に思っていた。

飛行機が関東周辺から抜け出すにあたって妙なかたちで旋回していたり、急上昇したり、それは上空の気流などの関係かと思っていたのだけど、実はそうではなかった。

在日米軍の特権的地位を定めた「日米地位協定」によって、米軍横田基地が管制する空域は、日本の飛行機は立ち入ることができないことになっているからだ。 

米軍が航空管制を行っているエリア

そのため、われわれが乗る飛行機もそのエリアを避けて飛ぶ。日本の空なのに。日本という国の主権は日本国にあるはずなのに、おかしな話だ。

「日本人ファースト」を主張する政治家たちは、難民申請者や日本で学ぶ留学生たち、海外からの旅行者を目の敵にする前に、この不平等な協定をなぜ問題視しないのか。

飛行エリアだけじゃない。日本に駐留する米軍兵士の数は6万人、その家族(扶養者)が3.5万人、合計約10万人に日本国内でかずかずの特権が与えられている。こうした、誰が見ても明らかな「アメリカ人ファースト」が日本国内でまかり通っている。 

政治家が知らないはずがない(知らなかったら勉強してくれ)。これは一つの例。

何とかしてみろよ、参政党。

2025-08-11

ハルシネーションを楽しんでいたのだが

Chat GPT-5がリリースされたということで、chatgpt.comにアクセスしてみたら

GPT-5 のご紹介

という文字が画面に現れた。そして「ChatGPT のモデルに思考能力が組み込まれ、これまでで最もスマートで、速く、便利になりました。いつでも最適な回答が得られます」とある。
 
ネット上の評では、5になってさらに深い思考に基づいた回答が得られるようになり、ハルシネーションの程度を抑えられるようになった、と書かれている。
 
技術的なことはよく分からないし興味もさほどないが、なるほど使ってみて思うのは、こちらの質問の意図を推測してその答えを探しているような感じがすることである。進化シテルーという実感だ。
 
4oや4.5と比べて推論能力や文脈理解力が上がっていると説明されると、なるほどそうかもと思ってしまうし、ハルシネーションも減少したように感じるのだ。
 
ハルシネーションとは、人工知能によって生成された、虚偽または誤解を招く情報を事実かのように提示する応答のこと。
 
実は、それを結構楽しんでいたところがあった。例えば生成AIにある人物について訊ねてみると、内容はそれなりにまとまっているのだが、顔写真がまったくの別人だったりして笑えた。
 
ハルシネーションの可能性があるから、もっともらしく(自信満々に)画面に現れる内容でも常に少し引いた目で読んでいた。
 
またハルシネーションがあるから、学生が書いたものなどを読んでもすぐにそれ(AI)と気がつくという意味で「便利」だった。 
 
生成AIというのは、こちらが知らない森羅万象の情報や知識を屈指して、推論を働かせながらもっともらしい文章を自信満々に書いて寄こしてくるが、肝心なところを勘違いして嘘をついてる<とっぽい野郎>だったのが、間違うことのない<クールないけ好かない奴>になっていくとしたら、少し残念だ。 
 
生成AIはもっともらしく見せていて、その実、間違うことがあるから人間が介在している。これが間違うことなどないスーパーな存在になったら、人間はそこにどう介在すればいいのか。
 
その時には、われわれは自分のアタマで考えたり判断する必要がなくなっているのだろう。15年後くらいには、世の中の半分ほどの人たちはAIに従属するようになっているかもしれない。
 
AGIやASIという言葉を目にする機会も増えた。それぞれ汎用人工知能(人工汎用知能が正しいと思うが)と人工超知能と言われているもので、ChatGPT-5でもまだAGIに至っていないし、ASIはその遙か先の存在らしい。
 
そうそう、あまり急がないで、ゆっくり進化していって欲しい。
 
誰か地球を止めてくれ、僕はゆっくり眠りたい・・・ 

2025-08-10

どうした、青木

ジャーナリストの青木理がTBS「サンデーモーニング」に出演した際に、約10カ月ぶりにテレビの番組に出演したと語った。

昨年の9月に配信されたYouTube番組での発言をきっかけに、地上波テレビ番組の出演を自粛していたらしい。

彼はYouTube上の番組で津田大介と対談した際、津田から「人々はなぜ自民党に入れ続けるのか?」という講演を予定していることを告げられるとこう言った。「よくこんなテーマで・・・。ひとことで終わりそうじゃない? 『劣等民族』だからって」と。

