2021年5月15日

僕が日本の新聞とテレビを信用しないわけ

日本政府はいまだに東京五輪を開催するつもりらしい。ただ、首相や五輪関連の大臣の答弁からは、そこにどういった道義があるからという説明は聞こえてこない。

一旦決めたことだから、決まったことだから、やる。自分たちではどう「中止」していいか分からないから進めるしかない。そんな感じがする。

世論調査では、日本人の7割以上がこのコロナ禍での五輪へ反対もしくは延期を希望している。これに耳を貸さない政府も政府だが、こうした調査結果をニュースとして流すだけでメディアとしての主張をはっきり述べない日本のマスコミは何なんだろう。

大手の新聞社、テレビ局のことだ。個々の番組では、出演者が開催への反対意見を述べているのを見るし、新聞では反対への投書意見の掲載や外部論者のコラムを掲載している。

だが、だからといって、それで済むものではないだろう。ジャーナリズムを生業とする新聞社、あるいはテレビ局としての意見をはっきり出すべきだ。

その理由を僕なりに考えると、ひとつには新聞、テレビといったマスメディア企業の事なかれ主義。色んな意見を紙面で「紹介」するだけで、自分たちの明確な考えは示さないことによって非難を受けたりしないようにしている。

ふたつめは、いまの時流の中で五輪賛成を表立って謳うことはできないが、実は開催を願っているから。開催されればテレビも新聞も五輪報道で活気づくのは明らか。自分らのビジネスへの影響を考えると、このままやって欲しいと願っている。

反対をはっきり述べているのは、いくつかのラジオ局だけだ。彼らには、テレビや新聞ほどの影響力がなくて政府から強く睨まれることがないことと、直接的な大きな利益関係もないからだろう。

テレビも新聞も、僕が主に外国のメディアを通じて情報を得るようになったのは、こうしたことからなんだ。