このブログのタイトルについて、どういう意味なのか質問があった。
あらためて辞書で意味を確認したら、観天望気とは「雲や風や空の色などを目で観察して,経験的に天気を予想すること」とあった。まあ、ざっとそんな感じか。
辞書の定義を少しだけ修正すると、観察するのは必ずしも目だけとは限らない。風や湿度や気圧の変化は視覚でなく体で感じて、その変化からこれからどうなるか推理を働かせる。
そうやって知識と経験と体の感覚すべてを使って天気を読むのは簡単ではないが面白い。
観天望気の技術を身につけたのは学生時代。何日も山に入っていると、先の天気がどうなるか分からない。しかも山の天気はただでさえ変わりやすい。安全に登山を続けるためには翌日、翌々日の天気がどうなるか正確に予見することはとても重要になる。
だから夜10時になると、テントの中でポケットラジオから聞こえてくる気象通報をもとに天気図用紙に日本各地の気圧、風向、風力、気温を書き込み天気図を描き、翌日以降の天気を自分で予測する。
天気の流れを知るためには、高気圧と低気圧の位置を知ることが大切だ。また等圧線のかたちも重要な情報になる。
陽が沈む夕暮れ前にはテントの外で空を眺めて雲の高さや空の色、風の具合も確かめておくことを忘れない。
当時、そうやって作成した天気図から予想した現地の天気は実によく当たった。自慢じゃないけど(と言って自慢しているが)。
ほとんど山には行かなくなった今でも、朝起きるとまずベランダに出て空を見上げ、味わうように空気を深く吸い込むのは、その頃の名残である。
そうやって目に映る雲の状態のほかに、体で感じる気温、湿度、風、そして気圧の変化(これはCASIOの腕時計が教えてくれる)から天気を読む。
けれど、実際に観天望気で分かるのは、せいぜい今日は一日雨に降られずにすみそうだ、とか、午後から一雨来そうだというレベルである。
今、手元のスマホにウェザーニュースのアプリが入っている。無料版。それでもアプリの「レーダー」でこれからの天気の変化がピンポイントで分かり、とても重宝している。
進歩した情報技術のおかげだが、気をつけなければとも思う。こうしたお天気アプリに慣れてしまうと、自分で空を見て天気を読むチカラを失ってしまいそうな気がする。
それはクルマを運転するときに毎度ナビを使っているといつまで経っても道を覚えず、方向感覚や距離感覚が鈍っていくのと似ている。
万一、高度な技術ツールが使えなくなったとき、生身の体一つでどれだけ対応できるかが人間に欠かせない力だと信じている。
だから、このブログのタイトルは観天望気。周りの表層的な言説に左右されず、自分なりの感覚を頼りに社会という天気の先を読んでいくつもり。