2021年7月11日

夏の大三角

このところ雨が多い。梅雨の季節だからといっても、九州での例年にない大雨続きは心配である。

天気予報で、線状降水帯という言葉をよく聞くようになった。

気象庁によれば、それは「次々と発生する発達した雨雲(積乱雲)が列をなした、組織化した積乱雲群によって、数時間にわたってほぼ同じ場所を通過または停滞することで作り出される、線状に伸びる長さ50 - 300 km程度、幅20 - 50 km程度の強い降水をともなう雨域」となっている。

簡単に言うと、それは複数の積乱雲の集合体。なぜ発生するかというメカニズムは解明されていないらしいが、日本ではとりわけ九州と四国で多く発生している。もちろん日本国中どこでも発生する。

そんな雨模様がつづくなか、昨夜は久しぶりに空が晴れていたおかげで星が見えた。といっても見えるのは、一等星だけだが。南の空に木星が大きく輝き、その西には土星が。

さらにその西にはベガを頂点として、アルタイル、デネブが形づくる夏の大三角形が見えた。

ベガは織姫星、アルタイルは彦星と呼ばれている七夕の星である。

2021年7月10日

まるでブラック校則みたい

五輪の組織委員会が作成した観客の行動ルールについての指針に首をかしげる。

一都三県の会場は、無観客での試合運営をすると決まったが、他県で観客を入れで実施する際には種々の制約が観客に与えられるようだ。

例えば、マスクの着用。大きな声で応援しない(応援に行ってるのに) 。アルコール類の持ち込みは厳禁で、会場内でも販売しない(真夏の空の下での観戦なのにビールが飲めない)、グループで食事しない、通路で食事しない、、、

なかでも一番あきれたのは、直行直帰をするようのとにお達しである。

小学生の時、学校の先生から、買い食いをしちゃだめとか、寄り道をしないでまっすぐ家に帰りなさいと言われたのを思い出したよ。

応援している選手やチームが振るわなかったら直行直帰した方がいいかしれなけど、そうじゃなかったら誰が直行直帰なんてできるんだろう。 

そんな必要以上に折り目正しいというか、生真面目すぎるというか、阿呆な行動を国民がとれると彼らは思っているのだろうか。

2021年7月9日

聖火とは「神に捧げる神聖な火」

東京五輪の組織委員会が、東京及び首都圏三県での競技場を大会中も無観客にすると決めた。

いろんな考えや思わくがあって決定が遅れたのだろうが、種々の連鎖的影響を考えればあまりに遅すぎ、身勝手である。各自治体はもちろん、競技場周辺の施設や店舗は一様に戸惑っている。

無観客での五輪大会開催は、当然外国のメディアでも大きく報道されていた。それらのなかでは、聖火が東京に今日着いたとのニュースもあわせて報道されてたのだが、それらのニュースで聖火は Olympic Flame(オリンピックの炎)って呼ばれていた。あるいは Torch(松明)と。

そこには「聖」(sacred, holy)の意味付けはない。

いったい日本でいつからOlympic flame が聖火と呼ばれるようになったのか知らないが、そうした妙なニュアンス付けが単なるスポーツゲームであるオリンピックに添えられてしまったことで、それを意味もなく神聖化し、合理的で速やかな意思決定を始終阻んでいるように思うのは僕だけだろうか。

辞書によると、聖火とは「神に捧げる神聖な火」らしいが、今の政府や五輪組織委員会にとっての「神」とはいったい何を指すのか。

それは、今回の大会によって全世界で少なくとも約30~40億ドル(3300億円~4400億円)という途方もない放送権料を得る国際オリンピック委員会(IOC)だ。

2021年7月5日

こうした死に方があってもいい

映画「ブラックバード」の登場人物は8人。スーザン・サランドンとサム・ニールの夫婦とその2人の娘の家族、そしてサランドンの学生時代からの友人。これら8人以外は誰も画面に登場しない。