すると、それに対してSNS上で批判が相次いだ。青木はその後、その発言について謝罪、撤回し、さらに地上波テレビ番組への出演を当面、自粛する考えを表明していたというのだ。

彼が言った「劣等民族」の民族というのは国民を意味してのことだろう。用語センスがいいとは思わないが、この発言の何が問題なのか。特定の誰かを貶めているわけではなく、ただひとつの考えを示しているだけだ。

そもそもこうした発言に目くじら立てる方がどうかしている。青木はそれが分かっていながらネット上でのそうした顔のない批判にひるんでしまった。こんなことで自粛してどうするのか。ジャーナリストとして情けない。

彼がそのとき「謝罪」したのは、一体、誰に向けて謝罪したのか。私たち1億2千万人の国民に向けてか。そうではないとすると、SNS上で批判してきた顔なしたちに対して「スンマセンでした」と素直に頭を垂れたということになる。 

ジャーナリストの矜恃というものはないのかネ。ジャーナリストならジャーナリストらしく、しゃんと背筋を伸ばせよ。

日本を遠く離れたガザでは今もジャーナリストたちが文字通り命を賭し、地獄を目の当たりにしながら日々の惨状をレポートし続けている。これまでにガザで180人以上のジャーナリストが殺害されている事を知らないはずはないだろう。


それにしてもラジオ番組には毎週出ていながら、なぜ地上波テレビは別なのか。そこも理解できない。

数少ないまともな日本人ジャーナリストの一人だと思っていたのだが、ガッカリしてしまった。 

2025-08-09

言葉にならぬガザの現状

今年の4月時点、すでにガザへの爆撃による被害は「広島へ投下された原爆6発分」と専門家によって分析されている。言葉を失う。

2025-08-06

その後の新幹線の喫煙ルームは何に使うのか?

新幹線は昨年の3月、他の交通機関に遅れること10年?くらいか、やっと完全禁煙になった。

ところが新幹線の車両には、不思議なことに今も「喫煙室」が備えられている。


訪日外国人旅行者がこの数年で格段に増加し、新幹線のなかで大型のスーツケースの置き場所に困っている乗客をいつも目にする。他国に比べて日本の高速鉄道(新幹線)には、荷物用のスペースが圧倒的に足らないのである。

「喫煙室」は、写真のような貼り紙をした上で鍵がかけられ開けられなくしているが、みんなが困っているのだからその部屋を荷物置き場として乗客に開放すればいいのに。

そんなことを考えていたら、車掌がたまたま通りかかったので、なぜ喫煙室を乗客の荷物置き場として利用させないのか問うたが、納得いく答えが返ってこない。

サービス業として顧客の利便性をもっと考えた方がいい、海外からの旅行者を中心に多くの乗客が困っているのだとこちらが話はじめたら、「ちょっと用事がありますので・・・」と言って逃げてしまった。 

2025-08-05

「利用規約」は代わりに生成AIに読ませよう

インターネット上で、有料無料問わず各種サービスを利用しようとすると、必ずと言っていいほど「利用規約」だの「プライバシーポリシー」や「個人情報の取扱い」といった長々とした文章を読まされる。

金融機関のサイトはなおさらで、各種規約を読んで「読みました」というチェックを付けないと先に一歩も進めない。消費者保護の観点もあるのだろうが、やり方は明らかに現実離れしている。

先日、ある情報サイトを利用するに際して相手から提示された「利用規約」を、自分で読むのは億劫なので生成AIに読ませ、注意点を指摘するように言った。すると、こんなコメントが出てきた。

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✅ 注意が必要な条項とポイント
1. 利用規約の一方的変更(第3条)
•    リスク:🌑🌑🌑は利用者の事前承諾なく、いつでも規約を変更可能です。
•    注意点:不利益な変更については告知義務がありますが、利用を継続することで自動的に同意したとみなされる点は留意が必要です。
 
2. 会員登録の取消・強制退会(第5条・第8条)
•    リスク:🌑🌑🌑が「不適切」と判断した場合、会員登録を拒否・抹消可能です。
•    特に強い条文:理由の詳細を通知する義務がなく、損害に対する責任も負わないと明記。
 
3. 免責条項の強さ(第16条)
•    リスク:🌑🌑🌑の責任は「故意または重過失がある場合」かつ「直接かつ通常の損害」に限られ、逸失利益・機会損失は対象外です。
•    実質的な意味:ほとんどのケースで損害補償を受けるのは困難。
 
