東京五輪の組織委員会が、東京及び首都圏三県での競技場を大会中も無観客にすると決めた。
いろんな考えや思わくがあって決定が遅れたのだろうが、種々の連鎖的影響を考えればあまりに遅すぎ、身勝手である。各自治体はもちろん、競技場周辺の施設や店舗は一様に戸惑っている。
無観客での五輪大会開催は、当然外国のメディアでも大きく報道されていた。それらのなかでは、聖火が東京に今日着いたとのニュースもあわせて報道されてたのだが、それらのニュースで聖火は Olympic Flame(オリンピックの炎)って呼ばれていた。あるいは Torch(松明)と。
そこには「聖」(sacred, holy)の意味付けはない。
いったい日本でいつからOlympic flame が聖火と呼ばれるようになったのか知らないが、そうした妙なニュアンス付けが単なるスポーツゲームであるオリンピックに添えられてしまったことで、それを意味もなく神聖化し、合理的で速やかな意思決定を始終阻んでいるように思うのは僕だけだろうか。
辞書によると、聖火とは「神に捧げる神聖な火」らしいが、今の政府や五輪組織委員会にとっての「神」とはいったい何を指すのか。
それは、今回の大会によって全世界で少なくとも約30~40億ドル(3300億円~4400億円)という途方もない放送権料を得る国際オリンピック委員会(IOC)だ。