まるで舞台を見ているような感じで、3日間の物語が進む。海辺近くの瀟洒な一軒家とその周辺の風景だけが描かれる。デンマーク映画のリメイクらしい。本作の脚本は、オリジナル映画の脚本家であるデンマーク人が務めた。

主人公はスーザン・サランドン演じるベビーブーマー世代の女性。60年代から70年代に青春を送ってきたんだろう。いまもやけに威勢がいい。子供らにも小さなときから「創造的に生きろ、自由に生きろ、強く生きろ」と檄を飛ばしてきたみたいだ。それが娘たちには、心の傷にもなっている。

話の途中で彼女は「あの頃、自分も気持だけはウッドストックに行った」と話したり、食事の最後にみんなにマリファナを回したり、きっとあの頃ラブ&ピースの洗礼を受けて、いまもその残滓を胸に生きているだろう。彼女の学生時代からの親友がレッド・ツェッペリンのTシャツを着ていたのは、演出的にはちょっとやり過ぎに思えたけど。

当時の世の中に反抗し、自由と平和と愛を謳いながら、結果として社会的に成功したかつてのフラワーチルドレンがどう人生に幕を下ろすか。

スーザン・サランドン演じるリリーは、今はまだ元気だが不治の病を患っており、近いうちに体の自由がきかなくなり、寝たきりになると告げられている。まだしっかり意識があって、なんとか自分の足で歩けるうちに自分で自分の人生に幕を下ろすと決め、そのために家族を自宅に呼んだ。

最後まで自由で、自分のことには自分で落とし前を付ける主人公には、見るからに意思の強そうなスーザン・サランドンは適役だった。これがメリル・ストリープならいささかメロドラマ的になっただろうし、ダイアン・キートンならもっとセンチメンタルになっただろう。

そうした意味で、この映画はキャスティングがとても上手くいった作品。 

ちなみにアメリカではワシントン州やオレゴン州で安楽死が認められているそうだ。


2021年7月4日

タイガー立石展

ついうっかりしていた。手帳を開いて、今日がタイガー立石の展覧会「大・タイガー立石展」最終日だと気づいた。

雨が降っている。でも見逃すと、次の開催地へ遠路出かけなきゃならなくなる。そう思い、急いで千葉市美術館へ向かった。

タイガー立石。1941年生まれ、1998年に56歳で亡くなっている。本名、立石紘一。その後、名前をタイガー立石と変え、またその後に立石大河亞と名前を変えた。

絵画だけでなく、イラスト、マンガ、立体、絵本、陶芸、掛け軸、巻物まで、さまざまなものを対象にして奇想天外な表現を続けた。

彼の作品のアイコンのひとつは、頭の上にひらめき電球をのせた緑色の虎。時に、その手にコーラのボトルをしかと握っている。それは、シュールな独特なキャラクターを数々描いた杉浦茂をどこかで彷彿とさせる。

デ・キリコやダリ、アンリ・ルソーなんかの影響もたくさん受けている。歌川国芳の作風を拝借したレコードジャケットなんかもあったりして。見ててほんと飽きない。

展示会場では「新型コロナ感染防止のため、会話はお控えください」というプラカードを係の人が持っているのだが、方々でクスクスと笑い声が漏れ聞こえてくる。僕もタイガーの絵に何度も思わず笑ってしまった。




2021年6月27日

久米宏がマスメディアから消えて1年

ちょうど1年前の今日、それまでTBSラジオで土曜日の昼間にやっていた「久米宏 ラジオなんですけど」がほとんど唐突に番組を終了した。

辛辣で真っ当な政権批判、五輪開催への疑問などをほぼ毎週繰り返していたせいだろう。当時の安倍首相を正面からこき下ろしていたからね。僕ですら、これじゃあ官邸が黙ってるはずないと番組に耳を傾けながら思っていたくらいだ。