4. クレジットカードに関する責任(第22条4項)
•    リスク:クレジットカードのトラブルは「カード会社との間で解決」とされ、🌑🌑🌑は一切関与しないと明記。
•    注意点:不正利用・二重請求などが発生した場合も、🌑🌑🌑は対応しない可能性あり。
 
5. 返品・交換の条件が限定的(第24条)
•    リスク:
o    外装や広告物の破損では返品不可
o    申請期間は到着から8日以内
•    注意点:商品本体に明確な欠陥がある場合以外、返品が認められない可能性が高い。
 
6. 会員ID・パスワードの利用責任(第10条)
•    リスク:IDやパスワードが第三者に不正利用されても、利用者側の責任となる。
•    実質的影響:盗用されても自己責任になるため、管理を厳重に。
 
7. サービスの終了・変更に関する免責(第14条・第15条)
•    リスク:サービスが予告なく終了・変更されても損害補償なし。
•    影響例:講座やデジタル商品などが予告なしに停止される可能性。
 
✅ 総合コメント
この利用規約は、🌑🌑🌑側に広範な裁量権・免責権限が与えられており、利用者側の保護がやや弱い構成になっています。一般的なEC規約と同様の範囲内ではあるものの、
•       返品条件の限定
•       会員抹消・強制退会の広範な裁量
•       免責条項の強さ
などにおいて、ユーザーは特に慎重になるべきです。

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とても参考になる。自分で無味乾燥な利用規約など読むのはご免だが、これなら読まずとも注意すべきポイントを知ることができる。

それにしても、他の「利用規約」もいくつか生成AIにチェックさせたのだが、ほとんどはこの通り、自分たちの利益を最大化するとともに責任範囲を最小化したものばかりだった。

知らぬは利用者ばかり、である。

2025-08-04

日本の企業にもAI役員が登場

キリンホールディングスが、経営戦略会議にAIが生成した仮想役員を導入するという。

過去の議事録や外部情報を基に、マーケティングや法務など各分野を専門とする12の「人格」が論点提示や情報提供を担うのだとか。 

その目的は経験や直感だけによらず、客観データを基にした迅速な経営判断を手助けするためだとしており、その発想はなかなか結構である。

それらAI役員は、マイクロソフトやグーグルが提供するモデルを基盤にキリンHDが独自に開発したもので、過去10年間分の取締役会と経営戦略会議の議事録を記憶させたという、

なかなか面白い試みで、これまでになかった戦略が出てくるかもしれない。ただ一つ気になるのは、なぜ過去の取締役会や経営戦略会議の議事録をAI役員に取り込んだのか。

果たしてそうすることが、より高度な戦略立案や意思決定への示唆に役に立つのか。むしろ逆効果にならないか。

これまでの経営者たちによる議論や意思決定プロセス、組織内の習慣性癖といったものは一切教えず、純粋に客観的な市場データや顧客に関するデータ、財務データなどから取るべき最適な戦略の策定や意思決定案を考えさせるべきではないのかね。

個人も組織も、間違った思考パターンで猛烈に学習し続けることほど危険なことはない。

私が以前、ある上場企業から社外取締役の就任を依頼されたとき、まず最初にやったことは、その会社の会議室にこもって過去10年間分の取締役会議事録にすべて目を通すことだった。

その目的は、そこに記されている「過去」を理解した上でそれをフォローするのではなく、逆にその会社の経営上の癖を知ることで、そうしたものに自分が組みせずに取締役として適切な意思決定をするためだった。

今回のキリンHDのAI役員たちも、過去の取締役会や経営戦略会議の議事録の内容をそのような狙いで理解し、今後の新たな方向性作りに生かしてくれると良いのだろうが、果たしてそこまでAIが気を利かせてくれるものなのかどうか、私には定かでない。

現在キリンHDには12名の取締役(こちらは人間の)がいるけど、その数は5年後には半分に減っているのだろう。

ところで、「人格」を与えられる12のAIは会議の場で何と呼ばれるのだろう。まさかキリン1号、キリン2号・・・とか。「南極1号」か!

