2021年3月28日

ノマドは「流浪の民」ではなくライフスタイル

映画『ノマドランド』が公開された。主役は、スリービルボードでアカデミー書を受賞したフランシス・マクドーマンド。主人公のファーンと等身大の人物像を演じている。

ファーンは夫が亡くなった後も、それまで2人で暮らしていたネバダ州のエンパイアという街企業城下町で暮らしていたが、そこの中心をなしていた鉱山会社が破綻し住民がいなくなり、やがてその地域の郵便番号すらなくなった。

62歳(マクドーマンドの実年齢と同じ)のファーンは、ライトバンに必要最小限のものと思い出の品(数枚のお皿など)を積み込んで街を後にした。そのバンで寝泊まりし、季節労働者として働きながら生きていくためだ。

映画で彼女が働く場所として最初に描かれるのがアマゾン。巨大な屋内競技場を思わせる広大なアマゾンの倉庫。そこでは彼女のような非正規の労働者がたくさんいる。しかし、ブラック感などない。仕事は仕事だ。会社のランチで談笑する仲間たちもいる。

映画に登場する「ノマドたち」は、それぞれの定住地で仲間たちと交流し、情報交換し、不要になったものを互いに物々交換し、助け合って生きている。単に無目的に流れて放浪しているのではないし、その意味で流浪の民なんかではない。ファーンはスーパーマーケットで子どもから「どうしてホームレスになったの?」と聞かれ、「私はね、ホームレスではなく、ハウスレス」と答える。 

辞書にはノマドを遊牧民、放浪者、流浪の民としていて、 この映画の広告コピーにも「流浪の民(ノマド)」という言葉が使われているが、これは正確ではない。ノマドにはコミュニティがあり、新人のノマドに車上生活者として生きるためのいろいろな技術を教えるベテラン・ノマドによる講習会(もちろん屋外の広っぱで)なんかが開かれている。作り話ではなく、実際にそうなのだろう。

映画の中で Nomadism という言葉が語られていたので、さっき調べたらエンサイクロペディア・ブリタニカの辞書でこんな説明があった。

Nomadism, way of life of peoples who do not live continually in the same place but move cyclically or periodically. It is distinguished from migration, which is noncyclic and involves a total change of habitat. Nomadism does not imply unrestricted and undirected wandering; rather, it is based on temporary centres whose stability depends on the availability of food supply and the technology for exploiting it.

やっぱりノマドは放浪ではない。同じ場所に継続的に住むことはしないが、定期的に移動をする人たちのライフスタイルと定義されている。まさにモンゴルの遊牧民のように、季節に応じて家畜に与える草が豊かな土地を順繰りに回って過ごすような生活様式のことなんだ。

映画には、本物のノマド生活者がたくさん登場する。というか、ひょっとしたらマクドーマンド以外の登場人物はみんな本物のノマド・・・。だから、エンドタイトルに出てくる登場人物の名前はそのまま劇中での名前と同じだったんだナ。

バンで寝泊まりするきっかけやその理由はそれぞれだろうが、すべてのノマドが帰る家がないわけではなく(実際、映画のなかでも元の家庭にもどったノマドの家にファーンが招かれるシーンがある)、むしろそれまでの社会と自分を切り離して自由に生きたいとの思いからと感じた。

ファーンに悲壮感はない。彼女はアメリカの普通の女性として描かれている。ただそうした彼女の奥底にある、ある種の覚悟のようなもの、それといくらかの哀しみがこの映画全体の支えになっている。

映画を観ていて、しんどそうだけど、憧れもしたね。つい自分ならどんな車でノマドろうかと考えていた。

I'll see you down the road...