タイプはまったく違うが、久米は日本のマイケル・ムーアと言えるような存在だと思っている。マイケル・ムーアはジャーナリスト感覚に優れた映画監督、久米は同様にジャーナリスト感覚のあるラジオ・パーソナリティ。どっちにしても、知性と勇気、筋が通った姿勢がないとなかなか務まらない。それとユーモアのセンス。

ジャーナリズム不在の現在の日本のメディア状況。僕が目にする限りにおいてだけど、これはというのがTBSの「報道特集」くらいしかないのは情けない気がする。

それぞれの現場には知性と勇気のある記者やレポーターはいるんだろうけど、筋を通せるプロデューサーがいないってことなのかね。

2021年6月25日

サブスク? なぜ横文字か

昨日のゼミでの学生らの議論の中で「サブスク」がトピックスのひとつとしてに出ていた。トヨタのKINTOが成功か、それとも失敗かなんて話題だ。

KINTOというサービスについては、そのプロジェクトのそもそもの目的とゴールが何なのかが分からなければ、はたから眺めてただ現時点で利用客数が伸びてないとか売上高がいくらだとか、そうした理由で失敗と勝手に判断するのはピントがずれている。

それはそうとして、なぜ「サブスク」? 原語はSubscription。もとは雑誌の定期購読のこと。

デジタル財の分野では各種のインターネットプロバイダーはもちろん、ネットフリックスやスポティファイがそうなんだろうが、サブスクは会費制と何が違うのか。NHKの受信料(視聴料)もその一種だ。

基本的にサービス業で用いられることの多い商売のやり方(気取った奴はそれを「ビジネスモデル」とか言う)で、限界コストが低い場合に採用され、それによって企業は継続的な売上を期待する。

なにもサブスクなんて言わなくても、<定額制サービス>と言えば誰にでも分かる。

月に何回行っても追加費用がかからないスポーツジムなんかもそう。ずっと昔からあったサービスだ。でもサブスクなんて分かったような分かんないような言葉で言われると、何か新しいものが登場してきたかのように聞こえるのかも知れない。

ただ気を付けて欲しいのは、英語でも日本語でもないカタカナ用語を疑問もなく使っていると、正確な意味の理解が欠落したままになってしまうぞ。

そもそも「サブスク」という言葉、日本語として美しくない。

2021年6月20日

「いいね」ボタンが奪うもの

おそらくインターネットを使うほとんどの人が、Facebookなんかの「いいね! ボタン」(Like Button)を押したことがあるに違いない。

ただクリックするだけ。手間もコストもかからない。それで、なんだかその書き手とつながった気になれる。押された方も厭な気はしない。それでささやかな承認欲求を満たすことができる。

誰が最初に考えたのか知らないが、本当に良くできた仕組みだ。

これもコミュニケーションのやり方のひとつ何だろうけど、そうやって表面的形式的なやりとりで安心したり、少しばかりいい気分になることで無くしていっているものもある。 

何も言葉を発することなく、画面のボタンを押すだけなら猿でもできる。何も考えずにテレビなど見ながらでもできる。思考ではなく条件反射。

こうして「見せかけのコミュニケーション」にわれわれは益々乗っかっていくのだろう。本音の話、簡単に答えなど出ないややこしい議論自体が時代遅れになっていっている。その原因の一端が、あの小さな「いいね!ボタン」にあるんだよ。


2021年6月14日

CM界の才人がまた逝ってしまった

小林亜星さんが亡くなった。

ひと月前には、日立のCMで今も使われている「この木なんの木」を小林さんと一緒につくった伊藤アキラさんも亡くなった。二人ともきら星のような才人だった。

小林亜星さんがつくったブリジストンのCM曲「どこまでも行こう」は、僕がその後広告の世界に行こうと思ったきっかけとなった一曲。それと、サントリーの「夜が来る」。


 