2025-08-03

上條恒彦さん

人の心をふるわせる声というものがあり、僕にとってのそうした声の持ち主の一人が先日なくなった上條恒彦さんだった。

彼は歌手からスタートし、舞台の役者やテレビの俳優としても活躍した。スタジオジブリの劇場用アニメなどで声優もつとめていた。

初めて聴いた彼の歌は『出発(たびだち)の歌』(1971年)で、だがそのレコード(17センチのドーナツ盤)はどこかにやってしまったらしく探してみたけど見つからない。 

『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』(1972年)が見つかり、ひさしぶりにレコードプレーヤーに載せてみた。この歌唱もスバらしい。

上條の歌唱はもちろんのこと、和田夏十が書いた歌詞もまたいい。あの時代の空気の一つを見事にすくい取っている。


2025-08-02

裸足で全力疾走する女

近所を散歩していたら、道の反対側を向こうから上半身はだかの男が疾走してきた。

このあたりは鶴見川土手が近いせいか、ランニングやジョギングをしている人たちと出会うのは日常のこと。だが、その男は白いシャツを手に、上半身はだかで全速力で走っている。というか、逃げていた。

何ごとかと思ってたら、「誰かそのひとを捕まえて〜」と叫びながら、その男を追う女性が現れた。彼女も全速力で駆けている。

続いて小学校高学年くらいの男の子が現れた。彼女を、そしてその先の半裸の男を一生懸命に追っている。その女性と少年は、裸足のままだ。

現場の状況が掴めず、しばし呆然としてしまったのだが、これは普通じゃないなと思い近くの警察署の番号を調べ電話をかけようとしていたら、その女性と少年がこちらへ戻って来た。男に追いつけなかったらしい。裸足が見るからに痛々しい。話を聞くと、逃げた男との間でいざこざがあったようだ。

電話に出た警察の人間に起こっていることを説明し、われわれ3人がいる場所を伝えたのだが要領を得ない。警察署からは車で1、2分ほどの距離。警察署の建物の前からどう進んだらよいか詳細に道案内をしたにもかかわらず、うまく伝わらない。

そこに配属されたばかりなのかも知れないが、それにしてもだ。警察署の建物の中に閉じこもってばかりで、周囲の地理的状況すら頭に入っていないのだろう。

その後、なんとか警察官にその二人の保護を任せて帰宅後、警察署から携帯に電話が入った。あらためてこちらの名前や住所を教えてほしいというのだが、その際、生年月日を訊いてきた。

何のためにそれが必要か訊ねたら「念のため」だとか。訳が分からない。だから代わりに干支と星座を教えてやった。 

2025-08-01

本から遠くへ離れてしまった日本の子どもたち

全国学力テストと呼ばれる全国学力・学習状況調査の2025年度の結果が公表された。調査対象は国内の小学6年生と中学3年生の全員で、国語、算数・数学、理科の科目について実施されたものである。

それによると、各教科で記述式の問題の正答率が過去の調査時より低く、自らの考えを根拠を示して書く力に課題があることが浮き彫りとなったとされている。

またこの調査と同時に行われた、小学6年生と中学3年生の読書実態についてのアンケート調査では、小学6年生の3割近く、中学3年生の4割以上がまったく本を読まない(読書時間ゼロ)と回答していて、その割合は前回、前々回より増加している。


理由は複数考えられるが、そのひとつは子どもたちが本の代わりにスマホを手にして、多くの時間をそれに費やしていることがあると考えられる。 

ヨーロッパやオーストラリアを中心に、子どものSNSへのアクセスを規制する法制度が成立する動きが出てきた。規制対象となる年齢は国によって多少異なるが、だいたい16歳未満が多い。

オーストラリアでは16歳未満のYouTubeのアカウント作成も禁止されることになり、動画をアップしたりコメントを書いたり、また一部の動画閲覧ができなくなる。 

こうした規制の考え方は正しいと思っている。まともな大人は、国を問わずこうした考え方をするものだ。これからの問題は、どのように実効性のある規制を実現するかだが、技術を用いたスマートな方法論が早急に確立されることを期待する。もちろん、日本でも同様に子どもたちのSNS規制が望まれる。

SNSへの「浸かりっきり」がイジメや暴力的行為を助長しているのは明らかだし、これ以上日本の子どもたちの学力が落ち続けないうちに、国が早めに手を打つ必要性が明らかになっている。 

2025-07-31

KDDIによる契約改ざん

3日前、KDDIから電話があった。それは、前回「確認してご連絡します」と彼らが言ってから10日が過ぎてのこと。
https://tatsukimura.blogspot.com/2025/07/blog-post_18.html

契約している料金プランが、知らぬ間に勝手に変更されていたことへの説明のための電話だ。

結論から言えば、そこでKDDIは契約内容(料金プラン)を自分たちが勝手に変更したことを認めた。 

そもそも今回のやり取りは、料金プランそのままで携帯電話を新たにKDDIで買い換えたことからだった。ところが、その契約を締結したのちにKDDIの社内都合で現行の料金プランを継続できないことが判明したと言う。