伊藤さんとはラジオCMの仕事で何回かご一緒した。言葉を限られた時間の中で音にのせる術をスタジオで見せてもらい、学ばせてもらった。

亜星さんとは雑誌の仕事で、ご自宅に取材に伺ったことがある。奥さんともども丁寧に対応してもらったのを昨日のことのように思い出したヨ。

才能が輝くスゴイ2人だった。広告という小さな世界に、こんな人たちがいたという僥倖を感じる。そうした時代だったということだろう。高度経済成長期に現れた、夢のような時間の一コマだ。

2021年6月11日

「ラフな」大臣

国が行ったアプリの開発事業に応札し、開発を請け負ったNECへの支払いに関してデジタル改革大臣の平井氏が妙な発言をしたと報じられている。

https://www.asahi.com/articles/ASP6B73PZP67TIPE01M.html?oai=ASP6C3GDKP6CULFA001&ref=yahoo

73億円で発注したものを、後に自分らの都合で予算を38億円の契約に変更した。

もともとの発注金額が妥当だったかどうか知らないが、すでに開発が終了しているプロジェクトについて、周りからの圧力があったからとか、野党から金額について問いただされたからという理由で一方的、超高圧的に契約をねじ曲げるのはおかしなはなしだ。

その際の相手企業を「徹底的に干す」とか「脅しておけ」とか、まともな大人が吐く台詞ではない。

後にその大臣は、自分の言葉について「 ラフな表現になった」と、それこそ大臣としては実にラフな表現で釈明したが、ラフ(rough)には「ありのままの」「未加工の」といった意味がある通り、本心からの言葉を言ったと受け取っておこう。 

2021年6月6日

京都・清龍殿

本格的な梅雨の季節が訪れる前に京都へ。錦小路通りの膳處漢ぽっちりで冷やし中華と点心の昼食を済ませた後、四条通りを東へ散策。

途中でタクシーを拾い、東山・八坂神社の裏手にある青龍殿にのぼると裏手に広い木製のテラスがあり、そこから京都の町を一望に見下ろすことができる。

時節がらだろう、人はほとんどいなくて実に静か。山上の庭園には大隈さんが植樹した松と、その記念碑があった。

見晴らし台でしばらく静かな風を楽しむ。駐車場近くにコーヒーを販売しているバンが駐まっていて、そこでハイネケンとエスプレッソを注文。

コロナ禍でバスの運行が止まっていると聞き、山道を歩いて下ることにする。知恩院か円山公園へおりるのだろうと思ったら、やっとたどり着いたのは東大谷墓地という広大なお墓だった。これもまた京都らしい風景。



2021年5月31日

あれから1年

若山弦蔵さんが亡くなった。今年は2月に森山周一郎さんも亡くなった。

ふたりとも80代後半だったから、しかたないね。お二人は昭和の時代からいぶし銀の声を聞かせてくれた。

ショーン・コネリーの声は若山弦蔵さん以外あり得なかったし、テレビで見る映画のジャン・ギャバンの声は森山周一郎さん以外考えられなかった。

森山さんにはあるラジオの仕事でご一緒したことがある。30年以上も前のこと。若造のぼくの演出にも真摯に耳を傾けてくれた。

ラジオから聞こえてくるその「声」だけで、いろんな人や風景を思い起こさせてくれる人というのが、もういなくなってしまったように思う。

ラジオというのはイマジネーションのメディア。僕の耳には、吉本のお笑いコンビがいくら早口でまくし立てても、若者に人気のなんとか坂46のムスメらがマイクの前ではしゃいでも、何も浮かんでこない。

ところで、今日で5月は終わり。1年前の今日、日記にこんなことを書いていた。「今日で5月はおわり。明日から緊急事態宣言が部分的に解かれることで、人の移動が少しずつ始まるのだろう。何が変わり、何が変わらないのか見ものである」

あれからちょうど一年が過ぎたが、なんにも変わってない!

2021年5月30日

ヒロシ君、君の言うとおりだ

裏の鶴見川沿いの土手を散歩してたら、ご近所のSさんに会った。今日は天気がよくて、風が気持ちいい。Sさんとは久しぶりで、立ち止まり挨拶をかわした。

その僕たちの横を、マスクを着けた20代のランナーが駆け抜けていった。

それを横目で見て、Sさんが「あれ、苦しそうですね」と言った。吹きさらしの土手の上をマスクをきちんとつけて息を切らせてジョギングしている、いま走りすぎた男性のことだ。

その通りである。僕が「ここでマスクなんかしなくてもいいのにね」と笑うと、Sさんの足下に立っていた小学2年生のヒロシ君が、「そんなの考えればわかるじゃん」と呟いた。

そうなんだよ、ヒロシ君。でもね、ヒロシ君よりたくさんのことを知っているはずの大人たちが、ヒロシ君にも簡単に分かることが分からなくなっている。

年齢じゃない、知識の量でもない、考え方なんだ。これを「シコーテイシ」って言うんだよ、ヒロシ君。

2021年5月29日

映画観ろよ、電車乗れよ

東京都など9都道府県で新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言が延長されるようになった。

それにあわせたかたちで、都内などで休業要請がなされていた映画館は午後9時までの営業が可能になる。今さら何を。どういう理屈か分からない。これまでなんで自粛が必要だったのか。

再開を認める映画館の営業については、収容人数の50%を上限にするという。誰が決めたのか知らないが、劇場に足を運んでみろよ。

今日、横浜市内にある東宝系の映画館(シネコン)に行ったが、実に閑散としていた。こんな時期だからさ、しょうがないよな。僕が観た映画なんか、今回のアカデミー賞受賞作であるにかかわらず、客の入りは収容人数に対して3%(100席あたり3人)くらいか。

これが映画興行ビジネスの今の現状。わざわざ上限50%を設定するなんて、映画館に足を運ぶことなどしていない連中の考えだと分かる。ここのところずっと映画館は、いつ、どこの劇場に足を運んでもガラガラだよ。気の毒になる。

ところが、劇場に向かうために利用する電車や地下鉄はいつも満席・密で、厭な感じだ。こっちの方こそなんとかするべきだろう。政治家や高級官僚は、電車やバスで移動するわけじゃないからそれがわかんないんだろうな。

そういえばJRは、緊急事態宣言が出されたとき山手線の運行本数を削減し、その結果、電車内がいっそうの密になったという。当たり前のこと。

だがそれを要請した国土交通省はそのことに対して、「運行本数を減らせば利用者が減ると考えた・・・」と語ったとか。

明らかに論理が間違ってるが、小学生でも分かるその程度のことが役人には分からないのだろうか。

2021年5月27日

「フクシマの嘘」

ベルリン在住の作家、多和田葉子さんが書いたもので、ドイツの公共放送局(ZDF)が3・11後に製作した「フクシマの嘘」と題された番組について知った。

YouTubeで探したら、幸いなことに日本語字幕付きで掲載されていた。

 
福島の原発で、東日本大震災後に何が起こっていたのか。それらのなかで何が我々に知らされ、何が知らされなかったのか。知らされなかった多くのことは、未だに隠されたままだ。

あらためて実に悪質な東電の姿勢に呆れかえる。自己保身の塊であり、形を変えたある種のテロとも言える。

2021年5月22日

利用者軽視が生んだ情報漏洩

婚活アプリの利用者がこんなにたくさんいるなんて・・・。

Omiai という名の婚活アプリの会員情報が「流出した可能性が高い」という。ということは、なんのことはない。流出したということだろう。訳の分からないマーケットに渡ったその個人情報の数、171万人分。

会員の年齢構成を仮に25〜55歳とすると、その年代の日本の人口は約4,770万人なので、その3.6%、28人に1人の情報が流れ出たことになる。

漏れたのは運転免許証や保険証、パスポートなどの画像データ。暗号化されてなかったというから、丸見えだ。

そのアプリを運営するネットマーケティングという会社によれば、トラブルなどに備えて退会後も10年間は保存しておく社内規程にしているといい、すでに退会した元会員のデータも含まれているというから呆れる。 