そのため、請求内容の内訳の数字を操作し、トータルの金額を以前と同じに調整することで発覚することを隠蔽していた。 

本来は契約者に対して契約内容変更の許可を得る必要があるはず。にもかかわらずKDDIはダマテンでやり、それを認めている。

違法ですよ、とのこちらの指摘を受けて、本日KDDIから「ご契約内容のご案内」なる文書が郵送されてきた。

そこには当初の(本来の)契約内容が書かれていた。今回、辻褄を合わせるために修正したものを送ってきたのだ。ただし、「お客様にご契約いただきました内容についてご案内いたしますので、内容のご確認をお願い致します」とだけ書かれ、自分たちの契約改ざんに対する釈明も謝罪の一言もない。

しかも、「ご契約の内容」を明記した文書の受付日は、バックデイトの日付が印字されていた。自分たちがやったマズイことは活字にはせず、しれっと覆い隠してなかったことにする手口である。

通信会社のやり口ってのは、そもそもこんなもんなのかね。あきれた遵法精神の企業である。今回たまたまバレただけで、どこも似たようなインチキをやっていると思った方がよい。

契約担当の社員ですら、自社の料金プランが複雑すぎてどうなっているのかキャッチアップできていないという面もありそうだ。

880トンの道程へ1グラム

東京電力福島第一原子力発電所の爆発後処理は、あの3.11から14年以上過ぎてもまだデブリの取り出しが始まっていない。

国の専門機関「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」は、2030年代初頭と見ていた取り出し開始時期が2037年以降になると明らかにした。

よく読むと、開始できるまでにこれから12年から15年かかるから、ということ。つまり、開始できる時期が2037年〜2040年頃だと言っているわけさ。

だが、こんな説明は眉唾だと言っておく。

なぜなら、現時点で実際に取り出しに成功したのは1グラム(正確には0.9グラム)。一方、取り除かなければならない原発内のデブリの量は880トン(1〜3号機)と推定されている。

あるペースで既に取り出し作業が続けられているのならば、「このペースで取り出し作業が行われれば・・・」という話にもなろうが、まだどうやって取り組んでいいのかすら分からない状態。

そもそも、このデブリは高放射線、高温、その形状も位置も不明で、取り出し作業は世界でも前例がない超難関作業と言われている。だから周囲のあらゆるもの、人はもちろん、水の処理や環境にも細心の注意と配慮が求められる。 

さらには、取り出した880トンもの高放射線デブリをどこに保管するのか、どこでどうやって最終処分するのか、まだ何も決まっていない。保管場所すら決定できないのに、取り出しに一所懸命になってどうするのか。 

これが現状だ。12年〜15年経てば取り出し作業を開始できると言われても、その根拠が見えない状態でそんな話を信用できるわけがない。

責任者の定年が12年後に控えているから、というのがこの数字の背景にあるんじゃないかと疑いたくもなる。 

2025-07-30

「現役」とは、「人生」とは

日経新聞の社会面に「生涯現役『人生2倍楽しむ』」の大きな文字が躍る。

2025年7月28日、31面

記事には、市役所の職員を定年退職後に弁護士の資格を取得し、現在は法律事務所に所属して相続問題を主に手がけている男性が取り上げられている。 

セカンド・キャリアのひとつの例として紹介されているわけで、役所関連の何とか協会なんてのに天下り再就職するのでなく、自らの意思で獲得した新しい職に打ち込むその人の姿はすばらしいと思う。

一方、この記事から「現役」とは何か、また、この場合の「人生」とは何かということを考えさせられてしまった。

この記事を書いた人は、社会の中で職に就いている人たちだけが「現役」であり、そうした職に従事することが「人生」だと考えているように思う。

だが世の中には病気のため、あるいは重い障害を抱えているためにずっと職に就かず、または就けないまま過ごしている人たちもたくさんいる。ヤングケアラーと呼ばれる、家族の介護のために仕事に就けないでいる人たちもいることだろう。

さらには専業主婦(主夫)たちもまた、この記事の視点からは「現役」からはずれたものとみなされ、一生「人生を楽しむ」状況とは無縁の存在と定義される。

こうした記事が掲載された根底には、「現役」というのは組織で働くなど、社会との関わりのなかで生産活動に従事することだとする固定観念が横たわっている。

病床にある人たちも、障害が理由で職に就けない人たちも、また専業主婦らもそれぞれの意味で「現役」であり、各人の「人生」は確実にあるはずなのに。

そうした当たり前の視点を忘れている。