トラブルに備えてというのであれば、サーバーなどにデータ保管しておかず、オフラインで、そして何よりも暗号化しておけばよかったはず。

ネット企業の考え違いのお粗末な企業姿勢であり、ほかでもない自分らがトラブル発生の元凶になった。

お客さんが気の毒。

2021年5月16日

「承知していない」を承知できるか

政治家や官僚が話しているのを聞いていて、何が言いたいのかよく分からず、ついイライラすることがある。

理由はたくさんあるが、そのひとつが彼らが頻繁に使う「承知」という言葉にある。

例えば、LINE利用者の個人情報が長年にわたって中国にある業務委託先企業でアクセス可能になっていたことを巡っての政府会見で、加藤勝信官房長官は政府高官の情報が中国側に流出したかどうか問われ、「事実関係をまず確認しており、必要に応じ適切に対応していくことになると承知している」と述べた。

ヘンな日本語。普通なら彼の回答は「事実関係をまず確認しており、必要に応じ適切に対応していく」でよい。

また、菅首相がLINEを利用しているか記者団から問われた際には、「使っておられるか承知していない」と回答した。

辞書によれば、承知の意味には以下の3つがある。

①知っていること。「いきさつは承知している」
②聞き入れること。「解約の件は承知できない」
③許すこと。「そんなことしたら承知しないぞ」

さて官房長官の「承知」はどれだろう。 

政治家や官僚が「承知していない」を使っている際には、注意する必要がある。「知らない」ことを言っているのか、「聞かされてない」と言っているのか、聞かされてるが「よく理解していない」と言いたいのか、理解しているが「自分は聞き入れてない」と言ってるのか、あるいは「許さない」と言ってるのか。

どれも「承知」の一言で彼らは表現する。きわめて曖昧で玉虫色だ。真に意味するところは、われわれ国民には到底分からない。

そういえば、「桜を見る会」に関係する懇親会について、政治資金収支報告書に3000万円ほどの収支を記載しなかったとして、安倍前首相の公設第1秘書が政治資金規正法違反の罪で略式起訴された際、安倍前首相はその3000万円の原資について「承知していない」と言い張った。

自分の事務所内で3000万円の金が動いているのを一切知らないとは考えにくい。だから彼は、「知らない」ではなく「承知していない」と繰り返した。政治家や官僚が昔から使う「記憶にありません」を繰り返すのと同じレトリック。

相手に分かりやすく、普通のことばで考えを伝えること。それが当たり前だと思うのだけど。

2021年5月15日

僕が日本の新聞とテレビを信用しないわけ

日本政府はいまだに東京五輪を開催するつもりらしい。ただ、首相や五輪関連の大臣の答弁からは、そこにどういった道義があるからという説明は聞こえてこない。

一旦決めたことだから、決まったことだから、やる。自分たちではどう「中止」していいか分からないから進めるしかない。そんな感じがする。

世論調査では、日本人の7割以上がこのコロナ禍での五輪へ反対もしくは延期を希望している。これに耳を貸さない政府も政府だが、こうした調査結果をニュースとして流すだけでメディアとしての主張をはっきり述べない日本のマスコミは何なんだろう。

大手の新聞社、テレビ局のことだ。個々の番組では、出演者が開催への反対意見を述べているのを見るし、新聞では反対への投書意見の掲載や外部論者のコラムを掲載している。

だが、だからといって、それで済むものではないだろう。ジャーナリズムを生業とする新聞社、あるいはテレビ局としての意見をはっきり出すべきだ。

その理由を僕なりに考えると、ひとつには新聞、テレビといったマスメディア企業の事なかれ主義。色んな意見を紙面で「紹介」するだけで、自分たちの明確な考えは示さないことによって非難を受けたりしないようにしている。

ふたつめは、いまの時流の中で五輪賛成を表立って謳うことはできないが、実は開催を願っているから。開催されればテレビも新聞も五輪報道で活気づくのは明らか。自分らのビジネスへの影響を考えると、このままやって欲しいと願っている。

反対をはっきり述べているのは、いくつかのラジオ局だけだ。彼らには、テレビや新聞ほどの影響力がなくて政府から強く睨まれることがないことと、直接的な大きな利益関係もないからだろう。

テレビも新聞も、僕が主に外国のメディアを通じて情報を得るようになったのは、こうしたことからなんだ。

2021年5月10日

日本のサービス企業の問題は、生産性だけじゃない

3G回線の携帯電話機を新しいものに交換しませんかという案内パンフが届いた。そこで、そろそろ切り替えようと思い通信会社に電話した。

機種交換だと言うと別の係に回され、送られてきたパンフレットに記載のお勧めの料金プランで決めようと思ったが、一点、そこに記されている「2年縛り」の言葉が引っ掛かった。

その方が経済的なんだろうが、通信会社ごときに縛られたくない。別に物理的に体を縛られるわけではないし、いつでも違約金さえ払えばそれで済むのは分かっているが、これは気分の問題。

2年縛りでない<普通の料金>はいくらかと電話の向こうの男性に尋ねたら、「分からない」という。「自分たちは2年縛りの料金しか知らされていない」がその理由だ。

ヘンに思い、あなたはKDDIの社員ですよね、と尋ねると、auの者です、と返ってくる。繰り返し尋ねても同じ返答。auはサービス名称であって企業名ではない、

ちゃんと会社名を言うように言ったら、「それは言えません、上から言うなと言われているから」と繰り返す。通信会社の非常識はここまで来たかと思った。

KDDIが業者を使っているのだろうが、こんなことやってるからユーザーからの苦情が絶えないんだと納得。

もう少し上手にできないものかね。

2021年5月1日

この時期のオリンピックを「スポーツの祭典」だなんて誰が言えるか

鹿児島で実施された五輪の聖火リレーの現場で、新型コロナウイルス感染者が6名でた。

なぜこんなことを今も続けているんだろう。聖火リレーがなぜ必要なのか分からない。

オリンピックはスポーツ競技のためのもの。聖火リレーがあろうとなかろうと、出場する選手たちの競技上のパフォーマンスには何も関係ないはず。 あるのはオリンピックといえば聖火、で、聖火と言えば聖火リレーという固定観念。

加えて言えば、スポーツの競技会なのに、なぜ3時間もの開会式が必要なのか。

佐々木宏という、森元総理大臣の友人が務めている大手広告代理店の人物がその演出責任者に選ばれ、タレントの渡辺直美をブタにして面白がるという演出プランが内部からバラされた。その発想は、表現することで禄を食んでいる人間としての品性に欠けている。 

https://www.theguardian.com/sport/2021/mar/18/tokyo-olympics-ceremonies-chief-hiroshi-sasaki-sexism

そんな演出プランを考えることがスポーツ競技と何の関係があるのか。テレビ中継のためだけの単なる浅薄なショーだ。

そういえばその人物は、サントリーの缶コーヒーのCMでトミー・リー・ジョーンズを耳の尖った宇宙人に仕立てたり、トヨタのCMではジャン・レノをドラえもんにし、ソフトバンクモバイルでは北大路欣也さんに犬の吹き替えをさせるなどしている。

視聴者が面白がってくれるからと、有名俳優の顔をスポンサーの札束でひっぱたたいて「俺が動かしてる」と悦に入っているんだろう。そのメンタリティーが渡辺直美をブタに変えるという下卑た演出プランに結びついている。

五輪に話を戻せば、いまの時期に日本中を走る聖火リレーなど即刻止めてもらいたい。そして、開会式もクサい演出やショー的要素は一切無用。巨額の放映権料が入ることになっているテレビ中継にしか関心のないIOCと同じ轍を踏むことはない。

そしてそもそも、五輪は来年の秋にでも持ち越すことだ。